◆
生ぬるい黒風が吹いた。
その汚濁は少女の形をしていた。
漆黒を煮詰めたような、気配を引きずりながら少女が歩く。
彼女が歩くだけで周囲の草木すら枯らすような瘴気が墜ちた。
全身は熱を帯び、呼吸すら火のように熱い。
引きずるような足取りはどこまでも重く、重い枷でも付けられているようだ。
握り締めた右手から赤黒い雫が滴り落ちる。
その手の内には血の塊のような刃がむき出しのまま握り締められていた。
頼りないふらつく様な足取りだったが、どういう訳かどこに向かうかだけはハッキリとしていた。
心の中の確信が導くのだ。
暖かな春風が吹いた。
この世の清浄を一心に背負ったような女だった。
女は地上に在りながら太陽よりも眩く尊い存在が奇跡のような聖光を纏っていた。
純白の聖杖をバトンのように振り回して踊るように進む。
足取りはどこまでも軽く、どうしても足が弾んでしまう。
それも仕方あるまい。
この先にずっとずっと求めていたモノが待っている、そんな予感がある。
いや、これは予感ではない、確信だ。
古来より双子には不思議な力があると言われている。
曰く、テレパシーのように互いの考えている事が分かる。
曰く、遠く離れた場所にいても同じ行動をとった。
曰く、一方が傷つけば、傷のないもう一方も同じ個所に痛みを感じた。
世界中の事例を挙げれば枚挙に暇がない。
その双子の確信が伝えるのだ。
この先にいる互いの存在を。
二つの足音が揃って停止した。
澱み輝く清濁合わさった突風が吹く。
波のような草原の騒きが耳に煩い。
互いの目の前には、自分と同じ顔が立っていた。
鏡の前に立ったような不思議な感覚。
産まれた時から慣れ親しんだ違和感に再会する。
二つに分かれた運命が出会う。
◆
中学生になって学年が一つ上がった春。
人間関係がリセットされたクラスの中で私は早くもその中心にいた。
私は優秀な人間だと思う。
成績は小学生のころから学年上位をキープしているし、運動神経だって悪くない。
今では強豪バレー部の次期エースだとまで言われている。
人付き合いも苦手じゃない、自分で言うのもなんだがクラスのみんなに好かれていると思う。
教師からの信頼も厚く、私の周囲にはいつだって人に溢れていた。
対して、学校での姉は常に一人きりだった。
私はそんな姉に話しかけるでもなく、クラスの中心から教室の端っこで佇む姉を見ていた。
人を侍らせる私の精一杯当て擦りなど、どこ吹く風だ。
周囲の目など何も気にせず、自身が独りであることなどまるで気にかけてない。
いつだって窓際の席で深窓の令嬢のよう静かに読書を嗜んでいた。
柔らかな風に吹かれる姿は、どの一瞬を切り取っても美しい芸術作品のようである。
その細かな所作から漂う気品と美しさがあった。
同じ環境で育ったのに、どうしてこのような差が生まれるのか、いつも不思議に思う。
同じ顔、同じ声、同じ制服。
双子はよく間違われるなんて話もあるけれど、そんな双子あるあるには私は共感できなかった。
私たちはまるで違う。
間違われることなんて殆どない。
似ているのは顔だけで好きも嫌いも性格も能力も何もかも違った。
そんな姉に私は劣等感を感じてしまう。
姉は孤独ではない。孤高なのだ。
畏れられてはいても嫌われてはいない。
周囲が勝手に近寄り難く感じて距離を置いているだけである。
むしろ、心の中では敬愛や尊敬の念すら持っているだろう。
いざ話しかけられれば邪険にするでもなく、にこやかに優しく対応する。
誰にでも分け隔てなく接するその対応に心酔する者も少なくなかった。
他人に対して怒りや憎しみの感情を露にした場面を誰も見たことがない。
だが、私は知っている。
姉は周囲の人間を愛しているのではない。
怒りや憎しみを抱くほど他者に興味がないのだ。
ただ、自分を愛してくれる環境を愛しているだけだった。
そんな一線を引いた孤高の姫君。
他者を必要としていない完璧で完全な完成された自己完結。
その在り方は幽世に住まう仙人のようだ。
だが、クラスの、いや、学校中の人間がどうしようもなくなった時に最後に頼るのは姉だった。
いつから、誰が最初にそうしたのかはもう分からない。
何らかの問題や揉め事、解決しがたい困難が発生した時、皆一様にして姉に相談するのだ。
その問題を姉は困った顔一つせず受け止め、安楽椅子探偵のようにすぐさま解決する。
その相談相手には教師は愚か教頭や校長、果ては生徒の保護者まで含まれる、なんて笑えない噂話もあるくらいだ。
ある日の放課後、クラスメイトの一人が深刻そうな顔で相談を持ち掛けた。
相談してきたのは図書委員を任されているような真面目な女生徒だった。
なんでも、付き合っていた男との行為中の映像が裏サイトで売り出されていた。
彼氏を問い詰めると開き直られ、ウリをしなければ顔のモザイクを取っ払って家族や学校にバラすと脅された。
どうやら彼氏だった男は巨大売春斡旋業者の末端だったらしく、その元締めは反社組織にも繋がっているらしい。
追い詰められてどうしたらいいのかわからない、という内容だった。
本来であればクラスメートに相談するような話ではないだろう。
そもそも相談されたところでただの学生にはどうしようもない話である。
だが、そんな話も姉はいつも通りの聖母の様な笑みで聞き終え。
「心配しなくてもいいわ。すぐに解決するから」
なんて、同情とも慰めともつかない言葉を投げかけた。
その言葉の通り相談した翌日にはその問題は解決していた。
姉がどのような手段をとったのかは分からない。
ただ朝一番の通学路にボコボコに顔を腫らした彼氏だった男が尋ねて来て、二度と関わらないと上役のヤクザのサインまで入った誓約書まで寄越してきたそうだ。
その顛末を聞いて、恐ろしいと思うと同時に姉ならばできるのだろうと私は心のどこかで納得していた。
普段は遠巻きに眺められながら、恐れられ、崇められ、必要な時だけ願い乞われる。
まるでどんな願いもかなえる神様みたいだ。
双子の姉の姿を遠巻きに眺めながら、そんな他人事の様な感想を抱いた。
◆
「…………愛美」
「――――優美」
互いの名を呼んだ。
嫌悪と愛好。
同じ声色でありながら含まれる色は対極のモノだった。
「久しぶりね。嬉しいわ、こうして逢えて」
「そう、ね」
戸惑いながらも応じる。
目の前にした瞬間、憎悪が爆発して正気を失くすと思っていた。
目と目が合った瞬間、殺し合いが始まると思っていた。
だけど思ったよりもずっと穏やかな心持だった、
互いにとって再会は久しいものだった。
だが、彼女たちの時は違う。
このゲームに巻き込まれたタイミングも。
異世界で過ごした年数も。
生きた年月も。
全ては違ってしまった。
産まれてから異界に旅立つまでの15年。
一時も離れる事のなかった二人だと言うのに。
優美にとってこの瞬間は、永遠にも思える地獄の時間の先に在る、主観的な観点からの永劫の果て。
愛美にとってこの瞬間は、人の身を捨てた幾星霜の先に在る、客観的な観点からの永劫の果て。
主観と客観という違いはあれど、数える事すら億劫なほどの時間だったと言う事だけが共通していた。
「――――薫を殺したわ」
優美はそう切り出した。
それは罪の告白ではない。
妹としてではなく復讐者としての言葉であり、次はお前だという宣戦布告を突きつける行為である。
その告白に、愛美は驚いたような顔をした後、表情を引き締め問いかけた。
「……どうしてそんな事を」
「どうして…………? そんなことをも分からないのッ!?」
蔑むような冷笑が口端が歪ませる。
それはこの期に及んでそんな疑問を抱く相手に対する軽蔑と侮蔑であり。
己が罪業を知らしめさせてやるという加虐めいた熱狂であった。
その熱に促されるように復讐者は声を荒げる。
「分からないんだったら教えてあげるわよッ! お前たちの犯した罪を――ッッ」
「――――違うわよ」
だが、その熱狂は酷く冷めた声で遮られれる。
「どうしてそんな分かり切ったことを報告するのか、と聞いているの」
淡々と相手を威圧するような支配者の声。
遥か高みより全てを見下すその視線に呑みこまれる。
言葉を失う優美の様子に、愛美はつまらなそうにため息を盛らず。
「はぁ……せっかくの再会だっていうのに、そんなつまらない話題を振らないでよ。
相変わらず気が利かない子ねぇ」
呆れたように腕を振る。
その様子に、優美の心に怒りが灯った。
呑まれかけていた心を奮い立たせる。
愛美ではなく、愛美に対する憎悪に自ら呑み込まて行く。
「はっ! 薫と違って自分たちが何をしたか自覚はあるみたいねッ!」
「ええ。知っているわ」
日常会話のような相槌を打つ。
その悪びれもしない態度に吐き捨てるような嘲笑を返した。
「知ってるぅ? あながた何を知っているというの!?」
「あなたの事なら何でも」
優美が強く噛みしめた奥歯が鳴った。
どこまでも噛み合わない。
「話にならない…………だったらどうして……ッ!!!」
毎日のように思っていた。
どうして自分がこんな目に。
どうして自分が選ばれたのか。
「どうして…………ッ!」
助けてと。
ずっとずっとそう願ってきた。
神様に祈るみたいに。
「…………どうして…………助けてくれなかったの?」
この場で幾度も繰り返された問い。
それは無差別に世界に向けられた呪いの言葉。
だけど、そこに含まれる感情はこれまでとはまるで違う。
この言葉は姉に投げかけるべき言葉だった。
唯一の味方だった真凛でも元凶である兆でもなく、肉親である彼女へ。
この問いに、愛美は言葉を濁すでも誤魔化すでもなく、はっきりと答えた。
「助ける必要がなかったからよ」
助けられなかったでも、助ける気がなかったでもなく。
助ける必要がなかったと、そう言ったのか。
「………………何それ?」
歪んだ顔で嗤う。
下衆貴族に泣き叫びながら連れていかれる優美を見送る恍惚とした表情が思い出される。
ロクな答えが返ってこないと分かっていながら、こんな事を聞いた優美がバカだった。
「私があの下衆に何をされてきたかッッ!!
