◆
◇
「なんでアイドルになろうと思ったか」なんて。
彼女の場合、ごくごく単純な理由だ。
昔から“皆を楽しませること”が好きだったから。
小さい頃にテレビで見たアイドルが、すごく眩しかったから。
画面の中で歌って踊る女の子達。
キラキラした表情と、可愛らしい歌声と、愛くるしいステップ。
彼女達のきらめきによって、ステージも客席も昂揚していく。
みんなが笑顔になっている。
なんて素敵なんだろう。
彼女は心からそう思っていた。
安条可憐は、まだ幼稚園に通っていた頃から、歌番組に出てくるアイドル達が大好きだった。
いつも映像に大喜びで釘付けになって、気がつけば見様見真似で振り付けを真似するようになっていた。
苦手な歌の練習だって始めた。まだ小さかったから、基礎もへったくれも無かったけど。
それでも、へたっぴなりに頑張ってそれなりの歌ができるようになった。
いつしか彼女は自信をつけて、近所の“ちいさなアイドル”になった。
周りの人達はみんな優しくて、彼女の歌や踊りを受け入れてくれた。
両親に踊りを褒められたり、仲良しな近所のおばさんにも歌が上手って言われたり、一緒に遊ぶ友達とアイドルごっこをしたり。
あの輝きを追いかけて、自分もそうなりたいと思ったから、可憐はアイドルの真似っ子をするようになった。
みんなはいつも、笑顔で見守ってくれた。
可憐ちゃんは面白い、可憐ちゃんは可愛い。
可憐は、皆からそんなふうに褒められるのが好きだった。
あのテレビの中のアイドルみたいに、自分も皆を笑顔にできる。
それが嬉しくて堪らなくて、胸の内で確かな暖かさとして残り続けた。
小学生に上がってからも、可憐は歌やダンスの練習を続けた。
そろそろ恥ずかしいんじゃない、そんなに本気にならなくても、なんて言う子もいたけど、気にしなかった。
本当のところ、彼女はもう小学生の頃にはわかっていた。
皆は褒めてくれるけど、自分の才能はそう大したものでもない。
声がよく伸びるわけでもない。高音のパートでつっかえることはしょっちゅうだ。
踊るときも余裕なんてものはない。動きが固くなったり、身体が追いつかなくなったり、よくあることだった。
周囲からは一目置かれても、きっと業界でも上手くやっていける―――なんてことない。
テレビで見た、夢を追う同年代の女の子たちの方がよっぽど素質に溢れていたのだから。
可憐は明るく陽気な少女であると同時に、他人や自分を冷静に見つめる聡さがあった。
それを知って尚、どうしてアイドルになりたかったのか。
どんな理由があってプロの世界を目指したのか。
別に劇的な動機があるわけでもないし、何か大それたエピソードが運命を決めた訳でもない。
好きだから、憧れたから。その想いを忘れなかったから。本当にそれだけ。
キララが聞いたらちょっと呆れられてしまうかもしれない、なんて自嘲するように可憐は思う。
でも、それこそがアイドル・安条可憐のオリジンだった。
胸を張って断言できる、彼女の始まりだった。
『あんじょうおおきに、あんじょうかれんです!』
幼かったあの日、テレビに出る自分を夢見て考えた挨拶の口上。
安条可憐の象徴となった決まり文句。
これだけは、今でもずっと変わらない。
中学生になった可憐は、本格的に夢を追うようになった。
今まで以上に自主トレーニングを繰り返して、慣れない書類を何度も書いて、幾度となくオーディションを受け続けた。
落ちた回数は、もう覚えていない。とにかくぶつかって、でも上手くいくことは無くて。
一度は挫けかけたこともあったけど、母親や父親は可憐を優しく支えてくれた。
仲の良い友達は可憐の夢を精一杯応援してくれた。
だから、可憐は諦めずに走り続けることができた。
為せば成る。うちならなんとかなる!そう自分に言い聞かせながら、可憐はひたむきな努力を重ねた。
そして、果てしない審査を乗り越えて。
中学ニ年の終盤、今の社長に素質を見込まれて、養成所に入ることが決まった。
可憐は勿論、跳び上がった。嬉しかった。本当に良かった。今までの努力は無駄なんかじゃなかった。
アイドルになれる。ずっと憧れてきた、追いかけてきた、輝くステージに立てる!
