「ウッッッッッソでしょーーーーーーーーーーーー!!??」

――悲痛な声が月夜に響き、けたたましい水音が空を破った。

◆◆◆


VR空間『New World』で行われるバトルロワイアル。
ハッピー・ステップ・ファイブの秘密兵器、三条 由香里の開始位置はG-1の海上だった。


(せっかくLUKに50ptも使ったのに、初っ端からびしょ濡れとか最悪じゃない!
第一、こういうのは可憐さんの役回りでしょーーーがっ!)

開始早々海に叩きつけられた彼女の心中は穏やかではない。

普段から数々のトラブルを巻き起こしている彼女としては、不運によって己の身に降りかかるトラブルを可能な限り回避したいという思惑があった。
故にGPをはたいてBランクのLUKを取得しておいたわけだが、この仕打ちである。

幸い、着水時の体勢が良かったため溺れずには済んだ。
しかし水深は深い。正面と左側に陸地が見えるがそれなりに距離がある。
あまり長く水に浸かっているとどんどん体温を奪われ死に至るだろう。
急いで陸地に上がらなければならない。

なぜかライブの衣装を着させられているが、ノースリーブの衣装なのでそんなに泳ぎに支障はないはずだ。

――さすがにスカートは脱いで[[アイテム]]に収納した。
陸地に他の参加者がいるかもしれないが、気にしていられない。
死ぬことに比べたらアンスコ見られるくらいどうってことない。




ざぱざぱとうろ覚えのクロールで正面の陸地に向かい進んでいく。
この時間、この辺りの海流は穏やかで、由香里の上手とは言えないクロールでも着実に陸地に近づいている。

(最初の転送以外は割とツイてるじゃない。
このままなら問題なく陸地にたどり着けそう)


マイペースながらも着実に泳ぎ進み、陸地が眼鼻の先にきた。
もうすぐ陸地にたどり着けると安心する。

しかし、しばらく泳ぎ続けるうちに異変に気付いた。

(…なんかさっきから距離変わってなくない?)

陸地が10m先に見えてきてから5分ほど泳ぎ続けているが、陸地までの距離が一向に縮まらない。
むしろ遠ざかっているようにすら感じる。

(ちょっとちょっと…このままじゃ…)

このままでは疲労と低体温で体が動かなくなる。
その先にあるのは――――死だ。



由香里が岸にたどり着けない原因は離岸流だ。
海岸に打ち寄せた波が沖に戻ろうとする時に発生する海流で、海浜事故の主要因の一つでもある。

その離岸流に押し流されてしまい、岸に近づこうとしても近づけないというわけだ。


海岸に対して平行に泳げば離岸流が発生している区域から脱し、海岸に打ち寄せる海流「向岸流」に乗ることも可能ではあるが、ここ数年海水浴すらろくにしていない由香里はそんな解決方法には思い至れない。

岸を目指し、一心不乱に泳ぎ続ける由香里に更なる不運が襲い掛かる。


(…足つった)
これはもう…どうしようもない。
「万事休す」という言葉が脳裏に浮かぶ。
せめてもの悪あがきと腕をばたつかせるが何の意味もない。

ついに体力が尽きた由香里は心の中でシェリンにあらん限りの面罵を浴びせながら、その体を水に預けたのだった――。

◆◆◆


「起きろ由香里ィ!!」

勢いよく頬が張られて由香里は目覚める。

――ああよかった。
殺し合いに巻き込まれたのも、開始早々海に落とされたのも、なぜか陸に近づけず溺れたのも全部夢だった。
目が覚めればベッドの上で、いつも通りの日常が待っているはずだ。


「寝言言ってんなバカ!全部現実だよ!VRだけど!」

しかし目を開けた由香里はベッドの上ではなく水の中にいた。

体力が尽きて海に沈むはずだった自分の体を誰かが掴んでいる。


――聞き覚えのある声だ。とても懐かしい。
あの人によく似た声――。

「利江…さん…」
「そうだよ!利江だよ!助けに来たんだよ!」

派手な色に染められた髪、実年齢より遥かに大人っぽく見えるメイク。
由香里が知っている姿とはかけ離れているが、そこにいたのは間違いなく、デビュー直前に『HSF』を脱退した滝川 利江だった。


