猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

玄成_4話

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 秋も深まり、山が本格的に色づき始めた頃。
 観光地としての都が一番活気づくこの時期は、いつにも増して外国人が多くなる。
 夏はどうしても海や山の方が人気があるし、冬になると今度は温泉に客が取られる。
 都も様々な趣向はこらしている物の、首都機能がある故にそればかりに注力するわけにも行かない。
 その点、秋は様々な食や芸術等『物流の中心地』としての都の本領を発揮する時期であり、都の商人も力を入れる時期である。
 裏通りの闇市も例外では無く、様々な種族がやってきては、屋台や露店を広げていた。


 新蕎麦はこの時期を代表する食べ物であり、これを食わないのは人生の無駄遣いである。
 そもそも蕎麦とは香りを楽しむ物で、挽き立ての粉で打った新蕎麦を楽しむことこそ『粋』と言う物だ。
 と言うのが狸の親父の言い分である。

「どうにも狐さんは饂飩の方を好むようでしてね。まぁあれも悪いもんじゃないんですがね。
ただ、やっぱ秋には蕎麦の香りを楽しまないと、一年過ごした気になりませんな。
先生みたいな味の分かる方に会えて本当に良かった」
「そうか」

 何度目かになる親父の講釈を聞き流しながら蕎麦をすする。親父に言わせれば『手繰る』と言うのが粋らしいが、そこまで蕎麦に精通しているわけでも無い。
 少しばかり親父が口うるさいのが難点だが蕎麦の味は上々であり、これならば滅多なことでは損は出ないだろう。
 名義を貸した屋台の品質管理は、玄成の収入源確保のための大事な日課であり、闇市に店を構える者ならば大抵が行っている。
 身の丈に合わない物を扱うほど商売に自信があるわけでも無いので、玄成が名義を貸しているのは善し悪しが分かりやすい食い物屋台が殆どだ。
 小間使いを雇う程度の収入は上がっているので、まあ稼ぎは上々の部類に入るのだろう。
 その小間使いは、玄成の隣に座ってつゆに漬けた天麩羅を美味そうに囓っている。

「幾らだ?」
「へい、かけと天蕎麦で八十センタになりやす」

 闇市のやりとりはセパタが基本である。
 狐耳の国が使っている文や両を流れの商人に渡すと、簡単に国外に流出する恐れがあるためだ。
 そのため玄成などは二種類の通過を持ち歩く必要があり、いささか面倒なのだが。
 ミネルヴァが食べ終わるのを待って代金を払い、屋台を後にした。

「次は鰻が食べたいです」
「確かに鰻も今が旬だし、鰻屋には最近足を運んでないんで丁度良いがな。お前がそれを決めるというのはどうも釈然とせん」
「えー、別に良いじゃ無いです? 晩ご飯の支度はちゃんとやってるし」

 確かに仕事に手を抜かないのは感心だが、やはり釈然としない。
 頭を捻りつつも結局鰻屋に連れて行くことを承伏させられたところで、前の方から言い争う声が聞こえてきた。

「別にビラ配るくらい良いじゃんかよ、ケチンボッ!!」
「うるせぇっ! ビラだろうと何だろうと掟破りは掟破りだ。見逃してたら他の奴等に示しが付かねぇよ」

 見れば、猿の娘と狐の男が言い争っている。狐の方は辺りの闇市を管理している香具師の一人で、玄成も見知った顔だ。
 猿の方は顔を真っ赤にして今にも殴りかからんばかりであり、どうにも雲行きは怪しい。
 掟破りにも何種類かあり、ビラ配り程度なら罰金で済むが香具師に手を上げたとなればそうはいかない。
 良くて腕切り、悪ければその場で斬り捨てであり、どちらにしても刃傷沙汰が起これば周りの店にも影響が出る。
 あまり気は進まないが、仲裁が必要かも知れない。

「やれやれ、何の騒ぎだ?」
「おう、誰かと思えば医者の先生かい。出てきて貰って悪りぃが掟破りだ。先生相手でも譲らねぇよ」
「ビラ配っただけで20セパタはいくら何でもボり過ぎじゃんかよ!! この守銭奴!!」
「はっ! 掟を破っておきながら開き直るとは恐れ入る。いいからさっさと出すもん出しやがれこのエテ公が」
「ムッキャァー!!」

