天空慈我道はため息をついた。

パーティの雰囲気は最悪だった。
ライブで共にあれ程の一体感で盛り上がっていたのも今は遠い昔のように感じられる。
あれはあれでおかしな状況だったとは思うが雰囲気としては悪くなかったはずだ。

それらをすべて一撃で打ち壊した原因は一通のメールである。

そこには多くの脱落者の名が連ねられていた。
この数時間で実に3分の1が脱落した。

ここまで危険人物とは遭遇していなかったから、殺し合いと言えどもそこまで序盤から激化したモノではないと思っていたが大間違いだったようだ。
たまたま自分たちのいるマップの端の島が平和だっただけで、人の集まるような場所ではそこらかしこで殺し合っていたらしい。

我道はVRだのはよくわからないが、ここでの死は現実の死であるという。
その話にどこまで信憑性があるのか、我道は未だ半信半疑だが、嘘にせよ真実にせよ胸糞の悪い話である。

幸運な事に我道の親しい人間の名はなかった。
正義は我道に匹敵する実力者だし、善子もみっちり鍛えた愛弟子だ。そう簡単に敗れ去ると言う事もないだろう。
だからと言って、親しい人間の名を見つけたモノの心情を慮れない程、我道は無神経な男と言う訳でもなかった。

友人の名があったのだろう。
アルマ=カルマを名乗る少女は涙を流していた。
けったいな名を名乗りおかしな恰好をしているが、中身は年相応の少女である。

「……アルアル、元気出して下サーイ」

雪の妖精のような少女が片翼の堕天使の背中を擦る。
誰かを元気づけるのがアイドルの役割だと言う自覚からか励ます側に回っているが、脱落者の中にはHSFのメンバーの名があった事を我道は知っている。
表面上は気丈に取り繕っていても彼女が内心で受けているショックは計り知れないだろう。

ヴィラスは相変わらず虚空を見つめて何を考えているのかわからない。
メールを開いているかも怪しいというか、そもそも3歳児ならば文字は読めないだろう。
それはそれで、そんな幼児が巻き込まれていること自体が心配ではあるのだが。

「……気に食わねぇな」

我道はヤクザや半グレを泣かすのは好きだが、ガキどもが泣くのは気に食わない。
この状況を作った誰か。
こんな状況に踊らされて奴が誰かを殺した奴。

この場で殺しをした人間全員が悪だとは言わない。
そいつもある意味では被害者なのかもしれない。
だが、殺すしかないようなどうしようもない悪人は存在するし、我道だって殺す時は殺す。
その覚悟は常にしている。

だが、この少女たちの知り合いがそんな悪人であるはずもない。
それらを殺した輩は間違いなく許しがたい悪だ。

そして何より許せないのは、こんな状況を仕向けた奴らだ。
今もどこかでほくそ笑んでる。

どちらも必ず打ち倒す。
今のうちに大いに笑っておくがいいさ。
見つけ出してその報いを受けさせてやる。


有馬良子は泣いていた。

友達が死んでしまった。
大切な友達が。

登勇太と馬場堅介。
PCゲーム同好会に所属する友達。
メールには彼らがPCゲーム内でいつも使用していたアバター名が記されていた。
良子は漫画部で同好会には遊びに行くだけの関係だったけど、ありのままの自分を受け入れてくれた大切な場所だった。

ファンタジーな世界の住民になりたかった。
普段からそんな幻想を夢想し、想像の中で妄想していた。

自分を持たないほど子供ではなく、上手く世界と折り合いをつけられるほど大人ではない。
そんな中学二年生という時期に疾患する一種の病気、
それに彼女も罹っていた。

元々引っ込み思案な性格で人付き合いが苦手だった。
そんな自分でも幻想に浸っている間は弱い自分を忘れられるようで楽しかった。
その殻を被れば彼女は強くいられた。

けれど非日常を幻想していれば日常で浮いてしまうのは当たり前と言えば当たり前だった。
あいつは変な奴だとレッテルを張られ、世界から浮遊して孤立する。
叶う筈もないありえない幻想はいずれ現実に磨り潰され、折り合いをつけることを強要されるのだろう。

だが、世界の方からやってきた。
叶う筈のない夢が叶ったのだ。

嬉しかった。
楽しくって、浮かれてた。

だから忘れていた。
夢が叶って喜んでいる場合じゃなかったんだ。

ここに名前がある以上、死ぬこともあるって考えるべきだったのに。

何もかも信じられないと、突っぱねることもできただろう。
だけど、信じたくないのに信じている自分がいた。

普段から不可思議なことを夢見てきたからこそ、この状況を受け入れられた。
この状況を受け入れてしまったからこそ、この世界の全てを否定することもできなった。

作ったキャラを含めた私を受けれくれた人たち。
いつの間にか、作ったキャラなんかよりも大切になっていた友人たち。
そんな彼らを失った事を否定できない自分。
そんな自分がどうしようもなく嫌だった。

変えられない自分。
受け入れられない自分。
受け入れられたい自分。

そんな自分を受け入れてくれた大切な人たちだったのに。
ありのままを受け入れてくれた大切な場所だったのに。

だからせめて涙を流そう。
ありのままの自分で。


ソフィア・ステパネン・モロボシはこの催しが大嫌いだった。

彼女は楽しいことが好きだ。
彼女は悲しいことは嫌いだ。

誰かが笑っていれば嬉しい。
誰かが喜んでいれば楽しい。
誰かが悲しんでいるのは悲しい。

だから子供の頃から誰かを笑わせるような事ばかりをしてきた。

そんな彼女にとってアイドルは天職だった。
本気でお笑い芸人と迷ったけれど、どうにも才能はアイドルの方にあったらしく、スカウトを受けてアイドルになった。

最高の仲間たちと共に多くの人を笑顔に出来た。
それだけで彼女の中では満足だった。
頂点を極めるという事にはあまり興味はなかったけれど、より多く、より沢山の人を喜ばせる場所を目指して、気付けば頂点に手が届くところまで来ていた。

