「ハヤト=ミナセ!
何だかエキゾチックというか……その!
日本っぽいというか!
いい雰囲気の名前ですね!」
流石に看護される間、寝ているというわけにもいかず。二人は話していた。
セレナが話したそうにする一方で傷ついたハヤトを静かにさせた方がいいのかとまごついている所を、ハヤトが促した形だ。
何故だろう。
罪悪感、なのかもしれないとハヤトは思う。
彼女がオレの刑務での駒としての役割を果たすための餌だったとするなら。
話したいわけじゃないけれど、話は聞きたいと心が動いた。
彼女のことについて知りたいと思った。
覚えていられるように。
彼女が生き残れなかったとしても……か。
「ハヤトさんは……日本人?
それともちょっと違うんですか?日系人?」
現代っ子らしく、器用にもデジタルウォッチを操作して名簿とハヤトの顔を交互に見ながら話すセレナ。
アビス内では刑務官により言語の相互理解が可能となっているが、音は日本人っぽいのに名簿の表記が少し日本人らしくないのが引っかかったのだろう。
ハヤトの黒髪に幼さが残る顔つきも、どこか日本人らしさがある。
「……オレはヨーロッパの出身だよ。日本人の血は入ってる」
「やっぱり!わたしは南アメリカのベネズエラという所の出身です」
ベネズエラ。ハヤトにとっては聞きなれない国の名前。
近隣の国の住民か、海外事情に明るい人間でもない限り詳しく知ることはないだろう。
ただ5年ほど前、真偽は不明だが巨大ロボット対決が起きたとか。
そんなニュースが若者の間でも少し話題になったとか、ハヤトにとっての知識はそれくらいしかない。
「日本って面白い国ですよね。
ベネズエラにも日本の物産とか、アニメのグッズとかを扱うショップが結構あるんです!」
接点を見つけて嬉しそうに話すセレナ。
対するハヤトはばつが悪そうに返していく。
「チッ、悪いけどよ……日本のことあまり知らねーんだよ。
家族はもういねーし、行ったのも記憶もあやふやな小さいころだけさ」
「あっ……すみません」
とっさに謝るセレナ。
ハヤトはそれを見て、よくいるラテン系みたいに図々しくないと感じた。
とはいえ、しょぼくれた顔を見ているのもあまり良い気分ではない。
「――あのさ、ハヤト=ミナセって名前の由来は覚えてんだよ。
複合名だし、どっちも苗字じゃなくて名前だけどよ。
漢字で書くと――――颯人、水星」
デジタルウォッチのメモ機能を使って説明していくハヤト。
漢字のエキゾチックな字面。いかにもラテン文字圏の人間が異文化的で好みそうに見えて。
セレナもそれを見て興味を示す。
「ハヤトは、風を受けて立つ人、さわやかで、すがすがしい人って意味。この左の部分が立つ、真ん中が風、右が人って意味だ。
ミナセは、水の星。マーキュリーって意味の単語の別読み。強く輝く明るく強い人を、近くで支えられる人って意味。
まだ親がよ、オレとちゃんと話せる頃に聞いた。
なんか仰々しくも強そうでもない気もするけどよ、そういうのって日本人っぽい気もするよなあ?」
「ちゃんと詳しく意味があるんですね!」
日本人の名前は漢字文化圏らしく、文字に関連して強い意味があることが多い。
スペイン語を使うベネズエラを含むラテン語圏では、名前は古典や聖書の人物に由来することが多く文字として意味が感じられることは殆どない。
「……自分の名前、どう思ってますか? 嫌いですか?」
「――――わからねえよ。なんかさあ、名前に運命が決まられてるような気がする時もある。
昔のことを絡めて思い出しちまってイラつく気もする。
でも、嫌えって程でもないか。別称とか欲しいとも思わねえし」
「そうですか……。
自分で自分のことが嫌いって辛いですもん。それはきっといいことですよ」
それを聞いてセレナは表情を和らげる。
不愉快なことを聞いてしまったかもしれない話題を逸らすことができて、良かった気がした。
「それにわたしの名前のセレナも月に関係あるから、宇宙繋がりですね。
生まれた日が満月だから、付けられたらしいです。
しかも中国とか日本だと月にはウサギがいるって伝承があるって後で知って、すごい偶然ですよね」
セレナは、古代神話の月の女神に由来する名前。
スペイン語圏では結構使われている。
ふとハヤトは、窓の向こうの星空を眺めた。
地球から見える宇宙の姿。
人工的な夜の明かりの殆どない島。天には満天の星が輝いている。
