(これは……当てが外れましたか?)

高校に着いた嵐山が見たものは、校舎内外に蠢くゾンビの群れだった。
学校には多数の避難者が集まる、という見立ては間違っていなかったのだが、
肝心の生存者がいる気配が全くない。
悲鳴や助けを求める声の一つでも聞こえればよいのだが、
耳に届くのはゾンビの呻き声だけだ。

(少なくとも、校舎の外に生存者がいる可能性はかなり低い、ですね。
 屋内なら、どこかに隠れてやり過ごせているかもしれませんが……)

この暗い中、たった一人でゾンビの巣窟と化した校舎に突入するのは躊躇わざるを得ない。
ゾンビと鉢合わせするのは免れないし、
いずれ発砲せざるを得ない状況に追い込まれるだろう。

あの放送は、『ゾンビとなった者も適切な処置を受ければ元に戻る』と言っていた。
それが真実だと素直に信じることはできないが、回復の可能性が示されている以上、
無闇にゾンビを殺すわけにはいかない。少なくとも、今はまだ。


ひとまず、明るくなるまで学校の近くに身を潜めることとした。
学校のどこかに隠れている者がいても、日も出ていない今は動けないかもしれない。
それに、学校の現状を知らない避難者がこちらに向かってくる可能性もある。

目と耳を学校に向け、変化の兆候を見逃さないようにしたまま、
ひたすら、待つ。
さらにこの時間を利用し、頭の中でこのバイオハザードの解決策の検討を進める。

『女王は周囲のウイルスを活性化させ増殖を促す』
『女王を消滅させれば、自然と全てのウイルスは沈静化して死滅する』
『バイオハザード発生から48時間以内に事態の解決が見られない場合、この村の全てが焼き払われる』
自分の生物学の知識と、あの放送の内容から、一つ一つピースを組み立ててゆく。

すると、ゾンビ化したカラスが、高校の屋上からよたよたと飛んで行くのが見えた。
(ふむ、鳥や動物も感染する、と)
これも一つの情報として、検討に加える。

やがて、一つの仮説がまとまったころ、

(ん…?)

小中学校のあたりから、足音が聞こえた。
誰かがこちらに走ってきている。明らかにゾンビのそれではない。
だが、肝心の走っている人間の気配がしない。
幽霊のように、足音だけがこちらに近づいてくる。

(なんだ…?)

嵐山は立ち上がり、目を凝らした。

(女の人…?)

小柄な女性が、小中学校から小走りでこちらに向かってくる。
服装からして、村の人ではなさそうだ。観光客だろうか。
このまま道なりに商店街や放送室の方に向かおうとしているようだ。
自分の存在には気付いていないらしい。

このままではあっという間に通り過ぎ去ってしまう。
彼女がどんな人間か分からないこと、また先ほどの奇妙な感覚というリスクはあるが、
初めて出会った生存者だ。どんなことでも情報が欲しい。
嵐山は、彼女と接触することに決めた。

「ちょっと! ちょっと待ってください!!」
そう叫びながら、嵐山は道に飛び出した。


(なんつーかもう、疲れた……)

古民家群を抜け、小中学校に辿り着いた小田巻真理は、
半分死んだ眼をしながらこれまでの紆余曲折を思い返していた。

自分に火傷を負わせたボブカットの少女から一時退避した後。
最初に女王感染者候補を仕留める為の武器を探したが、
結局のところ、銃はおろかナイフや包丁の一本すら見つからずじまいだった。

あの少女は途中まで自分を追ってきたようだったが、諦めたのか、全く気配を感じない。
これ以上無駄な時間を使うことはできない。
彼女が自分を危険人物だと触れ回る前に、仕留めねば。
武器に関しては、エレガントさの欠片もないが、
その辺の石かレンガでも使うしかねえと観念し、彼女を追跡することに決めた。

さて、彼女はどこに行ったのか。眼に入ったのは、北にある学校だ。
(そうか、避難所がある学校で注意喚起してるんじゃ!?)
鋭いぞ私、と自賛しながら学校に向けて走り出した。


