昔から空想が好きだった。
空想で紡がれた沢山の物語たち。
外の世界は怖いから、優しい物語の世界に私は夢中になりました
空想の中で私はお姫様。
きらびやかで、ふわふわで、時に切ない。
そんな物語に囲まれながら、お城の中でお姫さまは暮らしていました。
だけど、そんなお姫さまを外の世界へ連れ出そうとする人が現れました。
お母さんに聞きました
彼は一番偉い人の子供だって。
つまりはこの世界の王子さまだ。
どうやらえばりんぼうの王子さまは同い年のみんなを従えたいみたいで、私はその最後の一人。
強引でわがままで、だけど優しい私の運命の王子さま。
お姫さまは王子さまに連れられその世界を知るのです。
そして王子さまにふさわしいお姫さまになろうと決めました。
そうしていればいつか運命にたどり着けると夢見るように純粋に信じていたのです。
けれど、知るのです。
知りたくもない現実を。
現れたのは本物のお姫さま。
私はお姫さまなんかじゃなかったのです、
本物のお姫さまは別にいて、王子さまは私の王子さまなんかじゃなくって。
現実の私は地味で卑屈な何のとりえもないただの女の子でしかなかったのです。
夢は夢のまま。
現実になることなどないのです。
■
日野珠は混乱の最中にいた。
頭の中は無茶苦茶だった。
覚えているはずの事を忘れていて、知らない事を知っている。
記憶や思い出は自身を形どる証明に他ならない。
それが不確かであるという事は自分が今立っている世界が不確かであるのと同じ事だ。
誰かに都合のいいように記憶をいじられ自分自身が分からなくなる。
そんな状態で、とても正気ではいられない。
そんな不安定な状態で信じていた姉のように慕っていたみかげの不可解な言動に、いよいよ少女の混乱は極まり気づけば何かから逃げるように走り出していた。
それを追うのは二人の少女。朝顔茜と上月みかげである。
一人は純粋な心配から、一人は自らの行いを償うため。
だが、そんな少女たちの追いかけっこの行く手に、一人の男が立ちふさがっていた。
「薩摩さん!?」
茜が叫ぶ。
現れたのは村の交番勤めの警官だった。
ただの警官ではない、警官であるにも拘らず村の危険人物として知られている男である。
平時であれば関わり合いたくない男なのだが、今はそれどころではない。
こう言った緊急事態において警官という立場や役割というモノは信頼感を生む。
何より、今は混乱して逃げ出した珠を捕まえなければならない状況である。
「珠ちゃん、捕まえてください!」
「え、あ。お、おう」
茜が薩摩に呼び掛ける。
突然の呼びかけに思わず薩摩は反応を返した。
脇を走り抜けようとした珠の手首を反射的に掴むと、そのまま捻り上げて脇固めの体勢で押さえつける。
そこは腐っても警察官。小娘一人拘束するなどそれこそ赤子の手を捻るようなものだ。
強引だが、混乱していた珠を引き留めることに成功した。
「ありがとうございます! けど乱暴すぎ!!」
茜が苦言を呈しつつ駆け寄ると、薩摩から珠の身柄を引き継ぐ。
「いやぁああっ!! 離して!!」
「落ち着いて、珠ちゃん!!」
肩を掴んで説得を試みるも、発狂したように叫びをあげる珠は聞く耳を持たない。
珠が何に怯えているのか、何が彼女をここまで追い詰めたのか。
茜にはわからない。分からない以上説得のしようもない。
そこに、わずかに遅れてみかげも追いついてきた。
彼女は理解している。
珠が何に怯えているのか、何が彼女をここまで追い詰めたのか。
その一因を作ったのは他ならぬ彼女なのだから。
「…………聞いて珠ちゃん」
