スラムで育ったんだ。自分の身を第一に考えなきゃいけないなんて、ストリートじゃ常識だ。

 だから、アニキがオレを見捨てて逃げたことに不満なんか無い。
 ストリートキッズに聞けば百人が百人、同じことを言うだろう。
 強盗に失敗した時、アニキを庇って大怪我したオレは大馬鹿野郎だと。
 大馬鹿野郎を置いて逃げたアニキが正しいと。

 ただ、まあ、不満は無いとは言っても、怒ってないとは言わない。
 逃げだした時の態度のことだ。
 ちょっとくらい、ためらいとか見せてくれたってよかっただろうと思う。

 だから、アニキと二人でやった悪さを丸ごと一人で抱え込まされた分、ムショを出たら一発、いや二発……五、六発くらい殴ってやりたい。
 刑期15年分、それでチャラだと言ってやれるか、その時になってみないとわからない。
 でも少なくとも、今のオレの胸の中に、憎しみだとか恨みだとか、そんな大層な感情は無かった。

 自分の身を第一に考えなきゃいけないなんて、ストリートじゃ常識だ。
 アニキが悪いなんて思わない。
 オレが大馬鹿野郎だっただけのことだ。
 いつか、笑って話せればいいと思う。




 ――やはり、きみの兄貴分に制裁を加えたのは『アイアン』だったよ。

 ――ネイ・ローマン。

 ――彼らは仲間意識の強い、若くて青いギャングたちの集まりだ。連れ合いを見捨ててのうのうと逃げ延びた者など、俺たちの街には要らないと……彼の逆鱗に触れることになる。

 ――だったら連中の流儀に従って、オレの連れ合いぶっ殺したオトシマエ、つけてもらわねェとな。

 ――……提案している側のぼくが言うことじゃあないが、それでも、何度でも言うよ。断るべきだ。やめた方がいい。

 ――いいんだ。……ありがとなオッサン。でもオレ、その話乗るよ。





「っ、お、お、おおウウオオああ!!!」 

 全身を叩く暴風。
 呼吸もままならない空気抵抗。
 姿勢を保てず回転し続け、混乱を越えて麻痺し始めた平衡感覚。

 刑務作業の説明会の直後、ハヤト=ミナセは夜の空を落下していた。

 空と海の上下が文字通り目まぐるしく入れ替わる。
 それでもなんとか周囲の状況を探ろうと視線を動かす。
 必死に思考を巡らせた数秒のうちに、大して地表が近づいて見えないことから、かなりの高度に転送されたらしい。
 島の海岸では、断続的に起こる爆炎と閃光が目についた。
 遠くの橋でも火柱が立っている。
 山岳の方では奇妙な色の光が瞬いていた。

 そしてどうやら、自分がこれから落下するであろう先は港湾らしい。
 波しぶきが月光に砕け、金属の光沢めいて輝いている。
 数秒か、十数秒の後、あの水面は血に染まるだろう。

「ぐっ、ふっ、うぅぅぅっ…………――――ッッ!!」

 胸の内に広がる恐怖を殺すため、食いしばった奥歯が軋んだ。
 せりあがった胃液を気合で飲み込み、鼻から息を大きく吸い込んで、酸欠気味の脳に酸素を送り込む。

 冷静になれ。
 頭のいい人間じゃない自分がパニックになってどうする。
 一発逆転のアイディアなんて期待するな。
 自分に何ができるかだけに集中しろ。
 今の自分になにができる。
 どうすれば自分の身を守れる。


 自分の身を第一に考えろ!


 本当にできるかどうか。
 果たして間に合うかどうか。
 希望があるのかどうかさえも無視して、ハヤトはあがいた。
 体勢を整え、全身に力を籠め、目を見開いて迫る水面を凝視する。
 万全ではない。
 無駄かもしれない。
 それでもハヤトはあがいた。
 あがかなければ死ぬのだから。

(超力発動、『不撓不―――)

 直後、着水。
 会場B-2地点の港湾に、「さほど大きくはない水音」を立てて、水柱が立った。





(……くそが)

 悪態を実際に口に出す気力もない。
 港湾のスロープに這い上がったところで力尽き、仰向けに寝転んだ。

 ハヤト=ミナセは生き延びた。
 彼の超力『不撓不屈(ウェカピポ)』は、「踏みしめる」ことで自身が受ける衝撃を無力化することが出来る。
 だからハヤトは一か八か、体勢を整えて足からの着水を試み、その瞬間に水面を「踏みしめた」。
 超力が発動した実感があり、実際に生き延びているものの、発動のタイミングが適切だったのかは、ハヤト本人をしてわからないのが実情だった。
 現に今、彼は全身に痛みを感じている。
 着水時の衝撃は無効化できたとしても、落下の勢いは殺せていない。
 水中に突っ込んだ際に全身を叩く水の衝撃もまた、無効化できるものではなかった。

