すっかり日の落ちた暗闇の大地。
蒼く茂る草原は夜露に濡れていた。
葉先から落ちる水滴に映しだされた丸い月が回転するように歪み消えてゆく。
そんな草木をかき分けながら、二人の男児が薄い月明かりを頼りに身を隠すように草原を進んでいた。

彼らの進む道筋の少し離れた先には整えられた街道がある。、
本気で身を隠すのならばもっと深い外れ道を歩むべきなのだろうが、生憎と彼らの目的は人探しだった。
そのためある程度身が隠せて、ある程度通りを見渡せる所を進む必要があった。
この状況でバカ正直に往来を歩くような輩がそうそういるとも思えないが、生憎探しているうちの一人はそういう輩である。
安全性との釣り合いを考えればこの辺の距離感がベストなのだろう。

一方が導く様に前を行き、もう一人は横並びではなくその後ろを縦並びに進む。
それ自体はさほど珍しい物ではないだろう。
二人の立場や力関係が対等でなく明確に上下があるのならば、行動の主導権を握るリーダーが危険を買って出て先頭を行くというのは至極当然の話である。
何より生い茂る草花は足を取られるほどではないが、そこを進むにはやや面倒な高さである。
こういった道なき道を進む場合、先頭が道を馴らして後続の道筋を作ると言うは常道だろう。
ただ、その二人組の異様な点は、先頭を行くのが小さな少年であるという点だった。

だがそれも当然の話だ。
何故なら先頭を行くのは勇者なのだから。

勇者のすることなど古今東西どこにいようと変わらない。
勇者とは正義を成す者。
勇者とは正義の体現者。
勇者は世界を救う。
手始めに、巨悪ワールドオーダーを討ちこの世界を救うのだ。

「それで、これからどこに向かうんだい?」

後方から勇者でない青年が問う。
先頭を行く勇者である少年がやや湿り気のある大地を踏みしめ、足を止めて振り返る。

「どこって?」

目的はあっても目的地などない。
探し人の情報など何一つないのだから、どこと言われても答えようがない。

「当てはないにしても、目的地は決めておいた方がいい」

旅慣れたカウレスはそう助言する。
明確な当てがないにしても目的地は設定しておいた方が行動しやすい。
そう言われては考えない訳にもいかない、勇二は考える。

「えっと、そうだなぁ……行くとしたら市街地かな…………?」

目的はオデットの捜索とワールドオーダーの討伐だ。
人が居そうなところを探すのは定石だろう。
本当であれば近場の北の市街地を探索したいところだが、引き返して少女たちとまた搗ち合うのは面倒である。

「南の市街地か。なら道筋は禁止エリアでふさがれているから中央の山に迂回する必要があるな……。
 それに禁止エリアの関係上、市街地ももう人の集まる場所とも言い難い。参加者も随分と減ってきたしね。
 まあオデットは身を潜めている可能性があるし、ワールドオーダーの行動は読めないところがある。人気の多い場所にいるとも限らない訳だが。
 むしろ陸の孤島となる前に離脱しようとする連中を狙って探した方がいいかもしれないな」

勇二の提案した方針をカウレスがまとめ、具体的な道筋を検討しだす。
そこまでするのなら最初から目的地も自分で決めればいいのに、と内心で勇二が思う。
実際何度か直接そう問うてみたが、返答は勇者は先頭を行く物であるの一点張りで、頑なに先頭を勇二に譲るのみだった。
あくまで未熟な勇者を支えるスタンスを貫くようだ。
勇二からすればよくわからない話である。

元より勇二にとってカウレスはよくわからない男だった。
よくわからないどころか、いきなり導くとか言い出したおかしな男だ。
道中も事あるごとに勇者とは、と心構えを聞いてもいないのに説いてくる。
そんなこと誰も頼んでいない、お節介、大きなお世話だ。

二人を繋ぐ接点は愛という一匹の鴉天狗だけである。
愛は勇二にとって大切な人だった。
だとしても、カウレスは勇二にとって知り合いの知り合いでしかない。
何より、聞けば愛とは知り合いと呼ぶにも足りない一時の間柄だったらしい。
この時点でカウレスに連れ添う理由が勇二にはなくなったも同然である。

だがそれでも、勇二がこのよくわからない男の同行を許しているのは至極単純な理由だった。
ただ一緒にいてくれる。
一人でいるよりもずっといい。
勇二の精神力は勇者として完成したが、精神性は幼児のまま。
一人ぼっちはさびしいと思う。

だがカウレスはどうなのだろう?
ふと、そんな疑問がわいた。
そのような幼児性があるとも思えない。
勇二を導くというが、何故そんなものに拘るのだろうか。
彼にとって勇者とは何なのだろう。
何処か愁いを帯びた固い決意は、どこから湧いてくるものなのか。

「……ねぇ、カウレスさんはどうして僕に良くしてくれるの?」
「え、なんだって?」

口をついた疑問にカウレスが顔を上げる。
どうやらこの先について考え事をしていたため聞き逃したようだ。
勇二は同じ問いを繰り返した。

「カウレスさんはどうして僕に良くしてくれるの?」

カウレスは少しだけきょとんとした顔で勇二を見た後、茶化すでもなく真剣な面持ちで答える。

「言ったはずだよ。僕は君を正しき勇者に導くと。僕はそのためにここにいる」

それは知っている。
出会った時に聞いた話だ。
勇二が知りたいのはその動機である。
勇二を真の勇者に仕立ててそれからどうするのか。

「カウレスさんは、僕にカウレスさんの世界を救ってほしいの?」

子供らしい素直さで問う。
カウレスの世界の事は聞いている。
そう考えれば、その願いを想像するのは自然といえた。
カウレスは少し困ったように笑って、屈みこむ様にして視線を合わせる。

「それは、少し違う」

彼の魔王は倒れた。
いずれ次の魔王も現れるだろうが、少なくとも今代の勇者の役割はお終いだ。
魔王と共に勇者の役割もまたあの世界から消え去ったのだ。

「僕はダメな勇者だった。自分の復讐を果たす事しか考えず、世界も僕の復讐の結果、救われる副産物としか考えていなかったんだ。
 手に残った大切なものも見失う、そんなダメな奴だったんだ」

