<港湾南東部 森林と草原の境界>

PM 12:40
孤島の草原を、潮の匂いを帯びた風が吹き抜けていく。
風に吹かれて青い葉はさざめき、波のようにうねる。
緑の波が、少女たちの気配も小さな姿も覆い隠している。

港湾から逃げ出して以来、紗奈の顔は張り詰めたままであった。
キングを出し抜く作戦こそ成功したものの、紗奈の表情は緩まない。
今も細い指でデジタルウォッチを操作し、地図と時間を交互に見つめては右へ左へと目を走らせている。


それは無音の焦燥である。
キングを倒さなければ、後がない。

りんかもそれは分かっているのだが。
紗奈の鬼気迫る様子に、言葉が出てこない。



りんかは視線を迷わせ、この場にいるもう一人へと移す。
ジャンヌ・ストラスブール。
彼女は、天然の草のベッドに静かに横たわっていた。

恐るべき暗黒街の帝王、ルーサー・キングと渡り合ってきた彼女が、倒れるのも無理はない。
りんかたちと同じくらいに――いや、それを遥かに超える密度の戦いだったに違いないのだ。

さいわい、呼吸は落ち着いており、胸部は規則正しく動いている。
じきに回復するだろう。


「……あっ、そうだ!」
りんかはぱっと顔をあげ、デジタルウォッチを操作し始めた。
光が宙に投影され、映し出されたのは交換リストの一覧画面だ。
数ある武器や嗜好品には目もくれず素通りし、そしてある一点でその指先が止まる。

「りんか? 何してるの?」
自身のウォッチから目を外す紗奈。
目を細めて問いかける彼女に対し、りんかはにこりと笑いかける。

「決まってるよ。目を覚ましたら、まずご飯!
 ……きっと激しい戦いになる。せめて、体力を取り戻さなくちゃ!」

その笑顔は眩しいくらいに純粋だった。
地獄の底を燦燦と照らす太陽のような笑顔だった。
その輝きが、紗奈にとっては痛いほどに眩しかった。


「ねえ、りんか……」
「紗奈ちゃん、どうしたの?」

トーンの低い呼びかけに対し、きょとんとした表情を返すりんか。
紗奈はぶんぶんと頭を振り、気疲れを隠すように笑顔を返す。

「ううん、なんでもないよ。
 ……りんかは優しいなって思っただけ」
「ありがとう。でもね、私だけが特別優しいってわけじゃない。
 私たちだって、ハヤトさんたちに救われました。
 だから私たちもお返ししないと、です」

りんかはまっすぐに言い切る。
その瞳には一点の曇りもない。

「ハヤトさんたちには何も返せなかったけれど、せめて――善意を繋いでいこう?
 アビスの濁流の中にだって、優しさや思いやりは流れているんだって証明しよう?」

善意を繋ぐ。証明する。
本心から彼女はそう言っているのだ。
生前、流浪の漢女が探求した善意という概念を、りんかは自然体で紡いでいく。


「……もちろん、打算だってゼロじゃないです。
 悔しいけど私たち二人じゃ、キングさんには絶対に勝てないですから。
 だから、ジャンヌさんには絶対に元気になってもらわないと」
「……うん、そうだね。りんかの言う通りだと思う。
 ごめんね、これからのことばっかり考えて、少し疲れてたみたい」

紗奈はあらためて微笑んでみせた。


そして、自分に湧き出た感情を塗りつぶした。
自分の胸に広がる黒い感情を押し殺した。
どす黒く汚れた感情がほんの僅かでも顔に出ないように、必死に抑え込んだ。

りんかのポイントが減っていくことへの拒絶感を。
人の命を"モノ"として消費してきた連中が、かつて命に向けていたのと同じ感情を。
命を"ポイント"という利害で数える冷酷な感情を。
ヒーローには似つかわしくない汚れた感情を、紗奈は笑顔の裏に抑え込んだ。


