ツキノワ 第3話
3.熊とシロクロ・ヒストリー
「あー…ごほん。ええと…むかしむかしあるところに、でっかいクマの王国がありました、と」
景気づけにか、ウルさんは焼きあがったばかりのパンケーキを素手で掴み、蜜に浸して豪快に噛み付いた。
えっヤケドするんじゃないの、と思ったけど全然平気そうにむしゃむしゃしてる。
なんかいいなあ。いかにも美味しそうな食べ方。豪快。…でも私がやったら引かれるだろーなー。口ん中大惨事。
「えーと…その国がどこにあったもんか、今となってはだーれも知らねえ」
「はあ。そのくらい昔ってことなんですね」
「おお。んで、そん時のクマってのは、みーんな土色の毛皮をしてて、目が緑色だったんだと。草とか葉っぱの色と同じだ」
「へえー、そうなんだあ」
私はまだウルさんしか「クマ」を知らないけど、アッチの世界でそんな熊はたぶん、いない。
さすが異世界だなー。でも『その時』ってわざわざ言うくらいなんだから、今はもういないってことなんだろうか。
ちなみにウルさんは真っ黒つやつや毛皮のツキノワさんで、瞳も黒い。
ちょっと眼は小さめだけど、それがなんか、いいと思う。…いやホント。
「それから…うーん…なんかなぁ、大地の神様を信仰しててな。そのおかげでもともと体がデカくて、力もあったんだと」
「ふんふん」
相槌を打ちながら、焼いてもらったパンケーキにジャムをのせ、ふうふうしながら注意深く噛みつく。
私もとくに猫舌というほどじゃないけど、ヤケドなんかでこんな美味しいものの味を損なうわけにはいかないもんね。
…ていうか、語り口がすでに怪しくなってきてるのは気のせいですか、ウルさん。まだ始まったばっかなんですけど。
「で…最初のうちは森の奥で大人しく平和に暮らしてたんだけども、なんの因果か、…あー、悪い王様が出てきたと」
「おお、ドキドキしますねえ」
「その王様っちゅーのが野心家でな。俺ぁこんなとこで燻ってるつもりはねぇ! とか言い出して、いきなり色んな国に宣戦布告した」
「おおお! なんちゅーことを!」
「…えーとそれから何だっけ――あ、ちょっと待ってれ、いいモンあったわそういえば」
パンケーキの残りを口に押し込んで、もぐもぐしながらウルさんは立ち上がった。
すぐそこの小屋の中に入って10秒も経たないうちに、何かを持って戻ってくる。
「ちょっとよぉ、悪ぃけどおめぇさん、これ読んでくんねっかな」
「…これ…って」
渡されたそれを一目見て、私はちょっとクラッとした。懐かしさと、現状との言い知れない違和感が入り混じった困惑で。
それは緑色のノートだった。
…表紙に大きな花の写真と、白抜きで『ジャ●ニカ学習帳』、『こくご』って書いてあるやつ。
「…うわあ…これ…小学校ん時に使ってましたよ私」
「らしいな。それ書いたヤツもそう言ってたわ」
「ですよねえ。これもやっぱり私たちの世界から落ちてきたモノなんでしょうねー」
愚問を口に出しながらノートを開く。そこには日本語でびっしり文章が書いてあった。
ぱらぱらめくって見ると、筆跡は鉛筆だったりインクだったりでまちまちだ。でもすごく几帳面に、ていねいな字で書いてる。
「これ…クマの国に落ちてきたヒトが書いたんですか?」
「そうだよ。あー、でもそいつなー大変なんだわ、クマにしては珍しく旅好きのヤツがいてさ、そいつに付き合わされてしょっちゅう旅に出ててよ。 で、そいつが色んな国に立ち寄るたんびに、クマの国に関して書いてある資料探して、そうやって書き写してくんだわ」
「へぇー。学者さんみたいなことやってるんですねえ」
「アッチの世界じゃそうだったらしいな。つってもクマの国には文字がねっから、俺らにはそこに何書いてあんのかサッパリなんだけども」
じゃあ、落ちてくる前は学生だとか、大学の教授とかだったヒトなのかな?
