ワンオラクル
『進路希望書』と書かれた紙を前にして、固まってしまった。
期末テストの初日が終わり、その日のHRで配られたものだ。
期末テストの初日が終わり、その日のHRで配られたものだ。
「なにフリーズしちゃってんの」
友人がカバンで僕の頭をはたく。
友人がカバンで僕の頭をはたく。
「これ……、なんて書こうかなって」
「あーそれね。とりあえず文系か理系かだけっしょ。オレは文系いくわ、数学マジ死んだ」
「あーそれね。とりあえず文系か理系かだけっしょ。オレは文系いくわ、数学マジ死んだ」
初日は数学、世界史、英語だった。
今日の出来は進路希望調査に少なからず影響を与えそうだ。
今日の出来は進路希望調査に少なからず影響を与えそうだ。
僕も数学は得意じゃないが、それでも今回は善戦したと思う。世界史は結構手ごたえがあった。
問題は英語だ。
問題は英語だ。
文系なら英語と地歴と古典を押さえる。
理系なら数学と物理と、やはり英語だ。
理系なら数学と物理と、やはり英語だ。
――英語が出来ない僕は、どっちにも行けないじゃないか。
「帰ろーぜ。あのラーメン屋寄ってくべ」
友人は僕を促して歩き出す。
友人は僕を促して歩き出す。
「悪い、ちょっと図書室で調べたいものがあるんだ。今日は先帰ってて」
「へぇ? かわいい図書委員でも見つけたってか。ま、いいや。そんじゃお疲れ」
「へぇ? かわいい図書委員でも見つけたってか。ま、いいや。そんじゃお疲れ」
友人はからかうとあっさり去って行った。
――かわいい図書委員、ねぇ……。いたら、もっと毎日が楽しいのに。
図書室というのは方便で、進路相談室に向かった。
家にもたくさんの進路情報誌が送られてくるけれど、どれを見ても大学の宣伝と、
「勉強しとけ」的な説教しか書かれていない。
「勉強しとけ」的な説教しか書かれていない。
進路相談室も似たような資料しかなかったが、それでも僕は時々ここを訪れないと落ち着かなかった。
高校生が「進路を決める」ということに、どれだけの意味があるのだろう。
社会経験もまだ乏しい。
僕の社会経験と言えば、冬休みの年賀状配達のアルバイトくらいだ。
社会経験もまだ乏しい。
僕の社会経験と言えば、冬休みの年賀状配達のアルバイトくらいだ。
そんな状態で、「とりあえず」文系か理系かだけを決める。
でも、その時点で行ける大学・学部が決まってしまう。
でも、その時点で行ける大学・学部が決まってしまう。
今の段階で、選択肢の半分を捨てなければならない。
僕は、それが理不尽に思えて仕方がない。
そもそも、「勉強したいこと」と「就きたい職業」は必ずしも結び付かない。
せっかく大学に行くのだから、自分の興味あることを勉強したい。
けれど、「興味あること」が仕事に結び付かない場合、どうしたらいいのだろう。
あるいは、「就きたい職業」があったとして、それが途中で気が変わったらどうするのか。
あるいは、「就きたい職業」があったとして、それが途中で気が変わったらどうするのか。
一からやり直し?
みんな、「どの学部に行くか」だけを考えているような気がする。
「どの職業に就くか」は、後回しになっているような気がする。
「どの職業に就くか」は、後回しになっているような気がする。
でも、それじゃ決められない。
行った学部が、自分の就きたい職業に何も影響を与えなかったら?
そう考えると、僕はいてもたってもいられない。
今が、人生の分岐点なんだ。
今が、人生の分岐点なんだ。
そんな重要な選択を、高校生に迫らないでほしい。
人生経験もまだまだ足りない。
人生経験もまだまだ足りない。
――そんな、決められないよ。
声にできない訴えをかき消すために、僕は進路指導室に行く。
とりあえず進路検討をしている自分に埋もれて、「安心」する。
とりあえず進路検討をしている自分に埋もれて、「安心」する。
〆 〆 〆
帰宅して、自分の部屋に戻る。
机の上には、進路情報誌が置いてある。
もう何度も見たし新しい情報も欲しい情報も無いのだが、惰性でそれをパラパラめくる。
もう何度も見たし新しい情報も欲しい情報も無いのだが、惰性でそれをパラパラめくる。
ジョブチェンジ。訳して、「転職」。
RPGにおいて「職業」とか「ジョブ」とか言われるものは、
生活するためのカネを得るものではなくて、「職能」あるいは「特性」だ。
生活するためのカネを得るものではなくて、「職能」あるいは「特性」だ。
「魔法が使える」とか、「剣の腕が優れる」とかは、特技みたいなもので……。
「ちょっと、兄ちゃん。なにブツブツ言ってんのよ」
ふと気がつくと、妹が僕を白い目で見ていた。
ふと気がつくと、妹が僕を白い目で見ていた。
「また、勝手に入ってきやがって。今度はなんだよ」
ヤツは中3だが、中学~高校は一貫教育なので、3年生とはいっても気楽なものだ。
「これ。貸して」
CDを、僕の目の前に突き出す。
CDを、僕の目の前に突き出す。
とあるRPGのサウンドトラックだ。僕はサントラが好きで、
気に入った映画やゲームのサントラは必ず買っている。
気に入った映画やゲームのサントラは必ず買っている。
「自分で買えばいいじゃんか」
ヤツはよくCDを借りにくる。
ヤツはよくCDを借りにくる。
「だってお金ないもん。高校生になったらバイトする」
僕は不安になった。
この不器用な女は、どんなバイトをしてもきっと大失敗をやらかす。
その姿が、容易に想像できた。
この不器用な女は、どんなバイトをしてもきっと大失敗をやらかす。
その姿が、容易に想像できた。
〆 〆 〆
6時間目の授業は音楽だった。
2年次の音楽は選択授業ということもあり、教科書があるわけじゃない。
2年次の音楽は選択授業ということもあり、教科書があるわけじゃない。
ちょっと変わった先生で、クラシックやオペラのみならず、ジャズ、ハードロックから
ヒップ・ホップ、テクノミュージックまで、なんでも「これは聴いとけ」って感じのCDを持ってくる。
それを聴き、感想文を提出して終わり、というヌルいものだった。
ヒップ・ホップ、テクノミュージックまで、なんでも「これは聴いとけ」って感じのCDを持ってくる。
それを聴き、感想文を提出して終わり、というヌルいものだった。
そんなだから、みんなはこの授業を息抜きにように感じていたし、
とはいっても選曲は毎回見事なもので、サボるやつはいなかった。
とはいっても選曲は毎回見事なもので、サボるやつはいなかった。
授業が終わると、後は帰るだけだ。今日は部活もない。
僕は楽器やら機材やらを片付ける当番だったので、準備室と教室を行ったり来たりしていた。
それを終わって気がつくとみんなもう帰ってしまっていて、何となく帰りそびれた僕は、
準備室に置いてある楽器やレコードを眺めていた。
準備室に置いてある楽器やレコードを眺めていた。
そのときだ。
隅の戸棚の中に、「それ」が載っているのを見た。
誰かがぽんと置き忘れたようにも見えたし、仕舞われたまま忘れられたかのようにも見えた。
それが何か確かめるために軽い気持ちで手にとった。
一冊の本と、それと同じくらいの厚さの紙で出来たケースだった。
『タロットの秘密』
本のタイトルは、シンプルなものだった。
カバーが外れていて、表紙はタロットカードの絵柄のうちの一枚をそのまま写しただけだった。
本は新品では無かったものの、さほど傷んでもおらず、小口もかすかに黄ばんだ程度だった。
本と一緒にあったケースには、トランプよりも一回り大きいカードがぎっしり入っていた。
本と一緒にあったケースには、トランプよりも一回り大きいカードがぎっしり入っていた。
なぜそんなことをしたのか、分からない。
何となく、だ。
大した決意も罪悪感も無かった。
何となく、だ。
大した決意も罪悪感も無かった。
僕はその本とカードを、誰に断るわけでもなく、まるで自分のものであったかのように、持ち帰った。
そして、熱心に読みふけった。
〆 〆 〆
カバンに本とカードを入れ、家を出た。
わかり易い解説のおかげで、どうにか占う流れは分かってきた。
あとは、占う「対象」が必要だ。教室には、そんなくだらない遊びにも付き合ってくれそうな連中が大勢いる。
わかり易い解説のおかげで、どうにか占う流れは分かってきた。
あとは、占う「対象」が必要だ。教室には、そんなくだらない遊びにも付き合ってくれそうな連中が大勢いる。
机で本を読んでいると、案の定、いつもの悪友が教室に入ってきた。
違うクラスなのに、休み時間になるとやって来る。
違うクラスなのに、休み時間になるとやって来る。
「あれェ? もうガリ勉かよォ」
僕の前の席の人が不在なのをいいことに、奴はその椅子に後ろ向きに座ってダベる体制万端だ。
僕の前の席の人が不在なのをいいことに、奴はその椅子に後ろ向きに座ってダベる体制万端だ。
「『タロットの秘密』?なにお前、占いでも始めんの」
――きたきた。飛んで火に入る夏の虫……
「ちょっと興味があってね。占ってやろうか」
つとめて気のない声で言うと、
つとめて気のない声で言うと、
「おお、面白そうじゃん。なんかやってくれ」
――計画通り。
「なにを占う?」
「何でもいいや。とりあえずオレの運勢」
「占う対象が漠然としているとやりにくいな。適当でいいから、なんか決めてくれ」
「なに、本格的じゃん。
そうだな、こないだのテストの数学が、どんだけ壊滅的だったか占ってくれ。どうせ午後には返されるんだけど」
「何でもいいや。とりあえずオレの運勢」
「占う対象が漠然としているとやりにくいな。適当でいいから、なんか決めてくれ」
「なに、本格的じゃん。
