猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威04

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続・虎の威 04

 

 

 

 

「いいか! あのイヌ野郎は明らかに怪しい! 見るからに怪しい! 大体イヌって野郎は集団で自国に引きこもってるもんだろうが! それが国外に出てるってこたぁつまり完全なあぶれもんだ! 犯罪者だ! 国賊だ! 今は大人しくしてるかも知れねぇがな、あいつはいつか必ず裏切るぞ! 必ず! 必ずだ!」
 きっかけはなんだったか覚えていない。
 覚えていないからには、まあ他愛もない話題から発展したのだろう。
 今やカブラはこれ以上ない程激昂しており、カアシュはようやく、ここ最近のカブラの苛立ちの原因を知る事となった。
「おまえ、いつからイヌにそんな偏見持つようになったんだ……?」
「偏見? 偏見なもんか思い出してみろあのイヌ! ハンスとかいいやがったかあの痩せっぽちが! 見るからにまともじゃねぇだろう! あれが国外に出たイヌの姿だ! 実体だ!」
「落ち着けよカブラ。興奮すると血管切れるぞ」
「てめぇらこそ何で落ち着いてられるんだ! チヒロが! イヌ野郎に! 明日にでも売り飛ばされかねねぇんだぞ! そんで性悪奴隷商人に散々弄ばれた挙句に金持ちの変態ネコに売り飛ばされて最後にはウサギのアトシャーマにうわぁあぁあぁ! チヒロォオオォ! そんなことになったら俺は! 俺はぁあぁあ!」
 頭を抱えて膝を折り、全身の毛を逆立てて雄叫びを上げる。
 カアシュとブルックはいかにもうるさそうに耳を伏せ、やれやれと溜息を吐いた。二人ともカブラの心配が的外れだとは思ってはいない。だが、そこまでハンスが悪い男とは思えなかった。なにせ、あのチヒロが選んだ男である。
「俺は別に、そんなに嫌いじゃねぇけどな。大体、ハンスはチヒロがトラだと思ってるわけだし、チヒロが正体ばれるようなヘマやらかすとも思えねぇし、心配しすぎなんじゃねぇかなぁ」
「あめぇえ! あまりにもあめぇぞカアシュ!」
 地面に頭を押し付けたままブツブツとなにやら呟いていたカブラは、カァシュの言葉に猛然と立ち上がった。
「今は確かにただのトラ女だと思ってるかもしれねぇ! だがな! あいつは痩せっぽちのチビ助だが男なんだぞ! 俺だったら一晩チヒロと二人きりにされたら間違いなく襲う! 容赦なく襲う! 喜んで襲う! 襲わなかったら男じゃねぇ!」
 ハンスよりよっぽど危険人物である。
「そんで裸に剥かれたチヒロを見たら、いくらクソ鈍いイヌ野郎でもきっとチヒロの秘密に気付いちまう! そうなったらもうお仕舞いだ! まっさかさまだ! だからそうなる前にあいつはぜってぇどうにかするべきだ!」
「でも、イヌは主を裏切らないって……」
「実際あいつは国を裏切ってんじゃねぇかよ! そうじゃなきゃ閉鎖的なイヌがなんでトラの国で浮浪者なんかやってんだ! 明らかにおかしいじゃねぇか! あいつぁ間違いなく犯罪者だ!」
「そりゃまあ……そうかもしれねぇけど……」
「そんなに心配なら、喚いてないで尾行なり監視なりすりゃいいじゃねえかよ」
「そんなことが出来たら苦労しねぇんだよ!」
 頭を掻き毟って大げさに仰け反り、カブラはいかにも苦しげに雄叫びを上げた。
 蒼い瞳はぎらぎらと輝き血走っており、今にも部屋を飛び出してハンスの寝首をかきに行きそうな勢いである。
「いいか。イヌ野郎の嗅覚は俺たちよりずぅううぅっと鋭いんだ! 尾行なんぞしようものならすぐに気付いてチヒロにちくる! そしたらチヒロは俺を軽蔑するだろうがよぉ。そんで最後には『もうあんたなんか要らない』とか言われちまうんだぁ! ああちくしょう俺ぁなんで昼間あんなこと言っちまったんだちくしょー! ちくしょー!」
 力なく床に崩れ落ち、おいおいと泣き出してしまう。
 カアシュとブルックはいよいよ呆れて溜息を吐いた。三人とも、めったな事ではお互いに哀れみを覚えない関係である。
「俺が頼りねぇのが原因なのかなぁ……」
「だーから! チヒロは俺たちに気を使ってんだよ。自分でそう言ってたじゃねえか? 俺はチヒロの言うとおりだと思うけどな。ハンスだったら護衛料もそんなにいらねえし、朝から晩まで一緒だから安心だし」