同じヒト同士でいろいろ話とかしてみたかったんだけど、旅に出てるのか…。残念。
…あれ。でも旅してるあいだってそのクマさん、冬眠どうしてんだろ。と思ったんだけど、まあとりあえず今はいいか。
「へえー…なんか楽しそうですね。字を見た限りでは女の子っぽいですけど…」
「残念、オスヒトだ。クマのほうは女だけどな。まーあと2年は帰って来ねーだろーな、あの様子じゃなー」
「なんだぁ、残念。――あ、それで、どこを読めばいいんですって?」
「最初っからだ。…そうそこ、いっちばん最初っから。声に出して読んでくれな、俺にもわかるように」
「ええと、はい。…うわ、しょっぱなからなんだろこれ、何て読むんですか? …きゅう…まおう…?」
「違う違う。『くまおう』だ」
■九魔王ラオシと消えた王国
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何万年とも何億年ともつかないほどに、遠い昔の伝説である。 真実を知っている者は、もうこの世に一人もいないだろう。しかし大陸のどこかに突如現れ、栄華を極め、瞬く間に滅んだ王国があった。
その国の一族は当初、山裾に広がる森の一角で、細々と木の実を食べて暮らしていたという。
巨大な体躯と有り余る力を持て余していた他は、特に不満もなく、ほとんどの者たちが平穏を享受していた。
そのあまりにも平凡で退屈な生活を憂い、焦燥を募らせていたのが、後に初代王となる戦士・ラオシである。
ラオシは、与えられた素晴らしき体躯と能力を持ち腐らせることこそ母なる神に対する冒涜であると考えた。
彼は一族に戦いを教え、自ら兵を率いて故郷の森を出た。
先陣切って巧みに近隣の種族たちを襲い、領土の広がる喜びと戦いの興奮、血と肉と勝利の味を部下たちに覚えさせることで彼らを鍛えた。
山をひとつ、向こうの山ももうひとつ、もうひとつの山向こう――着々と領土は広がる。
多種族の肉は甘美であり、この上ない滋養であった。
ますます彼らは力を増し、人口も増え、いつしかラオシを王とした国が出来た。
どの種族にも侵略されず、しかし隙あらばどの種族にも侵略の触手を伸ばそうとする。
しかも老若男女、国民全員が好戦的で無敵の軍団。
まさに悪魔の国の誕生であったと、某国の文献は言葉少なに語る。
しかし栄華は長く続かなかった。
無敵を謳った王国は、たった数年の天下であっけなく滅んだ。
突如蔓延した奇病。潜入した大魔法使いによる殺戮。あるいは滅ぼされた一族の呪詛とも伝わるが、どれも定かでは無い。
某国の文献によると、かの種族は世界最大級の体躯を誇り、世界最強の筋力を持った無敵の種族であったという。
大地の神に生み出されたと自称する彼らは、その証拠に、土色の毛皮と草露色の瞳を持っていた。
国の名には母である神の名をそのまま冠していたとの記述もあるが、残念ながらその名は抹消されている。
代わりに、他の種族が恐れと怯えをもって彼らを呼んだという「九魔」
――即ち「クマ」
の名が残り、今日の子孫の名として伝えられているのみだ。
何故そのような名で呼ばれたかというと、『九つの種族を滅ぼした悪魔の一族』を由来とする説が一番可能性としては高い。
桁外れに強かったため、九つの術法及び武術を身につけていたからではないかとする説もあるが、そちらの明確な根拠は無い。
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=1=
「えーと…以上です」
「おー、おめぇさん読むのうめーなあー。里の子どもらに聞かしてやりてーわ」
ウルさんの拍手の音は、ぱちぱち、じゃなくて、ぽふぽふ、だった。
…可愛いなあ、これ肉球の音なんだろーなー。
手のひらどーなってんのかじっくり見せて欲しいけど、いきなりそんなこと言うの恥ずかしいしなー。悶々。
ていうか、恥ずかしくて手なんか触れない。ふとした瞬間にぶつかったりとかしたら、凄まじい中学生っぷりをお見せする羽目になりそう。
「きゃっごめんなさいっ★」
…とかって…うわあ。そんな自分想像できない。せいぜい「どわー!」
とかだよ。…色気ないわー。
「ん、どした? 疲れたか? 水飲むか?」
「あー、あはは。いやーお恥ずかしい、高校以来ですよ朗読なんて。…で、これがクマの国の歴史なんですか?」
「なんかすげーだろ? ま、現実の数倍大げさに書かれてんだけどなー」