この場で全部全部、丁寧に聞かせてあげようか――――ッ!?」
唾が巻き散るほど激しい怒号。
肉体と精神、人としての尊厳まで凌辱しつくされた、地獄と呼ぶことすら生ぬるい絶望の日々。
あの絶望を一欠でも理解してたならば、そんな言葉を吐けるはずがない。
だが、それ程の激情を前にしても、彼女の姉は表情一つ変えなかった。
柔らかな笑みのまま、穏やかな声を上げる。
「言わなくても分かるわよ。あなたの様子は漏らさず逐一報告させてたもの」
「………………えっ?」
相手の罪過を知らしめ、責めるはずの状況が、たった一言でひっくり返った。
言葉を失う妹に、姉は笑いかける。
「あら、ネタばらしはなかったの? それは手落ちねぇ。それとも、そうなる前のあなたなのかしら?」
そもそも、何故貴族は優美を欲したのか。
ただの女一人にあれほど高値を支払ったのか。
なぜ、自分が選ばれたのか。
あれほど求めたその答えが、目の前に投げ捨てられていた。
同じ顔をした神の偶像を汚したいという願望。
同じ顔を凌辱しながらその裏で同じ顔に傅くという倒錯した欲望。
それを果たすための代替品。
陣野優美などという存在は求められてすらいなかった。
全身が震える。
爪が食い込み握り締めた拳から血が滴り落ちた。
膨れ上がる感情で今にも体が爆発しそうだ。
千切れそうになる理性の鎖を必死に抑える。
「…………そんなに私が憎かったの?」
残った欠片の理性で問いかける。
あんな地獄に突き落としたいと思うほど優美の事が憎かったのだろうか。
「あなたが憎い?」
不思議そうに首を傾げ、清廉な淑女のようにくすくすと笑う。
目の前の憎悪など意に介さぬ優雅な所作と美しい笑顔は、闇を色濃く際立たせる眩い光のようだ。
「―――――ええ、抱きしめたいくらいに大嫌いで、殺したいくらいに愛してるわ。
そういう物でしょ姉妹って?」
優美の足元が立ち眩みのようにふらついた。
血の気が引いた青い顔でゆるゆると首を振る。
徐々にそれが髪を掻き乱す動作に変わり、爪を喰い込ませた半狂乱のそれとなった。
「……違う。違うわ…………違うッ!」
姉妹は。
私たちは。
そんな関係じゃない。
――――憎い。
「お前が…………ぁ」
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
ただひたすらに憎い。
あるのは憎しみだけだ。
心全てが黒い憎悪に塗りつぶされる。
そこに愛などあるものか。
「お前がぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ…………ッッッ!!」
憎悪を絞り出すような絶叫だった。
その絶叫を愛美は恍惚とした表情で受け止める。
「それでいいの。あなたは私の事だけ考えていればそれでいいの」
完全魔術により取り込んだ田所アイナの読心能力。
洪水のような憎悪が一滴も洩らさず全て自分に向て叩きつけられているのが分かる。
劣化した能力では思考まで読むことはできず、読めるのは感情の発露のみ。
だが、それで十分だ。
このバカげた殺し合いも。
異世界での勇者ごっこも。
これまでの16年の人生も。
全てはこの瞬間のためにあった。
「さあ。憎しみ合って、愛し合って、どこにでもある姉妹喧嘩をしましょう……ッ!」
◆
通学路は秋の色どりに満ちていた。
衣替えも終え、制服も冬服に変わった10月。
夏の名残は消え、妙にピンとした空気の廊下に二つの揃った足音が響く。
「こうして二人で帰るのも久しぶりね」
「…………そうね」
隣には私と同じ顔をした私の片割れが肩を並べて歩いていた。
楽しそうに制服を翻す姉とは対照的に、私はどこか物憂げだった。
姉と並んで歩くのが苦痛だと感じるようになったのはいつからだろう。
私たちは別段仲の悪い姉妹という訳ではない。
喧嘩なんてしないし、姉が私に辛く当たった事もない。
私が勝手に苦手意識を抱えているだけだ。
姉の言葉の通り、こうして肩を並べて下校するのも小学生以来の事である。
普段はバレー部の活動があるため、部活に所属していない姉と帰宅時間が被ることはなかった。
だが、部活動のないテスト期間中ばかりはそうもいかない。
本来ならこう言った時に共に帰るのは彼氏の役目なのたが、生憎と彼氏である兆は予定が付かなかった。
そうなると帰る家が同じなのだから、特別な理由がなければ一緒に下校するもの必然だった。
「兆ちゃんも忙しいわね。彼女を放ったらかして」
「……仕方ないよ。家の手伝いがあるんだから」
兆は毎日のように母親の経営する喫茶店の手伝いに奔走していた。
それはマスターである兆の父親がギャンブルで身を持ち崩して蒸発したためだ。
そのせいで、兆はあれほど好きだった野球も辞めてしまった。
「それにしたって、少し過剰というかやりすぎよね。
こう言っては何だけど、あの喫茶店って毎日手伝いが必要なほど忙しい訳でもないでしょう?」
「それは……お母さんが心配なんだよ。兆は優しいから…………」
幼馴染に対する辛辣な言葉に怯みながら、私は曖昧な擁護の言葉を述べる。
強く言い返せないのは内心で私も思う所があったからだろう。
「そうかしら? 兆ちゃんは優しいというより、優しくあろうとしているだけのように思うけれど」
「……同じ事でしょう?」
口には出さないが、兆は賭博で身を持ち崩した父親を心の底から軽蔑していた。
だからこそ父親を反面教師にして絶対に自分はそうならないよう努めている。
優しい人間であろうと努力しているのだ。
「出力される結果はそうでしょうね。
まぁ私としてはそちらの方が好感が持てるけれど、優美にとってはどうかしらね……?」
揶揄するようにくすくすと笑う。
これ以上続けると見るべきではないものまで見えてしまいそうで、私は話を変える。
「姉さんの方こそ、彼氏はいいの?」
「彼氏? ああ薫ちゃんの事? もう一月くらい前に別れちゃったわ」
「別れた…………!? どうして?」
何でもない事のようにあっさりと言う。
だが、それは私にとっては青天の霹靂とも言える驚愕の出来事だった。
薫は私の初めての彼氏である。
彼のとの出会いは小学5年の頃、兆と同じ少年野球クラブに通う1つ上の先輩が薫だった。
私たちは試合に出るという兆の応援に行って、エースで4番として活躍する薫と知り合ったのだ。
その後、彼と同じ中学に進学して、猛烈なアプローチを受けて1年の夏に付き合い始めた。
だが、付き合って1年が立とうかと言う頃、薫が唐突に別れて欲しいと言い出した。
嘘の付けない男である薫は、正直に他に好きな人ができたのだと謝ってくれた。
その相手が愛美だと知った時はさすがの私も少し荒れて、過剰な反応を見せてしまった。
それが一月と少し前の話。
薫に振られた私を兆が慰めてくれたのを切っ掛けとして、私と兆は付き合うことになった。
その結果自体に不満はない、直後は少し不安定になったこともあるけれど、薫にとって姉の方が魅力的だったというだけの話だろう。
だが、そんな略奪愛を繰り広げておいて、こうも簡単に別れられると澱みのような気持ちが残る。
「なんだか話が合わなくって、薫ちゃんって少し品性がないというか、おバカなんだもの。
それにマザコンな所があるでしょう? 友人としてはいいのだけど彼氏としてはちょっとねぇ?」
「そんな言い方…………ッ」
昨日今日の短い付き合いではないのだから薫の性格など分かっていただろうに。
確かに薫は考えが足りず強引な所があるが、いつもみんなを引っ張ってくれる頼りがいのある男だった。
彼が身の丈に合わない国立高校を目指しているのも、将来いい仕事について母を楽にさせるためだと語っていた。
そんな彼を私は嫌いではなかった。
「そうね。少し言い過ぎたわ。けど、男と女の話ですもの。いくら姉妹とは言え部外者に余り口を出してもらいたくないわ」
「それは…………そうだけど」
複雑な気持ちのまま私は言葉を濁す。
「それに優美だって今では兆ちゃんと付き合ってるんでしょう?
