林昌勇

プロフィール


  • 選手名 - 林 昌勇(イム・チャンヨン)
  • 背番号 - 12(08年~12年)
  • 出身地 - 韓国・光州
  • 身長/体重 - 180㎝/75㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 眞興高-ヘテタイガース-三星ライオンズ-東京ヤクルト
  • 顔文字 - < ´゚・・゚>
  • 実況板でのあだ名 - よんよん、ヨンちゃん、よんちゃそ
    他に埃弟(下項を参照)
  • 関連用語 - MOL

韓国リーグ時代


  • 眞興高卒業後、95年にヘテタイガースに練習生として入団。
  • 97年にストッパーに転向し、98年に34Sをマークして最優秀救援投手賞を獲得。オフに三星へトレードで移籍。
  • 99年、防御率2.14で最優秀防御率を獲得。同時にキャリアハイとなる38Sをマーク。
    この年から五輪代表に選出され、日本の野球ファンにもその実力が知られる様になる。
  • 02年オフ、ポスティングシステムでメジャー移籍を目指したが、希望落札金額との差が出て断念。
  • 04年オフ、再びメジャー移籍を目指すも、条件が折り合わずに断念。同時に日本球界への移籍を目指し、楽天、ソフトバンクとも交渉したが、不調に終わった。
  • 一連の海外移籍を目指す動きに球団が不満を抱き、現状維持での再契約を提示した所、林の両親(特に母親)が激怒し、契約の撤回や国内の他球団移籍希望を
    マスコミを通じて発表してしまった為、大変な問題となってしまう。結局林側が謝罪して三星との再契約に落ち着いた。
  • 05年に右肘を故障してしまい、復帰後も全盛期の球威が戻らずに近年は不本意な成績に終わってしまっていた。
  • 07年オフ、「夢見てきた日本球界に挑戦する」との希望でヤクルトと交渉し、入団が決定した。

ヤクルト時代


  • オープン戦から150km/hを超えるストレートを連発し、セットアッパーとして期待される。
  • 08年3月28日の巨人戦で初登板を果たし、翌29日は五十嵐の登録抹消を受けストッパーに昇格。MAX156km/hをマークして日本初セーブを記録した。
  • 現在では全盛期に近い実力を取り戻し、松岡押本と共にMOLと呼ばれる磐石のリリーフ陣を結成。最終回を守る絶対的な存在となった。
  • 韓国球界では右肘故障の為「終わった選手」との烙印を押されていたが、日本での活躍が再評価される事となり北京五輪韓国代表に選出される事が確実となっていたが、
    リオスのドーピング違反による解雇等、苦しいチーム事情の為に辞退している。
  • 08年9月4日の中日戦で30セーブ目を挙げ、与田、ギャラード以来史上3人目となる日本球界1年目での30S到達を果たした。08年10月8日の横浜戦で日韓通算200セーブを達成。
  • オフには第2回WBC韓国代表に選出。チーム準優勝に貢献した。斗山ベアーズからは李恵践が新加入となり、球団初の韓国リレーが期待される。
  • 09年はWBCによる疲労・調整が心配されたが、開幕から30試合連続無失点・防御率0.00と正ストッパーとして大活躍。
    オールスターファン投票では藤川・岩瀬・永川を抑え韓国人選手としては初の1位選出を果たした。
  • 11年まで抑えとして活躍したが、12年は故障のため中継ぎで9試合の登板にとどまった。オフに自由契約となった。

WBC韓国代表


  • 09年に開催されたWBC韓国代表に選出されている。
  • 代表では外野手の秋信守(インディアンス)と共に2人しかいない海外組選手として期待され、守護神として活躍した。
    実況板では林昌勇が打たれるのは見たくないが抑えたら抑えたで日本が負けるというジレンマに頭を悩ませた住民も少なくは無かったという。
  • 5度に渡る日本戦では3試合に登板し、2セーブをマーク。侍ジャパンの3番に座っていた青木とのヤクルト対決も実現しており、
    第1ラウンド最終戦ではピッチャーゴロ、決勝戦では2敬遠という結果となった。
  • 決勝戦の日本戦では9回から登板。イチローに二塁打を浴びるも後続を何とか抑えて無失点。直後に韓国が同点に追いついた為、10回も続投。
    しかし内川、稲葉にヒットを許し、最後には今大会絶不調で批判の的となっていたイチローに粘られ劇的な勝ち越しタイムリーを喰らい万事休す。
  • この決勝戦には後日談があり、10回のイチローとの対戦を巡る戦犯報道が韓国で過熱した。
    10回のイチローの打席時、ベンチは「敬遠を指示」していたが若手捕手であった為に意図が伝わらず勝負に行ってしまったという説や、
    林昌勇がベンチの指示を無視してわざと勝負に行ったと明らかに責任を擦り付けられる報道をされてしまった。
    この報道は普段は嫌韓のスタンスが多い2ちゃんねるでも「韓国の言い訳」と叩かれ、勝負に行った林昌勇がやたら擁護されるという珍しい展開を見せていた。

