「ヴーーーーッ、ヴニャーーーーーッ、ゾンニ゛ャ゛ーーーッ」
ゾンビと化した猫が、ノロノロ、フラフラと、歩み寄ってきていた。
自転車を引く少女の、はちきれそうなレギンスで覆われたふくらはぎに牙を突き立てようとしていた。
猫ゾンビの頭に、コツンと鉄パイプの先端が乗り、バチバチ火花が走ると、
そいつはビクビクとケイレンして転がり、動かなくなった。
死んじゃったんですか? と自転車の後ろをついてきていた小柄な少女がたずねた。
大丈夫、と自転車の少女は答え、たぶん、と付け足した。
そして、しびれて動けない猫をガレキの陰、なるべく人目につかない、安全そうなところにそっと横たえた。
ごめんね、と二人で声を合わせて。
「……ただいま」
答えてくれる住人はもういない、と頭で判っていても、染み付いた習慣はそうそう抜けるものではない。
烏宿ひなたは字蔵恵子を連れ、高級住宅街の一角に建つ自宅へと戻っていた。
「あいかわらず、ひっどい状況だなぁ……」
──といっても、地震の後に必死で帰ってきたときの道すがらを思い出す限りでは、この一帯の被害は露骨に少ない。
高級住宅街が"高級"たるゆえんだ。しかし、烏宿邸は運がなかった。
高級といえど、烏宿邸の裏に建っていた隣家の、古い土蔵造りの蔵まで現代の耐震基準を満足している訳もなく。
倒れ込んできた蔵の瓦礫が烏宿邸の2階、ひなたの部屋を直撃して、立派なツノの生えた鹿の頭の剥製や、
時に法を(無自覚に)犯してまで手に入れた草花や昆虫の標本を、ほとんどダメにしてしまっていた。
そして瓦礫の直撃を受けたひなたの部屋から、雪崩をうつようにして階段を通じて玄関までが崩壊。
ひなたの母親──烏宿そらは、家から脱出するのが安全だと判断して──
その判断がアダとなり、玄関で倒れてきた下駄箱の下敷きとなっていた。
烏宿ひなたはその母親の姿を目にして悲嘆に暮れ、それでも、と決意を新たにしていたところで、
字蔵邸から発せられた"雷撃"を目撃。その正体を確かめるため、烏宿邸を後にしたのだった。
そんな彼女がなぜ自宅に戻ってきていたかといえば──。
『『ぐうううううう~~~っ』』
空腹だったのだ。字蔵邸で"救出"してきた、字蔵恵子ともども。
烏宿ひなたは震災直前まで山中で猟を手伝っていた。昼から、何も食べていない。
母には"ちょっと帰りが遅くなるけど、晩ごはん楽しみにしてるね"などと呑気に連絡を入れていた。
字蔵恵子に至っては常々空腹だった。むしろお腹を鳴らしても誰にも殴られない現状は近年で最も幸福でさえある。
そして字蔵邸にはアルコールを除く食料がロクになかった。
大小ふたつの胃袋をコーラスさせた少女はようやくいったふうに烏宿邸の敷地へと足を踏み入れた。
敷地は生け垣で囲われていて、それなりに広い庭があり、片隅には小さなビニールハウスが建っている。
いや、建っていた。震度7の直撃を受けてお陀仏だ。ハウスの中のアカマツのプランターも全滅だ。マツタケの栽培実験が。
だがそれも、今となってはささいなこと。
玄関で、烏宿ひなたの母が下駄箱の下敷きになっている。
非常時といっても、このままにしておくのはあまりに忍びない。
「恵子ちゃん……ちょっと、この辺で待ってて」
ひなたは自転車を恵子に預け、崩れ落ちた玄関へと向かった。
そして母の亡骸を移すべく、まずは下駄箱に手を掛け、力を込め──。
(あれっ、意外と下駄箱って軽いなぁ)
と拍子抜けしつつ、元通りに立て直したところで──。
がりりっ。
左の肩口に、冷たく、鋭い痛みを感じた。
「お母さん!」
それは、烏宿ひなたの母親・烏宿そらがウイルスに冒され、変わり果ててしまった者の牙だった。
「……お母さん! 生きてた(?)んだ! ……お母さん!」
それは一見すれば、死別したかに思われた親子が感動の再開を果たし、感極まって抱擁するシーンに違いなかった。
一見すれば。溢れ出る感情、そして溢れ出る──
「お母さん! 生きてたんじゃないかこのヤロウ、私には心配掛けるな心配掛けるないつもいつも言いながら。私にはメガトン級心配かけて、死んだと思って決意を新たにしちゃったじゃないかこのおばか。玄関先で冷たくなった手だけ見せてピクリとも動かないとか不動の死亡描写なんだよなんで最初来たとき一言も応えてくれなかったんだようーでもあーでもいいから何か言ってほしかったよこのおばか、私のトリ頭はぜったいあんたの遺伝だからなこのばかばかばかばかばかばかばかばか」
溢れ出る罵声、そして溢れ出る──
「ひなたさん! 血、出てます! めちゃくちゃ出てますよ!!」
溢れ出る血液。
たまらず恵子が自転車を打ち捨て、ひなたの元に駆け寄る。
恵子の右の五指の間では、"雷撃"のエネルギーが電弧となってバチバチと飛び交っている。
──が、烏丸ひなたは左の手のひらをかざし、制止するような手振りを見せた。やめろってこと──?