だけどそれも終わりを告げられた。
強制的に、どうしようもない悪意を持って。

可憐、キララ、利江。
無機質なメールに連なった彼女たちの名前。

デビュー前に脱退した利江は正規メンバーではないけれど、大切な人だった。
常に全体を気にかけ周りを引っ張ってゆく、リーダーになるはずだった少女。
家庭の事情で辞めていくことになった利江は強がってはいたが辛そうだった。
そんな彼女に笑って欲しくて、笑えるような画像を見つけるたびに送ったりした。
反応はなかったけれど、少しでも笑ってくれていたのならよかったのだけど。

キララはHSFでは一番年下だったけれど一番のしっかり者だった。
何かと適当なところのあるソフィアはよく叱られた。
最初からプロとしての意識を持っていたのはキララだけだったと思う。
彼女がいたから今のHSFがあったと言っても過言ではない。
それくらい大事な存在で、大好きな存在だった。

可憐は親友だった。
放置されがちなソフィアのボケを放置せずツッコミをくれる理想の相棒。
ソフィアの我侭に付き合って漫才大会まで出てくれた。
結果はすぐに予選敗退してしまったけれど、それでも最高の思い出だった。
本当に大好きな一番の親友。

そんな彼女たちが世界から失われてしまった。
それはどうしようもない悲しみとなってソフィアの心を蝕んだ。

誰を笑わせる事もなく悲しみばかり産む。
そんな世界は大嫌いだった。


ヴィラス・ハークは虚空を眺めていた。

金髪碧眼の巨乳美女。
だが、何かを考えているのか感情が見えない。

それもそのはず彼女の正体は人間ではない、生物ですらない。
データの海を泳ぐサメ型ウイルス――――VRシャーク
それが彼女の正体である。

高井丈美の幼児の様であるという見立ては正しい。
だが単位を間違えてた。
なにせまだ産まれて三カ月の赤子も同然の存在である。
彼女は今まさに世界を学んでいる最中だ。

だがかと言って何も考えてない訳ではない。
それが人に理解しがたいだけで、幼児にだって意志はある。
意志や思考、行動原理は確かにあるのだ。

ただ一つの行動原理に従い、電子のサメは牙を研いでいた。


黒野真央は自棄のように笑っていた。

「ハッハッハッハ! ざまぁないわぇ、ハッピーステップファイブ!
 ハッハッ……ゴホッ……! ゴホッ…………!」

笑いすぎて咽る。
それくらいに愉快だった。

私たちが殺してやった安条の他に篠田も死んだ。
HSFは崩壊寸前で、ざまぁみろだった。
あとは憎っくき美空と日輪もくたばれば万々歳だ。

まあ憎いといっても彼女たちに何をされたわけでもないが。
そもそも会ったこともない。向こうは自分のことなど知りもしないだろう。
その事実こそが腹立たしい。こっちはアイドル歴6年の大ベテランだというに敬意を払えと言うのだ。

「真央さん、楽しそうですね」
「そりゃそうよ、ライバルが減ったんだから」

ご満悦な声で応じるが何故か正貴の反応は悪い。

「いえ、すいません。よくわからなくって。
 ライバルが減るっていうのはそこまで喜ぶものなんですか?
「んん? そりゃあ…………そうでしょう?」

当たり前すぎて考えたこともなかった。
ライバルが減ればそりゃあ嬉しいだろう。

「嫌いなんですか? アイドル」
「ええ。嫌いよ、私以外のアイドルなんてみんな大嫌い」

肯定する。
自分より売れているアイドルは全てが憎むべき敵である。
いつだってテレビの前で呪っていた。死んでしまえばいいと思う。

「真央さんは、なんでアイドルなんです?」
「え?」

唐突な話題に切り替えについていけず戸惑う。
こちらの戸惑いに濁った瞳の正貴がああと頷く。

「失礼。言葉が足りませんでした。真央さんはどうしてアイドルになったんですか?」
「なんでって……アイドルになれば簡単にチヤホヤされると思ったからよ」
「けれど、6年も続けていたんでしょう? 簡単ではない」

確かにそうだ。
簡単にちやほやされたいだけだというのなら、別の道を目指せばよかった。
自分で言うのもなんだけど、キャバ嬢にでもなった方がよっぽと簡単に稼げただろう。

誰からも認められず、上手くいかないという現実を見せられ続けながら。
辛く苦しいだけの6年間を諦めもせず続けたのは何故なのか。
改めて問われて、即答できない自分に気づく。

自分ならすぐにスターになれるという己惚れを抱えて少女は舞台に立った。
そんなのは真央に限らず誰だって同じだろう。
それが若さだ。

だが、選ばれた才能を持たない多くの少女は現実を知って折れてゆく。
だけど、真央はそうじゃなかった。
現実を知りながらも、そこから全力で目をそらしながら、それでも折れる事だけはしなかった。

地下アイドルと言う立場が、コネづくりに便利だったというのもあるけれど。
それは擦れて腐って爛れてしまった後に生まれた目的だ。
上手くいかない現実に腐りながら、それでも続けていたのは。

「ま……好き、なんでしょうね。結局」

導き出されるのはシンプルな答えだった。
口にしてようやく自分の奥底の想いに気づけた。
いや、思い出せた。
その初心を。

アイドルに憧れてテレビの中のアイドルのステップに合わせて踊っていた。
そんな時期が真央にもあったのだ。

チャラチャラとしたアイドルが嫌い。
キラキラとしたアイドルが好き。
アイドルと言う概念は好きだ。

真央は今だって誰よりも強く思ってる。
アイドルとして輝きたいと。

自分以外のアイドルが嫌いという思いは、自分がアイドルとして輝きたいという思いの裏返しだ
だからそのために。

「素晴らしい事だと思います」
「そうかしら? 好きなモノを仕事にすべきじゃないともいうじゃない……」

弱音のような言葉を吐くその様は年相応に大人びて見えた。
幼い顔つきは男に縋る弱い女の顔をしていた。

「いえ」

男は女の弱音を否定し、肯定の言葉を与える。

「人を殺してまで叶えたい願いがあるというのは素晴らしい事だと思います」
「――――――」

その返答に息を呑んだ。
皮肉ではなく本気で言っているのだろう。

一瞬、頭を吹き飛ばされる安条(アイドル)の顔が脳裏をよぎる。

自分の殺意が殺したという事実。
そうだ、真央は真央の夢のために、全てを殺しつくさねばならない。
そう、いざとなれば自分の手を汚してでも――――。

だが、決意と共に踏み込もうとした足に静止がかかる。

「止まりましょう真央さん、誰かいます」


笠子正貴は身をかがめ遠く前方を見つめた。

そこに居たのは男女が4名。
どうやら落ち込んでいる少女を周囲が慰めているようだ。
その事に気を取られているのか、こちらにはまだ気付いていないようである。

「…………わちゃわちゃと群がってまぁ」

物陰に身を隠しながらその様子を窺っていた真央が小声で悪態を付いた。
確かに、この状況において集団と言うのはなかなか作るのが難しい。
利害の一致、信頼関係の構築、死以外の最終目標の達成、クリアすべき条件が多すぎる。

