猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威17

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続・虎の威 17

 

 南国の気候と、湿り気を帯びた砂浜。寄せては返す波の音。頭上に広がる青空と、風にただよう薄い雲。それらすべてが屋内にあるのだという事実を、千宏はしばらくの間信じることができなかった。
潮の香りを含んだ風に髪をそよがせながら、千宏は今しがたくぐったばかりの扉に呆然と振り返る。
 確かに案内されたのは海辺の家だったが、まさか中がこうなっていようとは――。
 ここが今夜の仕事場だ。外は夜だというのに、室内は暖かな太陽の降り注ぐ朝だった。

 千宏を競り落とした五人の客のうち、三人はネコの男だった。この三人は同時に千宏を抱くことを望み、千宏はそれを承諾した。一晩で三人の男に抱かれるのはさすがに辛く、何度かハンスが止めに入るような場面もあったが、それでも一晩で三人分の対価を得られるのならばやるだけの価値はあった。
 そして翌日、妖艶なネコの支配人に指示された通りに再び店を訪れると、四人目の落札者が特別席で待っていた。
「へえぇえ……これがヒトねえ。見苦しい生き物だとは思ってたけど、身近でみるとますます醜いねぇ」
 いくつにも枝分かれした触手をうねらせながら、ソレは不釣合いに甲高い声で言った。この男のためだけに用意されているのか、海洋生物全般がこの席に通されるのか千宏は知らないが、ボックス席には海水を満たしたプールあり、その中にだらしなく広がっていたのは薄汚い色のタコだった。
 今まで千宏が出会ったこの世界の『人間』たちは、少なくともどこかにヒトとの共通点を見出せた。だがこの生物はどうみても人間サイズのタコでしかなく、さばいて食卓に出されたら、千宏は喜んで食べただろう。
「その上、それほど名器ってわけでもないんだろう? まったくこんな生き物を抱きたいと思う男の気が知れないよ。なんでこんなの買っちゃったかなぁ。だってみんながあんまり必死に競るからさ。ついつい熱くなっちゃったんだよね」
 言いながら、タコはギョロリとした瞳でけだるげに千宏を見た。長い触手を伸ばし、新しいおもちゃを調べるように千宏の頬や指先に丹念に触れてみる姿には、言葉とは裏腹の期待が込められているのがアリアリと見て取れたが、千宏は何も言わなかった。
 代わりに、
「ならば権利を譲渡すればいい」
 言ったのはハンスだった。
「このメスヒトを抱きたいと望んでいる男は、この店に大勢居る。あんたが降りてもこちらは一向にかまわん。後悔をしながら抱かれたのでは、無理を強いられる可能性も高くなる。こちらとしても遠慮したい取引だ」
 一瞬空気が凍りつき、タコは不機嫌そうに触手をくねらせてハンスを睨みすえた。
「金に困ってせっかくの高級ペットを身売りさせるような甲斐性無しが、えらそうな口をきくじゃないか。そんなにお高くとまってても、付けた値の倍払ってやるって言ったらあんたも僕に尻尾を振って媚びるんだろう?」
「――そうだな。倍の値を払うというなら、俺も態度を改めよう。だがそれができないのなら、俺はあんたに千宏を売ることを拒否する」
 ごぼりと、タコが海水をあわ立てて沈黙する。
 ネコの国に来てからというもの、ハンスはやたらと口が回るようになった。もともと客に対する態度は異常なまでに事務的で、すべてを単なる作業のように合理的にこなすふしがあったが、悪意渦巻くネコの国ではそれが顕著に出るらしい。絶望的に空気の読めない男だが、頭が悪いわけではないのだと最近になってようやく気づいた千宏である。
「かまわないな? チヒロ」
「あたしは……ご主人様の決定に従うだけですから」
 笑顔でそう言ってやると、褒められたことを察したのかハンスの耳がピンと立つ。
 するとタコの触手が千宏の腕に絡みつき、近くに引き寄せようと引っ張った。さらに腰に触手が絡み付き、千宏は完全に身動きが取れなくなってしまう。
「――いいとも。はした金だよ、倍くらい。こんな醜い生き物には過ぎた金額だとは思うけどね。それであんたがその態度を改めるっていうんなら、教育費として投資してやらないこともない」
