水泳部ひとりぼっち
――俺はどんな場所だろうと泳げればいいと思っていた。
――思ってはいたが……さすがに、この状況はどうよ。
「さあ、ぐずぐずするんじゃないよ! 大会も近いんだ、ちんたらしてるとレギュラー落ちだよ」
派手なトゲヒレが印象的な顧問のファルム先生が、手を叩いて部員たちを急かす。被るのに毎回
勇気を要する冷たいシャワーを通過して、ぞろぞろと競泳水着姿の女子部員たちが並ぶ。
そんな中、女だらけのプールサイドに肩身が狭そうに立っている男子部員が約一名。
…そう、これが俺だ。
俺は岩原南。水泳に打ちこむごく普通の高校二年生だ。
親父の転勤でこっちに越してきた俺は、当然学校もこのへんの高校に転校せざるを得なかった。
別にどこでも水泳ができりゃいい…くらいの軽い気持ちで転入したものの、入った後でとんでも
ない事実に直面した。
この学校に、男子水泳部はなかったのだ。
「だって、美しくないじゃない…男の海パン姿なんて」
愕然とする俺を、やけに背の低い教頭先生はそう言ってばっさり斬って捨てた。ひでえ。
調べてみれば、女子水泳部はちゃんとある。仕方ないので、部活が終わった後のプールを借りる
許可を取ろうと思い、顧問の先生を訪ねてみた。
「同好会ならともかく、生徒個人で借りたいっていうのはちょっと許可できないねぇ」
「はあ、やっぱそうっすか…」
案の定突っぱねられた。まあ、ダメ元だったからな……仕方ない、少し金はかかってもどこかの
スポーツクラブにでも入るか。
「お待ち」
肩を落として職員室を出ようとした俺を、ファルム先生が呼び止めた。
「いいじゃないか、うちの部で泳いでいけば」
「…は!?」
「教頭はあんなことをお言いだけど、うちの水泳部に男子部がないのは、単純に女子しか水泳部に
入ってこなかったからさ。一人だけじゃ部を設立はできない……でも、女子水泳部ではなく単なる
『水泳部』所属ってことにしてしまえば、男子が混ざっててもなんにもおかしくはないだろう?」
あの…なんかムチャクチャ言ってませんか?
「いいじゃないか、男子部員。どうせ顧問であるこのファルムも、オトコなんだからさ」
「え゛!?」
かくして、なしくずしに俺は『水泳部』所属となった。
だがしかし、彼我戦力比10:1以上という現実は、俺が思っていた以上に恐ろしいものであった。
まわりを取り囲む女、女、女……それだけ聞くと天国のように思うかもしれない。
だが待って欲しい。想像するのだ、ある朝うっかり間違って女性専用車両に乗りこんでしまった
ときのいたたまれない気持ちを…! 痴漢扱いせんばかりの鋭い視線の集中砲火の中、泣きながら
別車両に逃れていくあの時の気分を…!
幸いにもここの部員たちの反応はそこまで極端ではなかったのだが、それでも孤立無援とは実に
心細いものである。…隣の女子更衣室から聞こえる楽しそうな声を聞きながら、俺一人しかいない
寒々とした男子更衣室で着替えるわびしさといったら…。
問題はそれだけにとどまらない。この学校は全国でも有名な「ヒト・獣人問わず」の校風である
ので、自然この水泳部も水棲人間たちの独壇場となっている。彼女らはヒトである俺からは想像も
つかないさまざまな特殊能力を持ってたりするのである。
たとえば…。
「…うん?」
居並ぶ部員たちを点呼していたファルム先生が、ふと一人の部員の前で足を止めた。
俺に時々突っかかってくるタコ女のフーラだ。頭部の口元以外がタコそのものという一見不気味
な容姿だが、スタイルがよくバストもでかいので隠れファンがいたりするらしい。俺に言わせれば、
あんなウミユリ女のどこがいいのかと思うんだが…。
「ふぅむ…」
ファルム先生はフーラをじろじろと観察した後、おもむろにフーラのバストトップからなにかを
ビリッと引き剥がした。
「あんっ!?」
フーラが変な声をあげると同時に、剥がしたあたりから水着だと思っていた部分が見る間に肌色
に変わり、フーラはあっという間にトップレスになってしまった。あわててムネを隠すフーラに、
周囲の部員たちがざわつく。彼女の水着は擬態で、実は素っ裸だったのだ。
「ふぅん…水着と同じ色に塗ったバンソウコウと前バリかい、考えたね」
「な、なぜわかったんです…!?」
「ご丁寧にメーカーのロゴまで擬態しきったのはご立派だけど、確認を鏡でしたのが間違いだった
ようだね……左右があべこべだよ。擬態でこのファルムに張り合おうなんざ十年早いね、さっさと
着替えてきな」
「くうっ、せっかく水中からトリアの泳ぐ姿を堪能しようと思いましたのに…!」
歯噛みしながら更衣室に消えるフーラ。こ、この変態タコ女が…!
