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DOL的人物

最終更新:2011年01月04日 02:28

marinaro

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DOL的人物
 ┣あ行〜な行(このページ)
 ┃ ┣あ行(ウィリアム・アダムス,ヴェサリウス)
 ┃ ┣か行(カーンサウフ New!,ギーズ公爵,コンデ公爵)
 ┃ ┣さ行(サンタ・クルズ侯爵,楽士ジェズアルド,ジャーノ・フレゴーゾ,シャイロック頭取)
 ┃ ┣た行(タベラ枢機卿,鄭成功 New!,ドゥアルテ・ロペス)
 ┃ ┗な行
 ┣は行〜ん(別ページリンク)
 ┃ ┣は行(ブラガンサ公爵,国王フェデリーコ,ベリー女公ジャンヌ)
 ┃ ┣ま行(マリア王妃,王女マルグリット,技師マルティネンゴ,,ムライ・ハサン New!
 ┃ ┃   モチェニーゴ官房長官,モンモランシー大元帥)
 ┃ ┣や行
 ┃ ┣ら行(ルイス・デ・レオン)
 ┃ ┗わ行・ん
 ┃
 ┣コメント欄
 ┣DOL的年表(別ページリンク)
 ┗DOL的港(別ページリンク)


あ
ウィリアム・アダムス (長崎)
+ ...
  • ウィリアム・アダムス William Adams 1564〜1620(日本名:三浦 按針・みうら あんじん)
ウィリアムさんは日本に初めてやってきたイングランド人です。まあ,ウィリアムさんの一通りのご略歴はGoogleさんやWikipedia先生にお尋ねすればお詳しいので,ここでは省略します。ここでは,このウィリアムさんにまつわるエピソードを, DOLに登場する人物や地名・用語に絡めて書いてみたいと思います。

まず,彼が日本に漂着した際に乗っていたお船は,ネーデルランド船籍リーフデ号。なぜイング人の彼がネデ船に乗っているかというと,答えは単純。当時まだ新興海洋国家のネーデルランドは遠洋航海に熟練した航海士が非常に少なく,外国人を雇うより他はなかったから・・・のよーです。リーフデ号はDOLでは商会南蛮交易船としてみなさんに愛されてる往復定期船ですが,史実としては二度と帰ることのない片道切符。アダムスさんはついに祖国イングランドの土を踏むことなく日本の地に眠ることになります。アーメン。><

ウィリアムさんは博識で誠実なお人柄もあってか特に家康に気に入られたようです。彼はよく「家康の外交顧問」と言われますが,お雇い外国人ではありません。立派な直参の旗本です。あとにも先にも,外国人が旗本になった例はウィリアムさんただお一人。異例中の異例の大抜擢なのです! すご〜い。それに家康が彼を頼りにしたのは外交問題だけではありませんでした。例えば,造船。当時イスパニアやポルトガルにとって造船技術は最高級の軍事機密事項であり,それを他国へ漏らすのは死罪にあたりました。当然,秀吉や家康といった当時の日本の権力者たちはソレを喉から手が出る程欲していますが,宣教師や商人たちは国策上ゼッタイに首を縦に振りません。そこにウィリアムさんが登場。若い頃船大工でもあった彼はなんとか頑張って小型ガレオン船を造りあげちゃいます。そう。メイド・イン・ジャパン和製ガレオン船の記念すべき第1号機は(それに2号機も),実はウィリアムさんたちの指導によって日本の船大工たちが造ったのです! すご〜い。いやぁ〜これはもう,家康から破格の待遇を受けるには十分ですよね〜。

もちろん外交政策に関してもウィリアムさんの進言が政権の方針に大きく影響を与えます。折しも当時,布教と通商がワンセットとなったポルトガル・イスパニアの強権的外交政策に家康政権が頭を抱えていた時期でもあり,ウィリアムさんの日本漂着が,宗教と切り離した対プロテスタント通商へと舵を大きく切る外交方針転換の大きなきっかけになったと言われています。イングランドやネーデルランドが平戸に商館を持てたのも,ウィリアムさんの政権内での発言力に追うところが非常に大きかったようです(ちなみにその後ウィリアムさんは平戸のイング商館・ネデ商館とそれぞれ社員契約・顧問契約を結んでます)。さらに家康没後,秀忠政権が再度外交方針を大きく転換しキリシタン弾圧・鎖国政策に踏み切った際にネーデルランドだけがかろうじて交易を許可されたのも,ウィリアムさんがなんとかねばって秀忠から取り付けた朱印状(貿易許可書)が効力を発揮しつづけたからだといえます。一方,イングランドも同じく朱印状をもらって商館維持が可能な立場にありましたが,ウィリアムさんの死後,商館員の怠慢や不正もあってか採算の見込みがないと本国に判断されアッサリ自主撤退。orz ウィリアムさんが祖国のためにあれだけ頑張ったのに,カワイソ〜。>< イングがもう少し踏みとどまってれば,日本史もだいぶ変わったかもしれませんのにねぇ〜。^^;