ぽつぽつと自身について語り始める。
己の後悔。残った未練のような想いを。

「だけど君は才能がある、勇者としての才能が」

才能。
勇二は同じ言葉を父から聞かされたことがある。
お前は全ての悪い魔物を払える退魔師になれる、とそう言われた。
その時はよくわからなかった、多くの親がそうであるように子を褒め称える無根拠な言葉だとすら思った。
だが、こうして戦う力を得て、それが真実だったと分かる。

「それは戦う才能ってこと?」
「そうだね。それもある。けれどそれだけじゃない」

戦う力と戦う意思。
聖剣が勇者を選ぶ基準はそうだろう。
だがカウレスが見出した勇者の資質は違う。

「君は家族を、仲間を、友人を、誰かを大切に思える優しい少年だ。その心があれば君はなれる。
 その心を忘れず立ち向かう勇気を持ち続ければ。”僕はなれなかった”けれど、君ならばきっと――――真の勇者になれる」

僕はただそれが見たいんだ、と。
どこか遠く届かない星を見る様な目で、願いを託すように。あるいは憧れを託すように語る。
つまるところ、真の勇者を作ること其の物こそが、できそこないの元勇者の目的だった。

そのためなら己の生還など二の次にしていいとすら思っている。
これは自己犠牲などではなく、廻り廻った役割の話でしかないのだ。
カウレスの世界では勇者であるカウレスを助けるため犠牲になった多くの人たちがいた。
勇者である恩恵を享受してきたカウレスがそれを否定できるはずもない。

「カウレスさん…………」

勇二が何か言おうとして、唐突にそこで言葉を切った。
僅かに遅れてカウレスも目を見開く。
互いを見つめていた視線が遠く先の暗闇へと移った。

――――何か来る。
この場において野生の獣と言う事もあるまい。
幸いなことに、どうやらカウレスたちのもとに向かうものではなさそうだ。
このまま何もしなければ恐らくすれ違いになるだろう。

だが逡巡するまでもなく体が動いていた。
動き出すのは小回りが利く勇二の方が早い。

身を捻って反転しながら地面を蹴り放たれた矢の様に跳ぶ。
一歩、二歩。それだけで十数メートルの距離を詰めると、飛びつきながら回転して大鉈を振るうように聖剣を振り下ろす。
その切っ先が飛び出してきた黒い影にぶち当たる。

弾けるような音が響き、夜に白い火花が弾けた。

小兵が放ったとは思えぬ凄まじい剣圧に影が後方へと跳ね飛ばされた。
影は滑るようにして地面を削ると、勢いを殺しながら着地する。

「おいおい、いきなりだね」

動きを止めた暗闇から声が響いた。
カウレスは闇を睨みつけるように目を凝らす。
そこには夜に溶けるような黒衣を纏った男がぬらりと立っていた。

「――――何者だ」

鋭い声で暗闇へと問いかける。
吹く風に雲に隠れていた月が顔を出し、月明かりに照らされた影の全貌が露わとなった。

体格のいい男だった。
光陰のくっきりした引き締まった体からは若々しい印象を受けるが、よくよく見れば深い皺が刻まれた初老の男であることがわかる。
夜にも拘らず黒眼鏡で両目は隠されており、その表情は読み取りづらい。
左腕には先の開いた円形状の筒がはめ込まれおり、聖剣を防いだのはこれだろう。
右腕はどういう訳か指先まで黒く、時折作り物のように銀の輝きが奔っていた。
だが気配からは魔的な要素は感じられない、紛れもなく人間である。

それを理解しながら二人の勇者は警戒を解かなかった。
全身が警告を発している。
攻撃したのは勇二だが、恐らく聖剣を手にしていたならばカウレスも同じことをしていただろう。
対峙するだけで肌が泡立つような怖気。それほど禍々しい何かがあった。

「ご挨拶だね。これでも急いでいるんだが」

黒衣の男――――森茂は困ったように頭を掻く。
前方に人影があることは森も気づいていた。
引き返して大きく迂回するという選択肢もあったが、禁止エリアの兼ね合いもあり。
なにより探し人であるユキである可能性も頭をよぎり半端な距離感になってしまった。

仮にユキでなくとも悪威で強化された身体能力なら夜闇に紛れて突っ切れると判断したのだが。
急き過ぎたのか、それとも単純に相手が上手だったのか推し止められてしまった。
まさかこちらに匹敵するような速度で回り込まれるとは予想外だ。

「何者だ?」

強く念を押すように青年が同じ問いを繰り返す。
言葉と共に槍先を突き付け、誤魔化しを許さない強さを籠める。

森はやれやれと呆れたように首を振った。
いきなり割り込んできたから問答無用な輩かと思ったがそうではないらしい。
その点は幸運だったと言える。
むしろ森を警戒しているようだ。

だがわからない。
初対面である彼らが、わざわざ回り込んでまで森を止めた理由が。
何処かで森の悪評でも聞いたのか。ボンバーガール一行辺りだろうか?

「仕掛けてきたのはそちらだろう? まあ状況だから警戒するのもわかるけどさ。
 そう警戒しないでよ俺は殺し合いになんか乗っていないよ、それとも乗っているのはそっちかな?」

殺し合いの場で夜闇に乗じて向かってくる影に気付けば警戒すると言うのはわかないでもない。
だが直接攻撃を仕掛けた側が敵意むき出しで警戒心を露わにしているのは何ともおかしな話だった。

森は進路に立ち塞がるサングラス越しに二人の顔を確認する。
子供の方には見覚えがあった。
霊家の大家、田外の小倅だ。
公にはされていないが何でも神にも至る才覚を持っているという話である。

先ほどの子供とは思えぬあの一撃を思い返す。
この地でその才覚を覚醒でもさせたのか。
それにしても聞いていた才能(もの)とは違うのだが。

その手には夜にも燦然と輝く黄金の剣が握られていた。
剣術の才能があるだなんて聞いたことがない。
その輝きは太陽と言うより、先ほど出会った恵理子の輝きに近い。
どういう訳か強く目を引く。見ているだけで忌諱のような感情が浮かぶ眼の痛さがある。