『――私ね。夢が出来たんだ。もし、ここから出られたら叶えたい夢がさ』
大人たちへの憎悪を晴らすだけの超力が、誰かを護れる超力に変化した。
そのとき、光を失っていた世界に色が戻った気がした。

『それはりんかと一緒にヒーローになることだよ』
それは、紗奈に始めて芽吹いた将来の夢。
りんかと並んで歩んでいく、希望に満ちた未来の縮図。


『なれる。絶対になれるよ。紗奈ちゃんなら』
りんかがその夢を応援してくれたのが本当にうれしかった。
きっとその時に――欲が湧いた。

りんかと一緒に生きて出獄して、二人で活動したい。
共に救う側に立ちたい。
その欲は、決して醜いものではなかったはずだ。


なのに、ジャンヌを救うために治療キットを購入したあの時、紗奈は本心から賛同できなかった。
人の命を利用する悪漢たちのように、冷徹に命をポイントという利害で数えていることに気が付いた。



きっと、変わったのはあの時だ。


『私は護って救って償い続けて、この島で、死ぬと思います』
キングに心の奥底まで踏み込まれ、りんかは本音を吐露した。
生き延びてこの島を出る気はないのだと。

『…………私はこの子の手をずっと握っていられない』
夢を応援してくれたりんからしからぬ、冷たく突き放す様なトーンだった。
りんかは永遠の贖罪から解放されたいのだ。
あの時、紗奈はそう悟った。

紗奈は、何も言えなかった。
それは、りんかがそれまで決して見せなかった険しい表情に圧倒されたからかもしれない。
紗奈の欲が膨らんだのは、きっとこの時なのだろう。


騙していたの? だなんて、りんかを攻める気持ちはない。
そもそも、彼女は流都との戦いで一度死んでいる。
彼女は救うべき人間のために、本当に命をかけられる人間だ。

だからといって。
自分を応援してくれたりんかの言葉が、ただの気休めや慰めだなんて、思いたくなかった。


りんかは一度命を落とした。
けれど事実として、りんかは紗奈の呼びかけに応えた。
落としたはずの命を拾いあげ、再び歩き出してくれた。
紗奈を救って綺麗に終われたはずの物語を、たった一人の呼びかけによって、再び紡ぎ始めたのだ。

命を綺麗に終わらせたいという願いも。
一緒にヒーローになろうという約束も。
どちらもウソじゃない。
どちらもりんかの本心なのだ。

ならば、りんかの未来は潰えていない。
紗奈はりんかが生きる未来を手繰り寄せる。
それが紗奈の我欲に塗れた選択だとしても、紗奈はその未来を選び取る。


あのとき、流都は言った。
身勝手で薄汚いエゴを満たすために、人間は戦う、と。
この世界は、飢えを失くした者から死んでいく、と。
そんな満たされた者を強引に起こして引っ張るものがあるとすれば、それはさらなる飢えである。

エゴを貫き通す貪欲な者こそが正義だというならば、
正義のヒーローを守りたいという我欲は、紛れもない正義のカタチである。


紗奈の夢は、りんかと一緒にヒーローになることだった。
けれど、気付かされてしまった。
りんかが守りたいのはたった一人だと。

これは大いなる矛盾である。
無辜の民を守らないヒーローなんているものか。
そう思っていたけれど、その出口は案外はっきりと見つかった。


初めから、騎士のような紗奈の装束が物語っていた。
たった一人で孤独に戦うりんか(ヒーロー)の背を、影から支えるヒーローに、自分はなりたかったのだ。

りんかの光を、絶やさない。
その光に、自分が焼き尽くされることになろうとも。
最後まで紗奈はりんかと共に歩む。
りんかの光、その影を歩むのだ。



PM 12:50

光が満ちる。
どこまでも、どこまでも。
それは海のようで、けれど満ちるのは水でなく、綿のような暖かい光の粒だ。
柔らかく、全身を抱きしめるような温もりが、ジャンヌの魂を包み込む。