アビスの中からでは見ることの敵わなかった風景。
子供のころ、飼ってた動物が死んだとき。
母が、その子は天に昇って星になったと言っていた記憶がある。
ハヤトは無神論者だが、多神教らしいその死生観を何となく覚えていた。
アニキは天からオレのことを見てるのだろうか。
どう思っているのだろうか。
殺されたとき、オレのことを思い出して考えたりしたのだろうか。
セレナも外を見ようと窓の方へ向かっていく。
刑務官に聞いたキリスト教的な世界観だと、死後の人間は審判の日までは眠っていて、行くのは天国や地獄。
非常にわかりやすい世界観だと、ハヤトは思ったものだ。
南米はキリスト教がほとんどの地域らしいなと、ふと思う。
空には月も明るく輝き、差し込む光がセレナのぱっちりした目を輝かせていた。
顔の繊細な毛並みに光が透け、明るい褐色の輪郭となっていた。
ある意味幻想的ともいえる、人間と獣の入り混じった姿。
「なあ、南米ってよ。
やっぱり獣人みたいな人間でも、差別とかってないのか?」
自分を看病してくれた相手の幻想的な姿に目を奪われそうになり、そこから目を逸らすようにハヤトがふと質問した。
ヨーロッパでは日系人ということで、揶揄われたり差別的な扱いをされることもあった。
一方で南米は人種の違いにはかなり寛容だというイメージがあった。
「うん、まあ。そうですね。
差別っていうのかなあ……どっちかというと可愛がられてました。
ちょっとそれが鬱陶しくなることもありましたけど」
「そりゃまあ可愛いしなあ」
「えっ、そうですか……?」
慣れない相手に褒められて、少し戸惑うセレナ。
ベネズエラはみんな結構気軽に可愛い可愛い言ってくる環境だったけれど。
一方で日本人にはそんなに安易に褒めないイメージがあった。
「いや、ウサギって普通に小動物的で可愛いっつーかさ。
なんか本能に来るっていうのかなあ?」
「あ、ああ。そうですよね。
特にベネズエラの人って、ウサギ結構好きかも」
目を泳がせて取り繕うセレナ。
ハヤトは特に気にせず、話を促す。
「そうですね。これはママに聞いた昔の話なんですけど。
ママが子供だった頃、ベネズエラでは食糧配給と併せてウサギを家々に家畜として配ってたんです。
ウサギって草食べるから、人間の食べ物と餌が奪い合いにならないからって。
行きあたりばったりな政策で、すぐ終わっちゃったしそこまでたくさんの家には行き渡らなかったんですけど。
なのにベネズエラの人、みんなペットとして可愛がってたって。食用のはずだったのに!」
耳を上下させたり、頭を自分でなでたりジェスチャを織り交ぜながらセレナが話す。
緊張をほぐすように話した、ちょっとした笑い話。
ハヤトも良い話だなと思いながら聴いている。
「でも、だんだんいなくなっちゃったんですよね。
美味しい料理法とかも広まったし。
解体の上手い人に引き取られたり、何なら誰かに盗まれたり。
それがママは結構悲しかったらしいんです」
当時のベネズエラの食糧事情は悪かった。
主に輸入で賄われる配給食糧は貧困層にも廉価である程度行きわたるものの、炭水化物と油が多く蛋白質が少ない。
それ以外の安く自給率もある食糧はキャッサバや調理用バナナであり、やはり殆どが炭水化物だ。
国民の食生活を改善するためウサギを家畜として配給する事には、ある程度の妥当性は存在していた。
「だからママ、わたしが生まれたとき。
最初はもちろん人間じゃない姿だったから困惑したんですけど。
でも、ウサギが帰ってきてくれたって思って、凄い暖かい気持ちになったって。
ママは本当にわたしのこと可愛がって育ててくれて。
他のきょうだいから嫉妬されることもありましたけどね」
優しく話すセレナ。暖かい家族。親からの愛。
ハヤトにとってはもう記憶の彼方の出来事。
でも、嫉妬をする気も起きなかった。
「だから、捕まったとき。
一緒にいた仲間が、殺されるのを見たとき。
何としてでも逃げなきゃって。
家族のところに帰らなきゃって。
そう思って凄い必死になったんです」
長々と語ったセレナ。
本当に家族が好きで、愛されていて。
そして、ハヤトはそれを実感すると更に哀れみの感情を抱いてしまうのだ。
「逃げられて――良かったな。本当に」
「はい。もっといい方法があったのかもって後悔もありますけど……」
「思いつかなかったんだろう?