今も頭も抱えて苦しみ続ける少女。
それは己の犯した罪の具現だ。
そこから目をそらさず、ためらいながら、それでも一歩近づく。
「私が悪かったの、私が――――」
「――――いや、その前に俺の話を聞けぇい!」
だが、そんな少女たちのドラマに不純物が割り込んだ。
村の警官、薩摩圭介だ。
「なんです? ちょっと、私たちそれどころじゃないんですけど」
「それどころだろうがよぉッ!!!」
大の大人が大声で少女の意見を遮った。
その勢いに気圧された少女たちがおびえたように肩をすくめる。
全員の視線を一身に集めた警官は、わざとらしくコホンと咳払いする。
そして先ほどまでとは打って変わった落ち着いた大人の態度で、少女たちに向けて語り始めた。
「大声を出して済まない。だが、今この村がどうなっているかを思い出してほしい。
俺たちの山折村は未曽有の危機に晒されている!! 村民としてこれ以上に優先されることなどあろうか!? いやない!」
演説も3度目ともなれば語り出しも滑らかである。
志を同じくする同志の勧誘。
だが、今回はこれまでとわずかに前提が違った。
「そんな状況で俺たちがすべきことは何か!? 女王感染者を見つけ出すことだ!」
薩摩は昭和生まれの昭和育ち。いわゆるX世代である。
体罰上等な時代を生きたこの男は、逆らう人間が出たら撃てばいいという暴力による統制を計画の前提としていた。
むしろ逆らう人間が出れば銃を撃ててラッキーくらいの浅い考えが根底ある。
だから勧誘の際にも本音を話し、その理念に同意してくれる『真の仲間』を集っていた。
「もちろん殺すためじゃない、女王を守護るためだ! 何故なら女王も我らが愛すべき隣人なのだから。
愛する村民同士が殺し合うような魔女狩りは絶対に許してはならないことだ。そんな悲劇は俺には耐えられないッ!!」
だが、銃による恐怖統制は女王殺害の可能性を孕むと気づかされた。
感染を拡大させ日本中、いや世界中にパンデミックを引き起こし、銃を自由に撃ちまくれる世界を実現する。
それこそが薩摩の最終目標。
道半ばでバイオハザードを終わらせる訳にはいかない。
「女王は君たち自身かもしれないし、君たちの友人や家族かもしれない。
そんな相手を切り捨てるような真似は出来ない…………ッ! 出来るわけがない。そうだろぅ!?」
薩摩の計画の実現には多くの戦力、多くの同志が必要である。
恐怖と暴力なしで仲間を得るには心を打たねばならない
という訳で薩摩なりに考えた結果、感動路線に舵を切ることにした。
薩摩は語っていることに深い信念がある訳ではなく、それらはすべて銃を撃つための後付けの理由でしかない
男は独り身で40も超えると自尊心で凝り固まり意固地となるか、恥も外聞もなくなるかの2極化するものである。
薩摩は後者だ。銃が打てるなら何でもいいという拘りのなさ。言動を翻すことに何の躊躇もない。
「俺たちの敵はこんな事件を巻き起こした研究所の連中と、証拠を隠滅するため送り込まれた特殊部隊の連中だ!
あの放送だって研究所の人間の言葉だ! あんな言い分なんて信じる事はねぇ! 俺たちの村を無茶苦茶にしようとする特殊部隊に徹底抗戦を仕掛けるんだ!」
それに、村民を殺せずもはやゾンビしか撃てなくなるのかと落ち込んだが、まだ1000点の標的が残っている。
多くの楽しみを奪われた薩摩だったが、その鬱憤を晴らすように対特殊部隊に狙いを絞った。
山折村の総力を結集して特殊部隊を迎え撃つ。
「俺たちには異能の力と、何より同じ村民としての絆の力がある。力を合わせ一致団結すればどんな相手にも勝てるはずだ!
