猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

キツネ、ヒト 04

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キツネ、ヒト 4話



 その日、給料日前の穏やかな営業を終えたアキラは少しだけ早く仕事を切り止め、カウンターに座り要芽を待ちながら一週間後に迫った彼女の誕生日についてココと密談していた。
 しかし彼女は中々現れず、ココと共に迎えに行こうとしたその時、アルビオンの扉を強く開ける音がした。
「パコ?どうしたのそんな慌てて」ココが上着に袖を通しながら尋ねる。
 パコと呼ばれた寅猫の少女は肩で呼吸しながら何か言おうと顔を上げ、二回えずいてから声を絞り出した。ああ、たしかココにお熱の常連客だとアキラは少女を見た。
「か、カナメが!」
「パコおちつけ」アキラが水の入ったグラスを渡す。
 しかしそれを突っぱねたパコが声を荒げた。
「カナメがさらわれたにゃっ!」
「どうゆうことだ!」アキラがパコの胸倉を掴む。
「パコ、今日狐の雑貨屋に用事があって、行ったら店がぐちゃぐちゃで、店長が倒れてて、」
「おちついてしゃべろ!」
「落ち着くのはアキラ。パコから手を離して。深呼吸」
 ココに窘められたアキラがのろのろと手を離す。深呼吸がしたくても呼吸が浅い。
「パコ。続けて」ココが優しく囁く。
「お店の人、肩を撃たれてて、符術を使う暇も無かったって言ってたにゃ」
「強盗?」
「何も盗られてないらしいにゃ。カモシカのガキの集団で、リーダーは右目が潰れてたらしいにゃ」

 アキラの身体がびくりと動くのをココは見逃さない。
「アキラ。節が有るの?」
 アキラはそれに反応せず、パコに静かな声で質問した「みぎめがなかったんだな?」
「う、うん」
うたれたと、いったな?」
「見たことも無い銃だったらしいにゃ」
 納得がいった。そう、何処にでも自分みたいな、どうしようもない、ガキが居るのだ。
 アキラ!ココの呼び掛けは届かない。撃ち出される様に走り出した少年を止めるため彼女も店を出ようとしたが、背中から聞こえる啜り泣きに小さく舌を打つ。
「・・・・・・怖かったにゃっ、あんなの初めてで、沢山血が出てて、怖かったにゃ、怖かったにゃ・・・・・・」

 捨てられた子猫の様にその場に座り込み、肩を震わせるパコの姿があった。その今にも壊れそうな少女の姿にココは己の過去が映し出されている気がしていた。
 不必要に生まれて、捨てられうちひしがれ、毎日泣いていた自分の姿が。
「大丈夫」
「あっ」ココに優しく抱き締められたパコが声を上げる。
「怖かったね?」腕の中で少女が短く頷く。
「でも、私達に伝えなきゃいけないと思ったんだね?」更に二回、少女が頷いた。
「ありがとう。頑張ったね?ありがとう」
 堰を切った様に泣き出したパコが落ち着くまでココは優しく頭を撫で続け、その間、己のすべき事をフルスピードで考えた。

 厨房を見た。きっと全てお見通しの、黒い牡牛がのしのしと近付いて来る。
「お父さん」
「解ってる。この子をよろしくだろ?」
「良いの?」尾行とか、パコの実家への襲撃とかは、きっとお父さんは織り込み済み。
「娘の願いを叶えたくない親父かいるか?・・・俺に任せろ」
「ありがとう」滅多に下げない頭を心を込めてココは礼をする。
「止めろよ娘でも気持ち悪いぜ」D,Dがココの頭を蹄で優しく撫でた。
「君がパコちゃんか?」
 黒く巨大な塊から差し出された逞しい腕に、少女が思わず一歩下がる。
「大丈夫。私のお父さんは、凄い強くて、優しいから」ココが確信を持って、パコの背中を押す。そう、お父さんは、ろくに言葉も使えなかった捨て猫の私を、此処まで育ててくれたんだから。
 躊躇いながらも繋がれる蹄と小さい手に、二人の短い嘆息が重なった。
「ココナートはどうする?」D,Dが真剣な表情を向ける。
「灰猫に行ってくる。レダの友達に人間と暮らしてるら子がいるの」
「ココナート」
「ん?」
「大きくなったな」
「ちょっと恥ずかしいから止めてよ!っ・・・行って来ます」
 ひらひらと手を振りながらアルビオンを出ようとしたココに、パコが不安気に声を掛ける。
「こ、ココ、大丈夫にゃ?」
 彼女は答える代わりにひらひらさせていた腕を少女に突き出し、良く手入れされている親指を上げた。
「私に任せろ」


