天上から七色の光が降り注いでいた。
ステンドグラスにより七色に屈折した陽光は、全てが計算され尽くされたように部屋の中心にある玉座を照らしている。

玉座へと続く階段は他者との隔絶を示すように長く高い。
その王座には女神と見紛う美しい少女が退屈そうに佇んでいた。
少女がスラリと伸びる足を組みかえる。
物憂げに佇む少女からは少女らしからぬ女の色香を漂わせていた。

ここはミルティア王国の首都より僅かに離れた広大な平地に構える都市リューツ。
四方の主要都市を繋ぐ交差点に構えるその立地から、交易の栄えた流通の要。
住民は商人や行商人が主となっており定住する人口こそ少ないものの経済の盛況さで言えば首都を上回る大都市である。
その一等地に、この白亜の城――ホワイトブレイブ――は存在していた。

対魔王軍の軍事拠点という名目で建築されたホワイトブレイブだが今となっては愛美の完全なる私的な居城となっていた。
そもそも最前線でなく魔界から程遠い繁華街に建てられている時点で、軍事拠点など建前でしかない事は誰の目にも明らかである。

それに対して誰も異議を唱えられず、我侭を通せるだけの実績と力が勇者にはあった。
彼女以外の勇者たちもそれぞれが好きにやっている。
彼女たちを召喚した国王ですらもはや逆らえるだけの力はないだろう。

玉座を構えるこの一室は彼女の心を移し出したような広く美しい白が広がっていた。
豪華絢爛と言うより清廉潔白。
鏡の様に磨かれた大理石の床には塵一つない。
余りにも生活感がなく、ただ非現実的な美しさのみがある。

普段は彼女を慕う人の海でごった返しているこの一室も今は彼女一人だった。
信徒たちがいない時にも彼女は好んでこの王座で過ごすことが多い。
孤高たる彼女にはこう言った時間が必要だった。

部屋に響き渡る音楽の調べ。
少女は静かに目を閉じて魔術の自動演奏に耳を傾ける。
音楽はどこの世界でも変わらない。
人間がいる限り芸術は生まれるのだろう。

誰にも汚されることのない白の時間。
だが、そこに異物が混じる。
鏡のように磨かれた白い大理石の床に、固い足音が響いた。

「あら。アポはなかったはずだけど」

言葉とは裏腹に女は口元を緩ませる。
退屈を乱す波乱の予感を王座に頬杖をついたままの体勢で出迎えた。

訪れたのは白を侵す黒。
男の歩に合わせて漆黒のマントが翻る。
全てを呑み込む虚のような少女にも負けぬ、地に足のついた確かな存在感があった。

「ダメじゃない。魔王様がこんなところに来るなんて。魔王ってどっしりと魔王城の奥で構えてるものなんじゃないのぉ?」
「約束もなしに訪れた無作法は許せ。些か待ちくたびれてな」

現れたのは他でもない。
魔界を総べる荘厳なる魔族の王。
魔王カルザ・カルマその人である。

ダンジョンの最奥でも、魔王の住まう魔王城でもなく。
人界の中央に聳える光り輝く居城にて人界と魔界の力の頂点が相対する。

「堪え性がないのねぇ。わざわざ足を運ばれなくともそろそろこちらから尋ねましたのに」
「空言を吐くでないわ。そもそも貴様ら、我を倒す気がないだろう」

その指摘に答えを返す様にクスリと笑う。
魔王の討伐は勇者たちの目的ではなく、勇者たちを召喚したミルティア王の目的である。
召喚された勇者にそれに従う義務はあっても義理はない。
そもそも外の人間に命運を託すという時点で間違っている。

「あら、そんなことないわよぉ。勇者としてはほら人々の期待に応えないと、ねえ?」

白々しくもそんな言い分を述べる勇者を、魔王は下らないと吐き捨てるように笑う。

「戯言を。貴様が他人の目など気にする玉か」

一見しただけで魔王は愛美の本質を見抜いていた。
目を丸くした愛美は階下の魔王の姿を改めてじっと見つめ、ふぅと息を吐いて視線を僅かに逸らした。

「……そうね。戯言だったわ。つまらないことを言ったわね」

気だるげに組んでいた足を正す。
頬杖を解いてすっと背筋を伸ばした。
正面から向き合うに値する相手だと理解したのだろう。

「それで、遠路はるばる何の用? お茶でもしにいらしたのかしら?」
「和平交渉という段でもなかろう。貴様とて受け入れる気もあるまい?」
「そうね。そもそもそう言う話は私じゃなく王様ちゃんにすべきよねぇ」

和平交渉を行うのならば、ミルティア王にすべきだろう。
勇者はあくまで人間側の最高戦力にして魔王に対する最終決戦兵器である。
実質上は置いておいて、体裁上はあくまでミルディア王がトップなのだから。

「勇者と魔王、顔を付き合わせれば行う事など決まっておろう?」
「だったら私じゃなく兆ちゃんや薫ちゃんの所に行けばいいじゃない」
「勇者キザスに勇者カオルか。確かに奴らも排するべき害悪だが。
 勇者の要は貴様だろう? 勇者アイミ。お前を倒せば全てが終わる」

魔王は王座を指さしながらそう断言した。
勇者パーティは勇者キザスがリーダーとされているが、事実上の中心人物は勇者アイミである。
ここを崩せば勇者パーティはたちまち崩れるだろう。

「だからって魔王が暗殺者の真似事とはね」
「たわけ。堂々と正門から来たのだ、暗殺とは言えまい。
 暗殺は力が劣る者のすること。この魔王が貴様相手にやる必要がどこにある?」

魔王は逃げも隠れもせず堂々と正門からここまで来た。
どれほどの精鋭であろうとも魔王の歩みを止められる者などいるはずもないのだからこそこそする理由がない。
それは事実である。だが、今回に限ってはそれ以前の問題だった。
何せ彼はここまで戦闘など1度も行っていないのだから。