DOLではウィリアムさんは長崎の街中に佇んでおりますが,実際には当時ネデ・イング商館は平戸にあり,ウィリアムさんがお亡くなりになったのも平戸の地です。長崎の出島が造成されたのは彼の没後もう少しあとのことです。そもそも出島はもともとポル商館用に造成された場所で,鎖国政策後ネデ商館が強制移転されたものなのでした。そおいう点では,彼は江戸にもお屋敷を持ってたことですし,お江戸に佇んでる方が史実に近いのですが・・・。^^;

【余談】ところでリーフデ号に乗ってウィリアムさんと一緒に日本に漂着したネデ人のうち,何人かがDOLでも登場します。まず,リーフデ号船長だったクワッケルナックさん。彼はシャム湾で海上NPCとして浮いてます。なぜシャム湾かというと,彼は漂着後家康に許されて本国への帰途に着くのですが,残念ながらパタニ沖でポルトガル船の襲撃に遭い,そこで落命してしまうのです。おいたわしや・・・。それからもうひとりは,ヤン・ヨーステンさん。DOLではどーゆーわけかわかりませんがノルウェー海にいらっしゃいます。ヨーステンさんは,関ヶ原の合戦にも砲兵部隊として参加していた!という説もあります。その真偽はともかく,彼の砲兵技術が買われ,家康に重用されたのは史実です。なお,お江戸の「八重洲」という地名は,彼の屋敷跡にちなんだ名前です。

ヴェサリウス (バレンシア・ヴェサリウス邸)
+ ...
  • アンドレアス・ヴェサリウス Andreas Vesalius 1514〜1564
ヴェサリウスという名前はラテン語読みです。本名はアンドレアス・ファン・ヴェセール Andreas van Vesel。当時はラテン語風の名前するとカッコ良く権威的に見えたようでして,このへんは日本人ミュージシャンが無意味に英語名を付けてちょっとでもカッコよく見せようとするのと似たような感じでしょうか・・・。^^
ヴェサリウスは代々ハプスブルグ家の侍医・薬剤師を務める家系に生まれ,彼自身はイスパニア国王カルロス1世,フェリペ2世に贔屓にされました。ヴェサリウスは今日では「解剖学の父」として知られますが,彼の主な功績としては,(1) 解剖を自分自身で行ったこと,(2) ガレノス説を批判したこと,(3) 「美しい」解剖学書を出版したこと,などが挙げられると思います。
当時の教会は公には死体解剖を禁じていましたが,実際には1300年代からパドヴァ大学などを中心に解剖は行われてきました。しかし,解剖は実際には身分の低い外科医に任され,教授職を持つ内科医はそれを遠くから眺めるだけというものでした。ヴェサリウスはその慣習に反して自分自身で解剖を行ったわけです。このような「実証主義」的行為は今日の科学技術からすれば当たり前ですが,当時の身分制度や神学的観念からは到底考えられず,そのような点で革新的であったとも言えます。また,ガレノス説とは古代ローマ時代から実に1500年以上も支持されてきた医学論で,人体は四体液(血液・粘液・黒胆汁・黄胆汁)からなるという説です。現代医学から見るとさすがにこの説は荒唐無稽ですが,当時は絶対的な学説でした。それに異を唱えるということは,当時の感覚からすれば天動説に異を唱えたコペルニクスやガリレオのように異端的な行為で,実際ヴェサリウスは何度も異端審問の嫌疑がかかったようです。このあたりはDOLでも「医者探し」の連続クエで垣間見ることが出来ます。
最後の「美しい」解剖書というのは,『人体の構造についての七つの書』 “De corporis humani fabrica libri septem”(通称,『ファブリカ』)のことで,ここでは無惨に解剖され臓器や筋骨を露にしたゾンビさんたちがあたかもギリシャ彫刻のような優美なポーズを取って描かれています。これは当時,解剖学による知見がどちらかと言うと医者よりは彫刻家から注目されていたことによりますが,いかにもルネサンス的な美的感覚で,このような形式は後世の解剖学書にも大きく影響を残しています。『ファブリカ』の原書は以下のサイトで見ることができます。(ただし,結構グロい映像満載ですので,ご興味のある方だけご覧下さい・・・。><)
  • http://archive.nlm.nih.gov/proj/ttp/vesaliusgallery.htm
↑
か
カーンサウフ (カイロ) New!
+ ...
  • カーンスーフ・アル=ガウリー Al-Ashraf Qansuh al-Ghawri ??〜1516
教科書的には,オスマン・トルコとの壮絶な戦いで戦死したエジプトのマムルーク朝(ブルジー朝)の「ほぼ」最後のスルタンとして名前を残していますが,実は意外なところでヨーロッパと繋がってます。それは,紅海における対ポルトガル戦争です。紅海沿岸の諸都市は,まるでDOLにおける旗替えみたいに(笑),史実でもポルトガルとイスラム勢力が取ったり取られたりの街を巡る攻防を繰り返していました。カーンサウフさんはその攻防戦を仕掛けたスルタンです。

