猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威37

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 カブラが並み居るトラ男たちをぶちのめし、そのカブラを千宏がひざまずかせた。
 ならば千宏が最強で、つまりは千宏がコズエの後見人になったという事になる。
 大勢の観衆の前で財産の引継ぎを確かに澄ませ、コズエとイノリは正式に、
千宏の“所有物”となった。
 とはいえだ。
「えーとですね……最初に言っておきたいんですけどもね……コズエさん」
 千宏が宿泊している、トゥルムの宿の一室である。
 千宏が後見人になった瞬間、アハウはコズエを千宏に引き渡し、屋敷に戻って
くる事を禁じた。
 さすがにそれはひどいのではないか、別れくらい惜しんでもいいのではないか
と千宏としては思ったが、老いたアハウに「けじめだ」と一蹴されては千宏も引き
下がるしかない。
 アハウが自分の手元に残したのは古びた家と、必要最低限の家具がいくつか
――千宏が旅人である事を知ったからか、それ以外の全てを売り払って現金に代え、
コズエが相続できるように手続きしてしまったらしい。
 典型的な、老い先短い老人の身辺整理――。
 ひどく、やり切れない気持ちになる。
 千宏でさえそんな気分になるのだから、ずっと一緒に暮らしていたコズエはもっと
気落ちしているはずだ。
 だというのに、現在千宏の前に座っているコズエは穏やかな笑みを浮かべたまま、
絵に描いたような「できたヒト奴隷」を完璧に演じ切っている。
 いや……演じているのではなく、これが普通なのだろう。
 生まれながらの奴隷がどういうものか、想像できるかとテペウは聞いた。真っ先に
頭に浮かんだのはコウヤだが、あれは矜持を叩き折られて心を壊された結果に過ぎない。
 今目の前で微笑んでいる女性とは、根本からして違う。
「あの……私はコズエさんと同じ、ヒトでしてね……それでまあ、形式上私はコズエ
さんの後見人ではあるんですが、私はコズエさんが相続した財産をどうこうするつもりは
特になく、コズエさんはコズエさんの好きなようにお金を使ってよくてですね……」
「ありがとうございます、ご主人様。もちろんご主人様の思う様に使っていただけるのが、
コズエの一番の望みでございます」
 千宏はそっと額を押さえる。
 予想通りの反応だ。そうとも、予想していた。コウヤの前例があるのだ、このくらいで
めげたりはしない千宏である。
「その私の一番の望みってのが、コズエさん自信に遺産を管理してもらう事なんですよ
。ほら、イノリ君に新しい服とか本を買ってあげるとか、美味しい物を食べるとか。
コズエさんがそうしたいなーって時に、そうしてもらえるのが一番なわけですよ」
「はい。もちろん、ご面倒はおかけいたしません。我々奴隷が生きるのに必要なだけの
生活費をほんの少しいただければ――」
「いやいやだからね! 違くてね! あたしはコズエさんを奴隷として扱う気は
これっぽっちもなくて――」
「無駄だチヒロ。いきなり言葉で言ったって、突然はいそうですかってできるわけ
ねぇだろう」
 がっしと、背後から急に頭を掴まれて、千宏は危なくテーブルに頭を強打する
ところだった。テーブルの淵を両手で掴んでふんばることで、すんでのところで
流血沙汰の大惨事を阻止する。
 邪魔な手をふりはらいながら振り返ると、呆れたような表情でブルックが立っていた。
 カブラは千宏に打ち負かされた心の傷が深いらしく、ベッドから出られない
危篤状態に陥ってカアシュの治療を受けている。
 この部屋にいるのは千宏、コズエ、ブルック――そしてイノリだ。イノリが
超高価な子供のオスヒトであるがゆえに、常にトラ三人衆の誰かが護衛に
ついている事が決まった。
 メスヒトのチヒロや、使い古しの中年であったコウヤとは、イノリの価値は
桁違いに違い過ぎる。
「だけど、まず最初にコズエさんは自由なんだって、ちゃんと説明しとかないと……」
「そりゃそうだろうが、時間がかかるってのはコウヤの一件で分かってるだろ? 
