海を臨む小島の草原を雪の妖精の如き少女が歩く。
ただ少女が歩くだけでイメージビデオのワンシーンのように全てが絵になる。
誰もの目を引く天性のアイドル。
これこそが。HSFの誇る天才、ソフィア・ステパネン・モロボシである。

「アルアーール! ヴィララーーン! ドーコ、デース、カーー!?」

草原を歩きながらソーニャが良子とヴィラスを探して声を上げる。
何処かに避難しているにしてもそう離れていないはずだ。
呼びかけが届かない程遠くに行ったとは思えないが返事がない。

何かしらのアクシデントでもあったのか。
そうソーニャが危惧したところで、こちらに駆け寄る白い眼帯を付けた堕天使の姿が見えた。
†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†こと有馬良子の姿である。

駆け寄ってきた良子はそのままソーニャの胸の中に飛びこんできた。
珍しく素直に甘えた様子にソーニャは僅かに驚く。

「アルアール!? ドーしましたか?」

自分の胸の中で縋りつく良子は震えていた。
身を強張らせかなりの動揺が見える。
事情を聴く前にまずは落ち着かせるべきだろう。
ソーニャはやさしくその背を撫でた。

そうしているうちに、ソーニャは良子の異常に気付いた。
縋る様に服にしがみ付いているのは左手だけである。
右手はだらりと垂れさがり、その指先から滴り落ちる赤い液体に気づいた。

「アルアル怪我してマス! スグに手当てしマスネ!」

慌ててソーニャはアイテム欄から取り出した回復効果のある包帯を巻きつける。
誰かに噛み付かれでもしたのか、鋭い歯型の様な傷跡だった。
かなり深い傷だ。殆ど千切れかかっている。

「アルアル、ヴィラランはドーしまシタ…………?」

そう言えば、良子は一人だ。
共にいるはずのヴィラス=ハークの姿が見えない

その問いに良子がキュと唇をかみしめる。
だが、このまま黙っている訳もいかない。
自分に起きた出来事を思い返しながら、良子はおずおずと説明し始めた。


「ナルホド。急にヴィラランが噛み付いてキテ、封じられし禁断の薄暮を照らす幻惑の魔眼『ファントム・オブ・トワイライト』にヨリ水ノ幻覚を見せたら、ヴィラランが深き?ようは何カ半魚人にみたいにナッテ、そのママ海ニ飛び込んでイッタ、ってコトですかね?」

確認するようにソーニャが要約する。
他人の口から改めて聞かされてみても訳が分からない状況だ。
ソーニャはもちろん良子も訳が分かっていない。

「ウーン。結局、ヴィラランは悪い子だっタって事デスか?」
「それは…………どう、なんだろう?」

良子は答えを濁らせる。
ヴィラスの豹変、変化、何一つ理由が分かっていないのだ、答えようがない。
悪意があったようにも思えるし、そう言ったものとは違うもっと純粋な、本能的な何かだったように思える。
3歳児が大人の体を得て無邪気に噛みついた結果だったと言われればそうと思えなくもない。

どちらにせよやりすぎた、という自覚がある。
もしかしたら、ヴィラスは死んでしまったかもしれない。
そう思うと恐ろしかった。
人を殺してしまうと言うのは殺されるのと同じくらい恐ろしい。

そこまで考えたところで気づく。
自分の事に必死で気付かなかったが、そう言えば良子と同じくソーニャも一人だ。
対峙していたあの女はどうしたのだろうか。

「ソーニャは…………」

あの女をどうしたのか。
そう問おうとしたが、その先の言葉は続かなかった。
どんな答えが返ってきても恐ろしいことになりそうで、どうしても聞けなかった。
ただ良子にわかるのは僅かに赤いソーニャの瞳と、目じりに残る涙の跡だけである。

「我道サン、ダイジョーブでショウか?」

その良子の葛藤を理解しているのかいないのか、ソーニャが呟いた。
確かに、それも心配事の一つである。
我道は突然引っ張られるようにして男と共に崖下に落ちていった。
その程度で死ぬタマではないだろうが、どうなったのか心配ではある。