まるで他人事みたいに言って、ウルさんはつめたい水をぐびぐび飲んでる。
私も木のカップに注いでもらったのをひとくち飲んだ。
レモンとかライムによく似た、爽やかな香りのする水だ。「水瓶に皮むいた果実を一晩つけといたらこうなんだ」って言ってた。
柑橘系の微かな酸味もあって、でも変に濃い味じゃなくて美味しい。味としてはスポーツドリンクっぽいかな。
「…次のページは…なんかひらがなばっかりなんですけど。…『しろいくまとくろいくま』?」
「あー、それこそクマの国に伝わる昔話だ。じーちゃんばーちゃんが子供に話して聞かせるやつな」
ほんとだ。※日本で言う日本書紀のようなものでしょう、って注意書きしてある。
日本書紀って…あれかな。あんまり憶えてないけど、天照大神とか、八岐大蛇とか、ああいう系のだったかな。サメに背中の皮剥がされたうさぎとか。
…あーだめだ、七五三のときに千歳飴といっしょにもらった絵本の記憶ぐらいしかないや…。
「これも読みます?」
「お願いしまっす。…あ、これは長ぇぞ。覚悟しといてくれな」
「…ウルさん…さては逃げましたね?」
「あっはっは、違う違ーう。ホント俺、ヒトの字なんか読めねんだって」
「もう。…じゃ行きますよ?」
■しろいくまとくろいくま
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むかしむかし、クマたちはみんな、つちいろのけがわとみどりいろのめをしていました。
それはだいちの神さまにとてもあいされていたからあかしで、
おかげでクマは、せかいでいちばんおおきくてじょうぶなからだと、つよいちからをもっていました。
だいちの神さまのごかごのもと、クマたちはもりのおくでへいわにくらしていました。
からだがおおきいのは、よりひろくだいちにせっすることができるから。
どんなにふかいかわのながれにも、さからうことができるから。
ちからがつよいのは、たくさんのきのみをとったり、はこんだりすることができるから。
おいしいきのみときよらかなみずがあれば、ほかにはなにもいりません。
ただ、だいちの神さまへのかんしゃと、かぞくやともだちのけんこうだけが、クマたちのしあわせでした。
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しかしあるおうさまのじだい、クマたちはとつぜん、たこくにしんりゃくをはじめました。
まわりにすんでいたたくさんのしゅぞくとせんそうをして、どんどんりょうどをひろげていきました。
へいわなもりのせいかつをすてたクマたちは、まるできがくるったようにたたかいにあけくれました。
なにしろだいちの神さまにさずかったとくべつなちからですから、ただのにんげんにたちうちできるわけがないのです。
おもしろいほどかんたんにしんりゃくはすすみました。
クマの国はどんどん大きくなっていました。
いつになってもおうさまは、しんりゃくをやめようとしませんでした。
きのみのかわりににくを、みずのかわりにちをのんで、クマたちはじぶんたちのつよさによいしれました。
なさけようしゃなくほかのしゅぞくたちをおそい、さいげんなくとちをうばいつづけました。
それが神さまのいかりにふれるともしらずに。
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そのおうさまと9人のおきさきさまとのあいだには、9人のおうじ、9人のおうじょがいました。
むすこのひとりに、まっしろいけがわのラウがいました。
かれはおうさまのいちばん上のおうじで、せかいでいちばんのちからもちでした。
クマもライオンもゾウも、かれのこぶしにはかないません。
あまりにつよいので、ラウさまとたたかったものはかならず死んでしまいます。
どんなにてかげんをしても、たとえゆびいっぽんしかつかわなかったとしても、かならず死んでしまうのです。
だから、ラウさまはむてきでした。
せんそうではいつもすすんでいちばんまえにたち、たくさんのてがらをたてました。
みんな、ラウさまをおそれました。
そしてラウさまこそはクマの国のさいきょうのせんしであるとたたえました。
それにまっしろいけがわのクマなんて、ラウさまのほかにはひとりもいなかったのです。
あるときおうさまは、ラウさまにききました。
「ラウよ、おまえはなぜ白いけがわをもってうまれた?