だったらお互いその辺の話は言いっこなしよ」
そうだ、薫よりも気にかけるべきは今の彼氏は兆である。
何よりも兆は私を選んでくれた。
姉ではなく、他でもない私を。
だが、時々不安になる。
兆はその優しさから憐れな私を見捨てられなかっただけじゃないのか。
優しくあろうとするからこそ、傷ついた幼馴染を見捨てるという選択をとれなかっただけではないのか。
どうしても、その不安がぬぐい切れなかった。
「あら陣野さんたち、一緒に下校? やっぱり双子って仲が良くていいわねぇ」
保健室の前を通りかかった所で、ちょうどその扉が開き中から保険教諭が姿を現した。
昔からこんな風に私たちは一緒くたにされる。
双子とはそういう物なんだろうが、私は一緒くたにされるのはあまり好きではなかった。
「ふふ。そう見えます?」
私と違い姉はどういう訳かそう扱われると嬉しそうに喜ぶ。
傍から見れば私たちは仲良し姉妹なのだろう。
本当に私たちは似てない。
「テスト期間で早く帰れるからって寄り道しないで帰るのよ。
まあ優等生の二人に言うまでもないことかもしれないけれど」
「はい。さようなら白井先生」
そそくさと私は頭を下げながら保健室を通りすぎた。
姉もそんな私に続いて先生の前を手振りながら通り過ぎる。
「さようなら、杏子ちゃん」
「こらぁ。先生をちゃん付けで呼ばないの」
体裁上注意はするものの、その声色から本気で怒っているわけではないことは窺える。
むしろ生徒に親しみを持たれて嬉しがってる様子だった。
教師すら絆されるような魅力が姉にはあった。
「……姉さん、ああ言うのやめてよね」
「あら。どう言う意味かしら?」
保健室を通過し、校門に差し掛かった所で、私は姉を振り返ってそう言った。
私の言いたいことなど分かっているだろうに、不思議そうな顔で惚けるように首を傾げる。
私は知っている。
愛美が『ちゃん』付けするのは、親しみからくるモノなどではない。
それは相手を格下だと認識したときに呼ばれる呼称である。
私たちの周囲で愛美が『ちゃん』付けしない人間は家族を除けば殆どいなくなっていた。
その呼び名が増える度、まるで膿の様な何かが浸食していくような不気味さを覚える。
いつかそう遠くない日、私はおろか両親すらそう呼び出しそうで、薄ら寒いモノを感じてしまう。
「……もういいわ」
「ふふっ。おかしな妹ねぇ」
優雅な笑みをこぼして、無言のまま立ち尽くす私を置いて愛美は校門を潜る。
校内に取り残された私は無言のまま、その背を追いかけるようにして歩き始めた。
◆
「さぁ、姉妹喧嘩をしましょう――――ッ!」
掲げられた杖が白い光を放つ。
その聖光は最高ランクの魅了スキルに匹敵する神の威光。
あらゆる者の心を奪わんとする光はしかし、悪辣に染め上げられた精神を侵すに至らなかった。
出会いの確信を得ていたのは愛美だけではない。
その確信に従い、優美は事前に悪辣スキルをAランクに引き上げていた。
精神汚染など、この悪辣の前には大海に落ちた雫に等しい。
心臓が跳ねる。血液のように憎悪が全身を駆け巡った。
沸騰するような熱が神経を焼き、蟲が這う全身の筋肉が蠢いた。
筋と神経が流動しながら折り重なるように肥大化して行く。
スキル『憎悪の化身』による肉体の変質はその憎悪に比例する。
筋肉は沸騰したようにボコボコと沸き立ち、肌は鋼の様な黒に染まった。
その体積は肥大化を続け、肉体は今や2メートルを超えて3メートルに届かんとしていた。、
少女は怪物へと変貌する。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
怪物が吠える。
骨まで震える程の咆哮。
振り上げられた右腕には、ずっと握り締められた刃があった。
樹木のように伸びた刃は怪物の掌を貫き、小柄な愛美の身長の倍はあろうかという大剣へと成長を遂げる。
まるで憎悪を喰らうように。
右腕と一体化した大剣を振り上げる。
このまま振り下ろせば、恐らく民家程度なら一撃で両断できるだろう。
それこそ人間など粉微塵になってもおかしくはない。
「あらあら。ダメじゃない、そんなに的を大きくしたら」
だが、愛美は余裕の笑みを崩さなかった。
愛美はアイテム欄からライフルを取り出すと、反動を筋力で抑え込みながら引き金を引いた。
ライフル弾は振り上げた大剣に被弾し、一体化した腕が弾かれる。
「ほら、当たった」
これほど的が大きければ素人の片手打ちでも外さない。
畳みかけるように次弾の装填を行う。
そして外しようのない巨大な胴の中心に狙いを定めて、撃つ。
弾丸は肉体に届く前に、バリアブレスレットの生み出す障壁に衝突した。
肉体への攻撃に自動防御が反応したのだろう。
球体バリアの曲線を滑って弾丸が逸れる。
これを見て愛美はマジックスクロールを同時展開。
4属性の魔法が混じり合いマーブル模様の極彩が放たれた。
魔法の渦はバリアを粉砕すると胴の中心に全弾直撃した。
「―――――――!!」
衝撃に圧され、怪物が僅かにたたらを踏む。
だが、この程度、高耐久によるごり押しで耐えきれる。
痛みなど激しい憎悪で打ち消せばいい。
怪物はダメージに構わず前へと突き進んだ。
だが、前掛かりになった頭部を横合いから黄金の巨槌が捉える。
パリンと言う音。
出現したバリアはあっさりと砕かれ、正確なフルスイングで蟀谷を殴り抜かれる。
怪物が巨体で地面を削りながら転がってゆく。
愛美が巨大な力と力の衝突に耐え切れずへし折れた巨槌を投げ捨てる。
この次元の戦いにおいてこの程度の障壁などペラ紙と変わらない。
「ダメよ優美。あなたがしているのは考えるのを放棄して感情のまま暴れてるだけ。
憎悪を燃やせば勝てるなんて、そんな都合のいい話はないの」
ダメな妹を諭すように、優しく姉は説く。
お前のしている事は考えるのが辛いから全てを憎悪に身を任せているだけだと。
「考えなさい。どうしたらいいのか、自分は何ができるのか、相手は何をされたら嫌なのか。得意でしょうそう言うの?」
砕けんばかりに奥歯を噛み締める。
その上から目線の言葉が感情を逆撫でする。
「ッ! …………誰が聞くかッッ! お前のっ、お前の言う事なんてぇえええッ!!!」
忠告を無視して、思考を黒一色に染めた。
更に肥大化させた憎しみによって、身を歪める。
どれだけ憎悪を燃やしても足りない。
口端が亀裂のように裂け、口元が犬のように伸びる。
皮膚は鱗の様に棘が立ち、その棘が全身を覆った。
頭部の一際大きな棘は鬼の角のようでもある。
それは人間から離れ、もはや悪魔と呼ぶべき異形だった。
正しく憎悪の化身である。
力が足りないのなら更なる力で叩き潰す。
憎悪を燃やしても足りないのなら、さらに憎悪を燃やすまでだ。
優美にはそれしかない。
「愛美ぃぃぃいいいッ!!!」
悲鳴のような絶叫を上げて悪魔が特攻する。
触らば吹き飛ぶ蟻と象のような体格差。
まるで城壁が迫る様な超質量の突撃が迫る。
その突撃に対し、愛美は避けるでもなく真正面から向かっていった。
自らを挽肉にせんとする巨人の股下をスライディングで潜り抜ける。
足元の隙。これもまた巨体故の欠点だ。
小柄な愛美であれば潜り抜けるのは容易かろうが、一つしくじれば即死は免れない状況でやってのける度胸は流石である。