「先生ー、ミナミくんがまた鼻血噴いてます」
「放っといてやりな、不可抗力なんだから。治療くらい自分でできるだろうよ」
ただでさえ、競泳水着でタイトに包まれた同年代女子の乳尻ふとももが乱れ飛ぶ環境である。
そこに今回のようなトラブルがほぼ毎週のように巻き起こるのだ。健康的な男子高校生である俺
が色々と持て余さないはずがあるか? いや、ない!
…だが、悪いことばかりでもない。
「次、ミナミ」
笛の号令でざんぶと水中に滑りこむ。
「(ぬぉりゃあああぁぁぁぁぁぁっ!!)」
煩悩を振り払うように大きなストロークで水面を切っていく。折り返した頃には頭はだいぶ冷え、
泳ぎに集中してきた。
「ほらほら、50mをすぎたらまたフォームが崩れてきているよ! 男なら根性見せな!」
プールサイドから厳しい声が飛び、俺はその指示に応えて力のかぎり泳ぎ切る。
こうして煩悩と戦いつつ、ファルム先生の厳しいが的確な指導を受け、伸び悩んでいた俺の自己
ベストはまた徐々に更新され始めていた。
前の学校の水泳部は酷いところで、先輩どもが無駄にえらそうで、顧問は放任主義、部に残った
後輩は要領が悪くて逃げ遅れたという連中ばかり。それでも水泳部には違いないから、俺は先輩の
いびりを適当に流しつつ好きなように泳いでいた。指導なんかあってなきが如しだったから、自然
と伸び悩んでしまったのだが…。
…それに比べれば。
ニューハーフだけど指導力はたしかなファルム先生。
時々何考えてるか底が知れないこともあるが、悩んでるとフォームの相談に乗ってくれたりする
リテアナ先輩。
俺同様ヒトの部員なので、同じ苦労をともにする同志といった感じのするシロさん。
心労はでかいものの、こんないい人たちに恵まれているここの水泳部の方が、環境としては遥か
に良いような気が最近はしてきていた。
それに…。
「…ミナミくん、お疲れ様」
「あ、トリアさん。お疲れ様っす」
更衣室から出てきたところに声をかけられ、俺はその人に一礼する。偏光レンズの入った眼鏡と
頭からつんと飛び出した触角が特徴的なシャコ族の女性、オラトリア先輩だ。
彼女とはお隣さんということもあって親しくさせていただいてるのだが、俺はこの先輩が好きだ。
「今日もこれから道場に?」
「あ、うん…軽くだけど」
トリアさんは近所にある、なんとかいうあやしげな古武術の道場にも通っている。なんでもその
道場はトリアさん家の本家と繋がりがあるとかで、代々その家系のものは道場で修練を積まないと
一人前として認められないんだとかなんとか。
「水泳部と掛け持ちで大変じゃないですか?」
「ううん、道場通いはいつものことだし…水泳は私がやりたくて始めたことだから」
はー、凄いなぁ…俺なんか水泳だけでいっぱいいっぱいなのに。二足のわらじを履きながらも、
どちらもおろそかにしないトリアさんを俺はあらためて尊敬した。
「トーリーアーッ!」
そのとき、向こうから奇声をあげながら駆けてくる人影があった。むっ、来たか!
「せいっ!」
「なんの!」
人影の繰り出したドロップキックを、円の動きのステップでかわす。ずざざざぁーっ…と土煙を
あげて、自爆した人物が地面を滑った。
「ちっ、やるわね…」
立ち上がったその人物とは、誰あろうタコ女ことフーラだった。
「毎日毎日やられてれば、いいかげん対処もおぼえるさ」
「…生意気ね、少し痛い目みせてあげようかしら」
きりきりと指を貫き手に構えるフーラに、トリアさんがため息をついた。
「フーラ…いいかげんミナミくんに喧嘩売るのやめてってば」
「何言ってるの! 男はオオカミなのよケダモノなのよ! 見た目はヒトでもね、気を許した途端
こいつらは送り狼に変わるのよ!」
「人をワーウルフやライカンスロープ呼ばわりすんな! トリアさんをタシーロしようとした挙句
露出趣味に片足突っ込んだお前に言えたことかよ、変態ウミユリタコ女!」
「なんですって、きーっ! ファルム先生に見つかりさえしなければトリアの秘密の花園はすべて
あたしのものだったのにっ!」
「フーラ、いいかげんに…」
トリアさんの仲裁も聞こえないほどヒートアップしたフーラは、両腕をずるりと伸ばして触腕に
変えた。
「こうなればミナミ、ここで決着を…!」
「いいかげんにしなさいっ」
くきんっ。
あ……絞め落とした。
「ふぅ…ごめんね、いつもフーラが騒がしくて」
気絶して皮膚の肌色の擬態も解け、全身生っ白くなってしまったフーラを軽々と抱えて苦笑いを
するトリアさん。いや、その…大丈夫なんですかそれ。
「大丈夫、頚椎は折ってないし暫らくしたら目をさますから」
時々、とっても容赦のないあなたが好きです。