 香具師の方が煽り立てている事もあり、猿の方は全く収まる様子は無い。
 香具師は闇市を管理するためにも、裏通りの住人に対しては下手に出られないのだが、子供相手にはそれが徒になったようだ。
 面倒になったので、猿の頭を掴んで無理矢理に下げさせた。

「何すんだこのクソ狐! 離せよ!!」
「ほれ、この通り頭を下げているようだし、何とか収めることは出来んかね?」
「何か喚いてるみてぇだが?」
「猿言葉が解るとは博識だな」

 言いながら、紙幣を何枚か丸めて香具師の袖の下に放り込む。
 相手も意は汲んでくれたらしく、

「俺ぁ生まれも育ちもこの国でね。エテ公の言葉はよう分からん。先生が罰金を立て替えてくれるってんなら、この場は収めようじゃねぇか」
「まあ、それしかないか」

 という事になった。
 猿を押さえつけたまま懐から紙幣を取り出し、きっちり二十枚数えて相手に渡す。
 香具師はそれを懐に納めると、「こういうのは、これっきりにしてくれよ」と言って去って行った。
 ひとまず刃傷沙汰は避けられたようだが、払った金と周囲の店の上納金とでどちらが上かは正直微妙な所である。

「離せっつってんだろ、聞こえないのかオッサン!! いい加減にしろよこの変た…… 痛、痛い! 割れる、頭割れる!!」
「なんか、さすがに失礼じゃないです、こいつ? 放っとけば良かったのに」

 少しは静かになるかと思って頭を掴む手に力を込めたのだが、余計に騒がしくなった。
 危険が去ったことを察知してか、遠巻きに見ていたミネルヴァが近付いてくる。
 どうやら彼女も、他人の無礼な態度は気になるらしい。

「まあ無礼者には慣れてる。いつぞやも、治療してやった鼠に包丁で斬りかかられた事があったしな」
「うるせー。いい加減忘れろです」

 とは言え、この猿をどうするかはまた問題である。このまま離してまた掟破りをしでかされると、香具師に払った金が無駄になる。
 かといって言って聞かせたところで素直に言うことを聞くとも思えない。
 いっそ手足を折ってどこぞへ放り出そうかと考えたところで、駆け寄ってくる猿の男に気付いた。

「シェイハ、何やってんだお前?!」
「グエンヴァン、助けてよ~」
「あー、ミスター。多分その娘が何かしでかしたんだと思うが、そんなんでも一座の看板娘だ。詫びは入れるんで、離してやっちゃ貰えないかね?」
「……やっと話の出来る奴が来たようだな」

 グエンヴァンと呼ばれた猿に突き出すようにして、娘の頭を離してやる。
 自由になった娘が早速威嚇の声を上げるが、無視した。

「サンキュー、ミスター。俺はグエンヴァン。芝居一座の代表をやってる。で、こっちの娘はシェイハ、うちの団員だ。
悪いが、ちょいと時間を貰えないかね。詫びを入れようにも、事情がさっぱりで」
「まあ、仕方あるまい」

 正直詫びは良いからさっさと帰りたかったのだが、事情を説明せずに同じ事を繰り返されても困る。
 もう少しの間、面倒は続くらしかった。



「本っっ当に申し訳ねぇ!!」

 事情を聞き終わったグエンヴァンが最初にしたのは、詫びの一斉と共に地に伏し頭を垂れる事だった。
 ある意味、予想された事態である。
 こういうみっともない事態を避けるため開けた茶屋に話し合いの場を設けたのだが、どうやら意味が無かったらしい。

「頭を上げろ、みっともない。そっちの『猿芝居』は見飽きている」
「いや、重ね重ね申し訳ねえ」

 短く告げると、相手もあっさりと頭を上げた。手に付いた土を払い、布の敷かれた長椅子にどっかと腰を下ろす。
 表で礼節を重んじているこの国では、土下座は詫びの意を示す手段としてはかなり効果的だ。
 が、流石に裏通りでも通用するほど万能では無い。土下座で腹はふくれないし、懐が潤うわけでも無いのだ。

「申し訳ねぇついでに言わせて貰うと、20セパタは払えねえ。一座の連中が干上がっちまう」
「ま、そんなこったろうとは思った。こちらも打算があって払った金だ。強くは言わん」