 土足のまま自分の部屋に辿り着いたアキラはこの世界に持ち込んだナップサックを開く。
 9ミリサブマシンガン一丁と、フル装填されたマガジン二つ。鞘に包まれた軍用ナイフ。ワイヤー。どれも毎日整備し、万全の状態。
 狙撃用スコープを持ち込むべきだったと一瞬激しく後悔したが、すぐそれを払いのける。

 ナップサックを背負い、ベッドの下からブーツを引っ張り出し素早く履き変えるとクローゼットを開ける。
 FN.FAL。初出撃で支給されたAKを失くし、三日間上官に殴られ手に入れた大型の自動小銃。最近持っていなくても出歩ける様になり、要芽に褒めてもらえたのが、アキラには随分昔の事に感じられた。
 スリングに腕を通し、三つのマガジンから残弾五発のマガジンを装填。残り二つはカーゴパンツのポケットに捩込む。
 
 レバーを思い切り引く。弾丸が薬室に装填される。ふと鏡を見る。残虐な少年兵が写る。
 気持ち悪い顔だなと他人事の様に思い、もう考えは戦いへ向かった。

 強武装した人間の子供を通行人が意にも介さない事を気にしないままアキラは目的地へ走る。
 恐らく敵は、以前自分を誘拐した武装強盗の生き残り。リーダーは逃げる間際、自分に額を割られた美しい顔の青年だろうとアキラは考えた。
 だとしたら目的地は恐らく自分が連れて行かれた倉庫群。要芽だけをターゲットにしたのは、きっと自分を誘うため。自分が報復するならきっと、この汚い手を使うだろう。
 二つの月がアキラを照らし、肌寒い風が少年の頬を打つ。季節は、冬に向かっている。

 朦朧とする意識の中、激しい口論に引き上げられ彼女は目を覚ます。強烈な眠気に視界がおぼつかず、身体を上手く動かせない。

「どうしてヤッちまわない!」
「この女はえさだ。ガキをころして、あとは生かす」
「ほうふくされるぞ!?ヤッて殺しちまえ!」
「俺がリーダーだ。女はころさない!きりつをまもならいならお前をころす」
「やってみろ。お前もすぐ、俺にあずかりたくなる!」

 胸を強く掴まれ、痛みと嫌悪感から急速に彼女の視界がクリアになる。直後に映る傷だらけの犬と、その太い腕に悲鳴を上げかけるが、銃声によりそれは喉に支えてしまう。

「お前らもそうだ。ルールをまもらないなら俺がころす!しょうかいにもどれ!」
 つんのめる様に倒れた犬は激しく痙攣しながら要芽のスカートを大量の血液と、それ以外の様々な体液で汚していく。
 異様な暖かさから逃げ出そうとするが、上半身が鉄柱に縛り付けられている事を動けない身体が要芽に伝える。

「うごくな」濃い煙りを吐き出す銃口を眉間に向けられ、要芽はビクリと動けなくなる。
 以前アキラに向けられた物より更に大きなそれは、持ち主に使いこなされ微動だにしない。

