黒い大樹‐1940‐ > 1

(投稿者:suzuki)



体も小さく、槍も短い
だのに、彼女は自分の目の前に大きく立ちはだかり
それは決して自分の目の前から消える事はなかった
逆光を浴びて殊更に彼女は眩しくて
それはまるで、黒い大樹のようであった






身は男臭い戦場にあれど、どうにも彼女には皇室の堅苦しいワインの香りの方が心地よく
て、どうもこういった場に慣れるのは難しい。
酔いの勢いで泣きながら彼女に絡む兵もいたが、どうも今夜はそういうのも適当にあしら
うという気分にもなれず、そもそも酒臭いのが余り得意ではなかったので、ブリュンヒル
デは早々に幕舎を立ち去る事にした。
疲れきった体に風が快い。
Gの進撃で殆ど荒野となったアルトメリアの大地に、かすかに光が差し込む。
どうやら宴もすっかり宵を越したようで、東の空にはもう少しだけ日が顔を出していた。

連日の勝利に、明らかに彼等は浮かれていた。
MAIDという兵器が人類にもたらされて以降、西部戦線の後退は急激な勢いで鈍ってい
き、ついにこの年には「膠着状態」追い込むまでを可能としたのだ。
脅威が去った、とは言うべきではないが、少なくとも現状の脅威に対抗しうる力を手に入
れる事が出来たという事実は、彼等をそうさせるには充分すぎたのだろう。
別に自分のことを過大評価したいわけではなかったが、ブリュンヒルデにはそうやって今
の状況……惨状と言っても差し支えないだろうか、それを肯定する他なかった。
当然その程度に懸命な人物なんてものはいくらでもいるもので、さっさと宴会の席を立っ
て自分の寝床でも確保しているのだろう、兵舎の明かりも消えてはいないようだだった。

「……んっ…」

人が見ていないのを軽く確認してから、彼女は大きく背伸びをした。
人前であまり気の抜けた事が出来ないのは生まれつきの癖のようなものだ。
若干装飾過剰とももとれる黒鎧が軽く金属音を立てるとともに、なんとなく自分の体のな

かからも何かが軋む音が聞こえてくるような気がした。
今年で稼動3年。今までどれだけ戦場に立ったか、などというのは、今更数えるのが億劫
なほどであった。
恐らく自分は老い先長くはないのだろう、と言うのがブリュンヒルデの見解である。
果たしてこのあと自分に何が残るというのか。陛下の元にいるあの子は、そしてここの兵
士たちは。

宴会場からまた一組、よろよろと這い出してくるのを見つけた。一組と言っても男同士だ
が。
どうやら片方が悪酔いをしてしまったらしく、終始口元を押さえて顔を青くしている相方
の方をもう一人が担いで引きずっていた。
自分の限界も解らせてくれない、酒とは実に恐ろしいものである。

ブリュンヒルデは、この瞬間になって彼等の顔を見た。
酒の匂いと暑苦しさにやられて、つい彼の表情というのに目をやるのをすっかり忘れてい
たのだ。
気分は悪そうだったが、お互い本当に楽しそうな顔をしていた。
確かに、彼等は浮かれていた。
しかし、これでいい。ブリュンヒルデにはそう思えた。
浮かれるくらいが調度いいのだ。
きっと我々が生まれた理由は、こういう顔を彼等に忘れさせないためなのだろう。
人々の笑顔のために戦うというのもなんとも俗っぽいというか、御伽噺の英雄のようなも
のだが。
我ながら臭い台詞を思いつくものだと、彼女はつい苦笑いをしてしまった。



ブリュンヒルデはふと、調度キャンプの西端のあたりに「それ」を見つけた。
この駄々広い荒野に、少なくとも一人佇んでいる分にはそれは実に不釣合いなものだった。
それは朝日を浴びて尚黒々としており、何者も寄せ付けぬ雰囲気を漂わせていた。
あと100年昔ならまだ理解を示す事が出来たであろう、その「鎧」は、ただ静かに西の地
平を見つめていた。
置物……にも見えなくはないが、恐らく中に人は入っているのだろう。いや、正確には人
ではないのだろうが。
全身覆うを黒色の鎧には装飾はおろか、人間らしいものを覗かせる隙間さえも存在せず、
かろうじて装甲の間から、褐色めいた繋ぎの布が見えるくらいだ。
背の高さもあいまって、見るものに与えるプレッシャーは相当のものだったが、何より「
それ」の得物がそれをさらに際立たせていた。
騎兵槍というには、それはあまりにも重厚で、太く、長い。身の丈の2倍はあるであろう
その槍のような何かの先は、煙突のように大きな筒となっていた。
ビッグ・ベンと呼ばれる、槍と砲が一体化したMAID専用の兵器である。
たしか、広域制圧用の兵装として開発されたはずが重量とコストの問題を解決させる事が
出来ず、量産は見送られたという話だったと、ブリュンヒルデは記憶していた。
それをこの鎧が手にしているという事は、さて厄介な試作品でも押し付けられたというこ
とか、あるいはじゃじゃ馬を制御できるだけの力量を見込まれたということか。
正直なところその辺りのところはどうでもよかったのだが、それでなくても彼女は、単純
にその鎧に興味を抱いた。
この浮かれきった戦場で、まさかこの時間になっても敵陣を睨み続けるものなど、普通い
るとは思わないものだ。
酔っ払いよりも話相手にはなるだろうと思い、また興味もあって、彼女はその鎧に声をか
けてみることにした。