後ろに回り込まれた巨人は素早く振り返る。
そこには取り出した武器を振り上げ構える愛美の姿があった。
優美は咄嗟に右手の大剣で頭部を守った。
それが如何なる武器であろうと関係がない。
例え腕ごと切り落とされようが構わない、即死さえしなければすぐさま喉笛を噛み切ってやる。
それ程の覚悟で敵の攻撃を待つ。
だが、振り下ろされたのは斬撃ではなかった。
それは鞭。ロングウィップがくるくると腕に巻き付きその腕が引かれる。
だが、綱引きなら優美の望むところだ。
優美のSTRは最高ランクを振り切っている。
力勝負なら重量に加え補正が加わっている優美が勝つ。
「ぅおおおおおおおおおおッ!!」
咆哮と共に愛美を釣り上げんと全力で腕を引いた。
だが、返ったのは空ぶるような手応え。
見れば、見計らったように愛美は鞭から手を放していた。
優美がバランスを崩す。
その一瞬の隙に、愛美が間合いを詰めた。
その手には薄く透明な刃が握りしめられていた。
それは一振りで砕け散る代わりにあらゆるものを切り裂くガラスの剣。
一閃された透明な刃が発生したバリアごと両足首を両断する。
光り輝く破片と両足から噴出した赤い血糊が宙に舞った。
支えを失った巨体が倒れる。
だが、悪魔は完全に倒れ込む前に両手を地面に突く。
そして大きく口を開いて、そのまま地面を掻きだし飛び掛かろうとした。
「――――――遅い」
愛美が指を鳴らす。
すると上空から巨大な杭が落ちた。
杭は地面を蹴らんとしていた両掌を貫き、優美を地面へと磔にする。
地に伏せた山のような巨人が見上げ、神の如く佇む小さな少女が見下ろす。
まるで二人の立場を示すように。
愛美は湯水のようにあるアイテムを惜しげもなく消費する。
顔に似合わぬ戦闘巧者。
それもそのはず、意外かもしれないが、異世界における直線戦闘は愛美の担当であった。
チートスキルを与えられなかった優美や真凛は元より、他の3勇者の能力もその本質は補助であり直接戦闘向きではない。
薫が『創造魔術』で武器を生み出し。
兆が『付与魔術』で効果を付与し。
誠が『魅了魔術』で敵を惹きつけ。
『完全魔術』で完成した愛美が討つ。
これが異界における勇者たちの基本戦術である。
「ダメね。ダメ。何もかもが半端だわ。
狂戦士になりたいのなら理性をすべて捨てなさい、半端な駆け引きなんて考えちゃダメ。
そもそも全て棄てると言うのが間違いよ、使えるものまで捨ててるんじゃ話にならないわ。
そう言うやり方もあるにはあるでしょうけど、あなたに向いてない。別の方法を考えさない」
勇者にすらなれなかった半端者に、魔王すら討った勇者は言う。
その言葉に、ブチと何かが千切れる音がした。
それは磔になった筋肉を無理矢理に引きちぎった音だった。
掌が豚の蹄みたいにぱっくりと割れるが、この程度の痛みなどすでに慣れ切っている。
「――――教ぉ育ママかよぉッ! テメェはあああぁッ!!」
引きちぎった筋肉も、断ち切られた脚もすでに再生を始めている。
四肢の再生など本来はできるはずもないが、彼女の再生力は憎悪に比例する。
彼女の憎悪をもってすればすぐさま完治するだろう。
だが、その完了を待ちきれず、再生しきらない手足のまま優美は四つ足の獣のように襲い掛かった。
「違うわ――――お姉ちゃんよ」
だが、そんな不完全な状態で愛美を仕留められるはずもない。
真正面から掌打で迎え撃たれ、恐らく装備によるものか、爆発した掌に吹き飛ばされる。
「ぅ………………ぁ」
ゆっくりと巨体が沈む。
爆発の直撃を受けた胸元がプスプスと焼け焦げていた。
仰向けになった優美の視界に青い空が広がる。
余りにも遠い。
遠すぎる。
この身を焦がす憎悪全てをぶつけてもまるで届かない。
愛美は焼け焦げた手袋を投げ捨てる。
その下の美しかった白い手は、焼け焦げたような火傷の痕が刻まれていた。
聖杖の効果で回復するとはいえ、自らが傷つくことへの躊躇の差は妹と大差がない。
優美の場合は慣れ。
愛美の場合は、
「憎しみだけではダメ――――愛が足りないわ」
◆
年が明け、もう学年も変わろうかと言う白い冬。
外では灰色の空から降り注ぐ白い雪がチラついていた。
カーテンを閉め切った暗い部屋にオレンジ色の炎が灯る。
煙草の先が赤く灯り、吐き出された紫煙が部屋に満ちた。
煙草を咥えていたのはベッドから身を起こした裸の男だった。
目を引くのは上半身にびっしりと掘られた黒い炎の様な刺青である。
ソフトモヒカンに整えられた髪から伸びた揉み上げはきっかりと切り揃えられた顎鬚へと続き、髪と同じ金に染められていた。
煙草を加える唇には左耳と揃いの金のピアスが光っていた。
これで中学生だというのだから信じられない。
冬海誠、彼氏である兆の紹介で知り合った私たち友人グループの一人である。
だが、今の私たちは友人と呼ぶには不適切な関係にあった。
私たちは裸のまま一つのベッドに同衾していた。
どう見ても情事に耽った後である。
求められ、私は断り切れずにずるずると流されてしまった。
だからと言って、肉体関係はあれど恋愛感情がある訳ではない。
私はシーツで胸元を隠しながら身を起こす。
垂れ落ちてきた髪をかき上げながら、部屋の寒さに身を震わせる。
気怠さを息と共に吐き出すとタバコとは違う白い煙となって消えていった。
「…………タバコ」
「ん……?」
「私といる時は吸わないでっていってるでしょ」
「ああ…………すまない」
誠はそう思い出したように謝って、まだ火を付けたばかりの煙草を灰皿に押し付ける。
タバコを吸わない私からすれば、吐き出される副流煙を吸い込むのは気持ちのいいものではない。
胸元を抑えていたシーツをそのまま体に巻いてベッドを降りる。
冷蔵庫まで歩いてゆくと、扉を開いて水を取り出した。
喉を鳴らして冷たい水を一口飲みこみ、火照った体を冷ます。
「……姉さんとした時は、吸うの?」
視線を冷蔵庫に向けたまま聞いた。
その問いに。
「吸うよ」
少しだけ意外な答えだった。
穢れを嫌う愛美は私以上に嫌がりそうなものだが。
「……姉さんは嫌がらないの?」
「嫌がらないよ。というか……愛美も吸うからね」
「……知らなかったわ、そんなの」
「それはそうだろうね。彼女は行為の後に一本だけ吸うのさ」
誰にだって家族にも見せない顔もある。
姉にもそう言う顔があったのだろう。
だとしても姉が煙草を吸うシーンは、私にはどうしてもイメージできなかった。
私は灰皿で燻る煙草を手に取ると、口に加え思い切り吸い込んだ。
「おいおい」
「……………ぶッ、げほっ、げほっ!!」
咽た。
すぐさま煙草を灰皿に放り投げる。
「っ……よくこんなの吸えるわね」
煙たいだけだ。
好き好んでこんな煙を吸う人の気がしれない。
「まぁスポーツマンの吸うような物じゃないかもね」
苦笑しながら誠が念入りに煙草の火を消す。
私は煙で汚れた喉を洗い流すように、水でうがいして流しに吐き捨てる。
手の甲で口元を拭って一息つくと、私は問いかけた。
「姉さんはあなたの事が好きなの?」
「まさか。君も良く知っているだろう、彼女は――――誰も愛さない」
強烈な自己愛。
その愛は内部に向けられたもので外部に向くことはない。