「だからって今から雇っておく必要はねぇじゃねぇか!」
「どたんばになって雇うより、事前に雇っておいた方が安心だからだろ」
 カアシュとブルックの冷静な言葉に、さすがにカブラも反論できない。
 しばらくなにやらぶつぶつと呟いていたが、結局布団をかぶって不貞寝してしまった。
「昔っからこうだよなぁ、こいつ」
 カアシュが呆れたように目を瞬くと、ブルックも静かに同意した。
「百年前からこうだな」
 成長しないやつ、と呟きはするが、それはブルックもカアシュも同じである。
 ブルックは窓辺に肘をつき、ぼんやりと通りに視線を投げた。
「あ、チヒロだ」
「ほんとだ。ハンスもいる」
 後ろからカアシュも覗き込み、意外そうに声を上げる。
 太陽はもう沈みかけていて、港町は夕日に染りつつあった。
 午前中に出かけて昼過ぎに帰ってきたはずだが、なにか買い忘れた物でもあったのだろうか。出かけるならば、一声くらいかけてくれてもいいものだが――。
「――尾行するか?」
 ブルックが呟くと、ぴたりとハンスが立ち止まってこちらを見上げた。同時に千宏も立ち止まり、ハンスと揃ってこちらを見る。
 どうやら聞こえてしまったようだ。恐ろしく耳がいい。
「つける前からばれたな」
 カアシュが呟き、ぱたぱたと手を振る千宏に手を振りかえしながら苦笑いする。
「あんまり遅くなるなよ。カブラがまた誘拐だなんだって騒ぎ出すからな」
 この忠告もやはり聞こえたのだろう。ハンスは千宏に二言三言耳打ちし、千宏はブルックに向かって大げさに肩を竦めて見せた。
 なにを馬鹿なことを、とでも言いたいのだろう。
 再び通りを歩き出した二人の後姿をしばし見送り、ブルックは窓を閉めた。

「心配してくれるのは嬉しいんだけどさぁ、ありがた迷惑なんだよね。申し訳ないけど」
 チェックインした宿の一室で、千宏は着々と仕事着に着替えつつあった。
 ハンスは平然と人前で服を脱ぐ千宏の大胆さに閉口し、千宏に背を向けたまま固く目を瞑って決して振り向くまいと歯を食いしばった。
 童貞ではないが、素人童貞ではあるハンスである。
 容姿が悪いわけでは無いが、少々根暗でひねくれており、自虐的かつ内にこもりがちなハンスが、無論もてるはずもない。
「あれ、おかしいな、首輪……あれぇ?」
 首輪――?
 ああそうか。ヒト奴隷として振舞うのなら、確かに首輪は必需品だ。
 ハンスはごくりと唾液を飲み込んだ。今からハンスは、そのヒト奴隷の主人として振る舞い、なおかつその奴隷を商売に使うような極悪人に徹しなければならないのである。
 否。世間一般から考えれば決して極悪な事ではないのだが、千宏という個人を知ってしまうと、なぜかそれが酷く残酷な行為なように思えてくる。
「ハンスー!」
「なんだ! 今忙しい!」
「座ってるだけで何が忙しいんだよ……首輪が付けらんないんだ。手伝って」
 ぶうぶうと文句を言いながら、千宏がすぐ背後に迫る。
 ハンスが全身の毛を逆立てて硬直した。
「……服は着てるのか」
「着てるよ。半分」
「半分ってなんだ!」
「半分は半分だよ! ほらこっちむいて!」
 がっしと後ろから首をつかまれ、無理やり千宏の方を振り向かされる。
 そして――ハンスは少々拍子抜け――否、安堵した。
「半分なんて言うから……」
 上半身裸かと思った、という呟きは、心の中にしまっておく。
 千宏は真っ白なブラウスの胸元をはだけ、ハンスに黒い首輪を差し出していた。スカートも黒である。白に黒とは、なんとも地味だ。デザインも極めてシンプルで、体を売る女の仕事着といわれると首を傾げたくなる。
「……地味だな」
 思わず呟くと、千宏はふふん、と自慢げに鼻を鳴らしてふんぞり返った。
「わかってないなぁハンス。いい? 虎の国では女はみんなドハデで大胆なわけだ! この国の男はそれに慣れてる。慣れきってる! つまり、地味で大人しくて従順な女に新鮮味を感じるわけだ! つまり味が濃い物ばっかり食べてると無性にご飯が食べたくなるのと同じ。えがたい物が好まれるってね」
 どこかで聞いた台詞である。
 よく理解はできなかったが、ハンスはとりあえず理解したふりをして頷いた。
「それで、首輪がどうしたって?」