 重症というほどの手傷も負わなかったにせよ。
 ただ、生き延びただけ。
 刑務作業が始まって、ものの数分というところだろうか。
 早くも満身創痍、疲労困憊で横たわるハヤトは、他の囚人たちの恰好の獲物だろう。

 一刻も早く、この場を動かなければ。
 痛みと痺れ、ついでに寒さで震える手を伸ばし、少しでも移動しようともがく。

「だ、大丈夫、……ですか?」
「ッ!?」

 その視線の先。
 港湾沿いに建てられた建物を目指していたハヤトの目の前。
 まばたきの間もない一瞬。
 何もなかったはずのその場所に、人影があった。

 兎のような長い耳を垂らした、獣人。
 成長しきっていない小柄な体躯に、育ちのよさそうな発色の頬。
 ぬいぐるみじみた体毛のボリューム感からみても、愛情を注がれ、よく手入れがされたペットのようだ。

 およそ、囚人たちの中に紛れ込むにはふさわしくない出で立ちの少女だった。
 ましてや殺し合いを命じられた刑務作業中に出会う最初の相手としては、何もかもが予想を裏切っていた。

「……オレ、不思議の国にでも落ちてきたのか?」
「ふし? あの、えっと、なんだかすごい、高いところから落ちてきませんでしたか?」

 どうやら落下するハヤトを目撃していたらしい。
 一般人でも旧時代のアスリート並みの身体能力を持つ新人類であっても、こんな深夜に、暗色の囚人服をよく見つけられたものだ。
 しかし考えてみれば、彼女は獣人。
 兎型としては聴覚や脚力に注目されがちとはいえ、獣由来のその夜目は現代の新人類と比較したとしても、より鋭敏なものといえるだろう。

「落ちてきてました、よね? わたしの見間違いとかじゃないですよね?」
「あぁ、……まあ」
「ああああ、やっぱり。大変だどうしよう、あんな高いところから落ちたら大丈夫なわけないよ。なんとか、手当てしないと」

 返事も億劫なハヤトの元気の無さに、恐々とした様子だった兎の少女が慌てだす。
 そして次の瞬間、その姿がハヤトの視界から消え失せる。

 驚きの声を上げる間もなく、ハヤトの懐に潜り込んでいた兎の少女はその身を担ぎ上げ、ずんずんと近くの建物に進んでいく。
 施錠されているであろう扉を簡単に蹴破ると、近くのソファにハヤトを寝かせ、その身体をまさぐり始めた。

「血は出てませんか。骨とか折れてませんか。気分は悪くないですか」
「お前、何してるんだ」
「何って手当て……看病? というか看護です」
「刑務作業の説明、聞いてなかったのか?」


 ピタリと、少女の手が止まる。
 しかしすぐにまた動き出した。
 ハヤトの顔色を確かめながら全身を触り、痛みや異常が無いかと聞いてくる。
 痛みや腫れの見られる箇所があれば、建物の中から見つけた備品なのか、フェイスタオルを濡らして優しく巻き付ける。

 その作業の合間合間に、兎の少女―――セレナ・ラグルスは話し始めた。


「見ての通り、わたしはただ兎っぽいことが出来るだけの子供です」


「怪我人を運ぶお手伝いは出来ても、人が死ぬくらい強い腕力はありません」


「それに、人に迷惑かけた分を刑期で償うのは納得してます」


「外の危険から救われただけ儲けものっていう、そういう身の上だったので」


「だから、24時間生き延びて、元の犯罪者生活に戻ります」


 その身の上話は、スラム育ちのハヤトにとって決して珍しい類のものでもなかった。
 だが、セレナの話を聞いて、ハヤトは衝撃を受けていた。
 それはセレナの話の内容に対してではない。
 セレナの能力と、その精神性を理解したことによる衝撃だった。


 ハヤト=ミナセがはるか上空に転送された理由。

 セレナ・ラグルスが近くにいた理由。

 この二つは、繋がっていることに気付いたからだ。


 この優しい少女、セレナは刑務作業に乗り気ではない。
 加えて兎の獣人である彼女は周囲の危険を察知する優れた地獄耳であり、音もなく一瞬にして見る者の視界から脱する軽業師である。
 おそらく24時間の潜伏などあっさりと簡単にやり遂げるだろう。
 誰も殺さず、誰にも殺されず。
 ただ元の監房へ戻っていくだけ。
 何も変わらない、そしてわかり切った結果である。
 では、彼女がこの場にいる意味とは?

