小さな龍と猫の姫 一話
話し声が聞こえてくる。
孔龍は虚脱感の中で、薄く目を開けた。
始めに目に入ったのは、見たこともないような天蓋であった。ぼんやりとした意識、身体に満ちる重さ。縫い付けられたように動かない身体は、清潔な布に包まれた豪奢な寝台の上に横たえられている。
「……また突然ね、ステラ」
横合い、澄んだ女の声が響く。それに被さるように、早口だがしっかりとした口調で声が発された。
「仕方のないことでございますわ。私もまだ事態を把握しきれていませんもの。それよりこの少年、衰弱が激しい様子です。シノ様に診ていただいてからでなくては、お嬢様と引き合わせられませんわ」
声音は穏やかである。少年、という単語を聞きとめ、それが誰を示す言葉か、孔龍はようやく思い至った。
意識を失う前を回想する。包囲、戦闘、一騎打、三分咲。自分が意識を失うまでの経緯を思い出し、孔龍はようやくまともに思考を始めた。
「落ちモノが何かしら患うのは不自然ではないからね。……いいわ、リアに万一のことがあってもつまらないもの。読書の途中だったけれど診てあげる」
「ありがとうございます。……では私は『もう片方』に事情を聞いてきますので」
それを他所に、二人の女は会話を続けている。首さえ動かない状況で、孔龍は大儀しながら目線を声のほうに滑らせた。
そこにいたのは、美しい二人の女。……とはいえ、孔龍にしてみれば不自然な点がいくつもある。
金色の髪をした女が、喉を鳴らすように笑った。年のころなら二十の半ば、複雑な刺繍の入った貫頭衣帯にを締め、流麗な金髪を腰まで長している。
異様なのはその頭、天辺に耳が跳ねている。まるで獣の――そう、狐のような耳。加えて言うならば、腰の辺りには尻尾があった。ふわふわと揺れる尻尾は、ただの飾りには見えない質感がある。
「本当に事情を聞くだけかしら?」
「……ど、どういう意味の質問か判りかねますわ」
意地悪げな金髪の女から目を逸らしながら、銀髪の女が声を詰まらせる。
生真面目そうな表情に、意志の強そうな瞳。こちらもまた髪と同じ色の耳を、ピンと立てていた。
その装束は柔らかそうな布地がいくつも装飾としてつけられた洋装で、孔龍の認識からすれば信じがたい服装である。実用性がない、と彼が場違いなことを考えた時、金髪の女が声を漏らして笑ったように見えた。
「いいえ、判らないならいいのよ、ステラ。いってらっしゃい」
「……はい。では、失礼します、シノ様」
どこか敗北感を背負いながら、銀髪の女が身を翻し、出て行く。身を翻して部屋の戸口に向かうその腰元には、やはり尻尾が見えた。先端が墨をつけた筆のように黒い、銀色の尻尾である。
――夢かな。
孔龍は幾度かそれを疑ったが、身体を重くする倦怠感は続いているし、目を閉じてもう一度開いても、この豪奢な洋間は消えはしなかった。今までの生活では見たことのない絢爛さは、見るものを圧倒するほどに荘厳である。
かちり、と扉の金具が鳴る音が響いた。それ以外の物音を立てず、銀髪の女が出て行ったのである。
「さて」
くるり、と女が振り返った。琥珀色の瞳が瞬き、孔龍に向かって注がれる。孔龍は反射的に目を閉じた。あの女は化生か、或いは魔性か。目を合わせてはならないと本能的に感じた。
「隠さなくても良いわ。既に起きているんでしょう」
女が、寝台の上に手をついた。きし、と微かな音を立て、柔らかい寝台が軋む。
「危害を加えるつもりはないわ。だから目をお開けなさいな」
騙されるな――と内心で声が響く。優しげな女の声は、警戒を解きほぐすように心の内側に忍び込んでくる。身体が動けばすぐにでも逃げ出すものをと歯噛みするのだが、四肢に鉛を詰め込まれたような感覚がする今の状態では、まともに動くことも叶わない。
「……何者ですか、貴女は」
「何者とはご挨拶ね。倒れていた貴方をここまで連れ帰ってきたステラに感謝の一言があっても良さそうなものだわ。本来なら既に売り飛ばされて慰み物にされていてもおかしくないのよ? それとも本当にそうされたいのかしら」
微か、早口で女は告げ――それから、嘆息した。
「まあ、身体がその状態では冷静に話もできないでしょうね。力を抜きなさい、ヒトの子」
ばさ、と身体を覆っていた布団を剥がれて、肌が外気に触れた。
……外気?
