プロフィール
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選手名 - 五十嵐 亮太(いがらし りょうた)
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背番号 - ヤクルト時代 53(98年~09年) メッツ時代 18(10年~11年) ブルージェイズ時代 56(12年) ヤンキース時代 43→41→53(12年) ホークス時代 53(13年~)
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出身地 - 千葉県千葉市
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身長/体重 - 178㎝/74㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 敬愛学園高-ヤクルト/東京ヤクルト(97年ドラフト2位)-メッツ-パイレーツ-ブルージェイズ-ヤンキース-福岡ソフトバンク
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顔文字 - レ ゚Д゚J
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実況板でのあだ名 - 2号
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関連用語 - ロケットボーイズ
入団前
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叔父が夕張工業の投手、父親が夕張南高のアルペン国体選手というスポーツ一家に育つ。
ちなみに母親は若松元監督と留萌中学での同窓生らしい。
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敬愛学園高では甲子園に出場しなかったものの、ドラフト2位でヤクルトに入団。プロ野球選手の中でも最北の方の生まれ(北海道留萌市)である。
ヤクルト時代
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1年目にファーム日本選手権に先発し、5回1安打で勝利投手、MVPを獲得。1軍への足がかりを掴む。
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2年目から1軍に昇格、砲丸投げの様なダイナミックなフォームから繰り出される速球でセットアッパーとして活躍、
150km/h超のストレート1本で勝負するピッチングから人気も出て、石井弘と共にロケットボーイズと称される。
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03年には包丁で指を切ってしまうアクシデントもあったが無事完治させた。
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04年からはメジャーリーグへ移籍した高津の後を次いでロケットボーイズ2人でダブルストッパーとなるが、
石井弘の故障やアテネ五輪参加での離脱等により正ストッパーに固定され、6月には日本プロ野球記録タイ(当時)の158km/hをマーク、
スト明けの9月には矢野(阪神)に3球連続158km/hという驚異のピッチングを披露し、その年42SPを挙げ最優秀救援投手を獲得した。
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しかし05年のキャンプでヤンキースのストッパーのリベラを真似してカットボールを覚えようとした所フォームを崩し、自慢の速球も劣化して炎上を繰り返す。
追い討ちをかけるように横浜のクルーンが日本プロ野球最速記録の161km/hを出してしまい、調子はどん底に。
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06年も不調は直らず、9月に右肘靭帯断裂が発覚。10月に手術が行われ、本人の口から07年は復帰絶望と発表。
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07年はシーズン丸々リハビリに専念。オフのフェニックスリーグで実戦復帰を果たし、調子を上げている。
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08年のストッパー最有力候補として高田新監督から期待されていた。開幕戦でセーブを挙げるもケガで離脱し、ストッパーは林昌勇が務める事になる。
シーズン序盤は打ち込まれることもあり防御率が15.43まで悪化したが、6月末以降は好リリーフを続け完全復活をアピールした。
オフには国内FA権を取得しての残留交渉で多少揉めるという一幕もあったが、残留している。
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09年も中継ぎとして活躍し、25試合連続無失点の記録を残す。
8月29日には500試合登板を達成したが、バント処理の際に腰を痛めてしまった。
海外移籍可能なFA権を取得し、オフにメッツへ移籍した。
メジャー移籍後
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メッツへ移籍した10年は5月に5試合3イニングを11失点だったこともあり、1勝1敗で防御率は7点台という成績だった。
シーズン最後の5試合は無失点で締めくくっている。11年でメッツを退団。
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12年はパイレーツ・ブルージェイズ・ヤンキースに在籍。メジャー登板は4試合のみであった。
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13年は日本に戻り、ホークスでプレーする。
記録関連
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06年5月2日の広島戦でセ・リーグでは12人目、球団としては初の1球勝利を達成する。
1-1の同点で迎えた9回表。広島の攻撃、2死1、3塁のピンチでバッター新井を一塁ファールフライに抑える。
裏の攻撃で古田兼任監督のサヨナラヒットにより1球勝利投手となった。
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06年6月に400試合登板を達成したが、リリーフでの登板のみでデビューから400試合登板したのは史上4人目。
3年後の09年8月に500試合登板を達成。
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04年にシーズン最多SPを記録した投手を表彰する最優秀救援投手となったが、
05年からシーズン最多セーブを記録した投手を表彰する最多セーブ投手に変更された為、
現時点ではセ・リーグ最後の最優秀救援投手となっている。
その他
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人気グループSMAPの木村拓哉に似ていると評判な事からヤクルトのキムタクと言われる事もある。
04年には古田と共にフジテレビ系列「SMAP×SMAP」の人気コーナー「ビストロスマップ」に出演し、本物のキムタクとも共演した。
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本人曰く、「自分ではそんなに似ているとも思わないけど、似てると言われたらやっぱり気分良いのであえて否定しない」らしい。
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井川伝説によると、同級生の井川のボサボサの長髪を見て「いい店紹介するからいい加減に切ったら」と説教したらしい。
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長女の琴音ちゃんをとても可愛がっており、自主トレの際には神宮クラブハウスにも連れて来るらしい。
本人曰く、「顔を見ると落ちつく」らしい。
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スワローズマンの中の人。08年オフには新日本プロレスの蝶野との対談も行った。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
1998 | ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
1999 | ヤクルト | 36 | 6 | 4 | 1 | 47.2 | 59 | 30 | 26 | 4.91 |
2000 | ヤクルト | 56 | 11 | 4 | 1 | 75.1 | 90 | 34 | 26 | 3.11 |
2001 | ヤクルト | 41 | 2 | 3 | 0 | 41.2 | 51 | 30 | 12 | 2.59 |
2002 | ヤクルト | 64 | 8 | 2 | 4 | 78.0 | 97 | 21 | 18 | 2.08 |
2003 | ヤクルト | 66 | 5 | 5 | 0 | 74.0 | 83 | 34 | 32 | 3.89 |
2004 | ヤクルト | 66 | 5 | 3 | 37 | 74.1 | 86 | 37 | 22 | 2.66 |
2005 | ヤクルト | 49 | 3 | 2 | 4 | 56.2 | 60 | 28 | 22 | 3.49 |
2006 | 東京ヤクルト | 29 | 1 | 2 | 1 | 25.0 | 18 | 13 | 17 | 6.12 |
2007 | 東京ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2008 | 東京ヤクルト | 44 | 3 | 2 | 3 | 43.2 | 42 | 8 | 12 | 2.47 |
2009 | 東京ヤクルト | 56 | 3 | 2 | 3 | 53.2 | 44 | 23 | 19 | 3.19 |
2010 | メッツ | 34 | 1 | 1 | 0 | 30.1 | 25 | 19 | 24 | 7.12 |
2011 | メッツ | 45 | 4 | 1 | 0 | 38.2 | 42 | 34 | 20 | 4.66 |
2012 | ブルージェイズ | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 2 | 2 | 4 | 36.00 |
2012 | ヤンキース | 2 | 0 | 0 | 0 | 3.0 | 3 | 3 | 4 | 12.00 |
| 日本通算 | 507 | 47 | 29 | 54 | 570.0 | 630 | 258 | 206 | 3.25 |
| MLB通算 | 83 | 5 | 2 | 0 | 73.0 | 72 | 58 | 52 | 6.41 |
タイトル
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セントラル・リーグ最優秀救援投手:1回(04年:42SP)
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セントラル・リーグ月間MVP:2回(04年7月度)
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最優秀バッテリー賞:1回(00年)
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ファーム日本選手権MVP:1回(98年)
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最終更新:2012年12月03日 17:14