ジャイアントキリング(前編)◆SqzC8ZECfY
――ああもう! ……なんでかしら……なんでこんなにいらつくのかしら。
E-5にある市街地のビルのひとつ、一階が喫茶店になっている建物で、梨花はウルフウッドとともに休息をとっていた。
ひとまずの食事を終え、カウンターにある椅子に腰掛けて、床に届かない脚をぶらぶらさせながら、梨花は難しい顔でガラス戸の外を眺めている。
「ほれ……コーヒーや。ミルクと砂糖もあるで」
「あ……うん、ありがとう」
カウンター越しに、まるで客に出すようにしてコーヒーを渡す、梨花の同行者。
この青年の名前は
ニコラス・D・ウルフウッド。
差し出されたコーヒーを一瞥して次に彼の顔を見上げる。
「……どした。毒は入っとらんで」
「あ、うん、そういうことじゃないの……いただきます」
「おう」
砂糖とコーヒーを混ぜて、出されたコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーメーカーで淹れた安物だが、砂糖とクリームの甘さが今の疲れた心と身体にはありがたかった。
「あ、おいしい……」
「おう、そりゃ良かった」
「うん……ありがとうニコラス……って、そうじゃないっ!」
ばん! とカウンターに手をついて上目遣いに彼を睨んだ。
相変わらずとぼけた態度。だがそれはうわべだけだと分かっている。
梨花は伊達に百年近くも子供をやってきたわけではない。
子供の無力というものをその分だけ思い知ってきた。
力がないなら媚でも何でも売って他人を利用する。
自慢できることでもないが、人の顔色を伺うのには慣れている梨花だった。
出会って僅かな時間だが、彼の本質というものをぼんやりと理解することくらいはできるようになっていた。
「ニコラス。あなた、あの麦わらの子が心配なんでしょう」
「…………なんや、いきなり」
「だって、あなたお人よしだもの」
「んな……」
ウルフウッドの眉尻がぴくりと跳ね上がった。
ずい、とカウンターに身を乗り出して梨花は顔を近づけ、さらに言葉を続ける。
「私なんかをこうやって連れてるのが証拠よ。あなたは悪人にはなれないもの」
結果として、その言葉は逆鱗に触れるのと同意だった。
驚愕の表情、そして様々なものがない交ぜになったような、例えようもない感情の渦を宿す双眸が梨花を睨みつけた。
どきり、と心臓が高鳴る。
だが、その表情も一瞬のこと。
所詮は子供のいうことと流したのか、ウルフウッドは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
梨花が大人だったらまた別の反応が返ってきていただろう。
襟首を掴まれて殴られてもおかしくない。
「はいはい、分かった分かった。で、『信頼してる』とかいったクセに、嬢ちゃんほっぽりだしてワイに戻れっちゅうんか」
「む……」
「それに麦わらの。アイツが決着つける言うとるんや。ワイらがどうこう言う筋やない」
さっきのは失言だった。
ちょっと迂闊に踏み込みすぎたかも――と心の中で多少反省。
会って間もないというのに、相手のことが妙に分かってしまう。
どこか自分と似ているような気がする。
なんだか他人のような気がしないと、そんな風に思って気安くしすぎたかもしれない。
気を取り直し、梨花は椅子から飛び降りてウルフウッドに向き直る。
「それでも、よ。このまま二人でいつまでも逃げてるわけにはいかないじゃない」
放送で呼ばれた15人の死者。
次に自分たちの仲間が呼ばれないという保証はない。
そして禁止エリアはこのままいけばどんどん狭くなる一方だ。
最後には地図上の全てが埋め尽くされ、最後の一人になるまで殺しあうしかなくなる。
それまでにどうにかしなければならない。
多少のリスクを無視してでも、何か策を講じるか、せめてもっと情報が欲しかった。
今は何も手がかりすらないが、それでも殺し合いという選択肢は選ばない。
古手梨花は、もう運命がいかに強大な障害を用意しようと、抗うことを止めたりはしないと決めたのだ。
「まぁなあ……」
「そうよ。そして当然、私も一緒に行くから」
「……は?」
