赤目と黒面(前編)◆GOn9rNo1ts
Q、クリストファー・シャルドレードについてどう思いますか?
「ただの仕事仲間だ」
「同じく。それ以上でも以下でもない」
「おお、彼は我らと同じフラスコの中のこびと。
しかし赤いこびとはその小うるさい口で囀るのです、出して、出してと。
もしもそれを創造主が認めるならば、我らは大手を振って別れを告げるでしょう。
ああ、彼はどこに行き、何をするためにこの世に生を受けたのでしょうか……?」
「少しは黙ってろ、『詩人』」
「あはは、またシックルに蹴られてるよ『詩人』さんったら。もしかしてマゾなのかな?」
「ぼ、僕に言われてもわからないんだなあ」
「どう思うかっていわれたら、やっぱり友達かな。
ヒューイの糞変態野郎と違ってクリスは優しいし」
「ク、クリスさん……どこ行ったんでしょうね……?」
「あれ、アデルいたの?」
「彼はなかなかに面白い。人間になりたいのにそれを恐れている、矛盾した存在ですよ」
「クリスって何考えてるのか良く分かんないからあんまり好きじゃなかったなあ」
「それは貴方がまだ幼いからですよ、リーザ。もっと大きくなればきっと分かります」
「そうなのかなあ……まあ、どうでもいいや。私はお父さんがいればいいもん!」
「クリスって……あの赤目のクリストファーですか?
どう思うって聞かれても、ほんの数日一緒にいただけだし、何とも言えないな。
結局いつのまにか居なくなってたし、なんかあの事件は良く分かんなかったなあ……ああ、申し訳ない。
やっぱり変な奴だとしか言えません。あと、優しい振りして極悪人ですよ、あいつ。
あんなこと堂々と言われるとは思ってもみませんでした……えっ?なんて言われたかって?
…………あなた、死なない人間って信じます?」
「彼は僕の唯一の友達、それだけだ」
Q、ゼロについてどう思いますか?
「純粋に凄い奴だと思うよ。いつも他の誰にも思いつかない作戦を立ててくるし……」
「俺たち、黒の騎士団にとって無くてはならない存在だよな」
「あったりめえだろ!ゼロの大親友である俺様が言うんだから間違いねえ、ゼロは凄い奴だ!」
「でも、ここだけの話、何考えてるのか全然分からなくて不気味よね……」
「そもそも、あの仮面は何なんだろうな?ファッションって訳でもあるまいし」
「人には、誰にも言えない秘密が一つや二つはあるもんだよ……ゼロは俺たちのリーダー、それで十分だろ?」
「まあ、扇がそう言うんなら……」
「我らがブリタニアに刃向かう愚かなテロリスト、それだけだ」
「めっちゃくちゃダサいよねえ、あの仮面とか」
(あれ、ちょっと格好いいとか思ったのは黙っておこう……)
「いかなる敵であろうと関係ない。私たち特殊名誉外人部隊(イレギュラーズ)は作戦に従うだけ」
「私の目の前でその名を口に出すな、叩き斬るぞ」
「それにしてもコーネリア様さえ生身で倒すあの強さ、彼は本当に何なんでしょうね?」
「我らがコーネリア様を二度も辱めたのだ。極刑すら生ぬるいわ!」
「あいつは……魔道に俺の親友を誘い込んだ、ただの魔女だ」
「私が滅びを与える愛すべき兄さんだよ……クックックックックックック」
「私が世界で一番愛している大切なお兄様です!」
◇ ◇ ◇
「……以上が私が知っている全ての情報だ。これ以上語れることは何もない」
「その
水銀燈という方は本当にゲームに乗っていたんですの?」
「間違いない。アリスになるために手段は選ばないと言っていた」
「それなら
翠星石の言ってたアリスゲームってのと辻褄も合うしねえ」
「……さあ、次はそちらの番だ。こちらが全て明かしたのだから、そちらも隠し事は無しで頼む」
嘘だ。語っていないことはまだまだある。
例えば、湖城の大広間に存在した三つの○の空洞。
例えば、水銀燈という危険な人形と自分たちがついさっきまで組んでいたこと。
例えば、自分たちがゲームに乗っているという事実。
(この程度の甘ちゃん集団、騙すのは簡単だな)
殺し合いの場で、まるでピクニックでもしているかのようなふわふわとした雰囲気がそこにはあった。
バットを振り回す少女。それをすいすい避ける吸血鬼のような男。ただその光景を見つめている獣耳の少女。
状況説明だけなら危険極まりないが、全員に緊張感は全く存在していなかった。
それでも流石に見知らぬ他人との接触ならば、と思ったがこれも大外れ。
C.Cもデイパックを彼らの方に放り投げただけで「乗っていない」と判断され、少々拍子抜けの感は咎めない。
そこから流れるような情報交換。待ち望んでいた展開ではあったがここまで上手くいくと返って恐ろしい。
初めは電車に乗りながら、という提案もあったが、C.Cはそれを拒否した。
表向きの理由は、このエリア付近でいったん別れた男達と合流したいから、というもの。
しかし、実際の理由はもちろん違う。
(確かに電車内なら逃げられる可能性は低い。
だが、相手の力量を見誤ってしまえば、電車内で逃げ場がないのはこちらも同じ。
マシンガンでも乱射されれば事だからな、余計な傷を負うのは避けたい)
よって、とりあえずは出会った辺りの林の中で、少し開けたところに腰を落ち着かせている。
少しばかり悲痛な顔を作りながら、水銀燈が彼女の同行者達を皆殺しにしたと吹聴しておく。
どうせこの後殺すのだから、話自体は信憑性を持たせるためにある程度の真実を話しておいたが。
「へえ、これって爆弾かな……」
「クリスさん!勝手に
アルルゥのデイパックを漁らないでください!」
「でも、アルルゥは良いっていってくれたよ。ねえアルルゥ?」
「ん」
「そういう問題じゃなくて!今はこちらの方の話を聞く方が先でしょう!」
「すまん、続けても良いか?」
赤目は支給品の解説を読みながら適当にこちらの話を聞き流し、それを金髪の少女が注意すること3回。
出会ったばかりのC.Cも、赤目が酷くマイペースであることだけは理解した。
それに対し、人見知りが激しいらしい獣耳の少女がこちらをじーと見つめていたのは気になったが。
それも彼女が金髪の少女に諭されてからは問題も起きていない。
(獣の耳、か。一応注意は払っておいた方が良いか?)