家族には真っ先に連絡して大喜びで祝福されたし、友達グループの皆とはお祝いのパーティーをやった。
念願のアイドルへの道が拓かれて、可憐の歓喜は頂点に達していた。
そうして、“あの娘達”とは、養成所で出会った。
可憐より少しだけ遅れて養成所に入った、二人の女の子がいた。
鈴原涼子。滝川利江。
可憐から見て一個上の先輩で、二人はいつも一緒に行動をしていた。
他の研修生とは距離を置いているようにも見えた。
皆がそれぞれ集まって皆で自主レッスンをしていても、涼子と利江は孤立したように二人だけで練習に励んでいた。
馴染めない。溶け込めていない。嫌われている――それとはまた違うように見えた。
二人の方から皆を警戒して、顔色を伺って、関わりを避けているようだった。
別に交流を絶っている訳ではない。話し掛けられたら人並みに応えていたし、彼女達のひた向きさは皆も知っている。
だけど二人は、なにかを疑うように、周囲をどこかで突き放している。
可憐の目に映る二人の横顔は、なんとなく寂しく見えた。
小学生に入ったばかりの頃、いじめられっ子を庇ったときの記憶が蘇った。
可憐は笑顔が好きだ。誰かが悲しみ傷ついているのは嫌だったし、いじめなんて以ての外だった。
助けたいじめられっ子は、おどおどしていた。
可憐の顔さえも伺って、いつも誰かを疑って、びくびくと怯えている。
手を差し伸べられても、恐る恐る握り返すのが精一杯のように見えた。
その姿がとても印象に残っていて、そしてとても物悲しくなった。
可憐は、涼子や利江が気になって仕方なくて。
このままじゃ、いてもたってもいられなくて。
だから意を決して歩み寄って、満面の笑みで挨拶した。
―――あんじょうおおきに!安条可憐です!
◇
◆
◆
―――大丈夫や!何があってもウチはあんたの味方や。
―――ウチだけやない他のメンバーだってそうや、当たり前やないか!
自分が涼子にぶつけた言葉を、可憐は脳内で反復していた。
涼子は同じユニットの仲間だ。親友だ。なのに、彼女が一番辛かった時期に支えてあげられなかった。
その負い目があったからこそ、可憐は面と向かってそう言えたことに僅かな安心を覚えていた。
涼子を見つめて、可憐は考える。
キララの死と自らの罪を告白した涼子は、可憐に抱き締められながら静かに啜り泣いている。
自分がぶつけた言葉は、ただの気休めに過ぎない。そんなことは可憐にも分かっている。
だけど、そんな気休めであっても涼子を少しでも慰められたなら、今はそれでいい。
今の涼子に必要なものは叱責でも罰でもなく、寄り添える相手なのだから。
だったら幾らでも胸を貸すし、どんなことがあっても涼子の味方で居続ける。可憐は自らに言い聞かせるように誓った。
今にも泣き出しそうなのは、可憐も同じだ。
キララが生きているなんて確証だって、何処にもありはしない。
だけど。それでも。今だけは、嘘をつかせてください。
神様というものに祈るように、可憐は心の中で強くそう願った。
「……可憐」
涙と共に鼻を啜りながら、涼子が顔を上げた。
真っ赤になって腫れた目元が可憐を見つめる。
未だ悲しみは晴れていない。それでも、少しだけ瞳に光を取り戻していた。
「ありがとう、可憐……そばにいてくれて。支えてくれて。慰めてくれて……」
再び泣き出しそうな顔になりながら感謝の言葉を告げる涼子。
そんな彼女を見つめ返して、可憐はニッと笑う。
