◆
「~~♪ ~~~♪」
無機質な通路をステップしながら。
上機嫌に、鼻歌を唄っていた。
その女は、ギャルであった。
「~~~~♪ ~~~~♪」
恩赦ポイントによって得た、新たな衣服。
そいつを着込んで乙女は心機一転。
すっかり上機嫌になっていた。
「~~♪ ~~~♪ ~~~~♪」
ベルトやフリル、レースアップのリボン――。
数々の装飾で彩られた、漆黒のワンピースを身に纏っていた。
脚には黒いレザーのブーツを履いて、軽やかに歩を刻む。
「~~~~~♪ ~~~~~♪」
死や背徳を思わせる色彩をカジュアルに着込こなし、しゃなりしゃなりとツインテールの金髪を靡かせる。
小悪魔的で大胆な出で立ちであるにも関わらず、何処か厳かな趣も感じさせる。
「~~~~♪ ~~~~♪ ~~~~~♪」
中世西欧のゴシック調。近代西欧の反逆精神。
両者の意匠が取り入れられた、可憐にして退廃的なファッション。
そこから滲み出るのは、ある種の様式的な美学。
かつて日本においてもムーヴメントを巻き起こした、ひとつのスタイルである。
ギャル・ギュネス・ギョローレン。
制服ギャル改め、ゴシックパンク・ギャル。
JKはもう卒業。
さらば青春、さらばアオハル。
そしてこんにちは、タチアナ。
おいでませ、新生ギャル。
「~~~~~♪」
「さっきから何だその鼻歌は。鬱陶しいんだが」
そんな歓喜に対して、水を差す男がひとり。
ギャルの隣で並び歩く、片割れの悪童。
「は?いーじゃん別に」
「私は良くない」
「良くなくないっしょ?」
「良くない」
「頑固か?そんなんじゃモテないぞ☆」
「私はモテたがっていない」
「強がんなって男子ィ~」
「張り倒されたいのかお前」
とても不服げに、または誂うように反論するギャル。
対する男はまともぶった顔で素っ気なく切り捨てる。
小気味良く言い争いながら、悪童達は通路を進む。
「つかここ“脱獄王”いないの?まだ生きてんでしょアイツ。ブラペンとか好きそうじゃん」
「居たとしても、入れ違いになったんだろう。少なくとも探索の痕跡は見受けられた」
「ざーんねん。アイツならブラペンの抜け道とかも見抜いてそうだったんだけどなー」
「そもそもお前が余計な時間を使わなければ済んだ話だ」
「着替えは余計じゃねーし。必要不可欠だし」
脱獄王の存在は1F北西部の物置部屋にいる面々には周知されたものの。
中庭に滞在していた二人はそこまで把握しておらず、あくまで推論に留まる。
「何が必要不可欠だ。自分の拘りを押しつけるな」
「でもボロの囚人服より気分アガるっしょ?」
「アガらん」
「アガる」
「アガらん」
「アガる!」
「アガらん」
「アガる☆」
「アガらん」
息が合っているのか、険悪なのか。
果たしてこの二人、仲が良いのか悪いのか。
その答えはきっと、彼女達にしか分からない。
因縁の宿敵であり、旧知の仲であり、切っても切れぬ腐れ縁の間柄。
彼女達の関係は、彼女達だけが理解する波長によって繋がっている。
――――端から見れば、他愛のない口論に過ぎないのはさておき。
「……まあいい。それはともかくとして」
征十郎・H・クラーク。
ギャルと言い争っていた男は、やれやれと言わんばかりの態度を見せる。
不毛な争いを一旦打ち切った後、自らの出で立ちを見下ろす。
彼もまた、ギャルと同じく衣服を着替えていた。
それはある意味で、ギャルよりもずっと死の匂いを纏う出で立ちだった。
漆黒のジャケットとスラックス。余計な装飾の無い、殺伐としたモノトーンのスーツである。
粗野に結ばれた黒一色のネクタイも含めて、純白のワイシャツとのコントラストを生み出していた。
葬儀を思わせる色調に対し、黒塗りの鞘に収められた日本刀が奇妙な融和を果たしている。
長身の体躯も相俟って、その出で立ちにはある種の風格が漂っていた。
漆黒のスーツ。漆黒のサムライ。
征十郎もまた、一種の美学に身を包んでいた。
――身を包まされた、と言った方が正しいか。
「お前にしては意外だったな。もっと悪趣味でけばけばしい代物を着せられると思っていた」
