■プロジェクトS■ 経緯報告書

■概要

本プロジェクトの最終目標はクローンとは異なるアプローチの人間の製造、完全なる人造人間の生成である。

AI技術の発展により、人間と遜色ない受け答えのできるAIの開発が可能となった。
AIは人間の精神の再現と言えるだろう。

また人体も人工筋肉や人工臓器などの開発が進んでいる。
縮小化などの課題もあるがゼロから人体の再現も不可能ではない。

この技術の組み合わせによって人造の肉体に人造の精神を乗せた人造人間の開発は可能である。
だが、それは人間足りえるか?

この命題に対して殆どの人間がNoと答えるだろう。
肉体と精神だけでは人間足りえない。

人造人間はインプットに対するリアクションは可能だが、自ら行動を発する衝動がない。
如何に正確な受け答えができようとも、それは哲学的ゾンビでしかない。

存在の根幹をなす行動原理。
決定的に足りないものが『魂』である。

ツリー元の概念改変能力の応用により魂の改竄は可能となった(魂の加工技術はプロジェクトPを参照)
しかしゼロからの人工的な魂の作成は現時点では不可能である。
これを可能とするには代入すべき魂の値を明確にする必要がある。
以下の検証はその数値を取得するための方法を模索するものである。

■実証・経過

捕食したデータを取り込み学習する自己学習型AIによるアプローチを試みる。

運用テストとして捕食本能のみをインプットしてネットワーク上に放出した。
ネットワークの海で全てを喰らう王者としての特性からシャークウィルスと仮称する。

放出後、3ヶ月経過を観察。
シャークウィルスは順調に成長を続け、3歳児程度の知能まで成長のが見られた。
学習能力に問題なし、放置し続ければ2045年のシンギュラリティを待たずして人間の知能を超えるAIが生まれた可能性は高いだろう。

■問題定義・問題点

このシャークウィルスに魂を学習させることは可能なのか?
魂を喰らう事が出来れば、その変動値を解析するれば魂の値を明確にし、再現性を持たせることも出来るだろう。

当然の問題として、学習型AIはデータ上の存在であり、魂の学習を行うための捕食対象がネットワーク上には存在しない。
これら問題解決の目途が立つまで、本プロジェクトは一時凍結とする。

                  プロジェクトS 統括責任者
                     ■■■■・■■■■

(以下、手書きの走り書き)

別ラインで計画されているプロジェクトVを利用することで実現可能なのではないか?

合同実験の提案は却下された、仕方ないのでこちらで秘密裏に実行することにした。

せっかくなのでウィルスデータもVRゲームに沿った外見にすることにしようと思う。


「ふあぁ~~~ぁ」

川を下る暗殺者がオールを足で漕ぎながら気の抜けたような大きな欠伸を零した。

太陽は高く、日の光を照り返す水面はキラキラと眩いばかりに光り輝いていた。
水気の混じった暖かな風は心地よく、どこか眠気を誘う陽気である。

のんびりと釣り糸でも垂らしたいところだが、生憎とこの海には魚一匹存在しない。
針に引っかかるのはボートの底に根掛かりするか海底に引っかかるくらいだろう。
現実と見紛うバーチャル世界も設定されないものは存在できないのである。
プランクトンすら存在しないこの海に、生命の息吹は一片たりともない。

手持無沙汰になったシャは地図上の表示を確認する。
雪、砂、炎の三つの塔の支配権を得たシャにとって残るは水の塔だけとなった。
件の塔の現在の支配者が誰なのかを確認する。
そこに表示されているの名は『VRシャーク

知らない名である。
そんな参加者がいただろうか?

改めて参加者一覧を確認し、記憶と照らし合わせる。
消えている名前はヴィラス・ハーク。
迷彩が剥がれる様にVRシャークに差し変わっていた。

GPを支払えば参加者の名の変更は可能だが、それは初期設定に限られるはずだ。
後付けで名前を変えられるとしたら認識阻害のスキルを得たか、あるいはその逆。
最初から施されていた認識阻害のスキルが剥されたかだ。

緩やかな波に揺られ風に吹かれる、その様子は平穏そのもの。
だが、少々刺激が足りない。
平穏にも些か飽きてきた。

よくよく考えれば、海上を行く参加者など余程の暇人か変人くらいだろう。
他の参加者と出会う可能性は低い。
だからこそ安全な道のりとして選ぶ参加者もいるのだろうが。
シャとしては何事もなく波乱もないともなれば、欠伸が出るほど退屈な事この上ない。

