――”お前が元凶だ“。
 ――“お前が創ったものは”。
 ――“偽りのヒーローでしかない”。

 “男”はかつて、そう吐き捨てられた。
 “男”はかつて、正義を創ろうとしていた。

 ――“お前が全ての元凶だ”。
 ――“お前が奴らを創らなければ”。
 ――“こんな悲劇にはならなかった”。

 それは惨めでちっぽけな、挫折の物語。

 “開闢の日”を経て、世界はすっかり歪んでしまった。
 あの日以来、暴力や混沌は日常と隣り合わせになった。
 変わってしまった日々の中で、それでも正しさを貫こうとするネイティブの少年少女達が居た。

 “男”はある街で、バラバラだった少年少女達を纏め上げた人物だった。
 超力を持つ大人(オールド)世代として、若者達が正しい方向へと進めるように手を貸した。
 自分の超力を生かして、正しい道を往く少年少女をヒーローとして後押しした。

 やがて少年少女達は自警団を作り上げ、平穏な日常を守るために奔走した。
 “男”はその後見人として彼らを支え、時には彼らと共に犯罪と戦い抜いた。

 世話焼きで、面倒見が良くて、明るく振る舞って――。
 自警団の基礎を築いた“男”は、少年少女達から慕われていた。
 いつしか彼らから、若くして“おやっさん”なんて呼ばれるようになった。

 ――“みんな、おかえり”。
 在りし日の“男”が繰り返していた言葉。
 戦いが終わった後、帰ってくる少年少女達をいつもそうやって迎えていた。
 実の家族も同然に、“男”は彼らを見守り続けていた。

 ――“お前達なら何にだってなれる。未来だって創れる”。
 そんなありふれた激励によって、若き力を育てていった。
 “男”もまた彼らの輝きに救われて、これからも絶対に支えると誓っていた。
 血潮が蒸発するほどの情熱を、理想を胸に抱いていた。

 そんな夢は、容易く終わりを告げた。

 かつては正義だった青年――ひとりのヒーローが、いつしか力に飲まれ始めた。
 ヒーローは“男”に育てられ、支えられ続けたことで、己の超力を何処までも高めていった。
 彼は少年少女達の中でも特に資質に優れ、仲間達を先導していた青年だった。
 “男”はその青年を、実の息子も同然に見守り続けてきた。

 しかし青年は、次第に異能の力に心を飲み込まれていった。
 次第に歯止めが効かなくなり、自制をも失っていき。
 後戻りできない一線すらも飛び越えて。
 やがて、闇の底へと転落していった。

 力による屈服。力による支配。正義の拳は、弱者に対する脅威へと変貌した。
 そうして青年は、同じような経緯を持つネイティブ達をも取り込んだ。
 やがて勢力は増幅し、凶行の限りを尽くす“悪の組織”が生まれた。

 その中には、“男”が見守り支えてきた少年少女達が何人も居た。
 彼らは最早、殺人さえ厭わなくなった。
 いつしか自警団は、その“悪の組織”の前身として語られるようになった。

 なんてことはない。ひどく、ありふれた話だ。
 破壊と混沌に塗れた、この世界において。
 若者が力に飲まれ、堕落するのは、よくある話だ。


 後悔と諦念。果てなき絶望。
 お前が悪を此処まで創り上げたのだ、と。
 お前が奴らの限界を壊したのだ、と。
 そんな罪を、誰かが己に突きつける。

 “おかえり”。
 そんな言葉も、使わなくなった。
 もう誰も“男”の元には帰ってこないからだ。

 人間は醜い。人間は下らない生き物。
 その程度のことさえも知らなかった。
 無知故の愚かさが、この結果を招いたのだ。
 “男”は、己を苛める。己に失望する。
 ――――“俺”はつくづく、身勝手な生き物だ。

 やがて“男”は、その魂を乗っ取られた。
 自ら作り上げた、邪悪の外殻によって。
 己自身の手で、己の矜持を踏み躙った。
 自ら作り上げた、紅毒の仮面によって。
 自分の異能で、自分を悪へと創り変えた。

 ”ブラッドストーク“。血に忍び寄る者。
 あるいは――――血に塗れた鸛(コウノトリ)。

 若く幼きネイティブの卵を、血の世界へと運ぶ者。
 彼らを育て上げ、英雄として巣立たせ、苦悩と絶望の中で踊らせる。
 善を嘲笑い、果てなき混沌を齎す、不吉なる紅鳥。

 それでいい。それが己なのだ。
 それこそが、在るべき姿だ。

 だって、そうだろう。
 堕落こそが、人間なのだから。
 信じたところで、報われないのだから。
 ならば、全てを嘲笑う道化になった方がいい。

 この血を蒸発させる“正義の情熱”。
 そんなものは、もう何処にもない。
 身体を流れる血流は、もう凝り固まっている。
 血は滾らず、血は燃え盛らず。
 “蒸血”――そんな言葉は、消え失せた。

『“凝血”。それでいいのさ、俺は』

 紅い血は、悪意と愉悦で凝り固まった。
 穢れし紅鳥は、狂喜と混沌の中で踊る。
 正義を揺さぶる“実験”を始めるのだ。

 ――――どうだ、泣かせる話だろ?

 同情したなら、是非とも恵んでくれ。
 根こそぎ奪って、嗤ってやるからさ。
 蔑みたいなら、是非とも嘲ってくれ。
 お前らの醜さを、全部飲み込んでやるよ。

 閑話休題。ご静聴、感謝いたします。
 麗しきナイスミドル、恵波 流都がお送りしました。




「おっ」

 刑務の舞台である無人島。
 その西部、鬱蒼とした森の中。
 恵波 流都は、木々の隙間から夜空を見上げた。

 微かに照る月と星の光を背負うように。
 その“少女”は、空を翔んでいた。
 子供らしき“何か”を抱えながら、跳躍していた。

 今の時代の人間にとって、夜目が利くのは当然だ。
 故に流都も、空を駆け抜けていく“影”の姿を捉えていた。

 ロングヘアーを靡かせ、黒いレオタードスーツを纏った少女。
 スタイリッシュなバトルスーツやバトルスカートを身に着けたその出で立ち。
 それはまるで、“変身ヒロイン”のようだった。