「上手くつけられない」
「どれ」
 新品らしいその首輪は、メス用の首輪だった。柔らかな質感の皮製の首輪で、首輪と言うよりは幅広のチョーカーに近い。
 しばらく首輪の構造を調べ、ああ、とハンスは頷いた。
「このタイプの首輪には爪がいるんだ。道具がないとヒトには扱えない」
 オスヒトの所有率は男女で半々だが、メスヒトを買うのは圧倒的に男が多い。だから基本的にメス用の首輪は、男の手で扱いやすいように出来ていた。
「ほんとだ。ネジみたいになってる」
「ロックしていいのか?」
「後でちゃんとはずしてよね」
 言って、千宏はハンスに背中を向けた。
 その首に首輪を巻きつけ、くぼみに爪を引っ掛けてロックする。爪を持った男ならば、誰でもつけ外しが出来る簡易的な首輪だった。
 魔法的な仕掛けがあるわけでも、鍵が存在するわけでもない。おまけに、銀色のネームプレートには無記名だった。
 ぴったりだ。
 ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
 だが、なにがぴったりなのかよく分からない。確かにこの首輪は、千宏には似合うかも知れないが――。
 かちん、と音を立て、首輪が千宏の首に固定される。その瞬間、妙な胸の高鳴りを感じたのを、ハンスは否定できなかった。
「さてと」
 言って、千宏が胸までブラウスのボタンを締める。
「あとは、ぜんぶハンス次第だ。頼りにしてるよ。ご主人様」
 唇の端に口付けられ、ハンスは真っ赤になって全身を緊張させた。
 言葉は出てこなかったが、任せてくれという意味を込め、こくこくと何度も頷く。
 比較的小柄で、気性も穏やかで、なおかつ小金を溜めている――そんな存在に、ハンスには心当たりがあった。
 ここは港町で、今は夜だ。きっと見つけられるだろう。
 千宏に送り出されて、ハンスは宿を後にした。

 カーテンを引いた窓辺に腰を下ろし、千宏はカーテンの隙間から沈み行く夕日を眺めていた。
 大丈夫だ。怖くない。
「怖くない……怖くない」
 あの日、初めてバラムに抱かれた日を思い出し、繰り返し言い聞かせる。
 通りには様々に種族の“人間”がひしめいていたが、やはりトラが一番多かった。ここは港に程近い宿だ。きっと通りを歩く男のほとんどは水夫なのだろう。宿の正面にある酒場からも、底抜けに明るい馬鹿騒ぎがこぼれていて、みな出港できない鬱憤を発散しているようだった。
「怖くない」
 思わず笑いがこぼれる。
 千宏は静かに窓から離れ、柔らかなベッドに寝転がった。その状態のまま、床に置いてある荷物をあさり、意味もなくローションなどを眺めたりする。
 ハンスはどんな男を連れてくるのだろう。
 やはり最初は、順当にトラだろうか。素股で終ってくれる客だといいのだが。いやしかし、今後の事を考えればやはり本番になれた方がいい気もする。
 千宏はちらと時計を見た。まだ十分もたっていない。
 ごくりと生唾を飲み込み、千宏は取って置きの一品を荷物の底から引っ張り出した。
 異種姦――背徳の享楽――。
 エログロと言っても過言では無いレベルの露骨な官能小説だ。タイトルからも分かるとおり、異種族同士の情事を描いた作品である。
著者名を見た時はあまりの趣味の悪さに何かの冗談かと思ったが、内容はいたって真面目な官能小説であった。
 しかも、どうも感性が合うらしく、なかなかに興奮する。
 時間つぶしと気分の盛り上げもかねて、千宏はぱらぱらとページを捲り始めた。
「けもい」
 ぽつりと呟き、ページを捲る。
「えろい」
 第三者から見たら完全に理解不能である。
 そして、ハンスが部屋を出て行ってから二十分が経過した。ふと窓の外を見ると、日はすっかり落ちて港には夜が訪れていた。
 海のほうを見ると、灯台の明かりやかがり火が眩しいほどに夜の海を照らしている。光を反射してゆらゆらと揺れる水面は、思わず見惚れるほど美しかった。
 ふと、こちらに歩いてくるハンスの姿を見止めて、千宏ははっと息を詰めた。誰かを隣に連れている。
 千宏のようにすっぽりとフードを被っているため姿はよく分からなかったが、ハンスより随分小柄に見えた。
 じっと凝視していると、一瞬、フードの男が顔を上げた。ちらと、触覚のような物が覗く。
 ――触覚?