 ハンスと一瞬視線が合い、千宏はさもどうでもよさそうな表情で肩をすくめた。ハンスの判断に任せる、ということだ。このタコの男から得られる金額と、千宏が背負う危険の大きさの比を、千宏には図ることができない。
「前言を撤回しよう。ぜひ、あんたにその女を買ってもらいたい。生意気な口をきいてすまなかった。許して欲しい」
 ハンスが深々と頭を下げて謝罪すると、タコは満足そうに笑った。そして千宏の体をさらに強く引き寄せて水槽から這い出ると、床に広がるようにへばりつく。そのままもぞもぞと体をうごめかせたかと思うと、そのタコは幾重にも触手を絡み合わせ、驚くべきことに人間の姿になったのだ。頭だけはさすがにタコのままだったが、首から下は完全に人間であり、首から上も唇まではほぼヒトのそれである。
「ふうん……ヒトはチビだって聞いてたけど、そんなでもないんじゃないか」
 不満そうに言ったタコ男の身長は、並んでみると千宏とそれほど変わらない。
 あっけにとられている千宏の顔をいろんな角度から覗き込みながら、タコは小さく鼻をならして布を一枚体に巻きつけると、全身の体色を鮮やかに変色させた。
「まあ、いいか。ヒトはこれ以上大きくならないんだろ? だったらそのうち僕の方が大きくなる。これ以上成長できないなんて、本当にヒトって生き物は下等だよね。こんなのをわざわざ飼おうって思うんだから、みんな本当に頭がおかしいとしか思えないよ」
 
                   *

 タコの男に連れられてやってきた人工の南国は、犬には暑すぎるようで、ハンスは苦しげに舌を出して服の襟元を緩めていた。
「大丈夫? 外で待ってる?」
 そう千宏がたずねるも、ハンスは固い意思を持って首を横に振る。
「タコは怪力なんだ。あいつらは骨もないのに、筋肉だけで陸上を二足歩行するんだぞ。しかもあれは子供だ。まだ加減を知らない」
「子供?」
「ああ、青年というには少し無理があるな……」
「あー……どうりで声が高いと思った」
 といっても、どうせ千宏の倍程度は生きているのだろう。しかし過度に他人を見下す言動も、幼さだと言われれば納得がいく。
「お金持ちのぼっちゃんねー……今までにないタイプ」
「金持ちのガキは嫌いだ」
「へー……めずらしいね。あんたがはっきり主張するなんて」
「昔の上官を思い出す」
「年下だったの?」
「二十歳程度な。ことあるごとに俺の毛並みを馬鹿にして尻尾を踏むんだ」
「苦労してたんだね……」
「そうでもない。立派な毛並みを嫉妬されて火をつけられたやつもいたくらいだ」
 男の嫉妬とはかくも恐ろしいものである。
 千宏は無性にハンスを撫で回してやりたくなったが、仕事中なのでぐっと我慢する。
「――にしても」
 千宏は誰も居ない砂浜を見渡してハンスを見上げた。
「あたしたちはいつまで待ってればいいわけ?」
 今は興が乗らないから、気が向いたらかまってやる。そう言い残してタコ男が立ち去ってしまってから、一時間以上が経っている。
 とりあえず適当な砂浜に腰を下ろしてはみたが、終わりの見えない待機時間は気疲れが大きかった。
「わからんな。まあ、まだ金も受け取っていない。あまり待つようなら帰ってしまってもいいんじゃないか?」
「そうだねぇ……まあ、賃金二倍だし。多少のことは我慢するけどさ」
 大きく肩で息を吐き、千宏は砂浜に体を投げ出した。
 もぞもぞと靴を脱ぎ捨て、足だけが海水に浸るように位置を調整する。波が打ち寄せて千宏の足首を包み込み、引くと共にさらさらと砂を持ち去ってゆく。そうしていると自分が屋内にいることを忘れてしまいそうだった。
「ねえ。タコってさ、あれじゃん? 身体ないじゃん? どうやってするの?」
「8本の触手のうち、一本が生殖器なんだ」
「……はん?」
 不穏な発言を聞いた気がして、千宏はひじを突いてわずかに体を起こす。
「……触手が、なんだって?」
「あいつは多脚タコのようだから一本とは断定できないが、多くてせいぜい二本か三本だろう」
「二本か三本だろう……って平然と言わないでくれる!? しょ、触手ってだって、あの、水槽の中でみっしりうごめいてたアレだよね……? あの中の一本どころか数本がナニなわけ……!?」
「さすがに見たことはないから詳しいことは言えんが、普通の男に抱かれる気分でいたらかなり面くらうだろうな。この世界の女の間でも、タコの男はキワモノ扱いだ」