 主要国の物価基準で言えば20セパタはそこまで高額でも無いが、周辺国となると勝手は違ってくる。
 それで無くとも大きな都市は物価が高く、地方から出てきた狐ですら最初の内は生活に苦難することも少なくない。
 集団生活を基本とする芸人一座となれば、常にまとまった金を手元に置いておきたいのが本音だろう。
 一方の玄成としては、20セパタはそこまで目くじらを立てる額でも無い。

「そう言って貰えるとありがたい」
「ただし、掟破りは金輪際止めて貰おう。香具師の奴等、斬るだけ斬って死体は見せしめに晒していくからな。周りの店は迷惑だ」
「そりゃ勿論、オレらだって斬らたかねえよ。シェイハにも言い聞かせとく」
「む、なんでボクが悪いみたいになってるのさ。変なルール作る方がいけないんだろ!」
「土地のルールに喧嘩売りてえなら芸人止めてテロリストになんな。オレ達の商売道具は芸であって喧嘩じゃねぇ」
「何だよ! グエンヴァンだって御上に媚売るだけの芝居はクソだって言ってるくせに!」
「風刺と理由無き反抗は違えよ。そこら辺のソウルが分からねぇからお前はいつまでたってもハーフサイズなんだ」
「ムッキャー!!」

 何というか、騒がしい連中だ。まあ、陰鬱とした旅芸人など需要も無いのだろうが。
 まあ、グエンヴァンの方は掟を飲み込んだ様なので一安心だ。
 大した額では無いとは言え、ただ見返りの無い出費をするのは流石に面白くない。
 隣のミネルヴァは20セパタが返ってこないとあって不満そうな顔をしているが、口に団子を詰めて黙らせておく。

「まあ、分かってるなら良い。俺達はもう行くぞ」
「ジャスタウェイ、ちょっと待った。申し訳ねえついでにもう一つ、ミスターの名を借りてぇ」
「俺は芝居の善し悪しなぞ分からん」
「そこは仕方がねえよ。だが、流石にさっきの騒ぎの後でオレ達に名を貸す物好きはそうそう居やしねえだろ。
それに、ミスターみてえな有名人と仕事をしたとなれば、郷里じゃ箔が付くんでね」

 グエンヴァンがさらりと危険なことを言ってのける。
 闇市の名前貸しなどそれなりに居るし、医業で他国に名を馳せる程の事をした覚えも無い。
 となれば、『有名人』の指すところは一つだ。猿が雇われ間諜として有能なのは、裏では有名な話である。

「……商売道具は芸じゃなかったのか?」
「それ一筋と言った覚えもねえ。前もって言っとくと、オレ達はデンジャラスブリッジは渡らねぇよ。
あくまでその土地の噂話を纏めて、それを余所に持ってくレベルの話だ。過大な期待をされても困る。
それ以上の働きが必要となれば、スペシャリストを呼ぶしかねえな」

 つまりは、玄成の存在は噂話程度でも十分耳にすると言うことか。
 逢難狐衆としての玄成の存在は、他の七狐を通じて意図して喧伝しているものだが、そこまで広がっているというのは流石に予想外だ。
 他国の間諜が玄成に接触するよう仕向ける為の措置だが、広まりすぎた情報に危険を冒す価値は無い以上、無効化したと見るべきだろう。
 筆頭として長く居座り続けた弊害が思わぬ所で出ているらしい。

「玄成さんってそんなに有名なんです?」
「ミスターはあちこちで喧嘩を売り歩いてるからな。知ってるかい? アトシャーマじゃ未だに5000セパタの賞金首だぜ」
「何やったんです?!」
「いや、街道の途中で純愛教徒とやらを拾ったら、騎士団の連中が喧嘩吹っ掛けて来たんで相手しただけなんだが……
そうか、まだ根に持ってたのか」

 そもそもアトシャーマには最先端の魔法医療を見に行ったのだが、そのときのゴタゴタで結局入国出来ずじまいだったのだ。
 魔法国家都市としてのアトシャーマには興味があっただけに、これからも出入り禁止かと思うと少し残念な気持ちになる。
 騎士団が使う魔法は平衡感覚を失わせたり近付くごとに強い嫌悪感を抱かせたりと、面白い物が多かったので都市部にも期待していたのだが。
 まあ、過ぎたことを言っても仕方が無い。