仮にお前が“今日から全裸で過ごしていいんだ。服の拘束から解き放たれていいんだ”
って言われた所で、そう簡単に全裸になれるか?」
 なれない。
 着衣は常識だし、温かいし、着ていたい。――だが、トラに裸体主義者が多い
のも事実だ。千宏が服を着ていたいと思う様に、服を脱ぎたいと考える者もいる。
 奴隷の立場が自由か不自由かという考えだって、つきつめて考えればそれと
同じだとブルックは言うのだろう。
 コズエにとっては奴隷でいるのが普通で、あたりまえで、保護されていて
安全な状態なのだ。それを突然「全部自己責任で、なんでも自分の判断してね」と
言われても困る。
 千宏は肩を落として息を吐いた。
「……じゃあ、まず第一歩。コズエさん。あたしの事は、名前で呼んでください。
ご主人様じゃなくて、千宏です。千宏様は嫌だから、最悪でも千宏さんとか、
千宏ちゃんって呼んでくれるとベストかな」
 どうにか笑顔をつくろって、千宏はコズエに手を差し出す。その手を取られて
忠誠を示す口付けをされ、千宏は困り果てて眉根を下げた。
「そうじゃなくて、握手。ね?」
 千宏はテーブルから身を乗り出して、コズエの手を握る。義手ではない
方の手だ。握って上下に揺さぶると、コズエは不思議そうに目をぱちくりと
させている。
 千宏が手を離すと、コズエは握り合っていた自分の手をじっと見つめて、
ふと千宏を見た。
「チヒロ……さん……?」
「うん。あたしもヒトで、コズエさんもヒト。あたしはコズエさんに何も
命令しないし、コズエさんはあたしのいう事なんてきかなくていい――まあ、
状況によるんだけどね。言う事聞いてもらわなきゃいけない事も、場合に
よってはあるわけで……」
「――アハウ様は。イノリを、チヒロさんのように育てろと」
「えぇえ!? あ、あたし!? それはちょっと問題が……」
「ああ、やめた方がいい。こいつみたいに育てたら、金にがめつくて乱暴で、
家出して犯罪者を護衛に雇って体を売るような大人にな――」
 千宏がそっとブルックの尻尾を手に取り、その付け根に果物ナイフの刃を
あてがうと、ブルックは喉の奥に引き攣った悲鳴を飲み込んだ。
「た……逞しい性格には、育つんじゃないのか……? やっぱ男は逞しく
ないとな……俺もアハウの爺さんと同意見だ」
 ブルックは千宏の手からさっと尻尾を取りかえし、そそくさとテーブルから
離れて行く。壁に張り付いて尻尾を守る様にしながら、それでも格好を付けて
腕の前で偉そうに腕を組んだ。
 そんなブルックを横目に鼻を鳴らし、千宏は改めてコズエに向きなおる。
 すると、コズエは絶句していた。
 これでもかと大きく目を見開き、まるで恐怖に震えるような表情で千宏を
凝視する。
 はっとして、千宏はナイフをテーブルに置いた。ついさっきまで奴隷だった
コズエには、今の千宏の態度は刺激が強すぎた。
「あ、あの、違うの! 誤解しないでね! あたし、普段はもっと温厚だし、
ナイフなんて使わないし、流血沙汰は嫌いだし、今のは冗談だからね、冗談。
あたしとブルックは友達だから、たまーにああいう冗談もするけど、いつも
ナイフを突きつけあってるわけじゃないからね!」
 我ながら、少し言い訳がましいと千宏は思う。
 だが千宏の言葉を聞いて、コズエは少しだけ表情を和らげた。だが、
「そうだったのですね」と呟く声は力ない。
「嘘だぞコズエー。その女は凶暴だぞー。噛み付くぞー。トラよりつえぇぞー
こえぇぞー」
「ちょっとブルック! 余計な事言わないでよ!」
「事実は事実として伝えねぇと。なんせチヒロは、トラの盗賊を討伐した
女だからな!」
 言って、ブルックは高く笑う。
 だがその瞬間、千宏は全身が強張り、何も言えなくなってしまった。どっと
脂汗が滲み出し、血の気が引いていく。
 ブルックは自分の失言に気付いた様に、はっと口を閉ざして舌打ちした。
「……悪い」
「いや……大丈夫。ちょっとぎくっとしただけ」
 大きく息を吸って、吐く。
 濃厚な血の臭いの幻が、ねっとりと鼻の奥に絡み付く。シャエクを刺した
ときの肉を貫く感触、被った返り血の温かさと、へばりつくようなぬめり。
 人を殺した。
 その事実をそう簡単には受け入れられないし、乗り越えられない。
「……あの」
 ふと、コズエが不安そうな声を上げた。
 千宏は慌てて、どうにか笑顔のような表情を作って見せる。
「ごめん、なんでもない。えーと……とにかく、何か欲しいものとか、
したい事とかあったらなんでも言って。ただ、あたしは近々この町を離れるから、
それにコズエさんもついてきて欲しいと思ってるんだけど……」
「アハウ様より聞き及んでおります。私がチヒロさんと共にこの町を出る事を、
アハウ様も望んでおられました……」
 少しだけ寂しげに微笑んで、コズエは窓の外に目を向ける。――その視線の
先にあるのは、きっとアハウの屋敷だろう。ここから見えるわけでもないが、
コズエの目にはきっとそこで過ごした日々が映っている。
「……コズエさんは……いいの?」
「はい?」
「あんな馬鹿騒ぎの直後にさ、すぐここにきたじゃない? アハウとちゃんと
お別れしなくていいの? 先は長くないかもしれないけど、最後まで一緒に
いたいなら、無理に今すぐ一緒に来いなんて言わないよ。いっそ、もう一年
