フィム王朝とロックビット王朝の争いは劣勢優勢を入れ替えながら未だ続いていた。
しかしここ数年はロックビットが優勢となり、
アッシュラをほぼ制圧。
フィム王朝を南の端へと追いやり、壊滅させるような決定打は与えられないまでもその版図をじわじわと削り取っていた。
そんな年、当時のロックビット王が急死。
王には子が居たが、次の王は王の弟になるだろうと言われていた。
しかし西に自分の城を構えて住んでいた弟が葬儀の為に王城へ行くと、宰相ウグルイが既に自身の子を王として即位させていた。
これには弟も激怒……とかはせず、困惑した様子で帰っていったという。
そして弟が帰還した6日後、子王が父である宰相ウグルイに王位を譲渡した。
ここに突然アッシュラ国ウグルイ王朝が誕生したのだ。
突然何をしているのかと思うがこの子王、御年八歳である。
おそらく何をしているのか理解していない。
ついでに譲渡から2日後、急な『病気』で崩御している。
これには流石に弟が待ったをかけた。
『次の王は俺だ』と言うのではない。
『譲渡が正式な手順を踏んでいない』というのである。
王位を譲渡するのであれば、その儀式には王の証である印章『
阿伝国璽』が使われる筈である。
だが六日前、ウグルイを不審に思った弟が事前に
阿伝国璽を王城から回収していたのだ。
阿伝国璽がなければ儀式が出来ない。
儀式が出来たという事はウグルイが
阿伝国璽を使ったという事。
しかし、
阿伝国璽は弟が持っている。
即ち『偽の
阿伝国璽を使って王位を簒奪し、あまつさえ我が子を殺害した謀反者』として、ウグルイを討つべく弟は兵を挙げた。
これに西方の貴族達が追従。
しかし、ここで中央の貴族が『偽の
阿伝国璽を持って混乱を煽る逆賊』として弟軍に刃を向ける。
ウグルイは既に中央の貴族を味方に引き入れていたのである。
さらに事情を把握していない各地方貴族が中央貴族に引っ張られる形で参戦し、ウグルイ軍が数で優勢に。
このまま数で押しつぶそうとしていたウグルイ軍であったが、その横っ面をぶん殴られる事になる。
フィム王朝の軍が北上を始めたのである。
ウグルイは当初、フィム王朝は既に瀕死でありどうとでもなると思っていたようだ。
だがフィム軍は予想外に戦力を隠し持っており、しかも弟軍を無視してウグルイ軍のみを攻撃した。
まさかの二方面作戦を余儀なくされたウグルイは、慌てて諸外国に『アッシュラの正統な政府として内乱の鎮圧の助力』を要請。
しかし諸外国はウグルイ王朝を『正統な政府』と認めずこれを拒否。
むしろ、正式な政府であるロックビット王朝の弟軍に支援をしだした。
この支援自体は微々たるものであった。
(百年やっても終わらない内戦に今更首を突っ込みたがる国もなかったし、何より見返りが全く期待できなかった)
しかし『お前の所は正統な政府ではない』と言われたも同然なウグルイ軍は、その士気に大いにダメージを受けたという。
最終的には支援を受けた弟軍と、やけに苛烈なフィム軍によってウグルイは王城から東へと追いやられる事になる。
なお、この時点で
阿伝国璽が二つになってしまっているが三年後には四つになり、六年後には十になっている。
国を取れなかったウグルイが腹いせで偽物を大量に作りバラ撒いたという説が有力。
以降も増え続ける
阿伝国璽により、『王の証』である筈の印章はその価値を『持っていれば王を名乗れる道具』にまで失墜する事となる。
また、百年続いた二人の王の争いの末の三人目の王の誕生はもはや『アッシュラ王』という存在の格そのものを失墜させた。
結果『判子見つけて王城行ったら俺も王様』等と言われるようになり、その後の数十の(自称)『アッシュラ王』達の誕生を招く事となる。
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最終更新:2025年07月18日 18:39