自分たちはそれぞれ違う世界から連れてこられた、と言うことは既に知っている。
人形が動く世界があるのだから、人間と獣が混ざったような世界があっても何らおかしくはない。
問題は、彼女の能力がどこまで獣に近いのかと言うことだ。
(鼻がきく、という可能性もある。もしかすると……)
「なるほど。そちらも苦労したのだな」
懸念を顔には一切出さずに彼らの話に耳を傾ける。
どうやらゲームが始まった当初、あの水銀燈の姉妹である翠星石と彼らは行動を共にしていたらしい。
その後、赤目の男、クリストファーが以前殺し合ったらしい赤髪の男と交戦。
翠星石は目の前の少女、
北条沙都子を庇ってその人生を終えたらしい。
馬鹿な人形だ。出会ったばかりの他人のために命をかけるなど。
そんな嘲笑を微塵も表に出さないまま、話を聞きながら少し悲しむような素振りを見せる。
ほら、簡単だ。これだけで彼らは自分のことを「優しい人間」だと勘違いしてくれるだろう。
学校で殺したあの男達と比べれば、なんとも単純なお人好しどもだ。
気になるのは、巨大な人形を従えた赤髪の男。
少女が撃退できるレベルなのだからそこまで驚異にはならないだろうが、一応注意はしておくべきだろう。
加えて、自分が最初に出会った柄の悪そうな女。
彼らも接触したらしく、名前は
レヴィというらしい。
腕に大怪我を負ったらしいので、こちらもそこまで驚異ではないだろう。
しかし、あまり良い別れ方はしなかったがまた接触する可能性は十分にある。
今のこちらはマッチョ仮面とかけ離れた姿だが、服装でばれるかもしれない。
そうなれば面倒くさいこととなる、何しろ一度彼女と自分は戦ったのだから。
少なくとも、良い印象は持っていないだろう。
よって、このまま彼らと共に行動する、と言う選択肢は改めて排除された。
(……これで、こいつらを殺す理由が一つ増えたな)
そう自然に考え、思わず苦笑を心の中で漏らす。
自分はルルーシュの共犯者だ。彼が殺し合いに乗ると言ったら反対はしないし、罪の意識も感じない。
彼が殺し合いに乗ったのは至極当然のこと。疑問を挟む余地はない。
ルルーシュの行動はいつでも一つの根底から成り立っている。
ナナリーが幸せな生活を送るために。
そのためならば悪魔とだって契約するし、大国にさえ立ち向かう。
それほどまでに、ルルーシュは妹を心の底から愛していた。
そのナナリーが、死んだ。
何の前置きもなく、ただ黙々と語られる放送。
ナナリー・ランペルージ。
たった一言が、ルルーシュの全てを粉々に打ち砕いた。
その後の彼の一連の行動は、暴走と言っても差し支えない。
いくら彼が合理的な判断の下に行動したと主張しても、また実際にそうだったとしても。
あれは、あの虐殺劇はどう見ても暴走だった。理性ある暴走だった。
別に、C.Cがそれを咎めることは未来永劫無いのだろうが。
(さて、そろそろ……やるか)
そして、双方の話が終わり、舞台は次の局面を迎える。
「さて、これで話すことは何もない……か」
「これからどうしますの?とりあえず、ゼロさんはお仲間さんを探しに?」
「おとーさん、はやくみつけたい」
「クリスさん、何をしてるんですの?」
黄緑の髪を持つ美女、金色の髪を傾げ疑問を表す少女、ただ父の安否を気遣う獣耳の少女。
三者三様の言葉を聞きながら赤目の男は無言でやおら立ち上がり、デイパックに手を伸ばす。
沙都子のそれから取り出したのはF2000Rトイソルジャー。
小学生でも撃つことが出来る「怪物」を手に携え、八重歯がにやりとこちらに向いた。
何度も見たことがあるはずなのに、何故かその笑みに寒気が走る。
「……何のつもりだ?」
「いや、ちょっとした保険だよ」
目を白黒しながら状況に唖然としている沙都子。
少し顔をこわばらせながら、己のデイパックを掴むアルルゥ。
そんな彼らを無視しながらクリスは囀る。
C.Cもゆっくりと立ち上がりながら服についた土を払い、挑戦的な目でそちらを睨む。
「説明して貰えるなら嬉しいんだが?」
「まあ、ありがちにいえば殺気を感じたってところかな」
そう言われても沙都子にはさっぱり分からない。
ただ、そう言われてみると確かに目の前の女は少し浮き足立っている気がしないでもない。
しかし、それだけ。彼女のように幸せな日々を過ごしてきた普通の人間では感じ取ることは出来ない、僅かな殺気。
クリストファー・シャルドレードは副業として殺し屋を営んでいる。
相棒のチーと共にアメリカ中で依頼を受け、アメリカ中で人を殺す。それが彼の日常だった。
クレア・スタンフィールドに敗れ、人が殺せなくなってからはその副業も停止していたがそれでも彼が長年殺し屋をやって来たのは事実。