もう船旅はいいだろう。十分に楽しめた。
生き残りは少数、10余名、あるいは10名を切っている可能性すらある。
そろそろ適当な場所に接岸して参加者を探すべきか。
参加者が集まるとするならば中央エリアだろうと予測をつけ、そちらの岸へとオールを切った。

「オッと」

ボートを動かそうとしたところで、一際高い波に浚われボートが大きく揺れた。
直立していたシャは倒れないようバランスを取る。
その耳にどこからか異音が響いた。

音の方へ視線を向ける。
シャは最初はそれが自分と同じく貸出所を利用した何者かのモーターボートの音だと思った。
だが海上のどこにもそれらしい影はなく、あるのは異音のみ。
その水を掻き乱すスクリューの様な異音は海中からだ。

それは魚だった。
巨大な魚影がジェット噴射の様なもので波を切り裂きながら遊泳している。

その背が僅かに浮かぶ。
海中から顔を出したのは背びれではなく、背負われた四角いポッドだった。
バシュと火薬が弾けるような音が鳴り、ポッドに開いた丸い穴からミサイルが発射された。

3発の誘導ミサイルが船上の標的に向かって迫る。
波濤によって足元が揺れる中、シャは両足を肩幅に開き片足を半歩前に踏み出すと内股に絞った。
三戦立ち。中国で生まれた船上で戦うための構えでミサイルを捌く。
その両手はゆっくりと柔らかな手つきで円を描くと、余りにも自然にミサイルの軌道をすっと逸らした。
まるで体をすり抜けるな自然さでミサイルは通過して行き、遥か後方で爆発する。

熱風を背後に感じながら愉しそうに口端を歪める。
――――敵襲だ。
やはり敵がいなくては始まらない。
陸側からの狙撃や奇襲は警戒していたが、強襲は予想外の海中から。

「愉シイ船旅にナリそうネ」

三戦立ちのまま船上でシャは構える。
一瞬の凪は嵐の前の静けさか。
深く潜ったのか、それともあのまま通り過ぎたのか、水中の巨大な魚影はその姿を隠していた。

波に煽られ僅かに足元が揺れた。
チャプンとボート周辺の水面が揺れる。
瞬間、船底から8本の触手が四方を囲むように飛び出した。
その全てが中心のシャに向かって一斉に襲い掛かる。

小さなボートの上ではまともな足捌きなど利かず、逃げ場などない。
8本の触手全てを二本の腕で対応する必要があった。

腰を据えては対応できない。
瞬時にそう見極めたシャは、水面を揺らさぬ静けさで独楽のように回転する。
制空権は円球を描き、全方位から迫る触手の全てを叩き落とし、打ち落とし、弾き返した。

回転を止め、両の足を付く。船上が僅かに揺れた。
次に水中のビックリ箱から飛び出すのはミサイルか再び触手か、はたまた別の何かか。
心躍らせながらシャが構えた所で、その前方から一際大きな飛沫が上がった。

水のベールに包まれていた敵が、初めてその姿を現す。
それは視界全てを覆い隠すような巨大な大口。
ノコギリの様な鋭い歯で船上のシャを食い殺さんとするそれは、ゴーグルの様な何かで目元を隠した巨大なサメだった。

ボートの横幅よりも巨大なサメの突撃を避ける術はない。
これを避けるのならば、ボートの外に飛び出すしかないだろう。

その事実に従い、シャが海に向かって飛び出す。
これにより人食いサメの噛み付きは回避できた。
だが、それは一時しのぎにしかならない愚策でしかない。

何故なら突撃を避けられた所で、海に飛び込めばそれこそ餌食である。
相手は海の王者、水中戦では勝ち目がない。
無論、それが分からぬ殺し屋ではない。

鮮やかな伸身宙返りをしながら空中でシャは『気』を海に向かって放った。
Sランクとなり強力な遠距離攻撃が可能となった気功スキルに雪の属性を籠める。
放たれた冷の気は海面を凍らせ、生み出された薄氷を足裏で踏んだ。

だが表面に張っただけの薄い氷では人一人を支える事などできない。
持つとするならば僅かに一瞬。薄氷を踏みしめすぐさま跳躍する。
そのまま近接していた中央エリアの崖まで跳びつくと、その側面を蹴り上げ三角跳びの要領でボートに戻った。
着地したボートが僅かに揺れる。