「キワモノで悪かったね」
 不機嫌そうな声が会話に割って入り、千宏は危うく喉まで出かけていた悲鳴を苦労して飲み込んだ。体を起こして振り返ると、そこにはタコの男が立っている。
「ほら、約束の金だ。受け取ったらできるだけ離れたところにいてよね。まったく、せっかくのお楽しみを監視されてなきゃいけないなんて、本当にろくでもない。今までの客はよくそれで我慢できたね。見られて喜ぶ趣味? 理解できないよまったく」
 本当に文句の多い客である。
 ハンスは紙幣の詰まった封筒の中身を確認すると、丁寧に扱わないと死ぬので気をつけるように念を押してから部屋の隅へと歩いていった。その背中を心細い気持ちで見送り、千宏は触手の恐怖を想像して息を吐く。
 大丈夫。カエルやシャコの時と比べればいくらかマシだ。日本人である千宏はタコにそれほど嫌悪感は持っていないし、何よりおいしそうである。いざとなったらかじってやろう。そして白くて甘い肉を味わってやろう。
 その思いを強く心に刻み、千宏は自分と同じ背丈しかないタコに振り向いた。
「いつまでそんなもの着てるわけ? 脱いじゃいなよ。服なんて邪魔なだけなんだから」
「自分で脱がしたい、というお客様もいらっしゃいますので」
「へーぇ。でも、僕はそうじゃないんだよね」
 不機嫌そうに言い放ち、彼は音も立てずに海水のプールへともぐっていく。
 千宏はもたもたとローブを脱ぎ捨てると、室内にもかかわらず外で全裸になっているような不安感を味わいながら自身も海水のプールに飛び込んだ。
「うわぁ、冷ったぃ……!」
 気温が夏のせいなのか、プールの水は身を切るように冷たく感じる。少し進むとすぐに足がつかなくなり、千宏はタコが待っている岩場まで泳いでいかなければならなくなった。
 水の温度にはすぐに慣れ、気温を考えれば丁度いいくらいなのかもしれない。泳ぎながら背後を見ると、ハンスが暑さでうだりながらもしっかりとこちらを見ている。広大なプールを挟んでいては、不測の事態にすぐに対処できなくなるのではと心配だったが、ハンスの様子を見るとそれも杞憂のようだった。
「ほら」
 泳ぎ着いた岩場によじ登ろうと手を伸ばすと、上にいたタコが手首から先を触手に変化させ、千宏の腕を絡め取って岩場に引き上げてくれた。
「ふぅん……裸も別に、珍しいものじゃないね。この痣はどうやってついたんだい?」
手首や腰、足首の痣に触手を這わせ、タコがさもどうでもよさそうに質問する。
「普通に。ただ抱かれてる最中に、何気なくついちゃうだけ」
「下半身で物を考える色狂いが、加減を忘れて抱いた結果ってわけか。それで、痛くはないのかい?」
「痛いよ。普通に」
「へぇえ……? それでも君のご主人は、仕事を休ませてはくれないわけだ」
「この程度でいちいち休んでたら仕事にならないからね」
「ふぅん。それでさっきからおまえ、なんで僕に対して敬語じゃないわけ? 奴隷の分際でさ」
「新鮮味があっていいんじゃない? 自分より下等な存在とこんな風にしゃべったことなんてないでしょ」
「サービスの一種ってわけ? 余計なお世話この上ないね」
「けど嫌な気はしないわけだ」
 むっとしたように、タコが千宏を睨みつける。その顔に逆に微笑み返してやると、タコはさらに不機嫌そうな表情を浮かべて顔をそらした。
「ヒトってやつは見た目だけじゃなくて、中身も相当に醜いね……僕は心が広いから許すけど、きっとおまえはいつかひどい殺され方をすると思うよ」
 タコははき捨てるようにそう言うと、下半身を構築していた触手をほどいて千宏の体を絡め取った。
「どうやってその生意気な口を閉じさせてやろうか。あのイヌはタコはキワモノだって言ってたけどね、タコの男に抱かれたら、ウサギだって快楽に失神するんだ。僕はその気になったら何日だって、本を片手にワインを楽しみながらおまえを犯し続けてられるんだからね」
「時間延長には追加料金が発生するけど?」
「……本当に――かわいくないやつだな、おまえ!」
 咎めるように鋭く言って、タコは千宏の唇に自らの唇を押し当てた。口腔に押し入ってくる舌は太く長く、ともすれば喉の奥にまで届きそうなほどである。