そこからが小田巻真理の一大スペクタクルアドベンチャーの始まりだった。

最初に立ち塞がったのは、倒れた電柱に潰された軽トラから漏れ出したガソリンの海。
おっかなびっくり迂回していると背後からゾンビの群れがこんにちわ。
ダッシュで逃げるも、今度は盛大にガス漏れを起こしている倒壊家屋が行く手を阻む。
頭を抱えて道を変えようとすると、そちらでは破損した消火栓から水がどぼどぼ流れ出る中に
地震で切れて垂れ下がった電線の端が突っ込んで漏電地獄が出来上がっていて、
一縷の望みを託して小さな脇道に飛び込むも、
そこではゾンビ化したブルドッグ一家との挟み撃ちエンカウントがお待ち受け……

そんなてんやわんやの末、小中学校の裏手に辿り着いた頃には
時間は既に3時を回っていた。

そう言えば気になることがあった。
自分からゾンビの視界に入ってしまった場合を除き、
ゾンビ側から目を付けられることが殆ど無かった気がする。
気付かれないよう足音を立てない歩き方をしていたし、
時には車や塀の影に身を隠してもいたが、
住宅街にいたゾンビの数からすれば、何回か襲撃されていてもおかしくはなかった。
唯一、ゾンビブルドッグ一家にだけは、
服に染み付いたラーメンの甘美な香りに誘われたのか、
かなり長い間追い回されたが。

今のところは、SSOG仕込みの隠遁術が効いたのだろうと、自分を納得させた。
それも一面の事実ではある。
だが実際のところは、身を隠そうと意識するうちに
彼女自身の異能――『気配を消す異能』も発現していたのだ。
その事実にまだ彼女は気付いていない。

さて、と気を取り直し、周囲の状況を確認するも――
(うえっ)
小中学校も高校も、見渡す限りゾンビ、ゾンビ、ゾンビ。
明らかに避難所としては機能していない。
想像以上の事態に身体が震える。

やはり、事態の収拾を急ぐ必要がある。
では、あのボブカットの少女、ないし他の正常感染者はどこにいるのか?
北西の田園沿いはほとんど施設らしきものが見当たらない。
東はすぐに森と山。今まで自分がいた古民家群はここに負けず劣らず悲惨な状態だ。
となると、南西の商店街方面。
そこまでは広い道が続いており、ゾンビから身を隠しながらも
今までよりずっと早いペースで移動できそうだ。

ここで彼女は、今まで取った遅れを取り戻さなくては、と、
極力足音を消す歩き方から、隠密性は下がるが速度が上がる小走りに変えた。
結果として、これがまずかった。
そのままの歩き方だったら、彼女の存在は誰にも気づかれなかったろう。
だが、小走りに切り替えたことで、多少ではあるが足音が生じ、
近くで聞き耳を立てていた別の正常感染者に聞かれてしまったのだ。

「ちょっと! ちょっと待ってください!!」
「……ハイ?」

眼鏡を掛け、2丁の猟銃を持った青年が、物陰から目の前に飛び出してきた。


「突然すみません。
 私はこの村の猟友会に所属する嵐山という者です。
 こんな物騒なもの持っていて申し訳ありません。」
「猟友会…… 猟師さん、ですか」
「あなたに危害を加えるつもりはありませんので、
 少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

(さて、どうするべきでしょうか)
話しかけながら、嵐山は思案する。
ようやく見つけた生存者である。害意が無いなら保護したいところであるが、
女王感染者殺害を狙い、自分を襲ってくる可能性も無視できない。
恰好から見れば、彼女はただの観光客であり、見たところ武器も持っていなさそうだ。
だが気になるのは、あの妙な感覚である。
足跡が聞こえたから気付けたものの、彼女はあの時完全に気配を消していた気がする。
それが彼女の異能なのか、それとも他の理由があるかは分からないが、

とりあえず、まずは素性の確認だ。

「え~と、この村の人ではないですよね?」


(えー、ハイ、武器は欲しかったですよ。
 どっかに銃落ちてないか、とは思ってましたよ。
 でも、銃を持った人間さんまで出てきてとは思ってねえよおおおおおお!!!)