「そりゃ征タンにチャラチャラしたヤツ着せても似合わないっしょ。
ガッシリしてて無骨でワイルドじゃん?だから敢えてこういうのにしてみました☆」
闇に身を包む二人の男女。
退廃と死臭を纏う宿敵同士。
まさしく並び立つ悪童である。
「で、やっぱアガるっしょ?」
「アガらん。お前に押し付けられたという事実一つで不愉快だ」
「私は征タンといっしょにめかしこんでアガってるし」
やれやれ、と征十郎は一息を吐く。
思っていたものよりマジだったとはいえ、無理やり押し付けられた代物であることに変わりはない。
そんな衣服を着込んで、二人揃って一張羅で並び歩く――何とも滑稽な状況だ。
現状を俯瞰するように見つめて、征十郎は自嘲するような感情を抱く。
それから二人は、ふっと蝋燭の火が消えるように沈黙する。
先程までの口論が嘘であるかのように、二人の空気は張り詰める。
静かに、じりじりと――――。
ひりつくような沈黙が、両者の間に流れる。
つい先刻。二人は全力の死闘を繰り広げた。
互いの因縁が暴かれ、かつて紡がれた約束が形を成した。
終焉を望みながら、楽園に焦がれ続けていた“永遠”。
在りし日の決意を果たすべく、その刀を振るった“刹那”。
その熾烈な激突の果てに。
誓いの一閃が、久遠を断ち切った。
少女を囚え続けた“永遠”が、終わりを告げた。
征十郎もタチアナも、漆黒を着込んでいる。
影色を纏う意味とは、即ち“何か”を葬る為に他ならない。
この衣服が意図するものを、征十郎は既に悟っていた。
「……“永遠”を葬る為の装束、という訳だな」
ぽつりと呟く征十郎――。
その言葉を聞き、フッと不敵に微笑むギャル。
漆黒に染まった喪服。
それは遺された生者が、亡きものを弔う為の装束。
生き残った者達が、死にゆくものを葬送する為の儀礼服。
二人はあの時、永遠の終わりを見届けた。
「それだけじゃないよ」
それからギャルは、並び立つ征十郎へと視線を送る。
葬送の為の衣服――それを察してもらえたことを喜ぶように、微かに表情を綻ばせていた。
「私か、八柳クンか」
そして、パチンとウインク。
無邪気な眼差しで、獰猛に微笑む。
「“どっちか”を葬るための服」
それは、避けて通ることのできない結末。
永遠に囚われていた“あの日の少女”。
刹那を掴み取った“あの日の少年”。
二人の決着は、どちらかの死を以て幕引きとなる。
二人の青春は、やがて熾烈に駆け抜けていく。
因縁の果てに、剣閃と爆焔のいずれかが葬られる。
それだけは――――決して覆せない。
◆
「だからさ。その前に、確かめに行こうよ」
そして、タチアナは微笑みと共に言う。
これより向かう先を見据えながら、無邪気に笑う。
色褪せた記憶の彼方の、鮮やかな色彩に思い馳せるように。
共に分かち合える“あの日”を仰いで、かつての少女は呟く。
「私達を繋ぎ止めた“過去”ってヤツを」
少女の微笑みに対し、かつて少年だった男は言葉を返さない。
しかしその顔の奥底に、数多の感情を湛えていた。
神妙な面持ちを保ったまま、微かに震える眼差しが無機質な通路を見つめ続ける。
腹を括るように、剣客はただ前を進む――過去を分かち合った“宿敵”と共に。
匂いがする。あの永遠の匂いが。
近づいている。あの過去の記憶が。
約束を紡いだ二人を、待ち受けている。
少年と少女。剣鬼と爆弾魔。
時の進んだ男と、時が進み始めた女。
在りし日のふたりは、葬送と共に往く。
◆
色褪せた昔話の、更に彼方。
色褪せて久しかった、在りし日の記憶。
征十郎は――――言葉を失っていた。
眼前に広がる光景を前にして。
彼は呆然と立ち尽くしたまま、目を見開く。
“それ”が此処にあるという現実に、動揺するように。
呼吸の音が、静寂の中でゆっくりと震え続ける。
喪われた色彩が、征十郎の記憶の中で――。
じわじわと静かに、確かな輪郭を伴いながら、蘇ってゆく。
箱に収められていた過去の欠片が、形を成していく。
やがて征十郎は、ゆっくりと手を伸ばした。
目の前に存在する“木製の案内板”へと触れて、その感覚を確かめるように掌を動かしていた。