「例外は一人だけだ」
「…………誰の事?」
「わかるだろう?」
意味深な顔をした問いかけ。
そんな事を言われても、わからない。
わかりたく、ない
「姉さんがそうだったとして、 誠は姉さんの事が好きなの?」
「彼女とするのは好きだよ。彼女は巧いし何より美しい」
茶化す様な解答をする誠をジト目で睨みつけると肩を竦めた。
「それに知ってるだろう? 好きという感情は僕にはよくわからない」
誠の上半身を覆う刺青は火傷の痕を隠すために掘られたモノである。
その火傷は彼の両親の『教育』によって刻まれた痕だ。
それを行った両親は自分たちの行いを愛情であると疑っていなかった。
今だってこうなってしまった息子を見て、どうしてと嘆くばかりで自分たちの責任だなんて欠片も思っていないだろう。
それから彼は愛という物が分からなくなり。
精神的繋がりを信じられなくなり、肉体的な繋がりばかりを求めるようになった。
それが彼の歪み。
それは私もそうだった。
私の両親は確かに私を愛しているのだろう。
けれど、それも愛美のオマケの愛情でしかない。
優先されるのはいつだって愛美だ。
しっかり者扱いの私は二の次。
愛される事に関して、あの女の右に出るものはいないだろう。
だから、私は私を求められたい。
誠の誘いに応じてしまったのはそんな私の弱さがあったからかもしれない。
「そうだな……愛美と僕は割れ鍋に綴じ蓋と言うやつさ。僕らは傷の嘗め合いをしているだけさ」
あの完全無欠の姉に、傷なんてあるのだろうか。
私には想像できなかった。
「僕たちはこの世界ではどうしても生きづらい」
「僕たちって…………兆や薫もってこと」
私も、とは聞けなかった。
そんな私の誤魔化しを見抜いているのかいないのか誠は変わらぬ調子で応える。
「いいや」
どこか呟くような声。
煙草が無くて口さみしいのか顎鬚を撫でる。
「人間全部さ、誰だって何かを抑えている。
箍が外れないように、折り合いをつけて生きているのさ」
誰だって何かしらの歪みを抱えている。
それは愛美だって同じだと、綴じ蓋はそう言っていた。
◆
愛が足りない。
その言葉が頭の中で反芻される。
愛などない。
あるはずがない。
あったとしても、悪辣が塗りつぶしてくれる。
そう、仮にあったとしても、今は全て憎悪に染まる。
だと言うのに、その憎しみによって作られた肉体が萎んでゆく。
悪魔の外装は取り払われ、そこに残ったのは優美という少女の姿であった。
「あら、もうおしまい? 楽しみにしていたのに、つまらないわね」
姉は立ち上がれなくなった妹を嘲るように言う。
その声には深い失望が込められていた。
果たしてそれは、何に対する失望だったのか。
「全ても懸けず勝てると思われていたのなら、嘗められたものだわ」
愛美にしては珍しい、怒りを含んだ叱咤の声。
だがその怒りはおかしい。
優美は全ての憎悪を込めた。
その全てをぶつけても愛美には届かなかった。
彼女の憎しみはただの憎しみではない。
憎しみは彼女の全てだ。
何もなくなった彼女に残されたのはそれしかない。
それが届かなかったという事は、彼女全ての否定である。
憎しみがなくなれば、彼女にはもう何もない。
戦意の喪失に足る理由だった。
そのはずなのに。
「――――ようやく立ったわね」
言われて気づく。
気が付けば優美は立ち上がっていた。
何もなくなったというのに何故。
「いいわね。それで、どうするの?」
彼女の敵が問いかける。
それは優美が聞きたい。
憎悪では届かない。
愛など始めからない。
どうすれば勝てるというのか?
分からない。
分からないが、まだ戦えると彼女の肉体が告げていた。
まだ懸けていない何かがあると、殺すべき姉が告げていた。
そもそも、勝てるから戦っていたのか?
そうじゃない、そうじゃないだろ。
これは復讐だ。
出来る出来ないの問題ではなく、やるかやらないかでもない。
やるしかない。
それしかないのだ。
敵を殺せと憎悪が示す。
敵に勝てぬと理性が告げる。
ならば、どうすれば勝てるかを考えろ。
憎悪は捨てない。
あの地下牢でこの世の恨みや辛みを味わい続けた彼女にとって憎悪はもはや己の一部である。
今更捨てられるモノでもない。
ただ、その使い方を変える。
余りにも巨大な憎悪をそのまま肥大化させるのではなく、一点に集中させるようにその質を高める。
憎悪をただぶつけるのではなく無駄をそぎ落とすように研ぎ澄ます。
ただ一人を殺すのに巨大化する必要などどこにもない。
その身はその身のまま、中身をダイヤモンドのように密度を高める。
愛美と目が合う。
それは余裕か、動くことなく変わりつつある優美を見守っている。
構わない。
何か狙いがあるのであれ、余裕であれ、油断であれ、使えるのなら使うまでだ。
己の武器。
己だけの武器を模索する。
異界の神やゲームシステムみたいな、誰かに与えられたものではない彼女だけの武器。
そう考えれば、自然と体は動いていた。
左手に鉄球を持つ。
右足は少し前に出して構える
何百、何千、何万回と繰り返してきたルーティン。
考えるまでもなく体が動く。
優美がバレーを始めた理由はバレーが好きだったからではない。
バレーなんてやったことはなかったし、そもそも興味なんてなかった。
ただ、愛美がやっていない事なら何でもよかった。
それがバレーだったのは、たまたま学校で一番強い部活がバレー部だったからというだけの理由である。
それでも、続けていればいつの間にかバレーは優美の一部になってた。
それが、優美に足りなかった物。
バレーに対する愛、そして自分のこれまでを愛する心だ。
その一部を否定してはならない。
お節介な後輩から伝えられた教えだ。
青春全てを賭けた神聖な物だったからこそ
いつの間にか掛け替えのないものになっていた。
だからこそ、丈美の時のように勝負の結果としての死ではなく、バレーその物を人殺しの道具として使うことに躊躇いがあった。
自分の中に、まだそんな余分があったのかと自嘲する。
そんなものは要らない。
使えるものは全て使えというのなら、それも使うべきだ。
優美の専用装備であるアヴェンジャー・エッジは装備者の感情に応じて形状が変化する復讐の刃。
彼女の心情に合わせて最適な形状に変化する。
今の彼女の心情を表す形は一つ。
左足を前に踏み出しながら、体の真上にボールをトスする。
短い助走から跳躍し、空中で弓のように体をしならせバックスイングの体勢へ。
振り上げたその右手は力全てを一点に集中するハンマーのような形になっていた。
バレーボールと言う競技に対する冒涜とも言える暴力的フォルム。
だが、それでいい。
愛は愛でる者じゃない。
愛は浸蝕し冒涜し消費するものだ。
「来なさい――――」
迎え撃つ愛美が、ダンと強かに地面を踏み付けた。
足裏に何かを仕込んでいたのか、それを合図に地面が次々と隆起し土の壁が生まれる。
支給品により生み出されたブロックは三枚。
だが、それがどうした。
ウォームアップはすでに終わっている。
1年間のブランクは後輩との試合で取り戻した。
ブロックを避けるのでも、ブロックアウトを狙うのでもない。
真正面からぶち抜いてやる――――!