もう一人は森も知らない男である。
全ての正義と悪を知る悪党である森が知らないのだ、正義でも悪でもない一般人か森の知らないこの世界ではない別の世界の猛者のどちらかだろう。
恐らくは後者。立ち居振る舞いに隙がない。
手には蒼。夜空にぽうと煌めく蒼天のような槍を深く構えていた。
何よりここまで生き残ってる以上、只者ではないのは確かである。

二人の敵対心を露わにしており、どうにも見逃してくれそうもない。
手早く始末するか、適当に話を合わせてあしらうか、次に取るべき選択を考える。
時間はできるならかけたくはない。
仕方なしに、急いでいるんだがね、と愚痴るように呟き、森は口を開く。

「俺は森茂という、しがない商人さ」
「商人…………?」

名乗られた身分を聞いて、カウレスは思わずそう問い返していた。
どう見てもそんな風体ではない。何かの冗談としか思えない。
人を見かけで判断してはいけないとは言うが、やはり人の第一印象は見た目だ。
森は外見からして見るからに怪しく、暗黒に生きる者特有の気配が漂っている。
先ほどの身のこなしから、暗殺者と言われた方がまだ納得できるだろう。

だが、残念ながらそれは事実である。
商人と言っても死の商人だが。

「それで? こっちにだけ名乗らせて、そっちは名乗らないつもりかい?」

若干の皮肉をこめてそう促す。
そう言われてしまえば強引に名乗らせた以上、名乗り返さない訳にもいかない。
曲り形にも勇者である、この申し出を突っぱねられるほど悪には徹しきれない。

「…………カウレス・ランファルトだ」
「僕は、田外勇二です」

森は、よろしくねと適当な挨拶を交わしながら聞いた名を頭から検索する。
やはりカウレスなどと言う名は聞いたこともない。
名簿にあった知らない名の一つである、ということしか思い至らなかった。
強いて言うなら同じファミリーネームの参加者がいたという事くらいだろうか。

「それで、この先に用があるんだけど、通してもらえないかな?」
「どういう要件だ?」
「人を探していてね。この先にいると聞いたので急いでいたところさ。
 水芭ユキという少女なんだが、君たちはむこうから来たようだけど、白髪の氷のような娘を見なかったかい?」

そう問われ、二人の脳裏に一人の少女の姿が思い返される。
確かにいた。
確かにいたが、この怪しげな男にそれを伝えるかどうかは話が別だ。
相手の目的が分からない以上、伝えるべきではないだろう。

「さて、どうだろう。覚えがないな」
「そうかい? そっちの勇二くんは知ってそうだけれど……?」

そう言って森は勇二に視線を向ける。
カウレスは顔には出さなかったが、勇二に腹芸は無理だ。
心当たりがあるような反応を示してしまい、その反応から森は確信を得た。
こうなってはカウレスも認めざるを得ない。

「……確かにいたかもしれないが、何故あなたがそんなことを知っている?」

遠方に誰がいるなどと言う情報をおいそれと知れる環境ではない。
彼女がいる逆後方から来たこの男が何故それを知っているのか。

「人づてに聞いたのさ」
「人づて? 誰から?」
近藤・ジョーイ・恵理子という女性からさ、ついさっきそこで出会ってね。話を聞いてすぐ別れたけれど」

森は迷う素振りすらなく即答するが、もちろん嘘だ。
流石にワールドオーダーからとは言えないので、さっき出会った恵理子に適当に擦り付けておく事にした。

「…………ジョーイ」

カウレスが呟く。
ジョーイという響きに育ての親である光の賢者の名が脳裏をよぎるが、この場では関係はないだろうと思考を切る。
その実、同一存在ではあるのだがカウレスも、森ですら知る由もない。

「その探している彼女とはどういう関係だ」
「俺は両親を失ったあの娘の後見人、いわゆる保護者ってやつでね。
 俺にとっても可愛がってる娘のようなものなのさ、そんな相手を心配しちゃ悪いかい?」

カウレスと光の賢者との関係のようなものだろうか
そうならば、心配すると言うのは筋は通っている
身内を心配するのは当然の話だ。
それが本当ならばの話だが。

「なんだいなんだい。質問攻めだねぇ。そんなに俺の事が信用できないかい?
 まあ少し話した程度で完全に相手を信用する事なんてできないだろうけどさ、いつまでもこうしてやってるわけにもいかないだろう?
 少なくとも、君たちと戦うつもりはないよ。本当さ、俺はこの先に行ってカワイイ娘に会いたいだけだからね。
 だから通してくれるだけでいいんだけどなぁ」

口調には余裕が含まれているが、焦れているのがわかる。
森からすれば言いがかりのような絡まれ方をしているのだそのイラつきも当然だろう。
もっとも、彼は悪人であり、真実咎められるような男なのだが。

「仮に俺が悪人だったとしても、俺がユキに会いに行くだけの話だ、君たちには関係のない話だろう?」

確かにその通りである。
手打ちにしたとはいえ、彼らにとってユキは敵対していた相手である。守る義理などない。
ここで彼を通してその先で何があろうとも、彼らの与り知る所ではない。

「関係なくとも、おじさんが悪い人なら、通すわけにはいかないよ」

聖剣を手にした勇者が言った。
無辜の民を見捨てて何が勇者か。
勇者として目の前の相手を放置しておけない。
お節介は勇者の本質である。

目の前の男はどうあっても相容れない。
ここまで森を警戒するのは彼らが勇者と言う正義の体現者だからだろう。
男から漂う悪の臭いを機敏に感じ取り、嫌悪していた。
ただそれだけの理由である。

「これ以上立ち塞がるっていうんなら、こっちとしても強引な手段に出るしかなくなっちゃうよ?」

脅しのような剣呑な言葉を吐く声色が代わる。
飄々とした好々爺を演じるのを止め、重圧をむき出しにした悪党の声に。
だが目の前の二人の揺るぎのない瞳を見て、相手が引くつもりはない事を悟る。

「……やれやれ。ついてないねぇ」

こんなところで足止めを食うとは運がない。
大袈裟に深いため息を漏らすと、すっと身を引き半身に構えた。

力ずくで排除する気になったのだろう。
男の纏う空気の変化に勇二とカウレスが身構える。
弱きを助け悪しきを挫く勇者としては引くわけにはいかない。

相手の出方をうかがうカウレスだったが、相手は構えも取らず悠然と立ちすくんでいた。
その様子にどこか違和感を感じた。
何かがおかしい。
何か、変わった?

