「……あなたに用事? その人が?」
謎の男・ブラウを伴って帰って来たアンに、京が口にした第一声はそんな言葉だった。彼女も紅も、降りて来たアーサーも、
ヴァイスそっくりなその風貌を見て一瞬瞠目、あるいは警戒を露わにしたものの、いくらかおいて別人とわかり、緊張が緩んだ。
とはいえ、不審な人物であることには変わらないため、ある程度の警戒は解かなかった。
しかし、当のブラウは全く意に介さず、京に向けて言った。
「
隠 京だな? お前の執事の力を借りたい」
「なぜ? 場合によっては許可できないわよ」
断固とした意志を込めて京は言い放ったが、ブラウはこれにも怯む様子をまるで見せない。
「有体に言えば、ある少女を助けるためだ」
「助ける?」
いきなり事情が変わって来た。人助けのためにアンの力を借りたい、とはどういうことか?
その旨を問うと、ブラウはやはり、調子を崩さずに言った。
無論知っていた。一線を退いたとはいえ、京はアースセイバーに名を連ねた身。そして、紅たちは情報屋だ。それくらいは知っていた。
そして彼女たちは、スザクが今どのような状態にあるのかも知っていた。
だが、ブラウの言葉は、彼女たちの認識を大きく上回るものだった。
「彼女の意識は、今、刻々と消滅に向かっている。憑依している母親の精神に呑まれつつあるのだ」
「な!?」
「それは……事実ですか」
絶句する京、驚きつつも問うアン。
「事実だ。俺の眼に間違いはない」
ブラウの目に宿る異能―――インサイトシーイング。あらゆるものを「見る」それを使えば、何が起きているのかを知るくらいは容易いことだ。
「で、ですが……そのためにアンさんの力が必要、と言うのは?」
未だ衝撃から覚めない京に代わり、その対面に座っていた紅が問いかける。
「彼女の力は知っているだろう。あらゆるものを『開く』力だと」
「確かに知っていますが……」
「それが不可欠だ、というだけだ。悪いが、もはや時間がないのでな。多少強引な手段に訴えてでも、その力を貸してもらう」
京やアンは気づかなかったが、職業柄人より鋭敏な感覚を持つ紅は、ブラウの言動……全く変わらないように見えるその裏に、明確な焦りがあるのを感じ取っていた。
「ブラウさん、と仰いましたね。時間がないというのは?」
これには、ブラウはわずかに、しかしはっきりと焦燥を表した。
「文字通りだ。火波 スザクの人格消滅までのタイムリミットは、あと60時間を切っている。手を打つなら今夜でないと間に合わん」
「!?」
「時間内ならいい、というわけではないのだ。彼女の人格に影響を与えることなく助けるには、今日の真夜中までに手段を講じねば手遅れになるのだ」
降って沸いた危機の報せ――――だが、京は迷った。スザクに対して特段の思い入れがあるわけではない。もうすぐ消えるとわかった以上、同情の気持ちもないではなかったが、元々彼女は死んだも同然だという。ならば、このままでも―――。
「京様」
「何、アン?」
「僭越ながら私見を述べさせていただきますが……私は、この件に協力するつもりでいます」
「え!?」
アンの言葉に、京はまた驚いた。
「ど、どうして?」
「覚えておいでですか? 京様は以前、行き倒れていた私を拾い、救ってくださいました。
同じように、私もまた、誰かを助けたいのです。ことに、私の」
言いながら、アンは自分の左手を右手で包むようにする。
「この力が、必要なのであれば」
「…………」
しばしの沈黙。やがて、京が言った。
「……いいわ。やって見なさい、アン」
「ありがとうございます」
主の許しを受け、一礼するアン。事態が進展したのを見て、ブラウが口を開いた。
「では、これから火波家に行ってくれ。俺の予想では、そろそろ母親の方が異変を感知するはずだ。俺はまだ、行くところがある」
言って、ブラウは情報屋を後にする。が、立ち去り際、物言いたげな紅に向けてこう告げた。