そのまま崖を駆けあがることもできただろうが、逃亡禁止のルールがある。
なにより、動物一匹いない世界にせっかく現れたモンスターである。
二匹の龍のように参加者が変化した物か。
砂漠でシャを殺した四聖獣のようなスキルやアイテムによる召喚獣か。
ともかく、こんな面白い戦いを放棄するなんてありえない。

VRシャークという水の塔の支配者は目の前の相手がそうだろう。
名は体を表すと言うが、ここまでくると間違ようがない。

砂の黄龍。
炎の拳士。
最初の雪を除けば塔の攻略にはそれぞれボスキャラが立ち塞がった。

これもまたその一つ、水のサメ。
このサメを殺せば全ての支配権を獲得できる。

ご褒美として与えられたゲームヒントによれば、四つの支配権を得る事こそがゲームクリアの条件だ。
そこに至れば果たして何が起きるのか。
楽しみである。

海の支配者の影が悠然とボートの周囲をぐるぐると廻っていた。
海は完全に敵のフィールドだ。
寄る辺となるのは足元で不安定に揺れるボートが一隻のみ。
絶対不利の状況で暗殺者は不敵に笑い、巨大な魚影に向かってクイクイと手首を返して挑発する。

「来いネ」

海中に声が届いた訳ではないだろうが、その挑発を合図にしたように再び触手が海中から飛び出し船上の暗殺者へ襲い掛かった。
シャは不安定なボートの上から飛び出し、再び薄氷を創って渡りその場を逃れる。
触手も軌道を変え、逃げるその背を追う。

一歩、二歩と暗殺者が氷上を渡る。
それを追う触手は同じ方向に向かって一纏となった。

その瞬間を狙って陸地の崖壁を蹴り、反転から放たれた足刀が触手を断ち切る。
そして跳び蹴りの勢いのままボートに向かって跳びながら魚影に向けて気弾を放つ。
空中から海中へすれ違いざまに三発撃ち込む。
だが、水中の敵に効果は如何ほどか。どうにも手応えが薄い。

身を捻りボートに着地する。
海面を見れば、先ほど断ち切ったはずの触手が海中でうねっていた。
どうやら触手は再生するようだ。

ならばと、続いて放たれた3発のミサイルを化勁で大きく軌道を変え魚影へとぶつける。
水中でミサイルが爆発し大きな三つの水柱が立った。
爆発の衝撃が伝わったのか、魚影が僅かに怯んだように離れていった。

だが、遊泳する速度に陰りは見えない。
爆雷や魚雷と違って本来水中で扱うようなものではないせいか、ダメージはそれほどなさそうである。

枝葉である触手やミサイルをいくら捌いた所で意味がない。
かと言って本体のいる海中に飛び込む訳にもいかない。

このサメがどの程度状況判断ができるのは分からないが、跳ね返されると分かった以上、普通であればミサイルは早々に撃たないだろう。
そして、触手だけではシャを仕留められない事もこれまでの攻防で理解できたはずだ。
ならば必然、本命は本体による噛み付きなる。
暗殺者が狙うはその瞬間、現れた本体へのカウンターである。

腰を据え暗殺者は機を伺う。
だが、サメの次にとった行動は意表を突くものだった。

海中より現れたのは触手。
そして8本のタコ足はシャではなくその足場となるボートに絡みついた。
シャはすぐさまその意図を察しボートに絡みついた触手を断ち切るが、一瞬では8本全てを断ち切るに至らず、サメの勝手を許した。
グンと急加速を始めたサメにボートが引かれる。
死を懸けたウェイクサーフィンの始まりである。

安全性など考慮するはずもない乱暴な牽引でボートを振り回すように蛇行する。
振り落とされれば、そこは海の王者の狩場である。
人間などすぐさま餌となるだろう。

強い慣性に引っ張られる。
何度も振り落とされそうになるが、腰を落とし船底に手をついて何とか踏み止まった。
何の安全ベルトもない状態でジェットコースターに乗っているようなものである。
ここまでくると三戦立ちだけではどうにもならない。

振り落とされないようにするのが精一杯だ。
サメとボートを繋ぐ触手を断ち切るまでの余裕はない。
何処かで手を打たねばいずれは放り出されてしまうだろう。

だが、ここで追撃の手を打ったのはサメの方だった。
牽引を続けるサメの背部から絶望を告げる発射音が鳴り響いた。
前方に向かって放たれた3発のミサイルがUターンして後方の獲物に向かう。

両手はバランスを取るために使われ塞がっている。
強烈なGに振り回されている状態では流石のシャでも対応のしようがない。
ならばと、シャはGに対する抵抗を止め、むしろその勢いを利用して放り出される前に自ら飛び出した。