そこに記された情報を噛み締めるように、彼は自らが触れた“過去”をじっと見つめていた。
タチアナと運命的な再会を果たし、過去の約束に決着を付けた。
永遠から解き放たれた彼女の口から、山折村の真実を伝えられた。
その過程で祖父の真意を解釈し、己の中で納得を得た。
そして27年前の事件を経た山折村、その後も終わらなかった物語を知らされた。
死線の渦中でヤマオリ・カルトの巫女との交錯も経て――八柳の剣士は、此処まで辿り着いた。
ブラックペンタゴン最上階、3F。
数々の資料や機密事項の波を越えて、進み続けた先。
彼らは、北東ブロック中央へと辿り着いた。
そこで待ち受けていたものは、失われたはずの過去の遺物。
開闢の起源、全ての始まり――“山折村”の展示室。
血で血を拭う刑務には不釣り合いな、ひどく穏やかで牧歌的な空間だった。
岐阜県の北部に位置する村落。
四方を山々に囲まれた、盆地の小さな山村。
元は1000人に届かない程度の人口で、古くからの産業としては林業と農業が中心である。
近年では現村長の施策によって若い世代の居住者が増え、住宅地の整備など再開発が進んでいる――。
素朴な木製の案内板に記された、村の概要。
郷土資料館を思わせる、なんてことのない説明文。
その内容を、征十郎は無言のまま見つめ続けていた。
記された言葉の奥底にある過去を、追憶するように。
僅かに目を伏せた後、征十郎は視線を動かした。
案内板のすぐ傍に飾られたポスターへと目を向けた。
“豊かな暮らしを未来へ”。
このフレーズもまた、記憶に残っていた。
村で何度も目にした都市再開発の案内だった。
地方の田舎に過ぎなかった村を発展させた、ひとつの施策だった。
時を経るたびに変わりゆく村の景観も、旧来の村民達の複雑な表情も、脳裏に焼き付いている。
展示に目を向けて、その内容を見つめていく。
身体を、視線を、ゆっくりと動かしながら。
数々の写真や案内を、その目で捉えていく。
そして征十郎は――ある展示へと目を留めた。
鎮守の山に建てられた神社の風景。
賑やかに並ぶ屋台と、道行く人々の写真。
土地で代々語り継がれた伝承を解説するパネル。
村の祭事を紹介するその領域は、暖かな照明に包まれていた。
――――“鳥獣慰霊祭”。
遥か遠い歴史、山折の民を“災い”から救った神と巫女を祀る儀式。
古来より村に根付く神霊を鎮めるための意味も持つと言われていた神事。
山折村に代々伝わる行事であり、夏の訪れを祝うような祭り。
祭事の最後には、村の巫女による“神楽の剣舞”が披露される。
その歴史の真実は、永遠へと取り込まれたタチアナによって語られた。
疫病による災い。愛し合った陰陽師と巫女、そして異世界より流れ着いた“子供”を巡る顛末。
語り継がれた信仰の意味も、村に齎された救済の真実も、今の征十郎は全て知っている。
それでも、彼にとって――――あの祭りは。
掛け替えのない思い出として、鮮明に刻まれていた。
村の人間にとって、何よりも馴染み深い風物詩。
“幼き日の少年”の記憶にも焼き付く、初夏の景色。
まだ海外へと移住する前も、6月の夏季休暇に故郷へと帰省するようになってからも、彼はその祭りに心を踊らせていた。
村の従兄弟や友人達に手を引かれて。
商店街から神社にかけて並ぶ屋台を巡り歩いて。
遠い太鼓の鳴り響く音に心を躍らせながら。
提灯の明かりに燈された道を、無邪気に駆け回って。
良くしてくれた皆に対して、最後に約束する。
――――来年もまた遊ぼうね、と。
幼い頃の、ほんの10年足らずの記憶だったけれど。
それこそが、あの日の少年にとっての原風景だった。
バスに乗って帰路に着くとき、寂しさと共に夏の訪れを感じていた。
凝視するように、呆然と展示を見つめていた。
記憶を手繰り寄せて、その感触を確かめるように。
征十郎の瞳は、かつて過ごした村の記録を捉え続けていた。
静寂の中で、自らの網膜に焼き付けるように。
山折村の事件が起きてから、既に27年。
征十郎の人生において、あの地で過ごした時間は過ぎ去って久しいものとなっていた。
山折村と中津川を往復するバスに乗ることは、もう二度と叶わなくなった。