そこにガラリという音が聞こえた。
音の方向に目をやれば、そこには崖下から這い上がってくる手があった。

「我道のおっちゃん!」

登ってくるのは我道だと疑うことなく良子が駆け寄る。
我道が勝つと信じているのは同じだったのか、僅かに遅れてソーニャもそれに続く。

「ッ。待つデス、アルアル!」

だが、すぐに異変に気付いた。
崖端を掴む手にスーツの袖口が見えた。
我道が着ていたのは道着である。
つまりこの手は我道の物ではない。

「おや、こんにちは」

這い上がってきたのボロボロな男だった。
中肉中背の黒スーツ。数々の打撃痕と抜け落ちた前歯により愉快なモノになっていたがその顔には見覚えがある。
我道と共に崖から落ちていった男である。

「片腕で崖を登るのはなかなか骨が折れました、まあ本当に折れてるんですけど」

赤く腫れた右手首をさすりながら、冗談なのか何なのか、淡々とした様子でそう述べる。
満身創痍でありながら、常と変わらぬようなその様は異様であった。

「…………我道サンはドーしましたカ?」
「分かるでしょう?」

二人落ちて登ってきたのは一人だけ。
それがどういうことを意味するかなど、問うまでもない事である。

それを理解した良子は怯えた様に一歩下がり、
ソーニャは不快感を示す様に眉根を寄せて、庇うように前へ出た。
それを気にせず男は首を振って周囲を見渡した。

「そちらは……お二人だけですか」

先ほど確認した時より、一人足りていない。
何らかのアクシデントがあったのか。
どこかに隠れているはずの真央の姿を探して崖際から一歩踏み出す。

「オット、ソレ以上近づかナイでくだサイ」

その動きを牽制すべくソーニャがボウガンを突き付ける。
それを見て男がピタリと動きを止めた。
状況を理解したのか男は無表情のまま呟く。

「そうですか、死んだんですね真央さん」

その呟きにソーニャは答えない。
良子は恐れていた事実に押しつぶされそうになる。

「その人は……大事な人だったの?」

震える声で良子が問う。
自分たちを操り殺し合わせようとした女だったが、彼にとってはどうだったのか。
男は即答はせず、僅かに思案する様に俯き。

「そう…………ですね。大事にしたかった人です」

大事にしたかった。
その辺の男女の機微は良子には理解しきれない。
だが、それでも大切人間だったのだろうと言う事は理解できた。

「ワタシも一つ聞きマス。真央とか言うアノ女、可憐を殺したって言ってマシたけど、アナタもソウ?」
「…………ええ。実行犯は僕です」
「ソウ」

想像通りの答え。
ただ氷のように冷たい表情でスッと目を細め、半身に構える。

目の前の男は我道と可憐の仇である。
そしてまた、ソーニャも真央を殺した仇だ。

互いに仲間を殺し合い、互いに互いが仇である。
お互い奪い合ったからと言って、ここで手打ちとはならないだろう。
殺し合いは避けられまい。

「いいわ。カタキ討ちをしたいナラ私だけにしなサイ。アルアルは関係ありマセン」
「仇討ち、ですか……」

良子を後方に下がらせながら、ソーニャは構える。
復讐の連鎖はどちらかの存在を完全に消し去るまで終わらない。
やり合うのなら望むところである。
だが、男の反応は思った物とは違った。

「すべきなんですかね…………仇討ち」
「…………なんですって?」

ソーニャは耳を疑う。
その発言は憎しみは何も生まないという殊勝な心構えによるものではないだろう。

「僕はどうするべきなのでしょう?」

返ってきたのは虚無だった。
よりにもよって、それを仇に問うのか。

「真央さんの仇を取るべきなのでしょうか?
 それとも真央さんの遺志を継いで、皆殺しに励むべきなんでしょうかね?」

淡々と問いを投げ続ける男。
良子には目の前の相手がどうしようもなく不気味な存在に見えた。
まだ、激昂して殺しに来る方が理解できる。
大事な人間を殺されながら何も感じていない様子は理解しがたい。
ヴィラスといい、この世界では理解不能の怪物ばかりに出会う。

「それとも、ただあなた方を犯して殺せば、満足できるんでしょうか?」

一片の光もないような暗い瞳が二人の少女を捉えた。
生理的嫌悪の様な怖気が良子の背筋を走る。

――――笠子正貴。

元警察官にして連続婦女暴行、及び殺人犯である。


笠子正貴は弁護士である父と教師である母の間に生まれた。
両親は人格的に優れた人間であり、周囲の人望は厚く、多くの尊敬を受けていた。

我が子にもそうある様にと、幼少の頃から熱心な教育を施されてきた。
正しいことを行いなさい。立派な人間であれ。
正しい人間はただそれだけで満たされるのだと。
両親は毎日の様に我が子に説いてた。