彼が『不老』だという事を考えると、『長年』というのは5年や10年では到底あり得ない。
実際にどれほど殺したのかは分からない。恐らく本人も覚えていない。
そして、彼はわざわざ狙撃などという無粋な真似は行わない。
ただターゲットの目の前に現れ、花を摘むような気軽さで、殺す。
相手が複数の場合だってもちろんある。反撃なんてものはない方がおかしい。
そんな生活の中で不死者でもない彼が生き延びてこれたのは、一重に実力のたまものに他ならない。
常人ならばとうに二桁以上死んでいるような修羅場を鼻息一つでくぐり抜け。
愛用の銃剣を手に赤目を輝かせ、尖った八重歯を見せつけながら。
斬り、撃ち、殺す。それが彼の日常。
そんな死と隣り合わせの生活を送ってきた彼だからこそ気付く、懐かしい臭い。
目の前の女、いや、その裏側から滲み出る死の臭い。
「何か、僕たちに隠してないかな?例えば……人を殺したとか」
「…………」
「おねーちゃんから……血の臭いがする」
「…………」
「どういうことですの!?ちゃんと説明してくださいまし!」
「…………」
全ての言葉を聞き流しながら、魔女はただ思案にふける。
そして。
「良いだろう、まずはお前からだ」
沙都子が嫌な予感を感じ、しかし何をすれば良いのか分からなかったその時。
目の前の女の姿が突然かき消え、そして別の何かがその場に姿を現した。
真っ黒なマント、身体を包むぴっちりしたスーツ、そこから覗くボディーラインは見事な物だ。
何よりも特徴的なのは、その顔面を覆う不気味な仮面。
見る者に不安や恐怖を抱かせ、逆に装着者の感情を包み隠す。
こちらからは、素顔もその表情を窺い見ることは出来ない。
(だれ?いいえ、まずどこから!?)
混乱する頭が今の状況に必要のない答えを求めてしまう。
いくらトラップマスターの異名を持った所で、彼女はそういう方面のこととは無縁に生きてきた。
そして、殺し合いというものは酷くせっかちで着いていけないものは容赦なく振り落とす。
結論から言えば、彼女は非常に運が良かった。
もしも彼女が最初に狙われていたならば、なすすべなく×されていただろう。
だが、全く無防備だった彼女は最初のターゲットとはなり得なかった。
確立は三分の一といい、かけるチップが一つしかない命である以上これはギャンブルに例えると大勝ちの部類に属する。
しかし、彼女がその幸運を喜ぶかどうかはまた別の問題ではある。
困惑する幸運な少女の目の前で、何かが吹き飛ぶ。
それは冗談みたいにあっけなく近くにあった木の幹に突っ込み、停止した。
「アルルゥ!?」
「ほう、とっさにデイパックを盾にしたか」
こちらの少女、アルルゥはもまた、運が良かった部類にはいるだろう。
瞬時の判断でとっさに掴んだ自身のデイパックを身体の前にかざし、緩衝材とする。
そのまま、ゼロの腕がデイパックを突き破る直前に後ろに身を投げ、更に危険から離れる。
手刀による刺殺はなんとか免れたものの、予想以上の衝撃までは避けることが出来なかったが。
魔王の圧倒的な怪力による衝撃を緩和したデイパックはもはやその原形を留めていない。
内部はどういう構造になっているのか、中に入っている物は全く損害を受けておらず破けたデイパックから剣の柄がはみ出ている。
「さて、二人目だ」
そう呟いた仮面の男が視界からかき消えた。
次の瞬間、彼が居たその地点に届く弾丸の嵐。
仮面の男は危なげなく右に身を投げ、こちらが反応できない速度で迫る。
黒のマントがこちらに届くかと思われたその瞬間、またもや襲い来る銃弾。
沙都子を避け、仮面の男にだけ当たるように調節されたそれを再び驚異的な速度で回避。
赤目の男が沙都子と呼ばれた少女を後方に引き寄せるのを目の端で捉え。
「やはり一筋縄でやらせてはくれんか」
「あらら、僕もなめられたもんだね」
アサルトライフルを構え、流れ出た冷や汗を真っ赤な舌で舐めとる。
けん制の弾幕をばらまきながら、もう片方の手で沙都子をアルルゥの方に押し出す。
彼女を連れて逃げろと。赤い視線がそう告げているのを理解しながらも、沙都子は引かない。
「私も戦いますわ!クリスさんだけに任せるわけにはいきません!」
心強い仲間達をこの場に顕在させようとして、ボールをデイパックから取り出し。
「駄目だ、この場から離れてくれ」
仲間のはずの赤目の男にその手を押さえられ、驚愕に目を開く。
どうして?自分とクリスが力を合わせればあの男もきっと……
抗議の声を上げようとして、それを読んでいたかのような相手の言葉。
「沙都子、あの変な仮面の動きが見える?彼は恐ろしく早い。もしかしたらあいつよりも……
残念だけど、ポケモンっていうのは指示を受けなきゃ動かないんだろう?