「さわぐな。泣くな。そうすればころさない。コール、したいをかたづけろ・・・聞こえないのか!?」
 静かな、しかし刺す様な怒気を孕んだ声に、コールと呼ばれた羊が、ずるずると要芽の上から死体を引き擦って行った。
 要芽は余りに近い死の存在から呼吸が浅くなり、頬を涙が濡らしている事にさえ気付かない。

「泣いているのか。こえさえ出さなければころさない」

 青年は膝を折り、要芽に目線を合わせる。その無機質な左の瞳に要芽は吸い込まれる。美しい顔のパーツ。額から右頬に伸びる真っ直ぐな傷痕。短く刈られた頭髪から覗く鋭角で短い角。カモシカ?今の要芽には良く分からない。

「お前のどれいはおっかないな。にんげんのくせに、とんでもないベテランだ。まるで、ふつうなことみたいに、俺の右目と弟をうばっていったよ」
 青年が表情を変えぬまま上着から落ち物の煙草を取り出し火を点ける。
「べつにそれは良い。だがやつのせいですっかりぶたいはひへいした。もう長くないだろう。そのオトシマエは払ってもらう」
 青年の表情は変わらない。しかしゆらゆらと輝く白目が、あの日の彼を想像させ、要芽は思わずその名前を口にする。

「アキラ君」
「あのにんげんの名前か」
 要芽はぴくりと肩を動かし目線を逸らす。
「やさしい、名前だ。きっと、ほんとうなら、とてもやさしいやつの、なまえだ」

 青年は煙りを吐き出し、口だけで薄く微笑みつぶやいた。
「でも、こじぶたいはやつをころす。俺が、かならずころす」

 部隊の上官に命じられ、子犬のセルゲイは小走りで配置に付く。ずっと炊事当番だった自分が実戦に立たされるのは、一人の少年がもたらした混乱と、その後何者かによる漏洩が原因の大規模な摘発である事は、何となく理解していた。

「でも、にんげんの男の子、ってじょうほうだけじゃな」セルゲイ秋風に身体を震わせる。

 ふと風の中に異質な匂いを嗅ぎ取り視線を向ける。背の高い秋草に紛れているが、そこには人の気配が有った。
「うごくな!うごけばころす」自分の変声期前の高い声が、セルゲイが大嫌いだった。
 昨日支給されたばかりのAKを構えながらセルゲイは影に近付く。良く目を凝らすと、そこには人間の男の子。

「ガキかよ。まさかこんなチビが・・・わけないか。リーダーにわたせばおかねもらえるぞ」
 セルゲイは自分の犯した大きすぎるミスを挽回するチャンスがもう訪れない事を、この直後に理解する事になる。
 その影は、セルゲイが後二歩で接触するその瞬間、蛇の様に地面に延びると一瞬で擦れ違い、子犬の足首を切り裂いた。
 瞬く間の攻撃。膝を落としたセルゲイは反応出来ない。背中に絡み付く影は子犬の四肢を的確に捕らえその動きを封じる。

「なにがっ」
「動くな。おれのしつもんにだけこたえろ」
 セルゲイはもう反撃の機転が無い事を、喉に感じるぬるぬるとした感触で知る。

「お、お前が」
「何も聞いていないぞ。あたまとどうたいを切りはなされたいか?」アキラがナイフを子犬の喉に食い込ませる。
「やめろ!答える!」
「カナを・・・女の子をつれて来たな?」
「つれてきたっ」
「どこにいる?」
「い、いちばん奥のそうこだっ」
「まだころしていないな?」
「リーダーの命令で、さわることも出来ない!」
「・・・・・・そうか」
「お、俺をころすのか?」「しつもんしていない。おいルーキー名前は」
「るーきー?」
「こたえろ!」
「せ、セルゲイだっ」
「よしセルゲイ。お前の首にばくだんをしかけた。死にたくないなら目をとじてひたすらあるけ!ひがあけるころかってにはずれる」
「おかしなまねをしてみろ?おれとおれの仲間がかならずお前をころす」
「わ、わかった」
「AKをすてろ」
「すてたぞっ」
 左足首のアキレス腱を断たれたセルゲイが立て膝になる。ナイフを突き付けたままアキラは拳銃を取り出し、セルゲイを解放すると同時に後頭部に銃口をめり込ませた。