といっても,カーンサウフさんは何も好き好んで自ら戦争をふっかけたわけではありません。「大航海時代」以前までイスラム教徒にとっての「庭」であった紅海に突如土足で踏み込んできたのは,ポルトガル人のほう。当時の花形交易品コショウはインドからイスラム商人を経てヴェネツィアに持ち込まれ,そこから欧州に分配されていくという確固とした市場が成り立っていました。それに対してポルトガルは喜望峰周りでコショウを欧州に持ち込みますが,それだけではコショウ市場をヴェネツィアから奪うことはできません。彼らがやったのは,露骨な営業妨害。つまり武力による紅海ルートの寸断です。国家経済の基盤である中継貿易のルートを寸断されて堪忍袋の緒が切れたスルタン・カーンスーフは,1505年についにポルトガル艦隊討伐のための遠征隊を紅海に送り出します。マムルーク側はジェッダの防衛を固める一方,ポルトガルは一時ソコトラに基地を置いたりアデンを占領したり,ディブ沖で大海戦が行われるなど,DOLでおなじみの街々を舞台に熾烈な戦いを繰り広げたのでした・・・。これって,当時の世界経済上すっごく重要な大事件なのに,こーゆーローカルな戦いって,ナゼか教科書に載ってないのよね・・・。><

スルタン・カーンスーフは対ポルトガル戦争のためオスマン・トルコに援助を求め一時連合軍を組みますが,これは結果的に彼(および彼の王朝)の寿命を縮める結果となっちゃったみたいです。エジプト経由の交易路の重要性を再認識したオスマンは弱体化したエジプトに攻め込み,マムルーク朝を滅亡させてしまいます。さらに勢いに乗って艦隊をインドまで派遣。結果的にこの東征は中途半端に終わりますが,ポルトガルの紅海封鎖作戦はこれを契機に瓦解し,紅海経由の交易ルートは無事再開したのでした。そしてコショウはというと・・・,せっかく隆盛を極めたリスボン市場も王家の硬直的な独占事業により信用を失い自滅,一方ヴェネツィアでは安全になった紅海ルートにより品切れ状態が解消され,コショウ市場が完全復活したのでありました。実はヴェネツィア,同じキリスト教国ということで公然と対ポルトガル連合軍には加われませんでしたが,秘密裏に相当の後方支援をしたよーです。結局この戦争,最後に笑ったのはしたたかなヴェネ人だったり・・・。^^;