「当たり前や。涼子は、HSFのリーダー……ウチらの大事な大事な仲間やから」
いつも通りを装った笑顔。優しい言葉。涼子を心配させないために作った、精一杯の反応だった。
そんな可憐を見つめて、涼子は少しだけ寂しげに、申し訳なさそうに微笑む。
「可憐。みんなを、探しましょう」
そして、意を決したように涼子が言った。
ソーニャ。由香里。利江。―――キララ。
この会場の何処かにいるはずの仲間達。掛け替えのない親友達と合流する。
「……うん、わかっとる。みんなを、探さんとな」
可憐もまた、受け止めるように頷いた。
みんなの無事を確認し、行動を共にする。それこそが最優先だということは、可憐も同じだった。
「さっきな、他の人にも会うたんや。
魔王カルザ・カルマっちゅう、変わった名前やけど気のいいおっちゃんでな」
「魔王……うん?」
「そう、ヘンテコな名前やけど魔王や。その人も、ウチらの力になってくれるかもしれへん」
可憐は魔王カルザ・カルマのことも伝えた。
先程出会い、その場では別れてしまったが、温厚で気のいい人物だった。
殺し合いに乗ることもないと言っていた。もしかしたら、HSFの力になってくれるかもしれない。
確証はなくとも、可憐は魔王を信じていた。
心強い味方のアテもある。このまま皆で集まって、力を合わせれば―――。
集まったところで、どうするのだろうか。
可憐の脳裏に、ふいにそんな思考がよぎる。
ずきりと胸が痛む。後先のことなんて何も考えていなかったけど、避けられない問題だった。
シェリン曰く、生き残れるのはたった一人。全参加者で凌ぎを削る殺し合いだという。
キララの死という宣告から目を逸らした可憐は、改めて現状を飲み込む。
もしも涼子が人を殺したというのが本当だとしたら。もしもキララが死んだことが本当だとしたら。
この殺し合いから、誰も抜け出せないとしたら。
「……それで、涼子!聞きそびれたっちゅう利江の居場所も、」
そんな思考を振り払うように、可憐は声を張り上げる。
今は目の前の自体が先だ。うじうじ怯えていたら、涼子にまで負担を掛けてしまう。
それだけは避けなければならないと可憐は強く思った。
だから可憐は、言葉を紡ぐ。
ザッ。
「シェリンっちゅうんが、」
ザッ。
「知っとるんやろ、」
ザッ。
「GPってモン、使えば―――」
「すみません、そこのあなた達!」
迫る足音と共に、その場に声が響いた。
◆
◆
◇
養成所で、可憐は涼子と利江に話しかけるようになった。
粘り強く接しているうちに、二人は心を開いてくれるようになった。
初めは訝しむような素振りを見せていた涼子も、次第に可憐と打ち解けていった。
一緒にレッスンをしたり、一緒にだべったり、一緒に街へ遊びに行ったり。
それまでは何処か表情に陰のあった二人だったけれど、ようやく心からの笑顔を見せてくれるようになった。
お節介かもしれないけれど、可憐はそれが嬉しかった。
誰かに踏み込むことは、結果的に傷つけることになるかもしれない。
それでも、誰かと結びつくためには、勇気を出して踏み込むしかないのだ。
涼子と利江は、自分たちの身の上を可憐に話すことはなかった。
可憐はそれを理解しながら、その上で二人の友達で居続けることを選んだ。
二人が家族の話をはぐらかしていることも、そのたびに切なげな横顔を見せていることも、気付いていたからだ。