われわれクマのつちいろのけがわ、みどりのめのすがたこそ、だいちの神のめぐみのあかし。
ならばおまえは、どこの神よりうまれしものか?」
するとラウさまは、まよいなくこたえました。
「だいちの神のはんりょにして、せかいにあさとひかりをもたらすもの。
わたしはたいようのかみのいかりよりうまれました。
ちちよ、わたしはあなたにすくいをあたえるためにうまれたのです」
おうさまはとてもよろこんで、18人のおこさまのだれよりラウさまをかわいがったといいます。
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おうさまのこどもにもうひとり、まっくろいけがわのウルがいました。
いちばんすえのおうじょであるウルさまは、せかいでいちばんのよわむしでした。
たたかいがきらいで、いつもにげてばかりいたのです。
だから、みんな、ウルさまをばかにしていました。
だけど、だれもウルさまをきずつけられませんでした。
なぜならウルさまのけがわはとてもじょうぶで、なんでもはねかえしてしまうからです。
どんなやいばも、どんなまほうも、どんなわるぐちも、ウルさまにはきかないのです。
だから、ウルさまはむてきでした。
せんそうではいつもむりやりいちばんまえにたたされて、みんなのかわりにたくさんのまほうを、たくさんのけんをうけとめました。
それにまっくろいけがわのクマなんて、ウルさまのほかにはひとりもいなかったのです。
あるときおうさまがききました。
「ウルよ、おまえはなぜくろいけがわをもってうまれた?
われわれクマのつちいろのけがわ、みどりのめのすがたこそ、だいちの神のめぐみのあかし。
ならばおまえは、どこの神よりうまれしものか?」
するとウルさまは、おびえながらこたえました。
「だいちとたいようの子にして、せかいによるとやみをもたらすもの。
わたしはつきの神のなげきよりうまれました。
ちちよ、わたしはあなたにほろびをあたえるためにうまれたのです」
おうさまは、ウルさまをにくみました。
わがことはとてもおもえないほどにくみ、さげすんだといいます。
ほろびをあたえるなどといわれてはむりもありません。ウルさまのくろいけがわはただでさえぶきみだったのですから。
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あるひ、おうさまは、ラウさまとウルさまをよんで、みんなのまえでめいじました。
「せかいでいちばんのちからもち、ラウおうじと
せかいでいちばんのけがわもち、ウルひめが
もしもぜんりょくでたたかったなら、どちらがかつだろう。
みんなもそれをしりたいだろう。
こんどのわしのたんじょうび、おいわいに、みんなのまえでしあいをするがいい。
ただし、きょうだいといえど、けっしててかげんをしてはならぬ」
しかし、すえむすめのウルさまが、国のこうけいしゃであるラウさまをてにかけることなどできません。
それはつまりラウさまに、ウルさまをころせと、めいじているもおなじでした。
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しあいのひ、みんなあたりまえのようにラウさまをおうえんしました。
なぜならラウさまはみんなにすかれ、うやまわれていましたが、ウルさまはやはり、みんなにきらわれていたからです。
ウルさまはいつもにげてばかりのくせに、
どんなにひどいことばをかけても
どんなにいたいことをしても
ぜんぜんへいきなかおをしていました。
どんなにばかにされても
どんなににくまれても
だれも、だれも、ウルさまをきずつけることはできなかったのです。
そのかわり、ウルさまは、だれのこともきずつけたことはありませんでした。
しかしそれにきづいたものは、この国にだれひとりいませんでした。
つよさだけをもとめ、やさしさをわすれたクマたちのなかには。
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おうきゅうのとうぎじょうでラウさまとむかいあったウルさまは、うまれてはじめてなみだをぽろぽろながしたそうです。
そして、かなしそうに、くるしそうに、こういいました。
「いつか、こんなひがくることはわかっていました。
ああ、わたしたちがたたかってしまったら、この国はたいへんなことになる」
みんなウルさまのことばをきいて、おおわらいしました。
どんなにこっぴどくやっつけてもびくともしなかったウルさまも、さすがにラウさまにはかなわないのでしょう。
だからこわくなって、ないているのだとおもったのです。
いいきみだと、ざまをみろとおもったのです。
しかしラウさまは、みんなのようにウルさまをばかにしたりしませんでした。
いままでだって、いちどもしたことはありませんでした。
ただ、さびしそうにわらっていいました。
「ウルよ。このひがくることを、わたしたちはうまれるまえからしっていた。そうだろう?