遠心力により勢いよく打ち出された跳躍は一直線に火山エリアの岸壁に達する。
岸壁に叩きつけられそうになったところで、猫科動物のようなしなやかさで空中で体を反転した。
背を追うミサイルを撃退すべく先ほどまでの三角跳びのように壁を蹴りだそうとしたところで、その足が空を切った。

目測を誤ったのではない、足場となるはずの岸壁が消滅したのだ。
定時メールより2時間が経過した。
エリアの除外処理が実行され、火山エリアがまるごと消滅したのである。

「嘖嘖…………ッ!」

間の悪い処理に舌を打つ。
蹴りだす足場を失いシャの体が空中に放り出される。
そこに示し合わせたように水中からジェットで発射されたような勢いで風を纏ったサメが飛び出した。

避けようのない空中。
空中で無防備となった暗殺者に向けて、追いついた三つのミサイルと共に鋭利な牙を見せつける様に大口を開いたサメが迫る。

これに対して、シャは炎の気を飛ばし二つのミサイルを撃ち落とすと、残る一つを殴りつけるようにして弾いた。
爆炎が目の前で巻き起こる。

砂の気で盾を作り直撃は避けた。
だが、VRゴーグルを付けた人食い鮫その爆炎を食い破りながら襲い掛かっていた。

シャは空中で体を捻ると突き上げる様に廻り、自らを噛み砕かんとするサメの下顎を思い切り蹴り上げる。
突き刺すような蹴りに、巨大な魚体が更に空へと押し上げられた。

だが、咄嗟の抵抗もここまで。
宙に打ち上げられたサメから伸びた触手がシャの全身に絡みつく。
その体はサメと共に落下し、大きな波しぶきを立てながら一人と一匹は水中に沈んでいった。


巨大な落下物によって生み出された大量の気泡が揺らめく太陽に向かう。
風を纏ったサメはまるで落下する様に暗い深海に向かって泳ぎ始めた。
その道筋には竜巻の様な大渦が生み出されて行く。

下に下に、より深く。
闇に生きる暗殺者はより暗い海底に向かって引きずり込まれていた。
触手に引きづられながら大渦に巻き込まれる。

急速な水圧の変化により肺が圧縮される。
破裂するような激しい耳の痛みに、吐き気と目眩がした。

吐き出しそうになる酸素を飲み込み何とか耐えきった。
ここで息を吐き出せばそれこそ終わりだ。
潜水においてはどれだけ苦しかろうと酸素を吐いてはならない。

触手の拘束から抜け出さなければどうしようもない。
だが、全身を拘束する触手は引き剥がそうとしても、吸盤が吸い付き簡単には引き剥がせなかった。
ならばと、シャは引きずられながら体内で気を練り上げる。
本来ならば気を練り上げるには呼吸が重要となるが、このスキルであれば呼吸の出来ない海中でもそれが可能だ。

全身から一気に炎の気を放る。
触手は焼き切られ、拘束は解かれた暗殺者は海中に放り出される。
サメは止まれば死ぬような勢いでシャを置き去りにしながら暗い海へと消えて行った。

一片先すら見えないほど深い蒼の中に取り残される。
そこは光の届かぬ深海である。

ここから海面までどれほどの距離があるのだろう。
見上げれど、距離は測れなかった。

シャは素潜りなら10分は持つ。
だが、この仮の体ではどれほど持つかはわからない。。
それに潜水に当たって酸素も十分に取り込めたとは言えないだろう。
この水圧下で激しい運動をこなす事も考えれば持って3分と言ったところか。

その3分以内に、水の牢獄から逃れなければ待つのは死だ。
素直に上に泳いでいったところで確実に追いつかれて後ろから喰われるのがオチである。
ならばどうするか?

決まっている。
3分以内に逃げる?
待つのは死?