くらいなら……」
「いいえ」
 穏やかだが、きっぱりとした否定に、チヒロは口を閉ざした。
「アハウ様が、もう私とは会わないとおっしゃいました。それならば、私も
会いたいとは思いません。アハウ様の望みが私の望みです」
「けど……」
 そんな風に、簡単に割り切れるものだろうか。
 コズエとアハウの関係は、コウヤとシャエクの関係とはまるで違う。
 奴隷とその主人という関係こそ同じだが、コズエとアハウの間には絆があるし、
情がある。ならば、別れは悲しいものではないのか。最後の瞬間まで共にいたいと
思うものではないのか。
 だが、ここでコズエに「会いたいはずだ」と言ったところで何かが変わる
わけではない。「それじゃあ」と言って、千宏は立ち上がった。
「一週間後に町を出て、あたしの故郷に向かうから、それまでに何か必要な
ものがあったら、ブルックに言って」
「はい。ありがとうございます」
 コズエは礼儀正しく、ふかぶかと頭を下げた。
 それはコウヤの無機質さとはまるで違う、幼いころから奴隷としての振る舞いを
よく躾けられたヒトの所作だった。

「そうは言っても、千宏姐さんとしてはやっぱりほうっておけないわけよね」
 コズエを引き受けて一晩が明け、翌日の朝が来ると、千宏はいそいそと宿を
出てアハウの家を目指した。
 カブラやカアシュが「身主なのに一人で出歩くなんて」と文句を言ったが、
トラ三人衆にはコズエとイノリの護衛という崇高な使命がある。
 その上で「コズエを引き取る上でアハウに通すべき筋がある」と千宏が言えば、
誇りを重んじるトラとしては、カブラ達も引き下がらずをえなかった。
 計画としては単純だ。
 千宏にはイノリが必要だし、イノリにはコズエが必要だ。そしてコズエに
アハウが必要ならば、アハウも一緒にくればいい。
 その方がコズエもイノリも安心だろうし、二人が安心なら千宏も嬉しい。
もちろんアハウは「冗談じゃねえ」と断るだろうが、一週間毎日かよいつめて
説得すれば口説き落とせる自信はあった。
 ヒトにとって危険極まるこの世界を、口八丁手八丁で乗り切ってきた千宏である。
単純馬鹿と名高いトラを篭絡(ろうらく)するくらいわけもない。
「お節介って? 結構結構。そういうのっていかにもトラっぽいじゃんね」
 からからと笑いながらアハウの屋敷を目指して歩いていると、通りの向うに
見慣れた巨体が目に入った。
 基本的に体の大きいトラの中でも一際目立つ――テペウである。テペウの
方も千宏に気付き、軽く尻尾を上げて挨拶しながら近づいてくる。
「この辺にいるってことは、テペウもアハウのところに行ってたの?」
「ああ、その帰りだ」
「なーんだ入れ違い。あたしも今からアハウの所に行くとこなんだけどさ」
「はん? そいつぁ……一足遅かったなぁ」
 テペウが耳をぺたりと伏せて、いかにも残念そうに顔を顰めた。
 遅い? と千宏が聞き返すと、テペウはためらいなく口を開いた。
 そして、
「死んだよ。丁度さっきな――いい死に方だった」
 なんて事のない調子で、信じられない事を言う。
 まるで「さっき出かけたところだよ」というような気安さで、千宏は
驚くよりも悲しむよりも、ただきょとんとしてしまった。
 意味を理解した時には「そんな」というタイミングも「悲しい」と思う
タイミングも逸してしまっていて、気がつくとテペウと同じような気安さで
「そっか。最後に挨拶したかったなあ」などと言っていた。
「本当にギリギリだったからなあ。最後の最後にお前がコズエを引き取って、
じいさんも安心して逝けるって感謝してたぜ。おかげで、コズエに自分の
惨めな死体を見せずに済むってな」
 ああ、と。気の抜けた声が喉の奥からこぼれた。
 コズエは女で、アハウは男で、形は少しいびつだったのかもしれないが、
二人は愛しあっていた。
 死が怖くないわけがない。別れが辛くないわけがない。
 それでも、貫き通す意地がある。張り通す見栄がある。
 そして、見栄を張らせてやれるだけの度量がある。
「ばかだなぁ……ほんと、馬鹿みたいなかっこつけ……」
 アハウも、コズエも、どちらも馬鹿だ。
 何が、意地だ。
 何が、見栄だ。
 そんなものをかなぐりすてて、最後の最後まで縋って泣いて、死なないでと
喚いてしまえばいいと千宏は思う。
 好いた女に弱った姿を見せたくないなど、弱い男の我がままだ。
 もし自分がコズエの立場なら、死の瞬間までその手を握って、ひとことでも
多く言葉を交わしたいと願うだろう。
「かっこいいなぁ……ちくしょう……」
「かっこつけて生きてるからな」
 自慢げに胸をそらして、楽しげにテペウが笑う。釣られて千宏も小さく噴き出し、
直後にようやく涙が溢れてきた。
「泣くなよ、千宏。死んで女を泣かせるなんて男の恥だ。じじいの死に様を
涙なんかで汚すなよ」
「泣いてないよ! これは笑い泣き!」
「そうか。ならいい。存分に泣け」
 ぽんと、テペウの手が千宏の頭を叩く。
 千宏はアハウをよく知らない。その死を嘆くほどの付き合いも決して無い。
 それでもアハウを――アハウとコズエの関係を。
 泣くほど格好いいと思ったのだ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー