◆
「ヴァイスマンの放送通り、エントランスホールに“被検体O”がいた」
ブラックペンタゴン1F、物置部屋。
超力で生み出した蝿によって、エントランスの偵察を行ったエンダ・Y・カクレヤマ。
この場にいる面々の視線が、彼女へと向けられる。
「恐らくはブラックペンタゴンに到着したばかりの受刑者2名が奴と交戦していた」
――既に事は始まっている。
エンダはそのことを淡々と伝えていく。
「一人は夜上神一郎。アビスでも有名人の“神父”だ。
被検体の攻撃で片脚を喪う重傷を負っている」
その名を聞いて、ジェイ・ハリックは息を呑んでいた。
彼にとっては、ほんの数時間前――まだ銀鈴と同行していた際に遭遇した相手。
銀鈴を前にしても悠々と余裕を崩さなかったあの神父が、それだけの手傷を負わされる相手。
薄々予感していた被検体の脅威を、ジェイは改めて思い知らされる。
――他の三人は、ただ伝えられた事実を有りの儘に受け止める。
神父の重傷を聞かされた上で、表情を動かさずに情報を咀嚼する。
ディビット、エネリットは特に感慨を示さない。
元より被検体の実力は高く見積もっていたし、こちらの消耗を避けた上で威力偵察が出来たと考えていた。
仁成はディビット達と違い、真っ先に標的となった受刑者に少なからず憐れみを抱く。
しかしどのみち救援に入ることはリスクの面でも難しかっただろうと、あくまで割り切りを見せた。
「もう一人は見知らぬ受刑者……外見からして二十歳前後、恐らくネイティブ。
青い髪を持ち、冷気を操る青龍や龍人に変身する超力を備えていた」
心当たりはあるか、とエンダは4人に問いかける。
秘匿受刑者であるが故に他の受刑者との交流に乏しい仁成が、まず首を横に振る。
アビス内で独自の派閥を作るディビット、長期間の服役で囚人達の内情に精通するジェイにも視線が向けられた。
しかし彼らもまた「知らない」と答えを返す。
「それは恐らく、ホクレイ・アンリさんかもしれません」
エネリットだけは僅かに考え込んでから、合点が行ったように口を開いた。
反応を見せた彼に対し、ディビットが呼びかける。
「知っているのか、エネリット」
「ええ。と言っても看守から彼の話を聞いたことがある程度ですけどね。
友人とその家族を惨殺した無期懲役囚。とはいえ相当の模範囚で、アビス内では取り立てて特徴のない人物だとか」
アビスにおいて少しでも優位な立場を得るために、人脈を構築したり強者に媚を売ったりする受刑者は少なくない。
そういう輩は良くも悪くも他の受刑者の目につくことがままあるのだが――。
北鈴 安理という受刑者については、エネリット以外の誰も存在を知らなかった。
つまりはアビスでの地位に興味がなく、他の受刑者からも存在を認知されない“優等生”という訳だ。
故に“相当の模範囚”という人物評にも一定の説得力があった。
その犯行に関してもこのアビスでは驚くに値しない、実に有り触れた話だ。
「で、被検体はそのアンリに攻撃しようとしていたんだけど……」
他の面々の認識を確認したうえで、エンダは話を続ける。
そして彼女自身、どう伝えるべきなのか迷うように一瞬考え込み。
「……途中から、虚空との死闘を始めていた」
「……何だって?」
「虚空へ向かって、格闘していたんだ」
その一言に対し、思わず仁成が訝しげな反応を零した。
他の面々もまた同様に、奇矯な反応を見せる。
虚空との死闘。つまりは、何もない空間と戦っていたとでも言うのか。
「どういうことですか?」
「先に断っておくけど」
続いて問いかけたエネリット。
この場にいる全員が抱いた疑問に先回りするように、エンダは言葉を続ける。
「私が見た限り、被検体Oは単なるモンスターとは違う。
ただ暴れるだけが能という訳じゃない。明確な判断力と合理性を備えて行動している」
エンダは黒靄の蝿による偵察を通じて、被検体Oの行動パターンを確認している。
仁成とは異なり、格闘術に精通している訳ではないエンダだが――。
そんな彼女の目から見ても被検体は“単なる力押しの怪物”ではなかった。
卓越した身体能力を前提とした上で、それらを研ぎ澄まされた技量と判断力によって行使している。
地力と技術を両立した体術。そうした強さはまさに、エンダの隣にいる仁成が証明していた。
「そんな奴が突然、目に見えない何かを攻撃したのか?」
「ああ。それこそが最優先であると判断したみたいにね。
神父かアンリ、どちらかの超力によるものかもしれないけれど……状況を鑑みるに、どうも事情は違うらしい」
仁成の投げかけに対し、エンダは言葉を続ける。
あの怪現象は神父か安理の超力によるもの、という可能性も考えられたが。