静寂の中、ひときわ強い、炎のような赤の光が現れる。
それは揺らめきながら、ゆるやかに近づき、女性の輪郭をとった。
見覚えのある顔だ。
だが、その瞳には、もう怒りの色も憎しみの色もない。
優しい火だけが揺らめいていた。

彼女は何も言わず、ジャンヌの手を取って導いていく。
炎のような頭髪が静かに波打ち、やがて光の粒となって空へ溶けていく様に、幻想的な美しさを感じた。


次に現れたのは、青。
静謐で、氷のような青い光だった。
その光もまた、人の形を取る。
見覚えのない男だ。
だが、ジャンヌにはそれが誰なのか、はっきりと分かった。

男もまた、言葉を発さない。
女の細く睨みつけるような目を意にも介さず、静かに一礼した。
かつての狂気じみた信仰も憧憬も、もう影も形もない。
悔恨と敬意、そして感謝がそこにあった。



数秒か。それとも数分か。
やがて、ジャンヌは光の境界へと差し掛かった。

女は男にそっぽを向いたまま、ジャンヌに人懐っこい笑みを浮かべて、赤い光へと還っていく。
男もまた、もう一度静かに礼をし、青い光へと還っていく。
二人の信奉者の歪みが正され、魂が大いなる意志の元へと還っていく。


――ああ、これは夢なのだ。

ルクレツィアの超力のように、希望を見ていると理解する。
けれども、そんな都合のいい夢が、確かに戦いに舞い戻る活力を与えてくれる。

赤い光はジャンヌの炎と結びつき、さらに燃え上がらせていく。
青い光は炎に染み込み、ジャンヌが炎の先にまで冷静に意志を伝えられるように、馴染ませていく。

そっと目を閉じたジャンヌ。
その瞼の裏から差し込んでくるのは、暖かな光ではない。
太陽の、目を刺す様な眩しい光だ。

「……ジャンヌさん!」

弾けるような声が響いた。
目の前のりんかの目が潤んでいる。
隣では紗奈が、安堵の息を漏らしていた。


ふと、ジャンヌは懐に温もりを感じた。
小さな流れ星のアクセサリが、淡い輝きを放っていた。
一迅の風が吹き抜け、懐の中の遺灰が宙に舞い上がり、そして消えていった。


PM 13:00

少女たちが身を寄せ合い、息を潜めるように円を描いている。
声が漏れないよう、ひそひそと言葉を交わしている。


りんかに半ば強引に施された糧食を飲みこみながら、ジャンヌは放送の内容を聞く。
そして、静かに反芻する。

十五名――それが、この半日のうちに地獄の底へと沈んだ犠牲者たちである。
悪の巨星が地に墜ちたのか、道を誤った善なる者が無念の果てに力尽きたのか。
近年の趨勢に明るくないジャンヌには、呼ばれた者たちがどのような者だったのかはわからない。
分かるのは、巨悪にして怨敵、ルクレツィア・ファルネーゼが討たれたということ。
そして、鑑 日月や氷藤 叶苗、アイの名が呼ばれなかったという僥倖である。


――日月さん。感謝いたします。
この場にいない少女に対し、心の中で謝辞を述べる。
叶苗たちを守ってほしいというのは、言うならばジャンヌの身勝手な要望だ。
恩赦を望んでいた少女が、その望みを汲んで、彼女らを守り続けている。
悪の蔓延るアビスの底で、得難き縁であろう。



そして、今回の放送のメインディッシュ。
初手こそ免れるも、彼女らも決して無関係ではいられない、ヴァイスマン肝入りの罠。

「『被験体:O』ですか……」
「はい、ブラックペンタゴンに喚び出されているらしいです」


ジャンヌは瞼を閉じ、しばし思索に沈む。
やがて、おもむろに口を開いた。

「もし、ルーサー・キングが被験体:Oと遭遇し、消耗してくれるなら僥倖。
 ですが――おそらく、そうはならない」
キングがこの罠にかかることはあり得ない、と。
情報を持っていなくとも、キングはこの罠を巧みに回避する、と。