「――――――――シァッ!」
体重を乗せた大振りの腕で、鉄球の中心を打ち抜く。
爆発したような炸裂音と共に、鉄球が一条の光となって打ち出された。
鉄球であればこそ為し得た異業、バレーボールではその力量に耐えきれず破裂していただろう。
怪物じみた剛力により打ち出され赤熱化した鉄球が、三枚の土壁を紙の障子のように容易く撃ち抜く。
選手時代、戦車砲に例えられた弾丸サーブは比喩ではなく正しくその物の破壊力となっていた。
金属同士がぶつかる鋭い音が耳を劈く。
レーザーサーブは純白の聖杖に弾かれ鉄球が後方に逸れた。
直線軌道に合わせて事前に構えていた聖杖が盾となったのだ。
「ッ」
その衝撃に押され地面に刺していた聖杖の石突が地面に深い一文字を刻んだ。
握り締めていた手が燃えるように熱を帯びた。
これほどの衝撃を受けて無事であるのは流石は専用武器と言ったところか、丈夫さは折り紙付きである。
だが、安堵の息を吐く暇などない。
一切の隙など与えず、優美は千本ノックのように連続してサーブを打ち込んだ。
星を穿つ流星群がたった一人を消滅させるためだけに降り注ぐ。
愛美は聖杖を構えなおす。
こうなっては土壁は視界を遮る邪魔にしかならない。
その全てを弾き落とさんと目を見開き、自らに迫る流星群をハッキリと視界に捉え杖を振るった。
襲い掛かる流星を次々と弾く。
逸れた鉄球が被弾した地面が爆撃でも受けたかのように抉れてゆく。
一撃を弾く度、衝撃により腕の骨が折れるが、握り締めた専用武器アモーレ・プレデトーレの効果により再生する。
拷問のような繰り返しの最中、僅かなズレもなく全ての動作を一切のミスなく完遂する。
どれほどの猛攻であろうとも、繰り返せば慣れがでる。
防戦一方も飽きてきた。
愛美は目の前の鉄球を弾いた後に攻撃に転じようとする。
だが、瞬間――――目の前の一球がブレた。
フローターサーブにより打ち出された無回転の鉄球が、構えた杖を避ける様に落ちて愛美の脇腹にめり込んだ。
ごふっと口から血が零れる。
そのまま鉄球は体を抉り、傷口から真っ赤な血が蛇口を開いたように溢れ出た。
「な、る、ほ、ど、ね」
踏み止まり血濡れのまま愛美は嗤う。
バレー経験のない愛美は、リアルタイムで学習を続ける。
見極めるべきは回転だと愛美は学んだ。
「そ――――――――レッ!」
その間にも次の鉄球は容赦なく打ち込まれ続ける。
周囲に血を巻き散らかしながら、愛美は杖を構えてそれに応じた。
熱を帯びた赤い閃光が奔る。
その軌道は、今度は落ちるのではなく大きく横に逸れた。
フローターサーブとは違うキレのある横回転のカーブサーブ。
それを、愛美は聖杖をバッドのように振り抜き、鉄球の真芯を捉えた。
ジャンプサーブの着地もままならない優美の背後で地面が爆ぜた。
「ストラーイク、だっけ? 違ったかしら?」
にぃと笑った愛美の視線が、驚愕に見開かれた優美の視線と交錯する。
鉄球は優美を僅かに逸れ場外ファールとなったが、打ち返したのは確かである。
愛美はバレーやましてや野球に対する知識もない。
それを初見で打ち返せたのは見極めた回転からマグヌス効果による変化を予測しただけである。
そして、その回転は青山征三郎より得た観察眼があれば見極められる。
「次は、当てる」
着地し動きを止めた優美に向かって、杖先を突きつけ予告ホームランのように宣言する。
真正面から跳ね返せば、その速度が仇となりサーブ直後の優美は避けられない。
それは先ほどの一球で証明されている。
鉄球による流星が止まった。
既に鉄球は尽きた。次が最後の1球である。
故に、この一打席で勝負は決するだろう。
愛美が聖杖を盾にするのではなくゆるりと振りかぶる。
そして力を溜めるように重心を後ろにテイクバックした。
対する優美はルーティンをこなすと。
祈るようにボールを上空にトスした。
これが運命の一球。
一球入魂。
サービスエースを狙う渾身の一打。
その速度はこれまでの比ではない、恐らくマッハに迫るだろう。
だが”観える”。
回転はドライブ。
最短最速。真正面から胴体の中心を射抜く軌道。
絶好球。
愛美が足を振り子の様に揺らしスイングを始めた。
(違う………………ッ!?)
瞬間、愛美は違和感に気づいた。
違和感を見逃さぬ観察眼、しかし着弾までコンマ1秒にも満たぬ刹那の出来事であれば、気づいた時にはもう遅い。
振りぬいたバットは止まらずボールを打ち抜く。
眩い閃光の様な火花が散った。
否、それは火花ではなく雷鳴だった。
球が杖に触れた瞬間、球体がパカリと開く。
形も大きさも同じだが、放たれたのは鉄球ではなかった。
雷を放つライテイボール。
構造上強度が満たぬそのボールは砕け散りながらも、電撃を放ち続けその役割を果たした。
杖を通して愛美の全身に電撃が流れる。
電撃によりその動きが完全に止まった。
勝機があるとするならばこの一瞬だろう。
この刹那、全てが決する。
報われなかった彼女の人生全てに。
決着の時だ。
◆
「私も総体が終われば引退か……」
3年になり季節は夏。
汗の臭いが漂う蒸し暑い空気が体育館に満ちる。
私にとって中学最後の大会が目前に迫っていた。
公立校でありながら強豪校にも食い込むだけの成長を見せた私たちの学年は黄金期とも呼ばれていた。
この3年間、それこそ彼氏や姉妹よりも長い時間を過ごした仲間たちである。
プライベートで遊びに行くような関係ではなかったけれど、彼女たちと別れるのは名残惜しかった。
続けられるのならずっと続けていたかった。
「何言ってるんですか、全国まで勝ち進んで行けば引退はまだまだ先ですよ」
私のつぶやきを聞いていたのか、私の柔軟を手伝っていた背の高い後輩が励ますような声を上げた。
全国にまで出場すれば引退が8月に伸びる。
全国を目指すのは当然として、続けるために頑張るというのも悪くはなかった。
「そうね。けどまずは目の前の県予選からよ。油断せずに行きましょう」
はい!と元気のよい返事が返る。
慕ってくれる後輩、かけがえのない仲間。
碌でもない動機で始めたバレーだったけれど。
今となっては、私の居場所はここだけだった。
教室での私は一人だった。
人望なんて簡単に移ろう物で、私の周りにあれほどいた人々はすっかりいなくなっていた。
別にクラスメイトから嫌われているわけではない。
ただ川の水が流れるように、ごく自然に人望が流れていったのだ。
愛美と言う海に向かって。
3年になり、クラスの中心となっていたのは愛美だった。
クラスメイトは愛美の取り巻きとなって休み時間毎に彼女を取り囲んでいだ。
周囲の人間は盲目的な信者と言った方が表現として正しいだろう。
その様子は餌に群がる鯉みたいで、傍から見て気持ちが悪かった。
私が得たものは全て愛美のモノになっていた。
私は誰にとっても私ではなく、愛美の妹でしかなくなっていた。
直接的な暴力や嫌がらせなど何一つない。
ただ、私が得た物は気が付けば愛美の物になっていく。
まるで真綿で首を締められるよう。
これでは、奪われるために得ているようだ。
私は何かを奪われるたびバレーにのめり込んだ。
鬱憤を晴らすように、青春の汗を流した。
煩わしい人間関係がなくなったこともあり、バレーにも集中できた。
彼氏である兆も実家の手伝いに忙しく、私の部活動も相まって予定が合わず最近は疎遠だ。
学校での昼食と休日に数十分電話をする程度の交流にとどまっていた。
「ほら、ダラっとしてない! 練習始めるよぉ!!」
パンパンと手を叩くコーチの声が響く。
バレー部の全員が一斉にコートに向かって機敏に奔りだすと、体育館にキュキュと不揃いの足音が響いた。
飛び交う掛け声。ボールの音。
今日もコートの上で汗を流す。
そんな中、意識の外でふと考える。
何故この場だけ奪われなかったのか。
部員のみんなは周囲から孤立する私の状況を知り、私を守ろうと躍起になっていたが。
彼女たちには悪いが愛美からすればそんなものは藁の家よりも脆い守りにしかならないだろう。
その答えも見つからないまま、練習終えて帰路に付く。
7月になり日も長くなったが帰る頃にはすっかり日が暮れていた。
妙に蒸し暑い鈴虫の声が響く夜道を歩く。
自宅へ続く最後の角を曲がったところで、自宅の玄関が開いたのが見えた。
今日は仕事の都合で両親の帰りが遅く、家にいるのは愛美一人のはずである。
だから、家の中から出てくるのは愛美以外にはあり得ない。
だが、玄関から出てきたのは愛美ではなかった。
「…………兆?」
私の幼馴染にして私の彼氏。
私に気づいていないのか、こちらに振り返るでもなく、どこか慌てた様子で逃げる様に立ち去って行った。
街灯の先に消えてゆくその背を呆然と見送る。
そしてその意味を理解した瞬間私は瞬間湯沸かし器のように頭に血を登らせた。
兆を追うのではなく兆が出て行った玄関を乱暴に開いて一直線にキッチンに向かうと、そこにいた姉を問い詰める。
「姉さん! どういう事なの!?」
「おかえりなさい。いきなり大声をあげてどうしたの? 食事の用意ならもう少し待ちなさい」
「そうじゃないわ! 今っ! 兆が出て行ったのを見たの! 私がいない間に二人きりで何をしていたの!?」
私が部活に精を出していた間に逢瀬を重ねていたのか。
家の手伝いを理由に疎遠だった兆がこんな所にいる事もそうだが。
バレー活動が大事だったからこそ、この裏切りは許しがたい。
「あら、兆ちゃんとは幼馴染じゃない。二人きりでお話しするのも変な事ではないでしょう?」
「だとしても! 今は私の恋人なの! 二人きりで逢うのはやめてよね!」
やめて欲しい。
これ以上私から、何かを奪うのは。
「あら? それは下衆の勘繰りと言うモノよ。信じてあげないの? 彼氏の事」
感情的な私と違って、姉はいつだって冷静だ。
生まれてこの方、私が愛美が取り乱した様子を見たことがない。
それが更に私の激情を加速させる。
「だから、それがッ…………ぁ」
振り上げた腕が、勢い余って花瓶に当たる。
花瓶が割れる音が響き、フローリングに破片が散らばる。
伸びた水たまりがカーペットを濡らした。
それは毎日母さんが大事そうに花を飾っている花瓶だった。
「……あっ」
急激に頭の熱が醒める。
またやってしまった。
こうして感情的に暴れてモノに当たっては、何度も両親を困らせた。
そんな自分を恥じて、バレーに打ち込み、変われたと思ったのに。
「大丈夫、ただの花瓶よ。花が無事なら花瓶を変えておけば大丈夫でしょ」
固まる私を余所に、愛美は動じるでもなく散らばった破片を拾い始めた。
それを見て慌てて片づけを手伝おうとした私を愛美が制する。
「いいわ。大会を控えた大事な体なんですもの、怪我なんてさせられないわ。
私が片付けておくから、あなたはシャワーでも浴びてきなさい」
優しい口調だが、反論を許さぬ圧力があった。
それは言外にこの話しは終わりだと告げている。
すっかり頭は醒めて、噛みつくほどの勢いは萎えてしまった。
いつだって感情的になるのは私だけ、私の激情は柳のように受け流される。
私の抗議はまともに取り合われもしない。
だから私たちは喧嘩にもならない。
それがどうしようもなく、もどかしい。
いっそ、無茶苦茶になるまで殴り合えたらいいのに。
脱衣場で服を脱ぎ去り、浴室に入ると冷水のハンドルを捻る。
冷たいシャワーを浴びながら頭を冷やす。
蒸し暑い夏の熱気に冷たい水は心地よい。
『僕たちはこの世界ではどうしても生きづらい』
誠の言葉が思い返される。
私達はどうしても生きづらい。
この世界じゃない別の世界なら私たちは楽になれるのだろうか?
