サラディン

【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】サラディン
【性別】男性
【身長・体重】181cm・72kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A+ 魔力D 幸運A+ 宝具A
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:D
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクDならば、マスターを失っても半日間は現界可能。

【固有スキル】
騎乗:A+
 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。ただし、竜種は該当しない。

カリスマ:B
 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
 カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。

戦略:A
 外交や兵站など大局的に物事をとらえ、戦う前に勝利を決する力。
 ヒッティーンの戦いにてエルサレム王国に対し一方的な戦果を挙げた他、
 リチャード率いる第三回十字軍には敗北したものの聖地を守り切り休戦協定を結んだアーチャーは勝利王の名に恥じない大局的勝利を収めたと言えるだろう。

黄金律:E
 人生においてどれほどお金が付いて回るかという宿命を指す。
 懐の深い王の懐は寒かった。彼の財は常に戦争被災者や病床の者へと擲たれるのである。
 自身のみならず従軍者も清貧に甘んじる有様だったがその金回りは良く、本人の節制もあって破産には至らなかったようだ。

【宝具】
『稲妻駆ける聖戦(バラク・ジハード)』
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:500人
 時代の潮流を読み取り、疾風迅雷の如く異教徒より聖地を奪還したアーチャーの生涯が昇華された、稲妻が騎馬の形を象った軍団。
 雷撃を伴いながら戦場を電光石火の如く駆け抜け、四方八方から放たれる雷の矢は敵軍に反撃の隙も与えず殲滅する。
 徒に展開すれば一帯を灰燼に帰してしまうが、アーチャーの慈悲ある采配次第では眼前の敵を無力化する程度に抑えることも可能。
 また、実体の無い雷電で構成された軍団であるために物理的な攻撃は効果が無く、この宝具を破るには雷電を越える純粋なエネルギーが必要となる。

『剣束ねし逆十字(サリーブ・ザキレー)』
ランク:A 種別:対宝宝具 レンジ:ー
 聖地奪還の際にアーチャーが手にした、さる聖者の血を受けた十字架。
 異教徒の手に渡ったそれは所有者の伝承をも取り込む形で反転し、本来斥ける筈の武器や財を吸収する力を得た。
 アーチャーが戦闘し勝利した際、戦闘相手が所有する装備ならびに有形の宝具を没収し、十字架内部へと収蔵する。
 真名解放時、収蔵された装備は神の怒りたる雷電を帯びて降り注ぎ信仰無き者、異端の者に致命的な一撃を与える。
 またアーチャー自身の奉仕の精神により、収蔵した武具の一部を魔力に変換して任意の対象に提供する能力も有する。

【解説】
 12世紀のエジプトにおいてアイユーブ朝を創設した、イスラム教スンナ派の慈悲深き「勝利王」。
 本名をユースフ・ブン・アイユーブ。「サラディン」は「信仰の救い」を意味する尊称である。
 イスラム諸国の内紛と十字軍と西遼の侵攻に揺れ動いた当時の中東を稲妻の如く駆け抜け、聖都を奪還する偉業を成し遂げた。

 各地を転々とする幼少期・青少年時代の中で、叔父シール・クーフや主君ヌールッディーン・マフムードからの愛顧を受けたサラディンは弱冠30歳にしてエジプトの宰相となりアイユーブ朝を創設した。
 しかし彼を待ち受けたのはスンナ派を弾圧してきたファーティマ朝と外様の若造に反発する宦官、そして元よりエジプトを狙っていた主君ヌールッディーンであった。
 主君への恭順を示す傍らで混迷を極める内情を治めるべく奮闘したサラディンであったが、却ってヌールッディーンの不信を買う始末。
 ヌールッディーンはエジプトへの親征を思い立つ中で死去。サラディンは彼を支えてきた父・叔父・主君の訃報を異邦の地で聞くこととなった。

 ヌールッディーンの死後、ダマスクスは十字軍国家並びに隣国モースルからの侵攻の危機に瀕する。
 幼き主君サリーフは亡命するほかなく、彼の後見人であるイブン・アルムカッダムはサラディンに救援を求めた。
 サリーフを擁護していたサラディンはこの声に応じ、数年ぶりに故郷ともいえるダマスクスの地へ無血で帰還した。
 十字軍国家もこの時期に王が変わりダマスクスから手を引いた。サラディンはモスール・アレッポの連合軍を打ち破り、ダマスクスの危機は退けられた。
 サラディンはダマスクスの有力者に対する和議および説得を試み、領地の再分配を行うなどの戦後処理を済ませた上でサリーフに自立を宣言。
 動乱の末に彼は臣下としてではなく王としての道を歩むこととなった。

 その後は領土拡大・諸軍の整備を推し進めついに1187年、サラディンはイスラエル王国へ攻撃する。
 クレッソン泉の戦いでは圧倒的な戦力差を武器にテンプル・聖ヨハネ両騎士団を殲滅。
 ヒッティーンの戦いでは地の利を生かした戦いで十字軍勢力に決定的な勝利を獲得した。
 そして同年10月、サラディンはエルサレムを奪還。後の第三回十字軍では苦戦を強いられるも聖都を死守することに成功する。
 この際、互いの兵が疲弊し両総指揮が心身の不調を訴えたこともあり弟アル=アーディルが和睦の成立に尽力している。
 そして1193年、慈悲深き王は異教徒もまた巡礼するかの地を遺してダマスカスで死去。
 勇猛な先達の遺志を継いだ生涯の最期に、聖都を救った者はかつての主君の御許で眠りについた。

 武勇に長けた叔父や主君、知略に優れた父や弟とはまた別に、サラディンは機を読む力にも長けていた。
 また寛容さについては、身代金を払えず処遇に困惑していた捕虜を弟が代わりに引き取りそのまま放免する、という行動に学んだという逸話がある。
 それゆえか否か、サラディンは捕虜に寛大な振る舞いを行う、戦災に遭った集落に軍事費の一部を補填するといった振る舞いは勿論、
 第三回十字軍では互いに体調を崩した司令官であるリチャード1世に見舞いの品を贈る、部下が拉致した異教徒の娘を送還させるなどといった心の広さを語るエピソードは枚挙に暇がない。
 だがそれは同時に自身や同胞に清貧を強いる形となっており、サラディンに従軍した者は軍事費をむしろ自腹で賄う羽目になった者も多かったという。
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最終更新:2023年11月03日 22:57