「そうなんですか?」
りんかが問い返す。
釈然としない彼女に対し、ジャンヌは地図をなぞりながら答える。

「港湾は島の北西部。最も近い出入り口はこの北西門でしょう。
 けれど、今はアビスによって封鎖されました。
 つまり……この場所で、あの男は異常に気づくのです」


三人の視線が地図の上に交錯する。
門の封鎖はアビスによって作り出された異常である。
老獪で用心深く、一を聞いて十を識るキングが、異常を前に警戒心を研ぎ澄まさないはずがない。
ならば、うっかり被験体に遭遇することなど、万に一つもないのだ。


「りんかたちが戻るまで、いろいろ考えていたんだけど」
紗奈は小さく息を吸い、指先で地図を指し示した。

「私はね、キングはこの道を通ると思う」
港湾から南東へ延びる街道をなぞっていく。
そこから街道を南へと辿り。

「ここ。キングは今、ここにいるはずだよ」
指が止まったのは、C4とD4の境目。
PM 13:00 現在、キングは街道が二股に分かれる箇所にいる。


「つまり、キングは我々のすぐ南にいる、と?」
「うん。13時を超えたら動き出して、14時になる前に北西門につく。
 でも、ブラックペンタゴンには入れない。だから、こう回り道する」

指がD4からE4へ滑っていく。
そのまま、ブラックペンタゴンから一定の距離を保ちながら、外周に沿うように正門へと進行する。


「何時に、どこに何秒いたら爆破されるのか、アイツは知らない。
 だから、他の場所に逃げられないようなところには長居はしないと思う。
 看守長も、キングが逃げ回らないように小細工してるかもだし」

キングは"罠"を知らない。
どこがいつ、禁止エリアになるのかも分かっていない。
慎重極まりないキングならば、禁止エリア有効化の時間帯や、警告から爆破までの猶予時間の変更も視野にいれるだろう。
あらゆる想定を巡らせられる男だからこそ、自由に動けなくなる。

第一回放送でデジタルウォッチに反映されていた禁止エリアが、なぜ第二回放送ではいまだに反映されないのか。
ジャンヌたちによる、放送中に襲撃をおこなうという作戦も、ヴァイスマンは超力で見通している。
穴熊を決め込んだキングに自発的に動いてもらうため、紗奈の作った盤面を利用することもあり得るのだろう。


「それとね、これはもう、私の勝手なイメージなんだけどさ」
紗奈は、地図から指を離し、顔を上げた。
視線が捉えるのは、ジャンヌの横顔であった。

「キングが戦ってるときに禁止エリアの警告が鳴ったら……。
 ジャンヌ、たぶんキングを道連れにしようとするでしょ?」
「……ふぇっ?」

紗奈の指摘に、りんかの声が裏返った。
眉を曇らせてジャンヌを覗き込む。


ジャンヌは黙して語らず。
真顔のまま、まぶたを伏せる。
その姿こそが何よりも雄弁に、答えを物語っていた。

やがて、ジャンヌはぽつりと口を開く。
「元より、力の差は歴然です。
 生きて勝てるのなら、それが最上でしょうが……。
 あの帝王をこの身と引き換えに葬り去れるなら、私は迷わないでしょうね」

三度、ぶつかり合い、箸にも棒にも掛からなかった。
力の差は隔絶している。
全生命を賭け金にして、ようやく舞台に立つ資格を得られるかどうか。
淡々と紡がれる言葉は、覚悟の証であった。


「だ、ダメですっ!」
りんかが身を乗り出し、衝動のままに喉を張りかけ……声の大きさに我に返って声量を落とす。

「死んじゃだめです! ちゃんと勝って、生きて帰りましょう!」
りんかは小さいながらもよく透る声で、はっきりとジャンヌを窘める。
その真っすぐな懇願に、ジャンヌは苦い笑みを浮かべるだけであった。


(それは、りんかもだよ)