下らない。
そんな当たり前の思考に唾を吐く。

逃げるのではない。
この絶対不利な水中戦で、海の支配者を。

3分以内に『殺す』のだ。

シャは目を閉じ、指先で自らの腕を裂いた。
赤い血が暗い海中に溶ける様に流れてゆく。

自らの手元すら曖昧な深海で視力は無意味だ。
敵を探し当てることも、探し当てた敵に追いつくことも無理だろう。

ならば、血の匂いを撒き餌にして標的を誘い出す。
敵を発見できないのなら敵に発見してもらうまでである。

30秒経過。
命の刻限が迫る中、精神を乱さず深海で静止して敵の出方を待つ。
シャの感覚が暗い海の先から迫る敵の気配を捉えた。

VRシャークは身に纏った風によって爆発的に加速力を得ている。
だが、それ故に大きな水の揺らぎを引き起こす。
これにより視覚ではなく感覚で動きを捉えられる。

だが、動きを取られられることと動きに反応できることはまた別の話である。
遊泳系スキルを持っていれば別なのだろうが、如何にシャが超人的な身体能力を持っていようとも人と魚では遊泳能力には天地の差がある。
この水中で風に乗って加速するシャークタイフーンにまともに対応などできようはずがない。

海中に浮かぶことしかできない人間に向かって、海の殺し屋が大口を開けて一直線に迫る。
だが、喰らいつかんとするその瞬間、サメの速度がガクンと減速した。

シャはただ何もせず敵の到来を待っていたわけではない。
静かに両手から放った砂の気を自らの周囲に網のようにバラまいていた。

砂の網に突撃したその速度が早ければ早いほど、気の混じった砂粒に鮫肌を削られる。
そして砂の混じった重い水は突撃の速度を鈍らせ、触手の動きを制する牽制となる。

一瞬の怯み。
その隙を逃さずシャはタッチターンのように水中で縦回転する。
回転の勢いを乗せた踵がロレンチーニ器官を持つ鼻先に叩きつけられた。

だが、打撃の威力は水の抵抗により減衰する。
加えて、地面の存在しない水中では、踏ん張りや踏み込みが効かず打撃その物の威力も物足りない。
これでは固い鮫肌の鎧には届かない。

鼻先に足裏を叩きつけ動きを止めるシャに、砂を振り払った触手が一斉に襲い掛かる。
サメの頭部を蹴り出してそこから逃れて距離を取った。

ただの打撃ではダメだ。
壊すなら内側、気を叩き込むしかない。
だが、地上ならまだしもこの身動きの制限される水中で十分に気を叩き込むのは難しい。
特に触手が邪魔である。

1分経過。
獲物を逃したサメは深追いはせず離れて行き、またしても互いの距離が離れた。
仮に何かの気まぐれでサメが獲物に興味を失ってこのまま去ってしまえば、シャは海中で一人マヌケに死んでゆくだろう。
音のない暗闇の中で、敵を信じて来るのを待つしかない。

水中で心を凪にして水の揺らぎを鋭敏に感じ取る。
揺らぎは背後から、シャは水を掻き反転すると、振り向きざま腕に溜めていた雪の気を放出した。
一帯を凍り付かせる程の冷気が周辺の海を巻き込みながら襲撃者を凍結させる。

その手応えに、返るのは違和感。
確かに何かを凍結させたが、手応えが余りにも軽い。

シャはサメの纏う風によって生み出された波の流れを元に敵の位置を掴んでいる。
その方法を逆手に取られた。

凍り付いたのはサメの本体ではなく一本の触手であった。
チョウチンアンコウのように伸ばした一本の触手に風を纏わせ囮としたのである。
加えて風を纏った触手は砂を払う効果があった。
とても魚類とは思えぬ知能の戦術。

切り開かれた水の道筋を人間には避けようがない速度で人食い鮫が奔る。
そして胴の中心に目掛けて深海に輝く白い牙がギロチンのように降ろされた。

だが、胴を食い破らんとするその牙が直前で逸れた。

水流を変えられるのはサメだけではない。
炎と雪。両手から放つ二つの気による寒暖差によって水のうねりを生み出したのだ。
乱れた水流に巻き込んで胴の中心から狙いを逸らした。

空ぶった突撃の勢い余って、サメの体はシャの脇をそのまま通り過ぎ去ろうとしていた。
だが、そうはさせじとサメの体が捻られる。
無理矢理に体を折り曲げ、それこそ竜巻のように回転した。

恐るべき狩猟本能。
人食い鮫の鋭い牙がシャの右腕へと噛み付いた。

遂に獲物を捕らえた。
VRシャークは腕を咥えたまま頭部を振り回すように鋭い回転を始める。
強靭なサメの咬筋力によるデスロール、か細い人間の腕など一瞬で噛み千切るだろう。

だが、回転を始めようとしたその体は静止していた。
動かないのではなく動けない。
海の王者が、たった一本の腕を噛み切れずにいた。

専用装備『暗殺者の義手』。
その右手は特別性だった。
元より容易く壊れる代物ではなく、気を通したその腕は鋼鉄よりも固いだろう。
如何にサメの咬筋力をしても、そう簡単に噛み切れるものではない。