◆
陣野優美は駆け出した。
電撃にって行動が封じられているが、相手は陣野愛美である。
電撃による行動阻害など、すぐさま回復するだろう。
勝機は一瞬。
故に、この瞬間に全てを懸ける。
鉄球はすでに尽きた。
かと言って半端な攻撃では届くまい。
殺すのならば、直接この手で仕留めるしかない。
何より復讐すると誓った時に最初から決めていた。
殺すならば、この手で。
命を絶つ感触を忘れないために。
「愛美ぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっっっっっっ!!!!!」
血を吐く様な咆哮。
感情の箍が外れたのか。
その目からとめどなく涙が溢れた。
良心などない。
理性などない。
ならば、これは何の涙だ。
感情が溢れた憎悪の涙か。
憐れな己に対する憐憫の涙か。
決着を前にした離別の涙か。
それとも、もう戻れない哀愁の涙か。
私には分かる術がない。
何故ならこれは、私の涙ではない。
かつて私だったモノの涙だ。
『――――姉妹喧嘩をしましょう』
そうだ。私たちはもっと早く、こうしておくべきだったんだ。
けれど、もう遅い。
ビンタ一つで終わるような領域はとっくに過ぎ去っている。
私たちはとっくに壊れて、壊れて、壊れ果てた。
ここにいるのは姉妹だったモノの残骸だ。
私は怪物に堕ち果てて、愛美は神なんてモノに成り果てた。
みんな必死に生きていたのに。
箍は外れてしまった。
もう、戻ることなど出来ない。
だから、終わらせる。
手遅れなくらいにグチャグチャになるまで。
全て炉にくべろ。
過去も、現在も、未来すらも。
燃やせ燃やせ、燃やし尽くせ。
何も残さない。
この瞬間に、何かも終わらせられるのなら、燃え尽きて死んだっていい。
「優美いぃぃ――――――――――ッ!!」
愛美が動く。
杖の回復効果により電撃の痺れを振り切り、鉄球を防いだ時のように軌跡を読んで杖を構える。
「く――――――――――ぁッッ!!」
最後の一歩を踏み込む。
魂をニトロのように燃焼させる。
両足に力を籠めて、シューズで体育館の床を蹴るイメージ。
脚の筋肉が爆ぜる勢いで、駆けるのはなく――――バレーのように跳ぶ。
ただし縦ではなく横にむかって。
陣野優美と言う存在全てをこの一撃に籠める。
その速度は音の壁すらも破り、システムの限界値を超えた。
右腕は刃に、その身は光の矢のような貫く刃となる。
衝突は刹那。
命が弾けるような閃光が散った。
鮮やかな赤が咲く。
光の矢は構えた杖を小枝のようにへし折り、そのまま右手の刃が胴の中心を貫いた。
腹部を貫いた衝撃が体を突き抜け、背より弾けた血と臓物が花のように咲いた。
愛美の口から吐き出された塊のような赤い血が優美の顔を汚す。
だが。
「――――捕まえた」
抱き寄せられる。
強く、それでいて優しく。
愛おしい恋人を抱きしめるように。
愛美の傷は致命傷だが、即死ではなかった。
『愛喰らう者』では優美の刺突を止めることはできずとも、ほんの僅かに軌道を逸らすくらいはできる。
それにより即死に至る重要な臓器だけは避けられた。
「楽しかったわ、あなたとの姉妹喧嘩。私たちは喧嘩なんてしたことがなかったから、一度くらいはしておかないと」
それが彼女の目的。
だからこそ、優美にも全力を出してもらわないといけなかった。
何て身勝手で、自分が勝つと言う結末を疑わぬ我侭さ。
「さぁ――――――――、一つになりましょう」
脳を痺れさせるような耳元で囁かれる声。
ズブリと、優美の体が愛美の中へと沈んでゆく。
「な……んっ、これ、は…………ッ!?」
これは異世界で嫌と言うほど見た、完全魔術だ。
引き剥がさねば取り込まれる。
「ッ、離せ…………離せッ!」
愛美の腹部は切開されたように開き、刃も突き刺さったままである。
いくつも臓器は吹き飛んで、既に瀕死だ。
このまま優美を取り込めなければ、死ぬのは愛美である。
優美は取り込まれないよう抗い、愛美は死ぬまでに取り込む。
これはそう言う戦いだ。
瀕死の愛美の抱きつきに拘束力などない。
今の優美の筋力ならば、こんな拘束すぐにでも振り解けるだろう。
「な……っ、く」
だが、ビクともしない。まるで振りほどけなかった。
これは愛美の拘束力の問題ではない、問題は優美の方にあった。
全くと言っていいほど力が入らない。
この瞬間のために準備をしていたのは優美だけではない。
愛美は最初から、いや戦う前から”こうなる”ことは予測がついていた。
この時のために触れた相手のSTR値を完全に無視する、Aランクの身柄確保スキルを取得していた。
力が全く入らない。
ならばと腹部に突き去ったままの刃を動かす。
痛みで拘束を解けば良し、このまま止めをさせればなお良しだ。
「こぉら、動かないの」
優美の視界に白い火花が弾けた。
マテリアルクラッシュ。
抱きよせられた頭部に直接叩き込まれた衝撃で意識が揺れる。
「ッッくぅ!!!」
だが落ちる直前、噛み千切るつもりで思い切り舌を噛む。
鉄の味が口内に広がる。
舌は半分千切れたが、おかげで辛うじて意識を繋ぎとめられた。
ぎりぎりで繋ぎ留められた意識が融けるように揺蕩う。
愛美に取り込まれてゆく意識が混じりあい記憶が混濁する。
曖昧な頭で、それでも拭いきれぬ憎悪がありのままの想いを口にする。
「――――――憎い。お前が憎い。憎い憎い憎いッ!
どうして、勝てないの。嫌だ、私は、嫌だ、私はずっと苦しんできたのに。
愛美に負けたくない、当たり前みたいに全てを持っていくなんて酷すぎる……ッ!
どうしていつも姉さんばっかりが持て囃されるの? どうして私は愛されないの?
私だって、褒められたかった、認められたかった、愛されたかった!!