 答えはおそらくこうだ。
 ハヤト=ミナセに有効に使わせるため、セレナ・ラグルスはここにいる。


 ハヤト=ミナセは看守から役割を与えられていた。
 他の囚人が打診された「殺し合いを活性化させる役=ジョーカー役」とは別の役。
 刑務作業を脱落した者の死体を確認して回る、ハイエナ役である。

 超力同士がぶつかり合う闘争の場において、死体が必ずしも残るとは限らない。
 逆に言えば、残った死体がなんらかの悪さをしでかさないとも限らない。
 あるいは、看守長オリガの管理さえも欺く輩が現れないとも限らない。

 最近入所してきた、兄貴分を殺したギャングのリーダーを刑務作業に参加させること。
 自身が付けている枷の持ち込みを許され、その「システムA」を10分間起動する権利を得ること。

 この二つを交換条件として、刑務作業への参加を受けたハヤトだが、実のところ看守側からはその役割をあまり重要視されていないことを、事前に伝えられていた。

 看守長オリガ・ヴァイスマンの超力による事態の掌握は十全であり、首輪を始めとする監視のバックアップ体制も手厚い以上、この保険の保険役に意味は薄い。
 おまけに看守側は、すでに多くの囚人に刑務作業中の役割を打診し、ことごとく断られているのだという。
 特殊な技能持ちでもなく、超力もさほど強力でない、そもそも罪人であるハヤトに対し、替えの利かないような役目を担わせるわけにもいかない。

 とはいえ、せっかく盤上に思い通りに動かせる駒を配置するのだから、簡単に脱落されては困る。

 例えば、周囲の危険を察知できるような囚人と協力できれば生存率は高まるだろう。
 相手がお人よしであれば都合がいい。
 出会い頭に弱っているフリなどできれば、うまく懐柔できるだろうか。
 実際にある程度弱っておくと説得力も増すだろう。


 この駒は衝撃を無効化するので、死なない程度に高所から落とし、その様子を目撃させれば自然な流れで両者は合流するに違いない。


 ハヤトは血の気が引く思いだった。
 甲斐甲斐しく看護してくれる少女に対し、居た堪れない思いだった。
 何か言うべきだろうか。
 しかし何を言うべきだろうか。
 口の中が熱く、からからに乾いていた。

 そしてふと、手首のデジタルウォッチが振動していることに気付いた。
 セレナに見えないよう、こっそりと画面を確認すれば、そこには「3」という数字が表示されていた。
 すでに、3人の脱落者が出ているらしい。
 脳裏に、上空から見た爆発と火柱が浮かんでくる。

 ここには、あんなことをしでかす連中がウヨウヨいる。
 自分の身を第一に考えなきゃいけないなんて、ストリートじゃ常識だ。
 でもここはストリートじゃないし、常識なんて通用する世界でもない。
 刑務作業開始からものの数十分で人が死ぬ、地獄の鉄火場だ。

 オレは、それを覚悟して飛び込んでいる。
 だが、この子は……。


「あっ、痛みますよね。でもでも、傷は見当たりませんし、思ったより大事にはなってなさそうです。
 大丈夫、なんとかなりますよ!」



【B-2/港湾/1日目・深夜】
【ハヤト=ミナセ】
[状態]:全身打ち身、疲労(どちらもある程度休めば問題ない)、上裸
[道具]:「システムA」機能付きの枷
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生存を最優先に、看守側の指示に従う
1.まずは回復優先。セレナの看護は大人しく受ける。
2.『アイアン』のリーダーにはオトシマエをつける。
3.セレナへの後ろめたさ。
※放送を待たず、会場内の死体の位置情報がリアルタイムでデジタルウォッチに入ります。
 積極的に刑務作業を行う「ジョーカー」の役割ではなく、会場内での死体の状態を確認する「ハイエナ」の役割です。
※自身が付けていた枷の「システムA」を起動する権利があります。
 起動時間は10分間です。

【セレナ・ラグルス】
[状態]:健康
[道具]:ハヤトの囚人服(上着)、タオル数枚
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.死ぬのも殺されるのも嫌。刑期は我慢。
1.ハヤトの看護に集中中。

024.深淵 投下順で読む 026.chang[e]
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PRISON WORK START セレナ・ラグルス 流星の申し子
PRISON WORK START ハヤト=ミナセ

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最終更新:2025年03月12日 00:06