小田巻は、内心汗を滝のように流していた。
状況は最悪だ。こっちには何も武器が無い。
目の前の男は猟銃を2丁持っている。手にしているのは散弾銃、背負っているのはライフルか。
表情や口調は穏やかだが、おそらく警戒は解いていない。
不幸中の幸いは、問答無用でいきなり撃ってくるような人間ではなかったということだ。

(不意を突いて銃を奪う、あるいは締め落とす?
 お人好しそうだし、口でなんとか切り抜ける? 落ち着け、落ち着け私)

ここはひとまず、ただの観光客を装うこととした。

「え、えーと、私は小田巻っていいます。
 この村には観光で、有名なラーメンを食べに来てまして……」
 よし。嘘は言っていないぞ、嘘は。
 一瞬、偽名を使うことも考えたが、
 身分証を見せろとか言われたら完全に疑われるので止めた。
 潜入任務用のダミーなんて持ってきてねえです。

「ああ、『山オヤジ』さんですね。あそこは本当に美味しいですよねえ。
 私が取った獲物も何度か使ってもらったことがあるんですよ。
 ……ところで、私のほかに正気を保っている方と会いませんでしたか?」

ほら、きたぞ。どう答える?

「その前に、その銃から手を放して貰えませんか?
 すみませんが、あなたが信用できる人物か分かりませんので」
「殺す気だったなら声もかけずに撃っていました。それではいけませんかね?」
「聞きたいことを聞けるだけ聞き出して、ズドン、てこともあるかもしれませんし」
「ふむ……そうですね」
「それに、危害は加えないって言ってましたけど、
 じゃあ、あなたはこの状況で何をしようとしてるんですか?
 女王を殺さないと2日後にはこの村焼かれちゃうんでしょう?
 それじゃ問題の先延ばしにしかならないじゃないですか。
 他に解決するアテでもあるんですか?」
「あります」
「………………ハイ?」

え。
ちょっと待って。
今なんて言った。

他の解決策が、ある、と?

「ここまでずっと考えていました。
 この状況で、顔見知りでもない相手に自分を信用してもらう為には、
 殺し合い以外の具体的な解決策を示すしかありませんから。
 あくまで仮説に過ぎませんが、私なりの解決策は幾つか考え出しています」

と、目の前の男は語る。
私を油断させるための出まかせだと思いたい。
だが、男の眼差しは真剣だ。

「あなたから信用を頂く為にも、私の仮説と解決策を説明させて戴きたい。
 よろしいでしょうか?」
「……分かりました。
 先に言っときますけど、その後に信用するか、しないかは別ですからね」
「無論です。では……」


男は語り始めた。


「まず、あの放送の内容。
 私が気になったのは、『女王は周囲のウイルスを活性化させる』
 『女王が死ねば、他のウイルスも死滅する』という点です。
 では、女王の存在は周りのウイルスにどうやって伝達されるんでしょうか。
 女王が死んだとき、他のウイルスはそれをどうやって検知するんでしょうか。
 1kmや10kmだったら、音や電波が届くかもしれない。
 しかし100km、1000kmも離れたら? いっそ地球の裏側だったら?
 そんなに離れていて、女王の生死を認識することなんかできますか?」

「え、え~と、直感ですが、できないと思います」

「そう。ここから、『女王は何らかの信号を発信している』と推測できます。
 そして、その信号には有効範囲があると考えた方が常識的です」

「は、はい。それで?」

「ここで、『女王が死ねば、他のウイルスも死滅する』特性を考えます。
 『信号説』で考えると、他のウイルスは『女王からの信号の断絶』を以て女王の死を認識することになります。
 だが、その信号には有効範囲がある。
 つまり、『女王以外のウイルスは、女王からある程度離れては生きていられない』ことになる。
 ……話は変わりますが、このウイルスが人間以外の動物に感染することは知っていますか?」

