■
氷の棘みたいな少女だった。
透き通るように美しく、どこまでも真っすぐで。
その棘はどこか触れるだけで砕けてしまいそうな脆さと共に、自分自身すら傷つけるような鋭さを持っていた。
私はその在り方を美しいと感じたのだ。
■
すっかり秋の気配が身をひそめた冬の放課後。
私は誰もいなくなった廊下をぶらついていた。
吐く息も白く、自らの足音だけが響く静寂とひんやりとした空気が心地よい。
行く当てもなく廊下を進む。
1-1の教室の前を通り過ぎたところで、誰の居なくなった教室でカーテンがはためいたのが見えた。
窓を閉め忘れたのかと思って教室を覗き込むと、窓際の席でジャージ姿の少女が茜色に染まる外を眺めていた。
少女が斜陽に照らされ風に吹かれるその様は何と言うか絵になるなぁなんて、そんなことを思った。
「鈴原さん……だよね? なにしてるの?」
思わず声をかけていた。
そのまま教室に入って、彼女の前の席に座る
少女は目の前に座った私を一瞥して、すぐに視線を外に戻した。
「あ。知ってる分からないけど、私2組の滝川利江、よろしく」
努めて明るく声をかけるが返事はなかった。
視線すら向けず冷たい態度でだんまりを決め込んでいる。
私に構うなと言う意思が全身からにじみ出ていた。
だが、そんなものは知らないと、私もその気配を無視して彼女の前に居座り続ける。
無言の攻防が数分続いて、ようやく私に立ち去るつもりがない事を察しったのか、呆れたような視線をこちらに向けた。
「暇なの?」
「そうかも」
冷たい声に負けずにひょうひょうと答える。
そんな私の態度に溜息をもらして、再び視線を外へとそらした。
「放課後なんだから、することがないんなら帰ったら?」
「つれないねぇ。そういう鈴原さんこそ、なんで残ってるの? 用事があるって訳じゃなさそうだけど」
「別に。どうでもいいでしょ」
刺々しい態度だったが無視を決め込むのはやめてくれたようだ。
会話に応じてくれたことが嬉しくって、気を良くした私は最初から抱いていた素朴な疑問を聞いた。
「なんでジャージのままなの? 1組は6限体育だっけ?」
そこまで言って、失言に気づく。
何故なら1組の体育は2組と合同だから、私のクラスがそうじゃない以上彼女のクラスもそうであるはずがない。
その問いにジャージ姿の少女は外を向いたまま、そっけなく答える。
「制服が濡れちゃったのよ」
「…………あぁー」
その一言で察した。
私が察したことを察したのか、下らないと彼女は吐き捨てた。
「同情なんていらないわ。いつもの事よ」
なんでもない事のように言う。
それがいつもの事なのだとしたら、そちらの方が辛い事なのではないだろうか。
鈴原さんは美少女だ。
学年一どころか多分学校でも一番だろう。
こうして改めて顔を眺めていると同性の私ですらドキドキするような色香があった。
当然の様に入学当初から男子からの人気は凄まじく、同級生はおろか上級生からも告白されたなんて噂も後を絶たない。
だが、その全てを彼女はにべもなく袖にしてきた。
どんなふうにかと言うと、私に対応しているこんな風にだろう。
だから軋轢を生むようなその態度せいで要らぬ恨みを買う事も少なくなかった。
手ひどく振られ恨みに思った誰かが、彼女の出自を調べ学校中に張り出した、なんて事件もあったくらいだ。
そして当然の如く女子からの評判は悪かった。
お高くとまってるだの、育ちが悪いから男に媚びうるビッチになるだ、なんて根拠のない悪評は枚挙に暇がない。
そんな感じて彼女は孤立していた。
私が知らなかっただけで、こんな風に直接的なイジメを受けることも珍しくはないのだろう。
イジメなんだから教師が対応しろと思わなくはないが、本当かどうかは知らなないが、生活指導の先生に迫られたなんて噂も聞く。
美少女も大変だ、なんて噂を聞いた隣のクラスの私は他人事のように思っていた。
だけど、こうして実際に話してみた彼女は、私の思っていた印象とは違った。
強くあるために、負けない様に強く心を冷たく尖らせている。