失意を抱えたままに海外での生活を送り続け、あの事件の日に取り零した“何か”を追い求めるように剣の鍛錬に明け暮れた。
少年は成年となり、剣客となり。
やがては剣鬼となり、悪鬼へと堕ちた。
地の底(アビス)に相応しい、悪童になった。
あの村での記憶は、もはや遠い過去の思い出に過ぎない。
自らの根幹であり、自らの収束点であっても、既に喪われた土地に過ぎない。
既に教科書に載るような“歴史”と化し、もう二度と触れることは叶わない。
そう思っていた。そう割り切っていたのだ。
結局のところ、過去は過去でしかない――。
そう思っていたが故に、山折村の真実も淡々と受け止められた。
郷愁へと浸るには、もはや時を経てしまったのだと。
征十郎は、そのように自らの心の有り様を規定していた。
けれど、今。
征十郎の目の前に。
“あの頃の時間”が佇んでいる。
“喪われた思い出”が横たわっている。
その事実が、何よりも彼の心を震わせていた。
山折村。それは征十郎にとって、開闢の起源ではない。
忌まわしき土地でも無ければ、信仰の対象であるはずもない。
もう二度と帰ることの出来ない“故郷”だった。
今、この瞬間――彼はそのことを思い知った。
黒衣に身を包む二人が、寂寞の中。
追憶のはざまに立ち続ける。
征十郎の隣で、タチアナもまた展示を見つめていた。
あのバスに乗って、トンネルの崩落事故に巻き込まれて――彼女もまた、あの村に囚われていた。
7年もの間、願望器が齎した“永遠の楽園”で幸福な時間を過ごし続けていた。
偽りの箱庭で、虚しい慰めのような安らぎに身を委ねていた。
あの時間から抜け出して、享楽に身を委ねてからも、心の奥底では未練を残していた。
青春という祝福に焦がれて、永遠への渇望を捨てきれていなかった。
しかし今は――目の前に広がる“山折村の記録”を見つめても、心を揺さぶられることはなかった。
ほんのりと思う所はあっても、それでも一歩引いた眼差しを向けることができた。
だからこそ、タチアナは改めて受け止める。
自分は本当に“永遠”から解き放たれたのだと。
征十郎と対峙した、先刻の一騎打ち。
その熾烈な攻防の末に、約束は果たされた。
あの瞬間に、少女は永遠の呪縛から解放された。
もう少女は、山折村に焦がれることはない。
あの少女は、幸福の揺りかごに惹かれることはない。
征十郎に斬られて、タチアナは決別を果たしたから。
それでも、ほんの少しだけ。
寂しさのような、懐かしさのような。
そんな奇妙な感傷だけは、タチアナの胸中に残されていた。
だからこそ彼女は、何も言わずに佇んでいた。
征十郎と共に、過去の記憶を見つめ続けていた。
「ねえ、征タン」
それから、ひょい、と。
タチアナがふいに声をかけた。
征十郎は、何も答えない。
静寂だけが、むなしく木霊する。
「ねー。征タン」
少しだけ、むすりとして。
タチアナは再び呼びかける。
征十郎は、何も答えない。
彼は茫然と、沈黙し続けている。
「八柳クン」
やがて、少しだけ取り繕うのをやめて。
肩の力を抜くように、タチアナはその名を呼ぶ。
それでも征十郎は、何も答えない。
彼からの言葉は、何も返ってはこない。
「ねえ」
そして、タチアナは。
征十郎の横顔を、じっと見た。
感傷に浸るその姿を、静かに見つめた。
夕焼けのように揺れる青い瞳を、彼女はその眼で見た。
「泣いてんの?」
タチアナが、そう問いかけた。
征十郎はようやく、彼女の方へと意識を向けた。
ハッとして、意表を突かれたように、目を丸くして。
自然と溢れ出ていた感情に、思わず呆気に取られて。
やがて自らの頬を流れる雫に気付き、静かな動揺を見せていた。
「――――私は……」
思いもしなかった感傷の念。
征十郎は自分自身に驚き、僅かにでも狼狽える様子を見せていた。
絞り出された声は、微かな震えを伴っている。
瞳から流れたのは、一筋の涙だった。
征十郎は、知らずのうちに泣いていた。
在りし日の記憶。
失われて久しかった、思い出の情景。
歴史と崇拝に埋もれて、その実態を奪われた地。