果たして、獲物を捕らえたのはどちらだったのか。

所詮は食欲しかない獣。
食べるために殺す野生の本能如きが、殺すために殺す殺し屋の理性に勝てるはずがない。

閉じていた暗殺者の目が見開かれる。
噛み付かれたままの腕に引き金を引くようにして気を籠め、最大火力の炎の気をサメの口内で爆発させた。
深海に赤い炎が灯る。

固く噛み締めていたサメの口がだらりと開かれ、赤い軌跡を描きながら熱された義手が引き抜かれる。
力なく大口を開きっぱなしにしたサメの死体がゆっくりと浮かび上がってゆく。

既に2分は経過している。
血中の酸素濃度が低下し始めたのか手足に痺れを感じる。
脳の酸素欠乏により意識が僅かに霞みはじめた。

浮上までの時間を加味すれば余裕は殆どないだろう。
浮かんでゆく死体を横目に追い抜くようにして、暗殺者が暗い深海から光に向かって泳ぎだした。

しかし、それは致命的な見落としだった。
こんな極限状況でなければ、この稀代の暗殺者が残心を忘れる事もなかっただろう。

この世界では死亡した死体は消滅する。
その法則を誰よりも殺してきた暗殺者が知らないはずもない。
それが残っているという事は、何を意味するのか。

上に向かって登り始めたシャの真下から竜巻が昇った。
人間の泳ぎなど無意味だというように、その体はあっと言う間にその渦潮に吸い込まれる。
その渦の下には焼け焦げた口を大きく開けたサメの姿があった。

渦に呑まれる。
逃れようもなく、暗殺者は巨大ザメに全身を呑み込まれた。


勝者は敗者を己が糧とする。
肉を潰し、身を磨り潰し、骨を砕き、血を飲み干す。
弱肉強食という野性の掟に従いサメが口内の獲物を咀嚼する。

いや、咀嚼しようとした。
どういう訳か、歯と歯が噛み締める事ができなかった。
むしろ徐々にその口が開いてゆく。
押し上げられた口内から現れたのは暗殺者シャである。

サメの口内でシャがジャッキアップのように上顎と下顎を押し広げていた。
自らを押しつぶさんとする圧力に筋力だけで対抗している。

だが、その顔色は深海と見紛う程の蒼に染まっていた。
食いしばった口端から酸素が漏れる。
力むという行為はそれだけで酸素を消費する。

口内で抵抗を続ける異物を排さんと、サメの尾から触手が伸びる。
伸びてきた触手はその首を絞め上げ引き剥がさんとその首を引いた。

だが、シャは口元の触手など気にせず、顎を持ち上げることに注力する。
保身よりも殺すことを迷わず選ぶ殺戮機構。
首絞めなど知った事か。
どうせ既に酸欠だ。

大量の海水を飲み込む。
肺にすら水が溜まってゆくようだ。

既に想定した限界3分は超過している。
目や鼻に耳、穴と言う穴から噴き出した血が暗い深海の水を赤く滲ませる。
臨死に踏み込みながら、触手に噛み付くその口元は壮絶な笑みが浮かんでいた。

シャも限界を超えているが、炎の気を喰らったVRシャークのダメージも甚大である。
噛み潰さんとする方も噛み潰されんとする方も互いに極限。
どちらが先に音を上げるかの我慢比べである。

だが、シャの膝からガクと力が抜けた。
意識が白む。
もはや自分がどこに居るのか、何をしているのかすらよく分からなくなってきた。

ここは海中。
水深100mに達しようかと言う深海である。
光届かぬ魚の世界。先に限界を迎えるのは人間の方である。

本能で勝機を察したVRシャークが、顎に力を籠める。
獲物をすり潰すトラバサミが閉じられてようとした、瞬間。

唐突にふっとサメの咬筋力が弱まった。

その一瞬の隙を見逃さず、シャは最後の力を振り絞る。
抑え込まれた力を爆発させる様に膝と肘を伸ばしきった。
無理矢理に広げられたサメの口が、端から裂けた。
サメの流す大量の血が海に流れる。

だが、殺戮の本能はそれだけでは止まらない。
シャは上歯茎に指を喰いこませると、舌を踏みしめ背負い投げの様に思い切り振り回した。
口端からの亀裂は稲妻の様に広がって行き、胴体まで達する。