「何よ。今のニコラスより、むしろ私のほうが役に立つわよ。ほらこうやって時を……」
その小さな胸を得意げに張って、そして先ほど時を止めた感覚をまたここで再現しようとして…………できなかった。
「……………………あれ?」
どうした、というウルフウッドの訝しげな声に応える余裕もなく、梨花はもう一度、もう一度と力の行使を試みる。
どうにかしようとぱたぱたと手を振ったりする様は見ている者にとっては無駄に和むが、それですむほど暢気な状況でもない。
「なんでよ、なんで出ないの?」
「なんや、やっぱさっきはまぐれ――」
「うるさい」
梨花は自分の無力を百年間も思い知らされてきた。
最後に自分が殺されることで過去へとループする無間地獄。
何度も運命に立ち向かい、そのたびに自分の無力を思い知り、巨大な見えざる力に叩き潰され続けてきた。
自分が子供でなければ、もっと力があれば未来を変えることが出来たのに――と数え切れないほどの悔し涙を流し続けてきた。
そんな梨花が、ついに手に入れることができた力をどれほど喜んだか。
これで皆を守れる。
もう足手まといになんかならない。
皆が繰り返される運命に弄ばれるのを黙って見ているしかない――そんなのはもうお仕舞い。
そう思っていた。
「……おい」
「もう一回……!」
「もうええから」
「うるさいッ!」
なんで。
なんでいつもこうなのか。
やっと手に入れたと思ったら、するりとそこから逃げていく。
「泣くなや」
「泣いてない!」
視界がにじむのを止められない。
気を抜けば、まぶたから熱いしずくが零れ落ちそうになる。
無様で足手まといの子供。
眼前の彼は自分のことをそう思っているのだろう。
それがさらに恥ずかしさと悔しさを増加させる。
梨花は今まで自分がもっと強いと思っていた。
だけどそれは過酷な現実に押し潰されないように感情を凍りつかせていただけだ。
割り切ったふりをして、それでも割り切れなくて――そんな自分の感情自体に永い間、気付くことができなかった。
全てを受け止め、それでも諦めることを知らず前に進み続けた
前原圭一は、どれほど偉大だったろう。
それに比べて今の自分はなんて情けないんだろう。
そんな梨花の頭を不器用に、だが優しくなでる大きな手。
「……」
梨花はされるがままにうつむく。
眼下のテーブルに置かれている冷めたコーヒーに涙のしずくが落ちた。
「お前はここでおとなしく隠れとけ。後であいつも連れて戻ってくるさかい」
「え……」
カウンターのテーブルに、ごとりと音を立てて一丁の拳銃が置かれた。
確か、濡れていて使えない銃だったはずだ。
ウルフウッドはそれを惚れ惚れするような素早い動作で分解していく。
そしてバラバラになったパーツを店に備え付けてあったペーパーナプキンで拭き、水気を丁寧に取る。
それが終わったら再び組みなおす。
元通りになった銃――50AEデザートイーグル。
「それ……使えるの?」
「ああ、よく見りゃ弾の炸薬自体は防水加工されとる。あとはバレルの中さえ拭いてやりゃあ……と、こう言ってもわからんか。
とにかくこいつは使えるようにしたったってことや」
「じゃあもっと早くそうすればよかったじゃない!」
「んな暇なかったやろうが……」
確かに。
出会ったばかりのときはこちらもウルフウッドが銃を持っていたとなれば警戒していただろう。
さらに襲撃からこっち、ろくに休憩する暇もなかったのは確かだ。
「こっちのショットガンは紙製の薬莢に水が染みてるから無理やな……ま、ええわ。
んじゃ、行って来るわ。おとなしくまっとれよ」
「ニコラス……」
銃を手に持ち、ウルフウッドは梨花に背を向けた。
そのまま、真っ直ぐ店の出口へと向かう。
「考えてみりゃあ、確かにこのまま二人で逃げてたところでどうしようもないしな……。
情報集めるにも、さっきみたいな奴に襲い掛かられた時のためにも、頭数はもっとおったほうがええ」
そんなことわざわざ言う必要なんてないのに。
まるで梨花にさっき指摘されたことにたいしての言い訳のようで、内心で少しおかしかった。
「私は一緒に行くのは……駄目かしらね」