そうだな、こないだのテストの数学が、どんだけ壊滅的だったか占ってくれ。どうせ午後には返されるんだけど」
「よしきた」
占う対象を具体的にイメージする方がいいらしい。けど、ちと具体的すぎる気もする。
いい結果が出て、奴のテストがホントにヤバかったら、僕は早くもヤブ占い師認定されてしまう。
いい結果が出て、奴のテストがホントにヤバかったら、僕は早くもヤブ占い師認定されてしまう。
「どこでもいいから、カットしてくれ」
「カット? トランプ切るみたいな?」
「カット? トランプ切るみたいな?」
僕は、カードの束を適当なところで2つに分けることだと説明した。
分かれたところから1枚抜き出し、机に伏せる。
分かれたところから1枚抜き出し、机に伏せる。
『ワンオラクル』と呼ばれる、基本形。
占いというより、判じ物に近い。
シンプルすぎるゆえに上級者向けでもあるらしい。
占いというより、判じ物に近い。
シンプルすぎるゆえに上級者向けでもあるらしい。
「じゃ、いくぞ」
僕はカードをめくった。
〆 〆 〆
進路指導室から出る。
特別教室が並ぶ棟を歩く。
特別教室が並ぶ棟を歩く。
静かだ。
窓から夕日が差し込んで、廊下がオレンジ色で満たされている。
遠くから、グラウンドで声を出す運動部の掛け声が聞こえる。
窓から夕日が差し込んで、廊下がオレンジ色で満たされている。
遠くから、グラウンドで声を出す運動部の掛け声が聞こえる。
人気のない学校の廊下は、不気味さと懐かしさを持っている。
暖かいような、背筋がぞくりとするような、不思議な感覚。
暖かいような、背筋がぞくりとするような、不思議な感覚。
夕暮れ時のこういう時間を、「逢魔が時」とか言うと聞いたことがある。
その時。
空気を微かに震わせる音が、ひっそりと響いてきた。
空気を微かに震わせる音が、ひっそりと響いてきた。
重たい生き物がゆっくりと体を伸ばすような、低音。
ややあって、それがコントラバスの音だと気がついた。
ややあって、それがコントラバスの音だと気がついた。
誰かがコントラバスを弾いている。
この先には音楽室があるはずだった。
この先には音楽室があるはずだった。
オケ部は専用のホールで練習しているし、合唱部も体育館裏で声を響かせている。
放課後に音楽室にいる部活は、無いはずだった。
放課後に音楽室にいる部活は、無いはずだった。
コントラバスは、ゆっくりと旋律らしいものを奏でる。
テンポが遅すぎて気付かなかったが、それは僕の知っている曲だった。
テンポが遅すぎて気付かなかったが、それは僕の知っている曲だった。
音楽室の扉は少し開いていた。
僕は、おそらく中にいるであろう弾き手に悟られないよう用心しながら、室内を覗いた。
僕は、おそらく中にいるであろう弾き手に悟られないよう用心しながら、室内を覗いた。
窓際に立つ人影。
女の子だ。
小さな体に不釣合なコントラバスを左側にして、こちらに背を向けている。
小さな体に不釣合なコントラバスを左側にして、こちらに背を向けている。
――まるで、大柄な恋人と寄り添ってるみたいだ。
顔を斜め下に向けて、何かを見ている。
楽譜だろうか。
楽譜だろうか。
そして、再び弾きだす。
右手の弓を引き、左手でビブラートをかける。
マイナー・メロディが、低音と相まって、いっそう物悲しく聴こえる。
右手の弓を引き、左手でビブラートをかける。
マイナー・メロディが、低音と相まって、いっそう物悲しく聴こえる。
僕は、そのコントラバスの彼女が、凛とした佇まいで楽器を弾く姿に、我を忘れて見惚れていた。
〆 〆 〆
三者面談の日程表が配られた。
現時点で僕の希望進路は理系だけれど、これだって「文系→理系は難しいが、理系→文系は比較的ラク」という
ウワサを聞いたからそうしただけだ。
現時点で僕の希望進路は理系だけれど、これだって「文系→理系は難しいが、理系→文系は比較的ラク」という
ウワサを聞いたからそうしただけだ。
正直言って、僕には勉強したいことが何か分からない……というか、決められない。
いろいろなことに興味があるし、そのうちの一つに絞って勉強するのは、根気が続かないような気もする。
――広く浅く勉強しながら決めていく、ってのじゃダメなのかな……
そんな程度の希望だから、面談なんてしても意味が無いと思う。
僕は、母親と先生がどんな話をするのか、他人事のようにぼんやりと考えた。
僕は、母親と先生がどんな話をするのか、他人事のようにぼんやりと考えた。
HRが終わり、僕はタカハシの姿を見つけ、声を掛けた。
「わりぃ、今日はオレの方が用事あんだ」
奴はそういうと、慌てて廊下を走っていった。
奴はそういうと、慌てて廊下を走っていった。
もしかしたら、お母さんのことかもしれない。
今日は通院の日なのだろうか。
今日は通院の日なのだろうか。
タカハシの母親は、目が見えない。
そのことを知ったのは、僕らが1年生の時だ。
彼の家に遊びに行ったとき、偶然会った。
そのことを知ったのは、僕らが1年生の時だ。
彼の家に遊びに行ったとき、偶然会った。
「な、トイレ貸してくれない?」
「おお、階段降りた所だよ」
「おお、階段降りた所だよ」
僕が階段を降りると、彼のお母さんらしき人がいたので、
「こんにちは。お邪魔してます」
と挨拶をした。
「こんにちは。お邪魔してます」
と挨拶をした。
ところがその人は、はじめに僕とはおよそ無関係な方向を見て、
「あら……マサヤのお友達ね。いらっしゃい」
と言い、頭を下げた。
「あら……マサヤのお友達ね。いらっしゃい」
と言い、頭を下げた。
「お構いできなくてごめんなさいね」
それからゆっくりと顔を上げて、視線をさまよわせた。
そのとき、僕ははっとした。
彼のお母さんの目は白く濁っていて、僕とは微妙にズレた、“僕のいる辺り”に向かって話しかけた。
彼のお母さんの目は白く濁っていて、僕とは微妙にズレた、“僕のいる辺り”に向かって話しかけた。
「トイレは、そこだぜ」
なかなか戻ってこない僕を不審に思ったのか、友人が階段から降りてきた。
そして、
「こっちのことはオレがやるから」
そういって母親を居間に押し戻した。
なかなか戻ってこない僕を不審に思ったのか、友人が階段から降りてきた。
そして、
「こっちのことはオレがやるから」
そういって母親を居間に押し戻した。
タカハシは、僕を母親に会わせるつもりは無かったのだろう。
トイレを済ませて部屋に戻ると、彼はきまり悪そうに言った。
「うちの母親。目、見えないんだ。いつもはお手伝いさんが居るんだけど、今日は来れなかったんだな」
「うちの母親。目、見えないんだ。いつもはお手伝いさんが居るんだけど、今日は来れなかったんだな」
それに対して、僕はなんと返答したものか分からず、黙ってしまった。
タカハシもすぐに話題を逸らしたのだったが、僕は頭の裏で、
彼の母の白く濁った眼のことをずっと反芻していた。
タカハシもすぐに話題を逸らしたのだったが、僕は頭の裏で、
彼の母の白く濁った眼のことをずっと反芻していた。
〆 〆 〆
――まぁ、こんなもんか。
予想通り芳しくない英語のテストと、予想より良かった数学のテストを眺めながら、
三者面談のことを思い、憂鬱な気分になった。
三者面談のことを思い、憂鬱な気分になった。
タカハシの数学は、思ったよりも悪くなかったらしい。
とりあえず、僕はヤブのレッテルを貼られなくて済みそうだ。
とりあえず、僕はヤブのレッテルを貼られなくて済みそうだ。
〆 〆 〆
「ん? 一枚だけか?」
机に伏せられたカードを見て、タカハシは訝しげに言った。
「『ワンオラクル』っていう、れっきとしたやり方だぞ。『oracle』ってのはまぁ、『お告げ』みたいな意味」
僕は本の受け売りを喋りながら、カードの裏面を見ていた。
僕は本の受け売りを喋りながら、カードの裏面を見ていた。
めくって現れたのは、逆さになった【力】のカード。
逆位置、というやつだ。
逆位置、というやつだ。
タロットカードは、裏側からは上下の判別ができないようになっている。
タロットでは、正位置と逆位置で異なる意味合いを持つものだという。
ただ、その解釈も占者によってまちまちだ。
ただ、その解釈も占者によってまちまちだ。
僕はカードを眺め、本を参照し、考え込んだ。
「……僕も初心者だから本を見ながらやるけど。
タロットは、物事を『当てる』ってより、カードからメッセージを『読み取る』って作業だから、
ハズれたとか、ウソつきとかは、無しな」
タロットは、物事を『当てる』ってより、カードからメッセージを『読み取る』って作業だから、
ハズれたとか、ウソつきとかは、無しな」
「いいぜ。べつに賭けをしているわけじゃねぇから」
そういって、友人はじっと僕の答えを待っている。
そういって、友人はじっと僕の答えを待っている。
これはけっこう、プレッシャーだ。
いやいや、カードを読み取ることに集中だ……。
いやいや、カードを読み取ることに集中だ……。
――【力】の、逆位置。
力が、正しく機能しない……ってことかな? 力を過信する、って意味にも取れる……。
過信……テストを見くびったか? タカハシなら、ありそうなことだ……。
力が、正しく機能しない……ってことかな? 力を過信する、って意味にも取れる……。
過信……テストを見くびったか? タカハシなら、ありそうなことだ……。
「お前、数学のテストちゃんと勉強しなかっただろ」
「なに言ってんだよ。オレは今回、けっこう気ぃいれてノート取ったんだぜ。あとからまとめたりしたしよぉ」
――あら。そうか。うーん、どうしたらいいんだ?