「そういう事情なら良いだろう。ただし、稼ぎが無くても香具師への所場代は自分達で納めて貰う。
稼ぎが上がるようなら、さらにそこから一定の割合――純益の二割程度だな――を納めて貰う事になる。こっちはまあ、あまり稼ぎが悪いようなら応相談だ。
ただし、そうなりゃ当然次は無い」
「相場は四割程度と聞いてたんだが、随分安くねぇかい?」
「俺が普段見てる飲食店はそもそもの稼ぎがそう多くないし、時期や気候でも売り上げが落ちるからな。無茶な額に出来ないだけだ。
芝居方面に手を出す気も無いから、そっちの相場を覚えるのも面倒臭い。細かい事は後で書類を作るからそれを見ろ」
「OK。『大紅蓮』は思ったより暖かかったって喧伝しとくよ」
「止めろ、あほらしい」

 後日合う算段を立て、猿達とは分かれる。
 予定外に時間を取られたおかげで、日も大分傾いている。夕闇を避けるには、そろそろ帰路に着く必要があるだろう。つるべ落としとはよく言った物だ。

「ダイグレンって何です?」
「大きな紅の蓮と書いて大紅蓮。地獄の一つ、八寒地獄の一番下だな。よく灼熱地獄と勘違いされるが、寒くて広大らしい。まあ、行った事は無いが」
「ふーん。地獄にお花畑って意外です。思ったより過ごしやすそう」

 ちなみに大紅蓮とはあまりの寒さに折裂けた肉体が蓮の花に似る事から付いた名で、別に花が咲いているわけでは無い。
 恐らくは七狐が喧伝する途中で付いた仇名だろうが、地獄に例えられるとはまた過大な評価を頂いた物だ。師匠が聞いたら鼻で笑うだろう。
 団子を食っている内にミネルヴァの機嫌も大分直ったらしく、鼻歌を歌いながら隣を歩いている。
 鼠の顔色をうかがっている辺り、成る程『大紅蓮』は随分と温い様だ。



 『玄成が王家お抱えの密偵である』と言う旨の噂が流れているのを耳にしたのは、それから三日後のことである。
 繋がりのある複数の香具師から聞いた話であるので、冗句の類では無いのだろう。
 香具師の中には胞身狐と関わりのある者もおり、そちらからはあからさまに警戒される始末であるから、かなりの範囲で広まっているらしい。
 そう言えば、ここ数日は馬鹿に絡まれる事が多かったような気もする。毎度のことであるため大して気にも留めなかったが。


「グエンヴァンは居るか?」

 芝居小屋に入った途端、場に緊張が走るのが分かった。
 恐らくは休憩中だったのだろう、思い思いの格好で寛いでいた猿たちが、一斉にこちらを向いている。
 どの顔にも怯えに近い色が見て取れるに、どうも歓迎されていないらしい。
 まあ、店子に好かれる名義主というのは少ないから、むしろ当然の反応とも言えるが。

「こないだの性悪狐! 何しに来たのさ?」
「金の話をしに来たに決まっとろうが。いいからさっさとグエンヴァンか代わりの者を出せ」

 場の空気を振り払うように、シェイハが突っかかってくる。
 どうにも頭に血が上り易い娘の様だが、眺め回すだけで目を逸らす他の連中よりはマシか。
 グエンヴァンがそれなりに話せる人間だったので安心していたが、どうにもこの一座に名を貸したのは失敗だったかも知れない。

「こんなんで、本当にお芝居なんてできるんです?」
「失礼なこと言うな! ウチは劇団がメインなんだからな!!」

 ミネルヴァの当然の(そして失礼な)疑問にも、怒りの声を上げるのはシェイハ一人であるから、どうにも期待は出来そうに無い。
 どれだけ業績が振るわなくとも、香具師からの一定の取り立ては発生する。特に、芝居小屋など施設を使う物についてはそれなりの額が必要だ。
 それを店子が払えなければ、当然ながら名義主の方に支払いが発生する。
 玄成の収入からしてみれば大した額でもないが、ヘマをした名義主というのは信用が落ちるため、他の商売がやりにくくなる。
 他の店子達は店を構えてから長い者が多いので、そちらへの悪影響は無いだろうが、面倒には変わりない。

「おう、ミスター。ご足労すまねえな」
「それについては構わんがな。お前達からの上がりについては、たった今不安になった所だ」
「オオウ、それについては釈明があるんで、バックヤードまで来てくれるとありがたい」