「ところで、一つ訪ねたいのだが」

その違和感を魔王は正面から問いただした。

「リューツの市民はどこに行った?」

日夜途切れず活気が溢れていたリューツの街は静寂に満ちていた。
城の衛兵どころか、町のどこにも人影一つ見当たらない。
魔王はここまで誰一人として出会わなかった。
まるで街ごと死んでしまったようだ。

「どこにも行っていないわよ」

そう言って、ここにいるとでも示すように愛美は自らの胸に手を当てる。
薄く笑う勇者とは対照的に魔王の表情は険しいものへとなってゆく。

他者と同化し自らの完成度を高める『完全魔術』
数多の同胞の犠牲によって、魔王は愛美の力は把握していた。

そんな相手に戦力の逐次投入は悪戯に犠牲を増やし敵の力を強めるだけの悪手である。
これ以上力をつけられる前に最短最速で最高戦力をぶつけるのが正しい戦略である。
故に、魔王が直接こうやって直接足を運んだのだが。

「…………貴様、同胞まで喰らったか!? 中に何人いる? 何人喰らった……!?」

怒気を含んだ声。
女は窒息しそうな圧力を、どこ吹く風と受け流しながら。
そうねぇと悩まし気な様子で、思い出すように指を折る。

「この街の人間と、後は誠くんが集めてくれた人間……合わせて1万人くらいだったかしら?
 魔族や動物も含めればもう少し行くかもしれないわね」

前日の夕食を思い返すように、事もなげにそう語る。
魔王は青い拳を手の平に爪が食い込む程強く握り締めた。

「外道め。それだけの力をつけてなんとする。神にでもなるつもりか?」
「そんなつもりはないわよ。そう称えられることは少なくはないけれどね。
 それに喰らったなんて人聞きの悪い。全員同意の上で私になったの、私たちを苦しめる魔族(あなた)に責められる謂れはないわ」
「ならば、貴様は何がしたい? 目的は何だ?」

魔王の討伐すら目指していない勇者の目的は何なのか。
この疑問に、ほほ笑みながら勇者は答えた。

「あの子が絶望するまでの暇つぶし」

その返答に、魔王が言葉を失う。
単純に意味が分からなかったからだ。

「あの王様ちゃんのお遊びに付き合ってあげたのは、私にとっても都合がよかったから。
 けれど、あなたを倒すところまで行ってしまうのは少し都合が悪かったのよ」
「…………都合だと?」
「そう。目的を果たしてしまったら、どうなるか分からないかったから」

召喚された目的を達成してしまえば元の世界に戻る可能性があった。
自分だけなら構わないが、その範囲が召喚された勇者全員に及ぶとしたらそれは困る。

「けど、それもそろそろ頃合いかしら。
 本当に丁度よかったわ。私の肋骨から零れ落ちたあの子が、私だけの事しか考えられないくらい絶望するにはいい頃合い」

愛美がゆっくりと立ち上がり椅子に立てかけられた剣を手に取った。
それは細く美しい透明な剣。
飾り付けられた意匠は武器と言うより芸術品のようだ。

それは聖剣の失われた世界で新たに製造された『勇者の剣』である。
微粒子レベルでしか合成が実現できていない、ダイヤモンドより硬い超硬度材料による実在するはずのない剣。

「だから正直、戻っても戻らなくっても、もうどっちでもいいの」

カツンと、足音を立てて階段を下りる。
勇者の剣を片手に、一歩一歩確かめるように下ってゆく。

勇者キザスの付与魔術の真価は付与した存在の方向性を決定できる事にある。
勇者カオルの創造魔術の真価は理解さえ及べば理論上存在するだけの、この世に存在しない物質を生み出せる事にある。
勇者マコトの魅了魔術の真価は魅了した対象に命令することで、トランス状態となった対象の力を限界以上に引き出せる事にあった。
世界も勇者も、全ては自らに全てを捧げるためにある。そう信じてやまぬ勇者アイミのための剣。

「歯と舌を抜かれようとも両目を抉られようとも全身の皮膚を剥がされようともそんな事は関係ないわ。
 私はあの子を愛してあげられる。私だけが愛してあげられるの。
 その事実をようやくあの子も理解する時がきたんだわ」

愛美の表情が恍惚に歪む。
その言葉は目の前の魔王ではなく。
ここにいない誰かに語り掛けられたものだった。

「――――ええ加減にしさらせよ、ボケが」

魔王が額に青筋を立て言葉を荒げた。
抑えていた魔力を解放する。
白亜の城がカタカタと震え始めた。

「そないな理由で人様の世界を好き放題やってくれおってからに」

自分の世界に浸っていた愛美の意識が引き戻される。
少女は目の前の敵を見つめ、笑みを浮かべた。
それは先ほどまでの熱に比べ、どこか冷めたものに感じられる。

「いいわ。それじゃあ、戦いましょう」

タンと、弾むような足取りで最後の階段から一歩を踏み出した。
互いの足場が対等になり、慎重さから今度は愛美が見上げるような視線を送った。

「この剣、作ったはいいけれど使いどころがなかったの」

勇者の剣。
魔界最強の剣士、暗黒騎士Jrを一撃のもとに両断した最強の剣。
強すぎると言うのも考え物だ。
命を取り込む完全魔術は殺してしまっては使えなくなるため以後は封じられ使われることがなかった。

「少しは持ってくれるかしら? そうじゃないと創った甲斐がないわ」
「ダァホ。すぐに終わるわ、オドレの負けでなぁ――――ッ!」

こうして勇者と魔王の最終戦争が開始された。
勇者と魔王の決戦はホワイトブレイブを全壊させ、一大都市リューツを更地にした。
48時間に及ぶ地図を書き換える程の死闘は、勇者の勝利で終わったのだった。