しょうがねえよ。今更考えても」
「そう……ですね」
周りに迷惑をかけたことを後悔するセレナ。
そんな感情、身内以外には抱いてこなかった。そんな人間だ。ハヤトは。
でも、不思議と同情してしまった。
「それなら、刑期を全うして償えよ。
ここで凶悪な犯罪者を始末して世の中の役に立つことも、償いになるかもしれねえけどよ。
お前そういうの向いてねえだろ」
「こ、こ、殺すのは!! 嫌です……。
子供の頃から、強盗だって殺人だって、近くで結構起きてました……けど。
撃たれたりして手遅れな人が死ぬするところも見たりしました……けれど。
この手で誰かを殺すなんて、考えたくないですよ!」
首を振ってあわただしく否定する。
垂れた長い耳が、首の動きに追随してブンブンと動いた。
ハヤトも、ベネズエラの治安が良くないことは噂程度に知っている。
ヨーロッパも治安は悪化したけれど、ラテンアメリカの治安の悪い地域よりはましだという話もたまに耳にする。
それでも、そのような環境の中でも優しさと思いやりを保っている人間はいるのだ。
多分きっと、どんな環境にも。
この殺し合いの中にも。彼女のように。
「――――ただ、あの」
続けて何か言いたそうにして、口を開いたまま言葉に詰まるセレナ。
「どうした?
オレに言いづらいことなら、別に言わねえでいいよ」
セレナは暫く黙りこくり、視線を下に向け俯く。
そして、どう伝えればいいのかある程度固まってから、話し出す。
「わたしは、その。
他にも捕まってた仲間がいたのに、一人で逃げ出してしまいました。
みんなのことがとても――――心配です」
そうか、一人だけ逃げ出したのか。
嫌でも思い出してしまうハヤト。
自分を置いて逃げた兄貴分の事を。
それでも表情を悟られないように、暗い方に顔を向ける。
「わたしのいた周りの他の檻にも、何人か捕まっていました。
みんな、動物みたいになる超力の持ち主でした。
色々な所から連れてこられたみたいで、言葉の通じる人は少なかったけど。
それでも頑張って短い言葉で話したり、身ぶり手ぶりだったりで通じ合って。
――――仲間だったんです」
犯罪組織の人身売買マーケットは世界的に繋がっており、なんならダークウェブで遠隔取引すらも行われていた。
セレナを買った人物は、船や航空機で世界各地から獣化タイプの能力者を購入していたということになる。
よくある話ではある。強姦とか拷問とかの目的で、色々な人種背景の人間を試したくなる金持ちはいる。
「行ったこともない国の街で、皆を連れて逃げるのはきっと難しかったと思います。
仕方なかったって思うこともできます。けど、それでも。
わたし、警察に捕まった後で言いました。
わたしが逃げ出したところには、まだ他にも何人も捕まってるって。
このままだと殺されるって。
……でも、どうなったのか分かりません。
まだ調べてる途中だから教えてくれないのか、もみ消されてしまったのか、わからないんです」
ハヤトは理解できる。ヨーロッパの警察も汚職がはびこっているから。
政治家やマフィアの利権と対立していたら、立件されないということは普通にありうる。
「本当なら、知らない国の警察にだけ頼っちゃいけなかったのかもしれません。
探偵さんとか義賊とか正義の味方とかを探して、頼ればよかったのかもしれません。
今更なことなのに。たまに思い出して、考えてしまいます。
前向きに生きなきゃって……思ってても」
この子は後悔している。でも自分を見捨てた兄貴分と、被って見えてしまう。
そんなの錯覚だと思っても、記憶がぶり返しそうになる。
苛立ちを解消しようと、ハヤトはセレナに鋭く問いかける。
「なあ、お前さ。
もしもこの後で。
二人でもどうしようもない参加者に襲われたらよ」
それは仮定の話。
でも、充分にありえなくもない未来。
「オレのこと、見捨てるか?
一人で逃げようと思うか?」
話し出してから、ハヤトは何を聞いてるんだと思った。
相手は年下の女だ。
自分が彼女を守るべきだろ。社会常識的にはそうだ。
ギャングの世界だって大概の奴がそう行動したいって思うだろう。
あの時だって、きっとオレにまだ逃げられる力があれば。
アニキはオレを助けようとしただろうって、そう思ってる。
頭の中では困惑しながらも、冷徹に問いかけていたハヤト。
セレナは――――――沈黙。
戸惑いと悩みを抱えた表情。
答えに非常に詰まってしまう。
そして逃げるように、逆に問いかける。
「ハヤトさんは、どうしたいんですか?」
――――――
――――――
違う!
オレは違う!