そう。
毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。
それはきっと傍から見れば行き過ぎた教育だったのだろう。

課題をこなせるまで食事抜きなんてことは日常茶飯事だった。
出来なければ当然の様に体罰は行われたし、出来た所で次の課題が課されるだけだった。
日に30時間の学習という矛盾。
彼はその教育に対して不満一つ漏らさず、黙々と課題をこなしていった。

彼には一つ、産まれ持った才能があった。
彼は好きでもないことを続けることに長けていた。
才能と言うものが人生を豊かにする物だとするのなら矛盾した才能だった。

そんな正貴に両親は喜々として詰め込み、彼も黙々とそれを受け入れた。
両親はそれを正しいものだと疑いを持たなかったし、そんな両親に育てられた彼もまた疑いなど持たなかった。
親子の関係は致命的なまでに噛み合っていた。

彼が不満一つ漏らさないから両親も彼を従順な人間だと誤解していた。
続けられると言う事は平気でいられるという事や心を削らないという事と同義ではない。
そんな当たり前のことに両親も本人も気づくべきだった。

そうして詰め込み。
詰め込み詰め込み詰め込み。
詰め込み詰め込み詰め込み詰め込み詰め込み。
詰め込み詰め込み詰め込み詰め込み詰め込み詰め込み。

そして壊れた。

いや、あるいは最初から壊れていたのか。
なにせ、表面上の彼の行いは変わらないのだ。
いつ壊れたかなど周囲に解かるはずもなく、彼本人にすらわかるまい。

壊れたまま走り続け、遂に彼は旧帝大に現役で合格する。
両親の言に従い正しさを為すため警察官を目指して、キャリアには拘らずノンキャリアとして警察官となった。
そうして社会人になって家を出て親の支配からは解放された。

初めて自分の意思で生きていく。
そうなったところで初めて気づいた。
何をしたらいいのか分からなかった。
正しいものを満たしていたはずの自分の中身は空っぽだった。

だから仕事をしている間は楽だった。
与えられた課題をこなす事だけは得意だった。
休み方は教えてもらわなかったから、ただひたすらに働き続けた。
結局、命令する対象が両親から仕事に変わっただけだった。

彼の配属された調査第一課は凶悪事件を扱う。
異常な現場。
異常な殺人。
異常な犯人。
異常な日常。
その激務に精神を病む人間も少なくはない。

彼が不満一つ漏らさないから周囲も彼を屈強な人間だと誤解していた。
異常な状態で正常を貫くことは異常である。
そんな当たり前のことに周囲も本人も気づくべきだった。

正しく生きてきたはずの満たされない自分。
だから、人殺しという間違いを犯して満たされていた桐本を見て、酷く羨ましくなってしまった。
満たされない自分を満たしてみたいと思った。

正しいことをすれば満たされると両親は言った。
ならば、満たされている桐本の行為は正しい物なのではないのか?
何より桐本四郎の様になりたいと思ったのだ、手段など決まっていた。

実行は容易かった。
ターゲットはそれこそ誰でもよかった。
多くの凶悪事件を扱ってきた彼が参考にできる知識は山のようにあった。
罪悪感と言った感情は壊れ果てており、ブレーキなどかかるはずもない。

初めて女を犯して殺した。
確かに興奮があった、快楽もあった。

だが、それだけだった。
相手がダメだったのか、手段がダメだったのか。
興奮する自分とは別にどこか醒めた自分がいた。
何をしていても自分の背後に両親が立っているような感覚があった。
その幻想を振り払うように何度も犯行を繰り返した。