 いや。哺乳類に触覚は――ないだろう。ではヒゲか。それとも髪か?
 思わず食い入るように眺めてしまう。
 瞬間、千宏は悲鳴を飲み込んで思い切り窓から飛びのいた。
「ひ……ひ、ひ……ッ」
 喉が引き連れるような奇妙な音が断続的にこぼれてくる。
 頭から突き出した、ぎょろりとした二つの目。それだけが確認できた。だがそれだけで十分だ。あれは、明らかに獣じゃない。
 そうだ。この世界には哺乳類ではない“人間”もいて、ここは港町で、それで、じゃあ、つまりあれは――。
「ふ……ふなむし……?」
 言った瞬間、千宏はぞくぞくと全身を粟立たせて必死に悲鳴を飲み込んだ。
 コンクリートブロックにかさかさと群がるなまっちろいフナムシの群れを思い描いてしまったからだ。
 千宏は泣き出しそうだった。こんなことは想定していない。
「ハンス……ハンス! ちょっとお客入れる前に話があるんだけど……!」
 先ほど、ハンスが通りの向こうからブルックの呟きを聞き取った事を思い出し、千宏は必死にハンスの名を呼んだ。
 千宏の切羽詰った声に異常を察したのだろう。一分と待たずに、ハンスが部屋に飛び込んできた。
「どうしたチヒロ! 何があった!」
 ハンスが駆け寄ってきたその刹那、千宏は思い切り拳を振り上げてハンスの頭を殴りつけた。
 キャンッ。と実にイヌらしい悲鳴を上げて、ハンスが唖然として千宏を見る。
「なんで殴――」
「このバカ! バカイヌ!」
「な、なん、な……」
「なんでフナムシなの? ねぇ? なんでフナムシ? 確かにあたしは容姿は条件に入れなかったよトラやイヌの顔の区別なんてあたしにはほとんど付かないからでもさ! でもフナムシはないでしょ!? さすがに! フナムシはねぇよ!」
「な、なんの話を……」
「お客の話に決まってんでしょうが! なんで哺乳類じゃないのよ! 哺乳類だったらあたし別にハゲてるデブジジィが相手でも全然問題ないよ! 爬虫類でもいいや! でも虫だけはねぇよ!」
「チヒロ落ち着け! なんだ、おまえシャコが嫌いなのか?」
「シャコは好きだよカニみたいな味でおいしいし! さっと茹でて頭からかぶりつくの大好きよ! でも今はそんな話は――」
 そこまで言って、はたと千宏は気が付いた。
 シャコ――シャコだと?