そうとっさに言いたかった。
けれど、言葉は出なかった。
アニキとはよく言ってた。
お互いずっと助け合おうって言ってた。
死ぬ時まで仲間だって、気楽なノリで言ってた。
でも、それが通用したのは。
そうするのが難しい世界だと、お互いが心の底で理解してたからだろ。
実際アニキはオレを見捨てた。
この月明かりのような純粋な子に建前でも、そんな事が言えるのか。
言ってしまっていいのか。
嘘は言いたくない。
かといって残酷な言葉も言いたくない。
誤魔化したりしたくもない。
言葉が出ない。
ハヤトも、表情を固めたまま黙ってしまう。
――――――
――――――
「隠せ……ませんよね」
先に口を開いたのは、セレナの方だった。
ハヤトの悩んでいる様子は、セレナにも嫌でも分かった。
これを言ってしまったら、相手は怒るのではないかという怯えもあって。
しかし、素直でありたいという気持ちが心を後押しして。
「――――ごめんなさい。正直に言います。
そんなことしたくないって、わたし、思ってます。
でもそうできる自信は、何もありません。
死にたくない、生きたいって気持ちはとても強くて」
それは。
悪いことではない。
結局自分が大事だって。
力もなく、長く世間に翻弄されるような生活をしてる人は大体そういう思考に至る。
普段は困った家族や友人や親族を助けたりして、助け合いは大事だとふるまっていても。
それは自分に余裕があるときにしかできなくて。
本当に本当にどうしようもないときは、自分がやはり大事で。
野生のアナウサギだって群れて生活するけれど。
いざとなれば、足の速いものが逃げて足の遅いものが捕食者の犠牲になる。
安定しない政治や経済の状況。蔓延る犯罪組織。。
一時は良くても、さらなる将来がどうなっているかという確信は何もない。
ラテンアメリカの状況を反映したような思考。
そしてヨーロッパの底辺で生きてきたハヤトも似たような思考を持っているのは、当然で。
ああ、そうかとハヤトは納得する。
わかってれば、気が楽だ。
苛立ちは、不思議となんだか収まった。
やっぱり世の中、そんなに綺麗事じゃないよな、と。
思考は、冷静に冷徹に動き出してしまう。
もしどちらかが見捨てることを決意したなら。
逃走能力が高くポイントも少ないセレナの方が逃げられる確率が高い。
そうなる前に、こっちから決断しなければならないわけだ。
重たい気分になりそうだが、仕方ないことなのだ。
それでも、ハヤトは自分の思考を伝えるべきか悩んでいる。
ハヤトにはわからなかった。
冷徹な思考。明確に意志を伝えずにこの子を油断させた方が、いざとなった際に自分は逃げやすいのではないか。
いや、本当はこんなことをするべきではない。
ここは自分から先に見捨てないと決意と誠意を見せなければならない、それだけの事なんじゃないのか。
悩み続ける。
沈黙。時間が過ぎていく。
「あっ」
ハヤトから咄嗟に声が出る。
意識に割り込むのは、夜空の中に。
星々の隙間を駆ける、流星が見えたから。
セレナも窓の外に目をやる。
「ああっ!」
叫ぶや否や、セレナは更に言葉を発する。
「ハヤトさんとわたしが無事に過ごせますように!」
流れ星に、願いをかける。
ハヤトにとっては、少し面食らう出来事であった。
神も願い事も信じていない。
普段流れ星を見てもああそうか、ちょっと珍しいなと思う程度だった。
しかしセレナは違う。
流れ星を見たときいつもするように、今回も咄嗟に言葉として願いを掛ける。
「なあ、それ……意味はあんのか?」
流星は、闇に消えていった。
そして現実主義なハヤトが問いかける。
「意味は――――ないかもしれません。
ハヤトさんの言う通りですよね。
神様とかに言って願いが叶うって、そんなこと本気では信じてません」
流星は、キリスト教圏の伝承では天上の神が下界を覗く際に漏れ出た光だという。
だからその際に願いを伝えると、天上まで届くのだと。
しかし神は願いを叶えるとは全く限らない。
与えてくるのは、どのような辛い状況でも善意を保てるかという試練なのかもしれない。
それでもセレナは、願いを持って口に出さずにはいられない。
「でも、ハヤトさんはそこまで悪い人じゃないって。
話しててわたし、思いましたから。
わたしの事で長く悩んでくれたりしてますから」
向けられた。他意のない信頼の言葉。
セレナとて無条件に誰もがやり直せる、更生できると信じてるわけではない。
しかし経済状況の悪かったころのベネズエラでは、まともな職業では稼げないから犯罪に手を染めたり、
犯罪組織に所属する友人や親族に強要されて犯罪に手を染めたりする人も多かった。
セレナも犯罪には関わらなかったが、幼少期は草を食べて食費を節約したり、換毛期の抜け毛を売った思い出がある。
そして現代ベネズエラは経済状況は回復しつつあり、セレナは逆にそういう人が更生するところも見てきた。
ハヤトは戸惑う。
「それで、なんというか。雰囲気だけでも。
願いを言えて良かったって気持ちになって。
ちょっとでも明るい気持ちでいたいじゃないですか!
見捨てるとかそういうことが!