<WBC>金寅植監督「イチローを歩かせなかったのが敗因」

≪「最後に投手の林昌勇(イム・チャンヨン)と捕手の姜[王民]鎬(カン・ミンホ)のサインが合わなかったのではと思われる点が惜しい。
ベンチからサインが出て、それを捕手が理解した。 そして捕手が投手にサインを送ったが、安打を浴びた」

--一塁が空いた状況でイチローと勝負した理由は。(米国人記者)

「これまで話した通りだ。 ベンチからは捕手に、敬遠ではなくても(ストライクではなく)ボール球を投げて、状況が良くなければ(四球で)歩かせろと伝えた。
そして捕手の姜珉鎬も投手にサインを送った。 しかし林昌勇が自信があったのか勝負をした。 まだ本人にはその理由を尋ねていない」 ≫

<WBC>金応竜社長「林昌勇が投げた球は正面勝負だった」

 金応竜(キム・ウンリョン)三星(サムスン)ライオンズ社長は、林昌勇(イム・チャンヨン)がWBC日本との決勝戦、延長10回表でイチローに138キロの鈍い変化球を
投げてセンター前2点適時打を打たれたことに対し「(林昌勇が)わざと正面勝負した」と述べた。

  「皆、非常によくやったが決勝戦は残念だった。試合の流れ上、我々が勝つこともできたが…」と残念そうにし、
「ところで林昌勇がイチローに投げた球はわざと正面勝負したものだ」と述べた。

金社長は「現場にいなかったから100%断定することはできないが、長年の歳月の間、(林)昌勇を見て分かる。あれは全く外す意図がなかったように見えた」
と語った。「金寅植(キム・インシク)監督とコーチングスタッフが昌勇の性質を知らない。韓国にいたときもどれだけああだったかわからない。
外せとサインを出してもわざわざ真ん中に投げて打たれたり、驚かされたことが何度もあったか」と回想し
「あのときベンチでサインを出すだけではなく選手、観衆、記者たちがすべて見られるようグラウンドに出て公開的な指示をしなければならなかった」と述べた。

城石の弟?


  • 城石に(雰囲気が)似ている。というネタがある。
  • 発端となったのは公式サイトのスワローズトピックスからであるが、写真ではそれほど伝わらないにしろ、球場などで実物を見てから「確かに似ている」とする住人が続出。
    すっかり「(城石)の弟」という設定が加えられることになる。

    http://www.yakult-swallows.co.jp/red_mpl/topicsView2.cgi?TYPE=N&SEQ=10234 (リンク切れ)

    全体練習後にランニングを行う宮出選手(左)と城石選手。そう、林昌勇投手と城石選手の雰囲気が似てるとスタッフの間で発覚!
    みなさんも球場で確認してみてください!!


  • 城石は守備固めとして終盤出てくることが多いため、最終回に埃兄弟がセットでグラウンドに立つのは望ましいことである。
  • ただし、若松元監督によれば「イムは宮出に似ている」とのこと。

実況板では


  • 前述の様に韓国時代に母親が契約に出張ってこじれたエピソード等からマザコン、DQNとネタ的な性格をいじられる事が多い。焼肉好きという一面も度々クローズアップされる。
  • 顔文字の< ´゚・・゚>を使ってレスされる頻度も元西武の4番の→(○・∀・)と同じくらい多い人気選手となっている。

その他


  • キャップには浦添キャンプの時に通訳の人に付けて貰った「ハヤシマサオ」という日本名を書いている。

 新守護神・林昌勇の帽子のツバの裏には片仮名で「ハヤシマサオ」と書かれてある。
実はコレ、2月の沖縄・浦添キャンプ時に、慎重模通訳が林昌勇に頼まれて書いた“日本名”。
慎重模通訳は「勇の字は当て字。何て読もうか迷ったんですけど、ハヤシマサオだったら実際にいそうじゃないですか」と笑うが、
チームメートから「ハヤシさん」「マサオ君」として親しまれるなど、チームにとけ込むのに一役買っている。
絶好調の理由はこんなところにもあった