少女は躍る。
世界は彼女を彩る舞台。
まるでバレエのように美しくしなやかに白鳥が羽ばたいていた。

異世界より続く壮大な目的はこの電脳世界で達せられた。
腹部に空いた穴も気にならない。
彼女は今この瞬間、生まれ変わったように全てが満たされていた。

事実、彼女は万能といって差し支えない
LUK以外のステータスは脅威のオールS。
獲得スキル数は名前だけのモノまで含めれば12に届く。
システムの限界者。疑う余地もなく、このゲーム内最強の存在である。

彼女からすれば、後は消化試合である。
生き残り全員を同時に相手取ろうとも勝利する自信がある。
何者であろうとも彼女の歩みを止められない。

そんな愛美が唐突に、逃げる様にその場を飛び退いた。

瞬間、上空からギロチンが降り落ちる。

バックステップから着地して一歩、二歩とさがる。
そして首筋を掌で拭うと、べっとりと血で濡れていた。

足元に落ちる影に気づいて反応していなければ、首を落とされていただろう。
血濡れの手に落としていた視線を上げて、現れた大きな影を睨み付ける。

「やはり、闇討ちは夜でないとうまくいかんか。
 もっとも、不意打ちで取れるとは端から考えてはおらぬがな」

空からの襲撃者は悪びれもせず、そう言った。
ギロチンと見紛ったそれは、この男が空より放った風を纏った手刀であった。

「暗殺者みたいな恥知らずな真似はしないんじゃなかったかしらぁ? 魔王ちゃん」

現れたのは他でもない。
魔界を総べる荘厳なる魔族の王。
異世界にて雌雄を決した宿敵が目の前に立ってた。

「なに、一度敗北した身だ。今更貴様相手に格上を気取る恥知らずな真似はせぬよ」

空間転移による不意討ち。
それは指定した座標に転移するアイテムによるものである。
敵の位置が知れた時点で魔王にその使用を躊躇う理由はなかった。

このアイテムは縦の座標までは指定できず高確率で中空に放り出されるデメリットがある。
そのため着地の手段がなければおいそれと使用できるものではないが、魔王にとっては大した問題ではない。
着地程度はどうとでもなる、むしろ頭上を取れるのなら好都合だった。

「貴様の影は仕留めさせてもらったぞ」
「影? ………………あぁ。そういう事。それで私の場所が知れたと言う事ね」

その一言で、愛美はイコンの失態を知る。
僅かな苛立ちの色を視線に含ませた。

「まったく使えない子だったわねぇ」
「…………?」

失態を晒した信者へ悪態を付く。
その態度の魔王は僅かな違和感を感じた。
悪態を付く程他者に興味を示すなど、陣野愛美らしからぬ反応であるように思える。

「けど、最期にあなたを連れてきたと言うのなら、褒めてあげてもいいわ。
 あなたを取り込めなかった事、あの世界のちょっとした心残りだったの」

勇者と魔王の決戦は勇者の勝利で決着がついたが、その存在を取り込むには至らなかった。
死亡し魂を霧散させた魔王は、まんまと転生術式を成立させ逃げ延びた。
そう言う意味ではあの決着は痛み分けだったと言える。

魂の片割れと同化し完全なる存在となった愛美にとって今更何かを取り込む必要はないのだが。
過去の心残りの清算という意味では都合がいい。
鴨が葱を背負って来ったようなものだ。
ゆらりと、風のような動きで愛美が動く。

「それじゃあ――――――行くわよ」

速い。
消えたと見紛う程の速度である。
魔王でなければ反応すらできない速度だろう。

詠唱の隙すら与えず叩き潰す。
魔法使い相手に速攻は正しい選択である。
異世界で愛美が学んだ基本戦術だ。

だが、それは異界の常識である。
この『New World』においてもそれが正しいとは限らない。

駆けだした愛美を、すぐさま放たれた最上級爆炎魔法が迎え撃つ。
詠唱と言う過程を必要としないスキルによる魔法はワンアクションで発動する。
人一人消し飛ばすには十分な破壊力の爆発が巻き起こった。

愛美はその炎を避けるでもなく真正面から強引に突破する。
業火は少女の皮膚の表面を僅かに焼くに留まった。
圧倒的高耐久。半端な攻撃など今の愛美には通用しない。

圧倒的なスペックは全てを凌駕する。
策や技と言った弱者の足掻きなど無意味と嘲笑うのだ。
それは戦場における残酷なまでの事実だ。
だが、

「侮りすぎだ!」

踏み込んだ愛美の足元が沼になって沈む。
無詠唱の選択式魔法はトラップと相性がいい。
耐久力を盾にしたごり押しが魔王に対しても通じるなどと、思い上がりも甚だしい。

愛美は沼地に足を取られるも、力技で離脱を図る。
だが、さすがにその速度は大きく落ちていた。

その隙に魔王が動く。
魔法戦に有利な距離へ離れるのではなく、むしろ踏み込んで距離を詰めた。

意表を突く動き。
踏み込んだ魔王の拳が轟と風を切った。

カルザ・カルマは歴代魔王の中でも指折りの魔法の使い手である。
だからと言って、魔王に対して魔法でしか戦えないなどと言う考えは死を招く楽観だ。
魔王の打撃は生半可な魔族よりも強力であると相場が決まっている。

「侮ってなどいないわよ」

これに対して愛美は驚くでもなく動いた。
沼から抜け出し、その拳に合わせて自らも打ち込む。

異世界での決闘は互いに手の内を出し尽くした死闘だった。
互いに互いの手の内は理解しきっている。
勝利したとはいえあの戦いは愛美にとって異世界における唯一負ける可能性のあった戦いである。
互いの格付けは完了しているとはいえ、侮りなどはしない。