こうなってしまったいじょう、たたかいはさけられん。
これがあやまちをおかしたこの国のさだめ、神よりわたしたちにあたえられたやくめなのだ」
ぎらぎらかがやくたいようはまうえにのぼり、しろくかぼそいみかづきはにしのそらにきえました。
ああ、とうとうおうさまがさつりくのかねをならします。
ころせ、ころせ、ウルをころせ!
たたかいをいとうおくびょうものには死を!!
じなりのようなさけびがうずまくなか、2人のきょうだいはめをとじて、どうじにてんをあおいでいいました。
「だいちの神よ、今われら、太陽と月の名のもと、おごれるあなたの子どもらに、ほろびとすくいをあたえます。
それがあなたのご意思ならば!」
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せかいでいちばんちからもちのラウさまと、せかいでいちばんじょうぶなウルさま。
どちらもむてきで、どちらもつよい。
いったいどちらがかったのでしょう?
でも、さいごまでみとどけたものは、だれもいません。
なぜならあまりにはげしいたたかいで、けんぶつにんたちはほとんどまきぞえで死んでしまったからです。
9日間のぜんりょくのたたかいのすえ、ようやくつかれはてたラウさまとウルさまだけが、あれはてただいちのうえにたっていました。
おうさまと、9にんのおきさきさまと、のこり16人のきょうだいは、ぜんいん死にました。
なん万というこくみんも、ほとんど死んでいました。
せかいでいちばんつよいはずのラウさまのこぶしは、ぼろぼろ。
せかいでいちばんじょうぶなはずのウルさまのけがわも、ずたずた。
まっしろなけがわのラウさまは、きずがいえたあと、てのひらとあしのうらだけがくろくなり、
まっくろなけがわのウルさまは、むねにおおきな、きえないきずがのこったといいます。
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=2=
「…これ…あの、ウルさん?」
「あー、うん。その話に出てくんのも『ウル』だなー。 でもこれはあくまで神話だかんな。現実的に考えてクマが他の種族と比べてそんな圧倒的に強かったとは考えられんし」
石板の上でじいじいと音を立てて焼きあがっていくパンケーキをひっくり返しながら、そう言って笑った。
ナイフで削ってつるつるにした二本の枝を差し込んで、器用に裏返していく。
お好み焼き屋顔負けの鮮やかな手際を目で追いながら、私は長いむかしばなしを頭の中で整理している。
「はあ。…なんか…『矛盾』っぽい話ですね、これ…」
「書いたヤツもなんかそんなこと言ってたなあ。その、ムジュン? ってのはどういう話なんだ?」
「ええ、中国って国の昔話なんですけどね。
これはどんな盾でも突き通す矛で、こっちは絶対に貫けない盾だって言って売ってる武器商人がいて。
『じゃあその矛でその盾を貫いたらどうなるの?』ってお客さんに聞かれて、答えられなかったっていう話なんです」
「ほー。結局どうなったのか興味あんなあ」
「ただのハッタリだったんじゃないですかねえ。大きく言って買わせようっていう戦略だったんでしょう」