私だって……お姉ちゃんみたいになりたかった!」
絶望と怨嗟の声は、何でもないどこにでもあるような確執と嫉妬の叫びに変わっていく。
燃え尽きたはずの燃え滓のような、どうしようもない残骸(わたし)が残っていた。
だが、そんな当たり前を口にしたのは初めての事だった。
「大丈夫よ優美。あなたはこれから私になるの」
優しく髪を梳くように頭を撫でられる。
曖昧な頭が暖かさで満たされる。
まるで母の胎内にいるような安心感。
それは久方ぶりに感じる人の温もりだった。
自分と同じ不思議な匂いが鼻孔をくすぐる。
生まれた時から隣にあった懐かしい体温。
余りの心地よさに、絆されてしまいそうになる。
それが何より嫌だった。
殺すなら残酷に殺してほしい。
誰よりも冷酷に。
何よりも無惨に。
そうじゃなければ報われない。
何一つ報われることなんてなかった私が、あまりにも報われない。
私が何かを得ると奪われる。
私は何もかも奪われてきた。
だけど、どうかこの憎悪だけは奪わないで。
一つの大きな何かに向かって流れ込んでゆく。
夢でも見る様に、意識が溶ける。
悪辣よ。
どうか。
◆
窓の外で桜の花びらが舞う。
新しい何かを予感させるような春の陽気に心が弾む。
訪れる事のなかった春。
私は新しい制服に身を包んでいた。
今日から、私は高校生になる。
鏡の前で回ってスカートを翻す。
進学先は県内屈指の進学校であり、文武両道を掲げるだけあってバレー部も強豪である。
なにより制服の可愛さもこの高校を選んだ決め手の一つだ。
「そろそろ起きないと遅刻するよ、姉さん」
ベッドで眠る姉さんに声をかけるが反応がない。
はぁとため息をついて、ベッドまで近づいて眠っている姉さんの肩を揺する。
姉さんは口元をむにゃむにゃと震わせながら、呻きのような声を上げた。
寝ころんだまま机の上に手を伸ばして目覚ましを手に取る。
「んもぅ……なんなのぉ、まだ早いでしょぉ」
「もうっ。寝ぼけてないで起きなさい! 中学より遠いんだから15分は早く出ないと遅刻しちゃうよ」
「えぇ……そうだったかしら……?」
姉さんは要領がよくて、世渡り上手だけど、どこか抜けたところがある。
特に朝は弱い。よわよわだ。
こんなこと、家族くらいしか知らないだろうけど。
姉さんは仕方なさげにベッドで身を起こすと、大きく伸びをした。
そしてあくびを噛み殺しながら眠気眼で私を見つめた。
「なに? もう制服を着ているの?」
「いいでしょう別に、新しい制服なんだから」
今日から私たちは同じ高校に通う。
スポーツ推薦だった私と違って、姉さんの合格はギリギリだった。
と言うより、ギリギリ合格できる最低限の努力で済ませたのだろう。
要領がいいというか要領がよすぎる。
落ちたらどうするつもりだったのだろう?
まあ姉さんに限ってそれないんだろうけど。
私は眠そうに目を擦る姉さんの手を引いて階段を下りる。
一階にキッチンに連れて行くとコーヒーとトースターで焼いたパンのいい匂いが漂ってきた。
キッチンで朝食の準備をしていた母さんと、コーヒーを片手に新聞を読む父さんに朝の挨拶を交わす。
「ほら、座って」
姉さんを朝食の用意されたテーブルの席につかせる。
今日の朝食はサラダとスクランブルエッグとパンだ。
姉さんはフレッシュオレンジジュースを一口飲むと、トースターで焼いたばかりのパンにストロベリージャムをたっぷりと塗りたくる。
既に朝食をすましていた私は、櫛を取り出して朝食を食べる姉さんの後ろに回って柔らかな絹糸の様な髪を梳く。
姉さんはくすぐったそうに首を振る。
「ちょっと、ジッとしててよね姉さん」
「もぅ。食べづらいんだけど」
「姉さんがゆっくりしてたから、時間がないの。入学式に揃って遅刻する双子なんて見世物になりたくなければ我慢して」
ブラッシングが終わるころには、姉さんも朝食を食べ終わっていた。
おっとりとしているようで、姉さんは意外と食べるのが早い。
上品に口元を拭きながら、後ろにいた私を振り返った。
「優美こそ寝ぐせ、ついてるわよ」
「え、うそぉ…………!?」
慌てて頭を抑えるが、鏡がなければ寝ぐせがどこにあるのかわからない。
そうやってる隙に櫛を奪い取られ、入れ替わるように席に座らされ交代のように髪を梳かれる。
寝ぐせなんて自分で直せる、と思ったけれど誰かに髪を梳かれるのが思いのほか気持ちがよかったので身を任せることにした。
「ははっ。お前たちはいくつになっても仲がいいな」
新聞を読んでいた父さんが、私たちを見ながらそう言って笑った。
「当たり前でしょう。私たちは生まれた時から一緒の仲良し姉妹なんだから」
笑いながら姉さんが言ったその言葉に両親が笑った
釣られて私も笑った。
幸せな家族の情景。
特別なことなど何もない。
どこにでもいるような姉妹が、どこにでもあるような日常を送る。
そんなあり得ない夢を見た。
◆
「馴染むッ、あぁ……実に馴染むわぁ…………ッ!!」
それは取り込んだ魂の影響か。
愛美らしからぬ激しい感情の露発を見せながら、両手を広げてくるくると廻る。
これまでにない充実感。
100万の魂と一体化してもこれほどの充実感は得られまい。
一つの魂を二つに分けた一卵性双生児。
それを完全な状態に戻す、完全魔術はこのためにあった。
欠けていたものが埋まる感覚。
生まれてからずっと感じていた、自分には欠けているものがあると。
彼女は激情を持たなかった。
どのような事があれ心を揺り動かされる事がない。
感情がない訳ではない、ただ何事にも熱くなれず、心躍らない。
何事もこなせる才覚を持ちながら、それを向けられる情熱がない。
それが彼女の歪み。
そして、半身たる妹は彼女の持たない激情を抱えていた。
恐らく妹は母の腹の中で卵子と共に別れてしまった激情なのろう。
彼女はそうであると疑わなかった。
自分の一部を奪った妹が何よりも憎らしく。
されど自分の一部である妹が何よりも愛おしかった。
彼女の激情は妹であり、その情熱は妹のみに向けられた。
それが彼女の愛。
妹がその情熱で手に入れた物を奪う事でしか生きられぬ歪んだ愛。
この歪みは永遠に矯正されず、己はこのまま生きていくのだと、そんな諦観をもっていた。
だが、力を手に入れた。
この歪みを正す、歪んだ力を。
彼女の箍が外れたとするのならその瞬間なのだろう。
舞台の中心で人生の絶頂を謳うように少女は踊る。
その目からは、一筋の涙が伝った。
それは誰の、何の涙だったのか。
完全なる存在になったはずの愛美にも、それは分からなかった。
[陣野 優美 GAME OVER]
[D-4/草原/1日目・日中]
[陣野 愛美]
[パラメータ]:STR:A→S VIT:A→S AGI:B→S DEX:B→S LUK:A
[ステータス]:完全、胴体に穴(再生中)
[アイテム]:
発信機、
エル・メルティの鎧、万能スーツ、巻き戻しハンカチ、シャッフル・スイッチ
ウィンチェスターライフル改(3/14)、予備弾薬多数、『人間操りタブレット』のセンサー、涼感リング、コレクトコールチケット×1、防寒コート、天命の御守(効果なし)、爆弾×2、不明支給品×11
[GP]:120pt→80pt(Aランクスキル習得-100pt、強敵撃破ボーナス+60pt)
[プロセス]
基本行動方針:世界に在るは我一人
1.消化試合を終わらせる
[備考]
観察眼:C 人探し:C 変化(黄龍):- 畏怖:- 大地の力:C テレパシー:B M・クラッシュ:B 憎悪の化身:B 戦闘続行:C 悪辣:B
※身柄確保(A)のスキルを習得しました
【ガラスの剣】
儚く美しい剣。
一振りすればあらゆる物を切り裂くが、刀身も崩壊する。
【苦しみの杭】
発動すれば自動的に対象を磔にする杭。
使用するには以下の条件を全て満たさなければならない。
- 使用者と対象者の距離が10m以内である。
- 対象者の両掌が磔にできる何かに接している。
- 対象者が咎人(殺人者)である。
- 使用者が対象者を愛してなければならない。
【紅蓮掌砲】
手袋型の爆弾。
掌から直接爆撃を叩き込むため破壊力が高い。
最大火力で放つと自身の手にも被害が及ぶため扱いには注意が必要。
【Ground Barricade】
地面を材料としてバリケードのように壁とする術式。
作成されるバリケードは使用したフィールドの属性に従う。
海面など不定形の地形で使用した場合、維持されず即座に崩れ落ちる。
最終更新:2021年12月12日 23:31