「おまえはもうしゃべるな。行け」
 何とか立ち上がったセルゲイは足を引き擦りながらふらふらと歩き出した。やがてその姿が見え無くなるのを照門から確認したアキラは短く嘆息しながら拳銃を懐に戻し、ナップサックとFALを掴み取る。

 何故殺さなかったのか。子供だから?かつて敵部隊の孤児を生きたまま切り刻んだ時は何も思わなかったのに?

「くそ」
 アキラは走りながら苛立ちを仕舞い込む。50m先に歩哨が一人。どうせ直ぐにバれる。やっぱり死ぬのは怖くない。
 FALを構える。連続する四回の銃声。振り向いた羊の顔にその全てが吸い込まれる。飛び散る鮮血。素早くマグチェンジ。

 アキラの放った開戦の狼煙に対し、直ちに反撃が開始される。詰所からの猛烈な銃撃も、応戦しながら走り回る少年を捉らえられない。
 遮蔽物を利用しながら詰所の裏口に辿り着いたアキラは飛び出して来たマダラ猫の青年を、銃床で思い切り殴り倒す。
 こめかみに銃床がめり込み、崩れ落ちる相手の眉間に7.62弾を叩き込んだアキラは激しく痙攣する死体を掴み上げ、そのチェストに括り付けられた二つの手榴弾のピンを抜き取り詰め所に返してやる。
「やばいっに」
 誰かの悲鳴は爆音に掻き消された。飛び散る破片と爆風が、アキラの前髪を揺らす。

 首筋に寒気を感じたアキラは本能的に這いつくばる。二回の銃声と共に弾丸がアキラの頭髪をちりちりと引き裂いた。
「ちくしょう!」
 アキラは小さく叫びながら、そのまま伏射の体制をとる。引き金を引き絞りながら視線を前方に集中。周りの騒音すら霞んでいく。倉庫屋上にうごめく影を発見し、アキラは指を引き切った。
 影からライフルが落下するのを確認したアキラは再び走り出す。頬や足に多数の銃弾が掠めるが、まるで痛みは感じない。

 ふと要芽を助けた後の事を考えた。自分の事、ココの事、アルビオンの事。しかし将来の事なんてさっぱり想像が付かなかった。

 間断無く響き渡る銃声と、火薬に混じる血の臭いに要芽は身体を強張らせる。
「マスード始まった。なかなかやるみたいだよあの子」予想外の声色に要芽がその主を見る。
「君の奴隷はさしずめ狼だね?一人で私達を食い殺すつもりみたい」
 そこには軽機関銃を下げた長身の女性が立っていた。闇に浮かぶ白い頭髪は肩に掛かるくせっ毛で、彼女のおおらかな美貌をぼんやりと浮かび上がらせている。
「俺をころしに来た奴だ。おおかみどころか、キマイラだよクリスタル」彼が笑顔に皮肉を込めた。
 二人の名前を要芽は頭の中で反芻する。マスードとクリスタル、二人にある不思議な絆を要芽は感じていた。
「副長だめだ!ちょこまかとうごいて、気付いた時はまとめて殺されてるっ」カモシカの青年が肩で息をしながらクリスタルに報告する。
「落ち着きなさいコンラッド!奴をここに駆り立てて」クリスタルが彼の頬を撫でる。
「キマイラは強敵だから、チームプレイで消耗させて、最後は首を落とすの」
 囁く様に命令された青年は、見る見る内に瞳に獰猛さを取り戻す。まるで何かの魔法かと要芽は驚いた。
「ずいぶん楽しそうだな?」マスードが呆れた声を出す。
「あら。私はご主人様に怪我をさせた悪い子にお仕置きしたいだけ」
「うそつけ、久々の人間ごろしが楽しみでしかたがないだろ」
「落ち物同士で殺し合い」クリスタルが恍惚と呟く。
「へんたいめ」マスードが楽し気にこき下ろす。
「愛してるわマスード」クリスタルの笑顔はどこか肉食昆虫を思わせ、要芽は深い底冷えを覚えた。