はっきりいって、君の反応速度程度でその子達が動くと間違いなくやられる」
「そ、そんな……でも、クリスさんが動きを止めてくれれば……」
「君の友達が流れ弾で殺されても文句を言わないなら構わないけど?」
残念ながら、沙都子の手持ちは殆どが近接攻撃を主とするポケモン達だ。
接近戦を挑むために相手と密着する必要があるポケモン達にとって、銃の援護はむしろ危険となる。
遠距離攻撃はニョロの冷凍ビームやみずてっぼうはあるが、それ以前の問題が一つ。
(まあ、仕方ないよね。彼女は俺とは違って『あっち側』の人間だったらしいし)
クリスの言うとおり、沙都子はあの化け物と戦うにはあまりにも遅かった。
彼女は何の訓練も受けていないただの子供。仲間達と無邪気に遊ぶのが日課だった表側の人間。
いくら大人顔負けに頭は回っても、ここにいる人外達に反応速度は遠く及ばない。
クレアの時のように事前にポケモンに指示を出していればある程度は対応できる。
しかしそれは、相手の行動をある程度予想してのこと。
突然現れた仮面の男。彼の行動を予測しトラップを仕掛けるにはあまりにも時間が足りない。
沙都子が作戦を考えて指示を出す間に、仮面は間違いなく次の行動に移っている。
その結果犠牲になるのは、彼女自身ではなく、ポケモンたち。
沙都子は彼らを犠牲とするにはあまりにも優しすぎることを、クリスは理解している。
そうなれば、あとはクリスのように人を殺すために生み出された道具を頼るしか手はないのだが。
「銃、使ったこと無いよね。いや、それ以前に君は人を殺す覚悟を持っているとは思えない。
はっきりいってそういうのにうろつかれると迷惑だ……邪魔なんだよ」
突きつけられる残酷な現実。
理屈は分かる。誰だって三人の身を守るよりも自身だけを守った方が楽だと。
クリスのためを思うならば、足手まといになる自分は居ない方がましだ。
最善の答えは既に目の前に。しかし感情がその最適解を否定する。
どんなに人格に問題があっても、今まで一緒にいてくれた恩人を見捨てることなど出来ないと、彼女の心が邪魔をする。
「でも……」
「勘違いしない方が良い、僕だって自殺志願者じゃないんでね。
ちゃんと、あいつを追っ払う作戦くらい考えてるさ……行ってくれ」
沙都子は、クリスが人を殺せないことを知っている。
だから、今の話が9割方嘘だと言うことも理解できた。
だが、それが分かったところでどうすることもできない現実。
ただ歯がみすることしかできない自分を呪いながら、決断。
せめてもの援護として、デイパックから最愛の兄、悟史の金属バットを。
そしてトイソルジャーの予備弾薬をクリスのデイパックに移し替える。
(にーにー、どうかクリスさんを守ってください……)
「……ニョロさん、お願いします」
赤髪の男との戦いの際、頼りにした異形が再びその場に現れる。
今度は、気絶した仲間を移動させるための運搬役として。
圧倒的な力に屈し、二人の少女は森の奥に消えていった。
そして、残された赤目と黒面。
「さあ、始めようか。まさか待っててくれるとは思わなかったけど」
「貴様らが分離してくれるなら好都合だ。わざわざ楽をさせてくれて感謝するぞ」
「はははっ!面白いことを行ってくれるじゃないか、後悔しても知らないよ?」
互いに言葉のジャブを交わし。
殺し屋は銃を手に笑い、テロリストは拳を握りしめ。
殺し合いが、始まった。
◇ ◇ ◇
ゼロの考えで行くと、北条沙都子は最後の仕上げに殺される予定だった。
当初通り、最も警戒すべきは赤目の男。
自然がどうとかほざく腑抜けた男だと一時は思い直していたが、こちらの殺気を見抜いたことで再び警戒度は最大まで引き上がる。
既に銃を手に持っていたことからも、彼を最初に狙うのはいささかハイリスクだとも言えた。
よって、どの程度の実力か見極めるまでは保留。手痛い反撃を受けることは避けたい。
逆に、最も警戒しなくても良いのは金髪の少女。
赤目の男に言われるまでこちらの殺気に気付かなかったり、ゼロへの変貌をただ呆然と見つめていたり。
典型的な一般人。警戒度は最底辺に位置する。
よって、彼女は最後。例え未知の支給品を使おうが、使う本人が脆弱ならば問題はない。
最初に狙うべきはこちらの血の臭いに気付いたもう片方の少女。
やはり先程の警戒はこちらに染みついた血の臭いに対してのものだったらしい。
しかし、このような場で赤目が動くまでそれを伝えなかったところを見ると、そうとう危機感に乏しい。