そもそも起きないようにって思いたいじゃないですかっ!」
言い切るセレナ。
暗い出来事ばかりの世界でも、明るく生きようとする。
なんとかならないと薄々感じていても、なんとかなると思って生きようとする。
育った環境で養われてきたラテン系の強かな精神、そして彼女の持った優しさがそこにはある。
ハヤトは――――。
哀しみを覚えてしまう。
彼女と自分は、住む世界が違う。
治安の悪い所に住んでいた。
共通点はあるようでいて。
根本的な考え方が違っている。
自分は、そうだ。
この少女の言った言葉を信じたくて。
そこまで悪い人ではないという言葉を。
それに縋りたい。
やり直したいと思っている。
刑務官と話していても感じていた、自分の本心。
でも、彼女のような存在になることは不可能だ。
今までギャングとして生きてきた過去を、自分は捨てることができない。
彼女を生き残らせたいと、願いを叶うようにしたいと感じるのに、頭の中を占めるのはもっと他の事が大きくて。
だから。
それに関して、話せる範囲で。
彼女に誠実に向き合うことにする。
「そんな事まっすぐに言うんじゃねえよ。
こっちが恥ずくなるじゃねえか。
ただ、二人無事で生きるのはたぶん無理だ」
「えっ?」
セレナはまだポジティブな表情を崩していないが、ハヤトの真剣な言葉に。
こちらも真剣に耳を傾ける。
「ネイ・ローマンという奴が参加者の中にいる。
そいつはオレのアニキの仇だ。
ストリートギャングの流儀で、落とし前をつけなけりゃいけねえ」
「それって――――殺すってことですか?」
「ああ――――絶対に」
セレナは、真剣な気持ちの籠った言葉に精神が底冷えする。
反論しようとも思ったが、できなかった。
セレナも理解した。
ハヤトと自分は、住む世界が違うということを。
止めることは、出来ないのだろう。
「ヤツと戦ったら、間違いなく無傷じゃ済まねえ。
なにしろヤツはストリートギャングを力でまとめ上げるボスだ。
死ぬつもりはねえ。が、勝てるかも分からねえ」
ギャングらしからぬ、負けるかもしれないという弱音。
しかしそれこそが、ハヤトのセレナに真剣に向かいたいという気持ちの表れ。
「オレとヤツとの因縁だ。
戦いになっても、一緒に戦う必要も助ける必要もねえ。
お前はもし戦いになったら気にせずとっとと逃げろ」
セレナは――――頷いて。無言で肯定するしかない。
どんな背景があるのか、聞き出して触れるのは良くない気がする。
もちろん表立って勝ってと言う気にもなれなくて。
仕方ない場合があったとしても、本当なら殺しなんて無いほうがいいと思っているから。
「そして、もう一つ」
ハヤトは、横になっていたソファの隙間に隠していたある物を取り出す。
「システムA」の要となる、受刑者に着けられていた枷。
それを手にしながら、ハヤトは自分に与えられた役目についてセレナに話していく。
――――――――
◇
――――――――
近代ベネズエラの歴史は、原油生産とアメリカとの関係に大きく影響を受けていた。
世界一の原油埋蔵量があるともされているベネズエラ。
アメリカの企業の資本力によって油田開発が行われ、富裕層は儲け先進国から多数の外国人が駐在した。
労働力として周辺の国から移民も受け入れ、中間層の経済力も伸びた。
一方で二大政党の政権交代のたびに、野党となった党の支持者は一気に職を失うなど庶民の経済は不安定だった。
また農村部の住民や先住民族は、それらの恩恵を受けられず貧困層となっていった。
やがて庶民は未来に希望が持てず、貧困層や先住民族を主な支持層とした第三党が政権を獲得する。
社会主義的な政治が行われ、大統領の権限も拡大していったのが2000年代以降の独裁政権である。
しかし石油産業から外資を排除し国有化を進めたため、アメリカとの関係は悪化していくことになる。
アメリカへの石油の輸出を制限され、また油田や製油所の維持も技術不足、改質材料不足で上手くいかなくなる。
ベネズエラで生産されている原油は精製に大規模な設備投資、改質材料が必要な超重質油のため海外資本がどうしても必要だった。
中国、ロシア、イラン等との関係も築いているものの、至近にあるアメリカが最も大きい取引相手でありそこが断たれるとやはり厳しい。
2010年代以降ベネズエラの経済はハイパーインフレとなり、失敗国家とも揶揄されるようになってしまった。
犯罪率が上昇し治安は悪化、公務員の汚職も増え、富裕層や都市部の貧困層を始めとして国民は他国へ流出していった。
一部の国民はアメリカへと向かい不法移民となる。
治安悪化や汚職により、隣国で生産された麻薬がベネズエラから空路や海路で遠国へ運ばれる。
それにより他国との関係がさらに悪化する悪循環である。
そんな折に訪れたのが「開闢の日」。
この時のベネズエラは、予想以上に行動が速かった。
政権は国民の多くを占める貧困層、政党と関わりのある市民の自警団、また警察や軍関係者の親族のコネを可能な限り利用。