 間近で起きた爆発に要芽はきつく目を閉じる。
「来た・・・わぁ凄い反応、アキラ君だっけ?あの子凄いわよマスードっ。オラくたばれ!」
 けたたましい銃撃。クリスタルの笑い声。想像すらできない戦争の熱気に、要芽は自身の存在が酷く希薄に感じていた。まるで全く知らない未知の世界に、一人放り込まれた感覚。
 そうかアキラ君もそうだったのか。誰も自分を知らない世界に無理矢理引っ張られ、それでも何とか順応して、私やココに笑顔を見せて、迷惑を掛けまいと仕事を見付けて働いて。
 今は自分を助けるために、せっかく手放した銃を再び手に取り戦っている。優しいアキラ君が、暴力の渦中に身を落としている。

「お願いです」要芽の口から自然と言葉が出た。
「しゃべるなと言ったが?」マスードが銃口を要芽の額に押し付ける。
「アキラ君を殺さないで・・・・・・私は何でもします。本当に何でも、だから、アキラ君を殺さないで」
「わるいが女も、まりょくの無いきつねもきょうみがない。ほうふくはかんすいする」
「何でっ」
「わかる。においでわかるんだ。お前から、そのにおいはほとんどしない」
「子供が子供を殺すなんておかしいよっ」
「ああ。おかしい」
「でもお前たちは何もしてくれなかった。ふんそうで俺やなかまのりょうしんが死んだ時」
「はらがへってすなを食べた時妹がわるいびょうきで死んだ時。何もしてくれなかった」
「だから俺たちは強くなった。きっと、アキラという奴も」
 マスードは少しだけ視線を落とした。

「あいつはついてる。こんなふつうの女に、拾ってもらったんだから」
「君も、本当は死んだ仲間のために、涙を流せる優しい子なのに」要芽がマスードを覗き込む。

「もうおそいんだ。俺にはこのぶたいしかない。ほうふくはかんすいする。俺のりょうしんは」

 突然銃声が鳴り止み静寂が訪れた。
「あれ?あの子死んじゃった?案外呆気無かったなーつまんないの」クリスタルがコロコロと笑う。
 マスードは話は終わりだと顔を上げ、死体を確認しろとクリスタルに命令した。
「嘘、アキラ・・・・・・」
 俯き肩を震わせる要芽を無機質な瞳で見下ろすマスードは、彼女の拘束を解き放ち耳元で囁いた。
「ほうふくは好きにしろ。次は、お前が俺を、ころしに来い」

 倉庫の入口から辺りを確認したクリスタルがマスードに振り向いた。
「うわーこれ私達以外皆殺しじゃない?やっぱりあの子、もう人間じゃなくなってる」
「死んだらいっしょだ」マスードが立ち上がる。
「久々に本気でやれると思ったのに・・・え?」
「おいどうした」
「あの、マスード」
「はっきりつたえろクリスタル!」
「ご主人様、私、先に待っていますね」

 クリスタルが笑いながら立っている。鼻をヒクつかせたマスードが弾かれる様に立ち上がり拳銃を構えた。
「やってくれるな。したいにでもかくれていたか!」表情は変わらないが、その瞳に憎悪が宿るのを要芽は見た。
 クリスタルは答えないが、その下腹部は鋭利に膨らんでいる。
「カナをかえしてもらう」 その呼び名に要芽の鼓動が早まる。しかしその声はまるで別人の、心を不安にする不気味な物だった。