可憐は二人の過去を知らない。だけど、決定的な何かがあったことだけは分かる。
だからこそ、悲しみを抱え込む涼子と利江に寄り添うことを誓っていた。
二人との出会いを皮切りに、運命は引き寄せられていった。
可憐が養成所入りした翌年、後の“秘密兵器”こと由香里が仲間に加わった。トラブルメーカーだけど、本当は誰よりも素直で自分の感情に正直な子だ。
希代の才能と愉快な人柄を併せ持つソーニャも特待生として入ってきた。お笑いを通じて彼女と可憐は大親友になった。
ついにユニット結成が決まったとき、最後のメンバーとして加わったのがキララだった。元子役で誰よりも芸能界の心構えを理解している、可愛い末っ子である。
涼子と利江が考えたユニット名、ハッピー・ステップ。
可憐たちは、この名前を背負ってデビューすることになった。
ハッピー・ステップ・シックス。六人でひとつ。六つの花弁と共に咲く華。
だけど、みんなで羽ばたくことはついに叶わなかった。
“家庭の事情”だった。
デビュー直前になって、利江がアイドルを辞めた。
可憐は何も言えなかった。少しでも事情を知っていたからこそ、引き止めたかったのに、引き止められなかった。
ソーニャも、キララも、由香里も、みんなショックを受けていた。
それは可憐も同じ。だけど、誰よりも悲しみを背負い込んでしまったのは。
利江と二人で夢を追って、利江と二人で養成所に入って、ここまで一緒に歩き続けてきた、涼子だ。
あの時の涼子の表情を、可憐は鮮明に覚えている。
折れかけてて、挫けそうで、今にも泣き出しそうで。
なのに「なんともない」「大丈夫だから」なんて誤魔化している。
もっと自分や皆を頼ってほしい。仲間だから。ハッピー・ステップは、涼子ひとりじゃないから。
そう伝えたくても、可憐は足踏みをしてしまった。
涼子が無意識に作っていた“壁”を、感じ取ってしまったから。
他人を観察し、他人を気遣うことに長ける可憐だからこそ分かってしまった。
涼子はいつだって、他人を限界まで踏み込ませようとしない。
それが出来たのは、きっと利江だけだった。でも、利江はもういなくなってしまった。
親友になった涼子の傍にいるのに、涼子のことを支えられなかった。涼子を心の底から笑顔にしてあげることが出来なかった。
それが可憐に、深い恐怖と後悔をもたらした。
みんなを喜ばせたいから、笑顔にしたいから、憧れのアイドルになったのに。
なのに、涼子ひとりに悲しみを背負わせたまま、アイドルとしてデビューしてしまった。
だからこそ、可憐は誓った。
何があっても、絶対に可憐を見捨てないことを。
どんなことがあっても、“
ハッピー・ステップ・ファイブ”の一員で在り続けることを。
自分には才能がない。凡人だ。可憐はそう思っている。
歌も、踊りも、ビジュアルも、心構えも、野心だって、きっと他の四人のほうが優れている。
養成所で何度もレッスンに励んだからこそ、可憐は改めてそう確信していた。
そんな自分がユニットのために貢献できることがあるとすれば。アイドルとしてのキャラクターを確立できる素質があるとすれば。
それはきっと、“みんなを楽しませること”だろう。
お笑いも、身体を張ることも、きっと自分の性に合っている。
だったら、それを個性にすればいい。可憐はそう考え、決心した。
―――あんじょうおおきに!
―――何でもやります、安条可憐です!