空気が弾けるような衝撃が走った。
拳と拳が衝突する。

「ぐっ…………!?」

勢いに押されたのは魔王の方だった。
その踵が僅かに浮いて、そのまま押し込まれるようにたたらを踏む。

小柄な愛美が大柄な魔王を吹き飛ばす異様な光景。
Aランクと言う最上級の筋力を持つはずの魔王が押し負けた。

筋力だけではない、駆け出す速度、魔法をものともしない耐久度。
どれをとっても一級品を通り越して常軌を逸している。

「……大した力だな。いったい何人喰った?」

異世界で戦った時以上の充実っぷりだ。
あの時が1万の命を喰らった力だとしたら、果たしてこれは何人喰らえば至れる領域なのか?
参加者全てを取り込んだところでこれほどのに達するはずがない。
ここまでに成ったのは、この遊戯の特性故か。

「人数は問題じゃないの。私にとって大事なものは一人だけ」

楽しそうにくすくすと笑って、今だ塞がらぬ胴の中心に空いた孔を撫でる。

「やはり『完全魔術』か。この世界でも取得したようだな」
「ええ。それがどうしたの?」

予測はつけていたがこのやり取りで魔王は確信を得た。
それは愛美が持つ力が完全魔術であること、ではない。
この世界のスキルの在り方についてだ。

「疑問には思わなかったのか? 何故この遊戯の世界にも『完全魔術』が存在するのかと」

『完全魔術』は異世界において悪辣な神によって与えられたチートスキルである。
そのスキルが異世界と無関係な『New World』にも存在しているのはおかしな話だ。

「言われてみればそうね」

愛美は何事も在るがままを受け入れる。
それは自らの都合のいい出来事を受け入れる事に慣れているという事であり、己以外に対する興味の薄さとも言える。
そんな愛美と異なり、魔王はこの遊戯について常に思考を巡らせてきた。

「そこまで言ったからには聞かせてもらえるのかしら? その答えを」

考える素振りもなく当然の様に答えを求めるその態度に、呆れたようにため息を付く。
やれやれと頭を振って魔王は答えを告げる。

「それはお前の中から引き出されたモノだ」

これが魔王の得た知見。
スキルには『New Wolrd』から提示される汎用スキルと参加者から引き出された専用スキルが存在する。
もちろんGPの支払いは必要であるのだが。
魔王の『魔法の王』スキルもその一つである。

「我のスキルもそうなのだろう。
 この遊戯に巻き込まれた我々はこの世界の法則に縛られている。だが発動する魔法は我の知るモノだった」

ささくれの様な小さなものではあったが、この矛盾に対する違和感は最初からあった。
結論に至ったのは、魔法を存分に使ったイコンとの戦いの経験からだ。
それが何を意味するのか。

「世界のルールと個人のルール。
 この地に召喚された全ての人間の中にはこの二つのルールが存在するという事だ、それがどういう事かわかるか?」
「そのルールがかち合った場合どうなるか、という事でしょう?」

魔王の投げた難問に平然と答えを返しながら愛美は人差し指を立てた両手の先をこつんと合わせる。
二つの異なるルールがあると言うのならば、一致しない点も存在するだろう。

「それもそうだが、我の考えは逆だ。ルールがかみ合った場合はどうなるかだ」

この『New Wolrd』では魔法と言う選択(コマンド)だけで発動する。
最上級魔法ですらワンアクションで発動する無詠唱魔法が便利だったからこれまで使ってきた。
だが元の世界、個人の法則に従い詠唱すればどうなるのか。
その場合でも魔法は発動するのか?

「答えはこれだ――――EmaLfYrOtaGruP」

この世界で不要なはずの魔術詠唱が行われた。
全てのを呑み込むような炎の渦が放たれる。
少女の産毛を焼くことしか叶わないはずの業火はしかし。

「……っ!?」

熱気に圧された愛美をその場から引かすに至った。
放たれた最上級爆炎魔法は正しく煉獄の炎だった。
その威力はこれまでの非ではない。
世界(システム)と個人(マニュアル)による二乗の火力だ。

欠点があるとするならば消費と反動が大きい事だ。
下手をすれば自滅もありうる威力である。
もっとも、魔王に限ってその可能性はないだろうが。

「ご高説どうも。面白い話だったわ。
 けれど、そこまで言っての良かったのかしら? その話を私が利用するとは考えなかったの?」
「不可能だな」

迂闊さを罵るその言葉を切って捨てる様に、ぴしゃりと断言する。

「元より、貴様の『完全魔術』は悪辣なる神に与えらたものだろう?
 それが改めてこの世界より与えらただけの話であって、どちらであっても貴様自身の力ではないだろう?」
「なんですって…………?」
「この方法はな、世界の法則と自身の法則の掛け合わせだ。全てが外付で自身の力のないモノに土台扱えるものではないのだよ。
 いや、面倒でも己自身を鍛えておくものだなぁ? 陣野愛美」

能力も、取り込んだ魂も彼女の中から生み出された物ではない。
己から発せられるものがない以上、この掛け合わせは使えない。
0にはなにを掛けても0なのだから。

「貴様の事だ、どうせこの世界の事など興味すら持たなかっただろう?
 然もありなん。貴様が敗北するのは世界(システム)に対する理解の差だ」
「ハッ。バグ技を見つけた程度で調子に乗らないでよね…………ッ」

その言葉の端には苛立ちが含まれていた。
愛美は歯を噛みしめ堪える様に胸元を抑える。
その様子は初めて感じる激情を持て余しているように見えた。

魔王は目を細める。
異世界での陣野愛美は魔王と壮絶な殺し合いを演じておきながら最後まで余裕を崩さず薄笑いを浮かべていた。
この程度の挑発に感情を揺り動かされるなどらしくない。
あの時は神の如き存在であると感じたが、これではまるで。

