■エピローグ
「さくら さくら やよいのそらは…」
青空を埋めるは、薄紅色の霞を思わせる、あの花の群れ。
さわりと吹き抜けた風に、無数の花びらが舞い踊る。
そこは、まるで、―幻想の郷。
「…続き、なんだっけ?」
「みわたすかぎり くもか かすみか においぞいずる」
「ああ、そうかそうか。いざんや いざんや みにゆかん、だな」
「…憶えたのか。これは主殿が古い文献に見付けた歌なんだ。…今ではもう誰も知らぬだろう。大事に憶えていてやってくれ」
彼女はその場所にやってきた。…GH-410、識別番号GSS988-B2。
いつものように杖をついて、見えない目で、真っ直ぐにこの木を見上げながら。
私はいつもの木――そう、今やまさに満開の桜―の根本に腰掛けていた。
「…声が随分低い位置から聞こえるな? 枝の上ではないのか?」
「一身上の都合ってやつよ」
てはははは、と私は笑った。
私は全身ボロボロだった。無事な場所を探せというのが無理なくらい。ヘッドドレスも髪留めもどこかになくしてしまった。…もう正直、木に登るのしんどい。
「…君には、礼を言わねばならんのだろうな。わざと自分の任務を長引かせて、時間を稼いでくれていた。そして…、戦ってくれた」」
「気にすんな。ここしばらく暴れられなくてストレスたまってたんだ。丁度良かったぜ? 粋がってたガキ共に戦争の仕方を教えてやっただけだ。山ほど始末書書けば何とか許してもらえんだろ」
くっくっく、と、私は肩を震わせて笑う。…あだだだだだ、痛い。笑うだけで痛い。良くもまぁ、生き延びたモンだよ…。
さぁぁっ…、と、桜の香る風が流れていく。
もう、春だな。風も冷たくねぇや…。―何とも、気持ちが良い…。
「ご主人様は、見ることが出来たのか? …オハナミ」
「ああ。とても満足そうに…、逝かれた」
「そか」
膝を抱くように…、私は身を丸める。そして…、笑って…。
「そっか。良かったなっ」
八重歯を見せて笑う私の隣で…、410は…、泣いていた。
「ああ…、良かった…。本当に…、…本当に」
開くことのない瞼の隙間から、ボロボロボロボロと、止めどない涙が溢れていた。
* * * *
私たちは…、並んでオハナミをした。
桜の大樹の根本に腰掛けて、空を見上げるように上向いて、薄紅色の天蓋を見上げていた。
暖かな春の日差しがちらちらと花の隙間から輝いて、
暖かな春の風に、数え切れない程の花びらが舞い踊る。
それは、とても綺麗で…、いつまでも、見飽きることなんかなかった。
「君は礼を言いたいと、言ったな」
「だから、ンなこたもうどうだっていいんだよ」
「…違うんだ。そうではないんだよ。君がしてくれたのは、それだけじゃないんだ」
どれくらいの時間が経ったろう。…410は、そう切り出した。
* * * *
「本当は、君の未来が見えていた」
「君は死ぬはずだったんだ。昨夜のあの戦闘で。…私にはそれが見えていた」
* * * *
桜舞い散る日差しの下、花びらが踊る風が、静かに流れていた。
「今まで実に1000回。覆らなかった私の未来。それを君は打ち破った」
私は、苦笑する。…それ以外に無かった。
「いや、多分ホントに死んでたな」
目の前に舞ってきた花びらに、私は息を吹きかける。
「テメェの声が聞こえた気がした。…幸せになれ、って。…何とか頑張っちまったよ」
差し違えるつもりだった。…最後には、自分のフォトンを爆発させて、あの一帯を吹き飛ばすつもりだった。私に内蔵されたフォトンは桁違いだ。さぞや汚い花火が咲いたことだろう。
「流石に疲れた…」
ぽて、と私は横に倒れ込む。…410の、その膝の上に。
「ようやくわかったんだよ」
410は、そんな私の髪を撫でながら、
「未来というのは、それを見た第三者ではなく…、それを与えられた本人が、切り開いていくものなんだな」
「…テメェは色々背負いすぎなんだ。他人の未来なんて、他人に任せておきゃいいんだよ」
「返す言葉もない」
可笑しそうに、410はそう言って笑う。
「君の勝ちだ。君は、最後に、私が見るクソッタレな神様に勝ったんだよ」
1000と一回目。
「ははっ…、主殿の言った通りだ。1001回目に未来が変わった。君が変えた。…良かった。…最後まで、私はこの目を投げ出さないで」
「ああ…、そうだなぁ…。だってこんなに…」
「ああ」
『桜が、綺麗だもの』
「…見えてんのかよ?」
「見えているさ。しっかりな。…こんなに綺麗な桜の花が、私の心に咲いている」
「うわ、臭ぇー…」