神父は気絶し、健在である安理もまた状況を理解できていない様子だった。
心身の変異によって超力も土壇場で変化を遂げるケースは世界でもままあるらしいが、そうした理屈とも違うように見えた。
まるで目に見えない、しかし明確な存在をと伴った“何か”を被検体が知覚し、それへの対処を余儀なくされているかのようだった。
「なんか……アレか?受刑者の霊でも見たんじゃねえのか?」
「なるほど。今の時代、“魂の研究”は確かに存在するからね。
この施設は私の超力の影響も及んでるし、“我喰い”も居たのだから否定はできない」
「いや、マジで有り得るのかよ……」
冗談交じりにジェイがぼやいた一言を、エンダは特に否定せず。
思わぬ返事に対し、ジェイは呆気に取られたように呟いていた。
対するエネリットは状況を咀嚼し、あくまで冷静に思案していた。
「奴がGPAによる生体兵器の類いだとすれば、プログラムがエラーを起こしたと考えるのが妥当では?
以前に看守補佐ロボット……AG-1の“試作量産機”の試験運用を見たことがありましたが。
彼らは囚人に対して誤った判断で危害を加え、すぐに運用が中止された」
「あー……そんなこともあったな。ありゃ酷かったよ」
怪現象が起きたのではなく、被検体自身に何らかのエラーが生じたという可能性。
エネリットが引き合いに出した“看守補佐ロボット”の話に対し、ジェイは納得するようにごちる。
同時にジェイはその一件で危害を加えられた囚人、“巨岩城塞”ディエゴスタ・バンディカルロが大層怒り狂っていたことをふと思い返した。
「……奴は暴走の余地を残した“不安定な試作品”であり、だからこそテストのため刑務に投入された」
「ま、その線が一番大きいだろうね。私達はいわば当て馬や試金石みたいなものか」
「ろくでもねぇな、クソッタレめ」
エネリット達の話を聞いたディビットが推察を述べる。
それに対し、エンダは自分達の役割を当てはめながら理解を示す。
続けてジェイが忌々しげに毒づく。
東欧某国の大規模紛争では、“戦乙女”を有した軍事政権が独自規格の“改造超力兵部隊”を試験的に投入したとされる。
反政府勢力は裏ルートを通じて、爆弾魔“ギャルテロリスト”や洗脳派遣兵士“シャイニング・ホープ”などの傭兵達を雇って対抗したという。
超力という不確定要素が蔓延る新時代において、現地戦闘によって実践的なデータ収集を行うケースは度々存在するのだ。
「エラーの可能性を抜きにした上で、被検体の実力はどんなものだったんだ?」
「奴は単純な身体能力で戦うタイプのようだ。
だけどオールドは愚か、生半可なネイティブをも容易く凌駕する域に達している。
もっと言えば仁成、君すら上回っている」
――現時点だとまだ“理論上の存在”に近いとされる“超力第三世代”を思わせる、とエンダは更に付け加えた。
裏社会は愚か、娑婆においても未知数とされる新世代を彷彿とさせる実力。
その情報は、まさに警戒に値すべきものだった。
「さっきも言った通り、奴は理性のない怪物じゃない。
格闘戦においても単なる力押しじゃなくて、体術としての“技”が見られた」
その上で相応の体術を身に着けているとなれば、紛れもない強敵であることは明らか。
とはいえあくまでフィジカルの強さに依存するだけなら、まだ打つ手はあるのでは――仁成は問いかけを続ける。
「それ以外に何かしらの能力は?」
「……今のところは確認できていない。
既に察知された以上、また監視の目を飛ばすことは難しいだろうね」
申し訳なさそうに首を横に振るエンダ。
そうか、と仁成は頷いて思案する。
被検体Oについて、現時点で確認された戦闘能力は純粋な体術のみ。
本当にそれだけなのか。例えば自己強化や自己再生、あるいはそれ以外の能力を備えている可能性もあるのではないか。
一先ずのスペックは把握できたとはいえ、まだまだ手札を暴き切っていない。
仁成や他の三人は、取り留めもなく思慮を続けていた。
「……こんな時こそ、エルビス・エルブランデスが居てほしかったんだがな」
仁成が、ぽつりと呟く。
つい先刻まで、幾度も自分達を追い詰めてきた“チャンピオン”。
あの恐るべき強敵が生きてこの場に居合わせてくれたら、どれほど頼もしかっただろうか。
仁成は彼の存在を振り返り、らしくもない弱音を吐いた。
奴ならばきっと、被検体を相手取っても一歩も引かなかっただろう――仁成はそんな確信さえ抱いていた。
「奴はもういない。それが現実だ」
「そうだな。……その通りだ」
そんな彼を戒めるように、ディビットが釘を刺し。
対する仁成は、噛み締めるように返事をした。