元々の知り合いだろうか? それとも我々の様にスキルによる強制的な関係か。
はたまた心を一つにするような魔法のような何かがあったのだろうか?

理由は不明だが厄介である事には変わりない。
すでに出来上がった集団であると言う事はそれだけで強みだ。
全滅を目指す立場からすれば邪魔以外の何物でもない。

「あれは……ステパネンじゃない」

集団の一人を指して真央がつぶやく。
当然のように正貴は見覚えはない。

「誰です?」
「アイドルよアイドル。さっき出会った二人と同じグループのアイドル」
「なるほど」

と言う事は正貴が殺した少女の訃報を見て彼女も悲しんでいるだろう。
大切な人を失った悲しみは正貴味わったことのない感情だが、かわいそうな事である。
同情を禁じ得ない。

確認のため正貴も集団を見つめる。
その中の一人に見覚えがあった。

「あの胴着の男、天空慈我道ですね」
「…………誰?」

今度は真央が尋ねる番だった。
アイドル以外には明るくない様だ。

「名の売れた空手家ですよ、警察にいた頃に一度だけ指導を受けた事があります。
 まあ、向こうはこちらの事など覚えていないでしょうが」

普段指導を行っている『無空流』師範の代わりに、一度だけだが師範代である我道が訪れたことがある。
彼の指導を受ける多くの警察官の中に正貴もいた。

「そんなにヤバいの?」
「そうですね。なかなかの怪物ですよ」

警察官ほど様々な怪物と出会える職業はない。
常軌を逸した犯罪者もそうだが、武術指導の名目で定期的に武を極めた達人と触れ合う機会がある。
あれらは異常性の怪物たる犯罪者たちとはまた違った意味での怪物たちだ。

「なにせ、100人組み手と称して警察官全員と乱闘を始めた人ですからね。私も一撃でのされました」
「別の意味でヤバい奴じゃない」

その通りである。
なにせ、そうした理由が普段は警察に喧嘩を売れないからというのだから呆れるしかない。
確かに指導と称した組み手ならば合法だろうが、それにしたって屈強な警察官相手に喧嘩を売る当たり正気ではない。

「…………どうするの? 引き返す?」

不安そうな声で真央が尋ねる。
受け入れているとはいえ、スキルによる魅了をされている以上、最終的な主導権を持っているのは真央だ。
そんな生殺与奪の権を握っている状況にありながら、無理に突撃せよとは言わない辺り優しいのか気が弱いのか。
どちらにせよ彼女らしい。

「いえ、やりましょう。あれ以上戦力が拡大する前に今のうちに叩いたほうがいい。
 現実での真正面からの立ち合いならまず勝てませんが、ここはゲームで殺し合いだやりようはある」

動かす操作感覚はあるだろうが、体は完全な別物だ。
現実で強いからと言って、ここで強いとは限らない。
加えてスキルと言う超常的な要素もある。

不意を突いて『捕縛』スキルを使えば1人は殺せるだろう。
唐突に自分の体が引き寄せられればまともな人間であれば混乱するはずだ。
先ほどの少女がそうだったようにとっさの抵抗程度が関の山である。

機会は手の内がバレていない1度きりだが、それで十分。
護衛役の狼を排除できれば残された羊はどうとでもなる。

「そう……じゃあ、頑張って」
「はい。お任せを」

応援を受ける。
奥底より力が湧き上がるようだ。
今ならば誰にも負ける気がしない。

物陰から飛び出し一息で駆け寄る。
当然の様にこちらの存在にも気付かれたが、もう遅い。

既に『捕縛』スキルの射程圏。
正貴は我道に向かってスキルを発動させた。


「ぅお!?」

クンと見えない釣り竿に吊り上げられた様に我道の体が宙を舞った。
唐突に自分の体が浮き上がる超常現象。
そんな事態に巻き込まれれば、まともな人間であれば混乱するだろう。

そうまともな人間であれば。
だが武術家は須らく、まともではない。

人体を闘争に特化した肉体に作り替えた埒外の生き物である。
緊急事態を意識が認識するよりも早く、肉体は臨戦態勢に変わった。
呼び起こされた闘争本能に従い肉体は思考よりも早く最適を選び取る。

引き寄せられながら我道は弓の様に身を引き絞った。
その動きを見て正貴は瞬時に組み伏せるという目的を諦め、一撃を防ぐことに意識を集中させた。
そうでなければ、死ぬのはこちらだと直感する。

そして引かれる勢いすら利用して、振り下ろされる――――肘。
その一撃は鉞の如く。
氷柱すら容易く砕くだろう。

正面から受け止められる一撃ではないと察し、正貴は両腕で横合いから撃ち払った。
辛うじて捌けたが、それでも両腕に凄まじい衝撃が返る。
恐らく真央の応援効果がなければ防げなかっただろう。

一撃は止めた。
だが引き寄せた勢いまでは止まらず、体がぶつかり合いもつれあって転がる。
そして二人の体はそのまま勢い余って島端の崖へと転がり落ちた。
我道は崖から落ちながら残された事態についてけずポカンと呆けている三人に向かって叫ぶ。