「……シャコなの?」
「シャコだ」
「フナムシじゃない」
「違うな」
「……ああ」
 呟き、千宏は頭を殴られて涙目になっているハンスを見た。
「……そう」
 ぽつりと呟き、襟首を捻じり上げていた手を放す。
「……シャコって二足歩行するの?」
「なんだ突然。あたりまえだろう」
「手は何本?」
「普通の腕が二本だ」
「カサカサ歩かない?」
「おまえの世界だとシャコはカサカサ歩くのか?」
 さて、歩く所は見た事は無いが、脚が沢山あったのは覚えている。
 だが、水揚げされてビチビチしていたから、ひょっとしたら歩かないかもしれない。
 ふと疑問が沸いた。
「シャコが陸にあがって大丈夫なの?」
 水中生物であるわけだし、エラ呼吸なのではないのか。
 ハンスはひょいと肩をすくめ、何でも無い事のように、
「陸上生活用の魔法がある。夜になると沖の様子を伝えに来るんだ。それで翌日の出港の準備をはじめる」
 と答えた。
 なんでもありである。千宏は顔を顰めた。
「シャコは根暗で陰気で口下手で尚且つ暗いところが好きな不気味な奴だが、気性は荒くないし体もそんなに大きくない。力だけは異常に強いが、普段から怪力を出してるわけじゃない」
 なるほど、性格はハンス似か。
 そんな事を思ったが口には出さないでおいた。すでに言われなき暴力を振るっているので、せめて言葉の暴力は控えよう。
「じゃあ、二足歩行してて、腕は二本しかないんだね?」
「……そうだな」
「今の見逃しきれない間はなんだ」
「説明しづらいんだ。見た方が早い」
「見た結果あたしが受け付けない形態してたらどうすんのよ!」
「帰ってもらえばいいんじゃないか?」
「そんな可哀想なこと出来るわけないでしょ!?」
 姿を見ずに追い返すなら、まだ先方の精神的ダメージも少ないと言うものである。
 千宏はしばらくうろうろと部屋を歩き回り、がりがりと頭を掻き毟った。
 折角官能小説でけもけもなえろえろ妄想に浸っていたと言うのに、まさか脚が過剰な毛無し生物がつれてこられるとは思わなかった。まったく大誤算である。
「……よし。わかった。ヤろう」
 こんなことでめげていてはいけない。
 千宏はよし、と腹に気合を入れ、恐怖のシャコ怪人を部屋に連れてくるようにハンスに指示を出した。
 悲鳴を上げて飛び上がらないように、気合を入れておかねばならない。
 千宏はじっとドアを睨み据えた。
「入るぞ」
 ドアの向こうからハンスのそんな声がかかり、千宏はベッドの上に正座した状態でぎゅっと唇を噛み締めた。
 たとえどんなグロテスクな代物を見せられようと、眉一つ動かさずにいてみせる。
 そして、ハンスはぼろきれに近いフードを被った男を部屋へと引き入れた。
「――明かりを消してくれ」
 開口一番、シャコは言った。
 そうか、明るいのが苦手なのか。ハンスは黙って照明を落とした。
 瞬間、部屋の壁全体が薄ぼんやりと光はじめ、室内は淡い光に包まれた。こんな仕掛けがあったとは知らなかった。千宏は思わず間抜け面を晒してきょときょとと部屋を見回した。
「これがヒトか。はじめて見る」
 はっとして、千宏は部屋を見回すのをやめて改めてシャコを見た。
「うぐッ……」
 思わず、妙な声が上がる。
 触覚ではない。――どちらかというと、口ひげに近かった。ほっそりとした触覚のようなヒゲが、左右四本延びている。
 顔は、思っていたよりは酷くない――と言えなくもない。頭から突き出した二つの瞳はやはり不気味だが、耐えられないほどではない。
 問題は体だ。千宏は生唾を飲み込んだ。
「どうする?」
「そうだな……とりあえず、口でしてもらおう」
 ――勘弁してくれ!
 内心、千宏は思い切り絶叫した。
 シャコは確かに好物だが、生きている状態を口に含みたいとは思わない。
 だが、だが二足歩行だ。腕も確かに二本しかない。ヒトのようなものじゃないか。千宏は必死に自分に言い聞かせた。
「一応、俺も同室させてもらう。無茶をさせないようにな」
「ああ。その方が助かる。加減が分からないからな」
 あくまで事務的な会話を交わすシャコとイヌである。
 千宏はじっとりと嫌な汗が滲むのを意識した。
「チヒロ。出来るな?」
 こくこくと頷く。
 そして、シャコがローブを脱ぎ捨てた。
 ――よし! 許容範囲!