 グエンヴァンの話を聞いたところで猿達の腑抜けぶりが治るとも思えなかったが、どちらにせよ詰めねばならぬ話もある。
 とりあえずは促されるままに奧へと向かった。


「裏通りに流れてる噂を知ってるかい?」

 一通り契約内容の話を終えた後、グエンヴァンからの釈明の第一声はそれであった。

「俺が密偵だというアレか。お前達は当然知ってて名を借りたんだろうに」
「あたしも聞いたけど、それ本当なんです? スパイってもっとこう、真面目な奴がやるもんだと……」

 何を今更と思って返したのだが、ミネルヴァから思わぬ横槍が入った。そう言えば、彼女には逢難狐の事を説明していなかったか。
 特に喧伝することも無いので黙っていたが、ここまで広まった以上、隠し立てても害の方が大きかろう。

「密偵にも色々あってな。俺の部署は喧嘩がそこそこ出来れば後は問われん。真っ昼間から鼠と出歩いててもお咎め無しだ」
「そーゆー奴って真っ先に首になるもんだと思ってたです……」

 雇った後で知ったのだが、ミネルヴァは元々鼠賊の出であるらしい。
 玄成の家に担ぎ込まれたのも、仕事先で捕らえられて拷問にかけられた為らしいが、本人が話したがらないため詳しいことは知らない。
 当人は足を洗ったと言い張っているので、特に追求もしていないのだが。

「まあ、俺のことはどうでも良い。首になって困る仕事でもないしな。が、それでお前達が仕事にならんと言うのは話は別だ」
「ウチの連中、噂が流れ始めたのとウチがミスターと契約したタイミングがジャストってんで、あらぬ疑いを掛けられてんじゃないかと怯えてんだわ」
「何だ、『大紅蓮』は思ったより温いんじゃないのか?」
「亜熱帯がホームなんでね。寒さにゃ特別弱いのよ」

 そう言って肩をすくめるグエンヴァンの態度からは、怯えも恐れも感じられない。

「ウチはそもそも劇団がメインでね。ぶっちゃけるとミスターみたいなビッグネームと接触したのはマズいんだわ。
そこにこの噂が立ったもんだから、パニックになってんのさ。
実を言うと、俺自身もそれについての尋問があると踏んでたんだがね。」
「そんなまだるっこしい手順を踏むわけないだろう。問題があるなら初日に皆殺しだ」
「そいつは想像以上にエクセレントなアンサーだぜ。俺のストマックも嬉し泣きしてるよ」

 実の所、噂の出所については胞身狐あたりがかなり気にしているらしく、他の店子にも調査の手が入っているらしい。
 玄成からしてみれば元々喧伝していることであり、予想を超えて広まったからと言って慌てることでも無いのだが。

「で、結局どうする気だ?」
「これでもプロのプライドはあるんでね。本番になればサクセスにはさせてみせるさ。
後はまあ、俺がこの五体満足で帰れば少しはピースオブマインドに結びつくんじゃねえの?」
「そういう事なら、指を詰めるのはまたの機会にしてやる」
「センキュー、ミスター。マジで涙出そうだ」

 グエンヴァンはああ言っているが、あまり期待は出来そうに無い。損が出ればさっさと切るのが得策だろう。
 まあ、猿にも色々居るというのが分かったのが唯一の収穫か。

「つーか、戦争してるわけでもねーのに何でスパイ合戦なんてやってるです?」
「そりゃお前、いつ戦争になってもおかしくないからな」
「……イヌと?」
「『カントリーにフレンド無し』ってな。主要8国とル・ガルの仲が悪いのはある意味有名だが、8国同士が仲良いわけじゃねえのさ」

 『絹糸同盟』は狗に対する抑止力であると共に、八国同士の戦争をも実質抑止している。
 同盟に対する条文は非常に曖昧な物であり、参加国内でも発動条件に関する見地に差異があるため、下手に諍いを起こせばそこで無効となれる恐れがあるためだ。
 学者の中にはそれこそが同盟の主目的であり、狗はその為に生かされているのだと主張する者も居る。
 ただし、同盟が結ばれた二千年前と今とでは国際情勢にかなりの差異があり、猫に引きずられる形で狗が近代化したのもあって、同盟の効力についてはかなり危ういのも事実だ。

