魂響




孤島の海岸線、北東部から東南東部にかけて緩やかに伸びる丘陵には、
かつて亜炭を産出していた横穴が至るところに穿たれており、
地図に記されている神社は、この丘陵の南端に鎮座している。

石畳の参道に掲げられた御由緒書きに拠るならば。
祭神に五十猛命(いたけるのみこと)。
配祀に大屋津姫命(おおやつひめのみこと)抓津姫命(つまつひめのみこと)。
海路、街道の安全を祈願される三柱の兄妹神を据えた、
佐渡に本宮を置く、度津神社の分社である。



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【19:30】

その朱塗りの大鳥居の下に。
けふ、けふ。
空咳が響いていた。

「のう紫苑。行けるかの?」

式守伊吹の目線の先に伸びるのは祭殿へと続く石段。
彼女が大雑把に見当をつけた段数は、約80段。
夜風が厳しさを増すにつれ憔悴の色を濃く表す同行者に、
その石段を登ることが出来るか否か、問うたのだ。

「伊吹ちゃん、私を心配してくれるんですね!
 なんて優しくてちっちゃくて可愛いんでしょう!」

伊吹の頭部を両の腕で絡め取り、袂に抱くは十条紫苑。
心底嬉しげにかき抱く紫苑の思いは届かぬらしく、
伊吹は小さな四肢をばたつかせて愛玩の中断を要請している。

「だっ、黙りおれ紫苑。 私はそなたの心配などしておらん。
 足手まといのそなたを心置き無く捨てるために、
 仕方なく雨風をしのげる場所を探してやっているだけだ。
 それと――― ちっちゃいは関係なかろうが!」

伊吹の乱雑な物言いに、しかし紫苑の表情は曇らない。
それどころか、ますます抱擁を強めることで答えた。
紫苑にはわかっているのだ。
伊吹は、自分を気遣っているのだと。

十条紫苑は、人を読む。

表情、仕草、呼吸、言葉、etc。
観察対象の様々な表れから得られた情報を一瞬にして統合し、
色彩情報として組み替えることで、視覚として人品や感情を把握する。
俗な言い方をするならば、紫苑は【オーラ】が見えるのだ。

それは既に異能と言って良い程の能力であり、
サーヴァントシステムを構築した魔術師たちであれば、
こう、分類するであろう。

  【魔眼(直感視):ランクB】

その魔眼に、伊吹は如何に映ったのか?

オーラは、黄味の強い橙色。
   ―――大胆な行動力と論理的な知性と緻密な思考の同居。
立ち昇る範囲も大きく、揺らぎは少ない。
   ―――責任感と矜持に満ち、自負心が強い。
ところどころに茶色が凝り固まっている。
   ―――頑ななものを抱え、素直になれぬ性質。
紫苑に向けられる感情色は、時に黄色、時に若草色。
   ―――戸惑いと、好意の同居。

それを、紫苑的に統合し翻訳すると、こうなる。
   ―――背伸びしてる頭でっかちのカワイイ子。

故に紫苑は、伊吹を信頼し。
故に紫苑は、伊吹を構うのだ。



「で、行けるのか行けんのか!?」

ようやく紫苑の袂からの脱出を果たした伊吹が、
暴れているうちに落とした白い帽子を拾い上げつつ、
紫苑に再度問うた。

「このくらいなら大丈夫です」

伊吹からの空気に若干の苛立ちの色を認めた紫苑は、
それ以上ふざけることなく答え、階段を登り始める。
伊吹も無言でそれに倣った。

そうして二十段ほど登ったあたりから、
二人の表情に怪訝なものが表れ始めた。
歩みを進めながら、きょろきょろと左右を見回し始めた。
神社には似合わない、石材製の構造物が気になるからだ。

墓石である。
墓石が疎らに、並んでいるのである。

「……ここは神社であるよな?」
「そのはずです」

思わず振り返り、振り仰ぐ二人の視界には、
紛れも無い朱塗りの鳥居が存在感を示していた。

「まあ、そのようなこともあろう」

一拍置いて伊吹は、違和感を飲み込んで進むことに決めた。
歩み始めた伊吹に数歩遅れて、紫苑が後を追う。



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あの御由緒書きには続きが有った。

寺院の建立は不肖なれど、鎌倉以前の風土誌にその名が記されている。
神社の造営は明治三年。
大教宣布の発布前に、いち早く廃仏毀釈を予感した時の住職が、
知己有る度津神社よりの勧請を受け、造営。
島ぐるみで政府の目を欺き、法難をやり過ごした、と。