 動かなくなったクリスタルが人形の様に走り出す。マスードの指に力が入るが、後1mmが動かない。
「クリスタルっ・・・」
 五発の腹に響く銃声。クリスタルの身体が踊る。一発が頭部に命中し美しい顔を吹き飛ばす。しかし死体は止まらない。
 マスードが流れる様にAKを構えたが、肉薄したクリスタルの身体が邪魔をする。影が腕を伸ばし、拳銃をマスードの腹に押し込んだ。
「アキラ君だめっ」その声は届かない。
 三発の乾い銃声。マスードの手から拳銃が落ちる。突き飛ばされたクリスタルと抱き合う様にマスードが崩れ落ちた。
「カナ!ぶじでよかった」血で濡れる白刃
「おいだいじょうぶか」ぶすぶすと煙る小銃
「アキラ君?」様々なもので汚れた少年を、要芽は本人とは思えない。
 アキラがマガジンを再装填しながら近付くと要芽はその場にへたりこんでしまう。
「っ・・・」アキラの表情が歪む。
 がたがたと震える要芽の肩に触れようと少年が手を伸ばした。
「く、クリスタル・・・」
 瞬間反応したアキラが拳銃を向ける。
「クリスタル、クリスタル」
 死体の名前を呼びながら、何かを掴もうと腕を伸ばすマスードに、アキラが歩み寄り、銃口を向ける。
 もはや言葉にならないマスードの呟きにアキラは首を傾け、引き金を絞る。
「アキラ君だめっ、その人を殺しちゃだめ!」
 要芽が抱き締めアキラを制止する。腕にぬめる血液が気持ち悪い。
「なぜだ!こいつはカナを殺そうとしたっ、わるい奴だ!」アキラが声を荒げる。
「私は生きてるよ?この人は君と一緒なのっ。この人を殺したら、アキラ君きっともう戻れない!」要芽が叫ぶ。
「カナは何も知らないんだ!生かしておけば必ずほうふくされるっ。これはせんそうだ!」
 要芽を突き飛ばしたアキラが再び銃を向ける。要芽がその腕にしなだり付く。
「絶対殺させない!」要芽が泣き叫ぶ。
「そうやって逃がした奴に、なかまはころされたんだ!」アキラも泣き叫ぶ。
 バンと銃声。アキラの身体から力が抜け、崩れる様に要芽に引き寄せられる。アキラが視線に驚愕を込め銃声の先を見やると、子犬が一人、銃を向けながら腰を抜かしていた。
「セルゲイ・・・」
 くそと毒づきアキラは銃を向けるが、もう指に力が入らない。震える銃を見たセルゲイは、転がりながら走り去った。
「アキラ君!アキラ!」
 名前を呼ばれ目を向けると、要芽が涙を流しながら見下ろしていた。返事をしたかったが、喉に支えてしまう。
「血が、すごい・・・」
 上着をめくられ、お腹の辺りを這う柔らかい指の感触が心地好い。直後傷口を強く押されたが、余り痛みは感じなかった。
「全然止まらないっ、符が足りないんだ・・・アキラ、アキラ!」
 死にたくないな。そう思うと勝手に涙が流れて来る。
「絶対に死なせないよ!?私が君を死なせない・・・!」
「アキラ・・・!」
 もう痛みは感じ無かった。自分を呼ぶ要芽の声が、恐怖を和らげてくれる。
 もうその顔は見えないが、きっと鼻水でも垂らしているんだろうと間抜けな事を考えた。
 要芽の声が遠くなる。せり上がる血の味も感じない。

「ココ?」
「ごめんカナ!遅くなった」
「ココ、この人達は」
「話は後じゃ。アキラを灰猫に運ぶぞ」
「身体がどんどん冷たく、アキラ!アキラ!」
「主がアキラを信じんでどうする!死なせないと言うたのは主じゃろうしっかりせい!」
「う、うん・・・」
「朱風、こいつまだ生きてるぞ」

「主が決めい」
「助けたい。マスードを死なせちゃだめ・・・・・・」
「カナ・・・」
「うむ。頼んじゃぞカルト」
「おう」
 誰かに持ち上げられる感覚を最後に、アキラの思考は深い闇に沈んで行った。

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