考えても、テレビの占い師みたく『ズバッと』言うことは出来なさそうだ。
僕はカードの解釈を喋りながら、イメージをふくらませた。
僕はカードの解釈を喋りながら、イメージをふくらませた。
「このカードは、【力】の象徴なんだ。【力】は文字通り能力(ability)でもあるし、
環境やなんかの不可抗力(force)の意味もある」
環境やなんかの不可抗力(force)の意味もある」
「おお」
タカハシは身を乗り出して、カードに見入っている。
タカハシは身を乗り出して、カードに見入っている。
「これが、逆さになってる。『逆位置』といって、元の意味の逆だったり行き過ぎなんかを
意味する……ときも、ある」
意味する……ときも、ある」
言いながら、怯んだ。
否定的な解釈を言うことに。
否定的な解釈を言うことに。
まだ占いの“う”の字も言ってない状態だが、僕はタカハシに否定的な結果を告げるのを躊躇った。
「……ええっと、僕の解釈を言うけど、まだ初心者だから的はずr」
「わかったって。どんな結果でもいいから、続けろよ」
「わかったって。どんな結果でもいいから、続けろよ」
友人は苛立ったように言い、カードを見つめている。
【力】は、若い女性がライオンを懐柔しているような絵柄。
力……力学。能力。
力学……ベクトル。
ベクトル……方向……間違う……空回り……能力……限界……報われない努力。
力学……ベクトル。
ベクトル……方向……間違う……空回り……能力……限界……報われない努力。
僕はぽつりぽつりと、自分の解釈を吐き出した。
「……数学の勉強を、がんばったんだな。けれど、それはどこか方向を間違っちゃったのかな。
頑張る方向を間違って、十分な結果が出なかった……」
頑張る方向を間違って、十分な結果が出なかった……」
所詮、にわか占いだ。
結果を告げるにしても、自信が無い。
結果を告げるにしても、自信が無い。
「……というのは、どうだろ」
上目遣いに、そっと友人の様子を伺う。
上目遣いに、そっと友人の様子を伺う。
タカハシは、じっとカードを見つめていたが、
「う゛~ん、そっかぁ……そーかもなぁー。
オレ、けっこうガンバったつもりだったのに、なんか『出来た!』って感じはしねーんだよな。
『やべぇー! 終わったぁーーー!!』ってカンジはあるけどよぉ」
オレ、けっこうガンバったつもりだったのに、なんか『出来た!』って感じはしねーんだよな。
『やべぇー! 終わったぁーーー!!』ってカンジはあるけどよぉ」
そういって笑う。
「ま、そうだよな。やべーのは分かってたし」
その声とかぶさるように、昼休み終了を告げる予鈴が鳴った。
その声とかぶさるように、昼休み終了を告げる予鈴が鳴った。
タカハシは席を立ち、なんともいえない笑い顔で去っていった。
僕はその横顔を、何を言うでもなく見送った。
僕はその横顔を、何を言うでもなく見送った。
僕が、占いの結論としては結局のところ何も言っちゃいなかった、ということに気づいたのは、
午後の授業中にさっきの占いを反芻している時だった。
午後の授業中にさっきの占いを反芻している時だった。
――もっと、カードについて想像力を働かせないとダメだな。
机の陰で本をめくりながら、僕はぼんやりと考えた。
そしてその後すぐ、
「そんなことをしている暇があるのか?」
と冷たく言い放つもう一人の僕の声が聞こえた。
〆 〆 〆
いつもの通り進路指導室で時間を潰して、軽く憂鬱な気持ちになりながら廊下を歩いていた。
窓から見える空は厚く雲が垂れこめていて、今にも降り出しそうだ。
廊下には蛍光灯が灯っているが、薄暗い。
廊下には蛍光灯が灯っているが、薄暗い。
――今日も聞こえるかもしれない。
僕は、いつか聞いたコントラバスの音色を思い出した。
廊下を歩きながら耳を澄ますも、何も聞こえない。
件の教室に差し掛かったとき、一人の女子生徒が教室から出てきた。
見覚えのある髪型だった。同じクラスの女の子だ。
ざっくりとしたポニーテールを揺らし、僕には気づかない様子で、教室に鍵をかけている。
手には黒くて長細いバッグのようなものを持っている。
手には黒くて長細いバッグのようなものを持っている。
「ナギサワさん」
僕は、声をかけた。
僕は、声をかけた。
彼女はびくっとして、振り向いた。
「びっくりしたぁ……何してるの?」
彼女は笑いながら、僕に言った。
彼女は笑いながら、僕に言った。
――コントラバスを弾いていたのは、この娘だったのか。
僕は図書室に本を返しに行っていた、と嘘をついた。
進路指導室にいたなんて、言いたくなかった。
進路指導室にいたなんて、言いたくなかった。
なぜだかわからない、『進路を決めかねている自分』を認めたくなかったのかも知れない。
「何の本を借りてたの?」
薄暗い廊下を並んで歩きながら尋ねられ、
資料集を忘れたから借りていた、とでっち上げた答えを口にする。
資料集を忘れたから借りていた、とでっち上げた答えを口にする。
「ナギサワさんは、自己練?」
「部活じゃないよ。ただの趣味」
彼女は恥ずかしそうに笑って、オーケストラ部が使っていない楽器を弾かせてもらっていると言った。
「部活じゃないよ。ただの趣味」
彼女は恥ずかしそうに笑って、オーケストラ部が使っていない楽器を弾かせてもらっていると言った。
「オケ部に入ればいいのに」
なんの気なしにそう言ったが、彼女は曖昧に笑い、目を逸らして濁した。
――言わなきゃ良かったかな。
彼女の様子にちょっと後悔した。きっと、何らかの事情があるのだろう。
僕は自分の会話センスの無さに絶望し、コントラバスについてこれ以上言及しない方がいいと思った。
何となく気まずい雰囲気で、僕らは下駄箱まで来て別れた。
〆 〆 〆
僕やタカハシは、この学校では、“よそ者”になる。
僕は中学までは地元の公立校に通っていたのだったが、高校を選ぶ段になって選択肢はそう多くなかった。
めちゃくちゃレベルが高くなく、かといって荒れてもいない、家から無理なく通える距離にある高校、と絞っていった結果、
この学校に入学と相成った。
僕は中学までは地元の公立校に通っていたのだったが、高校を選ぶ段になって選択肢はそう多くなかった。
めちゃくちゃレベルが高くなく、かといって荒れてもいない、家から無理なく通える距離にある高校、と絞っていった結果、
この学校に入学と相成った。
この学校は幼稚部から付属大学までを擁する私立のマンモス校だ。
高等部には当然、中等部かそれ以前からの“生え抜き”連中がいる。
高等部では、彼らより若干数は少ないものの、他所から転入する生徒も相当数いる。
僕もご多分に漏れず“外様”の一人というわけだ。
高等部には当然、中等部かそれ以前からの“生え抜き”連中がいる。
高等部では、彼らより若干数は少ないものの、他所から転入する生徒も相当数いる。
僕もご多分に漏れず“外様”の一人というわけだ。
“外様”だろうと“生え抜き”だろうと、教室での人間関係には何の影響もない。
そんなものの影響は一年生の初めのうちだけで、二年生になった今、誰がどの中学出身かも分からなくなってしまった。
幸いなことにクラスの交友関係は良く、僕は今まで平穏な高校生活を過ごしてこられた。
そんなものの影響は一年生の初めのうちだけで、二年生になった今、誰がどの中学出身かも分からなくなってしまった。
幸いなことにクラスの交友関係は良く、僕は今まで平穏な高校生活を過ごしてこられた。
そして今、僕は進路選択に思い悩んでいる。
付属の大学への進学率は、さほど高くない。
付属大学は芸術系と教育学部しかなく、僕はそのどちらにも行く才能も情熱もない。
大多数の生徒は、手頃な私立大や専門学校に進む。
付属大学は芸術系と教育学部しかなく、僕はそのどちらにも行く才能も情熱もない。
大多数の生徒は、手頃な私立大や専門学校に進む。
――みんな、どうするつもりなのだろう?