山折村村民の魂を見せる時だ! 特殊部隊の連中を見返してやろうぜ!」
薩摩は視野が狭く自分の世界に浸りすぎてしまう悪癖があるが、今回はこれが功を奏したのか思わず自分で涙をこぼすほどの熱演である。
聞くものの心を動かすこと請け合いであると薩摩は確信していた。
「俺は村を救いたいッ。この村を守護る警察官として! そのための力を貸してくれみんなッ!!」
盛り上がるような言葉で締めくくられる。実に感動のスピーチだった。
これが講演だったなら万雷の拍手で喝采されただろう。
問題があったとするのならただ一つ。
自身の語りに夢中になりすぎて周囲の状況を理解していなかった事くらいだろう。
それによって虎尾茶子を取り逃すという失態を2度も冒しているが、ここに至っても反省がない。
それ故に、こんな失態を犯すのだ。
つまりは、薩摩の演説など誰も聞いていなかったのである。
■
警察官が気持ちよく熱弁している横で、煩い外野の声など聞こえていないかのように少女たちは向き合っていた。
後悔と罪悪感。恐怖と猜疑心。それぞれの抱えた想いをぶつけあうように。
優しい幻想(ゆめ)を見る時間はもう終わりだ。
そろそろ、現実(あくむ)を受け入れよう。
「珠ちゃん。私、気づいたの……うんん。気づかされた。私はずっと現実を見てなかったんだって」
みかげはこのバイオハザードが起きてから、現実を見ていなかった。
辛い現実から目をそらし、空想の翼で羽ばたく幸せな夢の世界の住民だった。
だが、多くの人たちが彼女に現実を教えてくれた。
「都合のいい妄想を見て、その妄想をみんなに押し付けた。きっとそれが私の『異能』なんだと思う」
懺悔の様にその力を語る。
己が語る思い出を他社に共有する彼女の異能。
それは自覚なく無意識化で行われた事である。
だが、無意識であろうとも罪を犯した事実は消えない。
「…………ごめん、ごめんね。珠ちゃん。私の幻想はあなたを傷つけた。
それは決して、してはならない事だったのに……本当にごめんなさい」
彼女の目を覚まさせた決定的な要因は、取り乱し発狂する珠の姿だった。
自分のエゴで、可愛いい妹分を傷つけてしまった。
告発よりも説得よりも、その事実が何より彼女を打ちのめした。
彼女は誰かを傷つけたかったわけじゃない。
どれだけ辛くても苦しくても、それだけはしてはならない事だった。
誰かの想いを踏みにじるような事だけはしてはならなかったのに。
「私、圭介くんが好きだった」
みかげは己の心情を吐露し始めた。
思えば、この想いを誰かに告白にするのは初めての事である。
ずっと秘めた想いだった。
誰にも知られることなく、報われることもなく、日の目を見ることなく終わった宝石のような彼女の想い。
その想いが今、宝石箱の奥底から白日の下に取り出されようとしていた。
「……告白も出来ない、そんな勇気もなかったくせに、光ちゃんを羨んで、嫉妬して」
それが彼女の現実。
彼女の恋は告白すらできず終わってしまった。
それ以前に最初から終わっていた恋だった。
圭介が誰か好きかだなんて、みかげは最初からとっくに気づいていた。
だって、ずっと見てきたんだから。
圭介の事を誰よりも見てきた。
それこそ光が現れる前から。
照れた時に鼻頭を掻く癖。
嘘をつくとき眼を逸らす癖。
強がるときに眉間を寄せる癖。
本人すら気づいていないような癖だって沢山知ってる。
そんなみかげが、圭介の想いに気が付かない訳がなかった。
それこそ本人すら気づいていない頃から、光が好きなんだって気づいていた。
私の方が先に好きだったのに。
運命のように惹かれあっていく二人の様子を、誰よりも近くで見てきた。
「……けど、光ちゃんの事も好きだった」
みかげは圭介が好きだった。
だけど、光も大切な親友だ。
これも、どうしようもない彼女の本音だ。
「光ちゃんの事も嫌いになれなくて……ッ。圭介くんへの想いも諦められなくて……ッ。
割り切れもせずに、どうしたらいいのかわからなくて…………ッ!!」
だからこそ、二人が付き合い始めたと聞かされた時、笑って自分の想いを飲み込んだ。
吐き出したところで、大好きな二人を困らせるだけだから。
その関係を壊してでも想いを伝える勇気がなかった。
「だから……光ちゃんに自分を重ねて、自分が圭介くんの恋人だなんて妄想して自分を慰めてた。
私は光ちゃんを好きだった圭介くんが好きだったのに…………都合よくその在り方を歪めてしまった」
中途半端で、どうしようもなく弱い。
だから現実から目をそらして空想に逃げこんだ。
それは自らの恋を否定する行為だったというのに。