 そんな姿を見つけて、流都は鼻で笑うように嘲る。
 かつての自分も、堕ちた後の自分も、数々の若者に“ヒーローとしての姿”を与えていた。
 それこそまさに、日曜日の朝方から放映している特撮番組のように。
 チェンジ・ビルド。対象を異なる姿へと変貌させる、流都の超力。

 流都は、その少女を追いかけることにした。
 いつものように、好奇心を満たすために。
 己の望む混沌と布石を作り出すために。
 そして、自らの手で正義を踊らせるために。
 悪しき鴻鳥は、鼻歌交じりに歩を刻んでいく。




 葉月りんかと交尾紗奈は、森の外側で身を休めていた。
 平野との出入口付近にある樹木の傍で、腰を落ち着かせていた。

 このまま森を越えて、平野を跳躍しながら安全地帯を探していくことも考えた。
 しかし遮蔽物のない平野を高速移動していけば、不用意な注目を集める危険性が生じる。
 その結果として他の囚人達、とりわけ好戦的な面々に捕捉される可能性も否めない。

 りんか一人だけならまだしも、彼女の腕には紗奈が抱えられている。
 夜目が利く超力世代の者ならば、夜空を跳ぶ人間の視認も容易いことだ。
 故に彼女達は敵を巻いたことを確認したうえで、一旦外れの木陰に降り立つことにした。

 そして、何より。
 可及的速やかに、済ませねばならないこともあった。

「はい、紗奈ちゃん」

 既に変身を解いたりんかはすっと、“それ”を差し出した。
 無骨で可愛げのない、煤けた色の衣服だった。
 囚人服である。それも、子供が着るようなサイズだった。

「……ありがとう」

 紗奈は、それをおずおずと受け取る。
 何ともむず痒そうに、囚人服へと袖を通していく。

 つい先ほどまで、紗奈は一糸纏わぬ姿だった。
 自らの痴態を見て欲望を抱いた者に作用するという、極めて限定的な超力。
 その異能を行使するために、彼女は自らの衣服を脱いでいた。

 それは紗奈にとって、自らの身を守るための術。
 他人の悪意と情欲に蝕まれ続けた少女にとって、唯一の抵抗の手段。
 奪われないために、奪われる姿を曝け出す。
 そんな歪んだ矛盾に満ちた、呪縛のような力。

 バルタザール・デリージュから逃れるべく、りんかは紗奈を連れて跳んだ。
 咄嗟の行動だったし、なりふり構う暇もなかった。
 だから衣服を着ていないままの紗奈を抱えて逃げるほか無かったのだ。
 彼女の囚人服を確保することができたことは幸いと呼べたが。

 そうしてりんか達は身を休めて、ようやく紗奈に服を渡すことが出来たのである。
 両手両足を拘束していた手錠も、既に外している。

「ねえ、紗奈ちゃん」
「うん」
「いつも、あんな簡単に脱いじゃうの?」

 囚人服を着込んだ紗奈が、りんかの眼差しを見つめる。
 つい先程、初めて出会った時のことだった。

 紗奈はなんの躊躇いもなしに服を脱いで、自ら拘束された姿を見せつけていた。
 まるで誘惑するかのような痴態を、りんかに対して差し出していた。
 りんかだけではなく、自分達を襲撃してきた男にさえも。
 そんな紗奈の姿を振り返って、りんかはそう聞いた。

 りんかの目は、紗奈をじっと見ている。
 義眼と生身の眼が、紗奈の顔を見つめている。
 その眼差しに宿る感情を受け止める前に、紗奈は思わず目を逸らす。

 そして紗奈は、どこかばつが悪そうに俯き。
 ほんの少しだけ沈黙してから、それらしく口を開いた。

「まぁ……慣れてるからね」
「そ、そうなんですか……」
「慣れでしかない、結局は」

 そう、いつものことだから。
 いつだって、やっていることだから。
 変わりはしない。それだけが自分の生きる力だから。

「紗奈ちゃんは、大丈夫なの?」
「大丈夫とか、大丈夫じゃないとか……そういうんじゃないよ」

 案ずるようなりんかに、紗奈は素気無く答える。

「さっきも言った通りなの」

 紗奈にとっては、何処だって同じだった。
 家族に売り飛ばされてからも。
 あちこちで“飼われる”ようになってからも。
 この刑務所で“保護”されるようになってからも。

「私はね」

 結局は、何も信じられないし。
 みんな、自分を“そういう目”で見てくる。
 そんな連中に、自分は“そういう姿”を晒す。
 弄ばれる時も、抵抗する時も、同じだ。

「こうやって、ずっと大人達から……」

 だから、紗奈は淡々と答える。
 ごく当たり前のことを語るかのように。

「自分の身を守ってきたから」

 そうやって生きてきた自分の境遇を、静かに噛み締めた。

「……だから、慣れてるの」

 そんな言葉を吐く自分に、胸がちくりとした。

「別に大丈夫。いつもそうしてる」

 普段なら、何とも思わないはずなのに。
 普段なら、とうに諦めてるはずなのに。

「私は、慣れてる」

 自分に寄り添って、守ってくれた少女に。
 りんかに対して、こう告げることに。
 紗奈の胸は、痛みを感じていた。

 そうして紗奈は、再びりんかの目を見た。
 何故だか、少しだけ顔を上げてみたくなった。

 大人達は、みんな“そういう目”だ。
 下卑た欲望に塗れて、此方を品定めして。
 その牙を剥いて、貪る瞬間を待ち侘びている。

 だから、初めてだった。
 紗奈を見つめるりんかの“目”には。
 夕焼けのような悲しさが、遣る瀬無さが宿っていたから。




 交尾紗奈は、ひどく魅力的だった。

 最初に出会ったときも、可憐だと思ってしまった。
 微かな情欲さえも、くすぐられかけるほどに。
 ほんの少しでも、支配欲のようなもの首をもたげるほどに。
 紗奈という少女には、目を奪われる愛らしさがあった。

 かつて搾取され続けてきた葉月りんかが。
 そう思ってしまうくらいに、この少女は。
 “誰かを悦ばせること”に、慣れていた。
 “誰かを惑わすこと”に、慣れていた。