でも、本当に最強の矛と最強の盾がぶつかりあったらどうなるんだろうか。 ゲームなんかだと、攻撃力最高キャラと防御力最高キャラが戦ったら、たぶんスピードと攻撃回数と回復手段が勝敗を分けるよね。
これを読む限り、『ラウ』って人は最強の上に一撃必殺スキル持ち、『ウル』って人は常に全ての攻撃が無効の反則装備持ち、ってとこかな。
そんな素晴らしい特性があったとしても、もし『ラウ』が防御力ゼロ、『ウル』は攻撃力ゼロだったとしたら、そりゃあいつまでも決着つかないだろう。
もちろん現実の戦いをゲームと同じには考えられないし、2人がどういう戦い方をしたのかもわからないけど。
――って、下のほうに※白黒つかないことの例えとしては最適、とかって書いてある。…誰がうまいこと言えと。
「…これ書いた人って、一体…」
「あ、名前シュウイチっつーんだそいつ。皆にはシュウちゃんとか呼ばれてんぞ」
…シュウイチさんっていうのか。憶えておこう。
しかし読みやすくて綺麗な字だなあ。パソコンの字でいえば明朝体に近い、お手本みたいな字。
なんていうか、丁寧っていえば聞こえはいいけど、むしろ神経質そうっていうか…。
この人を引っ張りまわして旅に付き合わせてるってクマさんて、一体どんな人なんだろ。…どっちが苦労してるのかなあ。
多分いつか逢える日が来るんだろうけど。それはそれでちょっと楽しみな気がする。
「…そんなことよりウルさん。この話って、ひどくないですか?」
「はは、おめぇさんはなんかそんなこと言いそうな気がしてたわ。まあ可哀相だわなあ、『ウル』は」
「同じ名前ですけど、なんか関係あったりします? …その、ウルさんが…『ツキノワ』ってことと」
「まあ、だいたい想像つくんじゃねーか?」
<胸に大きな消えない傷>。
もしそれがツキノワグマの三日月のことだとしたら、そりゃあ決して無関係ではないと思うんだけど…。
「うんまあ別に勿体ぶっててもアレなんで言うけど、ご先祖だ。俺んちの」
「ウルさんの家の?」
「うん。『ウル』って名前は代々、クマの国の結界を管理するヤツに付けられる名前でさ。俺の親父も『ウル』だった」
「へー!」
「で、親父が死んだんで、俺が名前を受け継いだ。…これといっしょにな」
ウルさんはそう言いながら、胸の「月の輪」
を指さしてみせる。
そっか…お父さん、亡くなってたんだ。…って、受け継いだってことはつまり。
「え、じゃあ、ウルさんは生まれたときは別の名前で、ツキノワグマでもなかったってことですか!?」
「そうそう。俺もガキんときはただの真っ黒い仔グマだったんだわ。
ツキノワグマってのは一世代にひとりしかいねぇ。その代が死んだら、この三日月が次世代のひとりに移る。移ったそいつが次のツキノワっつーことだ」
「へー…」
…じゃあウルさんのお母さんって今、どうしてるのかな。家族ってどんな感じだったんだろう。
きょうだいとか、いるのかなあ。
むかしは何ていう名前で、どんな子どもだったんだろう
。 聞きたい。知りたい、もっともっと、ウルさんのこと――
「だからそれで俺もなー、次世代のツキノワを絶やすわけにいかねっから、さっさと子ども作れって言われてさ…ハハハ」
アーアーやっぱ聞こえなーい! 私の耳はきょう日曜日ですっ!