開闢の幕開けにして、呪われし災いの象徴として語られる村。
しかし彼にとって、それは――。
もう二度と取り戻せない、幼き頃に見た故郷だった。
まだ成年にも満たぬ時期の、色褪せた記憶でしかないとしても。
それでも“かつての少年”にとって、それは心に焼き付いた原風景だった。
望郷の想いが、剣客の中に今も宿る無垢を手繰り寄せた。
征十郎は、そんな自分を顧みて。
その表情もまた、少しずつ平静を取り戻していき。
やがて自らの情動を受け入れるように、己の涙へと触れた。
その温もりを確かめて、静かに目を細めていく。
己の中から湧き出たものを噛み締めて、咀嚼して。
自らの感情に対して、ゆっくりと折り合いを付けていく。
その果てに芽生えたものは、小さな安堵のような想い。
そうして、征十郎は。
微かな笑みを浮かべていた。
「……そうだな。泣いているらしい」
フッ、と自嘲するように呟く。
己の中の感情を受け止めて、ありのままに答える。
そんな彼の清々しい表情を、タチアナはじっと見つめていた。
「征タンらしくないねぇ」
それから彼女は、いつもの調子で。
飄々とした表情で、悪友のように笑った。
その裏側にほんの少し、征十郎に対する共感を宿しながら。
「ほざけ。お前も人のことが言えるのか?」
フッと苦笑しながら、征十郎は憎まれ口で指摘する。
タチアナもまた、何も言わずに過去を見つめ続けていた。
失われた瞬間に思いを馳せていたのは、征十郎だけではない。
「……だねー」
そんな自覚を得て。
タチアナもまた、征十郎のように苦笑する。
それは、分かち合ったこともないのに。
互いの記憶に焼き付く、同じ場所の風景だった。
あのバスの向かう先。あのトンネルの先。
山間に囲まれた、あの辺境の土地。
かつて約束を交わした、少年と少女。
その終止符の果てで、二人は思い出に浸る。
深い奈落の底で、同じ景色を追憶する。
そして、感慨に浸る中で。
征十郎は、静かに口を開く。
思い出に宿る記憶を、振り返る。
――祖父のことを、思い返していた。
八柳新陰流の開祖であり、正義を重んじた師父であり。
厳しくも優しかった、八柳 藤次郎のことを。
「祖父は……」
つい先刻に得た納得を、征十郎は振り返る。
――穢れを赦せぬ高潔さ。狂気に近い正義。
あの27年前の事件の際、村人の虐殺者となった祖父の根幹。
かの剣豪を修羅へと堕とした、執念にも似た意志。
「八柳 藤次郎は、やはり――」
タチアナから伝えられた、歪みと災いに彩られた山折村の真実。
そして在りし日の村の穏やかな情景を前にして、征十郎は改めて確かめるように呟く。
「“間違い”を、正したかったのだろうか」
間違いから生まれたもの。
間違いしか生まないもの。
山折村に巣食っていた、数多の歪み。
それを正さずにはいられなかったのだろうか、と。
征十郎は、狂気に堕ちた祖父へと思いを馳せる。
「さあ。私にもよくわかんないけどさ」
そんな征十郎の呟きに、どうだかねえ、と言わんばかりの態度を見せるタチアナ。
“永遠の女王(アリス)”から記録を与えられている彼女は、仄かに怪訝な表情を見せつつ。
それでも、どこか思う所があるように――虚空を見つめる。
「昔ね。ルーさんが言ってたことがあってね」
ふと、タチアナが話を振る。
ルーサー・キング。新時代の巨悪であり、“ギャル”にとっては馴染みの顧客。
あるとき彼と交わした会話を、彼女は振り返る。
「世界って、間違い続けるんだって。
これまでも、これからも、ずっと」
かの首領――ひとりの老人が語った言葉。
飄々とした口振りで、それを呟くタチアナ。
征十郎は、神妙な面持ちで受け止める。
何も言わずに、静謐なままに佇む。
そして、ほんの少しの間を置いて。
目を僅かに伏せて、何か思うところがあるように。
タチアナは、くるりと征十郎を見つめた。
「お爺さんも、間違えちゃったんじゃない?」
――――私達だって、ここまで堕ちた。
――――間違え続けて、ここに辿り着いた。
言葉の裏でそう伝えるように、タチアナは微かに笑む。
タチアナの言葉を、表情を、じっと捉えて。