 何処からどう見ても、紗奈は“子供”だった。
 せいぜい10歳ほどの、幼い少女だった。
 本来なら小学校に通っているくらいの年齢のはずだ。

 そんな少女が、このアビスに収監されている。
 世界の果てと言われる刑務所で、囚人になっている。

 どこかで、噂を聞いたことはあった。
 アビスは単なる犯罪者の収容施設に留まらない。
 地域の法律や秩序では扱い切れない者。
 やむを得ぬ事情で裁かれることになった者。
 制御できない超力を持つなどの理由で、社会的な保護へと至った者。
 そういった事情を持つ者も、少なからず存在するという。

 だからアビスには、犯罪者らしからぬ囚人もいて。
 未成年の受刑者も、そう珍しくはないのだという。

 ならば、この少女は。
 紗奈は、どんな事情を背負っているのだろうと。
 りんかは、思いを馳せる。

 紗奈と初めて出会ったとき、りんかは感じ取った。
 この娘は私と同じだ、と。
 苦しみの泥濘の中をもがいているのだ、と。

 ――“やめて!触らないで!”
 ――“もうイヤッ!”
 ――“痛いのも恥ずかしいのも!!”

 あのとき、紗奈は。
 そんなふうに取り乱していた。
 涙を流して、必死に叫んでいた。

 ――“みんな全部全部大キライっ!”
 ――“静かなところに行きたい!”
 ――“一人になりたい!!”

 これほどまでに幼い少女が。
 そうやって、他者を拒絶していたのだ。


 紗奈がどういう経緯で、アビスにいるのか。
 出会ったばかりのりんかには、知る由もない。
 しかし、それでも察せられることはあった。

 この女の子は。この少女は。
 自分を差し出して、誰かを魅惑することに。
 ひどく、慣れてしまっていて。
 取り乱してしまうほどの境遇の中に置かれて。
 そんな世界の中で、生きていたということ。

 かつての自分の姿が、りんかの脳裏を過ぎる。
 人ですらなくなっていた、在りし日の自分のことを。
 あのとき、りんかは“モノ”になっていた。

 葉月りんかは、決して超人ではない。
 彼女はジャンヌ・ストラスブールのような逸脱者ではない。 
 ――肉体と精神の鼓舞、そして強化。
 その超力が無ければ、りんかはとうに壊れている。

 りんかが今なお正気を保っていられるのは、異能によって彼女自身の精神が護られたからだ。
 ある意味で彼女もまた、超力と人格が直結するネイティブ世代の在り方を体現しているのである。

 そして、だからこそ。
 りんかは直向きな姿勢で、善性を貫こうとする。
 痛みと苦しみを知っているからこそ、誰かの葛藤に寄り添おうとする。

「紗奈ちゃん」

 りんかが呼び掛けたのも、そんな想いからだった。
 そして――りんかの脳裏を、過去という影が目まぐるしく駆け抜けていく。
 あの日々の残像が、今もなおりんかの記憶で夥しい反響を繰り返す。

「りんか?」
「ね、聞いて」

 そうしてりんかは、紗奈の両肩へと触れた。
 紗奈は目を丸くして、幾らかの驚きを見せる。

「やっぱりさ」

 それから、矢継ぎ早に。

「やめよう?ああいうの」

 りんかは、紗奈へとそう告げた。
 その声色に、切実な感情を込めて。

「“やめよう”、って……」

 紗奈にとって、思いも寄らない言葉で。
 呆気に取られたように、そんな反応を返した。

「紗奈ちゃん。やめよう」

 その言葉が意味することは、紗奈にも理解できた。
 りんかの眼差しが訴えかけることを、察していた。

 紗奈は、自らの超力による自衛が半ば当たり前になっていた。
 自分の周りには、いつだって欲深くて汚い大人達が近寄ってくる。
 誰も彼もが下卑た眼差しを向けて、自分に触れようとしてくる。
 ――だから、身を守らなければならなかった。
 超力を駆使して、自分で自分を護らねばならなかった。

 そして数々の囚人達が入り乱れるこの刑務において、尚更自分はこの力を頼らざるを得ないのだろうと思っていた。
 例えその手段が貞淑とは程遠いものだとしても、それだけが紗奈にとっての生きる術だったから。

 紗奈自身も、そんな行いに慣れてしまっていた。
 躊躇いなんてものは、失って久しかった。
 だからこそ彼女は、ただ戸惑っていた。

「でも……万が一の時が」
「万が一じゃなくてさ」
「そうしないと、超力が……」
「守るから。私が絶対に」

 りんかの言うことは非合理的で。
 その言葉は、要領を得なくて。
 けれど、ひどく切に願うかのようで。
 りんか自身も、矛盾を分かっている様子で。
 戸惑いと動揺の中で、微かに震えていて。

「……私が、守るから……ね?」

 りんかの口から。
 絞り出すように吐き出された言葉が。
 紗奈の胸に、静かに染み込んでくる。

 紗奈は、困惑の中でりんかをまじまじと見た。
 片側が義眼になっている両目が、紗奈の顔を真っ直ぐに見つめている。
 その眼差しも、声色も、ひどく切実な感情を込められていた。

 何か、ざわつくものがあった。
 心の奥底で、揺れ動くものがあった。
 不思議な感情が、静かに押し寄せてきた。

 同時に、りんかがどうしてアビスにいるのか。
 彼女のような人物が、なぜ収容されているのか。
 紗奈は、疑問に抱いて――その経緯に思いを馳せて。

「……それでも、もしもの時は使うから」

 そのうえで、紗奈は戸惑いながらも。
 りんかに対して、おずおずとそう伝えた。
 あくまで必要性に訴えかけるように。
 いつものように、身を守る術として使う為に。

 けれど――その言葉を紡ぐとき。
 紗奈の胸の内で、ちくりと痛むような感覚があった。

「紗奈ちゃん……」

 紗奈を見つめるりんかは、視線を落とした。
 やるせなさを胸に抱くように、声には悲しみが籠もっていた。
 そんなりんかを見つめて、紗奈の心に負い目のような思いが浮かび上がる。
 胸に刺さった痛みは、まだ微かに痺れている。
 そうして互いに、なにか一言でも相手に伝えようと口を開いた矢先――。