恵子がその意味を図りかね、戸惑っている、数秒の間だった。
ひなたの長い髪が淡く光を放った。
すると烏宿そらの肉体がケイレンするようにビクつき、動きを止めた。
そのままひなたの肩からヨダレと血を垂らしながら口を離した烏宿そらのゾンビは、力なく頭たれて、座り込むように動きを止めた。
烏宿ひなたの母親・烏宿そらは、大地震に遭って崩壊しそうな家から脱出しようとしたところ、
玄関で倒れてきた下駄箱の下敷きになり、気絶。
気を失ったままウイルスに感染し、ゾンビと化していたようだ。
ひなたが地震の後に母の手に触れたとき体温を失っていたのも、ゾンビ化の影響によるものだったらしい。
──というのが、拘束した烏宿そらのゾンビから得られた情報だ。外傷は、手足の多少の擦り傷のほかは、
額にできていたコブだけで、一見して致命傷となるようなケガはしていない。
つまり、烏宿ひなたの母は、生きている、いや、生き返るのだ。──女王感染者の影響さえ取り除けば。
「よかったですね、ひなたさん」
「素直にそう言えるキミはすごいね、恵子ちゃん」
親について良い思い出なんて一つもないはずなのに、恵子ちゃんは聖人なのだろうかと、ひなたは思う。
ちなみにひなたの母親はといえば、被災を逃れていた浴室のバスタブの中に拘束して閉じ込めている。
タオルで手足を縛っただけの、正気に戻れば自力で簡単に解けるレベルのものだ。
事情を書いたメモも書き置きしておいた。
「──さあ、お母さんのことはこれで良いとして、ご飯食べよーご飯」
「その前に、ケガを手当てした方が──」
◇ ◇
ブーーーーーーーーンと、電子レンジが低い音を立て、窓の中の料理を照らしている。
烏宿邸、庭先のテーブルの上、作り置きの料理のタッパーや冷凍食品が山と積まれたその中心で、
定格出力1000ワットの電子レンジがフル稼働していた。
山折村全域を襲った震度7の地震は送電網も破壊し尽くし、当然、烏宿邸への送電も停止している。
ならば電子レンジの電源は何か、それは当然、烏宿ひなた、の、鼻の穴である。
ひなたの左肩の歯型に消毒液を塗り込む恵子は、"百年の恋が冷めていく感覚"を身を以て味わっていた──。
(な……なんでこの人、わざわざ鼻の穴をコンセント代わりにしてるの……!?)