暫しの静寂の中で、視線を交錯させる。
それから征十郎は、何も言葉を返すこともなく。
ただ沈黙のままに、再び山折村の展示へと目を向けた。
神妙な眼差しで、過去を再び見つめる。
その瞳に、明確な色彩を宿しながら。
――“世界は間違い続ける”。
言葉を咀嚼するように、征十郎は沈黙する。
自らの故郷に、祖父に、再び想いを馳せて。
何かを悟るように、彼はただ其処に在り続ける。
剣鬼の傍には、かつての少女が寄り添っていた。
あの村に焦がれていた、ひとりの少女が。
◆
部屋に並べられた武器の数々は、既にまばらになっていた。
丁寧に配置されているにも関わらず、不自然なスペースが散見される。
武器庫と思わしき最新部の空間を見て、征十郎達はすぐに状況を察する。
とうに先客は此処を訪れて、物資を回収しているのだと。
ブラックペンタゴン3F、展示室の更に奥の最深部。
残された幾つもの武装を、征十郎は無言のままに見据える。
銃器や刀剣、鈍器に至るまで、古びた武具の数々が置かれていた。
その中のひとつ。
一振りの刀剣を、征十郎は手に取った。
銘は刻まれていない、名もなき刀。
骨董品を思わせるその姿を、じっと見下ろして。
値踏みをするように眺めた後、鞘から抜き放つ。
そのまま剥き出しになった刃へと、左手を添えた。
――名刀とは言い難い。
明らかに切れ味の鈍い、寧ろ鈍器に似た代物。
しかしそれ故に、実戦を想定した刀剣であることが分かる。
錆びや血脂での劣化を防ぐべく、端から刃としての純度を捨てているのだ。
死地における継戦能力を考慮し、“硬い棒”としての用途に振り切れている。
達人的な技量を持つ者が振るえば、酷く荒々しい凶器として猛威を振るうだろう。
どこか見覚えのある逸品ではあった。
幼い頃に、似たような刀剣を目にしていた。
確か、実家の道場で――しかし、何かが違う。
これは“贋作の類い”であると、直感のように悟る。
八柳新陰流の技を磨き続け、剣の真髄へと近付いていた為か。
あるいは、半ば第六感に近いような感覚で理解した為か。
理由は判然としないが、それでも征十郎は確信していた。
征十郎は、その刀を暫し眺めてから。
やがて意を決するように、自らの左腰に差した。
ベルトに括り付けた即席の帯紐によって、二本の刀を左腰に携えた形となる。
「“永遠”を斬った剣士が、“永遠”を腰に提げる。妙な話だねえ」
「なに。不要になれば、叩き割るだけさ」
茶化すようなタチアナの言葉に、フッと冗談めかして答える征十郎。
此処に並べられた武具の数々は、ただの骨董品の陳列ではない。
――あの山折村へと連なる物が、掻き集められている。
永遠を斬った剣士と、永遠に囚われていた爆弾魔は、それを見抜いていた。
この最深部に到達する前、彼らは数多の資料や報告書などが収められたエリアを通り抜けていた。
そこにはABC計画を中心とする“世界の深淵”が記されていたが――二人はこれらを殆ど無視した。
そんなもの、わざわざ見る意味など薄かったからだ。
ジョーカー候補として刑務の情報を伝えられ、そして山折村の真相も知る彼らは、今更世界の真実に触れる必要がなかった。
既に二人は悟っている。アビスとヤマオリの接点を。
開闢の日を主導したのがGPAである。
ならば“山折村の事件”に現在のアビス高官が関わっていたとしても奇妙なことではない。
この監獄の顔役はヴァイスマンだが、彼はあくまで一管理者に過ぎない――。
その上に立つ“所長”こそが、きっと山折村に連なるのだろう。
GPA長官である終里 元もあの村に繋がるのならば、この刑務を仕組んだアビスもそうであっても不思議ではない。
そうでなければ、山折村と結びつく遺物の数々をわざわざ刑務に配置する意義がないのだから。
そして遺物という意味では、受刑者達もまた然り。
八柳の剣士、山折村から現れた爆弾魔、ヤマオリ・カルトの巫女――。
この刑務は元よりヤマオリの系譜にある者達が複数名存在しているのだ。
第二回放送に至るまで、ブラックペンタゴンは混戦状態に陥っていた。
多数の強者達が入り乱れ、一階の探索さえままならない状況が続いていた。