ギーズ公爵 (マルセイユ離宮)
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  • ギーズ公フランソワ1世 François I de Guise 1519〜1563
  • ギーズ公アンリ1世 Henri I de Guise 1550〜1588
ギーズ公爵家は,16世紀にフランス王家(ヴァロア家)と肩を並べるほど勢力を誇った名家です。その中でもっとも有名なのが,父フランソワとその息子アンリ。DOLは大航海時代の特定の年代を想定した設定ではありませんので,NPC「ギーズ公爵」がそのどちらを指すのかまでは残念ながら特定できません。しかし,まあ,歴史の流れから言えば,この2人はやることなすこと似てますので,親子でワンセット,と考えてもまあよいでしょう(超乱暴な見解ですが・・・。><)
フランソワ・アンリ親子の生きた16世紀後半は,大航海時代であると同時に宗教戦争の時代でもあり,フランスでは特にユグノー戦争と呼ばれる泥沼の内戦状態の時期でもありました。その中でカトリック勢力側の指導者として勢力をふるったのがギーズ公フランソワです。そもそもユグノー戦争の直接の引き金となった1562年の事件「ヴァシーの虐殺」はギーズ公フランソワの指示によるものとされており,時の摂政カトリーヌ・ド・メディシスが敷いたユグノー(プロテスタント)宥和策に対してギーズ家=カトリック勢力が公然と反旗を翻したセンセーショナルな事件でした。
その後フランソワはプロテスタント側の刺客によって暗殺されますが,その遺志は息子アンリによってさらに過激な形となって継がれます。ギーズ公アンリによってひきおこされた(とされる)事件で最も有名なものが1572年の「サン・バルテルミの虐殺」で,プロテスタント側の首領ナバーラ王アンリ・ド・ブルボン(後のフランス王アンリ4世)と王女マルグリット(DOLではナントNPC)の結婚式の最中に起こった忌まわしき事件です。この事件により数千〜一万人ものユグノーが虐殺されたとされています。
このように血で血を洗うユグノー戦争のさなか,「○○の虐殺」という歴史の教科書に載っちゃう凄惨な事件を親子2代で立て続けにやっちゃう過激なギーズ親子ですが,彼らの「活躍」はプロテスタンに傾きつつあったフランス王家を結果的にカトリック側に奪還することに成功し,そこからフランス絶対王政の基礎が築かれていくわけですから,歴史の運命の輪は判らないものです・・・。

コンデ公爵 (マルセイユ離宮)
+ ...
  • ブルボン=コンデ公ルイ1世 Louis I de Bourbon-Condé 1530〜1569
DOLのマルセイユ離宮ではこのコンデ公とギーズ公が仲良く並んで立ってますが,実は超仲が悪いです(ちなみに離宮内のもうひとりのNPC,モンモンラシー大元帥もカトリックでギーズ公派)。プロテスタント側の指導者とカトリック側の首領。離宮内で一見平静を装って並び立つお二人の間には,実はどす黒い陰謀という名の暗雲が渦巻き,冷たい火花がパチパチとスパークするのでありました・・・。こ,コワ〜っ。>< 
コンデ公爵家はこのコンデ公ルイのときに創設された新しい公爵家であり,本家ブルボン家の傍系です。ブルボン家というとフランス絶対王政が直ちに連想されるかもしれませんが,このころのブルボン家はまだ王家ヴァロア家の外戚としての一有力貴族に過ぎません。コンデ公ルイの甥にあたるブルボン本家筋のナバーラ王アンリ(後のフランス国王アンリ4世,ブルボン王朝の祖)はプロテスタント側貴族たちの精神的支柱であり,コンデ公ルイはプロテスタント側の実質的な指導者でした。
コンデ公ルイとギーズ公フランソワは対外戦争こそ共闘して神聖ローマ帝国皇帝カール5世(=スペイン国王カルロス1世)の軍と戦ってこれを撃破したりしておりますが,国内ではアンボワーズの陰謀という国王誘拐事件をきっかけにギーズ公がコンデ公に一方的嫌疑をかけ逮捕してしまいます。後に時の摂政カトリーヌ・ド・メディシス(この方はDOL内では,フランス・ヴェネツィアの国イベントに登場する「毋后」に相当すると推測されます)のプロテスタント宥和策によってコンデ公は恩赦され,プロテスタント側も息を吹き返して行くのですが,その反発としてギーズ公が起こした虐殺事件(ヴァシーの虐殺)がユグノー戦争という泥沼の内戦に繋がっていくのでした・・・。
コンデ公ルイもギーズ公フランソワも(およびその息子アンリも)モンモランシー公アンヌも,みんな最後にはユグノー戦争の最中,暗殺されたり戦死したりしてます。DOLのマルセイユ離宮は戦争前の平和な時代の一コマなのか,それとも嵐の前の静けさなのなのか・・・。この離宮に来るといつも目が潤みます。アーメン。><
↑
さ
サンタ・クルズ侯爵 (セビリア王宮)
+ ...
  • サンタ・クルス侯爵アルバロ・デ・バサン Álvaro de Bazán, Marqués de Santa Cruz 1526〜1588
スペイン語読みでは「サンタ・クルス」ですが,ナゼかDOLでは「サンタ・クルズ」と濁点が付いてます。ま,まあ,細かいとこは気にしない気にしない〜。^^; 
サンタ・クルス侯爵アロバロさんはイスパニア海軍の提督で,イスパニア海軍の基礎を築き上げた気骨のある軍人さんです。当時のイスパニアは誉れ高き精鋭陸軍はあったものの,海軍はアンドレア・ドーリア(ジェノヴァ人)などお雇い外国人に丸投げしっぱなしで,到底誇れる自前組織ではありませんでした。そんな海軍軽視の風潮の中で,自国常設海軍の必要性を説き,それを創り上げ,指揮統率し,勝利に導いて来た人こそがサンタ・クルス侯でした。彼の戦績の中でも最も有名なのが,レパントの海戦です(名目上の総司令官は,国王フェリペ2世の弟ドン・ファンですが・・・)。 
サンタ・クルス候は台頭するイングランドの脅威をいち早く察知し,イングランド征服計画(すなわち無敵艦隊の創設)を立案し,国王フェリペ2世を再三にわたり説得しようとします。計画は単に兵士や船乗りを集めればよいものではなく,造船・大砲鋳造・補給物資調達など多岐に亘り(まさにDOLみたいですね!w),予算オーバーによる計画変更の憂き目にも遭いながら,侯爵は精力的に自身の計画を実現しようと頑張ります。しかし,気弱で日和見で吝嗇な政治感性のフェリペ2世にのらりくらりと先送りされ続け,残念ながら後一歩というところで夢半ばにして寿命を迎えてしまいます。アーメン。

