アッシュラ南北分裂戦争

400年程前のアッシュラ王国にて。

病に倒れたアッシュラ王シヴァ・フィムには二人の息子がいた。
次代の王となるべく育てられた勇敢な兄デュルガー・フィム。
王の補佐をすべく育てられた大人しい弟パールヴァ・フィム。
問題はその王の病床で起こった。王が『次の王は弟にする』と言ったのである。

この発言のすぐ後に王は崩御。
聞いていたのは数人の側近のみであり、その真意はもはや確認できず。
それでも側近達は王の最期の言葉として弟を王にしようとした。

これに怒ったのが兄である。
王になるべく厳しくされてきたのに、いきなり『王は弟です』とはそんな話は認める訳にはいかなかった。
兄は私兵を率い、武力でもって王城を占拠。

しかしこの動きを察知した側近達は弟を連れて王城を脱出し、北へ。
しかもこの際、アッシュラの王の証である印章『阿伝国璽』を持ち出してしまった。

これに激怒した兄は弟を討つべく行動を始める。
しかし前王が次代に指名したのは弟であり、王の証を持っているのも弟である。
『正当性は我にあり』と、城を占拠している兄を討つべく弟が各地の貴族に令を出したのだ。
つまり王令である。
流石にこの令に従う貴族は多く、弟軍は兄の兵力をはるかに超え、そうして弟は王城を取り返した。

しかし兄を討つ事は出来なかった。
兄は王となるべく育てられ、様々な豪族貴族と交流があった。
その際に親交を深めた彼等が兄を助け、南へと逃がしたのである。

さて、兄は取り逃がしたものの、王城を取り戻した弟は無事アッシュラの王へと即位した。
めでたしめでたし。

……4年後に、弟王が病死するまでは。

そしてここで新たな問題が発生。
弟王は『後を頼む』と側近であったロックビットに王権を委譲したのである。
(これは病床の発言ではなく、公式に発言し、盛大な式典の元に王権は委譲された)
そうして、ここにアッシュラ国ロックビット王朝が誕生。

しかし当然、これに激怒したのが兄である。
『弟が死んだなら次の王は俺だろうが!』ではない。
『ロックビット!さては最初から全部仕組んでいたな!』である。

兄はロックビットを討つべく、南を発ち王城へと進軍。
この時、王の証たる阿伝国璽を持っているのはロックビットであるが、兄は正当な王家の血筋である。
有力者達はどちらへ付くかで割れたものの、結果は兄へ付く者の方が多かった。
そうして戦況は単純に兵数が多く、また優秀な人材を多く確保した兄が優勢に。

しかし、ここでロックビットは諸外国に対して『アッシュラの正式な政府として内乱の鎮圧の助力』を要請。
まさかの海外勢力の参入により戦力が拮抗、戦況は膠着。
事態は混迷を極め、兄の死、ロックビットの死を迎えてなお、割れた国は戻らず、戦乱は続いていく事になる。

まさか、当時の人も400年後もまだやっているとは思っていなかっただろう。


関連



最終更新:2025年07月18日 18:37