「こいつ一人とは限らねぇ、気を付――――!」

遠ざかり最後の方は聞こえなくなっていったが、意味は十分に伝わったようだ。
堕天使は怯えるように身を竦め。
アイドルは素早く青い瞳で周囲を見た。

「あそこ、誰かいマス!!」

そして、すぐにそれは見つかった。

「モシモーシ。そこのアナタ? おとなしく出てきてくだサーイ」

ソーニャが声をかける。
その呼びかけに観念したのか、チッと舌を打つ音が返った。
そうして物陰からゆっくりとその姿が表れる。

それはアイドルだった。


物陰に身を隠していた真央が姿を現す。
アイドルとは常に注目を浴びる職業(もの)。
プライベートでも身バレする様に最上級のアイドルスキルを持つ真央が潜伏することなど不可能だ。

即座に発見されたことに苛立ちながらも、相手は小娘三人。
何とかなるだろうと真央は覚悟を決める。

大きく息を吸う。
両手を顔の前で遊ばせ、内またで駆け寄る。

「ち、違いますぅ。たまたまそこに隠れていただけでぇ。怖くってぇ。信じてくれますぅ?」

全力の媚びるような口調で、困ったような眉を寄せた。
これこそが天真爛漫で愛くるしい地下アイドル真央ニャンの姿である。
我ながら白々しい言葉だと思いながら相手の様子を伺う。

「無論。信じる愛らしき者よ」
「可愛らしいデース」
「かわ、イイ……」

だが通る。
説得力皆無のこの言い分が愛らしさと言う一点だけで押し通った。
どう見ても怪しいこの状況すら覆す問答無用のアイドルスキル。

「く……くくくっ」

そのあんまりな無茶苦茶さに、思わず笑ってしまう。

「ハッハッハ。バッカみたい!!」

ちょっと媚びるだけでこれだ。
一目見ただけで対象を魅了して推さずにはいられなくなるという呪いの域に達したアイドルスキル。
もはやこいつらは真央のために命を懸けることもいとわない兵隊となった。

「何がハッピーステップファイブよ。調子に乗ってんじゃないわよ!
 安条といい、こうして私に利用されるために生まれてきたのねぇ!」

連日メディアで調子に乗ってるアイドルがこうして、自分に熱狂してるのだから笑える。

「さぁどうしてやろうかしら!? 殺し合わせる!? それとも肉壁としてこき使ってやろうかしら!?」

この場における女王は世間から天才と持て囃される諸星ソフィアでもない。
誰も知らないような地下でクズぶってる地下アイドルの真央ニャンだ。
それがたまらなくおかしくて、ふんぞり返って真央は命じる。

「そうねぇ。3人もいらないから殺し合いなさい、あなた達。
 生き残ったやつにはキスしてあげるわ!」

そう言って愛らしいポーズで投げキッスを送る。
推しのキスをかけた殺し合いが始まろうとしていた。


崖から落ちた二人の男は互いに受け身を取り即座に立ち上がる。

崖下は海にほど近い岩盤地帯だった。
固い岩盤の上で互いに向かい合い、構えを取る。

「よう。あの肘を防ぐとはやるじゃねぇか。
 防御は巧い上にその構え、けど柔道家って感じでもねぇな、どちらかつーと逮捕術か。つーことぁポリか?」

僅かな攻防と構えのみでそこまで言い当てられるモノなのかと感心する。
だが、わざわざそう言うあたり、我道が正貴を覚えていないのは確かなようだ。

正貴は答えず無言のまま足に力を籠める。
我道も元より返答など期待していない。
言葉よりも、その態度が何よりモノを言う。
それが立ち会いという物である。

固い地面を正貴が蹴った。
滑るように低い軌道で足元を狙った低空タックル。

敵は空手家。
立ち技では話にならない。
一、二発貰う覚悟でも、掴みさえすれば。

「――――――と、思ってんだろ?」

右足が消えた。
そうとしか思えぬほど鮮やかな蹴りだった。
蹴り足はしなやかな鞭のような軌道を辿り、タックルを決めようとしていた正貴の顎先を掠めた。
顎を素早く打たれればテコの原理で脳が揺れ、人間は確実に昏倒する。

「すべき覚悟は、一撃を貰う覚悟じゃなく、一撃も貰わない覚悟だったみてぇだなぁ」

そうして一撃にて決着した。


「アルアーール! 目を覚ましてくだサーーーイ!」

向かい合う三人の少女。
今にも殺し合いが始まろうという瞬間、強烈なビンタが炸裂した。
そのビンタの勢いに堕天使が倒れる。

「…………い、痛い」

涙目の堕天使が頬を抑えながら唸る。
その目は正気の色を取り戻していた。

闘魂の白手袋。
装備すれば、打った相手の精神異常を回復するというアイテムである。
解除成功率はビンタの強さに比例するため渾身のビンタであった。

「ヴァラランも目を覚ましてくだサーイ!」
「あぅ」

幼児と思しき少女に対しても全く容赦のない全力ビンタが炸裂した。
受け身も取れず地面に突っ伏す金髪美女。
だが、これにより先ほどまでのおかしな状態も解除されたようである。

「はいはーい。多分、あの人見てたら心を奪われちゃう見たいデスネー。
 モッカイ効くかは分かんないデスケド、念のためアルアルとヴィラランはあっち向いててくだサーイ」
「ぅぎぎ」

正気の色を取り戻した二人の首が強制的に向こうにひねられる。
この体勢では堪らないと良子は回れ右して背中を向けた。

「なんでアンタは平気なのよ……ッ!?」
「何の話デス?」

悔しそうな声で真央が叫ぶ。
ソフィアも真央のアイドルスキルに魅了されていたはずなのに。

「私のことカワイイって言ったじゃない、私のスキルで魅了されてたんじゃないの?」
「アー。ソーイウ事ですカー。けどワタシはそう思ったカラ、そう言っただけデースヨ?」
「なっ…………!?」

真央が6年間磨いた相手に媚びる技術。
その力が本物だったからこそソフィアは思った通りそう言っただけである。
つまりは培った技術が身を助けず足を引っ張ったという事だ。