【余談】さて,無敵艦隊の計画の方はと言いますと,その後,最も最悪な形で中途半端に実行に移されることになります。むちゃくちゃに予算を削られて戦力を大幅縮小したあげく,凡庸で戦知らずのメディア・シドニア公(DOLにはバレアレス諸島沖の海上NPCで登場してます)に無理矢理の総司令官のお鉢が回ってきて,イヤイヤながらしょーがなく出航・・・あとの顛末は歴史の教科書にある通りです。てゆうか,肝心の戦は決して華々しい海戦があったわけでもなく,イングランドの「勝利」というよりイスパニアの「自滅」。敗因の殆どが座礁による難破です。トホホ・・・。こんな艦隊に「無敵」なんて名前つけたのダレ〜?>< ・・・って,実はこれはイングランド人が国威発揚ために後からわざわざ付けた名前。スペイン語でArmadaを直訳すると,単なる「艦隊」です。さすがイングランドの殿方,ユーモアというか皮肉はこの当時から超一流です。歴史では「If」は禁句ですが,やはり「もし」サンタ・クルス候がもう少し長生きして,計画通りの「無敵」艦隊を指揮してたら・・・,イングランドは滅亡して現代ヨーロッパの趨勢もだいぶ変わってたかも知れません。まあ,やっぱり「If」ですが。^^;

楽士ジェズアルド (ナポリ,ジェズアルド邸)
+ ...
  • カルロ・ジェズアルド・ダ・ヴェノーサ Carlo Gesualdo da Venosa 1566頃〜1613
DOLでは何故か「楽士」となってますが,貴族のお生まれです。ナポリに近いヴェノーサ公爵家の御曹司。ですので,当時の階級制度からは「楽士」と呼ぶのは超失礼なような・・・(><)。不倫の疑いがある妻を殺害したため,生涯を通じてかなりスキャンダラスな人生を送ったようです。ちなみに当時は貴族が不倫の妻を殺害しても特段罪には問われない時代でしたが(ひ,ひどすぎる…><),ジェズアルドさんの場合は嬰児殺しの嫌疑がかけられたり,不倫相手の遺族から復讐されそうになって逃亡生活を送ったりしたため,社交界では相当なスキャンダルになったようです。
一方,作曲家としては,フェラーラの宮廷(当時ルネサンス音楽の中心地のうちのひとつ)で活躍するなど,当時から相当高い評価を受けていたようです。半音階的進行や不協和音など大胆な和声を多用するなど,ルネサンス音楽の様式を逸脱しそうな斬新で個性的な曲を多く残し,その後の1600年代から発生するバロック音楽の幕開けを予感させるものがあります。なお,日本語の本やCDでは「ジュズアルド」という表記をするものもあります。 ジェズアルドさんの音楽はYouTubeなどで視聴できます。
  • http://www.youtube.com/watch?v=81Fq2ztkxyI
  • http://www.youtube.com/watch?v=O2AFBL6Yi6Q
  • http://www.youtube.com/watch?v=givR0_09rZ0