即ち。
ここは近代型の【神宮寺】である。



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次なる違和感は聴覚にもたらされた。
五十段も登った頃からだろうか。

 ―――不去不来 不起不住

聞こえてくるのである。
読経の声が。
目指す石段の向こうから、風に乗って、幽かに。

「妙な先客がおるようであるな」
「戻りましょうか?」
「いや、会ってみるとしよう」

経を唱えるということは、死者を悼んでいるということ。
であれば、殺し合いに乗っていない可能性が高かろう。
伊吹は己の分析をかいつまんで紫苑に説明し、紫苑は黙して頷いた。

 ―――請観前古 佛道垂成

ついに二人は階段を登りきる。

正面に神楽殿。
その向こうに拝殿。
手前に手水鉢。
右手に鐘楼。
その奥に五輪塔。
左手には、寺院があった。

読経が聞こえてくるのは左手の寺院・本堂。
扉は大きく開かれ、最奥に鎮座する立木彫りの阿弥陀如来像が、
蝋燭の明かりに艶かしく照らし出されていた。

 ―――射中百歩 箭鋒相値

如来像の手前に、僧衣一式を身に纏った男がいた。
読経は、この男の物であった。
中肉中背。やや長めのざんぎり頭。
後姿は若く見えるが、この堂に入った住職ぶりを見るに、
以外と年嵩なのやも知れぬ。

 ―――巧力何預 木人方歌

伊吹が無言でコルト・パイソンのトリガーを握った。
銃身は痛いほど冷えていた。
出来れば撃たないで済ませたいが、撃つべきときは躊躇わず撃つ。
伊吹はとうに覚悟を持っている。
この島に召還される前から持っている。

 ―――石女起舞 非情識到

伊吹は石畳を外れ、玉砂利の上を歩いた。力強く。
さすさすと、踏みしめる音が大きく響く。
近づく者の存在をあえて知らせ、相手の出方を窺う。
伊吹はそうして相手を見極めようとしている。

 ―――寧容思慮 臣奉於君

しかし背を向けて座す堂内の何者かは、反応を示さなかった。
それとも、周りの音など耳に入らぬほど、読経に集中しているというのか。

 ―――子順於父 不順不孝

緊張感に耐えかねてか、夜風がよほど障るのか。
紫苑が数度、咳き込んだ。
男の読経はそれでも止まず、乱れない。

 ―――不奉非輔 潜行密用

伊吹がお堂の入口に立つ。
薄い月明かりに伸びる影が座したる男まで届く。
気付いていないはずがない。
はずがないが振り返らない。

 ―――如愚如魯 只能相続
 ――――――――名主中主。

遂に男は、宝鏡三昧を読み終える。
余韻、幾許か。
男は座したまま器用に反転し、伊吹と紫苑に正対した。

柳洞寺住職が次男、柳洞一成。

眼鏡の奥に理知的な光を宿らせた少年であった。
年齢不相応な落ち着きを感じさせる相であった。

「お待たせしました。どうぞお上がり下さい」

言葉と共に、深々と一礼。
少年は、読経時の張り詰めたそれとは違い、
深みと温かみを持った声で歓待の意を告げた。

(なんて澄んだ……)

紫苑は、少年のあまりに透明なオーラに嘆息する。
見惚れた、と言って良い。
雪解け水の如き清冽な透明感を伴った青色が、
空気まで清浄にしているような錯覚に囚われた。