まるで氷の棘を纏ったハリネズミ。
その在り方は孤独と言うより孤高に見えた。
「じゃあ服が乾くまで待ってるって事?」
「そう言う訳じゃないわ。こうしてるのは今日に限った事じゃないもの。
あなたの方こそ何をしていたの? 部活動って感じじゃなさそうだけど」
「まあね。そうなんだけどさ」
互いに同じように言葉を濁して、沈黙が訪れる。
意地の張り合いだった先ほどとは違う、気まずい沈黙。
その間にひときわ強い風が吹き抜けた。
カーテンが揺れて、冬を運ぶ北風が彼女の髪を梳かした。
「…………帰りたくないの?」
乱れた髪をかき上げながら、向こうから問いかけてきた。
私は答えなかった。
けれど、その沈黙だけできっと答えは伝わっているのだろう。
――――家に居たくなかった。
帰っても、待っているのは飲んだくれの父親だけ。
だから朝は父親よりも早く起きて新聞配達に出かけ。
放課後は年齢を偽ってバイトをして、寝るとき以外はなるべく家にいないように努めていた。
けれど今日みたいにバイトがない日はすることがない。
バイトがあるから部活動をするわけにもいかず、こうして放課後の学校で時間を潰していた。
「鈴原さんも…………そうなの?」
「そうね。帰っても居場所がないもの」
隠すつもりもないのか、それとも私に同類としてのシンパシーを感じてくれたのか彼女はそう素直に認めた。
居場所がないと彼女は言った。
養護施設の暮らしがどんなものかは私は知らない。
だけど学校ではいじめられ居場所のない彼女がそうだとするのなら、それは……。
彼女をイジメる誰も彼もが下校した誰もいない放課後。
この時間だけが彼女に許された誰にも侵されない自由な時間だった。
どこにも居場所がない少女は、こうして誰もいない教室で一人、外の世界を眺めているのか。
ガタンと椅子が揺れる。
私はなんだか腹が立ってきて、衝動のまま勢いよく立ち上がった。
「ねぇ。鈴原さん。こうしていつもぼーっとしてるってことは放課後は暇なんだよね?」
「ま、まぁ……そうだけど」
突然立ち上がった私に驚いたのか、目を丸くして勢いに気圧されるように頷いた。
その顔すらも愛らしいのだから反則だろう。
「だったら。私と一緒にアイドルやらない?」
■
「見えてきましたよ利江さん! もうちょっとですから頑張ってください」
鳥の声一つない静かな森に元気な声が響いた。
殺人鬼の襲撃を辛くも退けた三条由香里と滝川利江は神社を目指していた。
目的は利江が殺人鬼より受けた毒の治療である。
ルール説明によれば神社では状態異常の回復が可能だという話だ。
その
ルールに希望を託し二人は一路神社を目指していた。
毒の効果は命に係わるため一刻も早く治療を行うべきなのだが、その歩みは亀のように遅い。
だが、それも致し方あるまい。
毒を受けた利江の顔色は青紫に染まり、下着姿の全身からは完全に血の気が引いていた。
足元は毒の影響か覚束なくなっており、もはや支えがなくては一人で歩くことも難しい状況にある。
その利江に体格的に劣る由香里が肩を借して歩いているのだから、歩みの遅さは目を瞑るべきだろう。
桐本戦で発揮された下剋上スキル効果によるステータス上昇効果はとっくに切れている。
素の由香里のステータスでは人一人支えて歩き続けるのがどれだけ大変なことか。
それでも励ましの言葉をかけ続けながら利江を支え続ける由香里の健気さに文句など言えようはずもない。
その道中、由香里はずっと利江に話しかけていた。
利江が離れてからの事。自分の事。HSFの事。話題は尽きなかった。
毒に侵さされていなければ水商売で培ったトークスキルで話を盛り上げたのだろうが、思考の回らない今では相槌しか打てなかった。
由香里もそれは分かっているのか、一方的に捲し立てていた。
ゆっくりと、だが確実に進む二人の歩みは荒涼たる火山エリアから橋を渡り諸島エリアへと突入していた。
既に目的地である神社を構える森の中へと踏み入り、森に敷かれた参道を辿る。
そこからどれほど進んだのか。