「特に、ルカパヤン以降はもうしっちゃかめっちゃかになって、俺ら猿もずっとパニック状態が続いてんのさ」
「るかぱやん?」
「ヒト奴隷が蜂起して、猫の国の中にパラダイスを作っちまったのよ。で、それを見た余所のヒト達も各地で一斉蜂起してな。ま、フリーダムな状況になっちまった」
「???」

 ミネルヴァは訳が分からないという顔をしている。
 まあ、いきなり理解しろというのが無理な話ではある。と言うか、ルカパヤン自体がかなり政治的に難しい状態にあり、玄成とて全てを正確に説明できるわけでは無いのだ。

「国の中に異種族の自治区が出来るってのはな、人間に例えれば寄生蟲が巣を作ってる様な状態だ。大抵において良い影響は無し。悪い影響は数え切れない。
で、排除しようとすれば長い間虫下しを飲み続けるか、もしくは腹を割ってつまみ出すか。いずれにしても歓迎したい物じゃない。」
「つったって、猫の国にも軍隊あるんだから、あっちゅーまに潰されて終わりじゃねーです?」
「余所にばれる前ならな。ルカパヤンはそこら辺を上手くやって、それこそ蜂起が成功するより前に自分たちの存在を外に喧伝した。結果、余所の国はみんなルカパヤンを自治区として認めることになる。
そこに猫が軍隊を派遣したとしたら、つまりは余所の国の認定に真っ向から逆らうことになるからな。下手に手は出せなくなったのさ」
「? なんでそんなことに?」
「簡単な話だ。気に入らない奴の腹の中に蟲が居て、そいつが勝手に弱っていくとしたら、これほど楽で愉快な事も無い。他の国の見解は大体そんなところだろう。
特に猫はここ二百年でのし上がった国だから尚更、な。虎がそこまで考えていたかは分からんが」
「うげぇー」

 心底汚い物を見た、という表情でミネルヴァが呟く。
 手段の浄穢はさて置いて、当時の各国においてこの手法はかなり魅力的だったらしく、それからしばらくヒトの蜂起は続いていくことになる。

「余所の国で虐げられてるヒトの所に行って、不満を煽るのさ。あっちの世界には人権だの何だのっていうよく分からん概念が根付いてるらしくてな。そこを突くと大抵の奴は乗り気になるそうだ。
で、武器だのなんだのを裏からせっせと供給して、成功すればそれで良し。『余所の国に』『自分達に友好的な』自治区の出来上がり。
失敗しそうならその前にドロン。損するのは型落ちで処分に困ってた武器とはした金のみ。ま、そりゃみんなやるわな」
「ええと、それってヒトは……」
「一応捕らえて拷問もするけどな。大抵の場合は裏が取れるほどの証拠が無いんで、そのまま獄死か処刑。一度裏切った奴隷をまた使いたがる奴も居らん。
狗なんかは傑作で、『余所の国で蜂起を促してた秘密結社の人間を逮捕しました。金下さい』ってのを真面目にやって、猫から結構な額を取ってってたぞ」
「うわー、うわー、うわー……」

 どうやら、鼠の頭では付いていけない所に入ったらしい。
 そう言えば、玄成が逢難狐に入ったのも元はそれが原因で国際情勢が一気にきな臭くなり、人員の消費が激しくなったのを補うためである。
 尤も、七狐機関としての見解ではその程度の小競り合いは今までも起きており、特別に騒ぎ立てる程の事でも無いらしいが。

「……で、結局なんの話してたんです?」
「あー、とにかく国同士のリレーションがデンジャーになった所為で、みんなナーバスになっててな。ル・ガルなんか、『猿だから』って理由でとっ捕まった奴も居たらしい。
ビコーズ、この手の話題は俺ら真っ当に商売してる猿からしてみればデモンズゲートな訳だな」
「ま、そこら辺の事情は理解するが。かといって香具師からの取り立ては減らんぞ」
「オーケーオーケー。そこん所はタイタニックに乗った気でいてくれ」
「たいたにっくって何だ?」
「ヒト世界の豪華客船らしいぜ。ホームに居るヒト奴隷がことある事にこの言い回しを使ってたから、よっぽどグレートなんだろ」

 個人的に船には良い思い出が無いが、それを言っても仕方あるまい。
 そもそも演劇について何が分かるわけでも無い。差配をグエンヴァンに任せることで合意して、芝居小屋を後にした。

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