 息苦しさに眉をひそめて身をよじると、四肢に絡みついた触手のひとつが乳房に巻きつき、波打つように揉みしだきはじめた。吸盤が皮膚に張り付き、吸い付いては音を立てて離れていく。痛みを感じない程度のくすぐったい感覚だ。
 口腔から舌が抜き去られて息苦しさに咳き込むと、タコは長い舌でねっとりと千宏の体を味わい、自在に動く舌の先を千宏の耳の中に滑り込ませた。
「ひ……っぐ……ぁ……」
 ねちゃねちゃと、耳の奥で粘り気を含んだ水音が響くたびに抑えられない震えが全身に広がってゆき、千宏は軽く歯を食いしばる。するとやわやわと胸をもんでいた触手が大きくうごめき、すでに立ち上がりつつある胸の頂を吸盤で強く吸い上げた。
「ふぁああぁ! あ、あぁ、それ……つよ……あ、ぁ」
 言った瞬間、触手があっけなく胸を離れる。だが次の瞬間にはまた強く吸い付いてきた吸盤に、千宏は喉をそらせて嬌声を上げた。
「気持ちいいだろう、これ。ずっとこれやってるとね、胸だけでイっちゃう女なんてたくさんいるんだ」
 耳から舌が引き抜かれ、少年の声が甘くささやく。
「胸だけでこんなに気持ちいいのにさ、こっちでおんなじことされたらどうなると思う? どれくらい気持ちいいと思う?」
 触手が千宏の足の間に滑り込み、あふれ出してきた愛液を絡め取るように秘裂をなぞる。触手に張り付いた吸盤が柔らかな突起となって敏感な部分を刺激し、千宏は快楽に腰をくねらせてかぶりを振った。
「こん……な……エロゲ展開……! 触手とか、マジで……も、あぁあぁ!」
「じゃあとりあえず一本だけ、中に入れちゃおうか」
 言うなり、タコは触手の先端をぬるりと千宏の中に突き入れると、わざとらしく触手全体をうねらせながら奥へ奥へと入り込んできた。
「や、やぁ……な、にこれ……やだ、中で、吸い付いて……なにこのチートスペック! 聞いてないよ! 聞いてな……あ、あぁ、あ……!」
 奥に突き入れられ、引き抜かれるたびに子宮ごと持っていかれそうな錯覚を覚え、千宏は宙に浮いたまま拘束されている手足をばたつかせた。しかしタコの拘束がそれで緩むはずもなく、タコは無遠慮に何度も千宏の中を出入りする。それとは別の触手が千宏の下腹部を這い降りてきたかと思うと、赤く充血した快楽の中心を吸盤が強く吸い上げた。
「やぁああ! や、ま……まって、まって……! ほんと、に、それ……だめ、だめ、それ……だめ……ぇ」
「どうして? そんなによがってるくせに。ああ、胸のほうがお留守だったね。こっちもちゅうちゅうしてあげようねぇ」
「やだ、や、や……!」
 無尽蔵に湧いてくる触手は容赦なく、すでに腰が砕けている状態の千宏をさらに激しく責め立てた。
そして快楽に半ば意識を失いかけている千宏の前に、一際太い触手が突きつけられる。
「さて、わかるかな? これが僕の交接腕。大丈夫? 見えてる? これが快楽を得て僕が満足しない限りは、お前は仕事を完了したことにならないわけだ」
「あ……や、やめ、ま……動かさなっ……ぃ……」
「お舐めよ。後ろに入れてあげてもいいんだけどさ、僕そういうの好きじゃないんだよね。だから口で奉仕して満足させて。でないとこれも、ほかの触手と一緒におまえの中にいれちゃうよ? 大丈夫、間違っても裂けたりしないように、ちゃんとゆっくりやってあげるからさ」
 ぬらぬらと光る触手を唇に押し付けられ、奇妙な生臭さに千宏は喉を引きつらせる。大きく口を開けてそれを少しだけ舐めると、その触手は待ちわびたように千宏の口の中に押し入ってきた。
 それを音を立てて吸い上げ、舐めしゃぶると、タコがうっとりとして息を吐く。
「へぇえ。なるほど。さすがにプロは上手だねぇ。すぐにいっちゃいそうだよ」
「ん……ん、ぅ……っ」
「けど、それじゃあつまらないかなあ。折角買ったんだし、一回くらい中に入れてみようかなぁ……こんな下等な生き物に本気になるのもどうかと思ってたけど、なんだか気分も乗ってきたしなあ」
 そう言うとタコは、激しく出し入れしていた勢いのままに千宏の中から触手を引き抜き、代わりに奉仕させていた交接腕を慎重にもぐりこませた。
「や……だ、これ……おっき……」
 ぐぶりと、苦しげな音を立てて圧倒的な質量が入り込んでくる。最奥に到達してなお、奥に入り込もうとうごめくそれに、千宏はあふれてくる涙を止めることができなかった。
「なんだ、泣くほど気持ちいいのかい?」
「うる、さ……」