〆 〆 〆
終わりのHRが終わり、ふと窓の外を見た。
一日中降り続くような気配だった雨はいつの間にか止んでいて、
雲のところどころに開いた切れ間から、青空が顔をのぞかせていた。
一日中降り続くような気配だった雨はいつの間にか止んでいて、
雲のところどころに開いた切れ間から、青空が顔をのぞかせていた。
部活組は、早々と教室を出て行く。
のろのろとカバンを担ぐと、タカハシが教室に入ってきた。
のろのろとカバンを担ぐと、タカハシが教室に入ってきた。
「帰んべよ」
そういってカバンをスイングさせ、僕の尻を叩く。
そういってカバンをスイングさせ、僕の尻を叩く。
進路指導室に行くことも考えたけれど――正直、もう資料は見尽くして新しい情報は無い――、
今日は帰ることにした。
今日は帰ることにした。
タカハシと並んで、廊下を歩く。
階段で、二人の女子生徒とすれ違った。
階段で、二人の女子生徒とすれ違った。
二人は、僕の隣を見て「あ」という声にならない声を発し、気まずそうに眼を伏せ、
小声で「失礼します」とか何とか呟いて、そそくさと去っていった。
小声で「失礼します」とか何とか呟いて、そそくさと去っていった。
それまで、『クロノ・トリガー』のマルチエンディングの出し方について持論を展開していた友人は、急に言葉少なになった。
それが何なのか、僕には凡そ見当がついていた。
僕らは駐輪場までくると、どちらともなく
僕らは駐輪場までくると、どちらともなく
「寄ってく?」
といい、帰宅途中にあるラーメン屋に寄ることにした。
〆 〆 〆
「後輩のやつらは、オレとどう接していいか困るんだろうな」
替え玉を『ハリガネ』で注文し、タカハシは唐突に呟く。
「マネージャーか? けっこうカワイイじゃん」
返してから、僕もカウンターの一段上に100円玉を置き、『バリカタ』と叫ぶ。
タカハシは、元・バスケ部員だ。
中学の頃からバスケをやっていて、けっこうな実力者だったらしい。
実際、1年の時に球技大会で見たときのヤツは、面白いくらい3Pシュートを決めていた。
実際、1年の時に球技大会で見たときのヤツは、面白いくらい3Pシュートを決めていた。
高校に入ってしばらくすると、眼に障害が出始めた。
距離感が掴めず、シュートは決まらない。
ずっと運動していると視界そのものが霞んできて、よく見えなくなる。
距離感が掴めず、シュートは決まらない。
ずっと運動していると視界そのものが霞んできて、よく見えなくなる。
それは、先天性の障害だったのだ。
タカハシはバスケ部を辞めることを申し出たが、同じ2年の他の部員が、それを許さなかった。
もともと人数が少ないことに加え、タカハシは入部当初に同学年の連中と揉めて、
何人もの入部希望者を去らせることになった。
何人もの入部希望者を去らせることになった。
残っている部員連中に言わせると、タカハシが原因で部員を逃したんだから、
責任をとって3年間続けるべきだ、ということらしい。
責任をとって3年間続けるべきだ、ということらしい。
もちろん当人はそんな気はさらさら無くて、もう辞めた気でいるから帰宅部同然に、
ほぼ毎日僕を帰りに誘ってくるのだった。
ほぼ毎日僕を帰りに誘ってくるのだった。
「もうバスケなんてやらねぇっての。サイトウ、言ってくんね? いい加減諦めろよって、あのバカどもに」
替え玉をスープに移してほぐしながら、言う。
替え玉をスープに移してほぐしながら、言う。
バスケ部を辞めてから、タカハシとバスケ部員との関係は、ハッキリ言って悪い。
並んで歩いていて、バスケ部の連中とすれ違うとき、特に顕著に感じる。
並んで歩いていて、バスケ部の連中とすれ違うとき、特に顕著に感じる。
わざとぶつかってきたり、聞こえよがしにタカハシを揶揄してみせたり。
タカハシは黙っている。「バッカじゃねぇの」と冷笑してさえいる。
その空間はささくれだっていて、僕みたいな第三者にはひどく居心地の悪いものでしかない。
僕のクラスにバスケ部員が居ないことは、せめてもの幸いなのだと思うべきなのだろう。
「運動部は、大変なんだな」
替え玉の入った椀をとり、麺を移しながら言う。
替え玉の入った椀をとり、麺を移しながら言う。
僕は相変わらず、間抜けで的を射ない答えを返していると思う。
「大変じゃねーよ。面倒くせーだけだ」
タカハシは、麺をたぐってから、怒鳴るように言う。
タカハシは、麺をたぐってから、怒鳴るように言う。
その面倒くささが、俗に言う「セイシュン」ってやつなんだろうか、と漠然と思う。
だとしたら、世の大人はバカだ。
そんなもの、美しくも羨ましくもない。
そんなもの、美しくも羨ましくもない。
ただ……、見苦しいだけだ。
〆 〆 〆
ナギサワ・マイコは、大人しくて地味。教室では目立たないタイプの女の子だ。
肩くらいまでの黒髪を、いつもだいたいポニーテール(短すぎて“尻尾”になってない)か、
片方にまとめて耳の下あたりで結んで垂らしているのだったが、今日は違った。
片方にまとめて耳の下あたりで結んで垂らしているのだったが、今日は違った。
いわゆる『お下げ』……というのかよくわからないけれど、左右両方に髪をまとめていたのだ。
学校を出てすぐに、バスを待っている彼女の姿が目に入った。
彼女も僕に気がつくと、ひらひらと手を振った。
彼女も僕に気がつくと、ひらひらと手を振った。
「今、帰り?」
若干緊張しながら、話しかける。
若干緊張しながら、話しかける。
「うん。今日はバスなんだ。朝、雨ひどかったから。なのに、こんなに晴れるなんて!」
ナギサワは、屈託なく笑って空を見上げる。
朝の大雨をあざ笑うかのように、すっきりとした晴天が広がっていた。
朝の大雨をあざ笑うかのように、すっきりとした晴天が広がっていた。
――その髪型、珍しいね。
たったそれだけのことを、僕は言えなかった。
気恥かしさが先に立って、無難な話題を選択してしまう。
気恥かしさが先に立って、無難な話題を選択してしまう。
「明日から、また天気悪くなるみたいだね」
「うん、しばらくバスで来ることになるかなぁ。でも、バスだと本が読めるから好きだよ」
本が読める、という言葉に、僕の耳は反応した。
僕がネコ耳か犬耳を持つ獣人のたぐいだったなら、きっとマンガみたく『ピン!』と耳を立てたことだろう。
僕がネコ耳か犬耳を持つ獣人のたぐいだったなら、きっとマンガみたく『ピン!』と耳を立てたことだろう。
――どんな本を読むのかな。
けれど、当然と言うべきか、僕はその質問をすることなく、
「じゃ」
と言って自転車のペダルを踏み込んだのだった。
「じゃ」
と言って自転車のペダルを踏み込んだのだった。
さっきの短いやりとりを頭の中で反芻しつつ、自転車を漕ぐ。
ナギサワは、読書家なのだろうか。
教室では、そんな気配は見せない。
休み時間には、仲の良い女子のグループでおしゃべりをしている姿しか思い浮かばない。
教室では、そんな気配は見せない。
休み時間には、仲の良い女子のグループでおしゃべりをしている姿しか思い浮かばない。
ナギサワの読む本。
あの、お下げを耳の上にあげたような髪型。
ひとりっきりで弾くコントラバス。
あの、お下げを耳の上にあげたような髪型。
ひとりっきりで弾くコントラバス。
教室で地味な彼女について、僕が知っていることといえば、名前と顔と、座席の位置くらいだった。
その彼女が、意外な一面を持っていたことに、僕は何とも言い難い、不思議な感覚を覚えていた。
その彼女が、意外な一面を持っていたことに、僕は何とも言い難い、不思議な感覚を覚えていた。
――勘違いするなよ。
自転車を漕ぎながら、僕は頭を振る。
乱暴にちぎったみたいな雲の塊が、抜けるような青空に浮かんでいた。
〆 〆 〆
夕食を済ませ、自分の部屋に戻る。
中学2年になった時、ようやく手に入れた、この部屋。
中学2年になった時、ようやく手に入れた、この部屋。
勉強机も、その時一緒についてきた。
残念ながら本来の用途に活用される機会は少なく、もっぱら開いたノートにイラストとも呼べない落書きが描かれたり、
ゲームの攻略本とマッピング用方眼紙が広げられていたり、『設定資料』などと称して意味不明な地名や人名が
書き連ねられたりしているのがせいぜいだ。
残念ながら本来の用途に活用される機会は少なく、もっぱら開いたノートにイラストとも呼べない落書きが描かれたり、
ゲームの攻略本とマッピング用方眼紙が広げられていたり、『設定資料』などと称して意味不明な地名や人名が
書き連ねられたりしているのがせいぜいだ。
その愛すべき机の前で、タロットカードを切る。
そして、念じながら一枚抜く。
そして、念じながら一枚抜く。
――三者面談のことを母さんに言うけど、どんな反応をするか。
抜いたカードを裏向きに伏せる。
カードから解釈を読み取るには、訓練が必要だという。
僕はその訓練として、『ワンオラクル・スプレッド(カードの並べ方のことだ)』を使って、
些細なことや個人的なことを占っていた。
僕はその訓練として、『ワンオラクル・スプレッド(カードの並べ方のことだ)』を使って、
些細なことや個人的なことを占っていた。
カードは【節制】の正位置。
たおやかな女性が、杯から水を移す様子が描かれている。
たおやかな女性が、杯から水を移す様子が描かれている。
『節制』……普段は使わない言葉だ。
『節約』と、何が違うんだろう。『節約』なら、母さんの得意とするところだけど。
『節約』と、何が違うんだろう。『節約』なら、母さんの得意とするところだけど。
辞書を引いてみる。
――節度を守る・度を越さない・控えめである
――節度を守る・度を越さない・控えめである
……うーん。
よく、分からない。
これを、どう解釈しろと?
よく、分からない。
これを、どう解釈しろと?
節制……節制……このカードの女性は、天使みたいだな。背中に翼がある。
天使……天使の仕事は、杯から水を移すことか?
天使……天使の仕事は、杯から水を移すことか?
この天使は、他のよりも年上のお姉さん、って感じがするな。なんとなくだけど。
お姉さんは、よく物事を知っていて、水も零さず移せる、と。
おかしいな、お姉さんといえば「色っぽい」か「ドジ」、ってのがデフォルトなはずなんだが。
……って、いやいやいや、そんなラノベ的解釈で良いワケ無いだろ!
おかしいな、お姉さんといえば「色っぽい」か「ドジ」、ってのがデフォルトなはずなんだが。
……って、いやいやいや、そんなラノベ的解釈で良いワケ無いだろ!
でも、良く知った人は、何でも卒なく物事をこなす。
『良く知った者』……『卒なくこなす』……
うん、この絵柄にはそういう言葉がぴったりだな。
さて、それをどう解釈するんだ?
さて、それをどう解釈するんだ?
節制……英語で、temperance。
てんぺらんす。テンパランス、かな?