「―――――――――――――!!!!!」

深海での咆哮。
腕が振り抜かれ、サメの体が真っ二つに千切られた。

二つにおろされたサメの体がノイズのように乱れて消える。
光の粒子となって消えていったこれまでとは違う残滓だ。
それはVRシャークが魂を持たない特別な存在である事の証左だったが。
全ての力を振り絞り限界は超えたシャに、その違いを考察する余裕はなかった。


「……ぷはっ!! …………ゲホッ……ゲホッ…………!!」

海水を吐き出しながらボートの縁を掴んで上がる。
ボートの上に転がって、空を見ながら荒い息を繰り返す。
酸素のありがたみが身に染みる。
流石のシャもすぐに立ち上がることが出来なかった。

ある程度の中りをつけてはいたが、余裕のない状況でちゃんとボートの近くに浮上できたのは幸運だった。
その手に後生大事に握られているのは、くしゃくしゃのスナック菓子の袋だった。
それは支給品の一つである『お菓子詰め合わせ』に含まれる一つである。
水圧で潰れてしまっていたがスナック菓子の袋には一呼吸分の酸素が詰まっていた。
加圧された圧縮空気を吸うのは危険な行為だが背に腹は代えられない。
それが無ければ、窒息死していただろう。

ボートの上で胃に詰まった塩辛い水を吐く。
潜水からの急浮上によって減圧症が引きおこったが、全身に気を巡らせスキル効果により回復を促す。
便利なモノだが、回復には時間を要するだろう。
すぐには動けそうにない。

もっとも海の王者を排した以上、海は安全地帯だ。
あたり一面に見えるのは輝く青い海と水平線だけである。
水平線が見えるのは世界が球体であるが故か、それともシステム的な世界の端か。
ともかく、このまま回復するまで船上で待機していても問題はないだろう。

船で揺蕩いながら先ほどまでの極限の死闘に思いを馳せる。
深海での水中戦などそうそう味わえるモノではない。
楽しかった。
心からそう思う。

とは言え、ただ寝ているのも手持ち無沙汰である。
シャは意志だけで操作可能なメニュー画面を開くと、何とはなしにステータスを確認する。
そこで違和感に気づいた。

水の支配者であるサメを倒したことによりシャは全ての支配権を得た。
そのはずだった。

確かにGPは増えている。
だが、それ以外の変化がない。
水の塔の支配権が獲得できていない。

シャは地図を開き、水の塔の支配者の名を確認する。
確かにその名前は更新されていた。
勿論シャの名前ではない。
そこにあった名は。

『大和正義』


諸島エリアの島々を臨む、水の塔の頂上。
そこに大和正義は立っていた。

触れていたオーブから手を放す。
水の塔の支配権を書き換えは完了した。

支配権はオーブに依る書き換えが最優先される。
これにより水の塔の支配権は前支配者であるVRシャークから正義に移った。

確かめるように自身の手を握りしめる。
体感としては変化は実感できないが、確かに地図上の表示は自分の名に書き換わっている。
支配権の書き換えは問題なく完了したようだ。

これで必要な手筈は整った。
わざわざ水の塔に上ったのはこの支配権を得るためである。

このゲーム内において、支配権の獲得による恩恵は多岐にわたる。
属性による強化や一定毎の区切りによるボーナスGP。
加えて開示されたゲームヒントによればゲームクリア条件の一つであるという。

だが、正義気がこの水の支配権を得た目的はそのどれでもない。
無論これらの恩恵も無視はしていないが、主目的はまた別である。

水の塔の支配権を得たことにより、正義は全エリア支配にリーチをかけたあの殺し屋が必ず通るべき道となった。
つまり自らを餌とするための狙いがこの水の塔の支配によって叶えられたのだ。

最後の一押しとして、一通のメールを送る。
宛先は他でもない。暗殺者シャに向けてである。

炎の塔でロレちゃんにシャが攻撃を仕掛けた際、正義はその腕を掴んだ。
意図したものではないが、あの時に5秒以上の接触という要件は満たされていた。

正義がシャに送るメールの内容など一つだけだ。

勝利者が全てを得る。
決闘へのお誘いだ。

[F-8/水の塔頂上/1日目・午後]
[大和 正義]
[パラメータ]:STR:C VIT:C AGI:B DEX:B LUK:E
[ステータス]:全身にダメージ(大)
[アイテム]:アンプルセット(VITUP×1、LUKUP×1、ALLUP×1)、薬セット(万能薬×1)、万能スーツ(E)、無銘(E)
火炎放射器(燃料75%)
[GP]:203pt→193pt(メールの送信-10pt)
[プロセス]
基本行動方針:正義を貫く
1.暗殺者との決着
2.『New World』を攻略する