ようやく目の前に赤い鳥居と台座に構える狛犬の姿を認めた。
「あとちょっとですよ、もうひと踏ん張りです利江さん!」
目的地が目に入ったところで息をつくでもなく、そのまま鳥居をくぐり境内に足を踏み入れる。
たった40人しかいない世界において音一つない静けさは珍しい事ではないのだが、何処か神聖な静謐さを感じさせた。
だが神社にたどり着きはしたが目的はここからだ。
毒の治療が行える場所を探さなければならない。
由香里は神社の探索を開始する。
だが探索と言っても境内はそれほど広くはない。
おみくじ売りの売店がある訳でもなく、手を清める手水舎もない。
あるのは賽銭箱を構える小さな社だけである。
何かあるとしたらこの境内社しかないのだが。
賽銭箱に投げる小銭はないので、取りえず賽銭もなしに鈴緒を引いてカランカランと鈴を振る。
『はいはーい。神社のシェリンですよー』
神社の鈴はその音色で魔を祓い清め神様を呼び込むものとされているが、現れたのは紅白の巫女服姿の電子妖精だった。
参加者にとって不吉な予兆でしかない存在だが、今は彼女たちが縋るべき唯一の希望である。
「利江さんの毒を治療してください!」
開口一番由香里が叫んだ。
シェリンはニッコリと笑って答える。
『毒の治療は20ptとなります』
「え、無料じゃないの!?」
想定外の返答にあわあわと困惑する。
言われてみれば要GPと書かれていた気もする。
「ど、ど、ど、どうしましょう!? あたし最初のアバター作成で全部使い切っちゃってポイントなんて持ってないですよ!?
あたしってきっちりした女だからと謎の後悔を見せながら慌てふためく由香里。
対照的に要救助者である利江は落ち着いていた。
ぐったりとして騒ぎ立てる元気もないだけなのかもしれないが。
「……落ち着きなさい、最初のメールで10ptは貰えるでしょ?」
「メール? これですか…………あ、ほんとだ」
いきなり海に叩き込まれたドタバタに加え、直後の殺人鬼に襲撃によってメールを確認するどころではなかった。
ここにきてようやく由香里は初めてメールを開く。
「やった! 10pt貰いましたよ利江さん!
これで合わせて20pt。なーんだ、大丈夫じゃないですか」
やったやったと踊るように喜んで、ほっと胸をなでおろす。
これで利江の治療に関する問題点はクリアされた。
由香里は改めて巫女姿のシェリンへと向き直る。
「じゃあ私と利江さんで20pt支払うんで、治療の方よろしくお願いしまーす」
『ダメでーす。分割支払いは認められていませーん。GPはお一人が一括でお支払いくださーい』
「えぇ……っ!」
だが、またしても申請は拒否された。
「え、じゃあ、あたしのポイントを利江さんに渡せないんですか?」
『はい。譲渡は可能ですよ』
「あ、そうなんですね。なら私の全ポイントを利江さんに譲ります」
『それでは手をつないでコネクトを行ってくだい』
「ん? こうですか」
「ちょっと由香里……待ちな、」
由香里が利江の手を取った。
利江が言葉を挟むが、その前にコネクトが開始され由香里の全GPが利江へと譲渡される。
「どうです? 行きました?」
「……19pt」
「え?」
「今の私のGPは19ptよ」
利江のGPは19pt。
解毒に必要な20ptには1pt足りない。
「って、なんでですかぁ!!?」
『手数料です。GPの譲渡は1割が徴収されます』
「…………ああもう、考えなしなんだから。ちゃんと説明は最後まで聞いてから実行しなさい」
「えぇ、もっと早く言ってくださいよ……!」
言おうとしたがその前に実行したのは由香里である。
今の利江に素早い反応を求めるのは酷だろうが。
「1ptくらいいいじゃないですか! まけて下さいよぉ!」
『ダメです。1ptもまかりません』
由香里は値切り交渉を始めるが、AI相手にそれは無意味だろう。
こうして無駄な交渉を続けている間にも時間は刻一刻と過ぎ去ってゆき、毒に侵された利江に残された時間もまた減っていった。
時間を無駄にしている場合ではない。
頭を切り替えて別の方策を考えなくてはならないだろう。