「ずいぶんと人間らしくなったじゃないか」

恐ろしいまでの純白に澱みの様な黒が混じている。
何があったかは重要じゃないし興味もない。
重要なのはその変化がある、という事実である。

「どうやらかなりの悪食をしたと見える」

余程質の悪い何かを取り込んだのだろう。
肉体は完全に近い強さを得たようだが、精神は不安定さを増していた。

「いいえ。極上な味わいだったわよ、これ以上なく……ッ」

どこか獰猛な獣じみた歪んだ笑顔。
とても陣野愛美に似つかわしくない表情だった。
欠けていた物を埋めた事により不完全な神は完全な人間へとなり果てたのか。

これを付け入る隙と見るべきか、隙がなくなったと見るべきか。
今の時点では魔王ですら判別がつかなかった。

「あなたも美味しく頂いてあげるわ―――――!」

美しき獣が駆ける。
しなやかに走り抜けるその速度は地上最速の肉食獣よりも早い。

「reSalEriF」

迎え撃つは魔術の王。
指先から炎を凝縮したレーザーを連続して放った。
その威力は分厚い鉄板すら容易く融解させ貫くだろう。

自らを狙う7つの炎の矢を、愛美は突進を続けながら俊敏なサイドステップで避ける。
残像すら置き去りにするような恐るべき機動性。
下手をすれば、迫る炎よりも早い。

一瞬で魔王の懐に潜り込んだ愛美は鳩尾への蹴りを放つ。
魔王はそれを掌で受け止めるが、受けられた足を利用し愛美はそのまま駆け上るようにして肩を踏みつけた。
魔王を土台にして宙がえりをしながらライフルを取り出し真下への銃撃を行う。

頭部に落ちる銃弾に対し魔王は動かず、無詠唱魔法で発動させた風でそらす。
愛美はムーンサルトから半回転捻りで地面に着地する。
その瞬間、その足元に設置されたトラップ魔法が爆発した。

「鬱陶しいわね」

愛美にとっては足裏が焦げる程度のモノだが、些か苛立たしい。
その苛立ちを隠さず、愛美は魔王を睨み付ける。

だが、上手くいかぬ苛立ちは魔王も同じだ。
愛美と違って態度には出さないが、決定打に欠ける。

無詠唱魔法はトラップとしては仕込みやすいが威力が足りない。
二乗魔法なら威力は足りるが、魔法が発動してから避けられるような相手に点の攻撃は当たらない。
当てるとなると狂信者に行ったような範囲攻撃による面の攻撃だが、密度の低い攻撃では二乗魔法であろうともあの耐久度には通るまい。
そうなると、とるべき手段は自然と絞られた。

「tNiArtSeRkrAd」

横薙ぎに一文字の闇の刃が放たれる。
行うべきは線の攻撃である。

幾重も重ねられ闇の格子を築いた線を、愛美は身を屈めその下を潜って躱す。
足元を攫うような一条は跳躍しながら、頭部を攫う僅かな隙間を縫うように避ける。
だが避けきれず、その一条が足先を僅かに掠めた。

瞬間。闇が足首に絡みつくようにへばり付いた。
それは攻撃ではなく拘束魔法。
纏わりついた闇はドロリと溶けてその体を地面へと引き落とす。

「ちっ」

動きを止めたれた愛美に次々と闇が纏わりつてくる。
圧し掛かる冷たい暗闇はとりもちの様に粘度が高く柔らかだ。
全身を囚われその動きが封じられる。

「こ、んなものでぇ――――ッ!」

激情を見せる。
力技で拘束魔法を引きちぎった。

その隙に魔王が懐に忍び込んだ。
拘束は解けているが攻撃までは防げない。
だが、一瞬で愛美はその脳裏に異界での決戦で明らかになった魔王の手の内その全てを想定した。
どのような魔法、どのような大技が来ようとも対応できる。

投げつけられたのはCDの破片だった。
Sランクの耐久度を持つ愛美にそんなものがぶつけられたところで何の傷も負わないだろうが。
顔面に鋭利な破片がぶつかれば人間であれば反射的に目を瞑る。

頂上決戦ともいえるこの次元の戦いでこのような小技を使うなど誰が思おう。
カルザ・カルマはあの戦いで全てを晒したわけではない。
魔界の頂点に立つ王者としてはできない戦い方もある。
これは魔界統一に挑んだ挑戦者の戦い方だ。

生まれるのは瞬きに満たぬ一瞬の隙。
そしてその一瞬があれば十分である。

「HcnuPErIf――――――!!」

炎を纏った痛烈なボディブローが叩き込まれる。
狙いは胴の中心。未だ塞がらぬ彼女の運命により開かれた孔。

孔を通して炎が体内を蹂躙する。
その背から焔が尻尾の様に抜け出した。
内側から燃やし尽くすような衝撃に愛美の小さな体が宙に浮く。

「――――KcOr」

勝機。たった一撃で終わるはずもない。
この機を逃さず、両手に岩の手甲を纏わせ魔王は畳みかける。

「HcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuPHcnuP」

打つ。打つ。打つ。打つ。打つ。
宙に浮いた体に魔力を纏った拳を瀑布の様に打ち付ける。
拳がまた体を打ち上げ、お手玉のようにラッシュを叩き込み続けた。

百に届こうかと言う魔法拳の乱打が一撃も漏らさず愛美の小さな体に叩き込まれる。
一撃で敵を粉砕する威力の拳をこれほどまでに受けながら原型をとどめている。
だが、どれだけ頑丈であろうとも、システム上用意された強さならば必ず倒せる相手である。
その範疇を超えた存在でもない限り。

「wOlBHsiniF――――!!!」

トドメとなる大振りの一撃が繰り出され、愛美の体が大きく撥ね飛んだ。
ゴム毬みたいに地面に跳ねて、土と草の上を転がってようやく止まった。

「………………がっは」

塊の様な赤が大地を汚す。
愛美がせき込みながら血を吐いた。

致命傷か、はたまた軽傷でしかないのか。
遠目で見つめる魔王にはそれがどの程度のモノなのかまではまだ分からないが確実にダメージは通っている。

愛美が身を起そうと地面に腕を付いた。
体を持ち上げようとする腕がプルプルと震える。
上半身が起き上がろうという所で、体を支える腕が滑ってそのまま地面に顔面から倒れ込んだ。