そんなりんかを紗奈は静かに見据える。
りんかこそ、英雄譚のために命を投げ出せてしまう性質だ。
ジャンヌが窮地に陥れば、りんかは迷いなく生命を使う。
それは、もう"業"と評しても差し支えないのだろう。
言いたいことは山ほどあるが、紗奈は私情を脇へと追いやった。


――重要なのは、キングもまたそう考えるだろうということである。


禁止エリアでジャンヌと戦うことで発生する、道連れのリスク。
ジャンヌの排除を妨げてくる、葉月りんかという自殺志願者。
二重の足止めは想定外の結果をもたらしてくる可能性がある。
一度はりんかと戦うことすら避けていたキングが、このリスクを無視するとは思えない。


「落ち着いてよ、りんか。
 大事なのはさ、放送の内容を知るまで、キングは私たちと正面から戦うことを警戒するだろうってコト」

紗奈が紗奈なりに、キングの思考をトレースして導き出した結論だ。
ジャンヌを頭数に含めても、紗奈たちはキングにとってはいつでも殺せる小娘たちにすぎない。
だから、たとえ怒り狂っていようとも、予測不可能なリスクを残したまま殺しには来ない。

「逆に、殺しに来るとすれば、協力者がいるということでもあるけどね」
りんかの表情が引き締まる。
ジャンヌもまた、唇を小さく結んだ。
そうなれば、勝ち目はさらに遠のく。


「必要なのは、キングよりも先にたくさんの仲間を見つけること。
 協力できそうな人、信頼できる人、キングを邪魔に思ってそうな人。
 少しでも心当たりがあるなら、全部話して」


PM 13:10

キングと敵対する連中と結託し、連携してキングを襲う。
言葉にすれば簡単だが――。

「言うは易し、おこなうは難し、ですね」
ジャンヌの声が、重く響く。


「キングと真に敵対している者など、そう多くはありません。
 表立って逆らう人間を、あの男が生かしておくはずがないのです」

逆らった者は、家族や友人、近隣の住人に至るまで、町単位で見せしめにしてしまう。
それがキングス・デイという悪の枢軸。
ジャンヌはそのことを誰よりも知っている。


「仮にまだ牙を隠している者がいたとして――それは確かな力を持つ悪党。
 正義も、誇りも持ち合わせません。あるのは打算と裏切りだけでしょう」

二人は、その言葉に息を詰める。
道のりの困難さをあらためて突きつけられる。


「そうですね……」
やがて短い沈黙を破り、ジャンヌが徐に口を開いた。


「心当たりは、ないわけではありません」
ジャンヌの脳裏には、三つの名が浮かんでいた。


「ですが、その者らと組むことを手放しでは勧めない」

ディビット・マルティーニ。
ネイ・ローマン。
欧州を騒がせていた悪党たち。

そして、エンダ・Y・カクレヤマ。
キングから名指しで抹殺リストに挙げられていた少女。
本人らの気質はさておき、欧州で名を轟かせていた悪の象徴である。


「いずれも、キングですら手を焼く曲者ぞろいです。
 軽々しく接触しようものなら、食い散らかされるのみ」

キングが退けば覇権すら狙えると噂されるマフィアの最高幹部。
キング相手に下剋上を企む新興勢力の旗手。
二つの人格を併せ持ち、キングすら手を焼く新興宗教の象徴。
いずれも一介の小娘が渡り合えるような相手ではない。


「もし、無策で向き合うつもりなら――諦めたほうが賢明です」

勝算はあるのか?
手綱を握り切れるのか?
ジャンヌはそれを問うているのだ。


「勝算は、あるよ」
しかし紗奈は動じなかった。
ジャンヌの目を見つめ、問いを正面から打ち返した。
ジャンヌが目を見開く。

「キングを倒したいヤツらが、喉から手が出るほど欲しがるものを用意してる」
キングの命を狙う並み居る悪党を従えるジョーカーがある。
自分の半分ほどの年齢の少女が、豪胆にもそう言い切った。