去った者に縋ったところで、状況は好転しない。
彼はあの場で修羅の如く戦い、そして散っていったのだ。
それが全てだ。――愛する者の為に戦っていた男は、もういない。
仁成はそのことに思いを馳せつつ、再び現状へと意識を切り替えた。
「――――なあ、みんな」
そして、一行がそれぞれ思いを巡らせてた中。
ジェイが何かを感じ取ったように、唐突に口を開く。
「被検体の話はともかくとして、なんだがよ」
ハリック家の特殊技能、未来予知。
ジェイは効果範囲が短時間に限られるが、高精度かつ意識的な発動を可能とする。
「さっき嬢ちゃんの話に出てきた二人。
……どうやら、こっちに来るみたいだぜ」
周囲に警戒を巡らせていたジェイは、予知によって来訪者の到来を察知したのだ。
◆
――――北鈴安理は、息を呑んでいた。
ブラックペンタゴン1階、北西エリア。
夜上神一郎を抱えて、無我夢中で辿り着いた物置部屋。
そこには五人の受刑者が集結し、恐らく被験体に関する相談を重ねていた。
アビスにおいて、安理は他の受刑者達との交流を避けていた。
時おり突っ掛かられることもあったが、それらを拒んで深入りを避け続け。
ただ黙々と贖罪に勤しみ、後悔と自己嫌悪の中で服役生活を送っていた。
だから安理は、日常ですれ違う凶悪犯達と心理的な距離感があった。
確かに其処にいるのに、何処か現実感に乏しいような感覚があった。
娑婆においても、獄中においても、安理の世界はごく小さなものだった。
だからこそ――目の前にいる受刑者達の纏う匂いに、安理は緊張を抱いていた。
自分にとっての恩師であるイグナシオや、影響を与えてくれたローズや樹魂とは違う。
ましてやバルタザールのような凶暴な囚人とも違う。
打算で結託し、利害に基づいて背中を預け合っている“悪童達”。
紛れもなく此処は――アビスなのだと。
自らの緊迫を噛み締めながら、安理は思い知った。
床に下ろされた夜上神一郎は、未だに気を失い続けている。
安理の超力による適切な止血が行われたことで、一命こそ取り止めたが。
それでも失神した神父の様態から、かの被検体Oの脅威を窺い知ることが出来た。
「……あの神父が、こんなザマになるなんてな」
沈黙を経て、ジェイが思わず言葉を零す。
先程にエンダから話は聞いていたものの、いざ目の当たりにしたことで明確な現実味を帯びた。
あの神父が、銀鈴を相手取っても平然と佇んでいた男が、再起不能に陥っている――紛れもなく異常事態だった。
「ジェイさん。どうですか?」
「ん?あぁ……追撃の予兆はない。多分エントランスに留まってる」
「エンダさんも、どうですか?」
「周囲に気配は無いよ。ジェイの予測通りだと思う」
エネリットはすぐさまジェイ、エンダに対して確認を取る。
未来予知、黒靄による探知、どちらにも引っかからず。
被験体Oは追撃を行わず、エントランスに留まり続けている可能性が高い。
只管に門番として留まる必要があるのなら、恐らくは他の受刑者の現在地を把握できるような特権も無いのだろう。
恐らくブラックペンタゴンが余程膠着しない限り、奴はあの場から離れられない――。
しかし今後状況が変わる可能性も高い。油断は禁物だと、五人はそれぞれ飲み込む。
「すみません。僕が、至らなかったばかりに……」
「謝罪は要らん。後悔するなら手早く済ませろ」
神父の手傷に負い目を抱きつつも、あくまで毅然とした様子で謝罪を述べる安理。
そんな彼に対して、ディビットは淡々と断じる。
「――どう思う」
少し怯んだ様子を見せた安理をよそに、ディビットはすぐに視線を動かした。
この場において最も信頼を置くエネリットに対して意見を問う。
被検体攻略を見据えるディビットは、既に考えを巡らせていた。
――果たして神父は、動けるのか否か。
その問い掛けに対し、エネリットはすぐにディビットの認識を理解する。
ディビットは今、神父の存在を勘定に入れるか見定めている。
つまり彼は“神父は戦力足りえる実力を持ち、尚且つこの集団のバランスを崩す程のものではない”と言外に伝えているのだ。
そのことを理解したエネリットは、すぐに神父の再起についての論議に乗る。
「適切に止血されているようなので、神父様の気力次第でもありますが……。
メリリンさんの超力を応用して義肢を作れるか否か、といった所でしょうね。
サリヤさんが持つ“自己治癒の超力”では、恐らく欠損の再生までは不可能でしょう」
開闢を経た人類とて無敵の肉体を持つ訳ではない。
切断された四肢の縫合となれば、基本的には相応の医療体制が必要となる。