「当たり前やボケ。今から行くのは危険度100%の鉄火場やぞ。
力が使えないんなら、どう考えたってここに隠れてたほうがええやろが」
「そう……なんだけど」
「なんや、梨花は夜中一人でトイレに行けんクチかい」
からかうような口調。
一瞬ムキになって返そうとして堪え、梨花は猫を被ったときの口調で言い返す。
「みぃ、狼さんが来るかもしれないので怖いのです」
「あー……すまん。すぐ戻ってくるさかい、堪忍な?」
苦笑いとともに頭を撫でられた。
梨花は返事の代わりに、にぱー☆と笑う。
それを見てウルフウッドも笑った。
そして、行ってくる、と言い残し、戸を開けて外へと走り出していく。
それを見送りながら梨花は思った。
――そうだ。
笑ってやろう。
殺し合いを強いられたって、泣いてなんてやるものか。
言いなりになんてなってやるものか。
ギラーミンに教えてやる。
私たちにかかれば、運命だって金魚すくいの網みたいに破ることができるんだってことを。
お前なんか必ず皆で力を合わせて打ち破ってやると。
◇ ◇ ◇
五階建ての狭い雑居ビルは、ぼんやりとした曖昧な闇を入り口の奥に覗かせていた。
麦藁帽子を被った少年が、草履を履いた足を床に叩きつけるような強い足取りで中に踏み込んだ。
足音が内部の壁に反響し、鈍い残響音があたりに伝わる。
俺はここにいるぞと叫ぶように。
「出て来い!!」
少年は声をあげ、さらに奥へと進む。
すると床に女物のパンプスが一揃え落ちていた。
あの傷の女がはいていた物だろうか。
履物まではよく覚えていないが、確かそうだったような気がする。
軽くつま先で蹴ってみるが、カツンと床に音を立てて転がるだけ。
あの女はどこにいるのかを考える。
ちょうどその時だった。
上の階からガラスが割れるような音。
「上か!」
すぐそばにあった階段を駆け上がる。
ゴムの脚をぐんと伸ばし、二段、三段と飛ばして一気に上を目指す。
階段の幅は二メートル程。
左回りで、階と階の間に踊り場があり、そこで折り返して上へと続く。
あっという間に二階へ到達する。
ここにいるのか、それとも上か。
ガラスが割れる音はもっと上から聞こえたような気がする。
その時、さらにもう一度。
上の階から再びガラスが割れる音が聞こえる。
それを聞いたルフィは、反射的とも言える動作で上へと続く階段に踏み込んで飛ぶ。
踊り場までほぼ一足。
壁を蹴って身体を翻し、さらに三階へと僅か数歩で飛び上がる。
明らかに誘っている。
だが何であろうと真っ向から打ち砕くと、ルフィは覚悟を決めていた。
三階。
ここまで各階の構造はほぼ一緒だった。
真っ直ぐ廊下が伸びて、正面、左右に部屋への入り口がある。
二階で聞いた音はかなり近かった。
ここにいる可能性は大きいと判断して、ルフィは各部屋へ続く廊下の前で一旦、ストップする。
無人。
そして無音だ。
その時、背後から影が伸び、ゆらりと動く。
そこは四階へと続く階段で、踊り場は大きなガラス窓になっている。
そこから入り込む陽光が三階のルフィにちょうどかかる位置だった。
僅かな風切り音がルフィの後頭部をめがけ、一直線に突撃。
ルフィは影を見切り、それに反応する。
右の手元にあった階段の手すりに手を掛け、そこを中心にしてくるりと身体を右方向に反転させながら背後からの攻撃をかわした。
次の攻撃に備え、半身を手すりに隠したまま、上を見上げる。
かくして敵はそこにいた。
顔の右半分が焼き潰された金髪の女。
だがその格好は先刻までとは様変わりしていた。
黒いジャケットに揃えたタイトスカートとパンプスは影も形もない。
がっちりとした黒いブーツ。
脚のラインに密着した、やはり黒のアンダースーツ。
その上から羽織った、深い切れ込みの入ったコートの色は――――、
「すげー紅いな!」
ど――――――――ん。
「…………さて、また会ったわね。ルフィ君」
「ああ。お前をぶっ飛ばす!」
半身で腰を落とし、ルフィはいつもの戦闘態勢をとる。
見上げた視線の先に敵。
右手に大きめの妙なナイフを握った金髪の女が、踊り場に立ってルフィを見下ろしている。
ちまちました小細工は流儀じゃない――真っ向から叩き潰す!
