「クソっ! クソっ! ふざけんじゃねぇ!!」


「どいつもこいつも俺の事馬鹿にしやがって!!」


「おい、何見つめてやがんだ、てめぇも俺の事馬鹿してんのかよっ! オラッ!!」


「クソがっ、クソがっ! おい、勝手に気を失ってんじゃねぇ!! 本当に骨へし折られてぇか!? ああん!!!」


いつもの事だ。仕事から返ってきて、苛立って、私を殴ってくる。
何度似たようなことを繰り返したのか、何度同じ地獄(ふつう)を過ごしてきたのか。
小さい時にお母さんは言っていた、「いつかヒーローがあなたを助けてくれる」って。
でもそんな事嘘だった。お母さんは電球を買いに行ってくると言い残して返ってこなかった。
結局、お母さんは私のことなんて見ていなくて。でもこの時だけはまだ心の底でお母さんのこと信じていて。

お父さんが言っていた。「あのクソビッチは俺たち見捨てて他の男に逃げやがった」だなんて。
数日前だったか。お母さんみたいな色黒の女の人が男の人と一緒に歩いている所を見て、その時に。

『あ? 子どもなんて作りたくないわよ。前にそれで痛い目見たからね。』

なんて事言ってたの、聞いた。
多分、その時から。私は何もかも諦めたんだと思う。
殴られて、蹴られて、焼かれて。痛くて痛くて。それでも助けが来ない日々に、私は等に壊れていた。
助けを呼ぶなんて考えも浮かばないまま、全てを諦めて、受け入れた。
どれだけ苦しんでも、助けなんて呼んでも無駄だって自分でそう殻に閉じこもった。
叫んで、それが無駄であることを悟るよりも心が痛まないだろうから。
諦め続けた日々が続いて、続いて、続いたそんなある日に。


いつものように私で憂さ晴らしに来たお父さん。何度も殴られた所で慣れている。でも、今日は何かが違った。地震。何もかもが大きく揺れて、お父さんの身体が簡単に転がり頭を打った。
幸いにも、私が閉じ込められた小部屋には、大きく倒れるような家具は何もない。
閉じ込めるだけの、逃げ出さないようにするためだけのゴミ置き場同然の一畳半の空間。
半開きのドアから差し込む夜空の光だけが、電気が止まったこの家の中を照らしてた。

お父さんがおかしくなったのはそんな時。
まるで御伽噺の怪物みたいに白目をむいて、涎を垂らしながら此方を見ている。
お腹を減らした熊さんみたいに私を見つめている。
殴ることに飽きたから、私を殺そうとしているのかなと思った。私を食べるのかなと思った。
でも、お父さんがそう望むなら、そう望むしか無いのかなと、思った。
だって、私が何をしても無駄だから。

「……嫌だ。」

なんで、こんな事呟いたの?
無駄だって分かっているのに、どうして?
生きていても何の価値もないのに、なんで?

「……嫌だ。」

何回か、お父さんに反抗したことがあったけど、すぐに暴力で黙らせられた。
そう、全ては虚しい。何もかも無意味で無価値。
なのに。

「………ない。」

なのに。
どうして。
死んだっていいって思ったのに。

「死にたく、ない!」

あてもなく叫んで、けたたましし音が轟いたら、お父さんが眩しく輝いた。
眩しくて目を瞑った。開いたら、お父さんだったものが黒焦げになって、死んでいた。






違う。






「……え?」







―――私が殺した。

【字蔵 誠司(ゾンビ) 死亡】




「お母さんっ……!」

山折村に生まれて以来経験する、前代未聞の大地震。黒いポニーテールをなびかせながら、山折高等学校2年烏宿ひなたは、眼前に映し出された残酷な現実を直視する他なかった。
『先生』の猟が長引いて、森の様子がおかしいから今日はもう帰るように言われ、自転車を漕いでの帰り道に地震に遭遇。幸いにも走っていた場所こそ地割れには見舞われなかったものの、少し走らせればそこはまるで天地がひっくり返ったような光景が広がっていた。

ひび割れた道路、拉げた街灯、建物は所々崩れているものもあり、古いものでは半壊かもしくは全壊しているのも多い始末。
真っ先に母親の事が過って、不安になる。父親の単身赴任の多さから、ほぼ女手一つで自分を育ててくれたお母さん。最近体調を崩しがちのお母さん。
縋る思いでギアを上げて漕ぐ速度を上げる。目指すは自宅のある高級住宅街。瓦礫やガラス片を避けながら急ぐしか無い。