ぺらんす。パランス。……バランス。
均衡……精確……絶妙な……デリケートな……精密……精鋭……頭脳明晰……
てんぺらんす。テンパランス、かな?
ぺらんす。パランス。……バランス。
均衡……精確……絶妙な……デリケートな……精密……精鋭……頭脳明晰……
――ダメだ、結びつかないぞ。母さんの機嫌を占うのに、頭脳もなにもあったもんじゃないよ。
「あ゛ーーー! タロットって、難しいぃーーなぁーー!!」
背もたれに思いっきり凭れて、伸びをしつつ僕は叫んだ。
案の定、その後すぐに妹が、煩いだのなんだのと怒鳴りこんできたのだったが、知ったことか。
4時限目の授業が終わり、理科室から戻る途中、ナギサワと一緒になった。
偶然にも僕も彼女も当番に当たって、授業の後もガスバーナーやらビーカーやらを片付けていたのだ。
偶然にも僕も彼女も当番に当たって、授業の後もガスバーナーやらビーカーやらを片付けていたのだ。
ナギサワは……今日は束ねた髪を纏めて左肩に垂らしている。
今まで気づかなかったのだけど、彼女は毎日髪型を微妙に変えている。
ポニーテールにしても、高い位置で噴水みたく (この喩え、伝わるかどうかとても自信がない) 散らしている時もあるし、
やや低い位置で房を垂らしている時もある。
ポニーテールにしても、高い位置で噴水みたく (この喩え、伝わるかどうかとても自信がない) 散らしている時もあるし、
やや低い位置で房を垂らしている時もある。
「サイトウくん、この前進路指導室に行ってたね」
特別教室棟の廊下を並んで歩いている時、ナギサワが言った。
――見られてた?
僕は平静を装いつつ、少しばかり動揺していた。
僕は平静を装いつつ、少しばかり動揺していた。
「呼び出し食らった?」
いたずらっぽく笑って、僕を見る。
いたずらっぽく笑って、僕を見る。
「はは……まぁ、そんなとこ」
曖昧に笑って、やり過ごす。
曖昧に笑って、やり過ごす。
何だか、そこに出入りしていることを知られたくないような気がした。
知られたところで、どうにもなりそうにないけれど。
知られたところで、どうにもなりそうにないけれど。
「進路、決めた?」
ナギサワは、さらに追い打ちをかけてくる。今の僕が、もっとも聞かれたくない類の質問だ。
ナギサワは、さらに追い打ちをかけてくる。今の僕が、もっとも聞かれたくない類の質問だ。
階段を降りる。
一日中日陰なせいで、ここだけ冷房が効いたようにひんやりと心地いい。
あと何日かで、夏休みだ。
夏休みが終わったら……本格的に、進路決定をしなくちゃならない。
一日中日陰なせいで、ここだけ冷房が効いたようにひんやりと心地いい。
あと何日かで、夏休みだ。
夏休みが終わったら……本格的に、進路決定をしなくちゃならない。
正直言って、考えたくない。
「……悩んでる。どうしたらいいんだろ。この前のテストもイマイチだったしさ」
冗談っぽく笑って返す。
冗談っぽく笑って返す。
「わたしもだよ。なんていうかさ、『もうちょっと考える時間ください』って言いたくなっちゃう」
渡り廊下に差し掛かる。
凶暴さを増す太陽光が、容赦なく気温を上げている。
凶暴さを増す太陽光が、容赦なく気温を上げている。
うわ、暑っ! などと口にしながら、僕たちは歩いている。
その廊下を歩いているとき、不意にナギサワは、言った。
「『〇〇に成りたい』とか、『△△を目指す』とかって言える人は、ホントに凄いな、って思う」
遠慮がちに、けれど確固たる信念を持った口調だった。
僕は黙っていた。
真意を測りかねた。
真意を測りかねた。
代わりに彼女の横顔を見る。
笑ってはいなくて、けれど深刻というわけでもない。
笑ってはいなくて、けれど深刻というわけでもない。
呟くように、「だってさ、」と続ける。
「成りたい希望を言ったとして、それが『お前じゃ無理だ』とか、『素質がない』なんて言われたら、どうするの?
わたしは……怖いよ、そんなの。可能性が、たった一言で潰されちゃう気がする」
わたしは……怖いよ、そんなの。可能性が、たった一言で潰されちゃう気がする」
その気持ちは、分からなくはない。
僕は具体的な将来像を描けないでいるけれど、もしかするとそれは『否定されるのが怖い』から、なのかも知れない。
僕は具体的な将来像を描けないでいるけれど、もしかするとそれは『否定されるのが怖い』から、なのかも知れない。
希望する将来像を具体的に言ったとする。
それを否定されてしまうと……、なんというか、逃げ場を失ったような気分になる。
それを否定されてしまうと……、なんというか、逃げ場を失ったような気分になる。
その可能性――たとえどんなに僅かな可能性だったとしても――を、いともあっさりと、潰されたような気分になる。
大袈裟に言うなら、他人のたった一言で自分の人生が決定されてしまうような気がするのだ。
大袈裟に言うなら、他人のたった一言で自分の人生が決定されてしまうような気がするのだ。
そんなの、まっぴらごめんだ。
教室のある棟に戻ってくると、人が増えてざわめきも増した。
すぐにナギサワの友達が彼女を見つけ駆け寄ってくる。
じゃ、と手を上げ、僕は購買部へ向かう。
ナギサワは、きっと仲良しグループの女の子たちとお弁当を囲むだろう。
すぐにナギサワの友達が彼女を見つけ駆け寄ってくる。
じゃ、と手を上げ、僕は購買部へ向かう。
ナギサワは、きっと仲良しグループの女の子たちとお弁当を囲むだろう。
スタートが出遅れた。ハムカツサンドは、まだ残っているだろうか?
僕は、購買へ向かう足を早めた。
僕は、購買へ向かう足を早めた。
〆 〆 〆
真夏かと思うような強烈な暑さだったのが、夕方には雲が空の7割を覆っていた。
見るからに重そうな灰色が、前方に低く垂れこめている。
見るからに重そうな灰色が、前方に低く垂れこめている。
「これは降るな。さっさと帰ろう」
いつものとおり、友人を促して自転車置き場へ向かう。
いつものとおり、友人を促して自転車置き場へ向かう。
タカハシは自転車を出そうとせず、ボーッと突っ立っている。
「なにしてんだ?」
と聞くと、ニヤリと笑い、
「原チャで来たからさ。あっちに隠してある」
親指で校門を指す。
と聞くと、ニヤリと笑い、
「原チャで来たからさ。あっちに隠してある」
親指で校門を指す。
原付での通学は、当然禁止されている。
けれど免許を取った連中は、原付で学校の近くまで来て、公園やなんかに隠して停めている。
けれど免許を取った連中は、原付で学校の近くまで来て、公園やなんかに隠して停めている。
タカハシも、原付免許を持っている。
16歳になるとすぐに取ったそうだ。
16歳になるとすぐに取ったそうだ。
タカハシはのんきに、ハーフキャップ・メットを頭の上に乗せてスーパー・カブに跨った。
先生やなんかに見つからないか、僕の方がビクビクしてしまう。
先生やなんかに見つからないか、僕の方がビクビクしてしまう。
自転車の僕に合わせて、のったり走るタカハシ。
眼の障害のことを考えると、自殺行為――というのは大げさにしても――に近いと思う。
それでもヤツは気にせずに、原付を乗り回している。
眼の障害のことを考えると、自殺行為――というのは大げさにしても――に近いと思う。
それでもヤツは気にせずに、原付を乗り回している。
〆 〆 〆
進路指導室に通っている僕は、どうしても考えざるを得ない。
例えば、仮に数学が得意だから数学科に進んだとして、就職はどうなる?
『数学科なんて、出たところで塾講師がせいぜいだよ』
数学が得意なクラスメイトが言っていたセリフが思い出される。
『数学科なんて、出たところで塾講師がせいぜいだよ』
数学が得意なクラスメイトが言っていたセリフが思い出される。
史学科や国文科、数学科のなかでも純粋数学の分野、芸術の分野……。
確かに、それらに興味はあるけれど。
頑張って勉強して、大学を出たところで……、何に成る?
それを活かした就職口なんて、あるのだろうか?
確かに、それらに興味はあるけれど。
頑張って勉強して、大学を出たところで……、何に成る?
それを活かした就職口なんて、あるのだろうか?
研究職として、大学の一室に篭もるのだろうか。
……それが社会に貢献しているとは、あまり思えない。
……それが社会に貢献しているとは、あまり思えない。
世の中で、もっとも無駄に飯を食っている職業は、哲学者と言われている……というのを、倫理の授業で聞いたことがある。
物事を考えている“だけ”の「仕事」は、結局のところ人様の役に立ってはいないのだ。
『下手な考え 休むに似たり』――つまり、どれだけ高尚であっても役に立たなきゃNEETと同じ。
物事を考えている“だけ”の「仕事」は、結局のところ人様の役に立ってはいないのだ。
『下手な考え 休むに似たり』――つまり、どれだけ高尚であっても役に立たなきゃNEETと同じ。
では、大学時代に蓄えたその知識をひとまず置いておいて、他のテキトーな文系学生と同じく、
企業の営業として働くことになるのだろうか。
営業は、僕には無理だろうと思う。
なにより、身につけた知識を活かせていない。
企業の営業として働くことになるのだろうか。
営業は、僕には無理だろうと思う。
なにより、身につけた知識を活かせていない。
やりたいことを勉強していたら、いつの間にかそれを活かせる職業が見つかって、その職に就く。
自分の興味あることを勉強し、それで得た知識やスキルを活かして仕事をし、生計を立てていく。
それで適材適所、丸く収まる……。
自分の興味あることを勉強し、それで得た知識やスキルを活かして仕事をし、生計を立てていく。
それで適材適所、丸く収まる……。
就職情報誌や進路指導室は、そういう情報は与えてくれない。
『この学部に行ったらこの職業!』というような、選択の余地を与えない記事ばかり。
『この学部に行ったらこの職業!』というような、選択の余地を与えない記事ばかり。
世の中に、就ける『ジョブ』は限られているように思える。
そのジョブに就くために、有利な学部を選択する必要がある。
そのジョブに就くために、有利な学部を選択する必要がある。
でも、どのジョブにも魅力を感じない人がいたら……
どうしたらいいんだ?