由香里は落ちかけた頭をガバっと上げて、パチンと見ずからの両頬を叩く。
「――――決めました」
その目には何かの決意を固めた色が秘められていた。
その様子を見て、青い顔の利江は苦笑いを浮かべる。
この感じは知っている。
HSFの誇るトラブルメーカー、暴走の予感だ。
「……待て由香里。どうするつもりだ?」
「他の参加者を探してptを譲ってもらいます!」
「いや……待て……」
「大丈夫ですって! 人助けのためなんだから1ptくらい譲ってくれますって!」
「そうじゃない…………危なすぎる」
ここは殺し合いをするゲームの舞台で、彼女たちも実際に殺人鬼に襲われたばかりだ。
あんな危険人物の居る場所で無作為に話しかけに行くなどリスクが高すぎる。
「そうですけど、これしか手がないじゃないですか!」
別の方策があるのかと問われれば、利江にだって答えられない。
だが、それでも自分のためにかわいい元後輩を危険にさらすなど望むはずもない。
「ダメだ……待ちなさい」
「へっへ。止めたって無駄ですよ! 今の利江さんには私を止められないですよねぇ!」
何故か悪役めいた口調で煽るHSFの暴走列車。
一度言い出したら聞かないのだから、いつもなら頭を叩いて力づくで止めていたのだが、毒で弱った状態では実力行使も難しい。
「……そうじゃない。譲ってもらうなら1ptじゃなくて3ptにしなさい」
「3pt?」
こうなるともう止めるのは無理だと判断して、せめて最善となるよう誘導する方針にした。
言われた言葉の真意が分からず由香里は首をかしげる。
「………………シェリン、1ptを委譲した場合どうなるのか具体的に説明して」
自分で説明するのも億劫なのか、シェリンへと説明を投げる。
『はい。1ptを委譲する場合、手数料で1pt差し引かれて、移譲されるポイントは0ptとなります』
「えぇ!? 0ptぉお!? 詐欺じゃないですか詐欺!!」
『詐欺じゃないです。そういうシステムでーす』
やかましく騒ぎ立てる由香里と違いその答えを予測していた利江は黙したまま、ただ苦々しく表情をゆがませ息を荒くする。
システムである以上、抗議は無意味だ。
納得はできていないようだが、由香里もそのシステムを受け入れた。
「だとしても2ptでよくないですか? 1ptはおまけ?」
「そんなわけないでしょ……由香里への譲渡で1pt。由香里から私への譲渡で1pt。手数料は2pt引かれるのよ」
説明を受けてようやくなるほど、と頷く。
そうと分かれば立ち止まっている時間が惜しい。
「わかりました! じゃあ3pt貰ってきます、それまで死なないでくださいよ! 絶対ですからね!」
「そっちも、くれぐれも危ない人には気をつけろよ、無理せずにすぐ逃げろよ……!」
おつかいに行く小学生に向ける言葉の様だが、互いに本当に命がかかっている忠告だった。
HSFの秘密兵器が走り始める。
「…………行った、か」
後輩が立ち去って張っていた気力が切れたのか、利江はその場に崩れ落ちた。
凍ったみたいに指先が冷たい。
毒が喉にまで回ったみたいだ。
息をするのすら苦しい。
諦めた訳じゃない。
由香里に伝えた方策は助かるためのものだ。
由香里がすぐに戻ってくれば間に合うだろう。
だけど、自分の事だからわかる。
たぶん由香里が戻るまでは持たないだろう。
助かるとしたら、何か奇跡のような出来事でも起きた時だけだ。
だが、奇跡なんかには期待できない。
不幸続きの人生を送った自分に、そういう物が起きないのは知っている。
そんなものに夢を見るほど子供ではいられなかった。
霞み始めた目で神を祭る社を見上げる。
神の前にありながら、いまだ救いの手はない。
[G-6/草原/1日目・早朝]
[三条 由香里]
[パラメータ]:STR:D VIT:C AGI:B DEX:C LUK:B
[ステータス]:疲労大
[アイテム]:大鉈(E)、不明支給品×2(確認済)
[GP]:0pt→10pt→0pt(キャンペーンで+10pt、利江への譲渡により-10pt)