「それは、一体?」
カードの一つは、ジャンヌも把握している。
キングが放送を聞いていないという情報だ。
だが、悪党相手にそれを持ちかけたところで、情報を絞り取られて終わるだけ。
交渉における、絶対的なアドバンテージは得られない。

訝しむジャンヌを前に、紗奈が取り出したもの。
それは、紗奈という少女の象徴たる小道具である。


「枷?」
アビスにいる者にとって、極めてなじみ深いものであった。
そして、この刑務においては異物であった。


「私は、システムAを起動できる」
現在アビスで使われている手錠において、システムAの子機は着脱性である。
開錠されている枷ならば、子機を追加で取り付けたり、取り外すことが可能なのだ。

ネクストの収監を見越した措置であり、
高い超力強度が見込まれるネクストの収監者に対し、複数のシステムAをクラスタリングして対応することを見据えた設計である。
実際、ネクストに近い超力強度を持つ高原姉妹は現在、システムA子機を二機、クラスタリングして装着している。
アビスの手錠のシステムA子機は、統一規格のコネクタを通して別の手錠へ取り付けることができるのだ。


「私だけが、"私の枷に着いた"システムAを起動できる」
ハヤトが得たのは『システムAを10分間起動する権利』である。
正確には、『ハヤト自身が着けている枷の持ち込みを許され、"そのシステムAを"10分起動する権利』である。
『"囚人の生体情報が登録された手錠のシステムA"を、同じ"生体情報を登録したデジタルウォッチからコード入力で"起動する権利』である。


交換リストに手錠はない。
ハヤトの手錠は特例で持ち込まれたものだ。正規の入手手段はない。
だから、ハヤトは包み隠さず正直に、キングに『自分のデジタルウォッチからでしか操作できない』と述べた。
そして、キングも『自分の生体情報が登録されたアビス製の手錠』を入手することは早々に見切った。
紗奈だけが、ハヤト以外に手錠をこの刑務場に持ち込んだのだ。
これが、彼女のジョーカー。

まずキングに手錠をかけられなければどうしようもないため、先の襲撃では使わなかったが。
それができる協力者がいれば、いくらでもやりようはある。


「ケンカを売るなら相手を選べってアイツは言ってた。
 それでもケンカを売らないといけないなら、どんな悪いヤツらとも手を組むよ」
「紗奈ちゃん……」


紗奈の正義はりんかの劣化コピーだと、キングは評した。
そうなじられるのも当然だ。
だって、紗奈が真に守りたいのは無辜の大衆ではなかったのだから。
もし、りんかと同じ無辜の大衆を守る正義の味方であり続けるなら、その理由はりんかから間借りするしかない。
そんなもの、底が浅くて当然だ。

ジャンヌ・ストラスブールの光に灼かれた者はこの世にごまんといる。
ならば、ルーサー・キングの闇に灼かれた者がいないはずがない。

紗奈は、踏み躙られてなお、正義の味方であり続ける"アヴェンジャーズ"とは違う。
彼女の本質は、"チルドレン・オブ・ザ・キングス"の側である。
そして、ルーサー・キングに反発し、それを原動力に力を伸ばしたネイ・ローマンに近い在り方だ。


「それでも、空っぽだった私に光を満たしてくれたのはりんかだよ。
 だから、りんかがいる限り、私は堕ちない」

紗奈は呆然とするりんかの手をぎゅっと握る。
その手はしっとりと汗ばんでいた。
紗奈の首筋を一滴の汗がつたっている。
震える指先に気付き、りんかは気を張り直して、そっと握り返した。


「ちょうどいい機会だから、はっきり聞いておくね。
 ジャンヌの覚悟は、どうなの?」

紗奈が、ジャンヌに問い返す。
覚悟があるのかと問い返す。


「悪いヤツらと手を取って、ジャンヌを最後まで信じてくれた人たちを裏切る覚悟。
 ――あるの?」

ジャンヌが名を浮かべた欧州の巨悪たち。
無辜の民から搾取し、踏みつけにして生きる悪党ども。
暗黒街の帝王を討つために、彼らと手を組む覚悟がジャンヌにあるのかと紗奈は問うているのだ。

