フィーニス大会戦

前戦争後期、要塞都市スリアンヴォス北部に広がるのフィーニス平野で行われた史上最大規模にして最後の会戦。
プロエリウム帝国側約6万8000、連合国側約4万4000、のべ11万2000人以上が参加。戦死者は3万を超えたとも記録されている。

食料生産の地盤たるリュジオン平野を失陥した事で当時のプロエリウム皇帝「ヴィルフリード・シャッカルーガ・プロエリウム」は「長期戦は不可能」と判断。帝国が動員しうる全兵力を以てエリュジオン王国の討伐、リュジオ平野の奪還を図った。
当初は数で圧倒するプロエリウム帝国の勝利は揺るがないかに思われた。

しかしペトム王国の裏切りによって陣形がほぼ分断され武勇の六花率いる前衛が挟撃される形となったこと、
宣戦布告も無く参戦したシャオ首長国連邦(現ディセプティオ帝国)による横槍への対応で知恵の六花率いる軍が釘付けにされたこと、
エリュジオン国王ジェラルド率いる聖騎士を中心とした騎馬隊の驚異的な働きによって魔法の六花率いる遊撃隊が満足に機能しなかったこと、
といった誤算から開戦直後から帝国は大苦戦を強いられ、最終的に撤退を余儀なくされた。

この大会戦以後、数万、数十万規模の大戦は起こらなかった。
とはいえ一時的にでもプロエリウム帝国という最大の敵を失った連合国内部で論功を巡った小競り合いや旧プロエリウム帝国領であった小国家が乱立したことによる戦災が増加したことは皮肉である。

この大会戦における敗北から当時大陸最大を誇った大帝国の瓦解が加速、ヴィルフリード皇帝は幾度となく苦しい撤退戦を繰り返し帝国最後の砦ロヴェーレ半島へと逃れることとなった。
こうした経緯から彼は「暗君」「戦下手」「穴熊皇帝」と馬鹿にされることなった。
しかし近年、歴史家からは「苦しい戦いを繰り返しつつも有力な部下をほとんど失わなかった」ことや「ロヴェーレ半島への撤退後、国内を再度まとめ上げ現在まで続く帝国の基盤を維持した」という事実から再評価されている。

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最終更新:2018年03月15日 15:45