上階以降の検分は一向に進まず、受刑者同士の潰し合いに終始せざるを得なかった。
しかし施設全域の禁止エリア化、被験体Oの投入で状況は大きく変わった。
内部のあらゆる受刑者が休戦を結ばざるを得なくなり、一階の膠着状態が解消された。
その結果として、上階の調査への道が開かれる形となったのである。
そうして征十郎とタチアナは、この山折の遺物との対面を果たした。
恐らくは被験体Oが到着するタイミングで、この仕掛けが明かされる構図になっている。
ではなぜこの段階で、山折村と繋がる情報や武装が解禁されるのか。
あの被験体Oこそが――――山折村との接点を持つ“何か”であることを意味しているのではないか。
征十郎はそう推測した。
念の為タチアナにも問い質したが、彼女は「被検体についてはなんも知らない」ときっぱり断言した。
彼女はあくまで被験体投入の事実について知らされていただけで、それ以上のことは把握していないのだという。
これまでの前科もあり、微かに疑いの目を持たざるを得なかったが、どうやら事実であるらしい。
故に征十郎は少々呆れつつ、タチアナをそれ以上問い詰めることはしなかった。
――――どんな形になるにせよ。
――――被検体Oが何者なのか。
――――この目で確かめておきたい。
少なくとも、奴が何者であるのか。
直に相対し、それを見極める必要があるだろう。
「で、これからいきなり真っ向勝負でも挑むの?」
「まさか。お前との決着が控えているからな」
「だよねぇ。面倒な“威力偵察”はデビちん達に任せればいい」
「私達の方針は変わらない。その上で、被験体は一度見ておきたい」
「ま、そうだね~。どのみち抜け道がなかったらアイツ倒すしかないしね」
とはいえ、あくまでタチアナとの決着が最優先だ。
ブラックペンタゴン外での待ち伏せの可能性も考えれば、被験体との戦いで過度に消耗することは避けたい。
故に行動指針は変わらず、あくまで第一陣は先鋒隊に任せるのみ。
自分達は相乗りを前提にしつつ、施設脱出の抜け道を探せるか模索するだけだ。
それに、もう一つ。
「……先の部屋を見てから、考えていたことがある」
ふと、征十郎が呟く。
ぽつりと、想いを噛み締めるように。
「何を?」
「お前を斬った後のことだ」
キョトンとした顔で問うタチアナ。
彼は遠い所を見つめる眼差しで、言葉を紡ぐ。
「もしも仮に、この地の底から解き放たれて。
私が娑婆に出られる時が来るのなら――」
この殺し合いで得た恩赦か。
あるいは刑期の満了か。
どちらになるかは分からないが。
仮に、地の底から抜け出せる瞬間が来たのならば。
刑務を生き抜いた先で、自由を得られたのならば。
「私は“永遠のアリス”を探そうと思う」
かつての山折村における、旧知の相手。
八柳新陰流の姉弟子――――虎尾茶子。
彼女が願望器に永遠を願い、歪んだ夢を叶えた“成れの果て”。
解き放たれた忌まわしき乙女に思いを馳せて、征十郎は決意の言葉を告げた。
「え、興味なさそうだったじゃん」
「まあな。それは間違いないことだ」
「どういう心境の変化?急に世界救いたくなった?」
「勘違いするな、世界を救うつもりなどない。元より私は悪党に過ぎんし、斬る以外に能もない」
きょとんと意外そうな顔で茶々を入れるタチアナ。
しかし征十郎はやや呆れつつも、あくまで真面目な面持ちで答える。
「茶子姉の所業も、私が是非を断ずる訳ではない。
ましてやタチアナ、お前の蛮行の尻拭いをするつもりでもない」
――自分の知った話ではない。例え身内の罪だとしても、世界の危機ならばGPAに任せればいいだけのこと。
先刻にタチアナから初めて話を聞いた時にはそう思ったし、今もその考えは変わらない。
かつての姉弟子を追うことは何も善行の為ではないし、誰かの罪に対する後始末の為でもない。
「ただ……斬るべきものを、斬りたくなっただけだ」
斬りたくなった。
ただ、それだけのことだ。
己の意思に従い、斬るべきを斬る。
刀を振るい、自らの道を切り拓く。
ある意味で、今までと何ら変わらない。
では、いったい“何”を斬るのか。