満たされるのは注いでいる瞬間だけ。
すぐに空っぽになる、底の抜けたバケツの様だ。

だから、続けるしかない。
中身を満たし続けるために。


「こんな奴に私の親友が殺されたと思うと、腹が立ってきたわ。
 アナタがどうあれ、こっちはアンタを許す気はないのよ」

自分の意思すらないような男に我道や可憐が殺されたのか。
余りにもひどい正貴の態度に、ソーニャが怒りを露わにする。
虎の尾はとっくに踏まれているのだ。

「ソーニャ…………?」

良子は雰囲気を豹変させたその様子に戸惑う。
その変化にあの女を殺したという事実が繋がって、恐ろしくなる。

良子たちが去った後、何が起きたのかまではわからない。
ヴィラスを海に追い込んだ自分の様に、きっと仕方がない状況だったのだろう。
それでも。

「……ゴメンね、アルアル」

それは何に対しての謝罪だったのか。
ソーニャは怯えたような良子を悲しそうな瞳で振り返る。
雪の妖精は振り切る様に前を向いて、ボウガンの引き金に指をかける。
ソーニャは躊躇わない、為すべきことのためならばなんだってする。

「そうですか、まあそれも悪くないのかもしれません」

ゆらりとボウガンを向けられた男の体が揺れる。
復讐が自らを満たすものであるのならばするのだろうが、そうであるかは彼自身にだってわからない。
復讐に拘らないのなら正貴としてはここで引いてもいっこうに構わないのだ。

だが、我道との戦いは悪くはなかった。ほんの一瞬だけだが熱くなれた。
殺人や強姦と同じように喉元を過ぎれば忘れるような熱さだったけれど。
ほんの僅かでも味わえるのなら、それを味わうのも悪くない。

「では」

ソーニャがボウガンの引き金を引き、同時に正貴が手を振るった。
瞬間。ソーニャの体が宙に浮き、クンと引き寄せられる。
急に引かれた勢いにより狙いが逸れボウガンの矢は明後日の方向に外れていった。

引き寄せられるソーニャを捕まえと伸ばされる腕。
それを前にソーニャは慌てず、自らを捉えようとするその手を冷静に払うと、相手の膝を踏み台にして逆足を跳ね上げる。
顔面に膝が叩き込まれ、男が鼻血を噴き出した。

「それは一度”視た”わ」

『捕縛』により引き寄せる我道の姿をソーニャは既に視ている。
一度視た技は天才の『学習力』には通じない。

正貴は鼻血を流しながら、表情を変えず左腕を振るう。
その先には刃。カランビットナイフが握られていた。
ソーニャは握りこまれた刃をボウガンの胴で受ける。

元はカランビットナイフは我道のアイテムである。
我道が倒されたと言うのなら、それが奪われている可能性も想定済みだ。

ハンドルを切る様にボウガンを回す。
パキと音を立てボウガンの胴の亀裂が広がり、深く刺さった刃が捻られ音を立てて折れた。
互いの視線交錯し、その間に木片と小さな刃の破片が舞う。

ソーニャが顔面を狙った鋭い上段蹴りを放つ。
それを正貴はスウェイで潜る様に躱した。
そして一歩踏み込み、敵に掴みかからんとする。

だが、右腕が壊れている正貴の動きは読みやすい。
左腕だけを警戒していれば対応は可能である。

しかし、突き出されたのは右腕だった。
それがどれほどの苦痛であろうと、動くのだから出来る。
笠子正貴はそういう風に出来ている。

意表を突かれ胸倉を掴まれた。
だが、握力はない。
これならば振り払うのは容易い。

しかし『身柄確保』のスキル効果により技をかけるのに筋力は不要となる。
踏ん張りも効かず背負い投げで投げ飛ばされる。

ソーニャは受け身を取るも、すぐさま寝技に入った正貴に後ろに回り込まれた。
そのまま裸絞に持ち込まれる。

食い縛った口端から泡の様な唾液が漏れる。
右手首が折れているため後頭部の押し込みが足らず完全に極まっていないが、重量差のある相手にこうも巧く足を絡められては逃れられない。
このままでは落とされるのは時間の問題だ。

完全に決まった裸絞からは逃れられない。
酸欠により意識が白み始める
ソーニャがこの状況をひっくり返すのは不可能だ。

後方で何かが弾けた。
寝技の真っ最中であるため互いに振り返れない。
ビリビリと振るえる衝撃波のような物だけが僅かに離れた背後から伝わる。

続いて先ほどより近い場所に衝撃。
何度か繰り返し被弾した何かが弾け、そのうちの一つがついに正貴の背を打った。
衝撃により裸絞が僅かに緩んだその隙に素早くソーニャが逃れる。