「……お母さんっっ!」

なんとか住宅街に到着。他と比べて目立った被害こそ少ないものの、それでも屋根が崩れ倒壊している家屋も目に入る。路地が見えて、あそこを右に曲がればいつもの買える場所が――――。

「……あ。」

現実は残酷で、還るべき場所は無惨にも崩れ落ちていた。
直接的な原因は、別で倒壊した隣の家屋のドミノ倒しで。努力の結晶である標本の数々も、お母さんが玄関の額縁に飾ってあった、幼少期に描いた家族の絵も、何もかも瓦礫のしたに潰れて価値のない塵芥へと成り果てているのは日を見るよりも明らか。

「おかあ、さん。おかあ、さん……っ!」

玄関があった場所、既に潰れて影も形もない残骸に、ひっそり伸びる細い腕。
間違いなく。いや、未間違えるわけがない、お母さんの腕だと、理解してしまった。
僅かな望みを賭けて、触れてみた。夜風のせいだと思いたかった。冷たかった。
背負っていたリュックサックが途方もなく重く感じた。
お母さんは、死んでいた。

「うああああああああああああああん!!!!」

込み上げた哀しみが決壊して、泣き叫んだ。
隣に誰かがいるかもしれないのに、それでも泣かずにいられなかった。
余り家に帰ってこないお父さんに代わって自分を育ててくれたお母さん。何時までも続くと思った日常が、こんなにも容易く壊された。
泣かずにはいられなかった。叫んで、叫んで、喉がはち切れんばかりに泣き続けた。

「あああ、ああああああああああ!!!」

やり場のない感情だけが、どうしようもない悲しみが。
ただ、叫ぶだけしか無い悲しみだけが、今の烏宿ひなたを構成する全てだった。
泣いて、叫んで、泣いて、叫んで。そして。

『…………聞こえ……るだろ……か…………』

ノイズ混じりの掠れた音声が、聞こえたのが、そんな時で。
喉元から込み上げるような熱さを覚えて、泣き止んだのが。





『それだけが……私の望み……だ――――ガガガッ――ジジッ―――ガッ』

「……ウイルスに、ゾンビ。特殊部隊が私達を殺しに来る。女王感染者を殺さないと生き残れない……。」

突然流れた放送が、悲しみの感情を吹き飛ばした。
辛うじて聞こえた重要そうな単語を呟きながら、頭の中でぐるぐると逡巡する。

「………じゃあ、殺せば全て解決するの?」

今回の地震によって研究施設から漏れ出したウイルスによるバイオハザード。先程の込み上げる熱さもまたそれによるものなのか。
いや、それよりも。深刻なのは『女王感染者』を殺害しVHを終結させなければ、48時間後に特殊部隊が証拠隠滅を兼ねてこの村にいる全員を殺しにかかる、と。
そんな、映画かドラマの中の話みたいな出来事が、いま現実に現在進行系で発生している。
一人殺してみんなが救われる。そうしなければみんな死ぬ。これも映画ではよくある展開。
殺さないと生き残ることが出来ない。そんな残酷な真実。それでも。

「……そんな事で、納得できるわけがないよ。」

ふざけないで、と言葉を握りしめる。
自分自身でも、矛盾していると思った。『先生』の猟に付き合って、生きるために動物の命を刈り取る場面に何度も見てきた。自分もまた標本集めのために似たようなことをしてきた。
それは、動植物か、人間であるかの違いでしか無いと、そう割り切れれば済む簡単な問題だ。
でも、そう割り切って、『殺す』と選択肢を選んでしまったら最後。何時までも「殺す」という選択肢が頭に浮かんでしまう事が、その果てに価値観が、自分がおかしくなる事が嫌だった。

「そうしたら、私が私から戻れなっちゃう気がするから。」

それを超えたら、戻れなく。人にも動物にも、守るべき一線がある。それを破ってしまえば道理は道理でなくなる。例え変わらなくとも、以前の自分には二度と戻れなくなるから。

「………ッ!」

だから、烏宿ひなたは殺さない。例えそれを殺せばすべてが解決するとしても。
その子たった一人が救われない結末なんて認めたくない。
それが幼稚な現実逃避と罵られても、それでも自分の心だけは裏切りたくないと願った。
その決意と同時期だったか、数軒先で見えた家屋から発された閃光の様な輝きと轟音。

「……今まで育ててくれて。ありがとう、お母さん。」

母親だったものの手を数秒ほど握りしめた後、涙を拭って自転車を走らせる。
既に戻るべき家と母親を失ったけど、これは決別ではなく覚悟。
向かうべき場所は閃光が迸った場所。生きている人を集めて、女王感染者を殺す以外で無事に解決する方法を考える。
だからまず、手を伸ばせる場所の、手の届く範囲の誰かを助けるために少女は星々に見下されながら往く。