「じゃあつまり、アンタは最初から私のアイドルスキルにかかってなかったってこと? どうしてよ!?」
「サー? ファンじゃなく私もアイドルだからじゃないですカ?」

同系スキルの軽減効果。
アイドルはファンを引き付けるモノ。
同じアイドルには効果が薄い。

「という訳で。アルアル。ヴィラランを連れて離れていてくだサーイ」
「え、けど…………」
「大丈夫デース。信じて下サーイ」

振り返る訳にもいかないのでソフィアがどんな顔をしているのか良子には分からなかった。

「う、うん。では、任せたぞ我が同士たる雪の妖精よ!」

そう言い残し、目線を送らないようにしながら堕天使が幼女の手を引いて走り去ってゆく。
ソフィアが立ち塞がっている以上、立ち去ってゆく二人を追う訳にもいかず真央もその背を見送るしかない。
彼女たちが完全に立ち去りその場に残されたのは真央とソフィアというアイドルが二人だけとなった。

ふぅとソフィアが息を吐いた。
その様子は真央の目にもわかるほど明らかに別物へと変わった。
ふざけたような表情は鳴りを潜め、細めた目は見るだけでゾクリとする氷みたいな冷たさがあった。

「それで――――可憐がどうって話、詳しく聞かせてほしいんだけど」

流暢な日本語。
首に手をかけコキリと鳴らす。
絵にかいたような片言さはどこにも見受けられない。

そこに居たのは先ほどまでのアイドル諸星ソフィアではない。
真央にはすぐに理解できた。
何故なら真央もそうだから。

それは舞台上の自分とは違う素の自分。
これが素のソフィア・ステパネン・モロボシなのだろう。

「はっ! キャラ作りはどうしたのよ!? 化けの皮が剥がれてんだよクソガキ!」

煽るような真央の言葉に対しても、ソフィアは動じずどこまでも冷静だった。
諸星ソフィアは誰かを楽しませるための存在だ。
誰かの笑顔が自分の幸せだから、誰かの笑顔のためにそうやってきた。
だが、目の前の相手は違う。

「アンタを楽しませる義務なんてないもの」

そう冷たく言い放った。


顎に一撃を貰い意識を失った正貴の体が崩れ落ちる。
一撃にて勝負は決着した、筈だった。

意識を失った正貴の体は力なく地面に向かって倒れこみながら――――我道の手首をつかんだ。

「な…………ッ!?」
「ふふぁふぁふぇふぁ」

正貴は意識を失ってなどいなかった。
ゆっくりとその顔が上がる。
それを見て我道は理解した。

(テメェで……顎を外しておいた!?)

顎が外れた状態ならば脳を揺らすこともない。
だが、自ら顎を外すという行為もそうだが、外した顎を自ら打たせるなど正気ではない。
一撃を打たす覚悟は読んでいたが、一撃を打たす覚悟の深さを読み誤った。

我道が次々と屈強な警察官を打ち倒してゆく様を正貴ははっきりと見ていた。
我道にとって正貴は打ち倒した有象無象の一人だったかもしれないが。
その雄々しくも猛々しい姿は、鮮やかな記憶として残っている。

天空慈我道が低空タックルにどう対処するのかも覚えていた。
目視不能なほどの速さの蹴りなど避けることもできないが、正確無比であるが故にどこに来るかは読めていた。

だが、掴まれた所で我道は空手家である以上に喧嘩家である。
総合格闘以上の多種多様な相手と戦ってきた。
掴まれた時の対処など嫌と言う程心得ている。

掴まれた手を剥がそうと切るような動きで手首を捻る。
だが、敵の腕は我道の手首を離れず掴んだままだ。
上手く力が入らず引きはがせない。

合気の達人は相手の手首をつかむだけで相手の動きを封じるというが、それとは違う。
力が入らないというより、入る力が弱まっている。
これは技術ではない何かによるものだ。

抵抗する間もなく、手首を引かれ引き寄せられる。
そのまま胴着の襟を掴まれ咄嗟に重心を落とすが、力の入らない状態では何の抵抗にもならなかった。

最強の格闘技は何か?

それはパンクラチオンの時代がから現代に至るまで結論の出ない問いかけである。
ならば条件を限定すればどうだろうか?
路上。素手。一対一。
そこまで情報を絞るなら候補に挙がるのが、柔道である。

剣道と並ぶ警察官の必須科目。
畳の上だから競技として成立しているが、実戦においてこれほど凶悪な格闘技はない。
簡単な話だ。
固い地面に頭部から叩き落せば、人間は死ぬ。

ゴッ。
固い何かがぶつかる鈍い音が響いた。


†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†は強い、と思う。

漫画の世界の住民みたいに戦える。
そう設定した理想の自分だ。
きっと戦っても強い、はずだ。

だが、そう思えど良子は動けずにいた。
ソーニャを助けに行こうにも、見るだけで魅了されてしまう相手なんて助けに行ったところで足手まといでしかない。
ここで待機するのが一番の助けだろう。

かと言って我道の援護に行くのもそれはそれで気が引ける。
大人の男同士の喧嘩に割り込んでいくのは、正直怖い。
姿だけ理想の自分になっても中身は引っ込み思案な自分のままだ。

どうしたら良いのかわからず傍らのヴィラスを見た。
状況を理解してないのか、変わらぬ様子で口を開けて呆けている。
道理も分からない3歳児を戦いに巻き込むわけにも、放置するわけにもいかない。
この子のお守りが今は自分の役目だとそう自分に言い聞かせる。

「くくっ。安心せよ無垢なる者よ。
 我らが同志の勝利を信じ、我と共にここで帰還を待つが良い」

ヴィラスを安心させるべく言葉をかける。
それがどれほどの意味を持つのかは分からないが、ひとまず注意は引けたのか。
ヴィラスが涼子を見ながらぽつりと呟いた。

「…………たべたい」
「む。空腹であるか?」

と言っても、残念ながら食料は支給されていない。
何か食べさせてあげたいけれど、どうしたものかと考えて、ふと気づく。
そもそも、食料が支給されていないのはアバターであるこの体に空腹はないからである。
ならば、ヴィラスは何を。