「――――よっ」


 飄々とした男の声が、割り込んできた。
 木々の隙間から、ぬらりと現われるように。
 その中年の囚人、恵波 流都は二人の少女と相対した。




 りんかは、身構えるように息を呑んだ。
 紗奈は、思わぬ来訪者に戸惑いを見せた。
 “死刑”の首輪を備えた男が、余裕綽々に歩を刻む。

 流都は――悠々とした笑みを浮かべながら、少女達の前へと躍り出る。
 そして流都は、りんかの義手義足を一瞥し。

「やっぱりな。葉月りんか、だろ?」
「えっ?」

 りんかの名を、すぐに言い当ててみせた。
 その瞬間、思わずりんかは動揺を見せる。
 彼女はまだアビスに収監されてから二週間しか経過していない。
 “自分の名前が他の囚人に知られている”という経験に、彼女は慣れていなかった。

 そして、りんかは分かっていた。
 自分がどのように語られているのかを。
 心の何処かで察していたから、微かにでも揺さぶられた。

「貴方は――」
「裏で、噂には聞いてたぜ」

 そんなりんかの不安を突くように。
 流都は軽薄なリズムで、言葉を続けていく。

「――拉致され、陵辱され、そして洗脳までされた。
 件の犯罪組織に徹底的に蹂躙された挙句、アビスへと送られた少女。
 今もこうして生きているのが不思議なくらいの犠牲者」

 葉月りんかという少女を襲った、壮絶なる体験。
 まだ10代半ばの子供でありながら、過酷な運命を辿り続けていた。
 彼女が歩んできた道筋を、流都は他人事のように要約する。

「その手足も、そんときに散々弄ばれた結果だろ?
 酷いモンらしいからなァ、そういう連中の“遊び”ってのは。
 俺もいっぱしの犯罪者だからな。噂は何度も聞いてるさ」

 他人事のように言っているが――流都は、りんかのことを知っていた。
 何故なら彼は、りんかを拉致した“犯罪組織”との繋がりがあったから。

 混沌を求めて暗躍する流都は、各所で闇の世界との接点を持つ。
 その中で、組織的な人身売買のルートを目にしたことは何度もあった。
 家族全員が殺害、または拉致され、組織の慰み者になった少女についても聞いたことがあった。

 正義の集団に敗北し、服役へと至る前。
 流都は裏社会の“ビジネス”の中で、偶々りんかを目にしたことがあったのだ。
 当時は、社会の闇に放り込まれた“哀れな人形”の一人程度にしか認識していなかったが。
 その後、りんかの噂はアビスでも聞くことになった。

「で、あんたの裁判も盛り上がったそうだな?
 罪の是非について聴衆が大騒ぎしたくらいに。
 そして、団体がその手足の慈悲を送った程にな」

 動揺を隠せないりんかに、畳み掛けるように告げる流都。
 彼が掴んでいるりんかの“情報”は、あくまで断片的なものに過ぎない。
 殆どが噂話か、多少聞き齧った程度の事柄でしかない。

「まさに――悲劇的って奴だよなァ。
 こんな刑務所には似つかわしくない“犠牲者”だ」

 しかし流都は、まるで“腹の底まで見通している”かのような口振りで語る。
 その巧みな話術で、少女の焦燥感へと土足で踏み込んでいく。
 全てお見通し。お前のことを何でも知っている。
 そう言わんばかりの態度を取り、自らが場の主導権を握る。

「挙句、こんな刑務への参加まで強要されちまってる。
 果たしてこれは追い討ちなのか、あるいはチャンスなのか、ってな」

 飄々と不敵に、そして食わせぬ素振りで。
 巧みに支配するように、言葉を並び立てる。

「――――俺はこれを、チャンスと考えている。
 アビスの狂った支配から解き放たれる為のな」

 この男にとって、口八丁は何よりも得意分野だった。

 言葉を失うりんかを、紗奈は困惑と共に見つめていた。
 ――目の前の男が粛々と語った、彼女の経緯。
 拉致。陵辱。洗脳。その壮絶な言葉が、脳裏で反響する。
 自分を支えようとする少女は、徹底的に蹂躙された果てに地の底まで辿り着いたのだと。
 紗奈は、思わぬ形で知らされることになる。

 紗奈はただ、りんかに視線を向けていた。
 唖然とする彼女の姿を、何も言わずに見ていた。
 前向きで、おせっかい焼きで、何処か眩しさがあって。
 そんな少女が背負ってきたものを、沈黙の中で噛み締めていた。
 そのことに対する感情を、紗奈は上手く整理できない。

「……貴方は、何なんですか?」
「おっと、名乗るのを忘れてたな。失礼したぜ。
 俺は恵波 流都。しがないナイスミドルの犯罪者さ」

 微かに震えるりんかの口元が、辛うじて言葉を紡ぐ。
 不安と困惑を滲ませるりんかの様子に、流都はお構いなしの態度で軽妙に名乗る。
 戯けた様子で会釈して、りんかの側にいる紗奈にもひょいと片手を上げて挨拶。
 思わず紗奈は面食らって、僅かに後ずさった。

「葉月りんか。お前はこの場で何を求める?」

 そして、当惑の中に立たされていたりんかへと向けて。
 流都は、先程までとは違う――真剣な眼差しで問いかける。

「私が、何を求めるか……?」
「そうだ。先に言っておくが、俺はこの刑務に立ち向かいたい。
 囚人達をゲームの駒として競わせるなんて、以ての外だ。
 だからこそ、お前のような人間と会えて良かったと思ってる」

 ふいに心を貫くような言葉に、りんかは思わず気圧された。
 そのまま流都は、彼女が思考する隙を与えない。

「悪の組織に囚われ、凌辱の限りを尽くされた。
 家族を全て奪われ、お前は数年に渡る地獄に身を置いた。
 しかも、戦場では末端の犬として利用されたんだろう?」

 再び、流都は捲し立てる。
 自らの言葉に、りんかを釘付けにする。
 異なる点があるとすれば、その目にはもう軽薄さは宿っていない。
 真っ直ぐに、真摯な意思を込めて、流都はりんかを見据えている。

