『…………ああ、意識が薄れてきた……どうやら私は適応できなかったようだ。
これを聞いている誰か……勝手な願いであることはわかっているが…………最悪な結末を迎える前に……どうか事態を解決してほしい……。
それだけが……私の望み……だ――――ガガガッ――ジジッ―――ガッ』
誰とも知れない人物の声が途切れる。
じっと、微動だにすることなくその言葉を聞き届けた老人――八柳藤次郎は瞑目した。
数時間前に発生した大地震の衝撃も冷めやらぬ深夜。
テレビ、電話といった通信手段は沈黙し、市外からの救助も未だない。
陸の孤島と化した山折村の、古民家群にある屋敷の一室、同上の中央に藤次郎は座している。
明かりも点けていない道場は寒々とした静謐な空気に満ちている。
だが、先ほどからずっと、戸口を叩き続ける音がある。
ドン、ドン。ガリ、ガリ。
戸口はただの引き戸だ。田舎の屋敷ゆえ鍵などもない原始的な戸は、しかし滑ることなく外側から殴打され続けている。
そこにいる者達は、戸を空ける程度の知能すらもう持ち合わせていない。
呻き声を上げ、生きた肉の匂いに惹きつけられ彷徨う。それはまさしく輪廻転生から外れた亡者であろう。
その亡者たちの名を知っている。
人生の大半を連れ添ってきた妻。家族同然の付き合いをしてきた隣人たち。
彼らはいまや、放送で告げられたところによると正気を失った怪物――ゾンビ、というモノに成り果ててしまった。
伝えられた内容は荒唐無稽で、普段の藤次郎ならば一笑に付したであろう。
だが藤次郎は既に見てしまった。
数分前まで言葉を交わしていた妻が、急に苦しみだし、呻きだし、そして屋敷に避難してきていた隣人たちに襲いかかった瞬間を。
隣人の首に食らいつき、肉を食い千切る。目前の出来事に理解が遅れた藤次郎は止める間もない。
妻だけでなく、他にも数名の隣人が「そうなった」。
彼らの矛先が――否、牙が、ただ一人「そうならなかった」藤次郎に向いた瞬間、長い人生の中であまり経験のないことであるが、藤次郎は逃げを打った。
そして逃げ込んだ道場で、先の放送を聞いた。
八柳藤次郎は剣客である。少なくとも自分で自分をそう認識している。
年老い、村に腰を落ち着けた今もなお、剣を手放すことはない。
孫を始めとする村の若者に剣を手ほどきし、不審者の報があれば見回りをし、村のために何かできることをと常に考えている。
地震発生直後、さして歳の変わらぬ老いた隣人たちが藤次郎の屋敷に避難してきたのも、非常時における藤次郎の頼もしさを知っているからだ。
救助が来るまで下手に動くべきではないと、屋敷に留まり事態の変化を見守っていたところ、惨劇は始まった。
自分はどうやらウイルスに適応したらしい。妻らのように正気を失うような自覚症状もなく、体は想像通りに動く。
ウイルスは空気感染するということだが、適応するかどうかは個人差があるということ。妻には適応しなかった。
幸か不幸か、帰省中の孫、八柳哉太は今この屋敷にはいない。地震発生直後、藤次郎が止めるのも訊かず飛び出していったからだ。
哉太は正義感の強い子だ。今は都内に移り住んでいるが、村に知り合いがいないわけでもない。
友人が怪我しているのならば助けねば、と思ったのだろう。祖父としては、その心意気や良しと言ってやりたいところ。
だがこの状況では。助けようとした村民に襲われているか、あるいは哉太本人も「そうなって」しまっているか。
仮に哉太も「そうなって」しまっていたとしても、女王感染者とやらを消滅させれば快復する。放送を信じるならば。