「一番形が近かったから、なんとなく」
と、口に出してもいない疑問に親切に(鼻声で)答えてくれた。
私を暗闇から連れ出してくれたヒーロー。優しくて、背が高くて、お顔もキレイで──でもちょっと間の抜けた──。
いや待ってくださいこの絵は間抜けさがちょっと強すぎる。
豊かな胸も災いして、まるで鼻輪で繋がれた牛だ。
心の中に描いていたヒーローの黄金像が、牛柄ビキニ鼻輪付きひなたさんのショルダータックルで粉々だ。
ピーッ、ピーッ。
ひなたの背後でガックリする恵子を慰めるかのように、電子レンジさんがアラームを鳴らした。
扉を開けば、出汁の効いたいい香りが漂ってくる。
二つ並んだタッパーのフタを開けば、キノコと鶏肉と根菜がたっぷり入ったスープの湯気が立ち上ってきた。
二つの胃袋が、待ちかねたようにデュエットを奏でた。
「「いただきます」」
と同時に手を合わせた二人は、一心不乱に食事にがっついた。
二人とも、それほどまでに空腹だったのだ。
テーブルの中心の電子レンジ様は、まだまだ次なるお代わりを用意してくれている。
恵子は血が巡りだすのを感じていた。自分の体が長い間冷え切っていたことを、今、ようやく自覚した。
なぜだか涙が溢れ出していた。
こんなに暖かくて美味しい食事も、同じものを美味しそうに食べている人と安心して囲う温かい食卓も、
もう記憶になかったからかもしれなかった。
「ひなたさん……私、こんなに幸せでいいのかな……」
恵子のぽつりと漏らした言葉に、ひなたは答えない。目の前の食事に夢中らしかった。
ちなみに電源ケーブルはひなたの鼻の穴ではなく、彼女の服の中、胸の谷間に向かって延びている。
鼻からケーブルが延びていたら食事の邪魔になるからだろう。最初に気づいてほしかった。
こうして30分もせずに冷凍庫の中身はすべて平らげられた。
恵子は自分でも信じられない量を食べた気がしていたが、ひなたはその倍くらいを食べていたように見えた。
「次は冷蔵庫も片付けようか」
まだ食べるんですか、とドン引いた恵子の表情を気取ったかのように、
「電気出すとお腹減らない?」
とひなたが言った。
「たぶん、能力の代償ってやつじゃないかなあ?」
「だったら、今度は私がやってみます」
恵子が電子レンジ大明神の電源プラグを握り、力を込めた。
あっ──とひなたが止めに入ったが、手遅れだった。
バチン、となにかが弾ける音がして電子レンジは煙を吐き、箱型の鉄くずと化した。
電子レンジを鉄くずに変えてしまったことに気づいた恵子の反応は素早かった。
久方ぶりの温かい食事で血色の良かった恵子の顔は、信号機が切り替わるように青ざめ、
0.5秒に満たない時間、ほとんど頭突きに近い勢いで地面にひれ伏した。
「な……なんなの?」
「ごめんなさいッッッッ!!」
尋常ではない悲愴さのこもった謝罪だった。
いっそここでバッサリ首を落としてくれと言わんばかりだった。
終わってしまったと、終わらせてくださいと、恵子はそこで願っていた。
父・誠司に植え付けられた、ほとんど脊髄反射に近い行動と思考だった。
「恵子ちゃん、顔上げて」
「は、はいっ……」
ああ、彼女は顔を殴るタイプか、と、恵子は反射的に思った。
ひなたさんがそんな事するはずないと、頭では判っているはずなのに。
ひなたの手が顔に差し伸べられると、恵子はきつく目をつむって備えた。
しかしその備えは幸いにして功を奏することはなく、ただ顎の下に優しく添えられるのみだった。
「ほら、立って」
導かれるままに立ち上がると、恵子の顔はひなたのその豊かな胸に優しく抱きかかえられたのだった。
「私の役に立ちたくてやったことなんでしょ? だったら、電子レンジくらいで怒らないよ。
ついさっき身につけた能力なんだし、コントロールできなくて仕方ないない」
「もごもごもごももごもっごご(……ごめんなさい。ひなたさんは優しい人なのに、こんなことしてしまって)」
「私は優しくないよ?」
「もごご(えっ)」
「私は、そんなに特別優しい人じゃないと思うよ。
……世間一般の人だったら、この非常時に善意からの行動でその辺にある家電一個こわしちゃったところで、
殴ったり、蹴ったりするほど怒ることはないんじゃないかな?
電源があるかもわからない状況で頑張ってみた結果なら、『ごめんね』で済む話じゃないかなぁ?
そりゃあ、後で弁償はしてほしい、くらいは思うかもしれないけど?」
「ぷはっ……そう……なんですか?」
「そうだと思うよ? 私が常識について語っても、信憑性はないだろうけれどね☆」
「確かに、そうですね」
「そこは素直なんだ」
「鼻の穴をコンセントにする人が言いますか」
恵子そこでようやく、自分が笑っていることに気づいた。
笑顔の表情筋を何年も使ってこなかったために、顔が引きつりそうだった。
「……と、ここで本題なんだけどね」
「何の本題ですか」
「私たちが図らずして手に入れてしまったチカラのこと」
「電気を出す能力について、ですか」
「似ているようで、実は全然違うんじゃないかなーって」
「恵子ちゃんの電気は瞬間的な力はすごいけど、長続きはしないでしょ?