「だが、それでもお前の“正しい心”は消えていないらしい。
 その子を守り、寄り添っていることからしてすぐに分かった」

 そして彼は、りんかの意志に理解を示すように言った。
 そのまま矢継ぎ早に、紗奈へと視線を動かした。

「お前なら、もう分かっているだろう?
 そんな幼い少女まで放り込み、殺戮の刑務を強要する“アビス”の異常性を」

 そう、流都の言っていることは間違っていない。
 囚人達に何一つ拒否権を与えず、このような刑務を強要している。
 あらゆる刑罰を背負う者達を無造作に集め、互いに争い合うことを促している。
 それは、紛れもない事実なのだから。

「囚人達よりも、奴らの方が余程狂っている」

 その疑念に差し込むように。
 流都は、そう断言した。
 その眼差しに、確固たる怒りを込めて。

 りんかの頬に、一筋の汗が流れる。
 流都が熱弁する言葉に、理解を示していく。
 彼の言う通りだと、思ってしまった。

 この刑務は、紗奈のような少女さえも放り込まれている。
 拒否権も何もなく、誰もがこの争いの盤面に引き込まれている。
 “刑務”としての正当性を疑うべきなのは、当然のことで。

「――――なあ、葉月りんか」

 そして、流都の眼差しがりんかを射抜いた。
 まるで心に銃弾を撃ち込むかのように。
 彼女の意思に生じた隙に、潜り込むように。


「その魂がまだ死んでないのなら、立ち向かえ。
 その血が今も滾っているのなら、戦い抜け。
 お前にとって真に正しいことを貫け!」

 流都は語る。流都は説く。
 反抗の意思。叛逆への勧誘。
 この刑務へと立ち向かうことを、りんかに促す。
 この刑務の過ちを共に正すことを、りんかに求める。
 彼女の中に宿る正義に、流都は訴えかける。

「俺は、お前の持つ強さを買っている。
 だからこそ、こうしてお前に伝えているんだ。
 お前なら、奴らの作り出した壁を打ち砕ける。
 俺はそれを信じている。何処までもな」

 りんかは、何も言えない。
 流都の言葉は、踊るようにステップを踏む。
 流都の演説が、舞うように躍動を刻む。


「そして、この地の底から這い上がって――――」
「ウソ、だよね」


 しかし。
 そんな彼の言葉に、割り込む者がいた。
 りんかの側にいた紗奈が、口を挟んだのだ。

「あの……あなた」

 紗奈は、おずおずと口を開く。
 不安を滲ませつつも、それでも流都を見据える。
 ここで止めなければ、りんかは飲み込まれてしまう。
 そう察したからこそ、紗奈は声を上げた。

「りんかのこと……」

 紗奈は、気付いていた。
 流都がりんかを懐柔していることを。
 その言葉で、操ろうとしていることを。

「都合よく、動かそうとしてない?」

 だって、眼前の男からは。
 紗奈が散々嗅いできた“匂い”がしたから。

 つまり、取り繕った笑みを浮かべる大人。
 優しげに歩み寄りながら、己の利益と欲望を満たそうとする。
 そんな醜い連中と同じ気配が、鼻を突くほどに漂っていた。

 交尾 紗奈は、壮絶な境遇に置かれていた。
 りんかのように、希望を掴めなかった。
 それ故に、他者への強い不信感を持っていた。
 だから“怪しい大人”には、人一倍敏感だった。

 そして、紗奈は。
 りんかを助けなければならないと。
 無意識のうちに、思っていた。

 初めて出会った時に、助けてくれたからか。
 自身と同じような境遇が、見え隠れしたからか。
 あるいは、誰も言ってくれなかった“言葉”を伝えてくれたからか。
 その答えは、分からない。紗奈にも飲み込みきれない。

 けれど今、確かなことは。
 紗奈は、呆然とするりんかのために動いた。
 彼女を寸前のところで、引き止めたということだ。

 その時、流都はふと。
 眼の前にいる幼い少女が誰なのか。
 ようやく、思い出したのだ。

「なぁ、嬢ちゃん」

 交尾 紗奈。
 裏社会の玩具。幼き死神。
 ある形で怖れられる、穢された少女。

「気付くのに遅れちまったぜ」

 その被害の数々に反し、彼女の姿を知る者は案外と少ない。
 何故ならば、それは。

「――『死神』だろ?」

 彼女を目にした者は、大抵この世を去っているから。
 そして彼女の存在は半ば噂同然に流布され、裏社会の巷では徹底して認識を避けられていたから。
 だから流都は、紗奈の正体に気付くまでに時間を要したのだ。
 それでも――幼くしてアビスに収監され、自分の本性を見抜いてみせた少女に対し、ふと心当たりを抱いた。

「全く。余計な茶々挟むなよ」

 家族に売り飛ばされ、犯罪組織に陵辱の限りを尽くされ。
 やがては死を齎す玩具として、闇の世界を彷徨い続けた少女。
 彼は、目の前の幼子の正体を察した。

「――――い、や」

 半ば直感のように、紗奈は危機を抱いた。
 そして自身を『死神』と呼ぶ男に、恐怖を抱いた。
 紗奈は動揺と焦燥を顔に滲ませて、取り乱しかけて。

 思わず自身の服に手を掛けて、その素肌を曝け出そうとした。
 自らの痴態を“他者”に見せつけることで、超力を発動しようとした。

 ――誰かに剥ぎ取られて、奪われる。
 ――奪われないために、自ら剥ぎ取る。

 紗奈の異能は、いつだって自分自身の摩耗を求められる。
 諦めても、足掻いても、彼女の心は苦痛と恐怖に抉られる。 

「散々慰み者になったのに、まだ見せ足りないか?」

 しかし、次の瞬間。
 流都の右腕から、赤黒い鞭のようなものが伸びる。
 それは風を切るような勢いと共に、紗奈へと向かっていく。

「生憎、お前みたいな“モノ”に興味はねえのさ」

 先端が刃のような鋭さを持った、紅い触手だった。
 例え“戦闘形態”にならずとも、能力の一端を行使することができた。
 その凶器が、紗奈の胸を勢いよく貫かんとした。

 そして、その光景を目の当たりにして。
 咄嗟に動き出した、一人の少女がいた。




 幼い頃、お姉ちゃんと一緒によく“特撮ヒーロー”を見ていた。
 それは“開闢の日”よりもずっと昔にやっていた作品。
 日本が昭和っていう年代だった頃の、すごく古い番組。