[プロセス]
基本行動方針:HSFみんなと合流。みんなで生きて帰る。
1.助けを探して3ptを譲ってもらう
■
鈴原涼子は死んだような光のない瞳でとぼとぼと彷徨っていた。
その心の中に広がるのは深い絶望。
全身が底なし沼に飲み込まれたように重く気怠い。
足元に纏わりつく絶望を引きずりながら、それでも歩き続ける。
なぜ自分が歩いているのか。
なぜ自分が生きているのか。
そんな事すら分からなくなってしまいそうだった。
キララが■に、可憐も■んだ。
可憐に至っては目の前で■された。
涼子はまだ18年しか生きていない小娘だけれど。
それでも、その人生全てを懸けて手に入れた宝物が僅か6時間と経たないうちにぶち壊されてしまった。
もう二度と同じ形に戻ることはないだろう。
自分の命よりも大切な宝物が壊れて、彼女の心はいつ壊れてもおかしくない打ちのめされた。
脳髄は怒りと恨みで加熱し、悲しみと絶望で凍り付く。
それら全てがないまぜになって狂ってしまいそうだった。
あるいは、もう狂っているのか。
折れてしまいそうな心が未だ形を保っているのは何故か。
鉛よりも重い足が未だに動いているのは何故なんだろうか。
それはパンドラの箱のように絶望の底に残ったひとかけらの希望。
ソーニャと由香里、それに利江は生きている。
もう手遅れで、どうしようもないけれど。
まだ、全てが終わったわけじゃない。
みんなと合流する。
それだけは諦められない。
諦めてはいけないその一本のか細い糸だけが、今の彼女をギリギリのところで支えていた。
壊れかけの心を奮い立たせて奥歯を噛みしめる
決意と共に視界を上げる。
その先には生い茂る木々が広がっていた。
地図によればその先には神社があるらしい。
今更神頼みもないだろう。
涼子は神様に祈ったことはない。
神様は何も与えてくれなかった、当たり前に与えられる環境も、親すらも。
全ての困難は自分の力だけで乗り越えてきた。
だから、そんなものには背を向ける。
一刻も早くソーニャの居る南東を目指さなくてはならない。
数時間前に効いた現在位置に今もとどまっているとは思わないが痕跡くらいはあるかもしれない。
こうしている間にもソーニャも移動しているだろう。
大きく離れないうちに急いだほうがいい。
今いる場所から南東の小島に向かう道は北回りと南回りの2通りがある。
涼子は南から逃げてきた。
つまり南には可憐を殺した連中がいる。
可憐を殺したあいつらは絶対に許せない。
淡々と人を殺して何の感情も見せない昆虫のような男。
その顔を思い返すだけで殺されかけた恐怖と身を裂くような恨みや憎しみが全身を駆け巡る。
だけど、その復讐心よりも、これ以上失うことの方が怖かった。
今は鉢合わせにはなりたくない。
向かうなら彼らを避けた北を経由して行くべきだろう。
そう決めて、行動を始めようとしたところで、ふと交換機が目に留まった。
意識しなければ目に入らないほど、当たり前にあるそれを見て思い出す。
キララの件にショックを受けすぎてそれどころではなくなってしまったが、まだ利江の場所を聞いていなかったことに。
涼子は交換機へと近づいて、慣れた様子で画面を操作する。
電子妖精が現れ、涼子は相手の口上を待たずに問う。
「質問よ。滝川利江の場所を教えて」
『了承しました。GPが50pt消費されます。問い合わせを申請しますので少々お待ちください』
前回と同じ事務的な言葉が繰り返され、どこに問い合わせているのか数秒ほど待たされる。
これでGPは完全になくなってしまったが、涼子にとって彼女たち以上に大切なものなどないのだ。
使い切ったところで何の後悔もない。
『お待たせしました。申請が受理されました。
これからお教えするのはあくまで申請時の現在位置であり、その後その位置に居続けることを保証するものではありませんのでご了承ください』
これまた最初に問い合わせた時と同じ文句が並びたてられる。
急かしても意味のない事だと分かっているので内心の焦りといら立ちを抑えるべく深呼吸をしておとなしく待つ。