軍事等で国家の役に立ちそうな超力の保持者を一気に調べ上げた。
折しもカリブ海沿岸域の国々はマフィア隆盛による治安の悪化を引きずり、更なる混迷を迎えようとしていた。
既存のマフィアと関わりのない海賊も大量に出現し、更なる無法地帯となっていった。
ベネズエラ政府は、強力な超力の持ち主を警察や軍へ良い条件で引き入れる。
庶民の生活は厳しかったので、待遇の良さに引かれた人々により戦力を大きく増強する事ができた。
個人の超力を最大限に活かし兵器などの軍事物資の支出を抑える事が出来る、新たな時代の治安維持組織の誕生である。
ベネズエラは超力による軍事力を背景に、石油貿易の障害を排除するためカリブ海の治安維持に大きな努力を行っていった。
海賊船エルグランド率いる海賊船団とも戦い続け、船長(ドン)の逮捕に大きく貢献したのもベネズエラの海上警察・海軍であったという。
海域の治安を改善したことがアメリカからも評価され、ある程度国交も改善していく。
とはいえ関係を深めていた他国との関係も維持。
様々な国の外資を受け入れながら油田や製油施設を補修・再開発し、経済は改善傾向にある。
ベネズエラからの船の船員は強力な超力の持ち主が登用され、海賊に襲われにくく不正による中抜きも減り貿易も安定した。
とはいえベネズエラの独裁政権の主な支持層は、やはり貧困層や先住民族である。
外資との関わりの強い層だけが儲かったり、石油開発の利益が海外に大量に流出する状況を良いとは思っていない。
大国の意向で経済が左右される状況は関わる国を増やしたことで昔よりは改善したが、未だに完全に脱出はできていない。
経済が最も悪化していた時代に成立してしまった犯罪組織は、超力を手に未だに活動して国内の治安をさらに悪化させている。
海域の治安維持に強く手を向けたため、国内の治安維持がやや疎かになってきていた。
そのため今のベネズエラの政権は、自国の技術力を伸ばし、技術者を養成しながら新たな鉱区を開発したい思惑がある。
経済がある程度改善したため、海外へ流出していた知識層も呼び戻せる。
2000年代以降の貧困層への教育支援も、一時は経済が破綻したため無駄になったかと思われたが今なら実を結ぶ可能性がある。
不況下でも僅かながら、市民による民間事業主導で外資に頼らず復活してきた国内産業をもっと伸ばしていきたい。
安定した収入で不安の少ない雇用を更に発生させて、犯罪組織よりもまともな職業に就いた方が良い状況を生み出したい。
さて、ベネズエラには隣国との領土問題がある。
それは原油が大量に採掘可能と予想されている地域。
しかも埋蔵されている原油は、そこまで高度な精製設備も改質材料も必要としない軽質油と予想されている。
領土問題により、2040年代の現在でも資源開発はほぼ始まっていない。
ベネズエラの自国主導で新たな鉱区を開発したいという思惑で白羽の矢が立ってしまったのが、その地域である。
ベネズエラは強力な超力を保持した軍隊を圧力に、権利主張をさらに強めようとしている。
場合によっては将来、超力を活用した国家間戦争に発展するだろう。
刑務作業の参加者として選ばれたベネズエラの女の子、セレナ・ラグルス。
食用家畜として海外に誘拐され、富裕層の住む町をめちゃくちゃにしながら逃げ伸びた少女。
彼女はまだ知らないが、ベネズエラ国内のニュースで報道された後は貧困層を中心に時の国民的ヒロインのような扱いになっている。
市井やSNSで話題として挙がることも多く、恩赦を求める声もベネズエラ国内では非常に強い。
ベネズエラ政府にとってはセレナは、偶然舞い込んできた適度に使える人材として期待されている。
しかも年齢的にはまだ13歳の子供。彼女を手に入れれば、権力によってどのようにも利用することができる見込みが高い。
利用価値によってはベネズエラ政府が彼女の逃走時の損害額を負担する形などで、刑務作業終了後に別ルートで恩赦が得られる可能性すらある。
その超力は明らかに戦闘には向いてなく、戦争のための実験としてはそこまで適当な人員に見えない。
しかし彼女は適度にお人好しで、適度に臆病で、適度に強すぎず、いざとなれば高い生存能力を発揮する。
高い確率で適度に他人と関わって、生の情報を得て帰ってくるだろう。
生き残れば、彼女は何らかの形でベネズエラの軍事に巻き込まれることになるだろう。
この刑務作業が行われているという事実は今は隠蔽されているが、恩赦される者が出る以上やがて少しずつは世界には明らかになる。
この場で生き延びたという事実をセレナがもし手にすれば、将来更なる政治的発言力を手にすることになるだろう。
もし死亡しても、軍事的に強力な戦力にできるような超力ではないからそこまで問題はなく。
このような富裕層の被害者じみた少女を、何故このような刑務作業に参加させたのかと。
日本や米国の世論も同情的になり、ベネズエラに対して何らかの政治的譲歩を引き出すネタなるかもしれない。