シャが確認した水の塔の支配者の名は自分の名ではなく大和正義の名だった。
その名を一目見た瞬間、シャは全てを理解した。

VRシャークとの最後の攻防。
シャを噛み砕かんとするあの一瞬。
VRシャークの動きが鈍ったのは水の塔の支配権を失ったからだろう。

支配権を書き換えたのが誰であるかなど考えるまでもない。
この地図上に示されている通り『大和正義』である。
つまりは、シャは正義に間接的に命を救われた事になる。

奥歯を噛み締める。
命を救われた事に感謝などない。
むしろ真逆、シャにとって耐えがたい程の屈辱である。

勝負を汚され命懸けで得た美酒に泥が混じった。
せっかくの気分が台無しだ。
殺しても殺したりない程の殺意が燃え上がる。

そこにメールが届いていた。
送り主はシャが殺意を向ける張本人。
その内容は実に簡潔なモノだった。



[Subject] 果たし状
[To] シャ
[From] 大和 正義
[Body] 決着をつけよう。E-8エリアの教会前で待つ。



たった1行の本文に「くっ」と喉を鳴らす。
減圧症に苦し気だった口元が思わず歪む。

シャはこの挑戦を受けざるを得ない。
挑戦から逃げれば、それはペナルティに値する。
他ならぬシャが敷いた逃亡禁止ルールによって。

そんなものは無くとも逃げるつもりなど無いが。
どこまでが逃亡の範囲に入るのは不明であるため挑戦をされてしまった以上、それを受ける以外の寄り道も許されない。
見事な一手だ。
追加ルールを利用された。

シャはメニューを閉じる。
船の上に寝ころんだまま波に揺蕩う。
今すぐにでも決闘場に向かいたいが今は回復を待つのが優先である。

己の中で芳醇な殺意を煮詰め、その殺意が解放される瞬間を夢見ながら。
暗殺者は緩やかな波に揺られた。

[VRシャーク GAME OVER]

[F-3/海上/1日目・午後]
[シャ]
[パラメータ]:STR:B VIT:C AGI:B DEX:B LUK:C
[ステータス]:右手喪失、減圧症(回復中)
[称号]:【豪傑】
[アイテム]:暗殺者の義手(E)、不明支給品×4
[GP]:100pt→130pt(勇者殺害+30pt)
[プロセス]
基本行動方針:ゲームを楽しむ
1.ヤマトマサヨシの挑戦を受け右腕の借りを返す

【お菓子詰め合わせ】
美味しいお菓子の詰め合わせ。
殺し合いのモチベーションアップに。


■プロジェクトS■ 結果報告書(極秘)

捕食型自己学習AI(通称:VRシャーク)を秘密裏にプロジェクトVに忍び込ませる事とした。
それにあたって、プロジェクトVの舞台となるVRゲーム『New World』に先行してVRシャークを潜入させた。

しかし開始早々、想定外のアクシデントが発生する。
侵入に際して『New World』の不正検知プログラムに発見されペナルティを負わされる事となった。
このペナルティの解除にリソースを取られ序盤は検証に大きく支障が出ることとなる。

ステータス的にも大幅に制限が掛かり、目的を果たす前に脱落する危険性があった。
しかし捕食対象の油断を誘うべく与えた最低限の言語機能が功を奏したのか庇護をうけることができた。
数時間のロスとなったがVRシャークの自己修復処理によりペナルティを解除することに成功する。

無事に検証を再開できた数時間後、被験者Iの捕食に成功。
ステータスの変化を細かに観測する。
変化値を比較し差分を抽出すれば、それが魂の値である。

だが、ステータスに劇的な変化は観測できなかった。
多少の変動はあったがそれは大規模データを捕食した際と同程度の物である。
特別な変動値は観測できなかった。

データに魂の学習は不可能である。
そう結論付けざるを得ない結果となった。

これ以上の発展は見込めそうにない。
残念ながら学習型AIに依るアプローチは永久凍結とし、本プロジェクトは別アプローチを模索する事とする。

  以上。

                  プロジェクトS 統括責任者
                     ■■■■・■■■■


079.Sister War 投下順で読む 081.リベンジマッチ
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Prayer VRシャーク GAME OVER
暗殺者は海を征く シャ 白に至る
昼の流星に願いを 大和 正義

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最終更新:2022年05月04日 20:45