『
滝川 利江の現在位置はG-6/神社となります』
「え!?」
思わず叫んでしまった。
痛いくらいに心臓が跳ねる。
期待と興奮で血が巡って目眩がした。
涼子の現在地もG-6である。
グループ単位の問い合わせだった前回と違い、単独だったからかエリアだけではなく場所も教えてくれたのか。
先ほど目を背けた森に目を向ける、神社はあの森を超えた先にある。
目と鼻の先に利江がいる。
会いたくてたまらなかった親友がいる。
そう考えただけで、自然と足が動き出していた。
天から垂れる救いの糸をたどるように、森の中を突き進む。
誰かに襲われるかもしれないなんてことは考えなかった
あまりにも前のめりで視野狭窄になっていたこの状況で不意打ちを受ければ、おそらくそのままあっさりと殺されていただろう。
息が切れているのは疲労によるものなのか、興奮によるものなのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、会いたくて会いたくて、疲労すら置き去りにして駆け抜ける。
木の根につんのめり、枝葉にひっかけた服の端が破れ、枝先が掠めた頬が裂ける。
どれほど走ったのか、突然視界が開けた。
石造りの小さな社の背が見える。
森を抜け神社の裏手から境内へと入ったようだ。
切れる息も構わず、涼子は境内社を回り込み辺りを見渡す。
そこに探し求めた彼女はいた。
「利江…………ッ!」
「…………涼、子?」
そうして、数年ぶりに親友は再会した。
互いにどうしようもない死と絶望の気配を纏いながら。
■
「アイドル?」
「そ、アイドル」
あまりにも唐突で荒唐無稽な提案に、私はしばらく呆気にとられ言葉を失っていた。
彼女の提案がどういう意味だったのか、理解しようとしばらく考えてから。
「…………………………………………なんでアイドル?」
思わず素でそう問い返していた。
「うーん。どうしてかぁ」
深い考えがあった訳ではないのか。
言われてから理由を考えているような素振りで顎に指を添えて考え込む。
「鈴原さんはアイドルになりたいって思ったことはないの?」
「ないわよ。そんなの」
そんなものあるはずがない。
週に一度。1時間だけ許されたテレビの中に映る輝きを放つ少女たち。
煌びやかな世界。女の子の憧れ。
その姿に私だって羨望を抱いたことはある。
だけど、そのキラキラした世界は泥の底に浸かった私の人生とは別世界すぎて、自分がそこに行くなど想像したこともなかった。
「あなたはあるの? アイドルになりたいって思ったこと」
「あるよ」
意地悪い皮肉を込めた問いかけに、即答を返されて面を喰らう。
「嫌な事、つらいことがあった時。想像の世界で踊るの。あなたは違う?」
そう言って彼女は目を瞑る。
辛い現実を忘れて想像の世界に逃げる。
それは私たちに許された唯一の逃げ場所だった。
「そんなの……ただの現実逃避よ。実際になれるかどうかは別の話でしょ?」
「そうだね」
夢を見るだけなら誰でもできる。
けれど、夢を実現できるのは選ばれた人間だけだ。
「それでも私は目指してみたいの」
「どうして……?」
私は、私がそんな特別な人間だとはどうしても思えない。
それはきっと、彼女も同じはずなのに。
「私も鈴原さんと同じなの。ここが嫌なのに、どこにも行けない」
私と同じ。
そうなのだろう。
私たちはお互いに同じ匂いを感じている。
ここが嫌で、どこかに行きたいのに。
何の力も持たない子供でしかない私たちはどこにも行けず、何もできない。
「けど、誰もどこにへも連れて行ってくれないから、私たちで行くの」
「無理よ。私たちはどこにも行けない」
逃げ出したかったのに、結局どこにも行けなかった。
連れ戻され、今でもあの養護施設(じごく)にいる。
誰も助けてなどくれない。
それどころか、他人は私を傷つけるモノでしかなく。
誰もどこにも連れて行ってくれない。
だから一人で生きていける強さを身につけなくてはいけなかった。