これこそが、譲れない立ち位置。
HSFを支えるのは、安条可憐の役目なのだ。
◇
◆
◆
木々の隙間から現れ、声を発した人影。
可憐と涼子は驚いたようにそちらを見た。
涼子はびくりと怯えて、震える手でナイフを取り出す。
もしものことがあれば、自分が。そう言わんばかりに、涼子は唇を噛み締めている。
それを見て、思わず可憐は動いた。咄嗟に涼子を庇うように立ちはだかり、アイテム欄から取り出した武器を握り締めた。
ボウガン。矢を番えて発射する銃器だ。
生まれて初めて手にする感覚に震えながら、可憐はゆっくりと姿を現す相手を睨む。
怖いのはお互い様だと可憐は分かっている。自分の中で込み上げてくる恐怖も理解している。
それでも、人を殺したという涼子をこれ以上苦しめる訳にはいかない。
しかし。
「可憐……」
それでも、涼子は可憐の隣に立った。
未だ恐怖を抱え込みながらも、意を決したようにナイフを握りしめる。
「ちょ、涼子!あんたはまだ……」
「可憐は、私を見捨てなかった。だから私も、可憐だけに任せない」
今にも泣き出しそうな顔でそう告げる涼子。
可憐は目を丸くし、負い目を感じつつも、ふっと微かに微笑んだ。
そういうところだ。涼子は自分を嫌な人間だと思い込んでいるけれど、本当はいつだって真面目だ。
そのいじらしさが、可愛らしくて。そして、そのひた向きさこそがリーダーたる所以なのだ。
可憐は改めてそう思い、隣に立つ涼子を受け入れ。
「―――『頑張れ、可憐』」
「―――『頑張れ、涼子』」
そして、互いに鼓舞の言葉を交わし合う。
スキル『アイドル』の効果が発動する。
二人の身体に、力が漲っていく。
隣に信頼できる仲間がいるという、確かな安心があった。
月光に照らされて徐々にその風貌を顕にした相手は、無害であることをアピールするように両手を上げていた。
短い黒髪と眼鏡に、スーツ姿。さほど特徴のない出で立ちをした男が、口を開いた。
「安心して下さい!警察の者です!」
―――警察。
それを聞いて、二人は一瞬だけ警戒が解けそうになる。
「殺し合いには乗っていません!私は一般の方を保護するために行動しています!」
畳み掛けるように、次の言葉が飛んでくる。
涼子達と男の間の距離は10メートル程。
ある程度その姿が見えているとはいえ、未だ鮮明とは言い難い相手に可憐と涼子の警戒は解けない。
警察。一般の方の保護。
それが本当だとすれば、何よりも心強い味方だろう。
国というものが認めた、紛うことなき“正義”なのだから。
だけど、その言葉の確証は何処にもない。
「身分を証明するモノはありません。証拠は私の言葉だけです。ですが、これだけは信じて頂きたい」
それでも尚、男は言葉を発し続ける。
根気強く説得を試みる交渉人のように。
「私は、あなた達に危害を加えるつもりは一切ありません。市民の安全を守ることが我々の使命です!」
声を張り上げて、可憐達に訴えかける男。
可憐の脳裏に、ほんの少し前の記憶が蘇る。
魔王カルザ・カルマ。彼は殺し合いに乗らないことを告げていた。
もしかしたら。あの人と同じように。
目の前の相手もまた、本当に乗っていないのではないだろうか。
可憐の心に、そんな思いが過る。
言葉による呼びかけとは、かくも強いものだ。
嘘を吐いているのか、否か。その真贋を見抜くことは難しい。
しかし、必死になっている人間が目の前にいれば。
叫びながら助けを求めている人間が目の前にいれば。
そういった者達が、粘り強く声を上げていたら。
もしかすると、本当なのではないか――そんな風に思ってしまうのも無理はない。
「……ほんまか?ほんまに、乗っとらんのか?」
可憐は、顔を強張らせる。
隣に立つ涼子は、男と可憐を交互に見る。
「なあ……」
可憐は、言葉を吐き出す。
「嘘やったら」
可憐は、武器を僅かに下ろす。