多少は人間離れしているらしいが、所詮は適切な状況判断ができぬ獣の子供。
それでも、あの一瞬でデイパックを盾にした「野生の勘」ともいえるものには計算を狂わされた。
本来ならば彼女を速攻で殺し、最悪赤目の男達に逃げられても湖城の○に必要な小さめの首輪だけでも、と思っていたのだが。
(まあ、問題あるまい。子供の足ではせいぜい1エリア程度しか短期間で動けん)
今の最重要目的は目の前にいる赤目の男の抹殺。
戦闘能力に乏しい子供なら何人群れようがただの餌だが、強いもの同士が手を組むと厄介なことになる。
よって、あの少女達は後回し。先にこの男から片付ける。
「舐めているのか?我に鉛玉など通用しない」
相手の銃は中々の連射性を持っているようだが、未だこちらに擦りすらしていない。
なかなか出来る奴だと思っていたのだが、こちらの見込み違いだったのだろうか。
遂に弾が切れたのだろう、男は後ろ手にデイパックを探り予備弾薬を漁っている。
(あまりにも遅い。ここで詰みか)
確かに男の動作はよどみなく、予備弾薬を取り出し、取り替えるのに3秒もかからないだろう。
だが、自分の身体能力にかかれば、その3秒は致命的だ。
弾幕を避ける横の軌道を一瞬で訂正。そのまま前方に足を向け、地を駈ける。
それなりの距離を取っていたが、男までの接触は2秒以内。いける。
「さらばだ、無力な只人よ」
五指を一直線に伸ばし、相手を貫く動作。
人間がすれば精々相手を悶絶させる程度だろうが、魔王の力はそれを本物の刀並みの殺傷力に変換する。
ようやくお目当てのものを探り当てた赤目が勢いよく何かを引き抜く。
意外なことに、加速する風景の中で彼の掴んだものは、予備弾薬ではない。
かといって、刀剣や他の銃といった武器類でもあり得ない。
(あれは……まさか爆弾の類か!?)
男の手に握られた、赤と白でカラーリングされた真っ赤な球体。
まさか、自爆覚悟で特攻する気だろうか。
どの程度の威力か分からないが、彼はこちらを殺す十分な威力がそれに込められていると思っているらしい。
残念ながら、こちらにはそれを避ける手段がある。とんだ拍子抜けだ。
自爆してくれるのなら大いに結構。首輪やデイパックは残しておいて欲しいものだが。
おもむろに見せつけ、こちらが攻撃を止めると勘違いしてくれるのなら更に結構。
爆弾だろうが何だろうが迷いはない。ただ相手を殺すのみ。
スピードを殺さず、そのまま直進。
相手が球体の中心にあるボタンらしきものを押す。やはり爆弾だったか。
「魔王にそんなものは通用しない」
だが、その時不思議なことが起こった。
球体はパックリと割れ、中から何かが飛び出してくる。
それは通常では考えられない超巨大な蜂のような姿を晒す。
恐らく、何らかの技術により小さなボールに閉じこめられた化け物を使役できる、という支給品なのだろう。
異形の化け物はこちらに相対する男のように真っ赤な目でこちらを睨み。
「ダブルニードル」
赤目の男の言葉一つで、こちらにその針を向ける。
巨大な二針から繰り出される高速の一撃。
面白い。たかが蜂の分際でこの魔王に逆らうとは。
「万死に値する!!!」
とっさに握りしめた全力の拳でそれを迎え撃ち、衝撃。
先程までの風景が視界で逆再生。自分がふき飛ばされたのだと気付くのに数瞬かかった。
後ろの木々を突き破り背中に鋭い痛みが走る。
自分と渡り合った蜂も同じように反対側に吹き飛んでいるのを確認。
それを全く気にかけずに、今度こそ弾を詰め替えながらこちらに迫る赤目。
イルカをモチーフにしたような八重歯がランランと輝き、銃口がこちらを向く。
とっさに後方の木を蹴り飛ばし、上へと逃れる。
代わりに掃射を受けた太木の幹に幾つも傷が刻まれる。
「あああああああああ、愛する自然を傷つけちゃったよ!?」
悲しげに叫びながらも空中のこちらから目を離さない憎き対峙者。
まだまだ状況は予断を許さない。次の手を仮面の下でめぐらす。
そこで頭をかすめる違和感が一つ。
(あの木に刻まれた銃弾の跡、どこかおかしい)
普通に考えれば、銃痕はゼロの存在していたところを中心に生まれるはず。
しかし、もし一瞬見えた記憶が間違っていなければ実際のそれは中央に一切残っていなかった。
よくよく思い返してみれば、今までの銃弾もこちらの中枢、胸や頭部を狙っていない。
(手加減されている?いや、そこまでの余裕を持っているようには見えなかった。
こちらを殺さずに無効化しようとしている中途半端な偽善者か?それとも、人を殺すのが怖い臆病者か?)