【余談】大航海時代は,音楽史的には後期ルネサンスから初期バロックに移行する百花繚乱の大変革時代で,例えばスペインのアントニオ・デ・カベソン,イタリアのジョバンニ・ガブリエリ,クラウディオ・モンテヴェルディ,イギリスのウィリアム・バード,ジョン・ダウランドなど,この時代は後世に残る素晴らしい作品を残した作曲家を鬼のように輩出してます。嗚呼それなのにそれなのに・・・,数ある音楽家のなかからNPCとして採用されたのはジェズアルドさんお一人なのはナゼ〜っ?>< DOLはクエストを見ても音楽関係のものは殆どありませんし,当時の音楽にお詳しいスタッフさんはいらっしゃらないのでしょうかねぇ〜。;_;

ジャーノ・フレゴーゾ (ジェノヴァ元首執務室)
+ ...
  • ジャーノ・ディ・カンポフレゴーゾ2世 Giano II di Campofregoso 1455–1525
第43代ジェノヴァ共和国総督(ドージェ)。1512年〜13年の間の11ヶ月間だけ総督の座におられたようです。ジェノヴァ共和国は中世以来ヴェネツィア共和国と覇権を争うほどの海運国(海軍国)として名を馳せましたが,支配層である貴族間の抗争が多く,16世紀前半までは総督職もクーデタまがいの非合法的な政権交代でころころと短命で変わっただけでなく,フランスなど外国勢力にしばしば占領されたりと,極めて不安定な政情だったようです。ジャーノはジェノヴァの名門貴族フレゴーゾ一門の生まれですが,時のローマ教皇ユリウス2世の元で騎兵隊長として仕えており,当時フランスに占領されていたジェノヴァを交渉の末解放し,それの功績が認められ空席だった総督に就きました。しかしこの政権も1年も待たずにフランス派の巻き返しに遭い,政権を追われたジャーノはなんとライバル国ヴェネツィアに逃げ込みます。このヴェネツィアでも腕を買われ,陸軍総司令官などを任されていたようです。こういった国を跨ぐしたたかさは典型的なルネサンス人ですね・・・。^^;

【余談】ちなみに,こういったジェノヴァの一連の泥沼政争に終止符を打った立役者が,アンドレア・ドーリア Andrea Doriaです。彼はもともとフランス国王に仕えていた身でしたが,勢力を伸張していたイスパニアに鞍替えし,結果的にフランスの占領からジェノヴァを救い,以降はイスパニアの後ろ盾がありながらもジェノヴァの独立性を取り戻して,ジェノヴァ黄金期を導いたのでした。というわけで,ジェノヴァ的NPCだったらドーリアさんの方が超有名人だと思うのに,彼は単なる海上NPCとしてリグリア海に浮いてます(しかもヴェネツィア国籍。これは絶対ヘン!)。KOEIさんの人選基準がわからん・・・。

シャイロック頭取 (ヴェネツィア,シャイロック邸)
+ ...
シャイロックさんはDOLのNPCにしては珍しく実在の人物ではありません。ご存知,シェークスピアの戯曲『ヴェニスの商人 The Merchant of Venice』(1597頃)の登場人物のうちの一人です。というわけで,この欄,書くことない・・・w,というのもなんですので,ここは当時のヴェネツィアの状況を知るために,塩野七生大先生にご登場頂こうかと思います。以下は『海の都の物語』から引用。
  • 『ヴェニスの商人』のアントニオは,困っていた友人に代わって,高利貸のシャイロックから大金を借りてやる。担保は彼自身の肉1ポンドだ。それが,持船が沈没して払えなくなったために起こる話だが,ヴェネツィア商人の損害の分散方式は実に徹底していたので,持船の何隻かが沈没してしまったから一文無しになるというのは,なんとしても非現実的である。まずもって,一隻の船全部を所有していたということも,遠距離用の船ならば,ヴェネツィア有数の財産家でなければありえない。しかも,所有していたとしても,その船に自分の商品だけを満載して航海に出すというような事態は,ほとんどと言ってよいほど起こりえない。また,シャイロックから借りた金は,三千ドュカートという大金である。高利貸から借りたとしても,このような大金をたった一人から借りたというのもうなずけない。必ず何人かに分散して,つまり担保をなるべく少額にして借りていたはずである。
  • もちろん,大勢のヴェネツィア商人の中には出来損じもいたであろうから,(中略)絶対にありえないと書くことはできない。だが,たとえ存在していたとしても,シェークスピア描くヴェニスの商人を,もしもヴェネツィアの商人たちが知ったなら,同僚としては風上にも置けない類いだと思ったにちがいない・・・(後略)
塩野大先生にかかるとさしものシェークスピアの名作もケンもホロロ・・・。当時のヴェネ人は堅実な現実主義者なのだ〜!w