「私は、弱くて醜くて、そのせいで誰かを傷つけて……私は…………最低っ」
弱いことは悪ではない。
けれど、誰かを傷つけてしまったことは言い訳のしようもない悪だ。
傷付いた珠の姿こそが彼女の弱さが招いた罪の証である。
青春の痛みは辛く苦しい。
だけど、その痛みを抱えたところで死ぬわけじゃない。
それなのに彼女はその痛みを異能と言う形をもって誰かを侵した。
自分が辛いからってそれは誰かを傷つけてもいい言い訳にはならない。
その痛みも苦しみも彼女だけのものなのだから。
彼女の結論(せいしゅん)は間違いではなかったけれど、その結論を誰かに押し付けるのは間違いだった。
彼女は涙ながらに悔いていた。
自らの弱さを。
自らの罪を。
自らの恋を。
だけど。
「違うよ…………」
それは違う。
「…………違うよ、みか姉」
涙と共に吐き出された剥き出しの本音。
いつも優しく穏やかだった姉貴分の懺悔のような後悔の念。
それをぶつけられた珠は、己の混乱を忘れ正気を取り戻していた。
「みか姉は最低なんかじゃないよ。そりゃあ……全部が悪くないわけじゃないけど、けど、それってそんなに悪いこと……?」
恋をすることは悪くない。
珠はまだ恋を知らない子供だけど、そんなことくらいは分かる。
そんな事を何故、本人だけが分からないのか。
失恋の痛手。
それは胸が張り裂けそうなほど辛い物だ。掻き毟る程に心が苦しい。
涙で枕を濡らす夜もあっただろう。いろんな後悔で頭を悩ませ眠れない夜もあるだろう。
その痛手を好きな人との痛い妄想で慰める。
そんななもの、誰にだってある痛い青春の1ページだ。
青春に正解などない。
あーすればよかった、こーすればよかった
そんな後悔を抱えて、それでいいのだ。
これはどこにでもあるような失恋で、ありふれたような胸の痛みで、それでよかったのだ。
間違うことは間違いではない。
引きずって、拗らせて、間違いながら一歩ずつ大人になっていけばいい。
真っ只中の思春期では割り切ることはできなくとも、いつか笑って振り返られる日が来るかもしれない。
だが、このバイオハザードによって全ては一変した。
彼女の心は異能と言う形をもって露になった。
行き場をなくした思春期の心が、誰かを殺しかねない凶器となった。
悪いと言うのなら、間が悪かっただけだろう。
「けど、私は珠ちゃんを傷つけた」
「そんなの……ッ! みか姉が悪いんだったら私もおんなじだよ。みか姉が悩んでるのも気付かなかった……!」
珠はみかげが姉の恋愛で思い悩んでいたなんて気づきもしなかった。
すぐ近くで大事な人間が苦悩していたなんて知らなかった。
無邪気に姉と圭介の恋愛話で盛り上がり、気が付かないうちにみかげを傷つけていたかもしれない。
誰かを傷つけたのが悪いなら珠だって悪い。
そんな事にすら気が付かず、騙された様な気になって、心の中でみかげを責めた。
「私の方こそごめんなさい、みか姉…………ッ」
「そんな、珠ちゃんが謝る事なんて…………ッ」
そうして少女たちは抱き合うようにして声を上げて泣きあった。
互いに罪を悔いながら、許しを与えあいながら。
「……朝顔さんもごめんなさい」
「えっ、わ、私?」
落ち着きを取り戻したみかげが茜に頭を下げた。
口を挟まず二人のやり取りを見守り、涙ぐんでいた茜が話題の矛先が唐突に自分に向けられ、わたわたと取り乱す。
「あなたにも同じことをしてしまいました、先生たちにも謝らないと」
「うーん。私としては上月さんの恋バナ聞いただけで、何をされたわけでもないよ。だから気にしなくていいよ」
当事者やその身内にとっては青天の霹靂であろうが、こう言っては何だが、茜にとっては所詮他人の恋愛話である。
その組み合わせが間違っていた所で、実際の所、実害はない。
茜からすれば謝られる程の事ではなかった。
「けど、下手をすれば、大変なことになっていたかもしれません」
「そうなってないんだから、いいじゃないかな?」
この未曽有の大災害で、みかげの異能が大きな事件の引き金となった可能性はあっただろう。
だが、そうはなっていない。なっていなのだから気にすることはないのだ。
楽観的だが、茜らしい許しの言葉だった。
少女たちの諍いはひと段落した。
どうやらBGMと化していた警官の演説も終わったようだ。
これで、大きな爆弾は処理され、後はスヴィアたちの元まで戻るだけである。
そのはずだった。
だが、
「……………………ぁ」
何かに気づいたように珠が声にならない声を上げた。
落ち着きを取り戻した珠が、自らを抱くようにして震え始めた。