「へえぇえ。そういう顔してると、それほど醜いって感じないねぇ。僕も案外変人なんだなあ。お前の中も、思ってたより居心地がいい」
「あ……あ、っは……あぁ、あ……」
「中に出してやるから、ありがたく受け止めろよ。ほら、ぼーっとしてるなって」
 触手が腰に絡みつき、千宏の体を大きく揺らした。突き上げる交接腕の動きが激しさを増し、苦痛に近い快楽が意識を食い破る。
 千宏が絶叫のような嬌声を上げて果てると同時に、生ぬるい精液がたっぷりと吐き出され、千宏の中を余すことなく汚してあふれ出した。タコが快楽の余韻に唇を震わせ、力の抜けた千宏の体を力強く抱き寄せる。
 静寂がその場を包み、波の音が聞こえた。
 タコの胸に顔をうずめたままぼんやりと時間をすごすうちに、じわじわと意識が戻ってくる。
「……砂浜まで連れて行ってもらえる?」
「……どうして」
「自力じゃ泳げそうにない……」
「じゃ、自力で泳げるようになるまでここに居ればいいだろう。僕に仕事をさせるなよ」
 ようやく千宏の中から自身を引き抜き、タコは触手を絡み合わせて人間の体を形成する。そして千宏の体を抱き寄せて、眠たそうに頬を寄せた。
「不思議な体温だねえ……あったかいけど、熱すぎない。生ぬるいっていうのかな……」
「不愉快?」
「さぁねぇ……ただ、暖かい海流みたいだ」
「チヒロ!」
 心配そうな声が背後から聞こえ、千宏はけだるげに顔を上げて背後を見た。
 すると、水ら上がったばかりのハンスがずぶ濡れで立っている。
「ハンス」
「平気か?」
 苦労して体を起こしてタコから離れ、千宏は差し伸べられたハンスの手に縋って立ち上がった。
「泳いできたの?」
「ああ」
「泳げたんだ」
「イヌだからな」
「あたしを連れて泳いで帰れる?」
「お安い御用だ」
 ほっと胸を撫で下ろした千宏の体を、ハンスはひょいと抱え上げる。そのまま立ち去ろうとしたハンスの背中を、タコが静かに呼び止めた。
「それ、いくらだい?」
「……なに?」
「そのヒトを売るとしたら、あんたはいくら欲しいんだい?」
 珍しくハンスが笑った。
「欲しくなったのか?」
「……別に。聞いてみただけだよ。参考までにね」
「そうか」
「で、いくらなんだい?」
「さあな……俺には物の価値はわからん。そういうことはチヒロに聞いてくれ」
「ふざけるなよ。僕は真剣に聞いてるんだ」
 不機嫌そうに半身を起こしたタコに、ハンスはさらに笑みを深くする。
 その笑みを間近で眺め、千宏は意外な発見に苦笑いをこぼした。
 このイヌが笑うと、こうも性格が悪そうに見えるのか。これならば普段どおりの、ぼんやりした無表情の方がまだしも愛嬌がある。
「参考までに――真剣に値段を尋ねるのか?」
 ハンスの意地の悪い質問に、ぐっとタコが言葉に詰まる。
「悪いが、俺は金ではチヒロを売り渡したりはしない。もし本当にチヒロが欲しいんだったら、自分の価値を証明してチヒロ本人をくどき落とすんだな」
 捨て台詞をはいて、ハンスは千宏を抱いたまま水中へと飛び込んだ。
「……ハンスさあ」
 砂浜を目指して泳ぐハンスの首につかまりながら、千宏は少し咎めるような語調で言った。
「あのタコ少年に対してやったらあたりきつくなかった……? 金持ちのガキが嫌いだっていってもさ」
「そうか……?」
「あからさまにね」
 少し考えるような沈黙をはさみ、渋面を作ってため息を吐いた。
「たぶん俺は……うまれてはじめて、明確な優越感を感じた」
「……優越感?」
「一目見て気に入ったんだろう。最初から、あのタコはお前のことが欲しくて仕方がなかったんだ。あいつは俺に明確な嫉妬心をむき出しにしていて、そして俺はそれが心地よかった」
「はー……呆れた大人気なさ」
「ああ……以後気をつける」
 ようやく足がつく所まで泳ぎ着き、千宏は砂浜にへたり込む。ハンスに手伝ってもらいながら服を着込み、千宏は南国の海辺から肌寒い夜の港町へと戻ってきた。
 これで4人の客が片付いた。最後の客は名前も顔も、種族さえも千宏にはわからない。ただ今日と同じようにネコの店に行き、客と会って、部屋に行く。
 その結果得られるものを想像し、千宏はハンスの背に負ぶさりながら静かな笑顔で眠りについた。

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