「たーーぁべたああいいいいいいい!!」
「!?」

突然叫びを上げたヴィラスが大口を開いて良子に噛み付いてきた。
咄嗟に出した手を噛まれて、小指と薬指が完全に口内に飲み込まれる。

「い、痛いッ!!」

それは甘噛みなどと言う次元ではなかった。
ゴリゴリと骨を削るように牙を突き立てられる。
振り払おうとするが、まるでピラニアのように食いついて離れない。

「ッ……ぁあ…………ッ!」

これまでの人生であり割ったことのない鋭利な激痛。
痛い。痛い。この痛みから逃れたい。
アイテム欄にはスタンガンがあり、噛みつかれていない片腕は開いている
これを使えば、この苦痛から逃れられるかもしれない。

「ぅ…………っ!」

だが、誰かを攻撃するというのはある種の覚悟が必要となる。
その覚悟が、良子には足りていなかった。
まして相手は幼児であるという事実が、既の所で攻撃を躊躇わせた。

良子はスタンガンではなく自らの左目に巻き付けた包帯による封印を解くことを選択した。
封じられし金の瞳が解放され、青い瞳を捉える。
それは見た者に1分間の幻を見せる幻惑の魔眼。

「ッ…………水の牢獄に呑まれよ!」

与えたのは溺れる海のイメージ。
酸素を求めて口を開く。
それを期待しての事だったが、効果は覿面だった。

いや、覿面すぎた。

酸素を求める様に口が開かれ、解放されて引き抜いた指に赤の混じった糸が引いた。
肉は裂けうっすらと白い骨が見えるが指はかろうじて繋がっている。
痛みに顔をしかめながら、その傷の元凶であるヴィラスを見る。

溺れた魚みたいに口をパクパクとし続ける。
苦しそうなその様子に、良子は幻術を解こうとした、だが。

「え…………?」

困惑の声をあげ、その動きを止めた。

見ればヴィラスの顔が変わっていた。
美しい女性の顔は魚みたいに目が離れ眼球が飛び出すように盛り上がる。
パクパクと開く口元からはノコギリみたいな歯が覗いて。
まるでそれは、そう、邪神信仰における深き者みたいだ。

「………………サメ」

凶悪な海の捕食者。
口を付いたのはそんな言葉。
その言葉に応える様にギザギザの歯が並ぶ頬まで裂けた口を開いて、再び良子へと襲いかかった。

「ひっ!?」

良子はなすすべなく身をすくませる。
今度は指なんかでは済まず、胴体ごとかみ砕かんとする勢いで飛び掛かった。

だが、幻影の獲物に飛びついたのか、良子を過ぎ去りそのまま勢いよく海に落ちていった。
海上に大きな飛沫が上がる。

その様子を青ざめた顔で良子は見降ろした。
自業自得な感はあるが、そこまでするつもりはなかった。
追っていこうにも下は激流だ。

一人取り残された堕天使が呆けた声で呟く。

「…………どうしよう」

[G-7/海岸近くの草原/1日目・朝]
[有馬 良子(†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†)]
[パラメータ]:STR:D VIT:C AGI:B DEX:C LUK:C
[ステータス]:右手小指と薬指を負傷
[アイテム]:バトン型スタンガン、ショックボール×10、不明支給品×1
[GP]:15pt
[プロセス]:
基本行動方針:†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†として相応しい行動をする
1.ソフィアと我道と合流したい
2.殺し合いにはとりあえず参加しない


「っ…………ぉ!」

呻きを上げたのは正貴の方だった。

我道は地面に叩きつけられる直前、握り込んだカランビットナイフで相手のわき腹を刺した。
天空慈我道は武器の使用を躊躇わない。
素手が最も効率的だからそうしているだけで、必要とあらば何でも使う。

これにより叩きつけられる寸前で僅かに拘束が緩んだ。
とは言え最後の一押しを防いだだけで頭部を地面に叩き付けられたことに変わりはないのだが。
割れた頭部から血がドロリと流れた。
赤く染まった視界が揺れる。

「…………さて、困ったな」

正貴が外れた顎を嵌めながらぼやく。
刺された傷も浅く、行動に支障はない。
ダメージは確実に我道の方が大きいだろう。

だが、スキルは全てネタが割れた。
この状態でも正面戦闘では分が悪い。
手負いの獣が相手だ、油断すれば喰われる。

「キャオラッッ!!!」

野獣のような雄たけびを上げ我道が攻める。
頭部の傷は深く、止血もならず大量の血が流れ続けている。
如何に血の気の多い我道とは言え、行動不能になるのは時間の問題であった。
烈火の如き猛攻で狙うは短期決戦である。

対する正貴は防御に徹した。
狙いはもちろん大量出血をしている敵の消耗。
警察官の扱う逮捕術は拘束と防御に特化した武術である。
一流の使い手が防御に徹すれば、それを破るのは不可能に近い。

だが、目の前の空手家はその不可能を可能とせんとしていた。

それは多くの凶悪事件を担当し荒事に巻き込まれてきた正貴をして味わった事がない領域の猛攻だった。
瀑布のように降り注ぐ打撃。
一撃が早く重く巧い。
まるで激しい大滝に撃たれているようだ。

たまらず相手に組みかかるが、突き出し手を握り締めたナイフで裂かれた。
勝負の要点を読む力がずば抜けている。
攻撃一辺倒に見えて、掴ませないという一点は徹底していた。

刃物を持ちながら主体としないスタイルも厄介だ。
刃から注目を切る訳にもいかず、打撃に対する対応がおろそかになる。
これならばいっそ刃物を主体としてくれた方が攻撃が読めて楽なのだが。

「ご…………ッ!?」

刃に気を取られるうちに、平拳が防御を縫って蟀谷に炸裂した。
直接的な打撃で僅かに脳が揺れる。
このままでは先に力尽きるのは正貴の方である。

「うぉおおおおおおおおおおッ!!!」

正貴が叫ぶ。
彼らしからぬ雄たけびと共に全身を投げ出すようなタックルを放った。
そこに放たれるカウンターの膝。
顔面に直撃を喰らい数本の歯が飛んだ。

「ッ…………ぉ!?」

だが、そのまま勢いを止めず押し出した。
推し負けた我道が僅かに体勢を崩す。

捨て身により生まれた一瞬の隙。
正貴が最後の切り札を出すのは、この瞬間しかなかった。

最後まで隠し通した切り札。
それはただの銃だった。

ただ普通に撃っただけなら天空寺我道には通用しなかっただろう。
だからこそここまで封じてきた。
ここまで無いと思わせたからこそ、ただの銃が切り札足りえる武器になる。