四肢の欠損を応急処置だけで治せる余地があるのは、強靭な基礎代謝を持つ極一部のネイティブだけだ。
「後はジョニーさんの超力を譲渡して、鉄製の義足でも作れるか……」
「可能性としては悪くないが、ジョニー・ハイドアウトはあまり当てにするな」
「どうしてですか?」
「ヤツは娑婆で神父の逮捕に関わっている」
「……成る程」
ディビットから補足として伝えられた確執に対し、エネリットは簡潔に頷く。
このアビスにおいて、受刑者同士の因縁は珍しくないことだ。
「譲渡なら……そうだな、ヒトナリの超力は使えるか?」
「厳しいですね。彼の超力は治癒にはそれほど向いていない」
身体強化型の超力を“譲渡”し、神父の自己治癒能力を促進したりなどはできないか。
そう考えてディビットは提案したが、中庭の戦闘で実際に使用したエネリットはそう答える。
そして二人のやり取りを見て、仁成とエンダも意図を飲み込んで話し始める。
「エンダ。彼は……確か夜上だったか、切断された片脚は残っているのか?
サリヤの“自己治癒の超力”なら再生までは無理でも、欠損した部位を接合するくらいは出来るかもしれない」
「エントランスには残ってるだろうけど……流石に回収の為だけに侵入するのは難しいだろうね。
確実に被検体との交戦に突入するし、そっちのリスクの方が格段に大きい」
仁成からの問いかけに対し、言葉を返すエンダ。
秘匿受刑者の2人はアビスの有名人である神父とも直接の面識を持たず、仁成は彼の事自体をあまり把握していない。
しかし“ヤマオリ・カルト”の飾り巫女として欧州と関わっていたエンダは、彼の存在についても“著名な犯罪者”として知っていた。
「つまり、その……神父はどうなんだよ?」
円滑に話を進めていく他の四人に対し、ジェイは戸惑いながら問いかける。
「少なくとも、今の時点では使い物にならんという訳だ」
ディビットは素気無く答える。
木材や角材でも使えば即席の義足くらいは作れるだろうが、被験体との交戦を見越した戦線復帰はまだ厳しいだろう。
メカーニカが事を済ませて合流すればより高度な義肢を作れる余地もあるが、必要な物資が手元にあるかも分からない。
つまるところ、現時点ではまだ神父は戦力の勘定に入れられない。
それがディビット達の出した結論だった。
「アンリだったな。お前の手札について確認したい。
あの“被検体O”を攻略するためにも、情報は出来るだけ開示しておきたい」
神父の状況を見積って、ディビットは続けて安理へと問いかける。
会話に参加する隙を見つけられなかった安理だったが、唐突に呼び掛けられて僅かに動揺を見せる。
ディビットの鋭い眼差しが向けられる中――安理は何とか平静を保って、唾を飲み込む。
被験体Oを倒す為に必要な情報開示。その話を飲み込み、静かに頷く。
現時点での最大の脅威が奴である以上、他の受刑者達との協力は不可欠だ。
そう考えたからこそ、安理は毅然と答えた。
「……はい。分かりました」
そうして安理は、自らの手札について打ち明けた。
――元は冷気を操る氷龍へと変身する、任意発動の亜人系超力。
それが先の戦闘において変質を遂げ、龍人と化す常時発動型の超力へと転じた。
冷気を操る能力が弱体化した代わりに、身体能力が強化されていることを感じ取っているという。
そして今の自分には“他者の過去を感知する能力”も備わっているらしい、と。
安理は自らの超力について、迷いなく伝達した。
今はそれが必要なことだと判断したから――だが。
ディビットはそんな彼に対し、冷ややかな眼差しを向けていた。
内心呆れるように目を細めつつ、その感情を表立っては出さなかった。
――――聞き覚えのない受刑者とは思ったが。
エネリットを除き、この場にいる者が誰も存在を認知していなかった模範囚。
張本人と直に遣り取りを交わして、ディビットはその意味を理解する。
――――こいつ、やはり“素人”らしい。
ルーサー・キング程ではないにせよ、ディビットは数々の場数を踏んできた。
その中で多くの人間を観察してきたからこそ、彼は安理という青年についても理解する。
見ず知らずの面々に対し、この青年は自分の超力の詳細を無警戒に打ち明けたのだ。
切迫した状況ゆえの判断だろうが、だからこそ利害関係での結託であることを軽視してはならない。
この場にいるのは選りすぐりの犯罪者達であり、真っ当な道など歩んでいないのだから。
なればこそ“見知らぬ相手への情報開示”というカードを切るのなら、相応の打算を持って然るべきである。
最低でも交換条件を提示し、リスクに対するリターンを得ようとすることが第一なのだが――。
この青年にそんな腹芸が出来るようには見えないし、腹芸を意識しているようにも見えない。