…元・奥さん関係の話は当分いいや…ちょっとまだ冷静に聞く余裕、ないっす…。
「えーとえーと! 次読みますよっ! 『シロクマの国の成り立ち』っ!」
■シロクマの国の成り立ち
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シロクマの国の歴史は比較的浅い。まだ若いと形容しても差し支えなかろう。
しかも彼らは文字をもたないため、建国の歴史を紐解こうとするのは至難のわざである。
口伝の民話や遺跡の壁画によれば、大陸の北端、現在の王城付近に最初に住み着いたのが初代王であるという。
彼はどこからともなくやってきて、数人の妻と召使い、ヒト奴隷とともに生活をはじめた。
一年の半分を雪が覆う極寒の地にも関わらず、彼らは非常にたくましく、かつ平穏に暮らした。
雪のない時期に畑作をおこない、寒さに強い木を植え、収穫し、貯蔵して冬をしのいだ。
子を産み育て、またその子が子を産み、その子らがまた子を産み、ゆっくりと栄えた。
ひとつの家族がふたつになり、十になり、百になり、街となり、やがて国となった。
人々に生きるための様々な技を伝えたのが、初代王その人である。
壁画の王の頭上には、必ず大きな太陽が描かれている。それはまさに彼の偉大な功績を表したものである。
彼は人々に太陽王と尊称され、現在もシロクマの国民たちに敬われ、奉られている。
一説によると、彼は太古に滅んだ『九魔』の末裔であるという。
王の名として伝わる「ラウ」
という名の音が、『九魔』の使用していたとされる言語の、『白』という単語と一致する。
そしてそれを裏付けるように、王の子孫たちは皆一様に白い毛皮をもって生まれてくるのである。
シロクマは気性が優しく、争いを好まない。
大陸でも稀なる、怪力と形容するに相応しい力を持ちながら、それを行使することを罪悪とさえ考えている。
もし彼らが本当に『九魔』の末裔であるのなら、あの忌まわしき歴史の再来を、無意識下で抑えているのかもしれない。
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=3=
「…って…クマの国とはまた別なところにあるんですか、シロクマの国って!?」
「そう。クマはクマでも、俺らクマとシロクマは種族が違うことになってんな」
…それは予想してなかった。
私はてっきり、まだ冬眠してるっていう里の皆さんは色んな毛色をしてて、さぞかしバラエティー豊かなんだろうなと思っていたのだ。
さすがに、金とか銀とか紫とかを期待してたわけじゃないけどさ。一番わかりやすい配色じゃない? 白と黒って。
「じゃあ、ここには白い毛皮のクマさんは一人もいないってことですか?」
「そうなるな。俺は一度も見たことねぇし、多分これから先も生まれねっと思うぞ。クマの国にはな」
「じゃあ、里のクマさんたちは何色をしてるんです?」
「何色もなにも。…まあ、だいたい、黒か茶だな。濃かったり薄かったりとか、二色になってたりはあんだけど」
「へー…」
あれ、クマって他にどんな種類あったっけ。
ツキノワグマやホッキョクグマ(つまりシロクマだよね)はいいとして、ヒグマとかマレーグマとか…アライグマとか?
パンダ…は、さすがに違うか。あれはもう別の種族のような気がする…じゃあパンダの国ってのがあるのかな。
ま、それは里の人たちが起きてくれば自然にわかることだから、いいんだけど。
「まあ要するに、事実だけを簡潔に述べていくとだな」
そう言いながらウルさんは、両面がほどよくきつね色に焼けたパンケーキを大きなお皿に重ねていく。
「ほい。まあ遠慮せず好きなだけ食ってくれな」
「あ、はい、ありがとうございますー」
そういえば子どものころにみたアニメにこんなのあったなあ。10枚くらい重ねたパンケーキ。その上にとろりと溶けた四角いバター、たっぷりかけたはちみつ。
夢の光景だったけど、実際に目の前にすると壮観だ。
もうお腹いっぱいになってもおかしくないぐらい食べたはずなんだけど、まだまだいける気がする。
…やばいかも。太るかも。でも正直、もうちょい食べたいしなー。あのジャムまだ試してないし…。
内心でちょっと葛藤していたら、ウルさんは静かに口を開いた。
「あー…その前にな、言っておかなきゃならんことがある」
「へ?」
「なんでクマが、結界に守られて暮らしてなきゃならんと思う?」
…いやいやいや、今それを説明してもらってるところなんじゃなかったですか。
そう言おうとしたんだけど、…なんとなく、ウルさんの様子がおかしいことに気がついた。
ちょっと顎を上げて、しきりに空気の匂いを嗅いでる。
私もあたりを見回してみるけど、何か変わったようすはない。だからとりあえず質問に答えることにした。
「えっと…なんででしょう…すごいお宝を隠してるから、とか…」
「考えようによってはそうかもしれねぇな。ある種のヤツらには喉から手が出るほど欲しいモンを、俺らクマは持ってる」
「それはどういう…」
意味ですか、と、最後まで訊くことはできなかった。
【続】