風が吹いた。
花弁が揺れ、月光が冴える。
風に揺らめく袖口が目に入り、その違和感がなんであるか気付いた。

あるはずのものがそこにない。
男の右腕が消えていたのだ。

「本当に――――君たちはついてない」

瞬間、勇二の全身から血が吹き出した。
口や鼻や耳、目や毛穴に至る穴と言う穴から赤い糸のような細い線が伸る。
まるで内側から圧力をかけられ破裂する果物のようだ。

カウレスは目の前で何が起きたのか理解できなかった。
魔法による攻撃かと思ったが明らかに違う。
カウレスの知る知識の中では遥か東方の国に伝わるという呪術が一番近いがそれも違う。

カウレスが理解できないのも当然だろう。
この現象を巻き起こしたのはカウレスの世界にはない技術である。
魔法でも呪術でもない、これは科学によるものだ。

森は右腕の悪刀を解放させ細分化したナノサイズの刃を周囲に散布させたのである。
一帯は分子の刃により全身を刻むミキサーと化した。
回避も防御も不可能な不可視の刃から逃れる術などない。

「ッッ……ぐぶぅうルぅうぅ……!! ギぃがあああぁあぁ…………ッ!!!」

ガラスでも飲み込んだみたいな罅割れた声が響いた。
その悲鳴のような絶叫は刃渦の中心にいる勇二から発せられた物である。
唇はズタズタに裂かれ、声帯は穴だらけ。

だが、森はその声に眉をひそめる。
叫びの意味が分かったわけではない、単純に叫びを上げたこと自体がありえないのだ。
悪刀の嵐に飲み込まれた相手は怪人であろうとも悲鳴を上げる暇すらなく10秒と掛からず即死する。
それが叫びを上げるなど、通常であればありえない。
ならば相手は通常ではないのだろう。

勇者の機能、自動再生(オートリペア)。
大きな傷を回復するには時間はかかるが、細かい傷ならばそれこそ一瞬で回復が可能だ。
悪刀の攻撃は分子レベルの細かい傷の集合体である。
ならば一つ一つの傷の修復は自動再生の範囲内だ。
細かく刻まれた傷は瞬時に回復し、勇者を絶命には至らせない。

だが、それは死なないと言うだけで全身を切り刻まれる痛みから逃れられるわけではない。
むしろその痛みは修復することによって永遠に繰り返されるのだ。

体を外と内、双方から貫かれ切り刻まれる。
皮膚が引きはがされる。
筋肉が裂かれ断裂する
骨が削られ砕かれる。
臓腑を掻き混ぜられる。
その苦痛は地獄と呼ぶにふさわしい。
拷問めいた永遠の責め苦が続く。

完成された勇者の精神は発狂すら許さない。
かと言って、全身を裂く痛みにまともな思考は途切れ。
逃れることもままならず生きながら殺され続けるしかない。

「っ!?」

余りの光景に呆けていたカウレスだったが、そんな場合ではないと気付き、蒼穹の槍を構え動く。
その地獄を断ち切るべく、森に向かって突撃を仕掛けた。
攻撃の原理が分からない以上、勇二を助けに向かうのではなく術者を差し止めるしかない。

カウレスの動きに気付いた森は、勇二の特異性に気を取られていた頭を切り替える。
槍兵の踏み込みは風の如く。
槍の加護により加速しながら己を一陣の槍としていた。

悪刀を引き戻したところで動きの鋭さから間に合うまい。
素早く相手へ向き直ると、放たれた刺突を左腕にはめた悪砲で弾き返す。
カウンという分厚い金属が衝突する音と共に、強かに槍の穂先が跳ね上がった。

カウレスは手首を返して、弾かれた勢いを受け流し体勢を立て直す。
だが、次の一手は森の方が早い。
カウレスが体勢を立て直すまでの僅かな隙に悪刀の一部を自らの下へと引きよせる。

瞬間、何かが爆ぜるような音が響いた。

そこで森は自らの失態を悟った。
戒めを解かれた勇者が動いたのだ。

悪刀は勇者を仕留めきるに至らなかったが、勇者を封じ込める足止めにはなっていたのである。
悪刀の密度が薄くなったことにより、損傷よりも回復量が上回った。

「もう許さないぞ! お前エェ!」

解き放たれた勇二の勢いはさながらミサイルである。
激昂しているのか、動きは一直線だが、その速さは蒼天槍の恩恵を受けたカウレスを遥かに上回る。
もしかしたら悪威を装備した森よりも早いかもしれない。

その動きに合わせる様に側面に回り込んだカウレスの呼吸を合わせ同時攻撃を仕掛ける。
二方からの攻撃に片腕の森では対応できない。
この状況に陥ったのは対応が半端になった森の落ち度だ。
せめて予想外の勇二の動きに惑わされず引き寄せた悪刀でカウレスだけでも仕留めるべきだった。

だが、今更悔いても仕方ない。
森は覚悟を決めると、悪砲を嵌めた腕を大きく振るい、真正面から振り下ろされた聖剣に対応する。
衝突。
聖剣が弾かれ、振り切った森の脇が開いた。
そこに間髪入れず蒼い刺突が打ちこまれる。

「な、に………………?」

驚愕は誰の声だったか。
刺突は確かに森の脇腹に突き刺さったはずである。
だが、カウレスの手に返った感触は、今まで味わったことのないような手応えである。

その黒衣には特殊な加護でもあるのか、鉄をも穿つ一撃がどういう訳か薄い布切れのような黒衣を貫けないでいた。
固く分厚い鎧に弾かれるのとは違う、押し込む力が柔らかく押し返され無になるようだ。
手応えがないのではなく、まるで刺突すらなかったことになっているような気すらしてくる。

森の纏う漆黒の『悪威』。
対規格外生物殲滅用兵装、唯一にして最強の防具。
この悪威はあらゆる悪意を遮断する最強の鎧である。
受けた衝撃に対して自動的に耐性を作り上げ無効化する『万能耐性』を前にあらゆる攻撃は通用しない。