聖女としての矜持を背負い続け、正義の味方として戦ってきたジャンヌが。
一つの巨悪を討ち破るために、すべての小悪を呑み込んで対峙するのか。
その覚悟を問うているのだ。


――正義の味方の貴女は、『この刑務で、どのように行動するつもりなの?』

刑務が始まってすぐ、投げかけられた問いをジャンヌは想起した。
あの時、ジャンヌは確かに迷い、目を泳がせた。
この刑務で貫くべき正義とは何か、討つべき悪とは何か。
己が光を見失いかけていた。

ふっ、とジャンヌは自嘲する。


「私が世間に何と言われているか、知っていますか?」

"焔の魔女"。"フランスの悪魔"。"堕ちた聖騎士"。
ジャンヌを表す悪名は枚挙に暇がない。
ジャンヌ・ストラスブールの名は今や恐怖の代名詞だ。
キングス・デイに敗れてから、ありとあらゆる汚名を被せられ、世界は彼女を悪の代名詞とした。
洗脳兵士であったりんかはその事実を知らないが、紗奈は知っている。
紗奈の瞳が揺れたのを見て、ジャンヌが苦味を帯びた微笑を返す。


「様々な二つ名があることは耳に入れています。
 ですが、私が動く理由はかつても今も、目の前の人々を救いたいという想いのみ。。
 与えられるのが名声であれ、悪名であれ、私の為すことは変わらない」

凛とした声が宣言が響く。
ジャンヌは、己を罵る世界を睨むことなく、はるか道の先を見据えていた。
かつてフレゼアに説いたように、憎悪と絶望には囚われず、善と正義の希求を続けてきたのだ。



「あの男を討つために、汚名を背負う必要があるというのなら、そのすべてを、私が背負いましょう。
 世界が僅かにでも救われるのならば、悪鬼羅刹とすら手を携えましょう」

それは、ジャンヌの名も、悪もあらゆる汚名も、すべて抱き込む揺るぎない覚悟だ。
地の底でただ朽ち果てるはずだった自身が、世界が少しでも良くできるのなら、それこそ本懐。


「なぜ、ジャンヌさんはそれほどまでに、真っすぐ、迷わずにいられるんですか?」
話の途中にもかかわらず、思わずりんかは問い返した。
ジャンヌはにこりと笑い、答える。

「人を、信じているからです」
噓偽りのなく、言い切った。


「アビスにおいて、この刑務において、私は様々な悪を見てきました。
 しかし、私は同時に、この地の底で希望も見た」
抑えきれないはずの欲望を内に秘めながら、幼い少女に歩み寄り、手を握ってくれる者。
道を踏み外し、悪の限りを尽くしながらも、最期に正道に立ち戻ることができた者。
この血と汚物で穢れたドブ底にあって、善意を希求する者、善意を紡ぐ者。
悪の蔓延るこの最果てにおいてさえ、善は、正義は、いまだ輝きを失っていない。


「巨悪が消えた後に、真に世界を導けるのは、私ではありません。
 もっと相応しい人々が、すでにいることを私は知っている」

暖かい眼差しがりんかに注ぐ。
ジャンヌがキングを討ち、その功績を携えて人々を導いたところで、フレゼアやジルドレイのような人間を再生産するだけだ。
荒れた世界を立ち上がらせるのは、カリスマに満ちた個人の威光ではない。
日々を生きる者たちが、明日も生きてみようと前を向き、歩み続けるサイクルが回ることである。

閉塞感を吹き飛ばしてくれるカルチャーを担う人々。
すなわち、希望を与えるヒーローや、アイドルたち。
そんな人々を、ジャンヌは知っているのだ。


「私を信じてついてきてくださった方々は、私という個を信じたのではありません。
 私の理念を信じてくださったのです。
 その理念が芽吹き、花咲かせる未来に繋がる。
 私は胸を張って、召された人々へと語りましょう」