声の主は女王感染者を狩れと言った。それこそがこの地獄から抜け出すただ一つの方法だと。
時間制限があるとも言っていた。48時間以内に女王感染者を排除できなかった場合、この村の全てが焼き払われると。
感染を村外に広めないための強行手段であろう。であればそこには一切の容赦はないはずだ。
それこそ空爆のような抗えない手段で以って、確実に村は消滅することになるだろう。
「……征くか」
藤次郎は座禅を解き立ち上がると、道場の奥の神棚へと歩み寄った。
そこには刀があった。藤次郎が若かりし頃、常に共にあった半身。
同村の剣術家である
浅葱 樹翁が若輩時代、ヤクザの剣客として刀を振るってきたように、藤次郎にもまたそういう時代があった。
藤次郎が剣を学んでいた頃は、折りしも日本は敗戦から立ち直ろうとしている時代。鉄火場の種は道を歩けば大安売りだった。
さらに強く、さらに鋭くと、敵を求めて村を飛び出し幾星霜。
あるときは街の剣術道場に一手御指南と喧嘩を売る勢いで、あるときはヤクザに脅かされる罪なき者の盾となり。
その旅の中で手にした刀は無骨極まる鉄の牙。銘なく、飾りなく、ただただ頑健な鋼だけがある。
売りつけてきた闇市の商人曰く、戦国時代から戦場を渡り歩いてきた妖刀。
実際に妖刀かはともかく、戦国時代から振るわれ続けてきたという触れ込みだけは真であったようで、ずっしりと重い刀身からは今なお薄く血が香るほど。
切れ味など二の次、刀はとにかく折れず曲がらずが一番だという刀匠の声が聞こえるかのように、その硬度ときたら折り紙つきだ。
藤次郎の手に渡ってからも何度か血を吸ったこの刀は、村に戻ってきた今では不要のものと厳重に封を施し、されど人を斬ったことを忘れてはならぬと奉ったもの。
その刀を腰に差し、藤次郎は道場の引き戸を開け放った。
途端、殺到してくる感染者たち。その先頭にいるのは変わり果てた妻だ。
藤次郎はスゥ、と軽く息を吸い、腰を落とし、そして一閃。
なまくらと言って差し支えない打刀は、飛燕よりも疾く駆け、肉を骨を断ち切った。
妻の、妻だったモノの頚が遠く飛んでいく。その様を見届けることなく、藤次郎は刃を二度三度と奔らせた。
時間にして三秒。五人もの人間の頚が宙に舞うには十分な時間だった。
妻の頚が血に落ちるよりも疾く、血振るいを済ませた刀が鞘に収められる。
チン、と微かな納刀の音が、殺戮の終わりを告げた。
放送を聞いた藤次郎の動揺は漣のように行き過ぎ、残ったのは冷えた決意だけだった。
来るべき時が来た。ゆえに動く。
哀切も、慟哭も、大願の前には何するものぞ。藤次郎の手を寸毫も緩めさせはしなかった。
刀を手にした瞬間から意識が冴え渡っている。心なしか体も軽い。今なら獅子の群れであろうと瞬きの間に斬り捨てられよう。そう感じる。
妻に、斬り捨てた者たちに一瞥もくれることなく、藤次郎は道場を出る。
賽は投げられた。河を越えた。もう戻れはしない。
悔いる言葉、冥福の祈りなど意味がない。これから藤次郎は村にいる全ての者を斬りに行くのだ。
許されはしないし、許されてはいけないし、許されたいとも思わない。
女王感染者が誰なのか。それも意味がない。誰が女王であろうと斬るし、またそれで感染が収束したとしても関係ない。
藤次郎は以前より村を滅ぼしたいと思っていた。
言うなればこれは機会だ。長年の悲願を果たす、おそらくは最初で最後の機会。
藤次郎が村を滅ぼすか、あるいは空爆が村を焼き尽くすか。どちらであっても藤次郎は構わない。
元より自分だけ生き残ろうなどとも思っていない。滅ぼすべき村とは、藤次郎も当然に含まれている。