どうしたらいいんだ?
テレビを見ていると、実に多くの肩書き、つまり職業についている人たちがいる。
〇〇研究家だとか、△△プランナー、××アドバイザー。
〇〇研究家だとか、△△プランナー、××アドバイザー。
彼らは、自分の得意を職業にしている感がある。
まさしく『ジョブ』だ。
まさしく『ジョブ』だ。
……けど、それで食っていけてるのだろうか?
この、『食えるかどうか』というのが、実に厄介だ。
結局のところ、それを考えて進路を決めなきゃならない。
結局のところ、それを考えて進路を決めなきゃならない。
『大学に入れば、好きなことだけ勉強できる』なんて、嘘っぱちだ。
好きなことを勉強したって、就職できなきゃ意味が無い。
それも、『食っていける』職業に、だ。
それも、『食っていける』職業に、だ。
「まーたブツブツ言ってるし。キモいんだけど」
さっきから微かに感じていた冷たい目線の正体は、にっくき我が妹だったりする。
「だから、勝手に入ってくるんじゃねぇって言ってんだろ」
「和英辞典どこ?」
「和英辞典どこ?」
聞いちゃいない。
コイツは、世界が自分のためにあると、本気で思ってるに違いない。
コイツは、世界が自分のためにあると、本気で思ってるに違いない。
*
夏休みに入った。
部活が無いなら夏期講習に行くかバイトをするか、どちらかをしろと鬼のような形相で母親から言われ、僕は夏期講習を選んだ。
部活が無いなら夏期講習に行くかバイトをするか、どちらかをしろと鬼のような形相で母親から言われ、僕は夏期講習を選んだ。
部活が無いわけじゃない。僕だって一応、部活に所属してはいる。
潰れる寸前の『数学研究部』。
本気で研究とやらをやろうとするものは誰も居ない。実質、帰宅部同然のユルい部活。
潰れる寸前の『数学研究部』。
本気で研究とやらをやろうとするものは誰も居ない。実質、帰宅部同然のユルい部活。
見学に行ったとき、部室でカードゲームをしていたのが、入部を決めた理由だった。
もともと、テーブルトークRPGや麻雀をやってみたいと思っていたから。
もともと、テーブルトークRPGや麻雀をやってみたいと思っていたから。
けれど、2年になってから僕は一度も部室に行っていない。
カードゲームは相手がいないと出来ないのに、ゲームをしていた先輩たちはいつの間にか来なくなり、代わりに質の悪い連中が
出入りするようになった。
カツアゲされるくらいなら、さっさと帰ったほうがいい。
カードゲームは相手がいないと出来ないのに、ゲームをしていた先輩たちはいつの間にか来なくなり、代わりに質の悪い連中が
出入りするようになった。
カツアゲされるくらいなら、さっさと帰ったほうがいい。
この夏は連中も来ないだろうが、先輩たちも来ないだろう。
というわけで、僕は予備校の夏期講習に通うことになるのだ。
というわけで、僕は予備校の夏期講習に通うことになるのだ。
今は2年生。受験なんて、すぐにやってきてしまうんだろうな。
出来ることなら考えたくもないのだけれど。
出来ることなら考えたくもないのだけれど。
予備校には、いずれ通わなければならなくなる。
予備校に行かずに受かってやるぜ! と豪語して憚らない奴もいるが、たいてい某通信教育講座をせっせと提出していたりするので、
やっていることは大差ない。
予備校に行かずに受かってやるぜ! と豪語して憚らない奴もいるが、たいてい某通信教育講座をせっせと提出していたりするので、
やっていることは大差ない。
大人しくそこへ通う自分に、なんとなくブロイラーのイメージが重なる。
会社の言いなりに鬱々と仕事をこなす人を揶揄して『社畜』というそうだ。
僕のような人間は、さしずめ『学畜』とでもいうのだろうか。
僕のような人間は、さしずめ『学畜』とでもいうのだろうか。
*
予備校の雰囲気というのが、僕はけっこう苦手だ。
好きな人なんて居ないだろうが、熱心に勉強している連中のうちには、予備校を愛して止まないのではと思えるような連中がいる。
問題の解き方を、まるでゲームの攻略法を話すかのように得意気に講釈している。
スポーツの出来る奴が技を見せつけるのと同じように、彼らは自分の頭脳がどれだけ優れているかを見せつけているのだ。
それも、本人の自覚なしにやっていると僕は思っている。
問題の解き方を、まるでゲームの攻略法を話すかのように得意気に講釈している。
スポーツの出来る奴が技を見せつけるのと同じように、彼らは自分の頭脳がどれだけ優れているかを見せつけているのだ。
それも、本人の自覚なしにやっていると僕は思っている。
運動のできる奴には、体育の時間、気まずい思いをする人間の気持ちは分からない。
勉強のできる奴には、テスト前の億劫な気持ちは、本質のところで理解出来ない。
勉強のできる奴には、テスト前の億劫な気持ちは、本質のところで理解出来ない。
僕みたいな、特に取り柄も無く、かつ目立った欠点もない人間の気持ちはどうなのだろう。
僕は、そのどちらとも深いところで共感していない。
ドラマや漫画だったら「その他大勢」で括られるタイプだ。
僕は、そのどちらとも深いところで共感していない。
ドラマや漫画だったら「その他大勢」で括られるタイプだ。
なんて薄っぺらい人生なんだ。
代わりはいくらでも居る。
代わりはいくらでも居る。
僕の存在意義って、何なのだろう?
机の前で、はたと考えてしまう。
机の前で、はたと考えてしまう。
高校二年の夏休みの夜。僕は予備校の問題集を前に、ぼーっとしている。
いま、この時間もやがて「輝ける青春時代なんちゃら」となるのだろうか。
とてもそうは思えない。
テレビで見るような、スポーツ選手や芸能人らが語るような人生と僕のそれとは、まったく濃さが違うように思える。
いま、この時間もやがて「輝ける青春時代なんちゃら」となるのだろうか。
とてもそうは思えない。
テレビで見るような、スポーツ選手や芸能人らが語るような人生と僕のそれとは、まったく濃さが違うように思える。
*
――くそ、暑いな。
夜になってから、一段と湿度が増した気がする。
コンビニに行ってくる、と言い残して家を出た。
途中までは言ったとおりコンビニに寄って、ミントタブレットとマンガ雑誌を買う。
途中までは言ったとおりコンビニに寄って、ミントタブレットとマンガ雑誌を買う。
その足で公園へ向かう。
幼い頃はブランコを漕ぐためか、雲梯を渡り切るか、はたまた砂場で超大作要塞を造るために訪れていた場所だ。
幼い頃はブランコを漕ぐためか、雲梯を渡り切るか、はたまた砂場で超大作要塞を造るために訪れていた場所だ。
午後11時を回っている。
当然ながらこの時間、そんな野望を持った勇者は現れない。
代わりに居る可能性があるのは飲み過ぎたおっさんか、OLを口説くイケてないリーマンか、
今時シンナーもねえだろ! ってツッコミ待ちのヤンキーくらいだ。
当然ながらこの時間、そんな野望を持った勇者は現れない。
代わりに居る可能性があるのは飲み過ぎたおっさんか、OLを口説くイケてないリーマンか、
今時シンナーもねえだろ! ってツッコミ待ちのヤンキーくらいだ。
それも、ごくたまーに居るくらいで、基本的には寂れた公園。
そしてそこは今夜も無人だった。
そしてそこは今夜も無人だった。
ベンチにかけると、ポケットからそれを取り出す。
タカハシから貰ったMarlboro menthol、通称『マルメン』のボックス。
百円ライターで火を点け、心持ちゆっくり吸い込む。
タカハシから貰ったMarlboro menthol、通称『マルメン』のボックス。
百円ライターで火を点け、心持ちゆっくり吸い込む。
1年の文化祭の頃だった。
僕はタカハシとつるむようになっていて、クラスの出し物を作ったり、体育祭に向けて練習(よさこいを踊るのだ)したりした帰りには、
寄り道しながら二人でよくダベっていた。
僕はタカハシとつるむようになっていて、クラスの出し物を作ったり、体育祭に向けて練習(よさこいを踊るのだ)したりした帰りには、
寄り道しながら二人でよくダベっていた。
夜の公園で、他愛もない話をしている時だったと思う。
タカハシは無造作にタバコを出して、火を点けた。
それは手慣れているようにも見えたし、僕に見せつけるようでもあった。
そして、
「どうよ? お前も」
といって差し出した。
タカハシは無造作にタバコを出して、火を点けた。
それは手慣れているようにも見えたし、僕に見せつけるようでもあった。
そして、
「どうよ? お前も」
といって差し出した。
罪悪感は無かった。見つかるかもしれない、という緊張も無かった。
僕はそれを受け取ると、それを咥え、タカハシを見た。
僕はそれを受け取ると、それを咥え、タカハシを見た。
「ちょっと吸ったら口の中に溜めて、鼻でもう一回吸うんだよ」
ライターの火を差し出しながらいった。
ライターの火を差し出しながらいった。
咽るだろうと思ったけれど、案外すんなりと煙は入って、僕は拍子抜けした。
コツを確かめるためにもう2回吸ってみた。
タバコの匂いが口の中から鼻の裏側に抜ける感じがして、何とも奇妙だった。
コツを確かめるためにもう2回吸ってみた。
タバコの匂いが口の中から鼻の裏側に抜ける感じがして、何とも奇妙だった。
「お、初体験にしちゃ上出来じゃん」
タカハシは嬉しそうに言い、自分も煙を吐き出した。
タカハシは嬉しそうに言い、自分も煙を吐き出した。
僕もなんとなく嬉しい感じがあったけれど、それは不良っぽいことをしてるからとか、そういうのとはちょっと違っていて、
タカハシと秘密を共有している為かもしれないけれど、結局のところその「嬉しい気持ち」の正体は分からなかった。
タカハシと秘密を共有している為かもしれないけれど、結局のところその「嬉しい気持ち」の正体は分からなかった。
*
僕は一体、何者に成れるんだろうか?