 刑事だったお父さんは、そんな古き良き時代のヒーローが大好きだった。
 趣味がお年寄りみたいで渋すぎるとか、お母さんはよくお父さんさんを笑っていたけれど。
 ある日お父さんに誘われて、私も一緒に見ることになって。
 気が付けば、私もその作品にのめり込んでいた。

 機器を起動して、映像の再生を開始して。
 そして私はいつも、テレビへと釘付けになる。
 お父さんは仕事で忙しくて、中々一緒に見られなかったけど。
 お姉ちゃんは、そんな私によく付き合ってくれた。

 その“ヒーロー”は、哀しみを背負っていた。
 ただの学生だった彼の日常は、ふいに終わりを告げた。

 悪の組織によって、連れ去られて。
 その身体を弄られて、改造されて。
 人間じゃなくなって、悪の尖兵にされかけて。
 けれど心を失う前に、何とか逃げ出して。
 苦悩と葛藤を抱きながら、それでも戦い続ける。

 そんな“ヒーロー”の姿を、幼い私はじっと見つめていた。
 大災害でたったひとりだけ生き延びてしまった私は、正義のために戦う彼を見つめ続けていた。
 孤独を秘めながらも、それでも正しいことのために走り続ける。
 その姿に、私は大きな勇気を与えられていた。
 こんな生き方も、肯定して良いんだ――って。

 ああ、今になって思えば。
 奇しくも、同じような道を辿っていた。

 犯罪組織によって、家族もろとも囚われて。
 身体を壊されて、徹底的に弄ばれて。
 もう人としての形さえも失って。
 抵抗しても、逃げ出せなくて。
 心を支配されて、尖兵に成り果てて。
 やがて助け出されて、機械の四肢を貰って――。

 改造人間。悲哀を背負う、人ならざるもの。
 違いがあるとすれば、私はもうアビスだけが私の生きる道で。
 懲役という手段でしか、誰かに尽くせなくなったこと。
 けれど、ここまで堕ちても“誰かを救える”から、私は走り続けられる。

 そして、刑務が始まった。
 24時間にも及ぶ、恩赦の奪い合い。
 誰もが命を懸けて、争わねばならない。
 私たちは、そんな舞台へと放り込まれた。

 “刑”とは、何のためにある?
 贖いのためだ。救済のためだ。
 踏み外した道を、やり直すためだ。

 私は、“あの男”に飲まれかけていた。
 並び立てられる言葉に、支配されかけた。
 けれど紗奈ちゃんが、助けてくれた。
 何かに飲まれかけた私を、“あの娘”が引き戻してくれた。
 傷つき、苦しんでいた、この小さな女の子が。

 だったら――私も、踏ん張らなきゃいけない。
 自分がなすべきことを、やらなければならない。

 私がまだ、私でいられるのなら。
 今度こそ、誰かに手を差し伸べる存在になりたかった。
 私の手を握ってくれた、お姉ちゃんのように。
 私を救ってくれた、正義の超力集団のように。

 仮面を被り、バイクに跨る。
 あの特撮番組の“改造人間”のように。




 紅毒の一撃が、紗奈を貫くことはなかった。
 紗奈の超力が、敵を制することもなかった。

 何故ならば。
 紗奈を守るように。
 紗奈を庇うように。

 その少女が、立ちはだかっていたから。
 紗奈に対し、背中を向けた姿で。
 葉月りんかは、紅の触手を両腕で防いでいた。

 刃のように鋭い触手の先端は、りんかの前腕に突き刺さっている。
 しかし肉を貫く寸前の所で、その侵入が堰き止められていた。
 自らの“超力”による鼓舞により、彼女の肉体は強化されている。
 触手より溢れ出る毒をも、辛うじて跳ね除けることを果たしていた。

「紗奈ちゃん」

 そしてりんかが、振り返った。
 義眼の右目が、紗奈を見つめる。
 その衣服は乱れかけて、すぐにでも自分の服に手を掛けようとしていた。

「もういいんです」

 自分自身の服を剥いで、その素肌を曝け出そうとしていた。
 醜い欲望によって酷く摩耗した身体を、再び使おうとした。
 けれど、りんかは。
 そんな紗奈に対して、そう語りかける。

「そんなこと……してほしくない」

 義眼の眼差しが、微かに揺れる。
 声が震えて、苦悩と悲嘆を帯びる。

 “こうやって、大人達から身を守ってきた”。
 “もう痛いのも恥ずかしいのも嫌”。
 “みんな、大嫌い”。

 紗奈にそんな思いを抱かせた境遇に。
 りんかは心から憤って、哀しんでいた。

 なぜなら、葉月りんかも。
 同じ地獄の中に置き去りにされていたから。
 同じ悪夢の中で泣き叫んでいたから。
 同じ絶望の中へと沈められていたから。

 人としての魂を徹底的に穢される、最も忌むべき世界に堕ちていた。
 人としての尊厳を奪い、只管に踏み躙っていく、闇の底に放り込まれていた。
 ずっと、ずっと、仄暗い籠の中にいて、暖かな空さえも仰げなかった。

 人間が“モノ”に成り果てるのは、酷く容易いことなのかもしれないけれど。
 彼女達は、決して“モノ”になんかなりたくなかった。

 それこそが、彼女達を苦しめて。
 それこそが、彼女達を苛めて。
 それこそが、唾棄すべきもので。
 それこそが、否定しなければならないものだった。
 ――――それは、闇だ。本当の悪だ。

 だからこそ、りんかは。
 絶対に、何があっても、紗奈に伝えたかった。
 りんかは、身も心も裂く痛みを知っていたから。

 葉月りんかという15歳の少女は。
 もう、子供すら産めないのだから。

 何も言わず、何も言えず。
 紗奈はただ、振り返るりんかを見つめていた。
 唖然としたように。胸の奥底の何かが、揺れ動くように。
 言葉を失ったまま、紗奈はりんかの後ろ姿を見上げていた。