様々な可能性が一瞬で脳裏に浮かぶが、それを全て振り払う。
相手の弱点を見つけたのならば、それを利用するだけだ。
◇ ◇ ◇
(さて、どうするかなあ……)
吹き飛んでいく仮面の男を追いながら、予備弾薬をセット。
蜂君こと、スピアーは気にしない。自分は沙都子と違い彼らを道具としか見ていないのだから。
自分も道具として扱われることに慣れているので、嫌悪感は一切ない。むしろ当然だとさえ感じる。
あと何度『使えるか』くらいは気にしていたが。
クリスはゼロに、そして大半の参加者に勝利することが出来ない。
殺し合い、という観点から見て「殺せない」というのはすなわち敗北を意味する。
彼に出来ることは、せいぜい殺さないで相手の自由を奪うことくらい。
仮にゲームに乗ったとして、自分以外の参加者が同士討ち、もしくは餓死することでしか自分は勝利を得られない。
あまりにも非効率的。かつ運の要素も大きく関わってくる。
(それに、そんなのつまんないし)
そもそも、あの赤目の男に出会った時点でクリスは優勝をとっくに諦めている。
それならば、あえて殺し合いに乗らずにここから脱出を図るグループと一緒にいた方が生き残れる可能性は高いと彼は考えた。
新しい友達も出来るかも知れないし、という訳の分からない希望もあったが。
つまり、義憤でもなく他者への思いやりでも無く。
純粋に生き残りたいから、という理由で彼は沙都子たちと共にいる。
そして、自分が残った方が全員が生き残れる可能性が高いと踏んだからこそ、彼はここにいる。
相手は殺せない。だが自分も殺されたくない。
自然と出来ることは限られてくる。一番楽なのは相手の戦力を奪うこと。
意志だけでは人は殺せない。物理的に殺し続けてきたクリスには自明のことだ。
(とりあえず、死なない程度に……ね)
己の時代には存在し得ない高性能のライフルを構え、相手の腕や足を狙い、撃つ。
出血多量による死もあるかもしれないが、そこまで構っては居られない。
(これで終わってくれれば良いんだけど、甘いよね)
予想通り、仮面は常軌を逸する強さで後ろの木を蹴り飛ばしその身を虚空に飛ばす。
相変わらずの化け物ぶり。これでさえまだ傷一つ負わせられないとは。
冷静に銃口を上へ向け、照準を手足に合わせ……
「なっ……!?」
思わず目を疑う光景が、そこにはあった。
仮面の男は空中で強引に身体を丸め、マットの上で前転するように身を高速で回転させる。
一見すると無防備とも馬鹿だとも言える、もしかしたら美しささえ感じるかも知れない行動。
しかし、『人を殺せない』クリスにとって、それは狙うべき的が身体の中に収まってしまったようなもの。
どこを狙っても相手が死ぬかも知れない、という不安が引き金を引かせない。
そして、高速で行われる戦闘に空いた一瞬の隙間を魔王は見逃さない。
回りゆく視界の中でデイパックから黒鍵を二本取り出し、着地と同時に投げ放つ。
狙うは頭と胸。例え一撃でも致命傷を受けるのは確実。
こちらの着地を狙っていただろう赤目は不意を突かれ、咄嗟の思考で首をひねる。
滑らかな茶髪が一筋千切れて持ち主の元を離れ、しかし血球はそこに追随しない。
頭への一撃を避け、しかし胴体までは逃がしきれない男は一つの選択を強いられる。
すなわち、己の武器を犠牲にするという選択を。
学園都市製の科学の結晶が聖なる教会の黒き剣によって打ち砕かれる。
虎の子の超高性能アサルトライフルという牙を失った吸血鬼が後ろに下がり、魔王がそれを追う。
さきほどまでとは全く逆の構図。違うのはその速さ。
ゼロは己の圧倒的な身体能力を生かし、即座に赤目に肉薄。
赤目は胸を狙った一撃目に対し、身体全体を相手の腕に向かって水平に傾かせ、回避。
続けて少し上を狙ったもう片方の手斧を、今度は半身の姿勢から膝を曲げ姿勢を落とし、なんとかクリア。
しかし、しゃがんだ姿勢に容赦なく襲い来る直蹴り。
手に残っていた銃の残骸を、無理矢理に超高速で迫る足に合わせ、ぶつける。
指の先のグリップにまでもヒビが入り、刹那、完全にそれらはただの鉄屑となった。
続けて来るのは腕全体に走る鋭い痺れ。口の奥で挙がる悲鳴。
強引にポケットの中のグロック17を引き抜き、力の篭もらぬ指でトリガーを引く。
仮面は一瞬で距離を離し、身体を少し傾けながら死のカタチを後ろに見送る。
「……君、本当に人間かい?」
それは時間稼ぎでもあり、心からの言葉でもあった。
ここまでやって、まともなダメージはスピアーのダブルニードルのみ。
己は蜂よりも弱いのか、と冗談交じりに考えながら彼我の損害を確認。
足、まだまだ動く。腕、痺れは残るが大丈夫。
対する相手も五体満足。戦闘に支障はなさそうだ。
一見して互角に見えるが、実際の所こちらの不利は広がるばかり。