孔龍は思わず目を開けてしまった。衣服の感触がないということに今更気付く。悪い予感であれと祈るも、やはりそれは真実だった。身体を覆う布が何一つなく、傍らには寝台に手を突き、たおやかな指を胸元に這わせる傾国の美女。
「……な……な、ななな、なぁあああっ?!」
「五月蝿いわ」
じろ、と女が琥珀の瞳を孔龍の瞳に向けた瞬間、孔龍の喉はぴたりと震えるのをやめた。
何をした、と問いかける声が出ない。唇が音を失ったかのようだ。胸元を這う手が、触診するような手つきで少年に触れていく。
わけもわからぬまま浅くなる呼吸、熱くなる体。唇をぎり、と噛み締め、それに耐える。
「ふうん。……覚えがあるわ、この症状。貴方、戦うヒトね。それもかなりの使い手」
見透かすように女が言う。あまりにも正鵠を射た言葉に、身体を固くした。
「心拍数と血流が増大。当たりのようね。喋らなくても良いわ、喋れないでしょうけど」
靴を脱いでベッドに上がり、女は一糸纏わぬ孔龍の身体にまたがるように座った。
「心配することはないわ。……この地の空気に身体が合っていないのよ。吸いすぎれば酸素とて毒になるのと同じ。戦うための力……私達はそれをエーテルと呼ぶけれど……を吸い込みすぎたから、貴方の身体がパンクしそうになっているの」
女は嫣然と笑った。指先を舐め、そのまま孔龍の首筋に這わせる。
「……ッ!」
「だから、これはただの治療。楽にして、ただ受け入れればいい」
女の衣服が光に溶けて、裸体が露になる。白磁の肌に金の髪、衣服が消えても失せることのない長い尻尾と頭頂の耳。たわわに揺れる乳房は大きく、両手を宛がっても包めはしないと思わされる。
微かに香る、麝香の匂い。
「ふふ」
惜しげもなく裸身を晒しながら、女は指を鳴らした。戸口から金属音が響き、錠が降りたのだと孔龍が認識した瞬間には、女の顔がすぐ目の前にあった。
自分の胸板と彼女の体の間で豊かな胸が潰れ、柔らかく形を変じた。目を見開く孔龍の唇と、女の唇が重なり合う。
孔龍は走馬灯を見た気がした。
それは例えば、師父の下へ入門を願い参じた日の事であるとか、同門の少女に誘惑された日の事であるとか、それを突っぱねたせいで後々ややこしいことになったことであるとか、そういえば帝都の小籠包はとても旨かった、だとか、益体もない色々なことだ。だがそれも、次の一瞬で皆吹き飛んだ。
ぬるり、と舌が滑り込む。
「ん……ふぁ、っ……ぅ」
彼女の指先が孔龍の頬を這い登った。細い指が孔龍の耳を塞ぎ、聴覚を奪う。水音が頭蓋で反響し、口蓋の感覚のみが全てとなる。長い舌が絡み、顎から力が抜けた。噛み切ってやろうとも思えない。あまりに甘美で、振り払う気力さえ沸かない。
「……ふ」
女の唇が離れ、彼女の舌と孔龍の唇の合間に銀の橋がかかる。銀糸が途切れるころ、妖艶な女はもう一度顔を落とし、孔龍の耳元へ唇を落とした。金色の髪が顔に当たってこそばゆい。
女は確かめるような語調で囁く。
「私はシノ。この屋敷に住んでいる……そうね、魔法使いとでも言っておこうかしら。一瞬だけ声を出させてあげるわ。名乗りなさい、少年。優しく呼んであげる」
耳朶を蕩かす、糖衣のように甘い声。その内側に包まれているものは何なのだろう。
考えることも出来ぬまま、うわ言のように声を上げた。凍ったままだった喉が、嘘のように動く。
「孔龍……鄭、孔龍」
「いい子ね、コンロン。怖くないわ、そのままでいなさいな」
耳朶を舌がなぞり、耳孔までも犯していく。吸うような音が直接に奥まで響き、脳が痺れるような錯覚を受け、孔龍は横たわったまま背を逸らして声なき声を上げた。また喉は震えず、声も立たない。しかしそれは幸運なことであったように思えた。
もし声が出ていたら、どれだけ情けない声を上げていたか。
「ヒトと交わるのは久しぶり……もう二十年ぶりになるかしらね」
熱っぽい口調で囁かれ、思考までも蕩けていく。シノと名乗った女の指が胸の突端を転がし、絹糸のようなきめ細かな触感の指がそのまま下へ滑って、彼のものを捕らえる。
「熱くて……柔らかいのに、固くて。忘れられなくなるのも判るわ。ヒト奴隷が売れるのも仕方のないことよね」