ところで,一般に流布しているシャイロックさんの印象としては,彼はあたかも金の亡者でアントニオに法外な無理難題を吹っかけたような極悪非道の人物かのように思われがちですが,シェークスピアの作品をよく読むと,彼は実に契約や法律に厳格で遵法精神に則っているということがわかります。アントニオに復讐心を燃やしますが,その報復手段はあくまで法的範囲内での正当な債権回収の域を超えません(まあそれにしても「人肉1ポンド」というのはむちゃむちゃですが・・・w)。何の法的瑕疵もない貸し主に対して人権侵害的な暴言を吐いた上,利子減免や契約破棄という法外な要求をしているのはアントニオの方。それを若い法学者(実はアントニオの友人の婚約者が変装)が「ただし一滴の血も流さずに」というあくまで法律の解釈内で示談を計ったというお話です(やっぱりむちゃくちゃですね・・・w)。シャイロックさん,カワイソス。>< DOLでは威厳を保った優しそうなオヂサンとして登場してます。^^
↑

た
タベラ枢機卿 (セビリア王宮)
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  • フアン・パルド・デ・タベラ Juan Pardo de Tavera 1472-1545
トレド大司教にして枢機卿。イスパニア国王カルロス1世の王室枢密院議長の地位にもあったので,カルロス1世の側近中の側近とも言えるかもしれません。だからDOLでは王宮にいるのね・・・。ちなみにこの時代のイスパニアは「首都」というものが存在せず,王様はトレドやセビリアなど各都市を転々と行脚して政治を行い,お妃様や家臣もぞろぞろとみんな移動する・・・,といういわば移動王室だったようです。タベラ枢機卿もカルロス1世のお伴でセビリアにいたことも・・・たぶんあるでしょう。^^
タベラ枢機卿はこのように聖俗両方の権力を掌握していただけでなく,さまざまな芸術のパトロンでもあり,また慈善事業にも熱心だったようです。彼の後世に残した功績の中で代表的なものが,トレドにある聖フアン・バウティスタ病院(通称,タベラ病院)で,現在は美術館になっておりエル・グレコの絵画などが見ることが出来るそうです。(ただし,エル・グレコが活躍した時期は,タベラ枢機卿が亡くなってからだいぶ後なので,このコレクションは後世の所有者によるものです)。

鄭成功 (安平,承天府) New!
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  • 鄭成功 てい せいこう Zhèng Chénggōng 1624〜1662
台湾の殿おん!ですっかりおなじみの「殿」,鄭成功さんは,実は我々日本にとっても非常〜に深いご縁があります。まず,文楽(人形浄瑠璃)で最も有名な演目のひとつ,「国性爺合戦」。文楽を見たことない,あまりご存知ない,という方も近松門左衛門と聞けば誰でもおわかりになるハズ〜。そう,その近松門左衛門の代表作のうちのひとつです。史実に基づいたドキュメンタリータッチの(もちろん近松流の創作・脚色もバッチリ入ってますが)大ヒットロングラン公演の主人公が,鄭成功さんその人。元禄の老若男女のハートをわしづかみにした超カッコいい,日本古典芸能におけるスーパーヒーローです。

もちろん,史実でも日本と深い関わりがあります。彼の出生地は日本の平戸。お母さまは日本人女性で,母方の一族は平戸でも指折りの豪商でした。そしてお父上は,倭冦(=国際広域海賊)の元・総元締にして当時飛ぶ鳥落とす勢いの明王朝高級官僚・鄭芝龍。仮にゴーインに現代に置き換えたら,元香港マフィアのボスにして中国政府に鞍替えした若き大物政治家と,日系グローバル企業の社長令嬢とが大恋愛の末電撃結婚,その二人の間に生まれた超セレブな天才御曹司・・・というイメージでしょうか。>< もちろん,豪華なのは出自だけではありません。異国の地にありながらエリート教育を受けた彼は,自身も勤勉実直に努力してなんと15歳にして科挙に合格。その後も明王朝滅亡期にあって若くして頭角を現し,皇帝から名字を賜る(国性爺もしくは国姓爺と言われているのはこのため)など大出世。はたまた父の失脚(清王朝への降伏・投獄)後,競争相手の親族を粛正しつつも荒くれ者どもの船団を束ね一族の総帥に上り詰めるのでした・・・(現代だったら,ハーバード大卒にして国防省エリートを経て,最後は国際シンンジゲートのドンに返り咲き・・・ってカンジ?w)。