  • 練習ではスナップの感覚を良くする為に公式球より140g重い320gのボールを使っている。萩原もこの話を聞いて導入したらしい。

 「うわっ!!」。
ウオーミングアップ終了時、林昌勇が軽く投げた球をキャッチした慎重模通訳が驚きの声をあげた。
というのもウオーミングアップで林昌勇が握っているのが、公式球(約140-50グラム)よりも重い320グラムの重量ボール。
「スナップの感覚が良くなるから」との言葉通り、ここまで150キロ台中盤の速球を武器に2S、防御率0.00と絶好調だ。
 これを知った萩原もさっそく重量ボールを導入。「これで155キロは投げられるようになるかな」と期待していた。


  • 08年3月4日、スポーツ朝鮮が以下の妄想記事を書き、多少話題となった。なお、記事に登場する裴英洙とは現在三星ライオンズに所属する
    選手で、04年と05年には当時斗山ベアーズに所属していたリオスとタイトルを分け合っていたそれなりの投手である。

日本人メージャーリーガーの英雄イチロー(鈴木一朗)は実のところ日本のプロ野球選手たちの間ではあまり人気がないようだ。

ヤクルト林昌勇(イム・チャンヨン)が最近スポーツ朝鮮とのインタビューでおもしろいエピソードを明らかにした。
一ヶ月余り沖繩キャンプ日程を終えたイム・チャンヨンは独特の投球フォームと余裕のある性格のおかげで
もう親しい同僚が何人かできた。イム・チャンヨンによれば、先月沖繩にいる時、同僚選手何人かが近付いてきて
「裴英洙(ペ・ヨンス)によくやったと伝えてくれ」と親指をたてたと言う。
初めは何の話なのか分からなくて、いぶかしがったが一言二言交わした後、どういう意味なのか分かった。

裴英洙(サムスン)とイチロー(シアトル)は2年前に'縁'があった。2006年3月ワールドベースボール・クラシックで
裴英洙がアジア予選の日本戦に登板した時、7回の先頭打者で出てきたイチローの尻に146㎞の剛球で当てたことがある。
1-2 で不利な状況で裴英洙は死球を記録して代えられたが、それまで沈んでいた韓国ダッグアウトはその直後、
活気に満ちた雰囲気に変わって結局イ・スンヨプの2 点ホームランが炸裂して3対2で逆転勝ちをおさめた。
韓国選手でもないヤクルトの日本選手たちが2年前の事件に対して「よくやった、と必ず話してくれ。
裴英洙のおかげで胸がすっとした」と打ち明けた理由はなにか。
メジャーリーグでも最高レベルに上がったイチローだが、日本リーグ内ではちょっと傲慢な姿勢のため、
決して歓迎されない存在だった、と言う。日本では野球をしようとするすべての子供たちの偶像だが、
同時に日本人の同僚たちには親しくない優越的な選手としてだけ存在したという説明だった。

2年前、イチローに当てた時、裴英洙は故意の有無を別にして、韓国野球ファンらから「烈士」という称号を受けた。
なおさらイチローが当時アジア予選直前「(今大会参加国たちが)日本を30年の間、勝つことができないという考えを
持つようにしてやる」と述べた妄言のため、韓国ファンたちの心機に強く触れた状況だった。
裴英洙に尻に当てられた場面は「イチローの屈辱シリーズ」の一つになった。
今からみれば、その場面を見ながらさっぱりする感じがしたのは韓国ファンだけではなかったわけだ。

日本での年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
2008東京ヤクルト54153351.05011173.00
2009東京ヤクルト57542857.05221132.05
2010東京ヤクルト53123555.2531891.46
2011東京ヤクルト65423262.16925152.17
2012東京ヤクルト90007.07200.00
通算2381113128233.023177542.09

タイトル


  • 韓国プロ野球・最優秀救援投手:1回(98年:34S)(04年:36S)
  • 韓国プロ野球・最優秀防御率:1回(99年:2.14)

代表歴


  • WBC韓国代表:1回(09年)
  • シドニーオリンピック韓国代表(00年)
  • オールスターゲーム出場:1回(09年/抑え投手部門ファン投票1位) 











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最終更新:2012年12月06日 17:19