「ゴムゴムの――銃(ピストル)!!」
振りかぶった右拳を弾き出すように放った一撃は、階段の上に立つ敵の顔面目掛けて一直線に襲い掛かる。
技の名どおりの弾丸と化した拳は尋常なスピードではない。
鍛え上げた自らの技に絶対の自信をこめて撃った攻撃だ。
その技を相手は――――横に倒れこむようにしてかわす!
「……ッッ!?」
拳は後方の窓ガラスを枠ごと砕き、派手な音が響き渡る。
だがそれはもはやどうでもいいこと。
相手は倒れこむ体勢から強引に横の壁を蹴りつけて身体を起こすと、その右手の白刃が間髪入れずに動く。
その狙いは、かわされて伸びきってしまったその右腕だ。
それに気付いてルフィは、空いた左手で右腕を強引に引き戻そうとする。
下から上へ振りかぶる直線的な銀弧との、刹那の交差。
バチン、と音を立ててルフィの元へ戻ってきたその腕。
つう、とうっすら赤いラインが浮かぶ。
本能が危険信号を最大音量で告げだした。
ドクン、と自分の鼓動。
灼熱の激痛と噴水のような出血が右腕から生まれたのは、それと同時だった。
「――――ぐ、ぁぁあああああああああああああ!!」
ナイフの一撃は正確に、腕の甲の裏側にある太い血管の部分を抉り斬っていた。
手で押さえても血が止まる様子はない。
敵の追撃。
鋭い包丁の投擲をかろうじてよける。
刃がコンクリートの床にぶつかって高い金属音が発生した。
体勢を立て直して上を見上げれば、手すりによって遮られた踊り場の影へ入り込もうとする人影がある。
上への階段を登って逃げようとする気か。
「――待て!!」
痛みをこらえ、ルフィはそれを追撃する。
階段を駆け上がるのではなく、跳ね上がる。
あっという間に踊り場まで駆け上がり――、
「あれ?」
そこには誰もいない。
踊り場には、窓から入り込む陽光に照らされて、散らばった窓ガラスの破片が床でキラキラと輝く。
四階へ続く階段を見上げても誰もいない。
視界から見失ったのは、敵が踊り場から動いてからルフィが飛び上がってくるまでの、たった一瞬だけのはずだった。
そこでルフィは不自然な点に気付く。
三階からは陰になって見えない、四階へ続く階段と踊り場の接点。
その床の角にガラスの破片が積み上げられていた。
先程の一撃で割れた、ここの窓ガラスとは明らかに違う質のもの。
ならばこれはあらかじめ仕掛けられていた。
直感とも言うべき感覚でルフィはトラップと理解したが、すべて遅すぎた。
積み上げられたガラス片が炸裂して、それをまともに浴びる。
「がっ…………!」
悲鳴は爆裂音にかき消された。
踊り場の窓ガラスが今度は完全に外へと飛び散る。
轟音――そして煙もそこを通って、猛烈な勢いで吹き出した。
爆風の勢いで転がりながら、踊り場の壁に強く打ち付けられ、常人ならばとっくに死んでいておかしくない衝撃だった。
だがそれでもルフィは戦う意思を捨てない。
一瞬、意識が飛んだが、まだ大丈夫だ。
まだ負けてない。
ルフィには、俺は勝てる――という強固な自信がある。
それは根拠のない妄言ではない。
この麦藁帽を憧れの男から受け取った日から、積み重ね続けた鍛錬がそれを確固たるものとして支えている。
大きな野望を成し遂げるのに必要なだけの代償を払い、そしてそれを積み重ね、強さを得て、前に進み続けてきたのだ。
だからこそ、まだ身体も動く。
立ち上がれ。
さあ――――、
「……あれ」
なんだか手足がキラキラと輝いている。
これはなんだろうと思って、よく見ると透明で光る小さな何かが手足にびっしりとくっついていた。
ぷつり、ぷつりとそこから真紅のビーズのような丸いものが生えてきた。
「なんだこれ……」
その丸いものはある程度の大きさにまでなると、その形を崩して液体となり、下方へと垂れていく。
これは自分の血だ――――ルフィの理解が追いついた。
血の珠は続々と大きくなり、球体の形を保てなくなり、そして弾けて垂れていく。
このキラキラしたものは無数のガラスの破片。
それが手足に刺さって、その結果として流血している。
「が――」
遅れて襲い掛かる激痛の感覚。