 紗奈は、口を開こうとした。
 けれど、うまく言葉が出てこなかった。
 ざわつくように、心は震えていた。
 波が押し寄せるように、想いは脈を打っていた。

 その義眼から滲み出る悲しみは、怒りは。
 まるで、自分と同じように見えて――――。

「待ってて。紗奈ちゃん」

 やがて紗奈に対し、りんかは告げる。
 妹を優しく宥めるように、微笑みながら。
 少女は再び前を向き、“敵”と相対する。

 紗奈は、そんなりんかに呼び掛けようとして。
 ――得られることのなかった“姉”の温もりを幻視して。
 けれど躊躇うように踏み留まり、再び沈黙をした。

「――流都さん。私が何を求めているのかと、さっき聞きましたね」

 そしてりんかが、対峙する。
 紅毒の攻撃を仕掛けた“相手”に対して。

「私は、“誰か”の救いになる為に走ります。
 紗奈ちゃんや、かつての私のように。
 心の何処かで、手を差し伸べられることを望んでいる人がいるから。
 そんな人たちが、きっとこの場にもいるから」

 先程までとは、違う。
 流都に飲まれかけた時の動揺は、既に振り払った。
 紗奈に守られ、紗奈を守ったことで、りんかは己を取り戻した。
 自らの望みを、はっきりと告げたのだ。

 自身に再起の機会を与えてくれたアビスに、感謝はしている。
 けれど、この刑務の是非はまた別の話であることも確かだ。
 その点に関しては、流都の言う通りだった。
 彼らは受刑者達に拒否権も与えず、この刑務に引き摺り込んでいる。
 それは否定しようのない事実だった。

 彼らの思惑が何処にあるのか、一体何にあるのか。
 それを見定める必要はあると思っている。

 その上で、今は自分に出来ることを貫きたいとりんかは考えた。
 罪や葛藤を背負い、苦しみ続けている誰かの力になれることを願っていた。
 そう――すぐ傍にいる、紗奈のことも支えたかった。


「私の方からも、改めて聞かせてください。
 貴方は、何を求めているんですか?」

 そしてりんかは、相手にも問いかける。
 この刑務を通じて求めるものを、問い質す。
 流都は飄々と佇み、嘲るような笑みを見せる。

「おいおい、さっきも言っただろ?
 俺はアビスの連中が気に入らない――」
「答えてください。お願いします」

 何処か煙に巻くように言葉を紡ぐ流都だったが。
 りんかはあくまで毅然と、彼に問いかける。
 後ろに座り込む紗奈を庇うように、りんかは凛として立つ。

「はッ」

 真っ直ぐに此方を見据えるりんかを、流都は嘲笑と共に眺める。
 悠々とした態度のまま、口を開こうとした。
 いつものように、欺瞞で塗り固めた言葉を吐こうとした。
 嘘八百、戯言。それが十八番なのだ。

「別に――――」

 いつもと同じように。
 そんな口を開きかけて。
 しかし、途中で踏み止まった。
 彼は思う。こんなことをしても、今は意味がない。
 欺きが通用する場面ではない。

「――――いや」

 既に本性は勘付かれている。
 己の腸の底を、あの“幼い死神”は悟っている。
 己が煙に巻いていることを、目の前の少女は察している。
 この少女達の前で取り繕った所で、最早意味はない。

「そうだな。観念してやるか、大人しくな」

 だったら、誤魔化す必要もない。
 開き直り、堂々と告げるのみだ。

「俺は、混沌が欲しいだけさ」

 恵波 流都――超力犯罪組織の幹部。
 数々の若きネイティブ達を翻弄し、苦悩と絶望の底へと沈めた“悪魔”。
 善と悪の境界線で踊り続け、全てを嘲笑っていく“道化師”。

「愚かな人間が、その愚かさの為に身を滅ぼす。
 身勝手な連中が、自らの業によってこの星をも腐らせる。
 その瞬間が見たいだけだ。俺は、然るべき結末への後押しをしてやるのさ」

 彼が求めるものは、破壊と混沌。
 彼が振り翳すものは、底知れぬ悪意。
 りんかやソフィアを焚き付けたのも、結局はこの舞台に更なる嵐を呼ぶ為に過ぎない。
 受刑者と刑務官の殺し合いをお膳立てする為の、扇動に過ぎなかった。

「そう、人間の醜さへの報いってヤツだ。
 俺よりずっと地獄を見てるお前なら、よく分かるだろ?」

 己の破滅的な目的のためには、何もかも踏み躙っていく。
 まるで神話に登場する悪神ロキのように、愉悦へと溺れる。

「刑務と同じなんだよ」

 そして、数多の凌辱を受けた少女に、囁きかける。
 己はただ、人間の醜さが生む“結果”を突き付けているだけなのだと。

「大罪にこそ、相応しい罰が必要なのさ」

 その根底が、その始まりが、如何なるものだとしても。
 悪しき追跡者――紅き血の鸛は、紛れもなく邪悪だった。
 そうして流都は、混沌を求め続ける。

「貴方は……」

 そんな流都の言葉を、りんかは聞き届けて。
 唇を少しだけ噛み締めるように、彼を見つめる。

「哀しい人なんですね」

 やがて手向けたのは、そんな一言だった。

 そこに侮蔑や嘲笑の意味合いなど無く。 
 心の底から、りんかはそう告げていた。
 純粋なる想いで、彼女は目の前の男に哀しみを抱いた。

 何故ならば――そんなことを謳うほどに。
 そんなことを求めるまでに。
 この“男”は、人間を否定しているから。
 そんな絶望に至るだけの道筋を歩んでいると、りんかは悟ったから。

「ああ、哀しいだろう?」

 されど流都は、自らに向けられる哀れみを軽やかに受け流す。
 好きに言うと良い。好きに宣えば良い。
 その程度で動じることなど無い。
 既に己の魂は、毒に蝕まれて腐っているのだから。

「俺は、その哀しみを喰らい尽くすだけだ。
 全ては道楽。混沌へと向かう布石に過ぎないのさ」

 だからこそ、流都は嘲笑う。
 無垢なる餞を足蹴にし、享楽の使徒で有り続ける。
 その心の闇は、もはや善で癒すことなど叶わない。
 彼はただ世界(ほし)を破滅へと誘い、そして踊り続ける。

