曇り空は敗色。今日の天気はまさにそれである。
空が暗いのはきっと黒い体のアレが多いからだけではなかった。
「G」の体から発生する瘴気は、人体に害を及ぼす。
通常この瘴気と呼ばれる有害物質の煙は無色透明で、人間や一般のMAIDの視覚に触
れるという事はまずないと言っていい。
極少量であれば軽い吐き気やめまいを催す程度で済むのだが、濃度如何では人の目に触
れない無色のままでも、戦闘はおろか普段の生活に支障をきたすほどの影響を及ぼす厄
介な代物だ。
「G」との生存競争において、MAIDの開発を成功させるまで人類を窮地に追いやっ
ていた一つの要因であると言っても差し支えないこの瘴気が、今日は遠目には曇り空を
作り出しているように見えるほど、濃いのである。
人間の身長の高さから見る分には、恐らく山と言っていいほどの密度の「G」が押し寄
せている。
大半は
ワモンであり、一応一握りぐらいの希望はあるだろうその小山の真っ只中で、ブ
リュンヒルデはひたすら槍を振るっていた。
先のような理由から、このような状況下で一般人が「G」の相手をするというのは、喩
えその者が如何に屈強でもまず不可能である。
こうなってしまっては彼等に出来るのは援護射撃ぐらいなもので、必然的に前線出の戦
闘はほぼMAIDに頼らざるを得なくなってしまう。
敵の数に反比例して前線の味方が減っていく理不尽。
彼女にとっては今に始まった事ではないが、慣れたからと言ってどうにかなるものでも
ない。実際
ブリュンヒルデの周囲は自分を含め真っ黒で、他に味方らしいものを見つけ
ることは適わなかった。
「……はッ!」
軽く息を吐き出すと共に、金色に飾り付けられた石突が目前に迫っていたワモンの頭を
貫き、その身を体液の黄白色に汚した。
そしてその屍骸を突き刺したまま、背後にいる他の一団に向かって袈裟をきるようにし
て叩きつける。
まず1匹、2匹、ぐらい。
そのまま体を捻り、動きの止まったワモンの群れを横一線に薙ぎ払う。
大質量の黒い刃が黒い空間を横切り、一瞬だけ曇り色の向こうの景色が目に映った。
これで3匹、4匹……それから、たくさん。
残りは……もっとたくさん。
どこかで「G」の撃破スコアを数えるだとか競うだとか、そんな話が持ち上がっていた
ような気がするが、実に馬鹿な話である。そもそも指や計器で軽々と数え切れるような
相手ではないのだ。
それはともかく、恐らく勝てる戦ではないのだろうが、少なくとも後方が退路を確保で
きるくらいの余裕も作れないようでは身動きのとりようもない。
刃と石突にこびりついた体液を振り払って再び槍を構え、一度息を整えようとして、
……あまりの不快感に咳き込んでしまった。
体勢を崩した所に飛び込んできたワモンの顔面を裏拳で砕き、一瞬霞んでみえた周囲を
もう一度見渡す。
相変わらず周りは、見るからに不快な黒光りした蟲の集まりで真っ黒だったが、それ以
上に、空気そのものが黒ずんでいるようだった。
不味い。
軽く舌打ちをした後で、頭上で回転させた槍の遠心力を利用してそのまま周囲を薙ぐ。
たとえMAIDといえど、高濃度の瘴気下では活動を制限される。
通常であれば、エターナルコアから無尽蔵に与えられるエネルギーのおかげでほぼ制限
の無い稼働時間を得られるといわれているが、あまりに瘴気が濃い場合、体内に侵入し
た瘴気によってエネルギーの循環を妨げられる場合がある。
そのように体内にエネルギーがいきわたらない状況に陥れば、当然エネルギー不足、つ
まり疲労に似た症状も発生すれば、普段コアの力によって向上している免疫力も弱化す
る。一般人と同じようにめまいや吐き気を催す事もあれば、下手をすればその場で昏倒
もしてしまいかねない。
そしてMAIDにとっての瘴気の濃度、危険度の指標になるのが、空気の「色」なので
ある。濃度を増した瘴気は通常黒~紫色の霧のような形態で現れる。さらに濃度を高め
た場合や空気中の瘴気を圧縮した場合は瘴気自体が熱エネルギーや光エネルギーを発生
させるという報告もあり、一部では攻性を持った瘴気を発生させるGの目撃情報や、そ
れを応用したMAID用の兵器も検討されていると聞く。
光までは発せずとも、この黒ずんだ霧は明らかにMAIDにも有害なものだろうと予想
は付く。