「私は、ヤマオリの亡霊を斬る」
終わるときを喪った、あの日の過去。
忌まわしき災いと化した、あの日の景色。
無垢な呪いによって願われた、あの日の残骸。
彼女/茶子はそれに焦がれ、縋り続けたのだろう。
けれど、それでも――――征十郎は思う。
「この手で証明したくなったのだ。
“山折村”は、もう終わったのだと」
――――“永遠”で在り続ける必要などない。
――――27年前、お前はもう終わったのだ。
それを示す為に、刀を振るうことを望んだ。
青年は、山折村という故郷を“葬ること”を望んだ。
これ以上続く必要も、しがみつく必要もない。
時は先へと進む。不変のものなど存在しない。
それでいい。それでいいのだと、征十郎は想う。
少女との約束を果たし、永遠を斬ってみせた少年は、切に願った。
あの日の記憶が、あの故郷の景色が。
自らが涙を流すほどに、郷愁の念を抱いていた風景が――。
“不死の呪縛(ゾンビ)”に成り果てるなど、あってほしくなかった。
山折村は、世界を揺蕩う深淵ではない。
始まりの土地でもなければ、災いの元凶でもない。
征十郎・ハチヤナギ・クラークにとっての、帰る場所だった。
そんな征十郎の言葉を、タチアナは無言で受け止めて。
目を丸くして、征十郎をじっと見つめ続けて。
その表情は、やがてフッと笑みへと変わった。
「また斬っちゃうの?永遠ってヤツ」
「もう要らんさ。永遠(おまえ)の代わりなど」
同じように、清々しさを宿した表情で征十郎は答える。
――何てこともなしに、さらりと告げられた一言。
爽やかな笑みも忘れて、タチアナはぽかんとした表情へと変わる。
「……ほら!またそういうトコ!なんなの征タン!?」
「気に入らんのか」
「いや!でもさぁ!なんかさぁ!?」
「お前は何なんださっきから。面倒臭い奴だな」
「なんかこう!よくないでしょ!そういう発言!サラッと!」
「別に良いだろ……」
急に憤り始めたタチアナに、征十郎は呆気に取られていた。
怒っているのに、心なしか嬉しそうにも見える。
征十郎は再び思う――やっぱりこいつの思考はよく分からん。
異性の機敏というものに疎い征十郎にとって、尚更掴み所がなかった。
【D-5/ブラックペンタゴン 3F北東ブロック・通路/一日目・日中】
【タチアナ/ギャル・ギュネス・ギョローレン】
[状態]:疲労(小)
[道具]:デイパック(食料飲料医薬品)、注射器、小瓶(医務室からくすねてきたやつ)、漆黒のゴシックパンク服
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.征十郎との決着をつける為に、ひとまずブラペン脱出を目指す☆
0.新しい服はアガるね↑↑↑
1.横槍が入らない決着の舞台を整えたら、征十郎を燃やす。まあ整えなくても、機会があればチャレンジ☆
※刑務開始前にジョーカーになることを打診されましたが、蹴っています。
※ジョーカー打診の際にこの刑務の目的を聞いていますが、それを他の受刑者に話した際には相応のペナルティを被るようです。
※永遠は斬られたので、今後は年を取ります。
※心機一転、制服はもう卒業のようです。
【征十郎・ハチヤナギ・クラーク】
[状態]:ダメージ(小)、超力第二段階?
[道具]:デイパック(食料飲料医薬品)、日本刀、銘のない贋作の刀(永遠)、ルメス=ヘインヴェラートの首輪(未使用)、漆黒の喪服風スーツ
[恩赦P]:68pt
[方針]
基本.タチアナとの決着をつける為に、ブラックペンタゴン脱出を目指す。
0.着てみると思ったより悪くない。しかし勝手に服を押し付けられた事実がやっぱり腹立つ。アガらない。
1.横槍が入らない決着の舞台を整えたら、タチアナを斬る。整う前でも、機会があれば斬ろう。
※二本の刀を腰に指しています。
[共通備考]
※トビ・トンプソン、ジョニー・ハイドアウト、ヤミナ・ハイドとは入れ違いになったようです。
※ブラックペンタゴン3Fの機密資料を殆ど閲覧していませんが、要点だけ目を通しているかもしれません。
最終更新:2025年10月04日 09:27