とはいえGPAを主導するアメリカ、日本をはじめとして石油を輸入する国々としても。
ベネズエラ等の南米北岸の採掘コストの安い石油は頼りになる。
戦争が起きて一時的に石油の生産が不安定になるのは望むところではない。
今のまま外資主導の採掘を続け、何ならそのまま拡大していきたい。
万が一戦争が起きたとしても、できるだけ手出しをして可能な限り自国の利権を戦後に伸ばせるような形を作りたい。
主催者側の様々な思惑が関わった上での、セレナとハヤトの遭遇であった。
セレナはまだ知らない。
自国の将来に、自分が少々関わることになるかもしれないことを。
――――――――
◇
――――――――
「そういえば!」
ハヤトが自身に与えられた役目、持たされた枷の機能を説明した後。
セレナが、タイミングを失していたのを思い出したように。
雌のウサギに特有の部位、首と胸の間の肉垂と豊富な毛の間から何かを取り出す。
それは、流れ星をあしらった形をした煌めくアクセサリー。
「あ! おい、お前!
何持ち込んでんだよ!」
驚くハヤト。
アビスに入る際には、そこらの刑務所以上に徹底的に身体検査をされるはずだ。
どうやって持ち込んだのか。
そりゃ、めちゃくちゃ権力がある囚人は看守を懐柔して物資を調達していたりもする。
セレナはそういうことが出来そうな相手には見えない。
じゃあどうやって。
自分だって耳に着けていたビアスを没収されているのだ。
そこまで気にすることでもないかもしれない。
しかし今まで純粋そうにしていた相手が、このような不正をしていたことへの不義理さを何となく感じているのかもしれない。
「いえ、その。
今の首のまふまふの裏とか、耳の裏とか、尻尾の裏とか時々ちょっとずつ場所変えてたら。
検査をすり抜けて持ち込めちゃいました。
なんか、自分のものを全部没収されるのが怖くて咄嗟に隠してしまったんです!
魔が差してしまったといいますか!」
余程のことがなければ釈放時には返ってくるはずなのに。
模範囚になってある程度の権利を得るなら、そんなことすべきじゃないのに。
いつまで隠し通せるかもわからないのに。
セレナは、後からなんとなくこのことを後悔もしていた。
しかし自分から看守に言い出すこともできず、そのままになっていた。
「いや無理だろ。普通。いや……?
担当したヤツが獣人型の身体の取り調べに慣れてねえとしたら、有りうるのか……?」
ハヤトの言う通り、通常は無理だ、
毛の裏に隠そうとも、X線検査等をすり抜けて隠せるはずもない。
収監時の身体チェックが彼女には甘かったのだ。
二人は知る由もないが、おそらくベネズエラに伝手のある看守からの意図があったりするのだろう。
「というか、今まで通り隠してればいいじゃねえかよ」
「だってハヤトさんが自分の役割を、秘密を話してくれましたから。
それならわたしだって自分の事を少し打ち明けなきゃ」
純粋なお返しの気持ち。
ハヤトは頭を掻く。
「まあ、でも一応ちょっと考えてはいるんです。
この刑務作業の会場内で拾ったとかそういうことにして誤魔化せないかなあと。
誤魔化せませんかね?」
「――さあ……知るかよ?」
子供らしく浅い知恵ではあるが、ちょっと強かな面を見て。
ハヤトの彼女を見る印象は少しだけ変わった。
「これですね。
昔、友達に頼まれで無理やり運び屋っぽい仕事させられた時。
お詫びって感じで届け先の人がくれたんです。
なんか黄色い猫耳の帽子してた変な人だったなあ」
思い出すのは、廃品回収用トラックに乗って飲酒運転していた女性。
座席後部に搭載していた作りかけの電子回路っぽい物に、女性は自身の超力を使用して流れ星をあしらった外装を付けた。
それがいま彼女が手にしている耳飾り。
「あんまりギャングとかに関わりたくないですし、本来の報酬じゃないものは受け取らないつもりだったんですけど。
余り物で作ったようなものだしってことで、もらうことしたんです。
ギャングのロゴとか、そういうのとも別に関係ないみたいですし」
「おう。まあ、それくらいならいいんじゃねえの」
肯定するハヤト。
しかし、これはただのアクセサリーではない。
「これ変な機能付いてるんですよ。
この星の角を強く押すとですね……」
アクセサリーを指で押すセレナ。
するとカチッとスイッチが入る音とともに、星の部分が明滅して輝きだす。
やがて、アクセサリーが音を発しだす。
子供の歌声による音楽が聞こえてくる。
"Esta manana me ha contado el gallo……
Que el elefante le contó al castor……"
「これはスペインの歌で、動物が好きな昔の人について歌った歌なんですけど。
おじいちゃんおばあちゃんくらいの歳の人は子供のころよく聞いてたみたいです」
「なんだこれ。まあ悪い曲じゃねえけど……」
訝しげな表情をするハヤト。
一方で表情を不思議とゆがめて冷や汗を流しだすセレナ。
「あの、ハヤトさんは聞こえます?