「庫裏の方へ。お茶でも淹れましょう」

一成は静かに立ち上がり、伊吹と紫苑を本堂の奥へと手招いた。



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【20:30】

伊吹と紫苑に、湯気の立つほうじ茶が沁みた。
夜風に冷えていた体に。
自覚せぬ緊張に昂ぶっていた心に。
一成は何を話すでもなく、二人が落ち着くのを待っていた。

その後、自己紹介は和やかに行われ、情報交換は滞りなく済まされ。
今後の行動に話が移る段で――― やにわに空気が硬直した。

「死なない為に生きる。死なない為に殺す。
 己がその輪に入ることは無い。
 坊主として。ただ坊主として。
 終わりのくるその時まで生きてゆこうと思う」

きっかけは、一成のこの言葉であった。
噛み付いたのは、伊吹であった。

「ふん、逃げか」

眼差しは冷ややかに。物言いは吐き捨てるかの如く。
その態度とは裏腹に、伊吹は激怒していた。
何が伊吹の逆鱗に触れたのかは紫苑にも分からぬ。
しかしオーラは烈火の色と勢いを持って立ち昇っていた。

「……そのように受け取られるのも詮無きことではあるが、
 俺は、生死より大切な物を優先しているだけなのだ」
「生死より大切な? ふざけるのも大概にせよ!」

伊吹が懐より抜き出したのはコルト・パイソン。
照準を合わせたのは一成の眉間。

「柳洞。そなたは己を傍観者と据えることで目を逸らしておるがな。
 この銃口こそが、この島の現実であるぞ。
 それでもまだそなたは、死ぬのが恐ろしくないと嘯くか?」
「いや、十二分に恐ろしい。
 見てくれ、このみっともなく震える膝を。
 気を張っていなければすぐにでも崩れ落ちてしまいそうだ」

一成は素直に認めた。
認めたが認めなかった。

「当然死ぬのは怖い。殺されるなら尚のことだ。
 ただな、式守。
 それでも、だ。
 それでも、殺されることよりも怖いことがある」



公案、というものがある。

禅宗の一派の修行法の根幹であり、仏教の、
【信じる】のではなく【考える】宗教としての側面を
如実に顕している手法でもある。

 ―――鳴かぬ烏はなんと鳴くか?
 ―――片手の音声とは如何なる音か?

すなわち、問いだ。
理不尽で答えようの無い問いだ。
何日もの間、不眠不休で案じる問いだ。
己の全てを問いで満たす問いだ。

柳洞寺で修行僧と共に起居している一成は、
公案を日常として育ってきた。
そういう下地があったからなのだろう。

一成は、問うていた。
このゲームが始まってから今に至るまで自問していた。
死の予感を感じるからこそ、必死で思案していた。

 ―――己とは、何か

茫洋として答えは出なかった。
状況に心乱され、ときに思案を中断もしたが、
それでも問いを諦めることは無かった。

転機は、18:00に訪れた。

第一回放送で死亡者の名が告げられるや―――
思考するより早く、一成の口を経文がついた。
無意識である。
無の中で、一成は弔ったのである。

黎明の直前に響き渡った烏の鳴き声の如く。
竹箒が小石と小石を打ち鳴らしたが如く。

一成は己の什麼生を、行動によって説破できたのである。

 ―――己とは、僧職である



故に、伊吹への返答は迷い無く、淀み無い。

「僧職が、俺の本性なのだ。
 それを恐怖心や生への執着で失うことこそ、最も恐ろしい」

一成は確かに生物として、生存競争から逃避しているやも知れぬ。
しかし確かに人間として、尊厳を失わぬよう立ち向かっている。

この少年のオーラがなぜこんなにも澄んでいるのか?
紫苑は、銃を前に引かぬ一成の覚悟に、その理由を理解する。
そして、その道行きの峻厳さを思う。

恐怖も殺意も、溢れそうになる感情を全て飲み込んで。
ゲームに乗らず、己を貫く。
それはある意味、ゲームに勝ち残ること以上に難しいことではなかろうか。

「うむ。見事な覚悟である。
 そなたが逃げておるなどと侮辱したことを詫びよう」

伊吹はそれでも一成を認めない。
口先では詫びたが、その実、詫びてなどいない。
なぜならば伊吹は、未だ拳銃を下ろしてはいないのだから。
伊吹に認めさせるには、今ひとつの問いに答える必要があった。