ただ気を張っているだけで、駆け引きに全く慣れていないのだ。
――――軽はずみの犯行に走っただけの小僧って所か。
“友人とその家族を全員殺した”という犯行を聞いた時から薄々予想していたが、やはりそうだろうな――とディビットは思う。
個々人ごとの不確定要素が多く、処罰や更生に関する法整備も行き届いていないネイティブ世代の犯罪者。
彼らは扱いを持て余された末にGPAの国際裁判に回され、そのままアビス入りを果たすケースが少なくない。
この亜人の青年もまた、そういった流れを経て収監されたカタギに過ぎないのだろうと、ディビットは推測する。
こういった右も左も分からぬ若者ほど“アビスの神父”には感化されやすいのだと、ディビットは冷淡な目を向けていたが。
それでも今の状況において、使える手札があるのならば利用するに越したことはない。
ましてやこのような素人だ。共闘者としては不適格だが、適当に焚き付ければ行動の誘導くらいは――。
「なあ、アンリくん……だったな」
ディビットが思考する最中、口を開いたのは仁成だった。
「今回は状況が状況だから仕方ないとはいえ、不用意に自分の重要な情報を明かさない方が良い。
他者の隙や油断を突いてくる輩というものは、この世界に幾らでもいる」
「あっ……す、すみません。忠告してくれて、ありがとうございます」
――ディビットは思わず、微かな驚きを見せた。
誰もが察しつつも、敢えて口に出さなかったこと。
安理の迂闊な隙に対し、仁成は助け舟を出すように窘めたのだ。
ディビットとエネリット。仁成とエンダ。以前から組んでいる者達もいるとはいえ。
このブラックペンタゴンでの戦線自体は、あくまで利害関係によって生じているに過ぎない。
被検体Oという脅威がいるからこそ共闘が成立しているだけで、見ず知らずの協力者にまで義理を果たす必要などない。
ましてや迂闊な隙を見せた受刑者に対し、わざわざ訂正してやるような筋合いもない。
それでも仁成は、出会ったばかりの安理の不手際を窘めた。
ともすれば今後足元を掬われるかも知れなかった彼に対し、その迂闊を諌めて忠告した。
仁成にとって、理由があるとすれば――“放っておけなかったから”だった。
悪意に掠め取られるかもしれない素朴な青年を、見過ごせなかったのだ。
仁成には割り切りがある。現実的な視野を持ち、その場における合理性を優先することも出来る。
しかしそれでも、彼の性根にはあくまで善性が宿っているのだ。
かつては“お巡りさん”という素朴な夢を抱き、この刑務においてもエンダという少女の決意にも寄り添った。
只野仁成は“社会悪”であっても、決して“悪人”にはなりきれなかった。
エンダは目を丸くして、仁成を見つめた。
暫しの間、彼をじっと見据えて――。
それから無言のまま微笑みを見せて、申し訳なさそうな眼差しを向けていた。
すまない、とエンダはアイコンタクトで謝罪していた。
彼女も安理の不手際に対し、わざわざ助け舟を出す義理などないと考えていたが――。
そんな打算を無視した仁成に驚き、同時にエンダは自らを恥じた。
――――これでは“エンダ”に顔向けできないな。
エンダという殻を被る土地神は、自嘲するように思う。
自らを慕ってくれた無垢な少女に対し、詫びる思いを抱き。
そして自らへの戒めを与えてくれた仁成に対し、内心感謝を抱いた。
「……さて、僕からも宜しいですか」
仁成達のやり取りを暫く眺めていたエネリット。
会話にひと段落が付いたことを見てから、口を開いた。
「アンリさん。貴方は“過去に共鳴する超力”を備えているそうですね。
先程まで我々の中の一人が、超力によってエントランスの戦闘を監視していたのですが……。
被検体Oは虚空に向かって攻撃を繰り返していた。あの現象に何か心当たりは?」
安理の迂闊な言動は諌められたとはいえ、明かされた情報は情報だ。
そんな割り切りを見せるように、エネリットは粛々と言葉を並べる。
あの場を監視していたエンダから語られた怪現象――。
それが安理の超力による可能性も視野に入れた上で投げかけた。
「……僕にも全貌は分かりません。
でも、確信していることがあります。
あの現象は、きっと二度と起きない」
対する安理は、“分からない”としたうえで。
あれはもう二度と起こらないだろうと考えていた。
「それは、どうしてですか?」
「アレは、奇跡だったからです」
キッパリと断言する安理。
その一言には、強靭なまでの確信があった。
理屈では言い知れない、確固たる意志があった。
「奇跡……ですか」
「はい。そうとしか言いようがなかった」