鄭成功さんの手にした船団は,倭冦と明王朝海軍を足して2で割らない(!)ような恐ろしい規模で,おそらく当時史上最強だったかもしれません。実際,明王朝復活を夢見て態勢を立て直すため,鄭成功さんはいったん台湾に渡りますが,当時そこを支配していた世界最強のネーデルランド海軍をあっさり駆逐します。また同時に,鎖国を始めたばかりの徳川政権にも対清包囲網への参加要請を出し,幕府内でも真剣にそれを検討したことがあるそーなのです(結果的には,様子見してたら時期を逃しちゃった・・・て,トホホな外交政策なのは今も昔も相変わらず。><)。仮にもし幕府が動いてたら,鎖国政策もふっとび,日本の開国は200年早かったでしょうね〜。・・・なんて壮大な妄想をしたくなるくらい,当時激動の東アジア情勢の最中まさに文字通りインターナショナルなご活躍。中国本土では明王朝滅亡後も亡命政権の皇帝一族に恭順を示したことから今でも忠孝の君として敬われ,台湾ではネデ人を駆逐して事実上初の漢民族政権を建てたことから台湾の祖として崇められ,そして日本では文楽・歌舞伎を通じて庶民のヒーロー。海洋歴史小説で有名な白石一郎氏がいみじくも指摘しておりますが,日本・台湾・中国のいずれの地でもこれだけ賞賛されている英雄はひじょーーーに珍しいそうで,このヒト以外まずいないでしょう〜(残念ながらたいてい,どこかの国の英雄はどこかの国の仇敵だったりしますので・・・><)。それだけ,当時の国際社会で縦横無尽に天衣無縫に生きた(ついでに言うと,猪突猛進型でちょっとだけ誇大妄想が入っちゃってるところがステキな)愛すべきスーパーヒーローということなのですね・・・。^^

ドゥアルテ・ロペス (オポルト,ドゥアルテ・ロペス邸)
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  • ドゥアルテ・ロペス Duarte López 1550頃〜1623頃
この方はさすがのWikipedia先生もご存知ないらしく,質問してもさっぱり答えてくれません。なので,一生懸命調べちゃいました(笑)。どうやら,「ポルトガルの商人で,1600年ごろコンゴやアンゴラに交易に出かけた」というくらいしか判っていないようです。ではなぜ後世に名を残しているかというと,「コンゴ王国に関する報告書」“ A Report of the Kingdom of Congo” や「コンゴおよび中央アフリカ」“Congo and Central Africa” という貴重な紀行文を書いているからです。正確に言うと,「書いた」のはフィリッポ・ピガフェッタFilippo Pigafettaというイタリアの人文学者で,ロペス氏の口述を書き取ったという形式になっています。マルコ・ポーロの「東方見聞録」と同じパターンですね。(こちらは口述者があまりに有名なので,完全に作者扱いになってますが・・・。)
なお,「コンゴ王国に関する報告書」は1881年版(英語版)がネットでまるまる無料で読めます。便利な世の中になったもんですね〜。^^
  • http://www.archive.org/stream/areportkingdomc00hutcgoog#page/n8/mode/1up
また,「コンゴおよび中央アフリカ」“Congo and Central Africa”の原著は下記のサイトで図版付きで見ることができます。うーん。いかにも大航海時代〜♪ってカンジ。ちなみにこの本は6万€(=約600万円)で現物を買えるみたいです。奥様,お宅にお一つ如何ですか〜?w
  • http://www.forumrarebooks.com/Pigafetta-Filippo-Relatione-del-reame-di-congo-et.html
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  • またまたゲーム攻略にぜんぜん関係ないページを作ってしまいました。>< とりあえず,wikipedia先生に聞いてもあんまし答えてくんないマイナーな方々から初めてみました。w でも数えてみたら街中NPCだけで100人近くいるので,途中でザセツするのは目に見えてマス。ぜひぜひみなさまご協力クダサイ〜。(特にTさんとかNさんとか・・・。^^;) -- 四姉妹 (2010-07-18 15:44:31)
  • なんかWikiさんにページ容量超えてます!みたいに怒られちゃったので (;_;),ページを二つに分けてみました〜。 -- 四姉妹 (2010-10-16 13:01:52)
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