「くっ…………ふ」

再び体を起こそうとするが、震えるばかりでまるで持ち上がらない。
演技などではないだろう。
愛美が自らこのような無様を晒すなどあり得ない話だ。

Sランクの耐久度であろうとも限界はある。
魔王の拳によって蓄積されたダメージはその限界点を超えていた。
立ち上がれない。
勝利に彩られた彼女にとって、敗北する事など生まれて初めての事である。

赤い雫がボタリと地面に落ちた。
顔面を打ち付けた愛美の端正な鼻から赤い血が垂れる。
口の中に入った敗北の苦い鉄の味が口内に広がる。

「はぁ――――――――っ」

火傷しそうなくらい熱い息を吐く。
地面に落ちた敗北と言う辛酸を舌を伸ばしで舐めとった。
これまでの彼女ならば、仮に敗北したところでその味を味わいもしないかっただろう。

魔王の勝利である。
あとは動けなくなった愛美にトドメを刺すだけだ。

だが、その一歩がどういう訳か躊躇われた。
戦闘において魔王が迷うという事自体が珍しいことである。
今すぐ近づいてトドメを刺すべきだという理性と近づくべきではないという本能が魔王の中で争っていた。
それ程の何かが目の前で起きようとしていた。

――――悔しい。

「愉しい――――」

――――苦しい。

「嬉しい――――」

――――憎い。

燃えるような激情の海に溺れる。
意識が沈み脳が痺れる。
脳のどこか新しい扉が開くようだ。

パキリと。
何かが砕けるような音が鳴った。

見れば、美の化身のような愛美の顔にヒビのような割れ目が奔っていた。
異様な光景。
今すぐトドメを刺さなければ手遅れになる。
その確信に背を押されるように魔王が駆けだした。

憎悪の化身による肉体の変化。
人間でなければできない感情の発露。
陣野愛美の新たなる目覚め。
ヒビは見る見るうちに広がってゆき、砕けるような音を立て全身の皮膚が罅割れる。

だが、それももはや手遅れだ。
何が起きようと魔王の方が早い。
魔王は愛美の元まで達しており、魔力を纏った鋭い指先が既にその首に触れてた。
瞬きの間にその首を貫き落とすだろう。

刹那。
光が吹き抜けた。

魔王の抜き手が空を切る。
指先が触れていたはずの愛美の姿が魔王の前から完全に消え去った。
背後から何かが投げ捨てられた音がして魔王は振り返る。

投げ捨てられたそれを見て、ようやく魔王は何が起きたのか理解できた。
それはすれ違いざまに千切られた魔王の左腕だった。

痛みよりも驚愕が勝る。
反応すらできなかった。

「お前は…………」

その変容に魔王が眉を顰める。
目の前に立っていたのは白い光人。

殻を脱ぎ去り、気だるい朝から目覚めるように。
それはまるで蛹を破り羽化するような完全変態。

「――――――何だ?」

戸惑いを含んだその問い。
人でも神でもない。
目の前の相手は魔王の眼をしても測れない存在だった。

白く発光する皮膚はその全容を曖昧にする。
横向きになった眼のような形に開いた腹部の孔は、まるで異界に繋がる門のようだ。
その孔の中心で黒点がくるくると廻る。
白に穿たれる黒。太極における陽の中の陰。

完全なる不完全。
不完全なる完全。

それは美しく、そして醜い。

「私よ――――私は私に成ったの」

陣野愛美。
人でもなく神でもなく、己であると言う強烈な自我。
あえて形容するならばこれは――――真人・陣野愛美である。

「称えなさい。完全な私の誕生を。
 喜びなさい。完全な私に出会えた奇跡を。
 享受なさい。これからその完全な存在と一つなれる幸運を」

完全なる存在が全てを迎え入れるように両手を広げる。
ありとあらゆるを呑み込むような存在感は世界一つに匹敵するだろう。
目の前に立っているだけで正気が削られそうな真人に対峙する魔王はしかし。

「ケッ! 誰がんな事するかいな、ボケが!」

下らないと、そう吐き捨てた。
理解を超えた存在如きが何するものぞ。
元より魔王の最終目標は悪辣なる神の打倒である。
この程度で怯むような軟な精神など持ち合わせていない。

「eTtaRelECca、gnInEHtgNertS、gNirUc」

左腕を失いながらその闘志は些かの衰えも無く、むしろこれまで以上に燃え上がっていた。
加速、強化、硬化の魔法を唱えステータスを引き上げる。
それでもなお焼け石に水だろうが、ステータス差がありすぎる状態では話にならない。

「健気な努力ね。可哀想に」

遥か高みより哀れみを送る。
そして何気ない動作で一歩、前へと踏み出した。

その踏み込みは跳躍と言うよりもはや飛翔である。
どのような距離も一足で届く。
地中のトラップは無意味だろう。

光が通り抜けたと見紛うほどの速度。
それは恐るべき突撃だった。
およそ反応すらできないはずのそれを、魔王は紙一重で躱した。

人間の動きには起こりという物がある。
どれだけ早かろうと来ると分かっていれば対応はできる。

愛美はそう言ったモノを隠さない。
武道の達人という訳ではない愛美は、起こりを隠せるほどの技術を持たないというのもあるが。
そんなものを隠さずとも敵を蹂躙できるという絶対の自信と確信があるからだろう。