奇妙な手応えに一瞬動きを止めたカウレスに向かって、森は引き戻していた悪刀を差し向けた。
悪刀の攻撃は未だカウレスにとっては正体不明の攻撃である。
そもそも目視も不可能だ、攻撃されたころすら気づくまい。
勇二とは違い勇者の加護を失ったカウレスにとってそれは致命となる絶望の嵐だ。

だが、森はその攻撃の手を止めた。
否。止めさせられたと言った方がいいだろう。
強い、風が吹いていた。

何故初手で勇二だけが狙われカウレスは無事だったのか、その理由は風向きにある。
細分化した悪刀は質量相応に軽いのだ。
ある程度の操作はできるが、強風には流されてしまう。

そしてカウレスの背後から森に向かって叩きつけるような強い風が吹いていた。
無論それは偶然はない。

カウレスはその攻撃の正体を完全に掴んでいた訳ではない。
ただ状況からその攻撃は散布された毒のようなものであると予想をつけていた。
それを払うためにカウレスは風を放ったのだ。
風を起こすだけの初級呪文だがそれで十分である。

実際、その対応は正しい。
これでは悪刀を放ったところでカウレスには届くまい。

事前に仕込んでいたこの対策で、刺突の隙を取り戻すとカウレスは距離を取るためその場から退いた。
刺突が通らない以上、とどまる理由はない。
どういう原理か見極める時間が必要である。

チィと舌を打ちカウレスが仕留められないのならばと、森は勇二の方へと視線を移した。
悪刀は勇二に対して足止めにしかならないが、逆に言えば足止めには使える。
2対1という状況を崩す手としてはありだろうと考える森だったが。
その眼に移ったのは全身が聖光に包まれる勇二の姿だった。

「ArUa――――!!」

それは勇者にのみ許された神聖魔法の一つ。
聖光の衣で自らを保護する防御魔法。

勇二は勇二で悪刀を喰らい続けて小さな虫のような何かに外と内から食い破られる感覚から、どういう攻撃なのかを理解した。
小さな何かが纏わりつくのなら、聖光で全身を保護し砂一粒の侵入すら許さない。
完全にシャットアウトできる。

「お前の攻撃はもう効かないぞ!」

悪刀による損傷を完全修復させた勇二が猛々しく吼える。
勇二が飛び出し、カウレスもそれに続く。
連携と言うより勇二の動きにカウレスが合わせる形だ。

「…………ふむ」

双方に悪刀の対策を取られたことを悟ると、森は距離を取りつつ悪刀の散布を止め右腕へと引き戻した。
流石にここまで生き残っているだけの事はある。
三種の神器をそろえた森をもってしても一筋縄ではいかない手練れのようだ。

三種の神器が揃ったと言っても万全にはまだ遠い。
ナノマシン兵器であるこれらは全てナノマシンによって機能する。
いわばナノマシンはこれらを動かすガソリンだ。
これが制限されているのは非常に痛い。

悪砲の残弾も精製により3発になったが、消滅砲はできる限り温存したい。
ユキを確実に一瞬で消し去るには悪砲が必要だ。
使えて2発。出来れば消費は1発に抑えたい所である。

「ハァ―――――――ッ!!」

小さな体が翻り黄金の剣が振り下ろされる。
その黄金の輝きを漆黒の刃が打ち払った。

思わずカウレスが眉をひそめる。
その右腕は余りにも異質だった。
森は漆黒の右腕を巨大な刃へと変形させていた。

「……何なんだその腕は?」
「なぁに、ちょっと人より柔軟なだけだよ」

細分化した軽い攻撃は通らずとも束ねて刃とすれば鉄をも通す刀となる。
今度はこちらの攻める順番とばかりに、受けた刃を振りぬき軽量級の勇二の体を弾き飛ばす。
勇二は空中でくるりと回転し体勢を立て直すと、地面に着地する。

詰め寄ろうとする動きを側面から回り込んだカウレスが制する。
服に加護があると読んだカウレスの狙いはむき出しの顔面だ。
蒼い雷鳴が奔る。

狙いは神速にして正確。
だがそれ故に読みやすく分かりやすい。
悪党は顔を逸らしてスウェイバックで刺突を躱す。
同時に足元を払う聖剣の一撃を地面に突き立てた漆黒の右腕で受け止める。

勇者としての身体能力を持つ勇二と戦士として一流の技量を持つカウレス。
森の実力は、この二人を同時に相手取って余りある。
両腕がある今ならば、同時攻撃だろうと捌くことはそう難しいことではない。

「ッぅぅぁぁああああああああああああああああああああ――――!!」
「!?」

だが、勇二は止まらなかった。
受け止められながらも、そんな事は知らないとばかりに力づくで聖剣を押し込む。
ズズ、と地面が削れ、森の巨躯が勇二の矮躯に押し込まれる。

何という馬力。
この小さな体のどこからこんな力が生まれているのか。
全身にロケットエンジンでも仕込んでいるかのようだ。

――――押し切れる。
そう勇二が確信した瞬間、その手応えが消失した。
トプン、と水でも通したように刃がすり抜ける。
振りぬいた勢い余って勇二がバランスを崩して転がった。

その隙だらけになった背中に闇よりも深い黒刀が振り下ろされる。
そこに蒼い軌跡が割り込んだ。
両腕で槍を持ち上げる様にして漆黒の大剣を受け止めるカウレス。
今度は森とカウレスが鍔競りのような形になり、押し込まれるカウレスの足元が沈む。

重い。
振り下ろす側と受け止める側の違いはあるだろうが、カウレスの手に圧し掛かる重量はあまりにも重かった。
その重さは巨人族にも匹敵するだろう。
いくら体格が良かろうとも、森の重量だけでは説明がつかないほどの重さだ。
そこで気づく。男ではなく、右腕と一体化したこの剣が重いのだと。

「ッの…………!」

片腕の力を抜き。刃を受け止めるのではなく受け流す。
刃が槍の側面を滑り落ち、重圧から解放されたカウレスは倒れこむようにして身を引こうとするが、森は重心を崩さず返す刃で追撃に迫る。
森の体幹能力もあるだろうが悪威によるバランス補正も加わり一切のブレがない。
追い詰められたカウレスが槍を引き寄せながら片腕で地面を叩き、跳ねるようにして体勢を立て直そうとするが、遅い。
避けられない。

