病に倒れたアッシュラ王シヴァ・フィムには二人の息子がいた。
次代の王となるべく育てられた勇敢な兄デュルガー・フィム。
王の補佐をすべく育てられた大人しい弟パールヴァ・フィム。
問題はその王の病床で起こった。王が『次の王は弟にする』と言ったのである。
この発言のすぐ後に王は崩御。
聞いていたのは数人の側近のみであり、その真意はもはや確認できず。
それでも側近達は王の最期の言葉として弟を王にしようとした。
これに怒ったのが兄である。
王になるべく厳しくされてきたのに、いきなり『王は弟です』とはそんな話は認める訳にはいかなかった。
兄は私兵を率い、武力でもって王城を占拠。
しかしこの動きを察知した側近達は弟を連れて王城を脱出し、北へ。
しかもこの際、アッシュラの王の証である印章『
阿伝国璽』を持ち出してしまった。
これに激怒した兄は弟を討つべく行動を始める。
しかし前王が次代に指名したのは弟であり、王の証を持っているのも弟である。
『正当性は我にあり』と、城を占拠している兄を討つべく弟が各地の貴族に令を出したのだ。
つまり王令である。
流石にこの令に従う貴族は多く、弟軍は兄の兵力をはるかに超え、そうして弟は王城を取り返した。
しかし兄を討つ事は出来なかった。
兄は王となるべく育てられ、様々な豪族貴族と交流があった。
その際に親交を深めた彼等が兄を助け、南へと逃がしたのである。
さて、兄は取り逃がしたものの、王城を取り戻した弟は無事アッシュラの王へと即位した。
めでたしめでたし。
……4年後に、弟王が病死するまでは。
そしてここで新たな問題が発生。
弟王は『後を頼む』と側近であったロックビットに王権を委譲したのである。
(これは病床の発言ではなく、公式に発言し、盛大な式典の元に王権は委譲された)
そうして、ここにアッシュラ国ロックビット王朝が誕生。
しかし当然、これに激怒したのが兄である。
『弟が死んだなら次の王は俺だろうが!』ではない。
『ロックビット!さては最初から全部仕組んでいたな!』である。
兄はロックビットを討つべく、南を発ち王城へと進軍。
この時、王の証たる阿伝国璽を持っているのはロックビットであるが、兄は正当な王家の血筋である。
有力者達はどちらへ付くかで割れたものの、結果は兄へ付く者の方が多かった。
そうして戦況は単純に兵数が多く、また優秀な人材を多く確保した兄が優勢に。
しかし、ここでロックビットは諸外国に対して『アッシュラの正式な政府として内乱の鎮圧の助力』を要請。
まさかの海外勢力の参入により戦力が拮抗、戦況は膠着。
事態は混迷を極め、兄の死、ロックビットの死を迎えてなお、割れた国は戻らず、
戦乱は続いていく事になる。
まさか、当時の人も400年後もまだやっているとは思っていなかっただろう。
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最終更新:2025年07月18日 18:37