――――からだが熱い。
息が苦しい。
まるで何かにからだをぺしゃんこにされてしまいそうな感覚。
逃げ出したい。
そう思っても動けない。
私の腕と足には鎖。周囲には魔法陣。
そして、逃げようと思った私の心を縛るわけのわからない義務感。
逃げられない、私は絶対逃げられない。
この状況から、この苦しみから、何があろうと絶対に。
「・・・けふ」
血を吐く。
鎖に繋がれた私の腕はそれを拭うことすらできない。
次々と溢れ出てくる血の味を否応なく味わいながら、願うことはひとつだけ。
「・・・・・だれか・・・・・・」
――――――――ダレカ、タスケテ。
息が苦しい。
まるで何かにからだをぺしゃんこにされてしまいそうな感覚。
逃げ出したい。
そう思っても動けない。
私の腕と足には鎖。周囲には魔法陣。
そして、逃げようと思った私の心を縛るわけのわからない義務感。
逃げられない、私は絶対逃げられない。
この状況から、この苦しみから、何があろうと絶対に。
「・・・けふ」
血を吐く。
鎖に繋がれた私の腕はそれを拭うことすらできない。
次々と溢れ出てくる血の味を否応なく味わいながら、願うことはひとつだけ。
「・・・・・だれか・・・・・・」
――――――――ダレカ、タスケテ。
「安らぎ」
そこで、眼が覚めた。
「・・・・・・・ッ!」
跳ね起きて、自分の身体を抱く。
呼吸が荒い。
パジャマが嫌な汗で湿っている。
心臓が馬鹿みたいに跳ね回っている。
「な、何よ・・・・・なんなのよ・・・・・・・?」
呟いた声も震えている。
本当に、ワケがわからない。
あの夢は、なんなのだろう。
心当たりがまったくない。
覚えがない、けれど確かに、あの夢の中で苦しんでいるのは自分だった。
そうでなければ、こんなに体が震えたりしない。
でもやっぱり記憶がない。
記憶がないのに、恐ろしい。
いや――――記憶がないから、恐ろしい。
どうして私は、幼いころの記憶が空っぽなのだろう。
嘘でもいい、思い込みでもいい、何か、ひとつでも記憶があれば。
きっと――――きっと、こんなのはただの夢だと笑い飛ばせるのに。
「・・・あ、アスナ起きたん?」
不意に声をかけられて体が竦む。
それが聞き慣れた声だと判別するまでに少し間を空けてから、ゆっくりとその声の主のほうを見る。
「・・・・・・この、お?」
「おはよアスナ。 ・・・って、もうお昼近いんやけどね」
困った顔で笑いながら、ゆっくりと、いつもどおりに私のベッドに近寄ってくる。
「もー、アスナってば日曜やからってちょっと寝坊しすぎやで」
ちょっと嫌味を言っても私に殴られない距離で立ち止まり、腕組みをして、ため息。
そのしぐさのどれもこれもが、私が寝坊したときに木乃雄が取る行動と同じで。
その“いつもどおり”が、なぜか今日は、どうしようもなく懐かしくて、何よりも大切だと思えて。
気がついたら、
「・・・あ、アスナ?! どないしたん!?」
ぽろぽろと、泣いていた。
突然泣き出した私の様子に驚いた木乃雄が、慌ててベッドに駆け寄ってくる。
その間も私は、木乃雄の顔を見つめたまま、何も言わずに泣いていた。
木乃雄が二段ベッドにかけられたはしごを上り、私のベッドに上がって心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「なぁアスナ、なんかあったん? 僕でよかったら言うてみて、な?」
努めて優しく、柔らかく。