エネリットは沈黙し、思案する。
――安理の言葉に、不思議と嘘は感じられなかった。
その事態を目の当たりにした彼が、こうも断言している。
安理が素人に過ぎないことは、ディビットと同様にエネリットも察していた。
この断言が出まかせや当てずっぽうに過ぎないなら、まず態度や所作に不審な部分が出る筈だが。
そうした様子も一切見られない。何らかの第六感を以て、真理を見抜いているようにさえ見える。
打算や合理を飛び越える“確信”というものは、時として馬鹿にならない。
アビスで数々の凶悪犯と相対してきたエネリットは、それを正しく理解していた。
だからこそ彼は、これ以上は深掘りしなかった。
「……分かりました」
あの現象に再現性があれば、幾らか打開策を見出だせると思っていたが――。
惜しむような思いを抱きつつも、エネリットは質問を切り替える。
「では、あの被検体Oを対象に超力を行使できますか?」
エネリットの問いかけに対し、安理はゆっくりと返答をする。
「此処に辿り着く前、少し試してみました。
けれど得られたものは断片だけでした」
「教えて下さい。少しでも奴に関する情報が欲しい」
被験体の情報を少しでも探るため、安理は安全圏で超力を行使した。
しかし“過去の体験”は、あくまで直接的な交流を持った相手でなければ十全に機能しない。
だからこそ安理が得られたものも、欠け落ちたような断片でしかなかったが――。
それでもエネリット達に取っては、手がかりとなる余地があった。
「僕が、あの被検体から感じ取ったのは――――」
エネリットからの頼みを聞いて。
安理は意を決したように、一呼吸を置く。
彼にとって、その意味はまだ理解できなかったが。
自らが被験体から感じ取った“唯一の断片”について、彼は語った。
「――――“ヤマオリ”という言葉への、異常な執着」
その言葉が提示された瞬間。
静寂の中で、誰よりも強く反応した者がいた。
仁成は、僅かに視線を動かした。
すぐ隣に居るエンダが、無言のままに目を見開いていた。
驚愕を抱くように、彼女は安理の告白を受け止めて。
やがてエンダは、噛み締めるようにゆっくりと目を細める。
自らの因果か、宿命か――そういったものを感じ入るように。
仁成は、第一回放送前のことを振り返った。
ブラックペンタゴン1階、大規模な図書館に足を踏み入れた時のことを。
彼はエンダと共に、ある書物を目にしていた。
「……ここの図書室には、ヤマオリに関する情報が収められていた」
そして仁成は、静かに呟いた。
“カクレヤマ・レポート”を初めとする、ヤマオリに連なる書物や文書。
あの図書館で得られるヤマオリの情報は、大衆でも目に通せるような知識ばかりだったが。
それでも仁成には、それが何らかの意図を持って収められているように思えた。
「そして、“ヤマオリの巫女”である君がこの刑務に投入されている」
そして“ヤマオリ”への執着を持つとされる被験体の投入――。
更には八柳の剣士、永遠の爆弾魔、ヤマオリ・カルトの巫女などの受刑者――。
仁成はこれらに何らかの因果を感じずにはいられなかった。
それらを聞いたディビットが、暫し熟考していた。
僅かな間の沈黙を経てから、改めて口を開く。
「エンダ。お前は俺達を“被検体Oの試金石”と予測していたが」
被験体Oが直面した怪現象について、ディビットは再び振り返る。
あの現象がなぜ起こったのか、ではなく――如何にしてエラーが起きるのか。
そこに目を向けるべきではないかと、彼は考えを切り替えていた。
「第二回放送後の戦局が、あの被検体のテストを兼ねてるとすれば……」
そう、今の状況が被験体Oの試験運用を目的とするのなら。
アビス側はあらゆる状況を想定する可能性が高いと考えるべきだ。
ただ蹂躙だけを目的とするなら、何も模擬戦闘のみで問題がない筈なのだから。
「奴がエラーを起こす要因になりうる“何か”が、予めこの施設に用意されているのでは?」
例えば、ヤマオリに関連する何か。
もっと言えば、彼の不確定要素を誘発する仕掛け。
被験体Oの投入に際し、機能不全が起こる要素を意図的に残しているのではないか。
それに対して、ジェイが思わず素朴な疑問を投げかける。
「おい、あれってアビスが鳴り物入りで送り込んだ刺客だろ?
そいつを不調に追い込むような仕掛けをわざわざ用意すんのかよ」
「“実験”とは、徹底的に試してこそ意味がある。
どこまで耐えられるのか、どこに限界が存在するのか」
折角送り込んだ生体兵器を、わざわざ機能不全に追い込むのか。
そもそも自分達の手駒を不利になるような仕掛けを置いているのか。
