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夕陽音楽団

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夕陽音楽団




 忘れ物をしたと学園の女子高生・武政千鶴が教室への廊下を駆ける。
 放課後の校舎にわたし一人だけ、だから遠慮なく足音立てる。短い三つ編みがテンポよく揺れて、千鶴にちみっとついて来る。

 人を待たせているから。人を待たせているのにも関わらず、教室に大事な忘れ物をした。おまけに部活をサボってる。
 アーチェリー部だ。本当は出ようとしたんだけど、同じ学年の幽霊部員から誘われた。相川拓司というヤツだ。おまけにもう一人
犠牲になっていた。ちょっとは罪悪感を感じるろよ、いや、誰もが認める幽霊部員がやることならば、そんな正義感は期待しちゃ
ダメだろう。それに待たせている相手も同じく部活をサボっている同士だから世話はない。

 「もーっ!なんで忘れものしたんだろう!」

 憤りをぶつける相手も無いか仕方なしに叫んでみる。
 声を出せ、と誰かから唆されたように。
 不生産的な悪あがきをしているうちに二年生の教室へ脚が差し掛かった。千鶴はふうっと息を吐く。
 見慣れた教室が自分をせせら笑っているように見えてくるから不思議だ。
 夕焼けに染まる教室は赤と黒のコントラストでくっきりとサイケデリックに目に刺さる。

 がらりと教室の扉を騒々しく開けると、見ず知らずの少女が千鶴の席で寝ていたのだ。
 緑の黒髪長くつや美しく、前髪に四つ葉の髪留め付けた名前も知らない子が千鶴の椅子に腰掛けて、すやすやと遊び疲れた仔犬に
負けないぐらいの勢いで机に伏して寝ていた。千鶴は彼女を起こさないように足音を立てずに近づく。
 千鶴の忘れ物は机の中のノートだ。見ず知らずの少女にどいてもらわなければならない。しかし、夏の風がそよぐように眠る彼女を
起こすのは触るのも憚れる傷も無い焼き物の人形を割るようなことに似ていた。

 ちぇっ……と、ため息を漏らす千鶴の気配に気付いたか、髪の長い少女はゆっくりと俯していた顔を上げ、千年の時を越えて
目覚めたような光を放った。とは、ウソだが、千鶴はそんな比喩を浮かべる事で自分を落ち着かせた。目覚めた少女は千鶴を見るや
否や目を丸くして頬を紅く染めた。

 「ごめんなさい!わたし、一番前の席って憧れで!」
 「え?意味わかんない。ってか、そこ、わたしの席なんだけど」
 「だって……いつも、席替えでは一番後ろの席なんですっ」

 大人びた雰囲気を持ちつつ、四つ葉の髪留めに素っ頓狂な返答が子供っぽく見える少女に千鶴は額に汗を垂らした。
とにかく早くここをどいて欲しい。よくよく胸元の赤いリボンを見ると彼女は一年生のようだった。一つ先輩である二年生の千鶴は
……考えた。

 「一年生なのに、どうしてここにいるの?」

 もっともだ。それに自分の席に勝手に座ってちゃ、誰でも気になるし。一年生の少女は千鶴から顔を背けて話した。

 「逃げてきました」
 「何?何かの組織から?」
 「そうですね」
 「マジ?追われてるんじゃない?」
 「追っ手ですか。来ますかね……?わざわざ、二年生の教室を逃げ場に選んだわたしを」

 黒髪の少女がすっと立ち上がると、背中まで伸ばした髪が木の葉のように揺れた。思わず千鶴は頭を上げた。それもそのはず……。
 背丈は男子とためを張るぐらいだ。千鶴の鼻は少女の首辺り、白い肌が襟元からちらり。
 背の低い千鶴は彼女を軽く見上げて、つばきを飲み込んだ。舞台の最前列で極上の演劇を見ているような気分だったからだ。
演劇は見たこと無い。でも、きっと最前列で鑑賞したのならば、こんな空気に吸い込まれてしまうんだろう。千鶴は瞬きを繰り返した。

 「先週もここに逃げてきました。その時頂いたクッキー……とても美味しかったですっ」

 ごく自然な立ち振る舞いで左向け左をした少女、髪が響くように靡く。
 大人のような目をして甘いクッキーを語る少女、まるで幼い娘。
 千鶴は「クッキー」というフレーズを非常に気にしていた。しかも、この教室で?