「承知せんからな、」
瞬間、可憐の身体が“引っ張られた”。
まるで引力か念力か、目に見えない力に引かれるように。
可憐が、男の方へと瞬時に引き寄せられる。
突然起こった奇怪な現象に、涼子も可憐も対応できない。
『捕縛』。
半径10m以内にいる単体の相手を引き寄せる。
それが男の持つスキルだった。
可憐は男の至近距離まで引き寄せられた。
男は可憐に掴みかかった。
咄嗟にボウガンを鈍器のように振って、抵抗を試みた。
可憐は涼子の『アイドル』スキルでステータスを強化されている。
なのに、ボウガンは男の手刀でいとも容易く弾き飛ばされる。
男もまた、偽りの『アイドル』スキルで強化されているなど二人は知る由もない。
そして、可憐は男に衣服を掴まれる。
「かれ―――」
涼子が声を上げた。
動き出そうとしたのに、足が動いてくれない。
可憐の身体が宙を舞った。
大外刈り。掴んだ相手の重心を崩し、足払いによって投げ倒す柔道の技。
華奢な可憐は成すすべもなく、容易く地面に叩きつけられる。
パァン。
乾いた音が轟く。
頭が弾ける。
トマトの果肉のように血が撒き散らされる。
生身の肉体のような脳漿が、ぶちまけられる。
男の右手には、拳銃が握られていた。
パァン。
追い打ちの二発目。
ぐちゃぐちゃの血肉が地面に散らばる。
既に倒れていた少女の身体が、激しく痙攣する。
パァン。
確実に仕留めるための三発目。
弾丸によって徹底的に穿たれる脳天。
紅。塗料のような紅が、水たまりのように土を汚す。
◆
◆
言葉が出なかった。
目の前の現実に、目を見開いていた。
記憶が蘇る。
ほんの少し前の記憶が、蘇る。
口論になって、揉み合いになって。
故意の殺意か、不慮の事故か。
今となってはもう思い出せない。
しかし、足元で痙攣しながら死へと向かっていく青年の姿は、涼子の脳に焼き付いていた。
何が起こったんだろう。
何で、こんなことになったんだろう。
涼子は、何も出来なかった。
ただ眼前の事態を、見届けることしかできなかった。
可憐が男に引き寄せられて。
そのまま地面に投げ倒されて。
そして。その頭目掛けて。
三発も、撃ち込んで―――。
スーツ姿の男――
笠子 正貴は、真顔のまま拳銃の弾丸を込めている。
可憐への興味を失ったように、悠々と。
そして、横たわる可憐の姿が、消えていく。
まるで消去されるデータのように、血肉もろとも消滅していく。
それを目にした途端、涼子の意識は急速に引き戻される。
この現実へと、冷酷に。
「……なん、で?」
思わず、言葉が漏れた。
それが、最初に込み上げた感情だった。
「なんで、可憐を」
「いや」
正貴が、ぽつりと呟く。
ぬらりと顔を上げて、涼子の方を向いた。
「だって……可哀想だから……」
絞り出すように、言葉を紡いだ。
その一言に、涼子は呆気に取られる。
何故って――その意味が分からなかったから。
「ご友人である、あなたの目の前で撃たなかったら……」
ぼそぼそと喋りながら、徐々に俯きがちになっていく。
落ち着き払った声色なのに、時折子供のように自分の爪を噛んでいる。
ほんの少しの間、沈黙する。
そして、スーツ姿の男は。
ゆっくりと、涼子を見つめた。
「この子は……独りぼっちで、亡くなってしまうじゃないですか」
涼子は、言葉を失っていた。
理由なんて、幾つもある。
だけど、一番に言えることは。
目の前の男が、心底悲しそうな目をしていたからだ。
可憐を少しでも弔いたいと言わんばかりに、そう告げてきたからだ。
「……彼女のご冥福を、お祈りします」
意味がわからなかった。
理解ができなかった。
絶望、恐怖、動揺―――それ以上に、涼子の頭は混乱していた。
―――だって。
―――なんで、申し訳なさそうなの?
―――自分で殺したのに。
―――なんで、悲しそうな顔してるの?