ジェイは疑問を抱いていたが、そこに仁成がすぐに答えた。
あらゆるパターンを試してこそ“実験”は意味を成すのだと。
「僕はそのことを……身を以て理解している」
そう、只野仁成は誰よりもそれを理解している。
彼は非道な人体実験の被験者となり、世界中をたった一人で逃げ続けた男だ。
「この施設にヒントがあるとすれば――より上階でしょうか」
「だと思う。思えば僕達は、一階での乱戦で長らく足止めされていた」
エネリットが視線を上げながら呟いたことに対し、仁成も同意するように答える。
階段前の門番としてエルビスを配置したうえで、多数の受刑者が入り乱れる混戦状態を作り出す。
それがアビス側の意図した戦局であり、施設内の調査が進まなかったのも作為的な誘導の結果なのだろう。
仁成達はそのことを推測する。
故にこそ、2階や3階に何らかのヒントが隠されているのではないか。
その仕掛け自体が明白な罠である、という可能性も否定はできないが――。
未知数の実力を持った被験体に対し、少しでも隙を作る余地はあって然るべきだった。
「……トビ・トンプソン。彼がヒントを見つけているかもしれない」
そしてエンダは、自らが取引をした相手を振り返る。
上階の検分と調査を依頼した“脱獄王”は、今現在ジョニー・ハイドアウトが伝達役となっている。
彼が探索の結果として何かを見つけ、収穫を得ている可能性は高いだろう。
故にこそジョニーが彼と接触し、脱出の見込みも含めて情報を得ることが重要となる。
ギャル・ギュネス・ギョローレンやあの八柳の剣士は、既に目を覚ましている頃だろうが。
彼らの気配をエンダ達は未だに感知していない――様子見に徹している可能性は高いか。
メルシニカの二人もあの確執からして、今しばらくは動けないだろう。
今後意識を取り戻すであろう神父の対応についても考える必要はある。
呉越同舟の受刑者七人。
今しばらくは、雌伏の時間。
しかし決戦は自ずと訪れるであろう。
地の底に堕ちた受刑者達は、生き残る為に戦わねばならない。
彼らの行く先には、あの“鬼神(オーク)”が今も立ちはだかっている。
【D-4/ブラックペンタゴン北西エリア・物置/一日目・日中】
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:ダメージ(小)
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ドンの首輪(使用済み)、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
0.ブラックペンタゴン脱出までは協力する
1.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
3.ルーサー・キングには警戒する。
4.ヤミナ・ハイドを使うか、誰かに押し付けるか考える。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。
※黒靄による超力干渉でエルビスの腐敗毒をある程度遮断できます。
ただし〝恨み〟による強化が発揮しない限り、完全な無効化は出来ないようです。
【只野 仁成】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(小)、服の全面が溶けている、精神汚染:侮り状態、強い覚悟
[道具]:デジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.協力してブラックペンタゴンの脱出を目指す
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
5.少女(四葉)にも対処したい。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。
※ルクレツィアの超力譲渡によって骨折がおおむね治癒しています。
【ジェイ・ハリック】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(小)、腹部に銃痕(回復済み)
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。チャンスがあれば恩赦Pを稼ぎたい。
0.ブラックペンタゴン脱出に協力する
1.バルタザール・デリージュに対する警戒。
【ディビット・マルティーニ】
[状態]:全身にダメージ(小)
[道具]:デジタルウォッチ、ドミニカ・マリノフスキの首輪(未使用)、メアリー・エバンスの首輪(未使用)、携帯食料