「ゲホッ……ゲホッ……!」

解放され、咳き込みながら距離を取る。
後方に下がったその先に、少女がいた。

ショックボールを投げつけソーニャを助けたのは良子だった。
利き腕が負傷して上手く狙いはつけられなかったため、何発も投げる羽目になったが。

「…………アルアル」

怯えられ、見捨てられたのかと思った。
そうなっても仕方ないと思っていた。
だけど、

「助けるよ、仲間なんだから!」

涙を浮かべながらありのままの少女が叫ぶ。
ソーニャと正貴の違いは一人ではないと言う事。
助けてくれる仲間がいる。

ヴィラスが豹変した事。
我道が殺された事。
ソーニャが人を殺した事。
全てがショックだった。
人を信じられなくなってもおかしくないような出来事ばかりが起きた。

だけど、だからと言って仲間を見捨てる事なんてできない。
ソーニャは仲間だ。ピンチだったら助ける。
そんなのは当たり前の事である。

「……ありがとう」

ソーニャは再び構える。
例えそれで良子に恐れられ嫌われるようなことになっても、やる必要があるのならやる。

「背中は任せる。だから、――――見ていて」

それは仇討ちというだけの理由ではない。
良子を守るためにも、この男はここで始末すべきだ。
それがソーニャの覚悟だ。

歩くような速度でにじり寄るソーニャ。
正貴は身を深く構えこれを迎え撃つ。

だが一瞬、正貴が目を見開き動きを止める。
雪の妖精の如き少女に思わず目を奪われた。
まるで春の野に張る氷の上を渡るような儚げで幻想的な煌びやかさ。
ただ歩くだけでそこは彼女の舞台だった。

ソーニャの集中力はかつてないほどに高まっていた。
怒りや復讐心ではなく、誰かのために。
それこそがアイドルの本懐。

気付けば、互いの距離は手の届くような間合いに迫っていた。
反射的に正貴が動き、右腕で襟元に掴みかかる。

意表を突いた再度の右も学習力の前には通用しない。
その動きを読み切っていたソーニャにより伸ばした手は振り払われた。
だが、そこに右が振り払われることを前提とした本命の左が伸びる。
全力を込めた万力の握力で胸元を掴んだ。

「フゥ―――――」

雪の妖精より吐き出される鋭い息吹。
それすらも、天才は読み切っいていた。

相手の動きに合わせるように、自らの胸ぐらをつかむ手首を両手で取った。
腕を引き寄せながら両足を跳ねさせ、ドロップキックの様な蹴りを顎下に掠めさせながら飛びつき腕十字のような形へ持ち込んだ。
そのまま深く伸ばしきった足が曲がり首へと巻き付き、腕を上回る足の力で首を絞め上げる。
打撃と絞めにより一時的に意識を混濁した相手を、腕を極めながら身を反転させ体重移動で投げとばす。

打ち、絞め、極め、投げる。
これぞ『無空流』門外不出の奥義『牙折』。

二人の体がクルリと廻る。
脱出も受け身も不可能な状況で、顔面から地面に叩き落とし頸椎を破壊する。
牙折完了。

その威力は正しく必殺。
決して表に出してはならぬ門外不出の殺し技である。

「っ…………ぁ」

だがそれも不完全。
如何に天才の学習力と言えど奥義を完全再現とは行かなかった。
即死ではなく、まだ息があった。

だが、左腕と首の骨が折れている。
もう立つ事は叶わず、じきに息絶えるだろう。

正貴は死ぬのは恐ろしくはない。
生も死もそれほど違いがあるとは思わない。
最後には真央のために死ぬのだって構わないと思っていた。
ただその先に、己を満たすものがあるかどうかだ。

結局何も満たされない人生だった。
正しさとは、満たされるとは、生きる意味とは。
何一つ、わからないままだ。
結局のところ、自分は。

「……何かに夢中になりたかった、のか」

真央と出会った瞬間。
スキルによって歪められたものだったとしても、あの瞬間には全てがあった。

追い求めていた感覚。
初めて感じる身を焦がす程の激情。
何かに夢中になったあの瞬間が忘れられない。

だからきっと愛せると思った。
彼女を愛せれば、きっと満たされるはずだと。
永遠に注がれ続ける愛情と言う蜜が、壊れた器を満たすのだと、そう信じた。

だが、その結論に至る前に、彼女は奪われた。
それに激怒すべきなのか、悲観すべきなのか、それすらも分からない。

「――――バカね」

憐憫すら感じさせる声。
視線を向ける、そこには自分を殺した雪の妖精の様な少女がいた。
訛りのない口調で、少女は伝える。

「それなら――――夢中になりたいのなら、私たち(アイドル)のライブに来ればよかったのよ」

歌と踊りとパフォーマンスで誰もを夢中にさせる。
この世界の灯台下だろうと、彼女たちが歌い踊ればそれが舞台となる。
誰かを夢中にさせるために、少女たちは己の若さと青春を燃やし尽くしているのだ。