聞こえてませんよね?」
「ん?何のことだ?」
ハヤトには聞こえず、セレナにしか聞こえない音。
思考までも妨げられそうで聞き続けるのが嫌なのか、セレナはもう一度アクセサリーを押してスイッチを切った。
「これ、音楽の裏で高周波音ってのを流してるみたいなんです。
普通の人間の大人には聞こえないんです。
でも一部の動物とか、虫とかには聞こえる。
嫌な音だから、近づいてこなくなる効果があるみたいです」
高周波音を発するギミック。
セレナも過去に音の正体を調べようとして、人間に聞こえずウサギに聞こえる音などを調べて突き止めた。
技術として実際に、畑などに設置する動物除けの装置などで使われている。
「ああ、ウサギだから聞こえるっつうことか。
でもなんでそんなもんお前に贈ったんだそいつ?」
「想像したんですけど。たぶん。
これを髪飾りとか耳飾りにすると。
耳の内側の肌が露出した部分に、刺す虫が寄ってこない。
快適に過ごせるってことなんじゃないかと思います……」
抱いて当然の疑問に、セレナは善意に基づいた想像で返す。
動物や虫と人間が不意に関わらなければ、襲い襲われたり叩き潰したりなどの事が起こることもない。
ある意味それは動物愛護。
ちなみに高周波音は蚊には効果はないが……メカニックが虫には詳しくなかっただけなのか、セレナが想像しない意図が別にあるのか。
「なるほど。ウサギ獣人にまでその音が聞こえるってことに気が付いてなかったんだな」
「でも凄い綺麗、アクセとしては!
付けさせてもらってますけどね! 流れ星!」
相変わらず、前向きなセレナ。
アクセサリーを耳に装着していく。
「いいな、似合ってるよ。
月と星ってことじゃねえか」
「あ、ありがとうございます!」
お世辞でもない褒め言葉。
セレナは喜びながらも、照れるような顔になっていく。
それを見たハヤトも、どこか気まずくなる。
「あの……!」
「ん?」
「もしも二人で生き残れたら、アビスの中でも外でもいいですけど。
友達になりませんか!? わたしたち!」
掛けられた言葉。
友達という言葉。
ギャングの世界の連れ合いとかとは、違った意味合いの関係なのだろう。
不確かな希望でしかない。
生きる世界も違っている。
それでも。
「ああ。生き残ったらな!」
絶対に生き残ろうとか、そんな言葉は出せそうにない。
でも、彼女の明るさを否定するような言葉は出したくなかった。
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◇
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二人は空に流星を見た。いや、流星から見られていたのかもしれない。
彼らも様々な思惑の下、この刑務作業を主催する者たちから注目されている存在なのだから。
【B-2/港湾/1日目・黎明】
【ハヤト=ミナセ】
[状態]:全身打ち身(痛みは引いている)
[道具]:「システムA」機能付きの枷
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:生存を最優先に、看守側の指示に従う
1.身体は普通に動く。そろそろ近くの死体を確認に行きたい。
2.『アイアン』のリーダーにはオトシマエをつける。
3.セレナへの後ろめたさ。
※放送を待たず、会場内の死体の位置情報がリアルタイムでデジタルウォッチに入ります。
積極的に刑務作業を行う「ジョーカー」の役割ではなく、会場内での死体の状態を確認する「ハイエナ」の役割です。
※自身が付けていた枷の「システムA」を起動する権利があります。
起動時間は10分間です。
【セレナ・ラグルス】
[状態]:健康
[道具]:流れ星のアクササリー、タオル
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:死ぬのも殺されるのも嫌。刑期は我慢。
1.ハヤトに同行する。
2.ハヤトとは友人になれそう。できれば見捨てたくはない。
※ハヤトに与えられている刑務作業での役割について、ある程度理解しました。
※流れ星のアクセサリーには、高周波音と共に音楽を流す機能があります。
獣人や、小さい子供には高周波音が聴こえるかもしれません。
他にも製作者が付けた変な機能があるかもしれません。
最終更新:2025年03月22日 09:43