だが無駄死する気はない。志半ばで果て、村の存続を許してはならない。死ぬのであれば積み上げた屍の上で、最後の一人になってからだ。
村の歪み。
それはいつからか村に巣食い出したヤクザどもであり、現村長が招き入れた外部の研究所であり、そして長年藤次郎と暗闘を続けてきた前村長だ。
これら全てを排除するべく藤次郎も長年動いてはきたが、何一つ功を奏したことはない。
このまま老い、朽ちていくだけなのかと半ば絶望しかかっていた藤次郎の前に降って湧いたこの地獄は、藤次郎にとっては福音だった。
村を滅ぼす。これを為すには今しかない。
何としても、誰であっても斬って捨てる。
ソンビには快復の可能性がある? ふざけるな、斬る。頚を落とせば快復も何もなかろう。
村人であっても、移住者であっても、友であっても、幼子であっても、男でも女でも例外はない。
今、山折村に存在するすべての命を否定する。
例外はない。半生を共に生きた妻であっても。剣を教えた弟子であっても。正道を生きる、最愛の孫であっても。
これは最高にして最後の機会。だが最悪のタイミングでもあった。
村外に出していた孫が、哉太が帰省してきているからだ。
哉太だけは関わらせたくなかった。腐敗と悪徳が潜むこの村の中で唯一、まっさらで穢れなき魂。
目に入れても痛くはない。背が伸び藤次郎自身より大きく成長した今となっても、偽りなくそう思っている。
だが、それでもだ。
村人を一人残らず斬り殺すと決めたのに、己の孫だけは見逃すなどという道理が通るものか。
例外はない。孫も、そして自らも、この閉じた村の中で諸共に果てるのみ。
全て斬り殺し、静寂となった村に何の意味がある? 未来なく、ただ朽ちゆくだけの廃墟に。
それが望みだ。藤次郎は何かを正したいわけではない。
全てが無となる世界。山折村はもはや在るだけで罪深いのだ。
村人の大半に責任はない。それを負うべきは老人たちだ。
藤次郎や前村長といった古き者。歪みを生み出し、歪みから利益を得て、歪みを正さず見逃してきた者たち。
だが「山折村の住人である」というだけで、生まれる前から烙印は刻まれているのだ。何をどうしたところで切り離せるものではない。
故に、終わらせる。一切を零に戻す。
その果てに藤次郎が残ったのならば、もう思い残すこともなし。腹を切る。それで終わりだ。
命はとうに捨てている。ならば罪の意識に苛まれることも、刀が鈍ることもない。
この手で妻を斬った瞬間すらも、藤次郎の心は微塵も揺らぎはしなかった。ああ、やはり己は斬れてしまうのだ、と、そう感じたくらいだ。
妻は天国に行くだろう。良き妻であり、良き母であった。
己は地獄の、それも最下層に落ち、永遠に裁かれ続けるだろう。望むところ。
生まれ変わってもまた、などと言うつもりはない。もし次世があるならば、妻には己のような外道と関わることなく平穏に生きてほしい。
今より為すのは正義ではない。紛れもなく邪悪。
罪人を救済する、などと思い上がった考えもない。行うのはただの大量殺人だ。藤次郎は望んで異常殺戮者となる。
当然、誰も藤次郎の行いを認めはしないだろう。敵対は必然だ。
刀を手にした時より感じる心身と感覚の異常な冴えの正体を、藤次郎はこれまた第六感ともいうべき強烈な直感によって理解していた。
なまくら刀にもかかわらず容易く人の頚を落とせたのは、ひとえに藤次郎の技量の賜物――というだけではない。
常よりも疾く、力強く、しなやかに。藤次郎の剣は別次元に鋭くなっている。