 本当に急に話が変わるな。
「は、はい。さっきゾンビのブルドッグに追っかけられました」

「ええ。このウイルスは人間以外の動物にも感染する。
 その特性を考えると、48時間の猶予や山の周囲の封鎖は不自然だ。
 いくら厳重に封鎖したところで、鳥や獣は止められないでしょう。
 2日もあれば隣の町に行くには十分すぎる。
 ですがそれも『信号説』で説明できます。
 ウイルスに感染した鳥が飛び立ったとしても、じきに女王の信号が届かなくなりウイルスは死滅する。
 要するに、女王さえ逃がさなければ良いんです」

私は口をあんぐりと開けていた。

「もちろん、女王感染者が鳥だったらという問題も考えられますが、
 研究者がその可能性を見過ごすとは思えません。
 最初にウイルスが漏れ出した研究所付近の人間が女王感染者だと目星がついているか、
 それとも、ウイルスが脳に作用することから、
 女王感染者の宿主には発達した脳が必要で、
 すなわち人間、あるいは大型の動物でないといけないのか…」

「ちょちょちょちょちょっと待ってください!」

もう頭のキャパシティが限界だ。つか私が今すぐ聞きたいことはそんなことじゃない!

「あなた猟師ですよね!? あなた何者なんですか!?
 私よりもあなたの方がずっと怪しくないですか!?
 実はこの事故の関係者だとかじゃないんですか!?」

「え~と、一応、大学の生物学科を出ていましてね。
 こういうの考えるの、好きなんですよ」
 と言って、彼はにへらと笑みを浮かべた。
 ぶん殴りたい。

「とにかく! 理屈があるというのは分かりましたから、
 あなたの考えた解決策とやらを聞かせてください!
 端的に! 分かりやすく! お願いします!!」
「ええ、分かりました。では……」

こほん、と咳払いして、彼は話を再開する。

「この『信号説』が正しい場合、解決策が2つ考えられます。
 一つは、女王ウイルスの出す信号を何らかの形で遮断する。
 生物由来の信号ですし、遮る手段が全く無いとは思えません。
 もう一つは、防護服を着せるなどして周囲への感染を防いだ状態で、
 他のウイルスに信号が届かなくなる距離まで女王感染者候補を全員引き離してしまう。

 このどちらかを行えば、他のウイルスは女王からの信号を受けられなくなったことで
 『女王は死んだ』と認識し、死滅します。
 その後、感染者候補の処置が別に必要となるでしょうが、ひとまずパンデミックは防げます。
 お分かりいただけ――って、大丈夫ですか?」

嵐山が心配そうに顔を覗き込んできた。

「え、ええ。大丈夫…… ちょっと考えさせて」
私は文字通り頭を抱えていた。

まさか本当に女王感染者殺害以外の解決策を提示してくるとは。
彼の仮説は、筋は通っているように思える。
それに、自衛隊のブレーンなら、彼の考えたことくらい検討済みの筈だ。
すなわち、自衛隊も全く別の解決策を以て動いているかもしれない、
という可能性が頭をもたげたことにより、
女王感染者殺害による事態の収拾という自分の決意はかなり揺らいでしまった。

そもそも、あの放送も、『特殊部隊が村の周囲を封鎖している』『48時間後に村を焼き払う』とは言ったが、
『特殊部隊が生存者殺害を目的に動いている』とは言っていない。
今回の事件がSSOG案件というのも、隊員としての見地から自分がそう判断しただけにすぎない。

だが、自衛隊たるもの、あやふやな仮説に縋るより、
多少の犠牲が出ようとも確実な解決策を取るはずでは?
という考えも自分の中にはあるわけで。

堂々巡りだ。
答えが出ない。

私は、どうすればいい?



