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&font(b,150%){&this_page()} ---- *フェルヴォローザ石川・白山FC (→ゴールズFC→現:FC北陸) -&bold(){公式サイト:}[[公式ホームページ(現在)>http://fc-hokuriku.info/]] -&bold(){所属リーグ:}[[北信越フットボールリーグ]]2部 -&bold(){法人名:}&bold(){特定非営利活動法人フェルヴォローザ白山スポーツクラブ}→&bold(){北陸大学} -&bold(){創立年:}1973年 -&bold(){解散年:}2010年 -&bold(){活動区域/ホームタウン:}石川県/白山市 -&bold(){クラブカラー:}白/青/金 -&bold(){ホームスタジアム:}[[松任総合運動公園陸上競技場>http://waka77.fc2web.com/studium/22ishikawa/05matsuto.htm]]→[[北陸大学フットボールパーク>http://waka77.fc2web.com/studium/22ishikawa/13hokuriku-univ.htm]] -&bold(){練習グラウンド:}- -&bold(){アカデミー(育成):}- -&bold(){クラブマスコット:}- -&bold(){ユニフォームサプライヤー:}- -&bold(){監督:}- ツエーゲン金沢と共に石川からJを目指すもう一つのクラブ。 元は松任オレンジモンキーというクラブだったが、松任市の合併(→白山市)に伴い現在のクラブ名に改称。いち早くJを目標に掲げ、順調にステップアップ。 最近ではフェルヴォローザカラーの自販機を設置するなど、地道に地域密着活動を行っている。 しかし、もともと金沢のベッドタウン的性格が強いうえ、その金沢で石川県協会主導によるツエーゲン金沢が発足。ここへきて大きな壁にぶつかりそうな予感。 2006年シーズンは上位陣に阻まれる形で5位でシーズンを終える 2007年シーズンは運営組織の強化(株式会社の設立)や、J経験者やスロベニア人獲得などの選手の大型補強、九州キャンプの実施など他のクラブの度肝を抜いた。 しかしこの時期から資金面で不安視されていたが、6月に実際に発覚。7月にはチームスタッフ、全選手との契約を解除。 主力の選手は移籍し、残った選手でリーグ戦を戦ったが、天皇杯予選は辞退、更にリーグ最終節では元からの登録選手数が11人を割り込み、他チーム(県リーグのクラブ)から選手を借りて試合を行った。 結局、前年と同じ5位でシーズンを終えた。 2008年シーズンは何とか選手は集めたものの、ダントツの最下位で2部降格が決定した。 クラブ代表者は「アマチュア・クラブとして存続させていく」と明言しているが、経営責任に対する説明については一切行っていない。 2008年末の時点で選手の給料未払いも解決してない。 &bold(){その後} 2008年の10月に運営会社が変わり、チーム名を&bold(){ゴールズFC}と改め再始動。チームのHPからは「Jを目指す」という文言が消えた。 2009年シーズンは2部でわずか1勝、勝ち点3しかあげられず、2年連続でぶっちぎりの最下位となった。 このまま石川県リーグ1部へ降格するはずだったが、[[松本山雅FC]]と[[ツエーゲン金沢]]がJFLに昇格したため、かろうじて2部に残留することとなった。 2011年に運営が北陸大学に移行、チーム名も&bold(){FC北陸}と改められ、残留した選手と北陸大学サッカー部員との混成チームとなったが、残留した選手も全て退団し現在は北陸大学の2ndチームとなっている。
&font(b,150%){&this_page()} ---- *フェルヴォローザ石川・白山FC (→ゴールズFC→現:[[FC北陸]]) -&bold(){公式サイト:}[[公式ホームページ(現在)>http://fc-hokuriku.info/]] -&bold(){所属リーグ:}[[北信越フットボールリーグ]]2部 -&bold(){法人名:}&bold(){特定非営利活動法人フェルヴォローザ白山スポーツクラブ}→&bold(){北陸大学} -&bold(){創立年:}1973年 -&bold(){解散年:}2010年 -&bold(){活動区域/ホームタウン:}石川県/白山市 -&bold(){クラブカラー:}白/青/金 -&bold(){ホームスタジアム:}[[松任総合運動公園陸上競技場>http://waka77.fc2web.com/studium/22ishikawa/05matsuto.htm]]→[[北陸大学フットボールパーク>http://waka77.fc2web.com/studium/22ishikawa/13hokuriku-univ.htm]] -&bold(){練習グラウンド:}- -&bold(){アカデミー(育成):}- -&bold(){クラブマスコット:}- -&bold(){ユニフォームサプライヤー:}- -&bold(){監督:}- [[ツエーゲン金沢]]と共に石川からJを目指すもう一つのクラブ。 元は松任オレンジモンキーというクラブだったが、松任市の合併(→白山市)に伴い現在のクラブ名に改称。いち早くJを目標に掲げ、順調にステップアップ。 最近ではフェルヴォローザカラーの自販機を設置するなど、地道に地域密着活動を行っている。 しかし、もともと金沢のベッドタウン的性格が強いうえ、その金沢で石川県協会主導によるツエーゲン金沢が発足。ここへきて大きな壁にぶつかりそうな予感。 2006年シーズンは上位陣に阻まれる形で5位でシーズンを終える 2007年シーズンは運営組織の強化(株式会社の設立)や、J経験者やスロベニア人獲得などの選手の大型補強、九州キャンプの実施など他のクラブの度肝を抜いた。 しかしこの時期から資金面で不安視されていたが、6月に実際に発覚。7月にはチームスタッフ、全選手との契約を解除。 主力の選手は移籍し、残った選手でリーグ戦を戦ったが、天皇杯予選は辞退、更にリーグ最終節では元からの登録選手数が11人を割り込み、他チーム(県リーグのクラブ)から選手を借りて試合を行った。 結局、前年と同じ5位でシーズンを終えた。 2008年シーズンは何とか選手は集めたものの、ダントツの最下位で2部降格が決定した。 クラブ代表者は「アマチュア・クラブとして存続させていく」と明言しているが、経営責任に対する説明については一切行っていない。 2008年末の時点で選手の給料未払いも解決してない。 &bold(){その後} 2008年の10月に運営会社が変わり、チーム名を&bold(){ゴールズFC}と改め再始動。チームのHPからは「Jを目指す」という文言が消えた。 2009年シーズンは2部でわずか1勝、勝ち点3しかあげられず、2年連続でぶっちぎりの最下位となった。 このまま石川県リーグ1部へ降格するはずだったが、[[松本山雅FC]]と[[ツエーゲン金沢]]がJFLに昇格したため、かろうじて2部に残留することとなった。 2011年に運営が北陸大学に移行、チーム名も&bold(){FC北陸}と改められ、残留した選手と北陸大学サッカー部員との混成チームとなったが、残留した選手も全て退団し現在は北陸大学の2ndチームとなっている。

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