メインウェポンであるトイソルジャーは完膚無きまでに破壊され、苦し紛れではなった至近距離での銃弾も避けられ。
どうにも、自分はこの化け物と戦うには役不足らしい。
(ここに来てから負けっぱなしだな……なんかショック)
そう思い、人知れずへこみながら目の前の仮面の返事を待つ。
会話は友達を作るための第一歩だ。コミュニケーションはどんな時でも欠かさない。
例え目の前の相手が自分を殺そうとしていても、だ。
仮面からの返事は全く期待しては居なかったが、驚いたことに相手は律儀にも返事をしてくれた。
それは、思わずクリスの目を丸くさせるような一言。
「いかにも、私は貴様らのような凡百な人間ではない。
悪魔との契約により人から魔王へと生まれ変わった存在。それが私、魔王ゼロだ」
◇ ◇ ◇
(人間ではない、か。人間を止めて悪魔に魂を売っても、小さな望み一つ叶えられないとはな)
ゼロは自分の言葉に自嘲しながら、昔のことを思い出していた。
優しい母、愛しい妹と共に何の不自由なく生活していた遙か昔。
今でも鮮明に思い出せる色褪せない思い出の中、自分も、母も、妹も誰もが笑っていた。
そんな日々を終わらせたのは、たった一つの銃弾。
母は何者かに暗殺され、妹は足の自由と目の輝きを失い、父であるシャルルには見捨てられ。
自分たち兄弟は人質として日本へと送られ、生活は今までの贅沢な暮らしから一転した。
父を恨み、この世界さえも恨みながら過ごした日本での日々。
唯一の救いは、紆余曲折の後に枢木スザクという親友が出来たこと。
しかし、ルルーシュを嘲笑うかのように、現実は容赦なく少しの幸せを打ち砕く。
スザクの父でもある日本首相、枢木ゲンブの死に呼応するように日本へと宣戦布告するブリタニア。
スザクは枢木本家に、自分たちは縁のあったアッシュフォード家に逃れることとなる。
アッシュフォード学園での友達や先輩との生活は荒んだ精神に一時の平穏をもたらしてくれた。
副会長として生徒会に入り、時には非合法チェスなどの刺激的な体験さえもした。
それでも、ルルーシュの心の奥底にある白と黒の感情は消えることがなかった。
『オレは命に代えてもナナリーを守る。
そして、俺たちを見殺しにしたブリタニアを……神聖帝国をぶっつぶす!』
スザクと交わした最後の約束。
それから何年経っても忘れることの出来ない口約束。
確かに自分はナナリーを守り、今は平穏な生活が送れているかも知れない。
しかし、いつ帝国からの刺客によって暗殺されるか、もしくは政治の道具として利用されるか分からない。
停滞は非常に魅力的な選択肢かも知れないが、それでは事態は好転しない。
ブリタニアを滅ぼさなくては、ナナリーの幸せな未来は訪れない。
『力が欲しいか?』
そう思っていたある日、たまたま日本のテロリストと軍との争いに巻き込まれ、奇妙な少女を助けることとなった。
その後、軍がその少女の存在を隠匿するために新宿ゲットーに放たれたミサイル。
力なき自分はそこで命を落とした……はずだった。
助けた魔女と悪魔の契約を結び、ゼロとして生まれ変わった自分。
ナイトメアさえも圧倒するエデンバイタルの力を持って、ブリタニアに反逆し。
単なる寄せ集めのテロリストたちから反ブリタニア組織『黒の騎士団』を創り上げ。
まるで、夢のような物語。だが、それは自分が憎み続けた現実に相違ない。
ブリタニアを滅ぼし、最愛なる妹がいつまでも幸せに生きることが出来る世界を作る。
それが現実味を帯びてきた、その時だった。
自分が、そしてナナリーがこの場所に招待されたのは。
自身のことなど、どうでも良かった。
ただ、ナナリーの幸せを願い、そのためならどんなことでもしてきた。
自分の作戦によって何千という骸を築き上げてきても、何も感じない。
歪んでいるという自覚もある。だが、それでも止まらない。もはや止められない。
数多の犠牲など、修羅の道を選んだあの日から分かっていたことだ。
だから、今も自分は犠牲を厭わない。
ここにいる全ての参加者を殺し、彼女を生き返らせる。
ナナリーのため、と逃げ道を作りはしない。これはただの自己満足だ。
今から俺は、私は、自己満足のためにまたひとり人を殺す。
赤目の男の質問に律儀に答えたのは、自分の醜さを確認するためか。
それとも、こう言えば相手は戦意を削がれるという合理的な期待を持ってか。
何でも良い。その答えに意味など無いのだから。
もはやお喋りは終わりだ。この後逃げていった子羊を探し出し、殺さなければいけない。
「そっか。君、人間を止めちゃったんだ」
ゼロは気付かなかった。自分の発言が相手にどのような意味を持たせるかなど。
普通の人間は未知を恐れる。昔の人間が火を恐れていたように。