 心の中で千宏は絶叫した。歓喜の叫びである。
 シャコは、人間の皮膚に鎧を貼り付けたような体をしていた。わき腹から三対、名残のように小さな歩脚があるが、飾りか何かだと思えばなんと言う事は無い。
 腹部は見事に割れていたが、おそらく腹筋では無いだろう。なにせシャコである。
 闇に鮮やかな青色をしていた。腕の部分は真紅である。華やかな裸だ。そう思えばなんということはない。
 そして、下半身に視線をやる。
 完全に萎えてはいたが、それはヒトのものに近いように思えた。特にサイズ的には、理想的に標準的だ。
 シャコをベッドに横たわらせて、千宏は一つ深呼吸してシャコを見た。
「チヒロです。よろしく」
 精一杯の笑顔を見せる。
 シャコは一切表情を動かさなかった。というより、表情の変化を読み取れる器官が見当たらない。
 千宏はおずおずと頭を伏せて、萎えたシャコのものにそっと舌を這わせてみた。
 ――無味無臭。少し、潮の香りがするだろうか。
「ん……んん、ん」
 硬い。色っぽい意味ではなく、無機質に硬い。そして冷たい。鎧を舐めているような気分だ。
 これでシャコは感じられるのだろうか? 竿にへばりついた鎧のような殻の隙間を、舌でなぞるようにして舐めて行く。
 するとそれはむくむくと立ち上がり、少しだけ暖かくなった。とろりと先走りの液が溢れる――認めたくないが、美味い。
 と言う事は、魚の精液はきっと白子のような味がするんだろうな、と千宏は何となく考えていた。
 とろとろで、濃厚で、少し甘くて――。
 嫌悪感を忘れて、千宏はせっせとシャコに奉仕した。味がいいので精も出るというものである。
 嘗め回し、甘噛みし、強く吸い上げる。
 ぐ、と低くシャコが呻き、口の中に勢いよく精液を吐き出した。
 比較的さらさらしている。千宏はそれを飲み下した。最後の一滴まで、丁寧に舐め取ってやる。味がいいからこそのサービスである。
 すると、一度は萎えた物が再び首をもたげ始めた。ちらと、シャコの顔に視線を投げる。
「おい」
 すると、シャコがハンスを呼びつけた。
「明日には船が出る。次はないからな、最後までやらせてもらう」
 その言葉に、千宏の緊張感は跳ね上がった。もう美味いなどとは言っていられない。
 いったんベッドから降りて金銭のやり取りをして、シャコが改めてベッドに戻ってくる。自分で脱いだ方がいいだろうかと、千宏は緊張しながら恐る恐るブラウスに手をかけた。
 しかしシャコはそれを制し、器用にボタンをはずしはじめる。存外に紳士である。
「あ……ぅわ……」
 長い四本にヒゲが素肌にあたり、ひどくくすぐったかった。
 ブラウスを脱がされ、下着を取り払われる。
 固く冷たい指が、柔らかさを楽しむように皮膚の上を這った。目を開けると、恐ろしげなシャコの口が見えるので快楽に耐えるふりをして目を閉じる。
 なにか、わき腹をくすぐる物があった。指ではない。
 薄目を開けて少しだけ視線をおろすと、あの、わき腹から飾りのほうに生えていた三対の脚が、そっと千宏の体を愛撫していた。
 思わず小さく悲鳴がこぼれそうになるが、苦労して飲み込む。千宏は頑なに目を閉じた。目を閉じていれば、これもそれなりに気持ちいい。
「あ……ふぁ……ん、っ!」
 きゅっと、シャコの指先が充血した乳首をつまみ上げる。
 その恐ろしく繊細な指使いに、千宏は内心狼狽えた。
 こんなにも、種族によって違う物なのか。なんというか、あまり認めたくない事だが――トラよりもずっと“優しかった”。恐ろしいほど安心できる。
「あ、や……んん……っは!」
 シャコの手がゆるゆるとわき腹をなで、スカートをたくし上げて太腿を撫でた。
 冷たく、硬い指先だ。それが下着の上から割れ目をなぞり、ぎゅっと強く押し付けられる。千宏は腰を浮かせて嬌声を上げた。
「は、ぁ……そこ、そ……ん、ひん……」
 下着をずらし、指が入り込んでくる。
 千宏は口元に両手を当てて歯を食いしばった。恐ろしく的確に感じるところを探り当て、そして重点的に責めてくる。
「あ、いく……いっちゃ、あ……いく、いッ――!」
 びくん、と小さく背を反らせ、千宏は軽く達して脱力した。