誰もを熱狂させ夢中にさせる。
それがアイドル。

「アナタを夢中にさせチャイますヨ~」

クルリと廻って、衣装が跳ねる。
可愛らしくポーズを決めて、ハートが飛ぶほどの投げキッス。
泥に塗れた汚れすら気にならない、クールでキュートでパッションに溢れる輝くような少女。

その眩しさに、目を細める。
光の先に、ありえない世界が幻視された。

法被を着てサイリウムを振り回しながら、売れない地下アイドルを応援している。
そんな世界も、あったのかもしれない。
想像してみたら、なんだか笑えた。

「それは、きっと楽しい………でしょう、ね」

誰かを傷つけるのではなく。
己を傷つけるのでもなく。
そんな事でよかったのかもしれない。

満たされた夢を見ながら。
満たされない男は意識を閉じた。

[笠子 正貴 GAME OVER]


男の体が消えていく。
男が死亡したという証拠である。
つまり、また一つソーニャが罪を重ねた証でもある。

「アルアル」

ソーニャは背後の少女に振り返る。
受け入れられなければそれはそれで仕方ない。

自分が間違ったことをしたとは思っていない。
ただ、恐れられても仕方がないことをしたことも理解できている。
これまで通り、無邪気にとはいかないだろう。

良子は胸の前で自身の手首を掴みながら俯いていた。
その指が右腕に巻かれた包帯に触れる。
俯いていた良子は、顔を上げた。
そして勢いよく腕を掲げ、前へと振り抜く。

「……我が眷属、流麗なる雪の偶像ソーニャよ! 我が盟友、我道の仇をよくぞ打ち倒した!」

堕天使は尊大に仰け反り、高笑いを響かせる。
ソーニャは唖然とした顔で、その様子を見送る。

「気に病む出ないぞ。貴様は我が身を守る役割を果たしたにすぎん! だから……だから」

言葉が詰まる。
伝えたいことがあるのに、上手く言葉が続かなかった。
ゲームの中では敵を倒すという簡単な一言で片づけられることが、現実ではどういうことなのか理解していなかった。
その意味を、今こうして理解した。

「…………アルアル」

少女の気遣いが身に染みる。
少女が少女であり続けるのなら。
たとえそれが偶像だとしても、求められる姿でそれに答える。

辛い事。
苦しい事。
沢山あったそれらを振り払うように笑って。

「アリガトウござマス、アルアル。コレカラも、ヨロシクお願いしマスネ」

[G-7/草原/1日目・午前]
[ソフィア・ステパネン・モロボシ]
[パラメータ]:STR:C VIT:E AGI:C DEX:A LUK:B
[ステータス]:健康
[アイテム]:闘魂の白手袋(E)、予備弾薬多数、ヴァルクレウスの剣、魔術石、耐火のアンクレット、不明支給品×4
[GP]:30pt→70pt(勇者殺害により+30pt)
[プロセス]:
基本行動方針:殺し合いには乗らない
1.HSFのメンバーを探す

[有馬 良子(†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†)]
[パラメータ]:STR:D VIT:C AGI:B DEX:C LUK:C
[ステータス]:右手小指と薬指を負傷(回復中)
[アイテム]:治療包帯(E)、バトン型スタンガン、ショックボール×6、不明支給品×1
[GP]:15pt
[プロセス]:
基本行動方針:†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†として相応しい行動をする
1.殺し合いにはとりあえず参加しない

【治療包帯】
巻いている箇所の治療効果を促進する包帯

061.2.15(前編)~Let’s Play Volleyball~ 投下順で読む 063.歌の道標
時系列順で読む
虎尾春氷――破章 ソフィア・ステパネン・モロボシ 天上楽土
有馬 良子
笠子 正貴 GAME OVER

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最終更新:2021年06月22日 01:14