ふと顔を上げると、学校が目に入った。
視界の隅に、何かが映った。
異様な胸騒ぎがして、私は立ち上がった。

「小田巻さん?」

嵐山の声掛けを無視して、目を凝らす。
学校の前で、何かが起きている。
『それ』を認識したとき。

――血の気が引いた。

次の瞬間、私は、嵐山に飛び掛かっていた。


「小田巻、さん!?」

小田巻真理に突然飛び掛かられ、嵐山は後ろに倒れた。
彼女は、自分が背負ったライフルを奪い取ろうとしている。

分かってくれなかったのか――

止むを得ず、反撃を入れようとした瞬間、気付いた。

彼女はこっちを向いていない。
必死の形相で、学校の方を睨みつけている。

「いいから! それ! 貸して!! 今すぐ!!!」

小田巻は、ライフルを奪い取ると、嵐山ではなく、学校の方向にその銃口を向けた。
嵐山もつられてその先を見る。
そこに居たのは――

血塗れの、剣鬼。


斬る。


斬る。


斬る斬る斬る。


道場周辺の亡者を粗方斬り尽くした八柳藤次郎は、
さも当然の如く、次の狙いを学校に定めた。
教え子達がいるかもしれないが、今となっては早いか遅いかだけだ。


「ほう、おるわおるわ」

学校に蔓延る亡者の群れ。
常人にとっては恐怖でしかない光景を前に、
藤次郎は愉悦の表情を浮かべた。

次の瞬間、一切の躊躇もなく斬り込む
老若男女、誰であろうと関係は無い。
この呪われた村の民を鏖殺せんと、その剣が躍る。

校舎が、塀が、道路が、血で染まってゆく。
だが何よりも血塗られしは、彼の剣と、そして肉体。
八柳新陰流師範・八柳藤次郎。


校門周辺にいたゾンビの大半を斬りつくしたころ、
突如射撃音が響き、銃弾が足元で跳ねた。
「……む」
威嚇射撃だ。
そして、それを撃ったであろう人間達が、こちらに近付いてきた。

一人は猟師の男。どこかで見覚えがある。村の人間だ。手にしているのは散弾銃。
もう一人は、若い女。恰好からして、観光客か。
動けば撃つとばかりに自分にライフルを向けている。
先ほど威嚇射撃をしたのもこちらのようだ。
その無駄の無い射撃姿勢から、見かけによらず、かなりの腕前であることを藤次郎は見抜いた。

嵐山・小田巻の両名と藤次郎は、10mほどの距離を挟んで相対した。
小田巻に銃を向けられながら、藤次郎の泰然さにはいささかの崩れもない。

嵐山が一歩前に出た。

「八柳先生、ですね。剣道場の」
「……君は確か、猟友会で見たな」
「ええ。嵐山といいます。……先生。答えてください」
「嵐山さん。その人は、話しても無駄な人間ですよ」

小田巻が忠告するが、嵐山も、頭では分かっている。
八柳藤次郎が何をしてきたかは、聞くまでもなくその風貌が如実に語っている。
袴からは赤い滴がぽたぽたと垂れ、
白かった上衣は元の色が残っている場所を探すのが難しいほど返り血に染まっていた。

それでも、どうしても問わざるを得なかった。

「何人、斬ったんですか」
「数えてはおらん。百には届いておらぬだろうが」
「放送を聞いていなかったんですか!?
 その人達だって元に戻れたかもしれないんですよ!?」
「そんなことは問題ではない」
「……なんですって?」


「嵐山君といったか。いみじくも村の者なら、知らぬわけではあるまい。この村の歪みを」
「……ええ。黒い噂なら、幾つも聞いてますよ。
 でも、あなたが斬った人が全部当事者なはずはないでしょう」
「確かに、大半の者に責など無かろうて。
 村の者の殆どは、君のような善良な人間であることも認めよう。
 だがそれでも、この山折村が産み育ててきた業からは逃れぬことはできぬ。
 この呪われた村が存在し続ける限り、歪みは生まれ続けるのだ。
 精算の手段は、今やただ一つ。すなわち、この村を無に帰すこと」

意味が分からない。
嵐山は、藤次郎と直接話したことはない。
だが、彼の悪い噂は聞いたことが無い。
むしろ人格者であり、教え子達にとっての良き師匠であり、
長年村の為に尽くした人間だと聞いていた。