 すいと逃がした視線の先で、ハンスがじっとこちらを見ている。
 目が合ったことに気付くなり、ハンスは慌てて目を逸らした。
「いれるぞ」
「ぇあ? あ……わ、ぁ、あぁあぁ!」
 突然――というより、千宏が集中していなかっただけなのだが――腰を強く引かれて、最奥まで貫かれた。
 鎧のような殻が、ごつごつ、でこぼことしており、それが入り口を激しく擦り上げる。
 思わず、千宏は思い切りシャコの体にしがみ付いた。
 そうすると、シャコのわき腹の小さな脚や、口元の長いヒゲが一斉に千宏の体を責める。
 だが、密着してみるとそれだけではなかった。
 腹筋のように見えたシャコの腹部――それが蠢き、触れた部分をまるで舌のようにねっとりと舐め上げた。
 思わずぎょっとして体を引こうとするも、シャコの力はそれを許してくれない。
「やだ、なに、なにこれ! なに……!」
「怖がるな。遊泳脚だ」
「ひぁあぁ! や、やぁあ! は、んぁ……っは、ひ……あ、あぁぁ……!」
 激しく、だがねっとりとシャコが腰を降り始める。
「だめ、だめ、そこ、だめ……うぁ、うそ、そんな、こすれちゃ……!」
 遊泳脚が全身を舐めるように愛撫し、小さな三対の歩脚がからかうようにわき腹をくすぐる。激しく出入りするものは硬く、ごつごつとしていて、千宏は歯を食いしばって仰け反った。
「も、だめ……だめ、だめ、だめ……!」
 千宏は容赦なくシャコの背を掻き毟ったが、硬い殻には爪あと一つ残らぬようで、千宏の爪の方が削られていくようだった。
 こちらも限界が近いのか、シャコも激しく腰を振りたて始める。
「いく、い、いっちゃ……も、あ、いく、い……あぁぁあぁ! あ、は、あッ……やぁあ、だ、も、いって……も、も……や、また……きちゃ――!」
 立て続けに襲ってきた二度目の絶頂の直後に、シャコは千宏の中にぬるい精液を注ぎこんだ。その奇妙な感覚に、ぞくぞくと肩を震わせる。
「あ……んん……」
 ぬるりと、萎えた物が引き抜かれ、唇を噛んで小さく呻く。
 息を乱してぐったりとなった千宏から体を離し、シャコは一つ溜息を吐いた。
「――次はいつ来る」
 唐突な問いかけに、ハンスは一瞬目を瞬き、直後にはっと我に返って慌てて「分からない」と答えた。
「また立ち寄る事があったら……声をかけてくれ」
 それだけ告げて、そそくさとローブをまとってフードを被る。
 千宏はまだぼんやりとして、シャコのことを眺めていた。最初は不気味に思ったが、改めて見るとそれなりに格好いいかもしれない。
「またのご利用を」
 むくりと体を起き上がらせ、千宏は会心の笑みでシャコに笑いかけた。
 早々に部屋を立ち去りかけていたシャコが足を止め、驚いたように千宏に振り返る。
「……必ず」
 それだけ告げて、シャコは立ち去っていった。
 陰気と言うより、事務的な印象のほうが強い。それとも、事務的なことを陰気と呼ぶのだろうか。確かに間違いなく陽気ではない。
「……あ、べたべたする」
 そして、若干磯臭い。海水だろうか。千宏は顔を顰めた。
 しかし――と思う。
「口と本番で六十五セパタ……? うわ、シャコって金持ち……」
 正直、五十セパタはぼりすぎなんじゃないかとも思っていたが、あまり心配はなさそうである。
「しかも紳士的だし。死ぬほど絶倫じゃないし。ハンスお手柄! よくやった!」
 ひょいとベッドから立ち上がり、千宏はこちらに背を向けた状態でソファにうずくまっているハンスの背中に飛びついた。
 すると、ハンスは千宏を振り払うようにして立ち上がった。
「い――いいから早くシャワー浴びて来い……! 遅くなると、またあのトラが怒り狂うぞ……!」
 逃げるように千宏から距離を取り、早く行けとこちらを睨んでくる。
 千宏は目をしばたたき、そろそろとハンスの下半身に視線をおろした。
「……報酬。今いる?」
「うるさい! 余計なお世話だ! 早くシャワーを浴びて来い!」
 泣きそうな声で怒鳴りつけられ、慌ててシャワールームへと逃げこむ。
「口でくらいならしてあげるのに……」
 そんな事を呟き、千宏はやれやれと溜息を吐いた。
 