「殊勝なことですね。この時刻になっても哨戒ですか?」

……がちゃり。

「偵察からの報告によれば、少なくとも今日1日は『G』の襲撃はない、ということです。
貴方もそろそろお休みになったらどうですか?」

……がちゃり。



こちらの言葉に反応はしたようだったが、鎧から返事が返ってくることはなかった。
単純に無口なだけか、それともこちらの言葉など意に介さないとでも言うのか。
その鎧は、こちらを一瞥して再び西の地平に体を向け、それ以上動こうとはしなかった。
……ああ恐らくこの子はあまり長生きするタイプではないのだなと、ブリュンヒルデは思
った。きっと己の身など省みずに、ひたすらに軍に忠を尽くす。自分と同じようなものだ
と。
きっとそれは罪でも悪でもないのだろう、少なくとも彼女はそう信じていた。だからこそ
こうして、文字通り身が腐るほど戦場に足を運び、何の疑念も抱かずに今まで戦ってこれ
たのだ。
そういう者はいてもいい……が、あまり多くはない方がいいとも思う。

二人とも黙り込んだままどれほど経ったろうか、軽く日が顔を出す程度でまだ夜らしさを
保っていた空も徐々に明け方の様相を呈してきていた。
相変わらず鎧は西に体を向けたままで微動だにせず、それに釣られるようにしてブリュン
ヒルデも、特に何かするでもなく西の空を眺めていた。
これ以上こうしていても、恐らく鎧からは何の返事も返ってこないだろう。そう思ってそ
の場を去ろうとしたその時、



「……狭いのです」



不意に、それまでだんまりを決め込んでいた鎧から声が漏れ出してきた。



「…………この鎧の隙間から見える世界は、あまりにも狭い。自分にはこうする事しか知

りません」

「……成る程」

「……自分には、人の背中を見る事は適わぬ故に」



そのときブリュンヒルデは、その鎧の何かを悟ったようであった。

基本的に、Gとの交戦時にフォワードとしての役割を負うのは、純スペックの高いMAI
Dというよりは、どちらかというと特に格闘戦以外の取り柄のないものである。
よほど前線での戦闘に有利な能力でない限り、普通MAIDの持つ身体強化以外の特殊能
力は、白兵戦以外で運用した方がスコアの足しにはなる。
少し前なら肉の壁として無理矢理兵の前に立たせでもしたのかもしれないが、MAIDが
正式運用がされてから早2年、数に余裕も出てくればせめてそれよりはましな運用法とい
うものも思いつくものだろう。
ちょうど昨年ほどから、ルフトバッフェシーアをはじめとする空戦MAID部隊や、志
向性を持つエネルギーの形成、物体の間接的操作等様々な能力を持ったMAIDがあらわ
れ始め、我々に我々自身の様々な可能性を見せ付けてくれようとしている。
それだけ前衛には、守るべきものが増える、ある方面で言えば重要性も責任も増すという
ことだ。

この鎧は恐らく、見た目同様に中身も堅物なのだろう。もしくは自分自身を勝手に粗製と
でも思い込んでいるのだろうか。

「……貴方、名前は?」

「………………タワーと」

「ではタワー」



「調子に乗るな」

がちゃり。

背後から発せられた言葉に再び鎧が、タワーが振り向いた。
振り向いた先には、ちょうど朝日を背中に向けて白く縁取られたブリュンヒルデが立って
いる。



「貴方がどれほど自分の背負っている役割に矜持を持っているのかはわかりません。生憎
私もそんな特殊な力は持ち合わせてはいませんからね。ですが……そうですね、貴方、ま
だ若いのでしょう?」

「………………」

「……そのようね。そう、貴方はまだ若いわ。まだ貴方より今の役割に適した、貴方の前
に立つであろう人材ならいくらでもいる。学ぶべき事もある。後ろを振り向かなければき
っとそれは分かりません」

「…………」

「それでも、貴方は前に立たざるを得ないのかもしれません。……恐らく、私もきっとそ
うでしょう」



「…………だから、そのときは私が貴方の前に立ちますわ。だから己の身をもう少しだけ、
愛する事。もし貴方が後に下がることを咎める者がいたなら、そのときはこのブリュン

ヒルデが責を負いましょう」



言いたいことだけ言ってしまうとそのままブリュンヒルデは立ち去ってしまった。
タワーはその姿が見えなくなるとまた西にその体を戻しそして、また言葉を発する事はな
かった。
しかし今度は何も言わなかったのではなく、何も言う事が出来なかった。



逆光で伸びきった影が何よりも大きく見え、何より彼女の顔が終始穏やかだったからだ。



―> NEXT

関連

最終更新:2009年02月26日 22:31
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。