木乃雄の気遣いに満ちた声がなぜだかとても嬉しくて、泣いてる自分がみっともなかった。
「・・・・・・わかんない」
「え?」
「なんで泣いてるか、わかんないの。 木乃雄の顔見たら、なんでかわかんないけど、勝手に涙がぼろぼろ出てきちゃって。 ごめん」
涙を袖でこすりながら、そっけない言葉で謝る。
本当にどうかしてる、自分でも理由がわからずに泣くなんて。
まだ涙を溢れさせる眼をごしごしこすって、ちゃんと木乃雄の顔を見て謝ろうとした、そのとき。
「――――ひゃっ?」
不意に体が引っ張られて、何かに顔を押し付けられた。
そのまま頭を押さえつけられる。
涙も引っ込むくらい真っ白になった私の頭が、木乃雄に抱きしめられているということを認識するまで数秒かかった。
「・・・・・・怖い夢、見たんやな。 大丈夫・・・大丈夫やからな・・・・・・」
とくん、とくん。
背中を撫でる大きな手のひら。
押し付けられた木乃雄の胸から聞こえる心臓の音
暖かくて優しいその二つを感じているとまた、優しい声が降ってくる。
「僕がおるから、ちゃーんと僕がそばにおったるから。 やから、大丈夫、大丈夫やで、アスナ」
どき、どき、どきどきどき。
木乃雄の声を、木乃雄の手のぬくもりを、木乃雄の静かな胸の鼓動を。
それら全部を感じていると、自分でもはっきりわかるくらい、心臓がどんどん高鳴って。
「やから・・・な、泣いたあかん、泣いたら、あかんよ。 泣きそうになってもーたら、僕に言うて。 そんときは・・・またこんな風に、ぎゅーって、したるから」
「・・・うん・・・うんっ・・・・・・!」
返事とは裏腹に、涙がぼろぼろとこぼれてしまう。
でも、私が泣いてるのはさっきまでと同じだけど、こぼれる涙はさっきまでのとは全くの別物だ。
だって、さっきまではどうして自分が泣いてるのかわからなかったけど――――今は、木乃雄の優しさが嬉しくて、嬉しくて仕方がないからとわかるから。
だから、私は。
「えぅ・・・・ぐすっ・・・・・うぅぅ・・・・・・・」
木乃雄の胸にすがったまま、気が晴れるまで泣いていた。
泣いて、泣いて、泣き続けて。
ようやく泣き止んだ私が、そっと顔を上げると。
いつもよりも優しく、優しく微笑んだ木乃雄の顔がそこにあって、また涙腺がゆるみそうになるのを必死で抑えた。
「・・・もう、大丈夫みたいやね、アスナ」
「――――うん、ありがと、木乃雄」
木乃雄の問いに、ちょっとはにかんで、答える。
「かまへんよ、これくらい。 ・・・あ、アスナおなか空いたやろ、あんなけ泣いたもんな。 すぐ作るから待っとってや」
そういって、木乃雄がベッドから降りていく。
同じ部屋の中を移動するだけなのに、その背中がなんだか凄く遠くに行ってしまうような気がして。
「・・・ねぇ、木乃雄」
「んー? なんやアスナ」
いつの間にか、訊いていた。
「あの、さ・・・・・・木乃雄は、急にいなくなっちゃったりなんて、しないよね?」
口にしてから、何を言ってるんだろう、と後悔する。
そんなことを訊いてどうするんだ、未来のことなんて誰にもわかるはずがない。
案の定、木乃雄は最初はぽかんとして、次に真面目に考え込んで――――最後に、私に向かってにっこり笑った。
「・・・もう、そんなことするわけあらへんやろー? 僕がアスナのことほったらかしておらんくなるなんてありえへんよ」
断言した。
今度は私が呆然とする。
どうして?どうしてそんな風に言い切れるの?