人は自分とは違った存在を恐れ、異民族を迫害する愚かな歴史もそれを実証している。
魔王、などという明らかに異質な存在。恐れは生まれても喜びなどの感情は決して生まれない。
そう、普通ならば。
ゼロは、ルルーシュは気付くべきだった。
己の発言を聞いた相手の雰囲気が明らかに異質なものになったことを。
クリストファーが凄惨な笑みを見せていたことを。
相手を侮り、身勝手な回想に浸っていた魔王。
一種の慢心。強者にのみ許される特権だ。
仕方がなかったのかも知れない。もう相手側がこちらに拮抗する武器を持っていないことは事実。
遠からず、自分は勝利を苦もなく収める。そんなビジョンが当たり前のように浮かぶ。
彼の計算違いは一つ。
「教えてくれて、どうもありがとう」
クリストファー・シャルドレードが普通ではなかったこと。
友人をお茶に誘うかのような気軽さで。
路傍の石を蹴り飛ばすかのような自然さで。
罪無き虫を笑顔で叩きつぶすような無邪気な残酷さで。
ただ、相手を殺すためだけに、クリスは躊躇うことなく引き金を引いた。
◇ ◇ ◇
あまりに自然すぎる行動に、ゼロは一瞬だけ何が起こったのか分からなかった。
スローモーションの世界の中で、こちらの頭部を過つことなく通過しようとする9mmパラベラム弾。
何が起こったのか理解できなかった呆けた頭が状況を理解し始める。
左に身体を踊らせ、ただ殺意だけが込められたそれの口づけを拒否。
(何故だ!?何故今頃になって殺しを肯定する!?)
関係ないと分かっていても思考は止まることなく。
ルルーシュの頭脳が人並み外れた知者の物であるからこそ考えてしまう。
己の不利を悟り、信念を捨てるほど命が惜しくなったのか。
それとも今までの行動全てがブラフだったのか。
推測はできても答えは出ない。人の心を読めるギアスをゼロは持ち合わせていない。
もっとも、今のクリスの気持ちを理解することなど誰にも出来なかっただろうが。
(人間を止めた。なんて甘く、憎々しい響きなんだろうね!)
形容しがたいドロドロの何かが脳裏を高速ではいずり回っているような気分。
目の前は自分の意志で悪魔と契約し、人間を止めてしまったという。
いくら努力しても人間にはなれない自分のような存在がいるというのに。
こちらとは正反対のベクトルの相手がいて、しかもそいつは既に人間を止めているだなんて。
言うならば、憧れのヒーローが見知らぬ怪物に為す術無く倒されてしまった気分。
最も愛している存在を全否定された、言い様のない憤り。
人間が、どういう理由があれど人間を止める。それは彼にとって最大の侮辱だ。
(むかつくよねえ、ああ、認めよう。俺は嫉妬している)
彼の発言は朧気になっていた『殺意』というものを明確に思い出させてくれた。
クリスは羨ましかった。元々あるべき種族の壁を飛び越え、別の何かになることができた仮面の男が。
50年かけても飛び越えることが出来なかった見えざる境界線を飛び越えた、とあっさり言い放った黒衣の男が。
(凡百な人間?俺は人間にさえなれないっていうのに?)
クリスは憎かった。『人間』を捨てた目の前の敵が。
翠星石のように、元々人間でない存在は許容できる。
それどころか、彼女の話を聞くに薔薇人形たちは完璧な少女(アリス)となるためにアリスゲームという物に参加していたらしい。
自分と同じだ、クリスは彼女の話を聞きながら親近感さえ持っていた。
それに対してこの男はどうだ。よりにもよって人間を止めただなんて!
殺す。こいつは今から自分の敵だ。
目の前の男がどれほど強くても、勝てる見込みが無くても何の問題もない。ノープロブレムだ。
人間ではない。その一点が分かっていればあとは何も関係ない。
殺しに対する後ろめたさも、忌避感も霧を払うように消えていく。
清々しい気持ちだ。
翼を痛めていた鳥が再び大空を翔ることが出来たような。
何年も音信不通だった親友と、見知らぬ土地で再会したような。
久方ぶりの殺しの感覚が脳内で踊る。
強い相手を倒し、自分たちホムンクルスが人間よりも優れていることを確認していたあの頃を思い出す。
今、俺は『魔王』という種を超えるために再び血の雨を降らそう。
何処かで聞いたようなフレーズが頭をよぎる。
それは劇場だったか、映画館だったか、はたまた群衆の中で行われる一欠片の会話だったのか。
思い出せないが、今この場で言う最も相応しい言葉だ。
奇しくもそれは、彼の一番恐れている赤髪の男がとある仕事で用いた台詞。
「お楽しみはこれからだ」
だれよりも自然を愛する不自然な赤目の男は、この地で初めて本気を出した。
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最終更新:2012年12月05日 02:30