そう思って、生きてきた。
誰の手も取らず、一人で強く。
「だとしても、目指していれば、少しでも近づけるかもしれないじゃない?」
例えここが地の底でも、空を目指していれば、たどり着けるかもしれない。
空にはたどり着けなくても、ここじゃないどこかへは。
「あなたとなら――――行ける気がするから」
手を取られる。
一人で生きる強い私はその手を振り払わなければならなかったのに。
一人で生きられない弱い私はその手を振り払う気にはなれなかった。
繋いだ手から熱が伝わる。
窓から吹き荒れる冬の風も気にならない。
氷を解かすような熱い体温。
暮れ始めた空。
彼女は輝きを放つ一番星を指さしながら。
「どうせなら頂点を目指そう。一緒に一番星(スター)になりましょう」
誰もいない二人だけの放課後。
まだ一つしかない星の下。
どこにも行けない私たちは、一番高い星を目指した。
■
「どうしたの!? しっかりして利江!」
倒れ込む親友の姿に涼子は駆け寄って身を屈める。
利江は何故か下着姿で境内の石畳の上に倒れ込み、苦しそうに息を吐いていた。
全身は完全に血の気が引いたように白く所々青紫に染まっている。
どう見ても尋常ではない様子だ。
「ははっ。ちょっと……毒を貰っちゃってさ」
その言葉に涼子がここがどこなのか思い出して周囲を見た。
ここは解毒が可能な神社である。
社の前には紅白の巫女衣装を着たシェリンが浮かんでいた。
「治療してシェリン!」
『解毒は20ptが必要です』
「なっ…………」
システムが由香里と利江を絶望させた言葉を繰り返した。
涼子が声を失い顔を青くさせる。
「利江、あなたポイントは!?」
「19pt…………涼子は?」
「…………0pt」
「…………そう」
涼子の答えを聞いて、やっぱりと利江の表情が諦観したように沈む。
一瞬浮かんだ希望が消えてしまったような、そんな顔だった。
だが死に直面した利江よりも、涼子の絶望は深かった。
HSFと利江の現在位置の把握でGPは全て使ってしまった。
譲渡しようにも涼子のGPは1ptも残っていない。
絶対に後悔しない使い方をしたはずなのに。
地獄の底に沈むような深い後悔が待っていた。
1ptでもあればそれだけで助かる命なのに。
死ぬのか。
何よりも価値のあるはずの命が、ゲームのたった1ptのために失われてしまうのか。
「……ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
涙が溢れた。
壊れた様に謝罪を繰り返す。
自分がGPの使い方を間違えなければ助けられたかもしれないのに。
間違えたから親友が死ぬ。
これでは、自分が殺したようなものだ。
「…………何を謝るのよ。バカね」
もはや持ち上げるのも苦しいだろうに、震える腕を上げて私の涙をぬぐう。
僅かに落ちて頬に添えられたその手を握る。
暖かだったその手は、氷のように冷たかった。
「…………むしろ謝るのは私。ずっとあなたに謝りたかった事があるの」
「え?」
■
「その前に伝えておかないと…………」
意識が遠のいてゆく。
私の後悔を晴らすよりも優先すべきことがある。
いつ途切れるかもわからないこの意識が途絶える前に、伝えてるべきことを伝えないと。
私のために危険を冒している彼女のために。
「由香里がいるんだ。私を助けるために他の参加者からGPを貰おうと奔走してる」
「由香里が……?」
「南の方に、向かって行った……すぐに戻ってくるかもしれないけど、気にかけてあげて」
「ええ。分かってる。当然でしょ……!」
ああ、当然だろう。
今となっては途中で抜けた私よりも涼子の方が由香里と付き合いが深い。
私なんかが言うまでもなく、当然のように気にかけるだろう。
「後は…………GPもアイテムも、このままだと無駄になっちゃうから…………少ないけど、全部あげる」
「いや……いやいやいやいやッ! 待って、待ってよ! そんな遺言みたいな事言わないで…………!!」
私の親友は駄々をこねる子供の様に髪を振り乱した。