未来っていうのは空っぽだ、はっきりしたことなんて何もない。
そう――――まるで私の記憶のように。
ぽっかり欠けた、幼い日の記憶。
その記憶を思い出そうとしたときの不安は忘れない、忘れようがない。
未来だって同じだ、未来の自分がどうなるか、考えただけで不安でしょうがない。
なのに、どうして木乃雄は、『絶対にない』なんて言い切れるのだろう。
「――――なんで? なんでそんな風に言えるのよ?」
ベッドから飛び降りて、詰め寄る。
といっても、眉根を寄せて仁王立ちするくらいだけど。
それでも木乃雄はにこにこ笑って、一、二、三歩で私の目の前まで近づいて。
「簡単や、そんなん」
私の顔を覗き込むようにして、私の肩に手を置いて。
「・・・・・・・ッ!」
跳ね起きて、自分の身体を抱く。
呼吸が荒い。
パジャマが嫌な汗で湿っている。
心臓が馬鹿みたいに跳ね回っている。
「な、何よ・・・・・なんなのよ・・・・・・・?」
呟いた声も震えている。
本当に、ワケがわからない。
あの夢は、なんなのだろう。
心当たりがまったくない。
覚えがない、けれど確かに、あの夢の中で苦しんでいるのは自分だった。
そうでなければ、こんなに体が震えたりしない。
でもやっぱり記憶がない。
記憶がないのに、恐ろしい。
いや――――記憶がないから、恐ろしい。
どうして私は、幼いころの記憶が空っぽなのだろう。
嘘でもいい、思い込みでもいい、何か、ひとつでも記憶があれば。
きっと――――きっと、こんなのはただの夢だと笑い飛ばせるのに。
「・・・あ、アスナ起きたん?」
不意に声をかけられて体が竦む。
それが聞き慣れた声だと判別するまでに少し間を空けてから、ゆっくりとその声の主のほうを見る。
「・・・・・・この、お?」
「おはよアスナ。 ・・・って、もうお昼近いんやけどね」
困った顔で笑いながら、ゆっくりと、いつもどおりに私のベッドに近寄ってくる。
「もー、アスナってば日曜やからってちょっと寝坊しすぎやで」
ちょっと嫌味を言っても私に殴られない距離で立ち止まり、腕組みをして、ため息。
そのしぐさのどれもこれもが、私が寝坊したときに木乃雄が取る行動と同じで。
その“いつもどおり”が、なぜか今日は、どうしようもなく懐かしくて、何よりも大切だと思えて。
気がついたら、
「・・・あ、アスナ?! どないしたん!?」
ぽろぽろと、泣いていた。
突然泣き出した私の様子に驚いた木乃雄が、慌ててベッドに駆け寄ってくる。
その間も私は、木乃雄の顔を見つめたまま、何も言わずに泣いていた。
木乃雄が二段ベッドにかけられたはしごを上り、私のベッドに上がって心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「なぁアスナ、なんかあったん? 僕でよかったら言うてみて、な?」
努めて優しく、柔らかく。
木乃雄の気遣いに満ちた声がなぜだかとても嬉しくて、泣いてる自分がみっともなかった。
「・・・・・・わかんない」
「え?」
「なんで泣いてるか、わかんないの。 木乃雄の顔見たら、なんでかわかんないけど、勝手に涙がぼろぼろ出てきちゃって。 ごめん」
涙を袖でこすりながら、そっけない言葉で謝る。
本当にどうかしてる、自分でも理由がわからずに泣くなんて。
まだ涙を溢れさせる眼をごしごしこすって、ちゃんと木乃雄の顔を見て謝ろうとした、そのとき。
「――――ひゃっ?」
不意に体が引っ張られて、何かに顔を押し付けられた。
そのまま頭を押さえつけられる。
涙も引っ込むくらい真っ白になった私の頭が、木乃雄に抱きしめられているということを認識するまで数秒かかった。
「・・・・・・怖い夢、見たんやな。 大丈夫・・・大丈夫やからな・・・・・・」
とくん、とくん。
背中を撫でる大きな手のひら。
押し付けられた木乃雄の胸から聞こえる心臓の音
暖かくて優しいその二つを感じているとまた、優しい声が降ってくる。
「僕がおるから、ちゃーんと僕がそばにおったるから。 やから、大丈夫、大丈夫やで、アスナ」
どき、どき、どきどきどき。
木乃雄の声を、木乃雄の手のぬくもりを、木乃雄の静かな胸の鼓動を。
それら全部を感じていると、自分でもはっきりわかるくらい、心臓がどんどん高鳴って。
「やから・・・な、泣いたあかん、泣いたら、あかんよ。 泣きそうになってもーたら、僕に言うて。 そんときは・・・またこんな風に、ぎゅーって、したるから」