生き物でいうと、デンキウナギかな? ほんの一瞬だけどすごい電流を流して、獲物の小魚を気絶させちゃうんだ。
電子部品だと、コンデンサーやキャパシタって部品に近い特性かな?
まさしく"雷撃"!!って感じの能力だよね」
「じゃあ、ひなたさんは?」
「私の力は、瞬間的な力は出ないけど、加減がしやすくて長持ちするっぽいんだよね。
生き物でいうと、強いて言えば、デンキナマズに近いのかな?
体の周りに持続する電場を作って、周囲を探るんだって。私はできないけど。
例えるならやっぱり発電機かな。体の中に"発電器官"ができた感じの能力」
恵子の頭の周りで、クエスチョンマークがいくつも飛び回っていた。
「……それで?」
「私たちの身体、どうなっちゃったんだろうなーって。
何とかして異能ってものに目覚めた人たちの身体を調べてみたら、女王感染者がだれか判って、
その人の命を奪わなくても、みんな助けられる方法が見つからないかなって、思ったの」
「……おお! ひなたさんって、意外と頭いいんですね! 意外と!」
「具体的には、やっぱり異能に目覚めた後に変化が出た部位を調べるのが良さそうなんじゃないかなぁ。
私の場合は、髪の毛かな? 電気出してる時は、何やら光ってるみたいだし」
「希望が出てきましたね!」
やっぱり彼女はヒーローなのかも知れない。
第一印象とはずいぶん違ったイメージだったけれど、と、恵子は思った。
「……うん」
だから、ひなたさんの返事をしたときの表情がすこし曇っていたように見えたのは、ひとまず気にしないことにした。
◇ ◇
お腹を満たした二人は、烏宿邸のリビングでお互いの傷の手当てをして、
ボディシートで汗を拭い、着替えを見繕っていた。
ひなたの服装は地震前とそれほど変わっていない。
長袖のTシャツにフロントファスナーのフリース、ハーフパンツの下にはくるぶし丈の通気性の良いレギンスを穿いている。
肌を覆いつつ、気温に応じて脱ぎ着しやすい、山歩きに向いた格好だ。
汗をかいた上に次に着替える機会がいつかも判らないので、下着含め全身を着替えていた。
恵子はというと、通学を禁じられてからも着たきりだった夏服の制服で、
着の身着のまま家を飛び出してきた格好だった。
6月といえど、盆地である山折村の夜はそこそこ冷える。明け方の最低気温が10度前後となる日も珍しくない。
今までも少しだけ、肌寒さを感じていた。
そこでひなたがクローゼットの奥の衣装箱を引っ張り出し、お下がりを見繕ってくれるのだという。
「うんうん、ぴったりぴったり」
烏宿ひなたは女性としてはかなりの長身だ。身長は180cmをゆうに超えている。
比べると字蔵恵子は16歳としては小柄な方だ。最近計る機会はなかったが、だいたい150cm前後だろう。
小さい頃の服なら合うかも、ということで試していった結果、サイズの合う服が見つかったのだった。
もちろん、これから動き回らなければならないことを考えた山歩き用のファッションである。
恵子にとっては、脚に刻まれたタバコの火傷や青あざを覆い隠してくれるレギンスが嬉しかった。
「いつ頃の服なんですか」
「うーん、その色は確か……小5くらい? 小4だったかな?」
「……ということは、それくらいの頃から山登りしていたんですか」
「そうそう、4年生の頃、村の南西にすごい高い山あるでしょ。そこに登ったの」
えっ、あそこに? と恵子がとっさに声に出すくらいには、その山は高い。
今年は5月終わりまでてっぺんに雪が残ってたっけなぁ、とひなたがあっけらかんとして言う。
「で、初めてだからろくな装備も持たずに夕飯までに帰る気で軽い気持ちで飛び出して、
結局丸一日掛けて山頂まで行って帰ってきてね、ものっすっっごい怒られたのさあ、
お母さんに、担任の先生に、それから警察官のおじさんとか、いろんな人にね」
「よく生きていましたね?!」
「でも、その時の景色が忘れられなくてさ。私が立っていたてっぺんから下は、一面が真っ白な雲で海みたいに覆われていて、