けどそうじゃない。みたいじゃなくて遺言だ。
いっそこのままとどめを刺してくれればよかったのだけど。
毒に殺されるくらいなら、彼女になら殺される方が良かった。
そうすれば私を殺したGPは彼女に渡り、彼女が生きる糧になって私の死も無駄にならない。
けれど、それは高望みという物だ。
優しい彼女には無理だろう。
ずっと出会いたかった親友に看取られる。
それだけで私にしては十分な奇跡だ。
不幸ばかりだった自分の人生にとって上等な最期だろう。
伝えるべきことは伝えた。
後は、心残りを果たすとしよう。
「――――約束破ってごめんなさい」
この数年間、ずっと言いたかった言葉を告げた。
一緒に一番星を目指すと誓ったのに。
アイドル活動は楽しかった。
現実逃避でしかなかったのかもしれないけど。
夢に向かって何かに打ち込んでいる間は全てを忘れられた。
あの時はお互いだけが支えだった。
一緒に居られればそれでよかった。
けれど、その内、私たちはみんなになって。
大切なものなど何もなかった氷の少女は、多くの大切を得てその氷を溶かした。
必死で纏っていた鎧を脱ぎ捨てたむき出しの彼女は弱くなったのかもしれないけれど。
それでも私が居なくても、みんながいれば大丈夫だって、そう思えたから、私は。
私は輝いていた夢を捨てて、泥まみれの現実を選んだ。
父親が嫌いだった。
お母さんが死んでから、逃げるように酒に溺れ。
働いてもすぐに問題を起こしてクビになってはまた酒逃げる。
遂にはギャンブルで借金をこさえて、私の人生を台無しにした。
あんな飲んだくれのろくでなし、見捨ててしまえばよかったのに。
あの時の私なら、それが出来たはずなのに。
泣きながら土下座する姿に優しかったころの顔がちらついて、見捨てて逃げることもできない。
なんて半端で、最低な私。
全身から力抜ける。
ああ、いよいよ終わりの時が来たようだ。
伸ばした腕が彼女の手をすり抜けて落ちる。
「あっ、ああ、あああああああ…………ッ!」
慟哭が聞こえる。
どこからか降り注ぐ熱い粒が体を打った。
体温がなくなろうとしている体には、それこそマグマのように感じられた。
「いや…………死なな、いで。……死なないで、死なないで、死なないでよっ、利江…………ッ!」
霞んだ目に、光が映る。
光ない夜のはずなのに、なんて眩しい。
あれは――――。
「――――――、一番星」
「え」
そんなはずはない。
もうじき夜明け、むしろ昇るのは太陽だ。
一番星どころか星が消える時間である。
だけど見えたのだ。
確かに輝く一番星が。
「―――――あ」
それは涙だった。
昇り始めた朝日を反射する、一筋の星の様な光。
自分に縋るようにして涙を流す少女を見て。
綺麗だな、なんてそんな事を思う。
冷たい冬の教室で、夕日に照らされ外を見ていた少女。
単純に彼女は綺麗だった。
その容姿も、その在り方も、これまで出会った誰よりも美しかった。
アイドルに誘った理由はそれだけだ。
泥の様に現実の沈むを彼女を救い上げたかった。
泥の様な現実から彼女に救い上げられたかった。
私は現実に掴まってしまったけれど。
輝き続けてた彼女みたいに、夢を信じて突き進めなかったけれど。
それでも――――
「今だって輝いてるよ。私の一番星」
[滝川 利江 GAME OVER]
[G-6/神社/1日目・早朝]
[鈴原 涼子]
[パラメータ]:STR:E VIT:E AGI:B DEX:B LUK:A
[ステータス]:精神衰弱、強いショック
[アイテム]:ポイズンエッジ、海王の指輪(E)、煙幕玉×4、不明支給品×5
[GP]:50pt→0pt→18pt(シェリンへの質問により-50pt、利江からの譲渡により18pt)
[プロセス]
基本行動方針:???
1.由香里との合流
2.近くにいるソーニャとの合流
3.少し遠くにいる由香里との合流
※可憐から
魔王カルザ・カルマと会ったことを聞きました。
※勇者殺害により
桐本 四郎に30ptが付与されました
最終更新:2020年12月13日 00:23