ブタと真珠様 二話
「い…いきなりぶつ事ないじゃないかよう!」
ブヒブヒと鼻を鳴らしながら、豚男は涙ながらに抗議している。
状況を忘れてぽかんとその顔を見た。――泣いている。豚が。喋るのに合わせてぱくぱくと口が動いている。
どうやら被り物ではないらしい。正真正銘これが奴の頭部なのだ。CG映画か、漫画の中か、まさに幼いころ読んだ『三匹の子ぶた』を彷彿とさせる姿。
「何だお前は!!!?」
「おまえこそ何だよお! ヒトの癖にぃ!」
これは夢だろうか。夢ならば全て説明がつくのだが、ではいつのまに眠ってしまったというのだろう。
それに、どこまでが夢? まさか中野さんとのプレイから?
しかし五感のすべてを研ぎ澄ましても、今ここで起こっていることは全て現実であるようにしか思えないのである。
依然としてポーカーフェイスを保ちつつ、内心では非常に焦っていた。
なぜなら、中野さんは従順な奴隷の模範みたいな人だから、命令されない限りずっと三角木馬に乗ったままに違いないのである(素っ裸で)。
もし時間内に戻れなければカウンターの子が気を利かしてプレイルームを覗いてくれるだろうが、不当に延長料金を取る事になれば、次からは来てくださらないかもしれない。
何よりもそれが気になる。自分はプロで、お客様の人に言えない性癖の秘密を守る信用商売だ。
とにかく早く戻らなくては。中野さんの希望のメニューに放置プレイは入っていない。…この場合はサービス過剰になるのだろうか?
「えーと…そこのお前、ここはどこか言ってごらん」
「はあ? なんだよその口の利き方! おまえ自分の立場わかってんのかよお!」
「うるさい豚だね! 口ごたえする気かい豚の分際で!!」
「そっちこそヒトメスの分際で…」
「なぁーにぃーーーー!?」
「ひー! ごめんなさいごめんなさい!!」
鞭を撓らせて空気を叩くと、バシーン!! と雷のような音が響き渡った。土と枯葉がバラバラになって飛び散る。
先ほどの一打がよっぽど痛かったらしく、豚男は大げさなほど怖がって身を伏せた。
やはり調教は一番最初が肝心である。こんな状況なりに面白くなってきて、少々調子に乗った。
「ほぉら、お前、懺悔が聞こえないよ」
「ざ、懺悔?」
「そうさ。私は豚の分際で気高い女王様に対し恐れ多くも欲情し襲いかかるという大罪を犯しました、こんな醜いクズの豚めをお仕置きしてくださって有難うございます、だ」
「な、なんでおれがヒトメスなんかに…」
「淫らな雄豚の分際で何が人雌だ、身の程を知れ。そして這い蹲れ。哀れに涎を垂らして懺悔しな」
「嫌だね! ここはおれのひそかな楽しみの場なんだ! 突然現われたおまえが悪いんじゃないか!!」
「悪いけど、あたしは好きで来たわけじゃないんだよ。いいから答えな、どこなんだここは」
「う…ウサギの国だよ!!」
「あ? 嘘をつくんじゃないよ。おまえのどこが兎だ? どこからどう見ても薄汚い豚だろうに」
「うそじゃねーよ! …いってー!」
苛々して来たので、とりあえず脳天に一発お見舞いした。
豚男はやはり大げさにのたうち、うつぶせになって呻いている。その後頭部にくっきりと赤い線が浮かんだ。
棒と違って、鞭の先は当たった瞬間に巻きつくのである。熟練者は一発でアルミ缶をまっぷたつにすることも出来る。まさに凶器。
「口の利き方に気をつけるんだね、豚」
「それさっきのおれの台詞だろ! ていうか豚って言うな! おれの名前はアルノだ!」
「奴隷に名など必要ない」
「うるせーよ! おまえ誰だよ」
「奴隷に名乗る名などない」
「だめだ会話できないよこいつ!」
「女王様、とお呼び。そして崇め奉れ」
「めんどくせーよ! めんどくせーよおまえ!!」
「二回言うな喧しい。ところで」
「何だよ!」
「お楽しみというのは、それのことかい?」
土の上に伸びたままの豚男につかつかと歩み寄り、股間に鞭の先を当てた。
豚男が豚なのは頭の部分と皮膚の色だけで、あとは概ね人間と同じつくりだ。服もちゃんと着ている。
――だらしなく開いたままのズボンのチャックの間から出ている、すっかり萎えたそれも。
指摘されて顔を真っ赤にし(まさに茹で豚)、慌てて隠すそのしぐさも。
「み…見んなよエッチ! 変態!!」
「自らさらけ出しているものを見て何が悪い? お前は丈の短いスカートを穿いて駅の階段をのぼるJKか」
「…なんだそのじぇーけーって」
「女子高生の略だ、愚か者。半年ももたずに泡沫の如く消えゆくさだめの儚い言語だ」
「なんだそりゃ意味わかんね…だからいてぇっつってんだろーーー!!!」
びっしばっし、と往復で両肩を叩いてやった。さほど痛くない程度に。
どうやらこの豚は痛みに弱いらしかった。よくもまあこれだけでぎゃあぎゃあと喚けるものだ。
「わざわざこんな森の奥で自慰行為か。なかなかの趣味だね、お前は」
「ち、ちげーよ! そんなんじゃねーよ!!」
「では何をしてたんだい? トリュフを探してたとでも言う気かい?」
「いや、その…し…してたのは、そうだけど! でも別に毎日とかそういうんじゃ!」
「一度でもやろうとした時点でそのケがあるってことだね」
「仕方ねーだろ! ウサギの国を歩いてると、いろいろと…その、刺激が強すぎんだよ」
「それとこの有様と何の関係がある」
「おまえそう言うけどな! ウサギの国の風俗街はすげーんだぞ!!」
「何がすごい」
「言えるかそんなもん! すぐそこが入り口だから自分で見てきたらいーだろ!」
豚が指さした方向に首を向けると、なるほど、森の木々の隙間から賑やかな街の灯りがぼんやりと見える。
耳をすませば確かに喧騒が聞こえてきた。程度はわからないが栄えた街らしいことはわかる。
おにいさんよってかなーい、という高い可愛らしい声が風に乗って届いた。
「ふん。解せないね。そんなに凄いならこんなところで自家発電に励まず、そういう店で発散すればいいだろう」
「…そういうわけにもいかねーんだよ」
「なぜ?」
「えっと…相手されねーんだよ。ブタは人気ねぇから」
「ほう?」
「おまえだってさっきからおれのことさんざんバカにしてただろ。それと同じだ」
「いいや、全く違うね」
「は?」
「その店の者が本当にプロなら、人種でお客様を差別したりなんかしないよ。あたしらはお金と引き換えにお客様の願望を余すところなく叶えて差し上げるのが仕事だ。誰が相手であろうとね」
「…うん、まあ、サービス業ってのはそういうもんだけど」
「よって、お前は行く店を間違えた。そしてもうひとつ、お前はあたしを襲おうとした。いわゆる性犯罪者だ。犯罪者に容赦なんていらないね。徹底的に叩きのめす」
「性、犯罪者???」
豚は、思いがけないことを聞いた、というように眼を見開いた。
何度か首をひねり、ややあって合点のいったように頷く。
「…ああ、そうか…そう、だよな…」
「思い至らなかったのか、愚かな」
「いや…だっておまえ、ヒトだし」
「何?」
「おれらの感覚では、ヒトってのはおもちゃや奴隷みたいなもんなんだ。襲っても殺しても、罪にはならないんだよ」
…なんだ、それは。
心底胸糞の悪い話を聞いてしまった。やはりここは日本ではない。半人半豚男が実在している時点で気付いてはいたことだが。
そして夢なら早くさめてほしいのだが。
「成程な。だから突然現われた人間のあたしを見つけて、これ幸いと襲いかかったわけかい。そりゃ自慰よりは気持ちがいいものねえ」
「うん。…ごめん」
「怒ったり謝ったり忙しいねお前は。…とりあえず」
「うわ!!????」
腰のベルトを引き抜き、股間の前で交差していた豚男の手首を縛り上げた。
この電光石火の動きは修行の賜物だ。亀甲縛りも達磨緊縛も後小手縛りも、ものの数秒でこなせるようになった。
いつもなら腰に麻縄を吊るしてあるのに、中野さんが縛りにさほどご執心じゃないのを知っているから外してしまっていた。つくづく惜しい。相手が豚なだけに、さぞかし絵になったのに。
「ちょっ…何すんだよ!?」
「決まっているだろう?」
顎を上げ、目線だけを下に落とし、悠然と、妖艶に微笑む。『お客様』の前ではいつでもそうであるように。
そう、例えここが異世界であろうとも、自分はいついかなるときでも『女王様』。
「喜びなさい。身の程知らずの豚に、本物の『プロ』ってやつがどんなものか、たーっぷりと教えてあげようねえ?」
(続く?)