突撃は避け、僅かに指先が胸元を掠めただけだ。
だが、それだけで魔王の胸元の肉が抉れ、大量の青い血が噴き出した。

「く…………おっ!?」
「どぅしたのぉ? 優しく撫でただけなのだけど?」

被虐的な笑み。
ただ近づいて撫でただけ。
その言葉は事実だろう。
彼女にとってはもはや勝負ですらない。

「iCe、ErIf、dNiw、KcOr!」

その事実を否定する様に、魔王は一息で多用な属性の魔法を同時に放った。
全てを焼き尽くす炎。
全てを凍らす氷
全てを切り裂く風
全てを砕く岩。

そのどれもが、掠りもしない。
必死に避けるでもなく真人は美しく踊るように身を躱す。
いや、本当に踊っていたのかもしれない。

「ハ――――――くっ」

魔法を放ち続ける魔王が、息を荒げる。
消費の激しい二乗魔法の連発。
加えて、狂信者相手に広範囲魔法を乱発した事も今になって効いている。
その魔力が底を尽きかけていた。

「あら? 辛そうね。もうお終いかしら?」

このままではどれだけ打っても無駄打ちにしかならない。
詠唱による二乗魔法ならば威力は足りるが詠唱分のロスがあるため当てる事は難しい。
かと言って無詠唱魔法では当てたところで威力が足りない。
魔力の少ない今、確実に二乗魔法を当てる手段が必要となる。

「――――――EgrAhC」

漆黒の極光が右腕に迸った。
灯台を薙ぎ払った禁呪による二乗魔法。
半端な一撃で仕留められる相手ではない。
ならば残る魔力の全てを籠めて必殺の一撃に賭けるべきだろう。

魔王は今にも弾けんとする禁呪の光を放つのではなく拳に留めた。
リスクを覚悟で近接して拳を当て、一点に凝縮した力を一瞬に爆発させる。
遠距離から魔法を当てるよりも可能性はあるだろう。

「当たるかしら?」

己に突き付けられる黒い極光を前にしても、光り輝く真人の余裕は変わらない。
読心によりこの一撃に全てを懸ける魔王の覚悟を理解しながら、それでもなお自分には通じないという絶対の自信。

外せば終わり。
当たる可能性も殆どない。
この状況で、魔王は慌てるでもなく酷く冷静だった。

「当てるさ。そう難しい話じゃない」
「ふふっ。男の強がりは見苦しいわよ、あなたでは届かない」

真人は笑う。
完全に至った今、全ては彼女の思うがまま。
欠けていた孔が満たされ彼女の脳は万能感に満たされる。

「まるで芸を覚えたばりの犬のようだな」

その様子を魔王はそう評した。
真人の動きが止まる。

「完全? 笑わせる。貴様のどこが完全なのだ?
 力を得て余程はしゃいでいるようだが、己の得た力を見せつけたいだけの芸を覚えてての犬っコロだよ、お前は。
 何を取り込もうと、我から見れば今も昔もお前の本質は変わらぬよ」

余裕を持っていた真人が推し黙る。
言葉を発する以上の圧力が体から発せられていた。

「――――喋りすぎよ。少しうるさいわあなた」

苛立ちをそのままぶつける様に駆けだした。
その体は一瞬で閃光となる。
これまでの戯れではなく、殺すための動きだ。
目視すら不可能な相手を捉える術などどこに在ろうか。

だが、それこそ魔王の狙い通りである。

全てが内側で完結し、外側に興味など持たない女だった。
嘗ての陣野愛美であればこのような挑発には乗らなかっただろう。
だが今なら。白だけではなく黒の混じった今の陣野愛美ならば。

行動を誘導できるのならば、タイミングは測れる。
何時何所に来るかが分かっていれば、速さは問題ではない。
ただ、そこに拳を合わせるだけでいい。

白い閃光と黒い極光が衝突し、宇宙開闢のような光が弾けた。
衝撃は天地を貫き、空間を震わせ奔る。

真空となった空間に寄り戻しの突風が吹いた。
究極の衝突が終わり、立っていたのは一人だけだった。

巨大な体躯、青い肌、人外を示す太い角。
荒野となった大地に立っていたのは魔王だった。

無論、無傷とはいかない。
衝突と二乗禁呪の反動で腕が吹き飛び、両手を失った状態である。

だが手応えはあった。
魔王の拳は確実に愛美を捕えていた。

元より灯台を破壊した禁呪はシステムの限界攻撃力に達している。
それをシステムの隙をつくバグ技に近い二乗魔法によって威力を引き上げ、その威力を瞬間に籠め爆発させたのだ。
この世界においてこれに勝る攻撃力は存在しないと断言できる。

これで倒せないのならば、もはや―――――。

「――――――効いたわ。本当に死ぬかと思った」

真人を倒す手段はない。

立ち上がった真人の白い体に朱が混ざっていた。
だらだらと流れる血が赤い事に違和感すら感じてしまう程の隔絶した存在。
赤と黒の混じった悍ましき白の絶望。

両腕を失い魔力も尽きた。
もはや、勝利の道筋は絶たれたも同然だった。

衝突の余波でむき出しになった大地を踏みしめ、絶望が迫る。
その気になれば刹那で詰められる距離を、一歩一歩、十三階段の様に踏みしめてゆく。

敗北覚悟で抗うか、矜持を投げ打ち逃げだすか、潔く諦めるか。
選べる選択肢はこのくらいだ。

だが、魔王はそのどの選択肢も選ばなかった。
取れる手段ならもう一つだけ、ある。

魔王に死を齎す真人の足が止まる。
血に濡れた白い手を伸ばす。
その手が触れようとしたその瞬間。

「EdiCiusElbUoddEcRof――――!」

魔王は自爆魔法を唱えた。

正真正銘最後の手段。
魔力ではなく生命力を解き放つ自爆魔法。

禁呪で倒せなかった相手を倒せるとは思わないが、嫌がらせ程度の手傷くらいは追わせられるだろう。
何より愛美に取り込まれる屈辱だけは避けられる。

だが、

「――――――――逃がさない」

何も起きなかった。

自爆など陣野愛美が許しはしない。
目の前で自殺した老人や、魂を取り逃した異世界の時のような同じ轍は踏まない。

一度きりの呪文(スキル)封じ。
10秒間のみ敵の全スキル発動を阻害する消費型アイテム。

これまで使用しなかったのは、この決定的な瞬間を見越しての事だろう。
的確に致命的な点を見抜き、戦況を読み切る先見性。
だが、自らが死する可能性すらあった魔法の乱打戦の中でここまで徹底できるのは異常なまでの精神性だ。