「間に合ってよかった!死んじゃったらどうしようってすごく怖かったんだから!」

久しぶりに会う利江はひどい顔をしていた。
可愛らしいその相貌を濡らしているのは、海水だけではないのだろう。
利江の脱退を知って泣き喚いていた自分も、こんな顔だったのだろうか。

「早く陸地に上がるよ。私に掴まって!
大丈夫。私には海流を無視して泳げる指輪があるの。
絶対、あんたを陸まで連れてってあげるから!」

――頼もしいなあ。

かつての私はこの人を越えようと頑張ってきた。


リーダーの涼子さんも、その無二の親友である利江さんも。
アイドルとして遥か高みにいる二人を乗り越える。
それこそが、私を助けてくれた二人への恩返しになると信じていた。


利江さんが理由も言わずに脱退された時は泣いた。
勝ち逃げされたと悔しくて悔しくて泣き腫らした。


利江さんを除いた5人で『ハッピー・ステップ・ファイブ』としてデビューして、アイドルランキングを駆け上がった。


もう利江さんは越えたと思った。
眼中にないと思った。
強く強くそう思おうとした。


そして今日、久しぶりにその顔を見た。

また助けてもらってしまった。
全然敵わなかった。


「利江さん…」
「?
どしたの?由香里?」

心の中で呟いたつもりだった言葉が声になってしまった。

どうしよう。こういう時何を言えば良いのか。
黙ってても不自然なので、とりあえず思いついたことを言う。




「やらしー下着、着けてますね…」
「今気にすることじゃないでしょ!!!」


[G-1/海上/1日目・深夜]
[三条 由香里]
[パラメータ]:STR:D VIT:C AGI:B DEX:C LUK:B
[ステータス]:疲労大、びしょ濡れ
[アイテム]:不明支給品×3(確認済)
[GP]:0pt(まだメールを開いていません)
[プロセス]
基本行動方針:HSFみんなと合流。みんなで生きて帰る。
1.陸に揚がる。
※アイテムは名前だけ確認し「この状況では役に立たなそう」と判断しました。

[滝川 利江]
[パラメータ]:STR:C VIT:A AGI:C DEX:B LUK:E
[ステータス]:びしょ濡れ、下着姿
[アイテム]:暗視スコープ、海王の指輪(E)、不明支給品×1(確認済)
[GP]:0→10pt(キャンペーンで+10pt)
[プロセス]
基本行動方針:HSFみんなと合流。みんなを生きて帰す。
1.由香里を陸に揚げる。
2.なるべく殺人はしない。襲われたら容赦しない。
※衣服及び暗視スコープはG-1東側の陸地に放置してあります。回収して着るつもりです。

【暗視スコープ】
暗所でも見えるスコープ。僅かな光を増幅するタイプのものなので完全な暗闇では使用不可。

【海王の指輪】
指輪。装着すると海流の影響を無視して泳ぐことができる。
泳ぎが上手になるわけではない。

◆◆◆


G-1。北側の陸地。

ここに、三条由香里と滝川利江の一連の騒動を眺め、歩き出す男がいた。

少し高めの身長、特徴のない体格、特徴のない顔、特徴のない髪形。

すれ違ってもすぐに忘れられてしまいそうな、そんな外見の男。


しかし、街行く人に彼の写真を見せれば一様に目を見開いて、彼の名を呼ぶ。
そしてある者は面罵し、ある者は無関心を装い、またある者は発奮するだろう。
彼の名は、彼の顔はそれほどまでに人口に膾炙している。


彼はアイドルか――――否。
彼はタレントか――――否。
彼はスポーツ選手か――――否。
彼は政治家か――――否。


彼は死刑囚。
14人もの人間の命を無差別に刈り取り、死刑判決を受けた殺人鬼だ。


彼の名は――――桐本四郎。



[G-1/1日目・深夜]
[桐本 四郎]
[パラメータ]:STR:B VIT:D AGI:A DEX:C LUK:B
[ステータス]:健康
[アイテム]:不明支給品×3(確認済)
[GP]:15→25pt(キャンペーンで+10pt)
[プロセス]
基本行動方針:人が苦しみ、命乞いする姿を思う存分見る。
1.女二人の上陸地点で待ち伏せ、陸地に揚がったところを襲う。
2.称号とか所有権は知らんが、狙えるようなら優勝を狙う。

016.彼女の戸惑い、あるいは金魚鉢の中のサメ 投下順で読む 018.雪の神殿
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GAME START 滝川 利江
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最終更新:2020年10月06日 21:06