雲の海からは、金色の太陽の光が登ってくるの。山道には、見たこともない草花が咲いていて、
それでねそれでね、学校で流行ってた"異世界"ものなんかじゃない、本物の"異世界"が、こんな近くにあったんだなって」
それ以来、ひなたはこの地の自然の魅力に取り憑かれ、
山の動植物の採集・観察にのめり込むようになったのだという。
「それでね、この辺りにはヒグマの個体群が生息してるって噂があるの。
いいえ、噂じゃない。"群"じゃなくても、少なくとも1個体は、確実に存在するって」
恵子の頭に再びクエスチョンマークが浮かんだ。
「これって凄いことなんだよ?! ヒグマってさ、現在つまり完新世では北海道にしか生息してなくて、本州に生息してたのは後期更新世、日本が氷河期だった頃だったんだよ。本州からは化石しか出てこないの。それなのに、この村の周辺の山で、ヒグマの足跡が見つかったって猟友会の人が言っててね、ああ何でツキノワグマとの区別がつくかというと、足跡の大きさが15センチくらいあって、ツキノワグマがこのサイズの足跡をつけるのはありえないの。何年も前にヒグマの眼を撃ったって凄腕の猟師さんの噂もあったけど、本当だったんだなって。でね、でね、この山折ヒグマ個体群がもし実在したとして、それが現在の北海道からブラキストン線を越えてはるばる本州に渡ってきたのか、氷河期から山折周辺の高山地帯の気候に適応して代々命を繋いできたのか、もし、後者だったら生物学的には別種となっている可能性もあるわけで……」
「ひなたさん、抑えて、抑えて」
「ああ。ごめんね、ちょっと話がヒートアップしちゃってた。
……そうだね。もう、行かないと」
◇ ◇
「恵子ちゃん、後ろに乗って」
ひなたのまたがる90ccのスーパーカブがエンジンを吹かせている。
烏宿邸のガレージから引っ張り出してきたものだ。
元々は母が、山折村を出歩くのに自動車を使うのは大げさすぎる、ということで買ったものだったが、
ひなたが高校に進学して、免許を取得してからは時々使わせてもらっている。
今ではひなたが乗る方が多い。今日はたまたま、母がカブを使ったから自転車だったけれど。
恵子がリュック越しにひなたの腰に手を回し、大きな荷台にまたがった。
「……ねえ、恵子ちゃん」
「何ですか?」
「キミは幸せになって、良いんだよ。……美味しいものを食べて、キレイなものを見て、知りたいことを学んで。
だから、生き残ろう。みんなで!」
「……はいっ!」
恵子はひなたの腰を固く抱きしめた。間に挟まるリュックサックがもどかしかった。
◇ ◇
夜闇の高級住宅街を、一筋のフロントライトが照らしていた。
かすかな希望を胸に抱いた、二人の少女を乗せたバイクの明かりだ。
しかしてハンドルを取る烏宿ひなたの胸中は、少し複雑なものがあった。
(私、この状況に少しワクワクしているかもしれない。
大地震に遭って、ゾンビになるか異能を得るか、のウイルスを勝手にばら撒かれて。
その後始末で、あと丸2日で村ごと消されるかも知れないって状況なのに)
(超常の異能がいきなり身についた私たちの身体がどう造り変えられたのか、
女王感染者が倒れるとゾンビたちが正気に戻るという、その仕組みはどうなっているのか。
……興味が尽きないんだ)
(私の異能ひとつをとっても、食べた量より発生したエネルギーの方が明らかに大きいんだよ。
適応できなければゾンビになる……っていう、リスクさえ取り除けば、
人類の立つ地平さえ変えてしまう……未来を切り開いてしまうかもしれない力なんだ)
(だから、女王感染者のことを調べたい以前に、私はただ"知りたい"んだ。
……きっと、お父さんに似たんだろうね。お盆にお正月も東京の研究所にこもりきりで、
生活費以外のお給料は全部こっちに寄越して、趣味もロクに持っていないような研究一筋のお父さんに)
【C-4とD-4境界部/高級住宅街/一日目・深夜】
【烏宿ひなた】