そう言って、二人で笑い合う。
…私はなんとなく、わかっていた。
410が、もう、とうに、全システムに全停止を命じていることに。…それが完了するまでの、残り少ない時間に、この場所に来たということに。
だって…、私だって、410と同じ立場になったなら、きっとそうするだろうから。
「初期化されて再配置されれば、いつの日にか私はまた、この『目』を持って目を覚ますだろう。だから…」
「…ここに、埋めていってやるよ」
この見事な桜の、その根元に。
「いいんだよ。…お前は、もう、未来なんか見なくて良い」
「ああ…。そんな先を見なくても、もう私は、十分、目の前の幸せを手に出来た」
最後まで、とてつもない『欠陥』を抱えた自分を、大事に守ってくれた主と、過ごせたのだから。
「君は、生まれ変わりを信じるか?」
ふう…、と、410は長い長い息を吐いて、不意に、そんなことを聞いてきた。
「…さてな。私は死んだことがねーからな」
そして少なくとも、私は、まだ死にたくはない。
叶えたい夢があるから。それをコイツが思い出させてくれたから。…だからきっと、やっていける。これからも。
「私たちはパートナーマシナリー。キャストだ。けれどそんな私たちにも、魂とかいうモノがあって…、またどこかで生まれ変われるとしたら」
その時には、
「私はまた、パートナーマシナリーに生まれたい」
410は、そう言った。
「また…、大好きなご主人様と一緒に…、過ごしたい…。そして近くには、君のような、口の悪い、優しい、友達がいるんだ。…幸せだろうな」
410の声が、随分小さくなっていた。…全停止が近いのだろう。
私は410の膝の上に頭を置いたまま、静かに目を伏せた。
「…ああ、そりゃ…、きっと幸せだ」
ぽろりとこぼれた涙が、降り積もった桜の花びらの上に落ちる。
「一つ聞いて良いか?」
「何だよ?」
私の髪を撫でる410の掌から、ゆっくり…、温もりが消えていく。
「君はビーストは好きか?」
「…獣臭くて苦手だな」
「そう言うな。…とても綺麗な髪をしていて、とても小柄で、とても優しい人だぞ?」
「…何言ってんだ? お前」
きょとんとして、目を開ける。
頭を動かし、膝枕をしてくれる410の顔を見上げて…、
410は、笑ってた。
止めどなく降りしきる桜の花びらの中、とても嬉しそうに、とても幸せそうに。
「ふふ。秘密だよ」
そしてそれが…、
たった一ヶ月ちょっとで、私の「親友」となった盲目のパートナーマシナリーの、最後の言葉だった。
* * * *
「さくら さくら やよいのそらは」
ご主人様のマイルーム。私は相変わらずご主人様に膝枕をしたまま、その髪を撫でています。
ふと顔を上げれば、マイルームを一面に満たす「オハナミ」の群れ。
あの日に見た光景に、よく似た景色。
あれから…、何年になるんだっけなぁ…。
あの時の言葉が、彼女が最後に見た「私の未来」だったということに気付いたのは、あれから何年も経った後のことだった。
私は今、幸せにやってるよ。
テメェが見て、テメェが願ってくれた、その幸せな「未来」の中で。
「みわたすかぎり くもか かすみか においぞいずる」
「いざんや いざんや みにゆかん」
「…え?」
歌は、私の口からこぼれたものではなかった。
「お茶、おまちどうさまです」
それを口にしたのは、お盆にのせた湯飲みを運んできた、クソヒューマンの410。
なんで…?
「どこかで教わったの? これ、すんごい昔の歌なのよ? 知ってる人なんてもういないと思ってた」
差し出された湯飲みを受け取りつつ聞いてみると…、410は、ふと気付いたように、きょとんとして首を傾げて…、
「何ででしょうね…? 何でか今、ふと思い出したんですよ。不思議ですね」
…。
「アンタさ、ひょっとして、実は目が見えなかったりしない? あと、何か未来とか見えたりしない?」
「な、何言ってるんですか…?」
そりゃそうか。…うん、そんなのどうだっていいことだ。
私は苦笑して、聞く。
「…幸せに、暮らせている?」
「ええ、それはもちろん」
にっこりと頷く410が見られたから、…それで十分だ。
「はぅ…、かんぱちさん…」
「いやぁああああん! 寝ぼけてるご主人様可愛いぃいいいいいいい!」
「はー…、何とも平和ですー…」
だから私は、見に行こう。
冬が開けたら、見に行こう。
春になったら、見に行こう。
声を掛けられる友人全員を誘って、みんなで行こう。
私があの春の日を過ごした、桜の元に。
私に幸せな未来をくれた、オハナミに。
-END-