「さぁせるかぁああ――――!!」

そこに入れ替わるように勇二が飛び込む。
森も勇二の力は警戒しているのか、「ほっ」と軽い足取りで後方へ引いた。

勇二はそれを追わずその場に留まると、両腕で振り上げた聖剣を地面に突き立てる。
すると芽吹く若葉の様に勇二の周囲から光の糸が沸き立ち鎌首をもたげた。

――――斑陰陽蜘蛛地獄。

狂い咲く光の糸が闇を裂くようにして全方位から森を取り囲む。
まるで深海に光るイソギンチャク。
突き出された二本の指が森に向けられ、それを合図にして一斉に迫る。
そのすべての糸が、

「――――――――フっ」

一息で断ち切られる。
その光景に勇二は、カウレスすらも言葉を失う。

「な…………」

振り下ろされた森の右腕が怪しく蠢いていた。
いや、もはやそれは腕ではない。
それは複雑に折れ曲がり、枝葉のように分岐する何かだった。
数千もの光の糸を一撃で断ち切る数千に枝分かれした漆黒の刃。

「ッ!? なんだその腕は…!?」
「なぁに、ちょっと柔軟なだけだよぅ……ッと!」

同じ問いに同じ答えを返しながら右腕を大きく振りかぶる。
再び束ねられた右腕が強度など無い様にぐにゃりと曲がる。
その腕が、ゼリーの様にプルンと伸びて、三つ又に裂けた。

そして投球するようにして分かれた鞭を振り下ろす。
先端は空気の壁を切り裂き音速を超えた。
その一撃を受け止めんと、勇二は聖剣を盾のように構える。

「受けるな! 避けろ!」

飛びのきながらカウレスが叫ぶ。
鞭は剣では受けられない。
軟体である鞭は受けたところで、軌道が代わるだけである。
最悪、受けた武器を絡め取られてしまうだろう。

声に反応した勇二もその場を飛びのく。
同時に叩きつけられた地面が砕かれるのではなく、深く割れ地面に『川』の字が刻まれた。
鞭のしなやかさと斬撃の鋭さを併せ持つ、畏るべき漆黒の武器。

右腕は意思を持った生物のように蠢いている。
否。伸びながら枝分かれし、地面を穿つなど生物ですらあり得ない。
形状不定、硬柔可変、伸縮自在。
奇妙としか言いようがない兵器だった。

別れる様に別方向に飛びのいた二人に向かって、森は手についた水滴でも払うように横に腕を振るった。
ギュンと遠心力に引っ張られるように腕が伸び、悪党を中心に渦を巻くようにして広がってゆく。
一帯を丸ごと切り裂くような斬撃に逃げ場などない。

「くっ!」

勇二はその跳躍力で、カウレスは槍を地面に付き、高跳びのようにして上に身を躱した。
一時的に回避は出来たが、すぐさま刃が引き戻される。
しかも上下にも逃げ場など与えないとばかりに、今度は波打ちながら黒鞭が二重三重に交差していた。
叩き付けられた地面が砕けるのでは裂けてゆく。
その光景がこれは打撃ではなく斬撃であるという事を知らせていた。

カウレスの脳裏に浮かぶのは、森林地方の奥地に潜む巨大蛇。吸血植物の伸びる触手。暗黒騎士の剣戟。
自分のこれまでの戦闘経験に当てはめようとするが、そのいずれにも当てはまらない。
認めよう。幾千の戦場を超えたカウレスをしてもこの攻撃は未知であると。

大地を両断しながら迫る斬撃の津波を前に、カウレスは回避は不可能であると悟ると前方に槍を盾のように突き出し受け止めた。
弾き飛ばされるように地面を滑り、凄まじい衝撃に全身が痺れる。
対して勇二は地に足をつけ、剣を担ぐようにして振りかぶった。
そして引くどころか前へと押し出る。

「ぐゥ―――――うぅううああああああああああああぁあッッッ!!」

狂戦士の如き咆哮。
差し迫る黒の斬撃を黄金の剣で真正面から断ち切る。
スッパリと両断された悪刀が弾けるように吹き飛んだ。

その光景を見た森はひゅーと口笛のように感嘆の息を吐く。
その余裕は崩れない。

両断された剣先がトカゲのしっぽのように脈打った。
そして円環状に広がった刃がドロリと溶ける様に液状化する。
流体にして固体。
軟体にして硬体。
キチキチと音を立てながら流動する液体が泡立つ。
そうして漆黒のタールのような液体は地面に染み込む様にして消えていった。

剣の消失と共に漂っていた圧は消えた。
先ほどまでの慌ただしさが嘘のように静寂が訪れる。
だが、これはマズいと直感する。

「どうしたんだい? 来ないのかな?」

手ぶらをアピールする様にして森が挑発する。
もちろんそんな安い挑発に乗るはずもないが、カウレスは念のため魔法による風を強めた。
勇二に見せた謎の攻撃を仕掛けてくるかもしれないからだ。

次の仕掛けがあるのは明白だ、迂闊には動けない。
どこから何が来るかわからないという恐怖。
全方位に神経を張り巡らせ続け精神が削れる。
焦れた勇二が聖剣を構え直し、踏み出す足に力を籠める。

「待つんだ。迂闊に動くんじゃ…………!?」

カウレスが逸る勇二を止めようとした瞬間だった。
ピシリという音。
地中より間欠泉のように黒い飛沫が吹き出した。

咄嗟にカウレスは飛び退く。
だが避けきれなった黒い飛沫が左腕に付着する。
瞬間、左腕が切り裂かれた。

「なっ…………!?」

それは紛れもない刀傷だった。
あり得ない。
固定化された水の剣とはわけが違う。

(液体状の斬撃など、そんなモノがあり得るのか!?)