「あはは……」
乾いた笑いを浮かべる紗奈。
覚悟を問うたはずが、圧倒されてしまった。


――ケンカを売るなら、相手を選べよ。
不意に、紗奈の脳裏にその言葉がよみがえってきた。


「なんで世界には、こんなに眩しい人たちがいっぱいいるんだろう……」

呟いた瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。
紗奈も覚悟を決めたはずだったのだ。
ジャンヌの協力を得られることは喜ばしいことのはずなのに、それが無性に腹立たしかった。

「紗奈ちゃん……」
りんかは慈しむように抱きしめる。
その温かな抱擁が、冷えきった心を包み込む。
りんかは、ただ、静かにその背を撫でた。


【C-4/平原/一日目・日中】
【葉月 りんか】
[状態]:疲労(小)、紗奈に対する信頼と不安
[道具]:治療キット
[恩赦P]:40pt (ジルドレイの首輪から取得、治療キット -50pt 食料 -10pt)
[方針]
基本.――――姉のように、救って、護って、死にたい。その為に、償い続ける。
0.自分を救い、命を奪われたハヤトとセレナの分まで戦い抜く覚悟。
1.紗奈のような子や、救いを必要とする者を探したい。
2.紗奈やジャンヌと協力してルーサーを討つ。
3.紗奈が道を踏み外さないように目を外さない
4.この刑務の真相も見極めたい。
※羽間美火と面識がありました。
※超力が進化し、新たな能力を得ました。
 現状確認出来る力は『身体能力強化』、『回復能力』、『毒への完全耐性』です。その他にも力を得たかもしれません。
※超力の効力により新たに『精神強化』が追加されました。

【交尾 紗奈】
[状態]:気疲れ(大)、強い決意、りんかへの依存、ヒーローへの迷い
[道具]:紗奈の手錠&鍵、ハヤトの手錠、紗奈のシステムAの手錠&鍵
[方針]
基本.りんかを守る。りんかを支える。りんかを信じたい。
0.りんかのために戦う。でも、それだけでよくなかった、何もかもが足りなかった。
1.ブラックペンタゴン内部の人間と結託し、何としてもルーサーを殺害する。
2.りんかの恩赦のためにポイントを集める。
3.ジャンヌのためにりんかが犠牲にならないか警戒。

※手錠×2とその鍵を密かに持ち込んでいます。
※葉月りんかの超力、 『希望は永遠に不滅(エターナル・ホープ)』の効果で肉体面、精神面に大幅な強化を受けています。
※葉月りんかの過去を知りました。

※新たな超力『繋いで結ぶ希望の光(シャイニング・コネクト・スタイル)』を会得しました。
現在、紗奈の判明してる技は光のリボンを用いた拘束です。
紗奈へ向ける加害性が強いほど拘束力が増し、拘束された箇所は超力が封じられるデバフを受けます。
紗奈との距離が離れるほど拘束力は下がります。
変身時の肉体年齢は17歳で身長は167cmです。

【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(小)、全身にダメージ(中)、超力成長中
[道具]:流れ星のアクセサリー
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。
1.ブラックペンタゴン内部の人間と結託し、ルーサー・キングを討つ。
2.日月やりんかを次代のホープとして守りたい。
3.刑務の是非、受刑者達の意志と向き合いたい。

※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
※ジャンヌの刑罰は『終身刑』ですが、アビスでは『無期懲役』と同等の扱いです。

※流れ星のアクセサリーには他人の超力を吸収して保存する機能があるようです。
 吸収条件や吸収した後の用途は不明です。
※流れ星のアクセサリーに保存されていた『フレゼア・フランベルジェ』の超力を取り込みました。
 フレゼアの超力が上乗せされ、ジャンヌの超力が強化されています。
 完全に肉体に馴染んだ時、更なる進化を遂げる可能性があります。



128.BLACK IN BLACK 投下順で読む 129.内通
時系列順で読む
守りたいのはたった一人 ジャンヌ・ストラスブール 内通
葉月 りんか
交尾 紗奈

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年10月13日 18:30