(私、最後まで諦めないから。)

どんな時も、最後まで諦めないで挑戦してきた。それがどんだけ苦難の道だとしても、苦しいから、辛いからという理由で投げ出したくなんて無い。
例えどれだけ下らない理由だとしても、立ち止まる理由にはなりはしないのだから。





「……ここって確か。」

粗雑に放り込まれた証左となる折り目が目立つ広告紙が、郵便ポストからバラけて玄関に散らばっている。
所々罅はあれど崩壊には至らない程には丈夫であるが、妙に汚れ目立つ白い家。
ネームプレートには「字蔵」と書かれた黒いパネル。

「……恵子ちゃんの、家。」

字蔵、という名字を聞けば村の百人中百人が、あの悪名高き字蔵誠司の名前を思い浮かぶ。
嫁に手を挙げる、時代錯誤の男尊女卑の思想に凝り固まった男の風上にも置けない人。そして、その娘が字蔵恵子。
不登校児で、寡黙に父親に付き従う異様な雰囲気の女の子という印象。学校にすら通わせない父親に、どうして素直に従っているのか。
烏宿ひなたも含め、他の同級生や先生が様子を見に来た時があったが、彼女は父親に従ういい子であり続けた。少なくとも、ひなたにとっては、字蔵恵子という女の子はその程度の印象だった。

それでも、人の命に千差万別無く。そうと決まれば扉を開いて家の中へ。
いつ崩れるかわからないからスピード勝負。崩れる前に助ける、助けた後のことを考えるのは後回し。
リュックサックを自転車のかごに放り投げ、既に停電している家の中へ。居間の電球はパチパチと明滅を繰り返し、奥の半開きになった扉から肉の焦げたような匂いがする。
もしかして漏電などと思いながら、恐る恐る扉の向こうを覗いてみれば。

「……ひっ?!」

黒焦げた死体の前に座り込んで、怯えた顔でひなたを見つめる女の子の姿。
間違いない、この子が字蔵恵子だと確信した。

「恵子ちゃん、だよね? 一度だけ会ったことあるかな? 烏宿ひなただよ。」

怯える少女を優しく見つめながら、近づいていく。
大丈夫、私はあなたを助けに来たと、ゆっくり一歩ずつ。

「来ないで……。」
「大丈夫、私はあなたを助けに来たから。……心配しないで。」

少女は怯えたまま、顔を引き攣らせその表情は青ざめている。
それでも諦めず、優しい言葉を掛けながら。

「来ないで……!」

バチバチっと、か細い音。
ひなたが音に気づいた時には既に遅く。
彼女の眼前、恵子の周囲に迸る小さな稲妻と閃光。

「来ないでぇっっっ!」

瞬間、部屋の中に雷撃が迸り、その全てがひなたを呑み込んだ。






雷だとか、電気だとか、そう言うので怪我をした経験は初めてだった。
頭の中がシェイクされて真っ白になる感覚で、体中が焼けるように痛かった。
飛びそうな意識をなんとか繋ぎ止めて、私は恵子ちゃんをふたたび見た。

「……ぁ、ぁっ……。」

酷く、泣きながら怯えている。さっきの雷、恵子ちゃんがやったことだったんだ。
あの焼死体も同じように、恵子ちゃんがやってしまったんだって。
そんな私も、酷い怪我してるのかなって。でも、思ったより痛くなかったから比較的軽症で済んだのかな?
………ううん、やっぱちょっとキツいかも。

よく見たら、恵子ちゃんの足。凄く酷い傷の痕残ってる。
多分、恵子ちゃんのお父さんがやったことなんだ。恵子ちゃんのお父さんへの怒りとかより、恵子が今までこんな目にあって、気づけなかった自分自身を悔やみたくなってくる。
どうしてこんな事になるまで気づけなかったのか、どうして助けて挙げれなかったのか。結果論だからって割り切れる問題じゃない。

「ごめん、なさい……。」

恵子ちゃんが、怯えたまま、謝罪の言葉を絞り出して、震えてる。
分かった気がする。この子は諦めてしまった。誰も助けてくれなかったから、父親の暴力に怯えて、何もかも諦めたんだ。……私達が、気づけなかったから。
そして、理由はわからないけど、さっき私にやったみたいに、恵子ちゃんは。お父さんを、殺してしまった。
お父さんに従うことで、何も考えないようにしていた恵子ちゃんは、お父さんを殺しちゃって、それで何もかもわからなくなっちゃったんだね。
だったら、私がやらないといけないことは、決まってる。
痛む身体を引きずって、恵子ちゃんに近づいて。私がやるべきことは、抱きしめること。
ぎゅーって優しく抱きしめて、腫れた手でなんとか頭を撫でて、落ち着かせる。