愛美は動きを止めた魔王の膝裏を蹴り、体勢を崩すと片腕で首を絞め上げる。
喉を絞められ声を発することはできない。

ずぶりと、光り輝く白い指が首に沈んでゆく。
握りつぶすのではなく融けてゆくように。

「さぁ、私と共に永遠となりましょう――――魔・王・ちゃん」

真人が嗤う。
魔王の見る最後の光景。
その俗物的な顔に吐き気がした。

[魔王カルザ・カルマ GAME OVER]


2度目の勇者と魔王の戦いは、またしても勇者の勝利で終わった。
魂を取り逃す前回の様な失点もない完全勝利である。

憎悪の化身の効果が消える。
真人が虫一匹殺せなさそうな可憐な少女の姿へと戻った。
着ていた服がダメになってしまったのか少女の裸体が露わになる。

一糸まとわぬ芸術品の様な裸体には大きな痣が刻まれていた。
左肩に刻まれた赤黒い痣はあの刹那に顔面だけは避けた結果だ。
顔面に受けていれば流石に死んでいたかもしれない。

服を着替えるべく支給品から衣服を取り出す。
ウェディングドレスの様な白いふりふりの衣装だった。
ある程度の運動性が保たれているのは、ダンスを想定したアイドル衣装だからだろう。
この手の衣服はあまり趣味ではないが、鎧や全身スーツよりはましだろう。

着替え終えると、愛美は面倒を連れてきた発信機と受信機を握り砕いた。
今潰したところで意味などない。
こう言った不合理な行動もまたこれまでの愛美になかったものだ。

最大の脅威は排除できた。
この世界で愛美は誰よりも強い。
この勝利はその証明である。

彼女の人生は勝利に彩られていた。
勝利など当たり前に与えられる物にすぎず、そのどれもが味気のないものだった。

だが歓喜が心を震わす。
これが喜びの感情。
彼女にとって初めて味わう勝利の美酒の味だった。

これ以上ないほど上機嫌だ。
上機嫌である事そのものが心の証明である。
陣野愛美の人生が始まったのだ。

「……やっぱり、あなただったのね」

だが、そこに完全なる世界を汚す異物が現れた。
僅かに息を切らした少女。
その顔には見覚えがあった。

「あなたは、確か……」

同化する価値もないと、捨て置いたつまらない少女。
名前は聞いてはいなかったが、己の中の田所アイナからその情報を引き出す。
美空ひかりと言う名のアイドルだったか。

愛美は期待外れのため息を零した。
未知の相手ならば万が一もあろうが。
一度蹂躙した相手だ、程度は知れている。

愛美にとって羽虫に等しい存在である。
わざわざ気にかける程のものではないが。
鬱陶しく目の前を飛び回るのなら潰すまでだ。

「それで、何をしにいらしたのかしら?」

あれだけ派手にやったのだ。
周辺に居たのならば愛美と魔王の戦いが見えていなかったはずもない。
だが、それを見て避けるならまだしも、近づいてくるなど正気の沙汰ではない。
実際、堂々とした態度をしようと努めているが、奥底の恐怖を隠しきれていない。

「決まってるでしょ」

絶対的存在を前に、自らを鼓舞するように不敵に笑って少女は言う。


「――――リベンジよ」


[D-4/草原/1日目・午後]
[陣野 愛美]
[パラメータ]:STR:S VIT:S AGI:S DEX:S LUK:A
[ステータス]:完全、胴体に穴(固定化)、全身にダメージ(大)、左肩にダメージ(極大)
[アイテム]:
アイドル衣装(E)、エル・メルティの鎧、万能スーツ、巻き戻しハンカチ、シャッフル・スイッチ
ウィンチェスターライフル改(0/14)、予備弾薬多数、『人間操りタブレット』のセンサー、涼感リング、コレクトコールチケット×1、防寒コート、天命の御守(効果なし)、爆弾×2、不明支給品×9
[GP]:110pt→140pt(勇者殺害+30pt)
[プロセス]
基本行動方針:世界に在るは我一人
1.消化試合を終わらせる
[備考]
観察眼:C 人探し:C 変化(黄龍):- 畏怖:- 大地の力:C テレパシー:B M・クラッシュ:B 憎悪の化身:B 戦闘続行:C 悪辣:B 魔法の王:B

[美空 善子]
[パラメータ]:STR:B VIT:C AGI:C DEX:B LUK:B
[ステータス]:左肋骨にヒビ
[アイテム]:不明支給品×3
[GP]:10pt
[プロセス]
基本行動方針:殺し合いには乗らず帰還する
1.――――リベンジよ
※『アイドルフィクサー』所持者を攻撃したことにより、アイドルの資格と『アイドル』スキルを失いました。GPなどで取り戻せるかは不明です。

【転送チケット】
指定した対象を指定したエリアに転送する特急チケット。
ただし高さの座標は指定できないため、0~100mのいずれかのランダムな位置に転送される。
高さは使用者のLUKに依存して決定される。

【スキル封じの札】
対象のスキル効果を無効化する(10秒)。
10メートル以内にいる対象を選択して使用する。
1回使用すればなくなる。

【アイドル衣装】
伝説のアイドル『秋原レイ』のステージ衣装。
スキル『アイドル』の効果をワンランク向上させる。
スキル『アイドル』を持たない場合、Cランク相当のスキル『アイドル』の効果を得る。

080.Deep Blue Sea 投下順で読む 082.ハッピー・ステップ・ファイブ
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Prayer 魔王カルザ・カルマ GAME OVER
Sister War 陣野 愛美 白に至る
歌声は届く 美空 善子

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最終更新:2022年05月04日 20:45