―――自分が殺したのに。
そうして涼子が立ち尽くしていたとき、正貴は再び銃を向けた。
何事もなかったかのように、冷たい眼差しで涼子を見抜いた。
涼子の胸中から、吐き気のような、恐怖のような、雁字搦めの感情がこみ上げてくる。
走馬灯か何かのように、頭のなかで過去が渦巻く。
何処かへ逃げ出したくて、施設を家出した幼い日の記憶。
周りから疎まれ、嫌われ、蔑まれた中学時代。
利江と出会い、一緒に夢を追うことを誓い合ったあの日。
二人で頑張って、二人で支え合って。可憐、由香里、ソーニャ、キララとも仲間になって。
だけど、利江だけはいなくなって。
悲しみを押し殺しながら五人で頑張って、どんどん駆け上がっていって。
そして。
あの軽薄な男と、揉み合いになって。
思わず、■してしまって。
そして。
そして。
そして、
キララが■んじゃったことも、知らされて。
悲嘆していた自分を、可憐が支えてくれて。
男の人が現れて。
可憐が―――。
「―――っ、あ」
言葉が、漏れた。
嘔吐するように、零れ落ちた。
涙が、溢れ出た。
悲しみも、絶望も、堪えきれない。
全てを吐き出してしまいそうな感覚に、涼子は沈んでいく。
「……大丈夫ですか」
正貴は、そんな涼子を見つめながら呟く。
眼差しに浮かぶのは、友人を失った少女への哀れみ。
それと同時に、内包していたのは。
少女の身体を“観察”し、“品定め”するような、ねちっこい感情。
相手に気づかれぬように唾を飲む正貴だったが、すぐさま思考を切り替えた。
「本当に、すみませ―――」
正貴が謝罪と共に引き金を弾こうとした、次の瞬間。
突如として、正貴の視界が真っ白に染まった。
煙幕が周囲を覆い、辺りを把握することが出来なくなる。
咄嗟に腕を振るって煙を追い払おうとしたが。
十数秒後、視界が晴れた頃にはもう涼子の姿は無かった。
◆
「……正貴さん」
「真央さん」
「見てたけど……やった、のね」
「はい」
物陰に隠れ、遠目から見張っていた真央が姿を現す。
正貴はゆらりとした動きで歩み寄り、回収したボウガンを渡した。
「すいません……片方、逃してしまいました」
「そう」
申し訳なさそうに謝る正貴に対し、真央はただ一言だけ呟いた。
初手で『捕縛』スキルが決まったのは大きかったが、再発動までのチャージに数分程度の時間が掛かる。
それ故に鈴原涼子を『捕縛』で引き寄せて殺害することは出来なかった。
尤も、涼子に時間を稼がせたのは正貴自身の気まぐれじみた行動による部分も大きいのだが。
肝心の真央は、再び缶ビールを取り出していた。
ごく、ごく、ごく――と、一気飲み。
気を紛らわせるように、動揺を誤魔化すように、酒を身体に注ぎ込んでいた。
「ぷはぁっ!あぁーーー……」
そして口を離し、アイドルらしからぬ呻き声を出す。
ほろ酔いの感覚に身を委ねて、ぼんやりと宙を見上げ。
真央の表情は、次第に綻んでいく。
「……ははっ……ははは……」
声が漏れる。笑みが漏れる。
高揚と動揺が、同時に込み上げてくる。
「ぷっ、く、はははは!あはははははははっ!やった!やってやったわ!ざまあみろっての!
くたばったんだ、あいつ!そうよ!頑張ってきたのは!生きるべきなのは、私!あんなガキじゃなくて、私!」
絞り出すような狂喜が、吐き散らされた。
心底愉快そうに。しかし、何処か恐ろしげに。
目の前の現実を笑って誤魔化すように、彼女は死んでいった少女を侮辱していく。
「ははっ、はは、ははは、はぁ、ああ―――――」
あのHSFのガキを殺してやった。絶望を与えてやった。
楽しくて楽しくて仕方ない。だというのに。
真央の胸中に浮かぶのは、不安と恐怖だった。
自信の感情を、酒を飲んで無理矢理紛らわせていたのだ。
そんな真央を、正貴はまじまじと見つめる。
「大丈夫ですか」
「……うっさい」
「あの」
「何よ」
「人が死ぬところは慣れてませんか」
「うるさいっての!!」
思わず声を荒らげる真央。
当然だった。真央は歪んだ人間であっても、別に荒事に慣れている訳ではない。