ふと、文字に起こすと恥ずかしくてとてもじゃないけど正視できないような問いが、頭の中に沸き起こる。
ふと、文字に起こすと恥ずかしくてとてもじゃないけど正視できないような問いが、頭の中に沸き起こる。
中学の、卒業が間近に迫った頃だった。
将来何になるか、という話題で話しあう授業があったのだ(今にして思えば、なんとベタでこっ恥ずかしい話題だったと思う)。
とりあえずでも、何か適当で無難な目標を出しておけばよかったのだが、僕はそう頭の回る中三じゃなかった。
だから馬鹿正直に言ってしまったのだ。
将来何になるか、という話題で話しあう授業があったのだ(今にして思えば、なんとベタでこっ恥ずかしい話題だったと思う)。
とりあえずでも、何か適当で無難な目標を出しておけばよかったのだが、僕はそう頭の回る中三じゃなかった。
だから馬鹿正直に言ってしまったのだ。
「ぼくは、自分が何になりたいかわからなくて、なやんでいます」
なんであんなことを言ってしまったのだろう。とくに「なやんでいます」あたりが悔しくて恥ずかしい。
案の定、「セイシュンだねー」などと冷やかされ、僕は顔が火照ってくるのを感じていた。
出来ることなら今すぐにでもあの時に戻って、僕自身を蹴り飛ばしたい気分だ。
案の定、「セイシュンだねー」などと冷やかされ、僕は顔が火照ってくるのを感じていた。
出来ることなら今すぐにでもあの時に戻って、僕自身を蹴り飛ばしたい気分だ。
けれど今、タバコをふかしながら僕が考えていることは、あの時とまったく変わっていない。
進路ひとつ決めかねて、高二の夏休みに突入してしまった。
勉強は、とりあえず予備校の問題集を予習して講義を聞いて答え合わせして、学校が始まれば適当に授業受けて試験受けて、成績が決まっていく。
流れ作業だ。
けれど、授業を取るにも選択授業なんかが入ってきて、自分の進路に合わせて選択する……
進路ひとつ決めかねて、高二の夏休みに突入してしまった。
勉強は、とりあえず予備校の問題集を予習して講義を聞いて答え合わせして、学校が始まれば適当に授業受けて試験受けて、成績が決まっていく。
流れ作業だ。
けれど、授業を取るにも選択授業なんかが入ってきて、自分の進路に合わせて選択する……
だーっ!
なんだ、どこへ行っても進路、進路、進路!
決められないって言ってるじゃんか!
猶予はないのか猶予は!
そもそも、決めたら途中変更なしって、何この不親切設計なゲーム!
なんだ、どこへ行っても進路、進路、進路!
決められないって言ってるじゃんか!
猶予はないのか猶予は!
そもそも、決めたら途中変更なしって、何この不親切設計なゲーム!
そうだ、ゲームだ。
受験も就職も、結局ゲームなんだ。
勝ち組がいて、必勝法とか攻略法があって、どうしても勝てない下手な奴もいる。
受験も就職も、結局ゲームなんだ。
勝ち組がいて、必勝法とか攻略法があって、どうしても勝てない下手な奴もいる。
僕は、ゲームの仕組みを把握する前に負けてしまうタイプだ。
友達とゲーセンに行くと、大概そうなる。
友達とゲーセンに行くと、大概そうなる。
赤い光が、向こうの路地を横切った。
パトカーが音を鳴らさず赤色灯だけ光らせて、住宅街をゆっくり回っていた。
ハイブリッド車は音がしないから、いきなり現れてドキッとさせられる。
僕は慌ててタバコを消し、箱をパンツの中に隠して、ミントタブレットをジャラッと口に流し込んだ。
パトカーが音を鳴らさず赤色灯だけ光らせて、住宅街をゆっくり回っていた。
ハイブリッド車は音がしないから、いきなり現れてドキッとさせられる。
僕は慌ててタバコを消し、箱をパンツの中に隠して、ミントタブレットをジャラッと口に流し込んだ。
平静を装って、パトカーが向かった方と反対側の入口から出る。
ミントが鼻に抜けて、わさびを食ったようなツーンとした刺激が目に刺さる。
涙目になりながら、僕は家へ帰った。
ミントが鼻に抜けて、わさびを食ったようなツーンとした刺激が目に刺さる。
涙目になりながら、僕は家へ帰った。
*
進路相談室へ行くには、南棟の3階へ上がり、西棟への渡り廊下を通るのがもっとも早い。
けれど僕は、1階へ降りて西棟へ入り、そこから上へ上がっていくルートを通ることにしていた。
けれど僕は、1階へ降りて西棟へ入り、そこから上へ上がっていくルートを通ることにしていた。
西棟の2階には、音楽室と音楽準備室がある。
ナギサワがコントラバスを弾いている音を聴くため……というと、なんかヘンタイっぽいな。
けれど、人気のない西棟のなかで響くコントラバスの音色は、なんというか「寂しげなのだけれど、悪くない」感じで、
僕はそれを期待しているところはあった。
ナギサワがコントラバスを弾いている音を聴くため……というと、なんかヘンタイっぽいな。
けれど、人気のない西棟のなかで響くコントラバスの音色は、なんというか「寂しげなのだけれど、悪くない」感じで、
僕はそれを期待しているところはあった。
いつも思う。
こんなことをするくらいなら、声でも掛ければいい。いつぞやのバス停で遭った時みたいに。
僕は素知らぬ顔をして2階を通り過ぎる。
あ、つっかえたな。とか、良いメロディだな。などと、聴こえる音だけをもとに想像するだけだ。
それに何の意味があるのだろう?
こんなことをするくらいなら、声でも掛ければいい。いつぞやのバス停で遭った時みたいに。
僕は素知らぬ顔をして2階を通り過ぎる。
あ、つっかえたな。とか、良いメロディだな。などと、聴こえる音だけをもとに想像するだけだ。
それに何の意味があるのだろう?
「気になってるなら、話しゃいいだろ」
タカハシは呆れ顔で言う。
タカハシは呆れ顔で言う。
「だから、そういうんじゃないんだって」
なにが“そういうのじゃない”だ。僕自身が一番よく分かってるはずだ。
夏休みに入り、僕には学校に行く理由がない。
当然、ナギサワのコントラバスも聴けない。
話のひとつもしておけば、来週に予定されている商店街の夏祭りに、一緒に行けたかもしれない……
当然、ナギサワのコントラバスも聴けない。
話のひとつもしておけば、来週に予定されている商店街の夏祭りに、一緒に行けたかもしれない……
「何が? 笑っちゃうよ」
自分で自分を嘲笑う。
そんなこと、僕にできるはずがない。だいいち、ナギサワにだって彼氏くらい居るかもしれないじゃないか。
そんなこと、僕にできるはずがない。だいいち、ナギサワにだって彼氏くらい居るかもしれないじゃないか。
夏祭り。
中学2年からは行かなくなった。
小学生の頃は友達と行っていた。中学に上がって最初の夏休み、友達がつかまらなかったので一人で行った。
中学2年からは行かなくなった。
小学生の頃は友達と行っていた。中学に上がって最初の夏休み、友達がつかまらなかったので一人で行った。
中学に入って疎遠になった連中を見かけた。
髪を染めて派手な柄のシャツを着て、背の高い怖そうな上級生たちと、大きな声で笑いながら歩いていた。
髪を染めて派手な柄のシャツを着て、背の高い怖そうな上級生たちと、大きな声で笑いながら歩いていた。
近寄りがたい雰囲気だった。
向こうは僕に気づいていなかったようだったけれど、もし気づいていたとしても快い再会とはならなかっただろうと思った。
向こうは僕に気づいていなかったようだったけれど、もし気づいていたとしても快い再会とはならなかっただろうと思った。
女の子たちは、まるで別人のように化粧をしていたし、とても大人びて見えた。
それほど見かけの変わらない娘も見かけたけれど、隣には別のクラスの男子がいた。
腕を絡ませて、楽しげに歩いている。
それほど見かけの変わらない娘も見かけたけれど、隣には別のクラスの男子がいた。
腕を絡ませて、楽しげに歩いている。
僕はその日以来、夏祭りには行かないことを決めた。少なくとも、一人では。
*
「タカハシ、夏祭り行く?」
電話で聞いてみる。答えは分かりきっている。
電話で聞いてみる。答えは分かりきっている。
「はぁ? 何の冗談だよ」
「行かないんだな。僕も行かないから、どこか違ったところへ行こう」
「行かないんだな。僕も行かないから、どこか違ったところへ行こう」
アテがあるわけではなかった。人混みの嫌いなタカハシと、とにかく家に居たくなかった僕は、蒸し暑い夏の夜にとりあえず出かけたのだった。
湿度の高さが実感できる。濡れたラップが腕に貼り付くような感覚だ。
「どこに行くんだよ」
タカハシは原付をのったり走らせながら喚く。
タカハシは原付をのったり走らせながら喚く。
古びたマンションの前で自転車を止めた。
大きいマンションだが、オートロックなどはついていない。ここの屋上へは、わりと簡単に出入りできるのを僕は知っていた。
大きいマンションだが、オートロックなどはついていない。ここの屋上へは、わりと簡単に出入りできるのを僕は知っていた。
小学校の頃の友達の一人が、ここに住んでいたので屋上へも上がったりしていたのだ。
もちろん、設備点検用のはしごを使うのだが、人目に触れず鍵も掛かっていなかったので、僕らは探検気分でよく上っていた。