意識の外より放たれる万が一すらの討ち漏らしを許さぬ、文字通りの必殺の意思を込めた全弾発射。
至近距離より放たれた8発の凶弾が空手家を襲った。


余裕を作るような笑みを浮かべながら真央は右手に「ヴァルクレウスの剣」という名の片手剣を構え、左手に構えたボウガンを突きつける。

「このボウガン。安条から奪ったモノなの、意味は分かるかしら?」
「そう、つまりはアンタが可憐を殺したのね」

予測していたのか、ソフィアは激昂するでもなく氷のような冷静さでその事実を受け止めた。
真央も否定はしない。
事実、可憐を殺すように指示したのは真央である。

「アンタも安条の残したボウガンで逝けるなら本望でしょう?」

悪役のように笑いながら、ボウガンの弦を番えた。
真央は片手剣とボウガンという遠近隙のない装備を構える。
対するソフィアは武器になる支給品がなかったのか無手。

ボウガンの矢を突きつけられたソフィアが真央の周囲を回るように動き出した。

「ちょこまかと…………!」

動かれると狙いが付かない。
ボウガンの心得などあるはずもない真央が、動く獲物を狙うなど簡単にできるはずもない。

ソフィアは止まらずただ無言で周囲を回り続ける。
凍ったみたいに表情一つ変えないその顔が癪に障った。
真央が堪えきれずソフィアに向かって引き金を引く。

放たれた矢は狙いを外れ、地面へと突き刺さる。
狙いのぶれた片手撃ちでは当然の結果だ、せめて両腕で構えるべきだった。
加えてスキルに全振りしたためDEXは最低レベル、これでは静止していたところで当たるかどうか。

矢が放たれたことを確認したソフィアが周囲を回っていた軌道を変えて、一直線に真央へと迫る。
それこそ矢の如き疾走。
雪の妖精が走る。

「このっ!」

向かい来るソフィアに向けて、真央が右腕の剣を振り下ろす。
だが、その間合いに入る直前でソフィアがピタリと静止した。

恐るべきボディバランス。
アバターのDEX(技能)もあるのだろうが、それ以上に身体感覚がずば抜けていた。

振り下ろされた刃は空を切る。
空ぶった勢いに釣られて真央がバランスを崩した。
そこに向けて、ソフィアが拳を振りかぶった。

「は?」

肩を回して放たれる打撃。
それはロシアンフックと呼ばれるフックの一種だった。

予想外に放たれる弾丸のような一撃。
それ呆気にとられ、真央が思わず後ずさった。

「キャ!?」

そこに偶然あった石に躓いて転ぶ。
それにより幸運にも一撃は避けられた。

だが、その拍子に剣から手を離してしまった。
地面に置き去りになった剣はソフィアに蹴飛ばされ遠くに転がっていく。

「ふざけんなよ…………アイドルが格闘技って美空じゃないんだから」

アイドル同士の喧嘩だ。
地下アイドルの楽屋裏でたまにやるようなキャットファイトのような取っ組み合いのになると予測していた。
素人同士の喧嘩なら武器のあるこちらが有利だと妄信していた。

だが、ソフィアの動きはそう言った女子供の取っ組み合いとは質が違った。
明らかな格闘経験者の動きである。

天才――――ソフィア・ステパネン・モロボシ
ロシア軍の女将校を母に持つ、才女である。

「く、来るんじゃないわよっ!!」

再び矢を番えたボウガンを構える。
ソフィアは自身に向けられる殺意を冷ややかな目で見送って、首を鳴らす。

真央の技量に見切りをつけたのか、もはやソフィアは周囲を回ることすらしなかった。
真っすぐに真央に向かって踏み出す。
ソフィアは宝石のような青い瞳で敵を見据え、走るでもなくゆっくりを距離と詰める。

「このッ……舐めやがってぇ…………ッ!!!」

今度は両腕で狙いをつける。
だが、腕の震えが伝わって上手く狙いがつけられない。

一歩、また一歩と距離が詰まる。
その歩みはもはや外しようもないほどの近距離にまで近づいていた。。

「フザケ、んなあぁ…………ッ!!!」

真央が引き金を引く。
だが、それよりも一瞬早く、真央の顔面に足裏が突き刺さりその鼻柱をへし折った。

鮮やかな高速ソバット。
傍から見れば妖精が躍る美しい舞いのようにも見えただろう。

大量の鼻血が噴き出す。
仰向けになって倒れこんだ。

「ッこ、アイドルの顔を…………ッ!!」

自慢の顔がつぶれたことにショックを受けながら身を起こし呪い殺す強さで敵を睨む。
そこで気づく、先ほどの衝撃で落としてしまったのか手元にボウガンがないことに。
どこに行ったか周囲を見渡す。

「探し物はこれ?」

ソフィアの手にそれはあった。
既に矢は番えられていた。
その矢先を突き付けられる。

「ま、待って!」
「何を?」

冷たい声。
真央はその場に正座して頭を地面に叩き付けた。、

人を殺せる道具を初めて突き付けられた。
喉がキュッとしまる、背筋がザワザワする。
感じた想いは一つ。
ただ、死にたくない。

「ごめんなさい……! 私だってこんな事したくなかった!
 けど巻き込まれて殺さなきゃ殺されると思て……死にたくなかったのよ!!
 そう思って精一杯悪ぶってたの……かわいそうだと思わない!?」
「そうね。かわいそう」