 千宏がシャワーを浴び始めるのを確認し、ハンスはみっともなく勃起してしまったものを慰めるため、乱暴な手つきで自慰にふけった。
 自慰と言うより処理といった方が適切かもしれない。
「くそ……くそ……!」
 ひどくみっともない思いをした。
 仕事中だと言うのに、興奮などしてはいけなかったのに、顔を真っ赤にして、苦しそうに息を詰めて、うっとりと目を潤ませる千宏から目を逸らせなかった。
今回は、何もなかったからよかった。だがもし千宏が乱暴な事をされ、危険な状態になった時、こんな事ではとても千宏を守れない。
 その上、それが千宏にばれてしまった。
 情けない。みっともない。だらしない。
「くそッ……!」
「そんな風にしたら痛くない?」
「ッ――!」
 シャワーの音はまだ続いている。
 ハンスは文字通り飛び上がった。
「な……な、な……!」
 裸のまま髪も拭かずに、千宏が歩み寄ってくる。
 夢中――と言うより、必死になりすぎていて気付かなかった。
 ハンスは何もいえずに呆然と、ただ千宏を食い入るように見詰める事しかできなかった。
「大丈夫。仕方ないよ、初めての仕事だったんだし。AV見たら誰だってこうなるもん」
 慰めるように千宏は笑い、ハンスの隣に腰を下ろすと、そっと陰茎を包み込んだ。びくりと肩を震わせて逃げようとするハンスを、しかし千宏が優しくなだめる。
「特別手当ね」
 にっと笑って、千宏がゆっくりと手を動かし始める。
「よせ! 俺は……!」
「気持ちいいでしょ?」
「う……ぁ……」
 親指の腹で優しく、舐めるように亀頭を撫で回す。ハンスはぞくぞくと肩を震わせ、女のようにだらしなく喘いだ。
「あたしのこと見て興奮してくれたんだよね」
「ッ……ぅ、く……」
「ありがとう」
「だめだ、もう――ッ!」
 あっけなく。
 恐ろしくあっけなく達してしまった自分に、ハンスは呆然となって吐き出した精液を凝視した。
 それは千宏の手を汚し、そしてだらだらと垂れて自らの毛並みを汚している。
 ひどく惨めだった。
 ひどく――ひどく――。
「俺は……」
「ハンス?」
「俺にだって……プライドってもんがあるんだ……!」
 叫んで、ハンスは千宏を乱暴にソファに押し倒した。
 うわ、と情けない声を上げ、しかし抵抗もせずに千宏がソファに沈み込む。
「俺をガキみたいに扱うな」
「ハン……」
「うるさい!」
 怒鳴りつけて、ハンスは無理やり千宏の口を開けさせて自らの舌をねじ込んだ。
 苦しそうに千宏が呻くが、しかしやはり抵抗はしてこない。
 まともに仕事も出来なくて、仕事中にみっともなく勃起して、それを雇い主に見られて、しかも、まるで子供の悪戯を慰めるように処理を手伝ってもらう。
 こんな――こんな屈辱があるだろうか。
 自分はもう五十年も生きていて、千宏はヒトで、奴隷で、それなのに、それなのに――!
 抵抗どころか、反応も示さない千宏の態度に若干の落ち着きを取り戻し、ハンスは千宏の口腔を犯していた舌を引き抜いた。
「……ごめん」
 その途端、千宏が小さく謝罪を零す。
 千宏は心底困り果てた表情でハンスの首に手を伸ばそうとし、しかし躊躇してその手を引っ込めた。
「ごめんなさい……」
 違う。
 違う、悪いのは千宏じゃない。
「あんたが俺を雇ってるんじゃない。俺があんたに雇われてやってるんだ……」
「うん」
「俺がその気になったら、あんたを売り飛ばすことなんて簡単なんだ……!」
「うん」
「俺は……!」
 ぎりぎりと、ハンスは歯を食いしばって飛びのくように千宏から離れた。
 みっともない。
 なんて下らない矜持だ。
「ほんと、あたしが馬鹿だった。辛そうだったからつい……手伝ってあげたくて。プライドを踏みにじるとか、ほんとに、そんなつもりじゃなかったんだ」
 ハンスは答えられなかった。
 今何か言ったら、間違いなく声が震えてしまう。そしてそうしたら、きっと惨めな泣き顔を晒すに違いない。
「……シャワー……浴びてくるね……」
 沈んだ調子で呟いて、千宏は再び、とぼとぼとバスルームへと消えていった。

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