「だったら――――私は!!!」

 そして、それ故に。
 流都が最早踏み留まらないことを、悟ったが故に。

「貴方を、止めますッ!!!」

 葉月りんかは、声を張り上げて宣言した。
 悪の道を歩む罪人を、この手で止めると告げたのだ。

「ははははっ!!勇ましいねえ、日曜の朝っぱらのヒーローみたいだなァ!!」

 流都は大仰に両腕を広げ、わざとらしく笑ってみせる。
 眼前に突きつけられた善性を小馬鹿にするように、彼は口元を不気味に釣り上げる。

「いっそテレビ局にでも売り込んでみたらどうだ?
 尤も、そんなデカい胸ぶら下げてちゃ格好も付かねえだろうがな」

 彼女の豊満な胸を一瞥して、軽口と共に挑発する流都。
 しかしそんな流都に対して、りんかはバシッと胸を張る。

「なんでこんなに、大きいと思いますか!?」

 精一杯の意地を張るように、毅然とした表情で流都をキッと見据えた。

「勇気と希望が!!詰まってるんですよッ!!」

 そして――勇ましく、啖呵を切った。
 限りなく陳腐に、しかし限りなく前向きに。
 正義の味方らしく、堂々たる姿で、彼女は敵と対峙した。

 そんな彼女の言葉を、流都は蔑むように鼻で嗤う。
 それから両腕を広げて、大袈裟に拍手をした。

「粋な台詞だねぇ。感動しちまうよ」

 まさしく、ヒーロー気取りだった。
 まさしく、善性で駆け抜けるネイティブの少女だった。
 幾度となく目にしてきた、有象無象の若者と同じだった。
 自分の腸に血肉が詰まっていることに気付きもしない、無知で愚かな“英雄の卵”。

 こうした若者達を、何人も貶めてきた。
 こうした若者達を、幾人も突き落とした。
 時に破滅へと導き、時に理解者のふりをして嘲笑い。
 “おやっさん”と呼ばれながら、暗躍を続けてきた。

「――ウルッと来ちまうくらいにな」

 そんなふうに、戯けてみせた。
 涙など、とっくの昔に枯れている癖に。
 感傷など、遥か過去に踏み躙った癖に。
 “男”は既に、魂まで腐り切っている。

「いいぜ。今回は特別サービスだ」

 ――それでも。
 心の何処かで引っ掛かるものがあったのか。
 あるいは、何かの未練のようなものがあったのか。
 その答えは、彼自身にもきっと分からない。

「ちょいと付き合ってやるよ。
 夢見る少女の“ヒーローごっこ”にな……!」

 流都は――真正面から“正義”を潰すことを宣言する。
 過去の残影を徹底的に踏み躙りに行くかのように。
 そして、自らが何者であるのかを規定するように。

 己は、悪魔であり。
 己は、破壊者である。
 故に、此処で叩き潰す。
 この善なる光を、此処で摘み取る。
 制御の出来ない駒など、要らない。

 流都が、その身を構えた。
 それに呼応するように。
 りんかもまた、胸の内より力を引き出した。

 一瞬、りんかは振り返った。
 自身の後ろにいる、守るべき者の姿を。
 紗奈は何も言わず、りんかの背中をただ見つめている。
 戸惑いを見せながらも、決してりんかから目を離さない。

 そんな“妹”の姿を見て。
 りんかの胸の内に、炎が宿った。

「――『シャイニング・ホープ・スタイル』!!」
「――『ブラッド・ストーク』!!」

 両者の掛け声が、重なるように交錯する。
 互いの“戦闘形態”へと移行すべく、その身に超力の光を纏う。

 燃え上がる想い。炎となる情熱。
 渇き切る血潮。凝結する野心。
 不滅の希望。紅血の鴻鳥。
 光と闇が、相対する。
 地の果てのアビスにて対峙する。


「お嬢ちゃん」


 “凝血”――そんな掛け声と共に、自らの姿を作り変えようとした直前。
 流都はふいに踏み留まり、そしてりんかへと呼び掛ける。


「お決まりの台詞だぜ。当然知ってるよな?」


 それは、単なる気まぐれだった。
 ヒーローを気取る少女への、些細な遊び心だった。
 流都は問いかけと共に、両腕を構える。


「勿論、ですとも」


 そして、りんかもまた応える。
 その身に超力のエネルギーを纏いながら。
 右腕を斜め上に突き出して、古き良き“正義の構え”を取る。
 それは子供の頃に見ていた“特撮ヒーロー”と同じポーズだった。

 ヒーローとヴィラン。
 “正義の改造人間”と“悪の怪人”。
 相容れぬ宿命の敵同士。
 決して混ざり合わない、不倶戴天の敵。

 彼らが相対したとき。
 一体、何が起こるのか? 
 その答えは、明白だ。

 善と悪の対決(バトル)。
 勇ましき活劇の幕が上がる。
 地獄の底にて喝采が上がる。



「「変――――身ッ!!!!!」」



 さぁ、“聖戦”を始めようか。


【D-3/森付近の平野/一日目 深夜】
【恵波 流都】
[状態]:ブラッドストーク、ダメージ(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.このアビスに混沌を広める。
0.さぁ、遊んでやるよ。
1.囚人達を脱獄させる手段を見つけたい
2.1の目的を叶えるための協力者が欲しい
3.1の目標達成が不可能な場合は恩赦による生還を目指す

【葉月 りんか】
[状態]:シャイニング・ホープ・スタイル、ダメージ(大)、腹部に打撲痕
[道具]:なし
[方針]
基本.可能な限り受刑者を救う。
0.恵波 流都を無力化する。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.この刑務の真相も見極めたい。

【交尾 紗奈】
[状態]:健康、戸惑い
[道具]:手錠×2、手錠の鍵×2
[方針]
基本.死にたくない。襲ってくる相手には超力で自衛する。
0.私は――。
1.超力が効かない相手がいるなんて……。
2.りんかのことは、うまく言葉にできない。
※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。

025.墜落点:B-2 投下順で読む 027.嵐時々鋼鉄、にわかにより闇バイト
時系列順で読む 028.地獄行き片道切符
あなたの枷はどんな形? 葉月 りんか [E]volution
交尾 紗奈
このまま歩き続けてる 恵波 流都

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最終更新:2025年03月07日 20:40