大量の涙を流しながら、地面に額をこすりつける。

「生き残りたかった、生き残ってアイドルとして輝きたかった!
 そう思う事は悪い事なの? あなたもアイドルなら分るでしょう!?」
「そうね。わかるわ」

ようやく初心を思い出せた。
今ならアイドルとしてもう一度飛び立てる気がする。
だから、死にたくない死にたくない死にたくない。

「もうしない! 心を入れ替える! あなたに協力してもいい、いえ、協力させて! だからッ!!」
「そうね。あなたが心を入れ替えたって信じてもいいわ」

許しのようなその言葉に、真央が顔を上げた。
そこで彼女の全身が凍った。
彼女を見下ろす、ロシアの永久凍土のように凍るような青い瞳。

「けどね。私の親友を殺したアンタを――――許すわけないでしょ?」

放たれたボウガンの矢は見上げた脳天に突き刺さった。
どれだけ泣いて詫びようとも、罪は消えない。
真央の体が粒子となって消える。

風に流されれるその様をソフィアは見送りもせずボウガンを抱きしめるようにして膝を付いた。
痛みをこらえるように表情を歪める。

全てが終わった、誰もいなくなったその後で。
今はアイドルではないソフィア・ステパネン・モロボシとして、静かに涙を流した。

[黒野 真央 GAME OVER]

[G-7/草原/1日目・朝]
[ソフィア・ステパネン・モロボシ]
[パラメータ]:STR:C VIT:E AGI:C DEX:A LUK:B
[ステータス]:健康
[アイテム]:闘魂の白手袋(E)、ボウガン(E)、不明支給品×3
[GP]:10pt→40pt(勇者殺害により+30pt)
[プロセス]:
基本行動方針:殺し合いには乗らない
1.HSFのメンバーを探す
※ヴァルクレウスの剣がその辺に放置されてます


至近距離より放たれた8発の凶弾。

だが、稀代の空手家は、それすらも凌駕した。

残像すら追いつけぬほどの超人的反応。
半数の弾丸を避け、頭部と心臓の弾丸は両腕で防いだ。
防ぎぎれず腹部と左足に開いた穴を気にせず、我道は跳んだ。

「―――――シッ」

落とされる稲妻の様な踵落とし。
銃を持つ正貴の手首を破壊し拳銃を地面へと叩き落とした。
岩盤に叩きつけられたナンバV1000が砕け散る。

右腕は砕かれただが正貴は損傷を気にせず無事な左手を伸ばす
我道が血濡れた腕で振り払おうとするが、遅い。
先ほど命中させた弾丸は相手のAGIを一時的に封じる特殊弾薬である。
この一瞬ならば、正貴の方が早い。

襟を掴む。
その瞬間『身柄確保』スキルにより我道のSTRが封じられる。
STRもAGIも封じた、この状況ならば――――!

「うあああああああああああ!!」
「おおおおおおおおおおおお!!」

二匹の野獣が叫ぶ。
先ほど同じ轍は踏ぬよう、ナイフを握った手を制しながら、体ごと投げ出すように大外を刈る。
共にひっくり返る二人の体、下になった我道の頭部が、二人分の体重を乗せて岩盤に叩きつけられた。
頭蓋が完全に砕かれる音が響いた。

正貴が這いずるようにして身を離す。
残された我道の体は粒子となって消えていった。

闘争の化身のような男だった。
未だに勝てたのが信じられないほどの強敵。

だが、安心してなどいられない。
正貴は肉体に鞭打ち震える足で立ち上がる。

まだ終わりではない。
獲物は3人残っている。

何より、早く真央の下へ戻らねば。
長時間遠く離れてしまったせいか応援によるバフは切れていた。
同時に魅了も切れているのだろう。

それでも胸の中には確かに真央も想う心があった。
きっとそれが「生きる意味」になるのだろう。
勝利に酔いしれる暇もなく、男は愛する女の下へと向かっていった。
その先に何が待ち受けるかも知らず。

[天空慈 我道 GAME OVER]

[G-7/海岸/1日目・朝]
[笠子 正貴]
[パラメータ]:STR:C VIT:C AGI:B DEX:A LUK:C
[ステータス]:頭部にダメージ(大)、前歯なし、右手首骨折、左わき腹に小さな刺し傷、軽い酒酔い(行動に問題はない程度)
[アイテム]:予備弾薬多数、カランビットナイフ、魔術石、耐火のアンクレット、支給アイテム×2(確認済)
[GP]:55pt→85pt(勇者殺害により+30pt)
[プロセス]:
基本行動方針:何かを、やってみる。
1.真央の元に戻る
2.真央を護ることを「生きる意味」にしてみる。
3.他の参加者を殺害する。
※事件の報道によって他の参加者に名前などを知られている可能性があります。少なくとも真央は気付いていないようです。
※『捕縛』スキルのチャージ時間は数分程度です。


ヴィラス・ハーク――――否、VRシャークは海を泳いでいた。

連なる島々の影響により生み出された複雑な激流など何するものぞ。
彼女は水の塔の支配者である、激流に飲み込まれることはない。
いや、それ以前に魚が溺れるなどあるはずのない。

その顔は人のモノを離れ、魚の混じった半魚人めいていた。
迷彩が半分剥がれた歪な怪物。

精神異常を回復するソフィアの闘魂ビンタ。
アルマ=カルマの魔眼が見せた海の幻影。
これらが合わさり、VRシャークは海の捕食者として覚醒した。

その思考はシンプルだ。
齧り。噛みつき。喰らいつくす。
血の味を知った捕食者の本能が呼び起される。

もう止まらない。

[G-7/海/1日目・朝]
[VRシャーク(ヴィラス・ハーク)]
[パラメータ]:STR:D→C VIT:E→D AGI:D→C DEX:E→D LUK:E
[ステータス]:幻覚、インマウス面
[アイテム]:不明支給品×3
[GP]:150pt→250pt(塔の支配ボーナスにより+100pt)
[プロセス]
基本行動方針:???
1.食べたい
※水の塔の支配権を得たことにより水属性を得て本来の力を僅かに取り戻しました
※魚としての自覚を得て本来の力を僅かに取り戻しました

054.命短し走れよ乙女 投下順で読む 056.お宝争奪戦
時系列順で読む 057.炎の塔 ~ 行く者、去る者、留まる者 ~
酔生夢死 黒野 真央 GAME OVER
笠子 正貴 虎尾春氷――急章
虎尾春氷――序章 ソフィア・ステパネン・モロボシ
有馬 良子
天空慈 我道 GAME OVER
VRシャーク サメ×アイドル×殺人鬼

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最終更新:2021年03月23日 23:14