 「え?クッキー?もしかして、前髪の厚い、ちっこい男子だったからだたとか?」
 「男子でしたけど、はっきりと覚えてません」

 千鶴には思い当たりがあった。部活の同志だった。きっとそいつは山尾修ではなかろうか。
 山尾修はお菓子を作るのが趣味だ。味もそこそこ以上と周りから評価を得ている。手作りお菓子をいつも持ち歩いている
山尾修が黒髪の少女にお菓子を分けてあげること、それは容易に千鶴には想像出来るのだ。

 「クッキー先輩、いませんね」
 「いないよ。今、カラオケ店に向かってるし」
 「知っているんですか」
 「知ってるどころか」
 「また、ここに来ますかね」

 少女は窓の奥を見つめ、山尾修の姿を映していた。
 赤い空、黒く染まった雲。そこに山尾修。
 イケメンというより、イジラれくん。しかし、ヤツには武器がある。
 それがクッキーじゃないか。
 少女のハート突き抜ける洋菓子焼くなんて、なんてジェントルマン。それは言い過ぎか。だが、洋菓子は揺ぎ無い事実。 

 「また、食べたいな。あのクッキー」
 「ってか。組織は?いいの?」
 「よくありません。自分から逃げてきましたから」
 「捕まるんじゃない?」
 「むしろ、捕まえて欲しいかもです。部活サボって二年生の教室で油売ってるわたしのような子を」

 千鶴の背中に一筋の冷や汗が流れた。が、自分が部活をサボってカラオケに行くことを相川拓司と山尾修以外は知らないはずだ。

 「わたし、帰ります。部室に帰ります。また、クッキー下さい」

 少女は何かを伝えようとした千鶴を振り切って教室を飛び出した。けたたましく廊下が鳴き声を上げる。
 否や千鶴は目を丸くして彼女を追いかけていた。しんと静まり返るかわたれ時の廊下には、いやでも濃い影が落ちる。

 くるくると階段を降り、くるくると追いかける。必死に誰かを追いけるってこと、今まで生きてきたまでにあっただろうか。
 階段を上から覗き込むとめまいのような立ちくらみに吸い込まれそうで、それでも夢中に千鶴は走り、叫んだ。

 「修に言ったら!?それ!?」

 真上からの声。さっきまで見上げていたはずの娘の声が階段の隙間を縫って真下から千鶴の元へ飛んでくる。
 一段飛ばし、二段飛ばしは当たり前。手すりにしがみつき、するするするっと彼女の元へ急ぐ。彼女のもとまであと5メートル。

 「すごく言いたいですっ」
 「じゃあ、カラオケ行く?一緒に?タクばっかりマイクの独り占めさせないよ!ね!わたし、あなたの歌声聴きいてみたいし!」

 少女は千鶴の何気ない言葉に心臓を鳴らせた。

 カラオケ……。

 少女の中ではカラオケは周りで拍手を送るだけのイベントだった。
 少女の中ではカラオケは友人たちの歌声を聴くだけの集まりだった。

 それは中学生まで。

 でも、今は女子高生。
 誰もが羨むJKですよ。
 カラオケぐらい行かせて下さい!

 わたし。黒咲あかねは……。

 「黒咲、早く部室に戻るんだ」

 踊り場に響く男子生徒の声。先輩だ。

 黒咲!?

 踊り場は小さなステージとなった。
 千鶴ははっと目を見開いて、最前列のシートで黒咲あかねの舞台を見ていた。

 「迫先輩!わたし……。『かっこう』をどう演じていいのかわかりません」
 「『セロ弾きのゴーシュ』。この舞台は黒咲が居ないとダメなんだろ?『黒咲あかね』の名前でみんなの前に出るんだろ?」

 千鶴が「黒咲あかね」の姿を再び見たとき、「黒咲あかね」の二の腕は一人の男子生徒によって掴まれていた。
 押さえつけられたウサギのように黒咲は大人しかった。千鶴の「待って!」の声も空しく、力なく。そして、黒咲あかねという子は
千鶴と一緒に降りてきた階段を……そして、逃げる為に走ってきた道を先輩と共に昇っていった。

 「あかねちゃん!!」

 階段の踊り場からあかねと迫と呼ばれた男子生徒が千鶴を見下ろす。
 ぴたと脚を止めて夕陽の逆光を浴びる。

 「部活……演劇部なんだよね。そうだよね?演劇……やるんだよね!わたしにはよく分からないんだけど……。ね! 
  それじゃさ!練習が終わってからでもいいから、カラオケおいでよ。間に合ったら、ラストの一曲歌わせてあげる」

 影だからあかねの表情は分からない。だが、千鶴には山尾修のクッキーを食べたときのような顔をしているんだと信じた。
 ゆらりと長い髪が縦に首振るあかねのシルエットとして赤く染まった窓ガラスに焼きついた。

 あかねが千鶴の前から消えたとき、千鶴の携帯電話がうなりを上げた。発信先はカラオケ店の相川拓司、今頃何曲目だろうか。
 夕陽が空を赤と紺色に分け隔て、その背景で山尾修がタンバリンを叩き、ステージでは相川拓司が一人でマイク握って
フィーバーしている姿が千鶴の目にぼんやりと浮かんでいた。待ってて。もうすぐ約二名加わりますから。新たな団員ですから。

 件名:「夕陽音楽団」。
 本文:「今行く。それからタク!最後の最後は取っておいて!」とメールを打ち、教室の忘れ物のことを忘れてカラオケ店へと急ぐ。



   おしまい。





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