今もその通りかどうかは分からず不安だったが、何年ぶりかの屋上へのはしごは、相変わらずだった。
もちろん、設備点検用のはしごを使うのだが、人目に触れず鍵も掛かっていなかったので、僕らは探検気分でよく上っていた。
今もその通りかどうかは分からず不安だったが、何年ぶりかの屋上へのはしごは、相変わらずだった。
「なんだよ、よく知ってんじゃんお前」
タカハシは意外にも乗り気ではしごを上った。
タカハシは意外にも乗り気ではしごを上った。
屋上へ出ると、風が吹き抜けていくらか涼しかった。
もやに覆われた朧月が輝いている。
もやに覆われた朧月が輝いている。
占いをするのにはぴったりなシチュエーションだ。
僕は屋上フロアの真ん中に座り込むと、ウエストバッグからタロットを取り出した。
僕は屋上フロアの真ん中に座り込むと、ウエストバッグからタロットを取り出した。
*
カードを切り、ときおり本を参照しながら、屋上のコンクリートのにカードを裏向きにして伏せていく。
うろついていたタカハシは僕の行動を見ても無言だった。立ったまま、並べられたカードを見ている。
うろついていたタカハシは僕の行動を見ても無言だった。立ったまま、並べられたカードを見ている。
『スリーカード』という、見たまんまなスプレッド。3枚のカードを横に並べ、それぞれ左から過去・現在・未来を暗示する。
スプレッドとは、カードの並べ方のことだ。本には、他に『ホース・シュー(馬蹄)』と『ケルト十字』が載せられていたが、難しそうなのでやめた。
スプレッドとは、カードの並べ方のことだ。本には、他に『ホース・シュー(馬蹄)』と『ケルト十字』が載せられていたが、難しそうなのでやめた。
伏せられた3枚のカードを前に、僕は深呼吸した。
まず一枚目。中央のカードをめくる。
【月】のカード。正位置なので、カードのままの意味だ。
「……」
黙っている僕を、タカハシが怪訝そうに見る。
朧月のもとで月のカードを引くとは、ちょっと出来過ぎな気もする。けれど、このカードの意味はあまり良くないと思った。
迷い、裏表、虚偽、欺き……
とらえどころ無く姿を変える月になぞらえたカードの意味は、そのようなものだ。
とらえどころ無く姿を変える月になぞらえたカードの意味は、そのようなものだ。
たしかに僕は今、迷っている。
進路のことが主だけれど、それだけじゃない。
自分の今の生活についての漠然とした不安とか、……よく分からないけど、たぶんナギサワのことも。
進路のことが主だけれど、それだけじゃない。
自分の今の生活についての漠然とした不安とか、……よく分からないけど、たぶんナギサワのことも。
タロットカードは、ぴたりとそのことを言い当てているような気がした。
僕は少し怖ろしく思いながら、月のカードを見つめていた。
僕は少し怖ろしく思いながら、月のカードを見つめていた。
「それは月のカードか。今の状況にピッタリだな」
タカハシはたぶん、月の照らす屋上での僕等のことを言ったのだろうけど、僕はドキリとして思わず顔を見上げた。
タカハシはたぶん、月の照らす屋上での僕等のことを言ったのだろうけど、僕はドキリとして思わず顔を見上げた。
タカハシの顔越しに、朧月が見える。
月というのは綺麗だけれど、なかなか本性を見せてくれないレアモンスターみたいなところもあるなと思った。
月というのは綺麗だけれど、なかなか本性を見せてくれないレアモンスターみたいなところもあるなと思った。
「何について占ってんの」
タカハシが尋ねる。僕は、「自分のこと」と短く答えた。
彼はそれ以上は聞かず、黙って見守っていた。
タカハシが尋ねる。僕は、「自分のこと」と短く答えた。
彼はそれ以上は聞かず、黙って見守っていた。
二枚目。一枚目の左側、『過去』を意味する位置だ。
【女教皇】の逆位置。
正位置ならば聡明、理知的なんかを意味するカードだ。逆位置ということは……
利己的、無理解……なんかの意味だったはずだ。
利己的、無理解……なんかの意味だったはずだ。
これは、どう解釈したらいいのだろう。
タロットには、ほかに【教皇】というカードもある。男性か女性かの違いは、カードの意味にも影響している。
タロットには、ほかに【教皇】というカードもある。男性か女性かの違いは、カードの意味にも影響している。
僕のイメージでは、【教皇】はベテランの老教授。酸いも甘いも噛み分けた、知性の塊だ。
対し、【女教皇】のイメージは、デキる女性塾講師。綺麗で頭も良く、テキパキしているけれどちょっと冷たい印象で近寄りがたい。
対し、【女教皇】のイメージは、デキる女性塾講師。綺麗で頭も良く、テキパキしているけれどちょっと冷たい印象で近寄りがたい。
逆位置はネガティブなイメージが表に出ている状態と僕は解釈している。
すると、ヒステリーや妬み、非情なんかの言葉が上がってくる。
すると、ヒステリーや妬み、非情なんかの言葉が上がってくる。
妬みを受けた覚えはない。気づいていないだけかもしれないけれど、そもそも僕は、人に妬まれるほどの何かを持ったことはない。
――待てよ。
僕の周りが、じゃなくて、僕自身を指しているのだとしたら?
僕はどこかで人に冷たくしたり、近寄りがたいと思わせる態度をとっていたりしたのだろうか?
それが、今の状況の遠因になっているのだとしたら……。
それが、今の状況の遠因になっているのだとしたら……。
思い当たるフシがないわけではない。
僕は誰ともぶつからないよう、自分で言うのもナンだけれど、人当たり良く接してきたつもりだ。
でも、その実、誰とも打ち解けられないと思ってもいた。
どうせ誰にも理解されないのだから、自分の意見なんか口に出さないほうがいい……僕は、そう思って過ごしてきたかもしれない。
僕は誰ともぶつからないよう、自分で言うのもナンだけれど、人当たり良く接してきたつもりだ。
でも、その実、誰とも打ち解けられないと思ってもいた。
どうせ誰にも理解されないのだから、自分の意見なんか口に出さないほうがいい……僕は、そう思って過ごしてきたかもしれない。
その態度を、見えない壁を作っているように思う人間がいたとしても不思議じゃない。
でも、それって悪いことか? 誰にも迷惑をかけない、良い対処法じゃないのか?
あらためてカードを眺める。
3枚のカードのうち、右端だけが裏側に伏せられている。
3枚のカードのうち、右端だけが裏側に伏せられている。
この伏せたカードが、僕の将来を暗示するカードだ。
現状は、「迷い」。過去は、「非情、冷ややか」。
はっきり言って、良い要素が無い。
カードをめくるのが怖い。
これで、3枚目も良い意味に解釈できなかったら……
カードをめくるのが怖い。
これで、3枚目も良い意味に解釈できなかったら……
ああ、と呻くように再び顔を上げる。
月明かりに照らされた腕が、僕の鼻先にタバコを差し出した。
タカハシは既に煙を燻らせ、顔をしかめながらいたずらっぽく笑ってみせる。
タカハシは既に煙を燻らせ、顔をしかめながらいたずらっぽく笑ってみせる。
僕はそれを無言で受け取り、唇に挟んだ。
タカハシがマッチを擦る。
ちょっと懐かしいような燐の匂いと、パッと目の前が明るくなった感じで、僕はいくらか勇気づけられた気がした。
タカハシがマッチを擦る。
ちょっと懐かしいような燐の匂いと、パッと目の前が明るくなった感じで、僕はいくらか勇気づけられた気がした。
火をもらって、僕は大きく煙を吸い込み、ゆっくりと吐く。
いくらか気分は落ち着いたかも知れない。
いくらか気分は落ち着いたかも知れない。
――よし。
意を決して、3枚目のカードをめくる。
【死神】の逆位置。
この期に及んで、死神とは。
どこまでも出来過ぎていると思った。
どこまでも出来過ぎていると思った。
死神のカードは文字通り、死や終焉を意味するけれど、逆位置となると話が違ってくる。
再生やポジティブな意味でのリセット、しがらみを断ち切るような意味合いになる。
僕はホッとした。少なくとも、未来に希望が持てるカードが出たからだ。
そして、それは僕自身が願ってやまないものでもあった。
僕はホッとした。少なくとも、未来に希望が持てるカードが出たからだ。
そして、それは僕自身が願ってやまないものでもあった。
この鬱屈から逃れたい。余計なものを切り捨てて、新しい自分になりたい。
そういう願望を、このカードは示していた。
そういう願望を、このカードは示していた。
タロットは、怖い。
術者の心理を反映しすぎる。
術者の心理を反映しすぎる。
自分で自分のことを占うのはやめようと思った。これでは心がもちそうにない。
すべて出揃った3枚のカードを眺めながら、僕は再びタバコを口に咥えた。
安っぽいメンソールの香りが鼻から抜ける。
安っぽいメンソールの香りが鼻から抜ける。
僕もタカハシも、無言だった。二人でタバコをふかしながら、夏の夜の屋上で、月を眺めながら座っている。
奇妙な、たぶん今しか無い瞬間だと思った。
奇妙な、たぶん今しか無い瞬間だと思った。