「邪魔をした代わりではないが、一つ教えておこう」
「何ですか?」
「
虎頭 ハヅル、と言ったか? あの男が戦ったのは、恐らくだが、お前に縁のあるものだな」
「え?」
どういうことですか、と問おうとしたその時には、ブラウの姿は既にパタン、と閉じられた扉の向こうに消えていた。
時同じくして、白波家。
ようやく調子を取り戻したランカは、アカネ、
アズール、マナ、そして新しく加わったミレイと共にテーブルを囲んでいた。
「調子はよさそうね、ランカ」
「うん。まだちょっとだるいけど、大丈夫だよ」
「マスター、無理はせんとってください」
「アズールの言うとおり。体が弱いんだから、ただでさえ」
「あはは、ありがとう二人とも。無理はしないから」
言いつつ、ランカはアズールの隣に座る少女・ミレイに目を向ける。
「あなたがミレイちゃん? アズールから聞いたよ。私はブランカ、よろしくね」
「……よろしく」
おずおずと頭を下げるミレイ。まだ新しい環境に慣れていないのがありありとわかったが、ランカはだからこそにこやかに接する。
「ん、ありがとう」
アズールを加えてしばし盛り上がったが、ふと、マナの呟いた言葉がその場に沈黙を降ろした。
「……大丈夫かしら、スザク」
「…………」
ランカや琴音、アオイ、トキコがそうであるように、マナもまた、スザクを案じていた。
「私が探った時も、スザクの心がつかめなかった……闇ばかり……」
「や、やっぱり、スザクさんはもう……」
「アズールッ!! それ以上はダメ!!」
珍しくアズールを怒鳴りつけるランカ。反動でせき込み、席を立ったアカネに背をさすられながらも言葉を切らない。
「ぅ、ぅっ、えはっ、けほ……っ、綾ちゃんは死んでなんかない、死んでなんかいな、いよ! 絶対、帰ってくる、んだから……」
「す、みません、マスター……」
恐縮して小さくなるアズール。目を丸くするミレイをよそに、マナが言う。
「昨日少し見たけど、琴音さんの存在が大きすぎて……」
「的を得ているな、その指摘は」
『!?』
突然家の中に声が響いた。見ると、玄関にいつのまにか男が立っていた。その姿を、マナは二度、見たことがあった。
「
ブラウ=デュンケル……!? なぜ、ここに……」
「無論、お前の話していた件についてだ、今な」
いぶかしげな視線を向けつつも、マナは違和感を拭いきれないでいた。否、これは違和感というより、共感に近かった。
確かに、この男をどこかで見たような記憶があるのだ。
だが、それに意識を向ける余裕もなく、ブラウは言う。
一言だけの問いに、ブラウはやはり平静に返す。
「火波 スザクを呼び起す。そのために、お前達の力が必要だ」
そして、ブラウが語った事実……スザクの精神が、あとわずかな時間で消えてしまう、という事実を聞き、ランカはショックのあまり気を失いかけ、アズールとミレイが大慌てで支え、気を落ち着かせていた。一方のマナも衝撃を受けていたが、それでも何とかパニックに陥るのだけは堪え、さらに問いを重ねた。
「……それで、私達に何をさせたいの」
「火波の家に行ってもらう。後で、そこで説明する。俺はこの後、もう一人、二人、呼ぶべき相手がいる」
「……
シュロ?」
その問いに、ブラウは小さく首を振った。
「彼女の許には、既に別の者を向かわせている。俺は、スザクに縁の深いもう二人を呼びに行く」
それで勘付いた。恐らくトキコと
シスイのことだ。
ブラウは室内の時計をちらりと見て言った。
「15時か。彼らが来るかはわからんが……ともかく、向かってくれ。時間はもう残されていない」
暗躍のブラウ=デュンケル
(朱雀を再び羽ばたかせる)
(そのために飛び回る、男)
(その真意は――――)
「これは俺の……そして彼の、切実な願いだ」
最終更新:2012年12月28日 15:25