ヴォルゴグラード協力機構【Volgograd Cooperation Organisation】
略称 |
VCO |
設立 |
1860年 |
種別 |
多国籍間軍事同盟 |
根拠条約 |
ヴォルゴグラード相互防衛援助条約 |
本部 |
ベラート |
国家 |
12ヶ国 |
前身 |
社会主義国戦後復興相互援助会議・エイシア共産主義革命同盟(仮) |
概要
国家成立後、それぞれの独裁者の思惑や、社会主義の理想と現実のギャップによって冷え込んでいたルテニアと美蘭の2大国は、それぞれの独裁者の死後急速に関係を修復していった。
ポルシア戦争などの、事実上の「西側と東側の戦争」に対して、統一欧州戦線が介入し東ポルシアが崩壊寸前まで押し込まれた事に深刻な懸念を抱いたルテニアと、同じく東洋同盟によって封じ込めを強化されていた美欄が互いに結びついた。
結果としてこの2つの超大国の協力体制は資本主義側に劇的なショックを与え、GATO結成の要因になる。
戦後体制によって共産主義化していた東欧諸国や、東洋の一部の国家も巻き込み、VCOは結成された。
内情
ルテニアと美蘭が協力体制を敷いたが、超大国同士の関係は未だにぎくしゃくとしたもので、綿密な連携とは到底言いがたい状態である。
欧州方面
ルテニアが主導し東欧諸国を巻き込んだ戦闘教義を策定している為、兵器もまた全てルテニア製である。
その購入代金が、東欧諸国を圧迫しているとされる。また、東欧諸国の忠誠心をルテニア自身も疑っているため、核の保有・使用に関してはかなり非効率にならざるをえない状態である。
東洋方面
戦闘教義の変遷
欧州方面
~50年台(ルテニア単独時代)
二次大戦中の損耗を回復し、東欧諸国の安定を図るために防御的な姿勢であった。
縦深防御と砲兵火力による敵の制圧を志向する。
~現在
既に完成しつつあったルテニアの新ドクトリンに、東欧諸国が共同する形。
圧倒的な地上軍、伝統的な砲戦能力に航空戦力を加えた諸兵科で電撃的に欧州へと進行する。
進行に際しては迅速を求められ、頑強な抵抗地点に対しては容赦なく各砲兵による攻撃を行う。
東洋方面
最終更新:2016年08月12日 11:30