先ほど以上の尋常ではない怯え。その様子に慌ててみかげが問いかける。
「どうしたの珠ちゃん!?」
「…………く、来る」
珠が怯えながら、震える指先で彼方を差す。
それは先ほどまでの記憶の欠落と言う自らの内側に宿る恐怖ではなく、外側から襲い来る外敵と言う恐怖。
全員の視線がその指先を追うが、そこには何もない。
だが、彼女の目には確かに映っている。
「―――――――光が、来る」
背筋が凍るほどに悍ましい。
すべてを飲み込むような巨大な光が。
「…………へぇ」
視線の先。
どこか感心したような声と共に、物陰から何者かが姿を現した。
全身に着こまれた迷彩色の防護服。
思いのほか線の細いシルエットからして女性だろうか。
それはゾンビと言う異常が闊歩する村内に於いてもなお異質な存在感を放っていた。
この村にとっての災厄。
送り込まれた処刑人。
高らかに叫ぶように、その存在の名が呼ばれる。
「――――――特殊部隊ッ!!」
その歓喜の声を上げたのは警察官、薩摩だった。
薩摩の懸念は殺してしまった相手が女王だったら、この祭りが終わってしまうことである。
だが、特殊部隊ならそれに当てはまらない。
つまり、銃を撃ってもかまわない相手が現れたという事だ。
薩摩は喜び勇んで四股のように大股開きで腰を落とすと。
右手に実銃、左手に指鉄砲の二丁拳銃を構えた。
銃を構えた特殊部隊と対峙して、銃を突きつけ合う。
これはこれでウェスタンのガンマン同士の対決みたいでカッコいいかもしれない。
なんて、少しだけ気分を良くして、薩摩が背後の3人に向かって決戦を叫ぶ。
「さあ、お前ら! 戦るぞ――――!!」
「――――逃げよう!」
だが薩摩の号令を遮るように茜の声が割って入る。
迷うことなく逃亡を選択すると、茜は両手で二人の手を引いてそのまま薩摩を置いて走り出した。
元より薩摩の演説など聞いていないし、聞いていたとして同意する理由もない。
こう言った緊急事態において警官という立場や役割というモノは信頼感を生む。
か弱い女学生の背中を預けるのに不足ない相手だと言えるだろう。
そこに感謝はあれど、罪悪感は生まれない。
故にこそ振り返ることなく茜は駆け抜けていった。
「あっ。ちょ、お前ら…………ッ!」
それを引き留めようにも、目の前の特殊部隊を無視する訳にもいかない。
特殊部隊とは言えここにいるのは女らしきが一人だけ。
薩摩一人でも勝てないという事はないはずだ。
「チックショーッ!! やってやらぁ!!」
ヤケクソ気味に怒鳴りを上げ、銃を連射しようとした次の瞬間だった。
先んじて鳴った銃声と共に、手にしていた銃が弾かれ地面に落ちたのは。
「は?」
相手の狙撃によって撃ち落とされたようである。
正確に手元を打ち抜くトリガーハッピーとは比較にならない正確なエイム。
だが、トリガーハッピーの神髄を見せるように、薩摩はそれに怯むよりも撃つことを選択した。
剣の達人すらも撃ち抜いた、子供遊びが如きから放たれる異能による予測不可能の初見殺し。
左手の指鉄砲から大口径の威力を持った空気砲が放たれた。
だが、その砲弾は何にも当たることなく空気を穿った。
特殊部隊の精鋭は、ボクシングのダッキングのように頭部を沈め弾丸を当然のように回避する。
透明な弾丸が通り過ぎるその様は、傍から見れば何も起きていないようにすら見えただろう。
弾丸を回避した特殊部隊は、鋭い踏み込みでそのまま斜め前へと切り込んでゆく。
狙撃、回避、間合い、全てにおいて圧倒的な立ち回りで、あっという間に薩摩の懐にガスマスクをした迷彩服が潜り込んだ。
そんな相手と実際に戦った薩摩の率直な感想が。
(え…………特殊部隊ってこんなに強いの!?)
これである。
追い詰められた薩摩はいともたやすく取り乱した。
焦りのまま手あたり次第の銃を乱射してやろうと両手の指を懐の敵へと向ける。
「ぐぅゅああああああああああああああッッ!!??」
「人様を指で差すんじゃねぇよ。失礼だろうが」
だが、突き出した指を握られ、そのままへし折られた。
これは銃口を捻じ曲げられたも同義である、異能の弾丸は撃てなくなった。
人間に銃口を折り曲げる様な筋力はない。
だが、指の骨なら心得があれば簡単に折れる。
肉体に依存する異能の欠点だ。
相手は掴んだままの折れた指を引き寄せ、薩摩の脇を固めて地面に組み伏せた。
奇しくも先ほど薩摩が珠を制圧したように、あっさりと。
つまりは、薩摩と特殊部隊の間には警察官と女子中学生と同じレベルの差があるという事だ。
こんなのが何人も送り込まれているとしたら。
(…………村民なんて何人集めたところで無理じゃね?)