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める。
0.ブラックペンタゴンからの脱出を果たす
1.ネイ・ローマンと提携を結ぶ
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.タバコは……どうするか。
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:全身にダメージ(小)、左肩に傷(回復済み)
[道具]:デジタルウォッチ、宮本麻衣の首輪(未使用)、携帯食料
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.門番を超える策を練る
2.ディビットの信頼を強める
3.…命を懸ける理由、か。
※現在の超力対象は以下の通りです。
【徴収】などが対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
①マーガレット・ステイン(刑務官)
信頼度:80%(超力再現率40%)
効果上限:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『鉄の女』
②ディビット・マルティーニ
信頼度:60%(超力再現率同値)
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『4倍賭け』
③~⑤ジョニー・ハイドアウト、メリリン・"メカーニカ"・ミリアン、只野仁成。
信頼度:全て10%前後
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『鉄の騎士(アイアン・デューク)』、『補え、私の愛する人工物質(モルデオ・アルティフィシアル)』、『人類の到達点(ヒトナル)』
⑥サリヤ・"キルショット"・レストマン
信頼度:5%未満
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『楽園の切符』(我喰いによって倍率低下)
【北鈴 安理】
[状態]:上半身インナー姿、右腕に打撲、疲労(大)、気疲れ(大)、脳への負担
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。自分なりに、調査を進め弱い人を助ける探偵として動きたい。
0.ブラックペンタゴン内の他の受刑囚と接触し、被検体:Oの情報を伝える。
1.自分の意思で、この刑務作業の真実を知りたい。
2.バルタザールがまだ破壊の限りを尽くすようなら、被害をできるだけ抑えたい。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
※イグナシオの過去、大金卸とのあらましについて断片的に知りました。少なくとも回想で書かれた全てを聞いているわけではありません。
まだ聞いていない部分について、今後間違った妄想や考察をする可能性もあります。
※超力が変化し、常時発動型の竜人となりました。
氷龍と比べ冷気の攻撃性能が著しく落ちる代わりに、安定した身体能力の向上を獲得しました。
※他人の記憶を追体験する力を得ました。
追体験出来るのは自身と直接会話をした事がある人物に限られます。
記憶の中では五感全てが再現されるため脳への負担が大きく、無茶な使用は精神の崩壊に繋がります。
また、記憶の持ち主が死亡する場面まで追体験を続けた場合、安理自身も廃人となります。
【夜上 神一郎】
[状態]:意識不明、右足欠損(応急処置済み)、安理に抱きかかえられている
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:救われるべき者に救いを。救われざるべき者に死を。
0.気絶中。
1.同行する安理を最大の観察対象として、彼の「審判」に集中する。
2.なるべく多くの人と対話し審判を下す。
3.できれば恩赦を受けて、もう一度娑婆で審判を下したい。
4.あの巡礼者に試練は与えられ、あれは神の試練となりました。乗り越えられるかは試練を受けたもの次第ですね。誰であろうと。
5.“鉄の騎士”は、いずれ裁く。
6.バルタザールの動向に興味。いずれ対話し審判を下したい。
※刑務官からの懺悔を聞く機会もあり色々と便宜を図ってもらっているようです。
ポケットガンの他にも何か持ち込めているかもしれません。
最終更新:2025年10月04日 00:14