「……つまり、村を滅ぼす、と?
 ゾンビであろうが何であろうが関係なく、村の人間を全て殺す。
 それがあなたの目的だと?」
「そうだ。それが、我が長年の宿願。
 山折宗玄を初めとした外道の輩。村に蔓延る無頼漢ども。
 銭金に釣られ、この事態を引き起こしたウイルスなぞを持ち込む欲呆け。
 この村は存在しているだけで、呪いを振りまくということが分からんか」

「……先生。私は、あなたが一体どれだけのものを見て、
 どれだけ絶望に打ちのめされてきたのか、分かるなどとは言いません。
 でも、あなたは子供達に剣を教えていたんでしょう。
 子供だって、孫だって育てた。
 村を呪いながらもそれが出来たのは、
 少しでも明日が良くできると、そう信じたからじゃないんですか!?」
「ふん――」
藤次郎は鼻を鳴らした。

「老いさらばれるにつれ、ふとその様な思いを抱いたこともある。
 儂は充分にやった。儂のような老人がもう口を出すことはない。
 純粋なる教え子達。そして可愛い孫。村の明日は、彼らに託せばそれで良いと。
 歪みを忘れ、希望だけを見、座して果つるのを待つことが出来れば、どれほど良かったことか。
 ――だが! その果てが、この有様よ!!」
今や、亡者と廃墟の坩堝と化した村一帯を指し示しながら、藤次郎は言い放った。

「――嵐山君。よしんばこの危機を乗り越えたとしても、
 この村が卑しき者どもの欲望を呑み続ける限り、第2、第3の悲劇は必ず起きよう。
 故に滅ぼす。山折村の血はこの世に一滴たりとて残さぬ」
「だから、教え子たちも殺すって言うんですか!? ご家族だって!!」
「妻は斬ったわ。最初にな」

平然と言い放つその姿に、嵐山も、小田巻も息を呑んだ。


「……狂ってるわ、あなた」
小田巻は吐き捨てるように言った。

職業柄、タガが外れた人間には慣れている。
そもそも、大田原にしろ成田にしろ蘭木にしろ美羽にしろ、
SSOGのメンバーは大概タガが外れている。
むしろタガが外れてなければやっていけないレベルだ。
味方すら目を背けるような所業も顔色一つ変えずやってのける、それがSSOG。
だが、そこには大義がある。
それが鬼畜の所業であっても、彼らがそうすることによって、守られる者、救われる者が確かに存在する。
だからこそ彼らの存在は許容される。

だが、目の前の男はどうだ。
そんなことをしたことで誰も救われなどしない。
村全体を巻き込んだ無理心中。
彼がやろうとしていることは、小田巻の耳にはそんなものにしか聞こえない。

「狂う?」
藤次郎はそれを鼻で笑う。
「儂は正常だよ。
 これは、儂の生涯を賭けた結論よ。
 村の呪いと相対し続けてきた、この儂の――」
「ふざけるな」

嵐山の、重く鋭い声が、藤次郎の言葉を遮った。
藤次郎が、半瞬息を呑んだ。
小田巻も思わず顔を向けた。

「呪いだの歪みだの、自分を正当化するのもいい加減にしろ。
 千人もいるこの村を、その剣で、あんた一人で全部殺す?
 それが考えた結果だと? 笑わせるんじゃない。
 あんたはただ、自分の思い通りにならなかった憂さを晴らしたいだけだろう」

嵐山の声に、もう今までの穏和さはない。
怒気を隠すこともしてもいない
その言葉が纏うのは決意。この村を守る為、八柳藤次郎を討つ、と。

「……憂さ晴らしか。確かに、そうかもしれんな」
藤次郎が息を付く。

「今や修羅を名乗るもおこがましい。儂は外道。外法の道を行くのみよ。
 ――止めたければ、儂を殺すことだ」

瞬間、藤次郎が身を翻した。
小田巻が咄嗟に反応し、引鉄を引こうとするが、

(え――!?)

