Last update 2007年10月27日
No Title 著者:高野時雨
このみみっちい炎は、マッチ売りの少女だな。何の幻が見える?
暖かいストーブ
美味しそうな焼きガチョウ
大きくて素敵なクリスマスツリー
全て、全部。と、切に願ったのに。
「後どの位?」
「30分…ちょっと。」
「そっか。」
何の感慨も無い。後30分で一年が終わるというのに。
静寂と妙な圧迫感だけが二人の間を支配していた。
普通するようにテレビをつけてない所為か、それとも外の雪の所為か。
不思議なもので人間というのは音が無くなると思考が鈍くなるらしい。
神経だけが研ぎ澄まされて、意識の水面下で一つの感想だけが浮かび上がる。
変な状況
星に間近い高層ビルの最上階、壁一面にとられた窓の外は雪景色。
明かりさえ点けずに、朗々と月光を浴びるコンクリートの箱の中。
室内で唯一瑞々しく息づいているのは、机の上に無造作に活けられた大輪の薔薇。
深い深い狂気さえもが、息を潜めて近寄って来るようで。
意味も無く叫び出したくなるような、そんな状況。
慢性的に何かが欠落していて喪失感に駆られているというのに、どうしてか月は満ちみちて、軽薄な空気を曝け出そうとしている。
向かいに座った少女は、いつからか煙草の煙を燻らしている。
あまりに不釣合いなそのさまに、寂寞が零れたのは何故だろうか。
新しく火を点けようとするのを見て、唐突に手をのばした。
無意識に笑みを張り付けたその目は大きな硝子玉の様で、ライターの小さな炎でさえ歪んで壊れてしまいそうだと感じたから。
目の前の人はいきなりライターを取り上げられて、小首を傾げてごく小さな声で呼びかける。“なぁに?”
「…吸い過ぎ。」
「あ、ごめん。」
煙る紫煙。金属の匂い。薔薇の芳香。
無機質なコンクリートは、音も匂いも光も何もかも、吸収して同化する事を許さない。
呼吸さえも拒否されて、薄く張った緊張に拍車をかけていた。
事の発端は明確で簡単だった。
恋人が自分の図り知らない所で徐々に壊れていっただけ。
その事に、今日が来るまで気付かなかっただけ。
ただそれだけ。
どうしたの、何て決定的な言葉では問えない位、気が付けば少女の様子はおかしくなっていた。
「all or nothing」
最後の会話は、そんな内容だったか。
大きな、無駄に大きな窓が開け放たれて、彼女の体が見えなくなる約3秒。
反射的に身を乗り出した横を、緊張感も圧迫感も全部一緒にすり抜けて落ちていく。
ふと鼻を掠めた金属の匂いが、血の匂いだと気付いたのはその時だった。
誰が彼女を満たしてやれただろう。
除夜の鐘の音
深く長く
今この時から、気持ちを一新だなんて、出来るものか。
見慣れたいつもの朝がやってきて、がらんとした風景を当たり前のような顔で包んでいく。