奴隷という言葉に、問いを発したいと、微かな理性で孔龍は思う。この女性も、バーゼルと名乗った狼も、自分のことを商品扱いする。そんなことがあるものかと、力の限りの否定をしたかったが、次の瞬間にはその思考も掻き消された。
「……ァ……!」
自分の意思とは無関係に腰がビクつく。女の指が少年の剛直を探ったためであった。雁首に指を這わせ、先端から滲む先走りを指で掬い取り、幹に絡めて扱く。粘着質な音が、布の擦れる音に混じり、部屋の中に微かに響く。
「苦しいでしょう。すぐに楽にしてあげる。……貴方のそういう顔、たまらないわ。始めはただの治療のつもりだったけれど」
鼻にかかった息を漏らし、シノは自らの媚肉を指で掻き分けた。透明な雫が絡みつき、抜いた指の間で糸を引く。
「久しぶりだから、我慢が出来ないみたい」
熱っぽい息を吐きながら、孔龍の腰元へ己の腰をずらし、己の秘所へ剛直を宛がう。先端が軽く触れただけで、孔龍の身体は狂おしいばかりに彼女を求めてざわめいた。
「は……ぁ」
唇からまろび出る妖しい吐息。女の白磁の肌に微かに湿ったような艶がある。麝香の匂いが強くなる。そのまま数度遊ぶように、彼女は入り口と先端を擦れ合わせた。
「随分と固くなっているわよ、コンロン」
顔にかかる前髪を首を振って払いながら、シノは薄く笑うと、孔龍の胸に手を突き、胸を両腕で強調しながら問うた。
「……女の肌を味わうのは始めてかしら?」
コンロンは答えなかった。唇を引き結んで、消えてしまいたいくらいの恥辱を味わいながら右に視線を逸らす。言葉は何も発せぬのに、それでこの女はすべて得心したようであった。慈母の如く笑うと、そのまま上体を沈め、孔龍の頬に優しい接吻を落とす。
「ならば、これを数えるのはお止しなさい。いつか誰かに、自分から捧げるそのときまで……ね」
孔龍がその言葉の意味を考える前に、唇が離れた。直後、飲み込まれるような感覚。
「ぁあぁぁぁっ……ぁ!」
シノが喉を反らせ、孔龍のものをその身に受け入れる。孔龍は息をすることさえ、その瞬間に忘れた。感じた恥辱も、この状況に関するもろもろの疑問も、その瞬間だけはどうでもよくなってしまう。
彼女の中が絡みつく。微細な襞や隆起が、女の内側で剛直を攻め立てる。
「ん……っ、大き……」
甘やかな吐息をこぼしながら、馴染ませるように女が腰を回す。膣壁と剛直が擦れあい、孔龍を責め上げる。胸に置いた手を支えにしながら、女は腰を使った。
時折その指が、悪戯をするように孔龍の胸をなぞり、突端を爪でつつき、指の腹で沈め、つまみ、転がしまわす。その度、孔龍の腰が意識せず跳ね、女の内側を抉った。
「きゃ……ぁん!」
「……ッ、…………!」
孔龍は声の形にならぬ息を吐き出すので精一杯だった。何処とも知れぬ地で、化生の女と交わる。自らの価値観からすれば赦されざることばかりであるのに、それがこれほどまでに心地よい。それは或いは、禁忌の味であったか。
理性が折れて、本能が彼女を求める。
震える手を彼女の太腿に置き、もっと、と求めるように緩く掻いた。
「……可愛らしい、子。甘えているのね」
女の唇が、再三孔龍の唇と重なった。気だるい舌を今度は積極的に絡め、孔龍は女の背中に指先を立てる。
「……声を……ッんぁっ、……お出し、なさいな、コンロン」
間近。
シノの――否、キツネの眼が、金色に妖しく輝く。
「主が出すもの、何もかも、飲み込んで受け止めて……喰ろうて、やるわ」
「ッ……ぁ、あ、っは、くぅぁあ……あ!」
眼光が自分を射たその時から、孔龍は何もかも忘れて声を上げ、動かないはずの身体を彼女に絡めた。夢を見ているような非現実感と、暴力的なまでの快楽が追い立ててくる。彼女の唇を顔を傾けて食み、揺らめく腰に合わせて自らのそれを突き入れ、吐息とうめきを彼女の唇に吹き込む。吐息と吐息がキスの狭間に擦れあい、顔を撫でる。顎を唾液が伝い落ち、背に回した指が震える。
「……愛いのう、手篭めにしてしまいとうなるわ」
独言は古風な口調。耳朶をくすぐる声に自分から隷属を願い出たくなるほど。張り詰めたものが絶頂を訴え、彼女の中でひくひくと震える。
「あっぁ、あ、出……っ、ひ……ぃっ!」
「ッん……くぅっ、はあ……ッ、好い、赦そうぞ、コンロン……っ!」
誘うように、女の中の壁が震えた。無数の襞が絡みつき、その一つ一つが少年のものを吸い、射精を強請るように締め付ける。
「ッあ――!」
口から出たのはただの一音だけだった。自らのものが波打ち、何もかも吸い上げられてしまいそうな快楽の中で、果てる。打ち込む熱液の熱きこと、妖孤は顎を反らし、身をピンと張り詰めさせて受け止め、貪欲に吸い上げた。
「ふぁ、ぁぁあぁんっ、あああッ……!」
収まらず、溢れる熱液。同時に身体が虚脱感ではなく、心地よい疲労感に包まれていくのを感じる。射精は一度二度で収まらず、六度ほど脈打ってようやく止まる有様。熱の最後の一滴まで搾り取られたと孔龍が感じた時、シノの体がくたりと折れ、上に乗りかかった。
引きつるような息を吸い込みながら、汗に濡れたシノの背中を、指でおずおずと撫でる。
「……くすぐったい。悪戯は程ほどになさい、コンロン」
反応を示し、汗で纏いつく金の髪を顔から払いながら、シノが言った。
「本当に初めてなのか、少し疑うわね。……まったく、もう。もう少しで、我を忘れて吸い殺すところよ」
「す、吸い殺す……とは?」
飛び出た物騒な単語に、孔龍は抱いていた山ほどの疑問の前にそちらの真意を問い質した。答えるキツネは気楽なもの、裸の肩を緩く竦めて、
「言葉通りよ。貴方が枯れるまでまぐわうのを止めない、ということ」
くす、と笑って、孔龍の額に指先を当てる。身を引き、胎内から孔龍のものを抜きながら、艶っぽい吐息をこぼした。
孔龍は言葉に身を震わすことも出来なかった。むしろ恐ろしかったのは、そうして果てるのも悪くないと、掠めるように思ってしまった己自身である。
「一眠りしたら動けるようになっているでしょう。手っ取り早く吸いすぎたエーテルを抜くには、この方法が一番なのよ。後は眠っている間に、規定量を憶えた体が正しくエーテルを取り込んでくれるわ」
こともなげに言うシノに、孔龍は唇を傍線のように一直線に噤み、そうしてから呟くように言った。
「よく理解できませんが…………でしたら、その……貴女の身体をお使いになるまでもなかったのでは」
身体は確かに楽になっている。しかし聊か残る罪悪感は消せはしない。礼の前に尖った台詞を吐いたことも、冷静になってみれば気にかかるものである。身を起こした彼女の秘所から、こぷり、と白い泡がこぼれれば、その思いは加速するばかりだ。
「あら。私の身体は気に入らなかったかしら?」
心外ねえ、と言いながら、額に当てていた指を引き、孔龍の喉元を這わせ、顎に上らせる。
「あんなにも可愛らしく善がって、身体を求めたのに?」
「~~~ッ!」
孔龍は顔に朱がさすのを抑えきれなかった。頬が熱い。多分、真っ赤になっている。
「それ、それは、確かに認めますがっ……僕が言いたいのは違う、そういうことではなくって」
頭をくしゃくしゃと掻ける程度には身体が動く、と今更のように気がついた。身体が、先ほどに比べて明らかに軽い。少し無理をすれば立ち上がることも出来よう。
だが、その復調を喜ぶよりもまず先に。言っておかなければならないと思ったことを、孔龍は口にした。
「その……貴女に無理をさせたのではないかと、気にかかるのです。もっと負担にならない方法があるのでは、と」
孔龍が呟いた言葉に、シノは童女のようにきょとんと瞳を丸めて、それからおかしそうにくすくすと笑い始めた。
「……優しいのね。心配なら要らないわ、シたくてシたことだもの」
艶を含ませずに優しく笑い、シノは自らの胸に三本の指を当てた。刹那、燐光が虚空から滲み出て、その身体を始めの衣服で覆う。
「今はお眠りなさい、コンロン。眼が覚めたら、貴方とリアを引き合わせてあげるわ。道をどうとるのも貴方次第。精一杯迷って、精一杯考えなさい。リアは、きっと貴方のことを尊重するだろうから」
「リア……?」
「この館の主よ。……よい夢をね」
シノの唇が孔龍の額に落ちる。優しい口付けが落ちたところから、波紋のように眠気が広がっていく。
「あ……」
孔龍は優しいまどろみに包まれながら、最後まで礼の言葉を言えなかったことに気がついた。
唇をそうやって動かそうとするけど、息が出て行かない。
結局、言い切ることも出来ないまま、彼の意識は再び闇に沈んでいった。