「――があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫。
◇ ◇ ◇
青い空が白くぼやけるほどの陽光だった。
ビルの屋上は、水はけのために敷き詰められた砂利を囲むようにして、落下防止の金網が張り巡らされていた。
砂利を踏みしめて、歩く。
屋上から階下へ続く階段を背に悠然と。
金網まで辿り着いて何の気なしに眼下のビル街を眺めていた。
探知機でターゲットの動きを確認する。
――そろそろか。
おもむろに背後にある屋上の入り口へ銃を向けた。
発砲――金属のドアが鼓膜を突くような甲高い音を立てる。
その音が鳴った次の瞬間、探知機の中の光点が移動を開始した。
こちらに向かってくる――誘導は成功した。
そう、これは誘導だ。
標的がこのビルに突入したのを探知機で確認。
そしてビルの窓ガラスを一定間隔で割る音で、その方向におびき寄せる。
姿を見せるのはリスクが要ったが、これも計算のうちだ。
釣りと同じで、餌がなければ獲物は食いつかない。
仕留めきれずにいるうちに、向こうが諦めて退却してもらっては困る。
もう少しでこちらに届くと、そう思わせることが肝要だ。
かくして愚かな獲物は罠に嵌る。
直接相対したときも、リスクを軽減するための策は用意していた。
スカートとパンプスを履き替え、この服装に変えたことがまず一つ。
これはかなり大きい。
タイトスカートの裾は僅かに脚を開くだけで突っ張り、ヒールの付いた靴では全力疾走もままならない。
ましてや近接格闘など「ありえない」。
並みの相手なら、それでも撃退できる自信はあるが、ここの敵はどれもそのレベルを易々と超えていた。
そして気絶した直後に目覚めた駅から離脱し、ようやく着替える余裕ができたというわけだ。
着てみると見かけよりも軽い。
防弾機能もあるらしいが、そうとは思えないほどに身体の動きを阻害しない。
これならば己のスキルの全てを存分に振るうことができる。
ゆえにターゲット――ルフィの初弾もかわす事が出来た。
狭い階段という、攻撃の軌道が限定される空間――地の利。
攻撃の前に右腕を振りかぶるという分かりやすい予備動作――相手のミス。
一度対戦して、ある程度手の内は分かっている――敵の情報。
いかにその攻撃が速く強力であろうとも、こちらはすでに完璧に予測できていたのだ。
だからギリギリで回避し、カウンターを叩き込むことが出来た。
まともにぶつかれば到底不可能。
だが入念な準備を経て狙い済ました一撃。
作戦開始前のプランからすれば予想外の戦果を挙げた。
だが予定に変更はなし。油断なく作戦を最後まで遂行せねばならない。
ここからが本番だ。
怪我を押して追ってくるルフィに対して、事前に仕込んでいたトラップをここで発動させる。
踊り場の影に積み上げてあった窓ガラスの破片の山。
そこに仕込んだ手榴弾は、のび太の支給品から調達したものだった。
ビルの中で調達したガムテープで床に固定し、同じく現地調達したビニール紐を手榴弾のピンに結んであった。
それを引っ張り、すると手榴弾のピンが抜ける。
自分は通り抜けフープで壁を抜けて退避。
後には踊り場に到達したルフィだけが残り――――そこで手榴弾が爆発する。
爆発によって巻き上げられたガラスの破片が、高速で飛び散る無数の刃となって、至近距離からルフィに突き刺さる。
壁越しに聞いた絶叫は、確かな戦果の証明だった。
「――うぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
そこで突如、雄たけびが思考を中断させた。
屋上のドアが猛烈な勢いで殴り飛ばされ、吹き飛び、床を転がった。
その向こう。
血を床に滴らせながら、それでもよろめくようなそぶりすら見せず、確固たる足取り。
瞳には怒りに満ちた炎が宿る。
まさに手負いの猛獣だ。
対する自分――
バラライカは狩人。
まともにやり合えば、その牙でズタズタに引き裂かれるだろう。
「あら……ゴム人間て、そんなことも出来るのね」