このまま戦闘を続けても勝ち目以前にこちらのスタミナが持つかどうか、こんなものに
埋もれて生涯を終えるのは流石に本意ではない。
要は霧さえ上手く払えば何とかなる可能性というのはいくらでも見えてくる。
持久戦に持ち込めば相手も一応生き物だ。進路の変更だって見込めるかもしれない。
問題は如何にしてこの毒霧を取り除くか。
自力でGの数を減らすか、援護は期待できるのか、あるいは……。
どこを見渡しても「G」、「G」、「G」。
たまたまグレートウォールからこちらまで出向してきたというのに、コレだ。
確か戦線は比較的穏やかであるという話ではなかっただろうか。
成る程、我々はこの不快指数の塊によほど好かれているらしい。
上を突けば下から滑り込むようにして次のモノが、下を突けば上から折り重なるように
して次のモノが。どこかに湧き水ならぬ湧き「G」でもあるかのような数の「G」に、
自慢のサーベルの動きも鈍りつつあるのが自分にも充分すぎるほど理解できる。
常人ならこの中にいるだけで発狂してしまうのではなかろうかと、
ルルアは斬撃半分に
心の中で反吐を吐く。
普段はこんな薄汚れた意識なんて抱くことなど無いはずなのに、なんと言うか、この手
の生物は生理的に好きにはなれないというのが正直なところである。
ただ、こちらには一人だけ心強い……と思われる味方がいただけ幸いというものだ。
はじめ見たときは随分と疑わしい格好をしていると思ったものだが、どうやらそう悪い
人間……いや、MAIDではないらしい。真っ黒でよく見えたものではないが、こちら
が背中を預けるだけのものは持っているらしい。
返事代わりであるかのようにワモンの残骸が飛んでくる。
タワー。それぐらいしか言葉を聞いていない気がするが、確かそんな名だったはずだ。
文字通り、自分の目の前で黒い「塔」を振るっているようではあるが。
その巨大な槍と盾を振るうたび、触れた「G」の体が文字通り「弾け飛ぶ」。
降りかかる体液などものともせずに「G」の群れに飛び込む様はなんとも頼もしいものだ。
確か自分と同期であるとは聞くが、なかなかの働きぶりだとつい感心してしまう。
「……これでは、背中を預けるというより、背中を任せられているようですね」
ルルアは疲労を蓄積しつつある体をいたわるように、撫でるようにしてワモンの間をす
り抜ける。通った後にはちょうどワモンの「ひらき」のようなものが数個出来ていて、
昆虫らしい無機質な内容物をさらけ出していた。
まるで守られているかのような感覚と言うか。まあこの状態では守られるという言葉な
ど適用のされようがないのだが、ともかく彼か彼女かの判別すらつかないその全身鎧は、
付かず離れずの距離で戦ってはくれていたが、こちらを振り向くという事は一切なかった。
しかしタワーの健闘もこの「G」に囲まれてしまっていては霞んでしまわざるを得ない。
どれだけ残骸が飛び散ろうともその上を乗り越えてやってくる敵の数はそれをゆうに超
え、一向に減る気配を見せないのだ。
黒ずんだ空気が次第に自分の体を蝕んで言っているのがルルア自身にも分かる。ここで
戦い続けたところで恐らく勝ち目は無く、ここからでも既に見えない後では退却の機会
でも窺っているところだろう。
如何に彼等を逃がすかも考えなければいけない。どうにかして退路を開かなくては。
しかし、このまま我々が奮闘をしたところで結果的には捨石扱い、というのもありえる
のではないか?
曇り空は、事実に即しつつ嫌悪感も疑念も、あらゆる負の感情を腹の底から押し上げる
ようである。
不快感と不安感を拭い去れないまま、ルルアは剣を振るい続けなければならなかった。
一方のタワーは何も語らず、突き進む様しか見せようとせず、まるで遠く背後に控える
人間たちに何の疑念も抱いていないようであった。
初めて顔を合わせる相手に頼り切るのも少し情けないとは思うが、今はこの迷いのなさ、
読めなさが頼もしく思えるほどである。
何の保証もないが、もしかしたらこの子なら何とかしてくれるかもしれない。
むしろこの状況下での単独行動は個人を危険に晒すだけだ。
打算と女の勘を交えつつ、とりあえずルルアはタワーの後を追うことにした。
やはりタワーは後ろを振り向く事はなく、また加勢を喜ぶ風も見せてはくれなかったが。
関連
最終更新:2009年02月26日 22:32