「ごめんね。」

ごめんね。気づけなくてごめんね。助けられなくてごめんね。
ここまで追い込まれるまで、気づけなくて。
誰かがいたら「気にしなくてもいい」なんて声を掛けてくれるかもしれないけれど。
やっぱり、私はそんな事で割り切れないから。

「気づけなくて、助けられなくて、ごめんね。」

多分、どれだけ碌でなしな親でも、この子にとっては親だったから。
私もさっき、お母さんを失ったばっかりだから。その気持ち、分かるよ。



「……ぁ。」

恵子ちゃんの震えが止まって、ようやく泣き止んで、大人しくなってくれた。
何故だから知らないけれど、私も静かに涙を流していたんだと思う。

「……ごめんね。本当に、ごめんね。」
「……………ひなたさんは、悪くない、よ。」

そんな、慰めてくれるような恵子ちゃんの声が、静かに聞こえた。
珍しいものを見るような瞳で見つめてくれていた。その瞳に光が戻ったように見えた。

「…………ひなた、さんは。ヒーロー?」
「……ちょっと、違うかな?」

ヒーローだなんて尋ねられて、らしくもなく恥ずかしくなった。
ほんの少しだけ顔が赤くなったような気恥ずかしさ感じた。

「でも、その指。私と、同じ、力?」
「……えっ?」

恵子ちゃんに指摘されて、初めて気づいた。
私の指と指の間に、小さな電気が流れて、すぐ消えた。私も恵子ちゃんと似たような力を?
もしかして、あんな雷撃まともに受けて、無事だったのはその力のお陰?
ううん、考えるのは後にしよう。

「……恵子ちゃん、一緒に来る?」
「……………うん。」

何はともあれ、一人見つけることが出来た。
傷の方もなんか結局そこまでじゃなかったし、火傷がまだ痛むけど多分大丈夫。
そういえば、ふと前にお父さんが仕事のことで言っていたことを思い出す。
「誰かの未来を守る為に」だなんて言ってたっけ。
今ならなんとなく分かる気がする。この力は、もしかしてその為の力なのかな。
だったら俄然やる気が出てきたかもしれない。
先生や師匠を探したり、やることはいっぱいあるけれど。
今はこの子を、恵子ちゃんを守らないと。









お母さんは嘘つきだ。私の事なんて見もしないで、ただ自分からもお父さんからも逃げ出した卑怯者。
だからヒーローがいるだなんて嘘っぱちだって思ってたけれど。

『ごめんね。』

モノクロだった私の未来が、色づいて、鮮やかになって。
ほんの少しだけ、前向きに生きていけるようになったと思う、そう思いたい。
ごめんね、ひなたさん。そして、ありがとう、ひなたさん。
私を暗闇から連れ出してくれて、ありがとう。

ねぇ、お母さん。お母さんは嘘つきだったけど。一つだけ、本当のことを言っていたんだね。
ヒーローが、助けに来てくれたよ。
生きたいって、心の底から思えたよ。



※字蔵家に字蔵誠司の焼死体が残されています。
※字蔵恵子による雷撃の轟音が周囲に聞こえたかどうかは後続の書き手にお任せします

【D-4/字蔵家/一日目・深夜】

【烏宿ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・全身)、母親を失ったことによる悲しみ
[道具]:自転車(外においてある)、リュックサック(自転車のカゴの中・中に入ってものは後続の書き手にお任せします)
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい
1.恵子ちゃんを守る
2.私にも、恵子ちゃんと同じ力……?
3.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい
4.……お母さん、今までありがとう

※字蔵恵子による雷撃の傷が浅かったですが、それはひなたが無意識に能力を発動させ相殺した結果となっております。

【字蔵恵子】
[状態]:精神不安定(微小)
[道具]:なし
[方針]
基本.まだ、生きたい。
1.ひなたさんについていく。
2.助けてくれるヒーローは、いたんだね


013.偽りの記憶は時に真実よりも甘美で 投下順で読む 015.逢いたくて
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それでもまだ賭けてみたい 字蔵 恵子 「いただきます」
SURVIVE START 烏宿 ひなた

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最終更新:2023年09月24日 01:51