「で、あるがな―――
 死者は、そなたを許すかの?」

一成のみならず、紫苑にも伊吹の発言の意図が掴めない。
疑問符を浮かべる二人に、伊吹は補足する。

「読み上げる経文にどれほど鎮魂の意が備わっておる?
 【俺が俺である】手段の為に、
 【弔いの形】を利用しておるのではないか?」

伊吹の鋭き舌鋒に、紫苑は息を呑んだ。
お前は自己の完結のみが大事なのではないのかと。
お前の祈りは自慰と同義なのではないのかと。
伊吹は問いの形で、一成を断罪したのだ。

受ける一成は、断罪に無実を訴えた。
いや、訴えるという表現は適切ではない。
一成は一成のあるがままを開陳した。

「俺が俺である為の手段として、死者を弔うのではない。
 死者を弔うものが俺なのだ、式守よ」

死者を悼む精神と送る儀式。
それに僧職という名がついているだけなのだと、一成は言い切った。
己にとっての僧職とはそういう存在なのだと、一成は言い切った。
眉間に銃を突きつけられながら、貫いた。

「だが式守。お前の思いは受け取った。
 俺の心が乱れれば、確かに目的と手段がすり変わる懸念がある。
 忠言として、深く心に刻もう」

一成は瞑目し、伊吹に深く頭を垂れた。
衷心からの感謝が溢れていた。

「ならば……」

呟きと共に、伊吹は銃の構えを解く。
底冷えのする怒りの感情が霧消していく。

「ならば…… 沙耶を弔ってやってくれんか?」

先程までの恫喝と傲岸不遜とは打って変わり。
震える声で、か細い声で。
伊吹は一成に、従者の鎮魂を請願した。



(それだったのですね―――)

紫苑の疑念が、すとん、と胃の腑に落ちる。
伊吹の激昂の根源は、死せる従者・上条沙耶であったのだ。

放送でその名が告げられたとき、伊吹は淡々と事実を受け入れていた。
涙のひとつも流さなかった。
しかし、今なら紫苑にもわかる。

本当は悲しかったのだ。
愛する身内の、死が。

殺戮者の影に気を配り緊張を強いる状況と、
式守の次期当主として強くあらねばならぬという意地が、
素直な感情に蓋を被せただけなのだ。

その伊吹の頑なさが、より頑なな一成に打ち砕かれた。
ただの片意地が本物の信念に触れて、その矮小さに気付かされた。

次期当主として、感情を露にするを否定していたとしても。
式守伊吹は悲しいのだと。
式守伊吹は泣きたいのだと。
伊吹は問答を通じて認めるに至ったのだ。

次期当主が、式守伊吹の本性なのではない。
式守伊吹が、式守伊吹の本性なのだ。

それが証拠に、紫苑の魔眼には、
伊吹が纏っているオーラの、凝り固まっている幾つかが、
溶けていく様が映し出されていた。
紫苑は知っている。
それは変化ではなく、成長なのだと。



 ―――如是之法 仏祖密附

ひずみのない枕経が庫裏に朗々と響く。

伊吹は帽子を目深に、本当に目深に被って。
上を向いて。
時折鼻を啜りながら、立ち尽くしていた。





【場所:島東・神宮寺】

柳洞一成(№61)
 【装備:S&W M500 05/05、独鈷所(New)】
 【所持品:S&W予備弾 30/30、法具一式(New)、支給品一式】
 【状態:健康】
 【思考:鎮魂】
  1)寺院に留まり、死者を弔う
  2)不戦を貫く

 ※寺院にあった僧衣に着替えました
 ※独鈷所等も寺院の中から入手


式守伊吹(№32)
 【装備:コルト・パイソン 06/06】
 【所持品:パイソン予備弾 24/24、支給品一式】
 【状態:健康】
 【思考:対主催(寄り)】
  1)沙耶の冥福を祈る
  2)信哉と合流
  3)この際すももたちでも構わん!

十条紫苑(№33)
 【場所:島東・神宮寺】
 【装備:ランダムアイテム(不明)】
 【所持品:支給品一式】
 【状態:病状やや悪化、激しい運動は不可】
 【思考:戦闘回避(寄り)】
  1)知人の冥福を祈る
  2)しばし療養
  3)瑞穂さんたちと早く合流したい




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ちっちゃな次期当主と大きなご令嬢 式守伊吹 プリミティブリンク?
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最終更新:2010年06月27日 17:20