数滴の飛沫だったのが幸いしたのだろう。
裂けたのは肉だけ、骨までは届いていない。
止血しながらカウレスは地面を凝視する。

次にどこが爆ぜるのか分からないのだ。
只ですら足元の不確かなこの夜に僅かな兆しを見逃すわけにはいかない。
目を皿のようにして地面を見る。

地面が罅割れ、黒い間欠泉が沸き立った。
身を躱すも、先読みしたように行く先の地面がまた爆ぜる。
飛沫一つ浴びる訳にはいかないとなると、自然と回避方向も絞られる。

「ッ…………」

身をかわし続けるカウレスだったが、その背が何かにぶつかり足を止める。
背後を見る。同じく身をかわし続けた勇二だった。
一塊になるよう誘導されていたようだ。

しまったと思った時はもう遅い。
視界を埋め尽くすほどの一際大きな黒い津波が真正面から襲い掛かる。

もろとも飲み込むつもりなのだろう。
全力で身を躱したところで躱し切れまい。
全身に聖光を纏った勇二ならばいざ知らず、カウレスは手足の一つや二つは持って行かれるかもしれない。

防御に回ってもジリ貧だ。
こうなったら聖光に身を任せ、黒い波を強引に突破してその先にいる相手に斬りかかるべきか。
そう考えた勇二が、次の動きに移ろうとした瞬間、その体が宙に浮いた。

投げ飛ばされたのだ。森にではない、すぐ背後にいたカウレスにだ。
何が起きたのか理解できない勇二。

その刹那、その答えを告げる様に、全ての音が消滅した。

それは無音になったのではない。
余りの轟音に周囲の音が掻き消されただけの話だ。

消滅砲の轟音。
悪砲の一撃が放たれたのだ。
一塊になった二人を諸共消し去るべく、黒い津波を食い破りながら、全てを消滅させる砲撃が放たれた。

カウレスは足元から噴き出す変幻自在の右腕に惑わされず、沈黙を保つ左腕を注視していた。
それゆえに対応もできた。
だが形状から何かを放つものだと予測していたが、この威力は流石に予想外だ。
破壊範囲こそ限定されているものの、威力だけなら魔王の禁術をも凌ぐかもしれない。

「ぐっ…………ぁ…………」

砲弾が霞めた左腕の表面が剥げ、肩口の肉は抉られたのではなく消滅した。
猛攻を受け続けても欠ける事すらなかった宝槍が中ごろから食い破られたように消滅する。
盾にすらならなかった。

傷口からプツプツと血が泡のように浮かび、今頃になって負傷したと気付いたように血が吹き出した。
肉を失った腕がまだくっついているのが奇跡のようだ。
左腕はもう使えまい。

「どうにも鈍ってるねぇ…………恵理子に仕事任せ過ぎたかな、こりゃ」

その結果に、森が自嘲するように呟く。
虎の子の悪砲を撃っておいて左腕を奪った程度で成果とは言えない。
第一線から退き長らく実戦から遠ざかってたからだろう。
遠山春奈を仕留めそこなったことも。
オデットを殺し切れなかったことも。
千斗に片腕を持って行かれたことも。
実戦勘の欠如による所だろう。

「けどまあ…………1人仕留められたしいいか」
「ッ!?」

自身の置かれた状況に気づき、カウレスは咄嗟に右手で口元を抑える。
だが無意味だ。そんなことで防げるはずもない。

悪砲の余波を受け風魔法はキャンセルされた。
即ち、彼のいる位置は。
風下だ。

「………………がッ……んぅ…………!?」

カウレスの全身から血が噴き出した。
力なく膝をつき倒れる。
目と耳と鼻と口と血を吹き出しながら、カウレスはようやくその攻撃の正体を悟った。
毒ではない。魔法でもない。物理攻撃である。

これは『気体化された斬撃』だ。

痛みの許容量はあっという間に閾値を超えた。
勇者ならざる身では当然の防御反応と言える。

妙にクリアになった頭が攻撃の正体にたどり着くと同時に防御に対する疑問をよぎらせる。
あらゆる攻撃を無効化する無敵の鎧。
それを着ているにもかかわらず、この男は、何故攻撃を受けないのか?

むき出しの頭部を護るというのはわかる。
だが、受けても意味ない攻撃をわざわざ防ぐ必要はない。
むしろ防御は防具に任せてしまった方が、カウンターを取りやすいはずだ。
にも拘らず、こちらの攻撃を受け捌いてきた、その指し示すところは。

それを理解したところで、最早力尽きる直前のカウレスには打開する力がない。
血で染まった赤く染まった視界でその力を持っているはずの勇者を見る。

勇二は動けずにいた。
苦しむカウレスを前にして、駆け寄るべきか、それとも森を討たんと向かうべきか判断ができないでいた。
地獄の責め苦がどれほどのモノか嫌と言う程理解している。
勇者である勇二ならばあるいは助けられるかもしれない。
だが、そうでなかったのなら、攻撃を仕掛ける巨悪を倒した方がいいのではないか?
そんな迷いが足を止める。

迷いは数秒。
だが、致命的なまでの数秒である。

倒れこみ自らの血の海に沈むカウレス。
彼を見つめる事しかできなかった。
だが、そこで気づく。
その手には何時の間に握りしめたのかナイフが握られていることに。

そして地面に刻まれている何か。
最後の力を振り絞って地面に刻んだであろうその矢印が。
攻撃せよと。告げていた。

「うわあああああああああああああああああああ!!!!!」

勇二が叫んだ。
少年の感情の爆発に同調する様に聖剣が光を放った。
悪を断じる聖剣の聖光が世界を照らし上げる。
闇夜が黄金の白夜に染まった。

「く…………ッ」

思わずその光に森ですら、いや悪の体現者森茂だからこそ後ずさった。
爆発的な熱量に突風が吹き荒れ嵐へと化けていく。

無限に広がるのではないかという放出される風、熱、光。
それら全てが黄金の剣に収束し、一点に集う。

「ハァ―――――――――――――――――――――ッ!」

放たれる。
世界を切り裂く一筋の線。
黒衣の男が溶ける様にして光に呑みこまれる。

「う、おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

その光を前に森は避けるという選択肢を早々に放棄した。
迎え撃つように腰を据え左腕を突き出す。
この聖光に拮抗できるのは、悪砲の一撃のみだろう。
相殺するように消滅砲を放った。

白を黒が穿つ。
巨大な純白の壁を漆黒の点が飲み込んでいく。

洪水のような音と光が一帯の草木を薙ぎ払う。
衝突の熱量は太陽となって空気を燃やした。
世界が裂けるのではないかと危惧するような衝突。
それはしかし、白と黒の光が掻き消え唐突に終わりを告げた。