「・・・うん・・・うんっ・・・・・・!」
返事とは裏腹に、涙がぼろぼろとこぼれてしまう。
でも、私が泣いてるのはさっきまでと同じだけど、こぼれる涙はさっきまでのとは全くの別物だ。
だって、さっきまではどうして自分が泣いてるのかわからなかったけど――――今は、木乃雄の優しさが嬉しくて、嬉しくて仕方がないからとわかるから。
だから、私は。
「えぅ・・・・ぐすっ・・・・・うぅぅ・・・・・・・」
木乃雄の胸にすがったまま、気が晴れるまで泣いていた。
泣いて、泣いて、泣き続けて。
ようやく泣き止んだ私が、そっと顔を上げると。
いつもよりも優しく、優しく微笑んだ木乃雄の顔がそこにあって、また涙腺がゆるみそうになるのを必死で抑えた。
「・・・もう、大丈夫みたいやね、アスナ」
「――――うん、ありがと、木乃雄」
木乃雄の問いに、ちょっとはにかんで、答える。
「かまへんよ、これくらい。 ・・・あ、アスナおなか空いたやろ、あんなけ泣いたもんな。 すぐ作るから待っとってや」
そういって、木乃雄がベッドから降りていく。
同じ部屋の中を移動するだけなのに、その背中がなんだか凄く遠くに行ってしまうような気がして。
「・・・ねぇ、木乃雄」
「んー? なんやアスナ」
いつの間にか、訊いていた。
「あの、さ・・・・・・木乃雄は、急にいなくなっちゃったりなんて、しないよね?」
口にしてから、何を言ってるんだろう、と後悔する。
そんなことを訊いてどうするんだ、未来のことなんて誰にもわかるはずがない。
案の定、木乃雄は最初はぽかんとして、次に真面目に考え込んで――――最後に、私に向かってにっこり笑った。
「・・・もう、そんなことするわけあらへんやろー? 僕がアスナのことほったらかしておらんくなるなんてありえへんよ」
断言した。
今度は私が呆然とする。
どうして?どうしてそんな風に言い切れるの?
未来っていうのは空っぽだ、はっきりしたことなんて何もない。
そう――――まるで私の記憶のように。
ぽっかり欠けた、幼い日の記憶。
その記憶を思い出そうとしたときの不安は忘れない、忘れようがない。
未来だって同じだ、未来の自分がどうなるか、考えただけで不安でしょうがない。
なのに、どうして木乃雄は、『絶対にない』なんて言い切れるのだろう。
「――――なんで? なんでそんな風に言えるのよ?」
ベッドから飛び降りて、詰め寄る。
といっても、眉根を寄せて仁王立ちするくらいだけど。
それでも木乃雄はにこにこ笑って、一、二、三歩で私の目の前まで近づいて。
「簡単や、そんなん」
私の顔を覗き込むようにして、私の肩に手を置いて。
「――――こんな可愛いアスナをほっとくなんて、僕にはできひんよ」
そういって、優しくキスをした。
そういって、優しくキスをした。
「なっ・・・・・・・・・・・!?」
なんって恥ずかしいことをさらっと。
ダメ、私こういうのダメ恥ずかしすぎる。
もう自分でもわかるくらい火照って真っ赤になった顔で口をぱくぱくさせる私を、木乃雄はにこにこ見つめている。
何か文句のひとつでも言ってやる、そういうつもり、だったけど。
「・・・・・・・もう」
にこにこ笑ってる木乃雄の顔を見てたら、なんだかどうでもよくなった。
まぁ、今回だけは許してやろう。
そもそも私が変なことを聞いたのが原因だし。
それに――――凄く凄く、安心できたし。
だから。
「・・・ありがと、木乃雄」
私は、素直に、心の底から、お礼を言った。
「・・・どういたしまして」
そういって笑う木乃雄の顔は、いつもどおりの、私の心を安らげる笑顔だった。
なんって恥ずかしいことをさらっと。
ダメ、私こういうのダメ恥ずかしすぎる。
もう自分でもわかるくらい火照って真っ赤になった顔で口をぱくぱくさせる私を、木乃雄はにこにこ見つめている。
何か文句のひとつでも言ってやる、そういうつもり、だったけど。
「・・・・・・・もう」
にこにこ笑ってる木乃雄の顔を見てたら、なんだかどうでもよくなった。
まぁ、今回だけは許してやろう。
そもそも私が変なことを聞いたのが原因だし。
それに――――凄く凄く、安心できたし。
だから。
「・・・ありがと、木乃雄」
私は、素直に、心の底から、お礼を言った。
「・・・どういたしまして」
そういって笑う木乃雄の顔は、いつもどおりの、私の心を安らげる笑顔だった。