[状態]:感電による全身の熱傷(軽度・全身・手当て済)、肩の咬み傷(手当て済)
[道具]:スーパーカブ90cc(運転中)、夏の山歩きの服装、リュックサック(野外活動用の物資入り)
[方針]
基本.出来れば、女王感染者も殺さずに救う道を選びたい。異能者の身体を調べれば……。
1.最寄りの避難所(B-2 公民館)か、猟師小屋(B-6)に向かう。(次の書き手さんに任せます)
2.生きている人を探す。出来れば先生やししょーとも合流したい。
3.VHという状況にワクワクしている自覚があるが、表には出せない。
4.……お母さん、待っててね。
【字蔵恵子】
[状態]:健康、下半身の傷を手当て済、今までになく満腹
[道具]:スーパーカブ90cc(二ケツ中)、夏の山歩きの服装
[方針]
基本.生きて、幸せになる。
1.ひなたさんについていく。
◇ ◇
バイクで烏宿邸を立つ二人を見送る、獣の影があった。
テールランプを反射した、赤いタペタムの輝きは、一つ。
その獣は隻眼であったが、元々この種は視覚をあまりアテにしない。
優れた聴覚と嗅覚を頼りに生きている動物である。
(若いメス2体が、ここを去ったようだな)
(メスの大きな方……"ヒナタサン"があの"臭い"を残していた。
我の右眼を奪った武器……今なら分かる、"銃"が火を吹いたときの臭いだ)
(このまま追いついて襲い、殺すのは容易い……が、小さい方のメス、"ケイコチャン"は指から雷を落とす。
アレを受けれは、我とて無傷とはいくまい。……傷を受けた状態で"奴"と戦うのはまずい)
(ここにいる人間ども、ほとんどが呆けたようにフラついているが、
正気を保った者は油断ならぬ力を身につけている、ということだろうな)
("奴"……あの"山暮らしのメス"も含めて、だ。
爪も牙も持たず、ただ力で我を叩き伏せた、人間らしからぬ膂力の持ち主。元々、我はあのメスの臭いを追っていた。
……だがどうしたことか、奴の臭いはこの"ヤマオリ"という人間のすみかの、南の木立で途絶えていた。
残っていたのは別のメスの臭いだ。奴も何らかの"力"を身につけたと考えて間違いあるまい)
(あの"山暮らしのメス"と入れ違いになった"メス"の臭いを追うか?
それとも"銃"の臭いを残す"ヒナタサン"を追うか?
"ヒナタサン"の方は、あの乗り物が吐く臭いもあって追いやすいが……)
(いずれにせよ、腹が減った)
辺りには、呆けたようにフラつく人間がよりどりみどりだ。
(……だが、ここで襲って人間を喰い散らかすのは、良くないな。
人間ども、特に"銃"で獣を狩る連中は、足跡一つ、爪痕一つからでも痕跡を辿り、我を追いかけてくる。
既にこの"ヤマオリ"に踏み入れた以上、足跡を追われることは避けられぬが……派手な痕跡は避けるべきか)
(となると、既にこの"イエ"という巣穴に隠れている連中を喰らう方が安全だが……)
探すのは少々手間だ、と考えようとしたところで、その羆は閃く。
(……あの若いメス達が、1体"イエ"に隠していたな)
◇ ◇
「イタ、ダキ、マス」
後に
独眼熊と称される、本州で初めて発見されたヒグマの野生個体が捕食したのは、
山折村在住の女性、烏宿そらであった。
VH事件の影で発生した、日本史上初の、本州で発生した羆害事件である。
【D-4/高級住宅街 烏宿邸/一日目・深夜】
【独眼熊】
[状態]:健康、知能上昇中、ちょっと喋り方を覚えた
[道具]:なし
[方針]
基本."山暮らしのメス"(
クマカイ)を殺す。猟師どもも殺す。
1."山暮らしのメス"(クマカイ)と入れ違いになったメスか、"ヒナタサン"(烏宿ひなた)を臭いで追う。
(どちらかは、後続の書き手さんに任せます)
2.人間、とくに猟師たちに気取られぬよう、痕跡をなるべく残さずに動く。
※D-4 高級住宅街 烏宿邸の浴室に羆に食い荒らされた烏宿ひなたの母の死体が放置されています。
※【注意】人肉の味を覚えました!!【警告】
最終更新:2023年01月07日 22:45