人間の顔がこちらに向かってきていた。

いつ拾ったのか。
藤次郎は、自分が斬り落とした女児の首を後ろ手に隠していた。
それを小田巻目掛けて投げつけたのだ。

「小田巻さん!」
(そんなんで怯むか! SSOG舐めんなぁっ!!)
頭が顔に当たり、吐き気を覚えた。だが銃口は動じることなく、藤次郎に向けて火を噴く。

「ほぅ……」

奇襲が通じなかった、そう見た瞬間に藤次郎は後退に転じ、銃弾を躱す。
あそこで一瞬でも隙を見せれば、一息に間合いを詰め斬り捨てていたところだ。
そこで、動揺も見せず、撃ち返してくるとは。
やはりこの女、見た目によらず強敵だ。
それに、猟友会の男もいる。相手は銃使い二人。
異能により、自分の身体能力は、全盛期と同等までに上がっている。
だが、耐久力までは変わるまい。銃弾を一撃でも受ければこちらの敗北だ。
一旦大きく間合いを取り、呼吸を整える。


「嵐山さん!」
「なんです?」
小田巻の表情も変わっていた。
今や観光客のそれではない。それはまさに、戦士の顔。

「私の素性については、今はノーコメントとさせて下さい。
 今はあの人を排除する。それでいいですね?」

小田巻も決断した。この戦いに自分の全力を尽くす、と。
嵐山に自分の正体を悟られるのは、もう止むを得ない。
あの男は、間違いなく大田原クラス。
そんな相手に、実力を隠したまま勝つことなど出来はしない。

「ええ。お互い生き延びられたら、ゆっくり説明してもらいますよ」
嵐山は、ライフルの弾薬ケースをウエストポーチから出し、小田巻に向け放った。
それを受け取った小田巻は、早速撃った2発分をライフルに装填する。


東の空が白みはじめた。
間もなく朝が来る
山折村の運命を決める2日間、その第1日目の朝が。


血塗られた剣を手に、藤次郎が地を蹴る。
迎え撃つ、小田巻と嵐山。

感染者にしてSSOG隊員、小田巻真理。
山折村の猟師、嵐山岳。
そして、血塗れの剣聖、八柳藤次郎。

それぞれ違う明日を見る三者が、交錯する。

【C-7/路上・小中学校近く/1日目・黎明】
小田巻 真理
[状態]:疲労(軽度)、右腕が汚れている、右腕に火傷
[道具]:ライフル銃(残弾5/5)、予備のライフル弾、???(他に武器の類は持っていません)
[方針]
基本.女王感染者を殺して速やかに事態の処理をしたい、が、迷いが生じている。
1.目の前の危険人物(八柳藤次郎)を排除する
2.結局のところ自衛隊はどういう方針で動いているのか知りたい
※まだ自分の異能に気づいていません

嵐山 岳
[状態]:健康、左手首に軽度の切り傷(止血済)
[道具]:散弾銃(残弾3/3)、小型ザック(ロープ、非常食、水、医療品)、ウエストポーチ(ナイフ、予備の弾丸)
[方針]
基本.生存者を探し、安全を確保する。その後、バイオハザードの解決策を考える。
1.八柳藤次郎を倒す。
2.高校、小中学校周辺の生存者を探す。生存者を見つけたら猟師小屋に戻る。
3.猟友会のメンバーや烏宿ひなたが心配。
4.片眼のヒグマ(独眼熊)のことは頭の片隅に置いておく。一応警戒はする。
※小田巻真理の異能が「気配を消す異能」ではないかと疑っています。

八柳 藤次郎
[状態]:健康、血塗れ
[道具]:藤次郎の刀
[方針]
基本.:山折村にいる全ての者を殺す。生存者を斬り、ゾンビも斬る。自分も斬る。
1.目の前の2人を斬る。

046.魔人戦線――絶望への抗い 投下順で読む 048.お前はウソをついている
時系列順で読む
鬼の刃 八柳 藤次郎 山折村血風録・序
それでもまだ賭けてみたい 小田巻 真理
霧の中 嵐山 岳

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年01月25日 23:29