ましてや人の死を間近で見ることなんて、今まで一度たりとも無かった。
だからこそ彼女は、正貴の殺人に少なからず動揺していた。
「……すみません、真央さん」
そんな彼女の様子を見てか。
正貴はその場で膝を付き、真央の手を取る。
突然のことに真央は僅かに驚く様子を見せる。
そして正貴は、彼女の手の甲へと優しく口付けをした。
「僕が、あなたを支えますから……どうか安心して下さい」
そう言って、正貴は穏やかな顔で微笑んだ。
温厚に、優しげに。先程まで銃を握っていた男とは思えない、柔和な表情。
しかし、その目は黒く濁って、何も捉えていない。
そんな彼の眼差しに、真央は惹かれていた。
先程までの動揺も、酔いも、怒声も忘れて、口元が綻んでいた。
◆
「はぁっ、はぁっ、はぁ……!」
木々の隙間を抜けて、橋を越えて、必死に走っていく。
逃げる。ただひたすらに、逃げていく。
なんで、こうなってしまったのだろうか。
私達が、何をしたって言うんだろう。
どうしてキララが、可憐が。
心が折れても不思議ではなかった。
あの場で泣き叫んでもおかしくはなかった。
それでも、辛うじて残されていた気力を振り絞って、涼子は逃げ出すことができた。
支給品の『煙幕玉』。地面に叩きつけることで、周囲に煙幕を発生させる。
アイテム欄から咄嗟にこれを取り出して使用し、追撃を免れることができた。
何してるんだろう。
何でなんだろう。
何なんだろう。
走る涼子の脳裏に、何度も言葉が木霊する。
まるで彼女自身を苛むような言葉が、心も身体も蝕んでいく。
それでも。それでも、今の涼子にできることは。
ただ走って、その場から離れることだけだった。
[安条 可憐 GAME OVER]
[G-6/島南/1日目・黎明]
[鈴原 涼子]
[パラメータ]:STR:E VIT:E AGI:B DEX:B LUK:A
[ステータス]:精神衰弱、強いショック
[アイテム]:ポイズンエッジ、煙幕玉×4、不明支給品×4
[GP]:50pt
[プロセス]
基本行動方針:???
1.この場から逃げる。
2.近くにいるソーニャとの合流
3.少し遠くにいる由香里との合流
4.どこにいるのか割らかない利江との合流(シェリンへの問い合わせも検討)
※可憐から魔王カルザ・カルマと会ったことを聞きました。
[H-6/島西寄り/1日目・黎明]
[黒野 真央]
[パラメータ]:STR:E VIT:E AGI:E DEX:E LUK:E→D(「ヴァルクレウスの剣」の効果でLUKが1ランク上昇中)
[ステータス]:ほろ酔い、回避判定の成功率微増
[アイテム]:ヴァルクレウスの剣(E)、VR缶ビール10本セット(残り5本)、ボウガン、支給アイテム×1(確認済)
[GP]:10pt
[プロセス]:
基本行動方針:絶対に生き残って、のし上がる。
1.正貴を使って他の参加者を殺す。涼子は次見つけたら絶対に殺す
2.できる限り自分の手は汚したくない。
[笠子 正貴]
[パラメータ]:STR:C VIT:C AGI:B DEX:A LUK:C
[ステータス]:黒野真央のファン、軽い酒酔い(行動に問題はない程度)
[アイテム]:ナンバV1000(8/8)(E)、予備弾薬多数、支給アイテム×2(確認済)
[GP]:25→55pt(参加者殺害で+30pt)
[プロセス]:
基本行動方針:何かを、やってみる。
1.真央の望みを叶える
2.真央を護ることを「生きる意味」にしてみる。
3.他の参加者を殺害する。
※事件の報道によって他の参加者に名前などを知られている可能性があります。少なくとも真央は気付いていないようです。
※『捕縛』スキルのチャージ時間は数分程度です。
【煙幕玉】
鈴原涼子に5個セットで支給。
地面に叩きつけることで瞬時に煙幕を発生させる玉。
煙幕の効果は十数秒ほど持続する。
【ボウガン】
安条可憐に支給。
矢を射出できる携行用銃器、つまり通常のボウガン。
最終更新:2020年12月05日 00:01