修練の末に手にしたものではない、しかしまるで新たに第三の腕が生えてきたかのような、己の思い通りに操れるという確信がある。
これがウイルスによる脳神経の変異作用というものであるならば、当然恩恵は藤次郎だけに与えられたものではないだろう。
幼子でも老人でも関係なく、正気を保っている者ならば藤次郎と同等以上の「何か」を得ているはず。
況んやそれが銃持つ警官やヤクザども、あるいは剣を教えた弟子たちであるならば、危険性は跳ね上がる。
藤次郎がこの村で教えてきた剣は活人剣だ。平和な世にあってはスポーツの側面も持つモノ。
藤次郎が求道の中で振るってきた剣は殺人剣。平和な世には似つかわしくないモノ。
刀を手にし、幾人も斬り捨ててきたからこそ、若い者たちにはそうなってほしくないと、人を斬る裏の業は決して教えなかった。
教えたのは表の技。剣道と名を変えた剣の技を、光当たる道を行く者にふさわしき正しい剣を。
刀とともに殺人剣は封印していた。だが、その戒めを解く時が来たのだ。
殺人剣ならぬ活人剣を教えた弟子たちは、裏の業を知らぬというだけで人を斬れぬ訳ではない。剣士としては一流なのだから手強いのは当たり前。
かつて藤次郎に教えを受け、そして出奔した沙門天二などはまさに裏にどっぷり浸かっている身だ。思いつく限り最大の難敵であろう。
だからこそ、油断はない。誰であろうとただ斬るのみ。
明かりなき道を進む藤次郎の前に、何人もの――何体ものゾンビが立ち塞がる。
顔も名前も知っている。今朝も挨拶したばかりの、三軒隣に住む一家だ。
藤次郎は一切足を止めることなく、音もなく抜いた刀を納刀した。背後で崩れ落ちる音。
感覚は事象の一歩先を行き、目の前に迫る者がどう動くかが手に取るようにわかる。繰り出す刃は一切の力みなく、豆腐がごとく頚を断つ。
生存者は斬る。ゾンビも斬る。快復の可能性など残さない。
散歩するように無造作に、藤次郎はゾンビの頚を刎ねながら進む。
まずは何をする、という指針は特にない。出会った者全てを斬るのだから順番はどうでも良い。
我が道は修羅道、後退はなし。歩み続け、倒れ伏すまで、刀とともに在る。
と。
少しだけ、藤次郎は思い直した。
村人は皆殺しにする。その決意に翳りはない。
だが一つだけ。万に一つも一つだけ、「そうなった」ならば「それも良い」と、思うことがあった。
それは、孫の哉太が幼き日に語った夢。
――じいちゃん、おれ、大きくなったらヒーローになるんだ!
――悪いやつをやっつけて、みんなを守る正義のヒーローに!
目を輝かせ夢を描く哉太に、藤次郎はこう返した。
――なれるぞ。哉太が誰かを守りたい、その気持ちをずっと忘れないでいられるならな。
もし哉太が、あの日の志を忘れず、悪と為り果てた藤次郎の前に現れたならば。
藤次郎を「悪」だと断じ、「正義」を貫くと吠えるのならば。
ヒーローである、その揺るがぬ覚悟があるのなら。
そのときは、「正義に倒される悪」になるのも、悪くはない。
藤次郎は微かに笑い、迫り来る亡者の群れに斬り込んでいった。
【E-8/古民家群/一日目 深夜】
【八柳藤次郎】
[状態]:健康
[道具]:藤次郎の刀
[方針]
基本.:山折村にいる全ての者を殺す。生存者を斬り、ゾンビも斬る。自分も斬る。
1:出会った者を斬る。
※藤次郎の刀
八柳道場に奉られていた銘のない刀。名刀ではなく、切れ味も悪く鈍器に近いが、とにかく頑丈。
戦場では鋭いだけの刀など血脂ですぐダメになる。ならば端から切れ味など捨て、硬い棒で殴り殺せば良いという、実用一辺倒の刀。
最終更新:2023年01月18日 00:22