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「やれやれ、ただですら少なくなってきた髪が焦げちゃったじゃないか」

ぼやきながら焦げあがり薄くなった頭を撫でる。
森茂は衝撃の余波によって戦場から離れた草原にまで吹き飛ばされていた。
吹き飛んだ先が禁止エリアでなかったのは幸運だったろう。

悪砲の反動に耐えうる重量級の森ですら軽く吹き飛ぶ衝撃だった。
彼らとて無事ではすむまい。
決着は痛み分けと言ったところか。

だが、森には最強の鎧である悪威がある。
あらゆる衝撃は万能体制によって無力化され。
分けられた痛みなどあるはずがないのだが。

「っ…………と!?」

膝をつく。
口の端からは赤い滴が垂れ落ちて地面に滲んだ。
どうやら聖剣の一撃が悪威の万能耐性を超えてきたようである。

悪威には自動耐性を作り上げる基礎として、超常、異能を含むあらゆる法則をインプットしている。
それは全ての善悪を知る森茂が想定した全てが内包された、この世全ての法則だ。
これを超える例外があるとするならばそれは、この世に存在しない未知の力くらいのものだろう。
即ち異世界の概念、異世界の勇者の力である。

絶対防御を持ちながら攻撃をわざわざ捌くようにしていたのはそのためだ。
森は悪威を信頼はしても過信はしない。
最初に目にした時に直感した通りだ。
あの黄金の剣は悪党たる己の天敵だった。

こういう時、無痛症は良くない。
自身のダメージの度合いが分からないからだ。
最大の脅威は痛みに無自覚である事である。
普段は細かなメディカルチェックは欠かせないのだが、この場では機材がないためそれができない。
故に、この状況では無茶をすべきではないのだが。

痛みを訴えているであろう体を無視して立ち上がる。
ここで逃すわけにはいかない。
居場所が分かっているうちに進むのだ。

右腕を見る。
悪刀も衝突の余波で粗方吹き飛んでしまった。
回収出来たのは3割程度。
義手として扱うなら破格であることには変わりはないが、密度はだいぶ薄れてしまった。

悪砲も撃たされた。
残弾は1発。
今の状態では消滅砲の補給も見込めないだろう。

「ふぅ…………老体にはしんどいねぇ」

何も感じない体に痛みも疲れもないが、精神的なモノだろうか。
どうにもしんどい一日だ。
あと一歩だと、自らを奮い立たせる。

市街地まで、あと少し。

【D-5 市街地近く/夜中】
【森茂】
[状態]:右腕消失(悪刀にて補完)、ダメージ(不明)、疲労(大)
[装備]:悪刀(3/10)、悪威、悪砲(1/5)
[道具]:基本支給品一式、鵜院千斗の死体(裸体)
[思考・行動]
基本方針:参加者を全滅させて優勝を狙う
1:ユキの下に向かい殺害する
2:そろそろスタンスにかかわらず皆殺しに移る
3:悪党商会の駒は利用する
※無痛無汗症です。痛みも感じず、汗もかきません

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月すらも雲に隠れた闇の道。
小さな少年が自分よりも二周りは大きい青年を背負いながら歩いていた。
体格差のある子供が大人を背負うのは難しい上に、青年は力なくだらりと負ぶさりかかり背負うにも難しかろう。

だが、その程度、勇者の力を持つ勇二にとっては苦でもなかった。
それとも単純に血や肉の失われたカウレスが軽いのか。

勇二はカウレスを背負い、身を休められそうな場所を目指して歩いていた。
倒すべき悪党は光に呑まれ見失われた。
最早生きているのかもわからない。
それよりも優先すべきことがある。

カウレスは奇跡的に命を繋いでいた。
悪刀は彼の命を削りきる前に、聖剣の放つ暴風によって吹き飛んだ。
彼らも諸共に吹き飛ばされたが、衝突は聖剣が圧し勝ったのか勇二に大事はなかった。
すぐに勇二は傍らに転がるカウレスを発見する。

例え悪刀の攻撃が中断されようとも、それまでに受けたその傷は深い。
既に治療魔法はかけた。傷はふさがったはずだ。
だが、攻撃の特性から言って目に見えない傷も多数あるだろうし、何より失われた血肉まで戻る訳ではない。
受けたダメージを思えば、最悪の想像も難くない。

如何に勇者とは言え、死を覆すことは出来ない。
それが許されるのは『勇者』だけの特権だ。

「大丈夫、大丈夫だから! 絶対に僕が助けるから!」

自分は勇者なのだから。
助けられるはずだ。
自身に言い聞かせるようにそう言い続ける。

そんな根拠のない励ましの声が聞こえているのかいないのか。
カウレスは切り刻まれた喉でかすれた声を上げた。

「…………勇……二…………く、ん…………」
「! 何! カウレスさん!」

まだ声を発せたことに喜び、励ます気持ちを込めて元気よく答える。
だが、テレビや漫画なんかでよくある、傷が深い時は喋るべきではないというシチュエーションを思い返す。
黙るよう伝えようとして、カウレスが何かを伝えようとしている事に気づき口を閉じた。
それはきっと聞き逃してはならない事だと直感的に悟る。

途切れ途切れの言葉で。
伝える。

「…………怒りに、囚わ…………れるな…………。
 君は…………優し、い君のままで………………勇者に…………」

『勇者』
その言葉が彼にとってどれほどの意味を持つのか。
それが最後まで分からないまま、望みだけが託された。

言葉はそこで途切れたまま、その先が紡がれることもなく。

【カウレス・ランファルト 死亡】

【E-4 放送局近く/夜中】
【田外勇二】
[状態]:勇者、消耗・中(回復中)
[装備]:『聖剣』
[道具]:基本支給品一式
[思考]
基本方針:勇者として行動する
1:ワールドオーダーを倒す
[備考]
※勇者として完成しました

146.とある殺し屋の死について 投下順で読む 148.死なずの姫
時系列順で読む
復讐者のイデオロギー カウレス・ランファルト GAME OVER
田外勇二 勇者
悪党商会の社訓 森茂 悪党を継ぐ者

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最終更新:2018年04月01日 12:11