場違いなほどに平静な声で感嘆する。
見ればバラライカによって大きく切り裂かれた右腕には『結び目』ができていた。
腕そのものを結んで止血など、ルフィにしかできない芸当だろう。
「うるせえ!! もう逃げられないぞ、覚悟しろ!!」
空気が凍るほどの迫力があった。
だがバラライカは動じない。
その声には一片の恐怖すら含まれていない。
「あらそう。でもね、あなたもうおしまいなのよ」
勝利の確信。
全身に細かいガラスの破片が突き刺さっている。
加えて大量の出血。
この殺し合いに名医が参加してなおかつ生存しており、そして病院に充分な施設と輸血があれば治療は可能だろう。
だが、そんな可能性は限りなく低い。
放って置けば自然と死にいたる。
そう、不死者でもなければ。
「俺は死なねえよ。こんな怪我だって飯食って寝て、チョッパーに治してもらえば簡単だ!」
「へえ、そのチョッパーってアナタのお仲間? お医者なのかしら? じゃあ治療されると面倒だし、殺しておかないといけないわね」
「はっ、しまった!!」
ご――――――――――ん。
「まあ、いいや。ここでお前をぶっ飛ばせば問題ないだろ」
そういってルフィはぐるぐると左腕を回す。
そう、それならば問題はないだろう。
それが出来ればの話――――だが。
「もう一度言うわ。あなたもうおしまいなのよ」
床に通り抜けフープを置いてそこに飛び込む。
ただそれだけ。
それだけでバラライカの姿は陰も形もなくなる。
「な」
あっけにとられるルフィの呆けたような声が、空虚な響きを大気に残す。
それももはやバラライカにはどうでもいいこと。
獲物の怪我を直に見て、これ以上の戦闘は無意味と判断。
相手に敗北を思い知らせるべく、自らの勝利を告げて、そして去る。
「じゃあね――」
最後の別れの言葉。
それもビル風に掻き消える。
◇ ◇ ◇
「…………!!」
まずい。
ルフィは考える。
チョッパーのことを教えてしまったこともそうだが、それだけではない。
あの女を逃がせば、きっとまた
エルルゥのような犠牲者が出る。
仲間を失って悲しむ誰かが生まれる。
自分が取り逃がしたせいで。
ルフィは何よりも仲間を大切にする男だ。
それは幼少の頃の思い出に起因するところが大きい。
――どんな理由があろうと!!
――俺は友達を傷つける奴は許さない!!!!
ある男がそういったからだ。
そしてそれに心底憧れた。
あんな風に自分もなりたいと思った。
そしてそんな男に友達と呼ばれたことが何より嬉しかった。
「仲間も守れなくて、仇も取れなくて、何が船長だ……!」
だからルフィは折れない。
友達と言ってくれたあの男に恥じないように。
あの男に認められるような偉大な海賊になるために。
そしてその信念に命を懸けることをルフィは躊躇わない。
ゆえに退かない。
自分の怪我など後回しだ。
「おりゃあぁ――――――――――!!!!」
ゴム人間のバネを利用して高く飛び上がった。
屋上のさらに十メートルほど上空。
「ギア……………………3ッッ!!」
大きく息を吸い、ルフィの胴が風船のように大きく膨らんだ。
ゴムの身体ゆえに吸い込めばいくらでも大きくなる。
そして残った左腕の親指を口にくわえ、溜め込んだ息吹を親指から左腕の骨に吹き込む。
すると腕が巨大化する。
骨もゴムだから空気を入れれば巨大化する道理だ。
その大きさは10メートルをゆうに超える。
それを全力で叩きつければどうなるか。
「この建物ごと叩き潰してやるっ!! ゴムゴムのォォォォ~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
振りかざした左拳の影が、ビル全体を覆った。
それほどまでに巨大。
ゆえに強力無比。
バランスを犠牲にしてでも破壊力に特化させた、ルフィ自身の最大威力。
「――――――――巨人の銃(ギガントピストル)!!!!!!!!」
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最終更新:2012年12月02日 19:34