薩摩は痛みに喘ぎながら、どこか冷静な頭でその結論に今更至った。
元よりいろいろと破綻していた計画であるのだが、いよいよもって根幹から揺らいできた。
ここまで行くと流石の薩摩も気づく。
特殊部隊を撃退するなんて夢物語なんじゃないかと。
「二つ尋ねる。余計なことを喋れば殺す、回答が虚偽と判断しても殺す、黙っても殺す。それを念頭に置いて答えろ」
体を拘束された状態で背後から冷酷な声が響く。
そして後頭部に難い感触が押し付けられる。
それが何であるかなど、他ならぬ薩摩が間違う筈がない。
「ハヤブサⅢについて知っているか?」
「ハ、ハヤブサ…………? そ、そんな鳥の事なんて知らないぞ!」
「この女の事だ」
言って、薩摩の眼前に一枚の写真をチラつかせる。
望遠撮影された解像度の低い写真だが、そこには人ごみの中に一人の女性が映っていた。
「……え、あっ。ああ。見たことがあるような、ないような…………」
「どっちなんだ!?」
「あぅッ!?」
ハッキリしない様子の薩摩の腕を締め上げる。
薩摩が痛みに喘ぐ。
「思い出した、思い出しました……!! 何日か前に来た観光客の女だ! 交番にも来た!」
「そこでどんな話をした?」
「し、知らない、対応したのは俺じゃない……!」
訪れた観光客に対応したのは巡査部長だ。
薩摩はその様子を交番の奥で愛銃の手入れをしながら何となく覗いていただけである。
「チッ。使えねぇ。なら質問を変える。
研究所について何か知ってる事はあるか?」
「け、研究所?」
この場で出る研究所とはこのバイオハザードの元凶となった研究所に他ならないだろう。
だが、それはおかしい。
特殊部隊は研究所の事後処理をする部隊のはずである。
それが研究所について尋ねると言うのはどういうことなのか?
「そ、そうか!? お前ら一枚岩じゃないんだな!? なら俺達で力を合わせよう! 一緒に研究所の奴らをやっつけようぜ!」
敵対していた者同士が手を取り合い共通の巨悪を撃つ。
まさに劇場版の展開である。
研究所の連中を相手に銃が乱射できるならそれはそれで構わない。
だが。
「――――余計なことはしゃべるなと言ったはずだが?」
驚くほど冷たい声。
そんな提案に相手が乗るはずもない。
むしろ、この回答で薩摩が何も知らぬことを確信したようだ。
後頭部の鉄の感触から膨れ上がった殺意が伝わってくる。
薩摩の心が絶望に震える。
その頭をよぎるのは何故と言う疑問だ。
どうして俺がこんな目に。
どうして世界は俺のささやかな夢すらも叶えてくれないのだろう。
「俺はただ、銃を撃ちまくりたかっただけなのに……」
彼の理想とする銃を撃ちまくれる世界。
薩摩は銃を撃っても銃に撃たれる覚悟がない
そもそも撃つ覚悟すら持っていないだろう。
ただ撃ちたいだけの子供じみた動機しかない。
それ故に、最期までその理想が自身も撃たれるかもしれない世界であると自覚することはなかった。
目覚めの合図の様に銃声が鳴る。
身勝手な絶望の中、薩摩の命は刈り取られた。
【薩摩 圭介 死亡】
■
放送室に居た特殊部隊の女、黒木真珠は目的を情報収集へと切り替え周囲を探索していた。
標的を待ち伏せる選択肢もあったが、壊れた施設に見切りをつけて立ち去ることにした。
そうして、ほどなくして4名の正常感染者を発見。
気配を殺して近づき不意打ちで制圧する予定だったのだが、あえなく発見され奇襲は失敗に終わった。
まさか警察官ではなく小娘の方に発見されるとは思わなかったが、奇襲を諦め正面からの制圧に切り替えた。
結果はこの通りである。
異能に目覚めた警察官に対して圧倒的な立ち回りで完勝。
だが真珠はもちろん相手の異能を把握していたわけではない。
単純にあの状況で無意味なことをするはずがないという状況判断と、向けられた殺気を読んだのである。
それは潜入として武器に見えない暗器や仕込み武器などを相手取ってきた経験値の高さによるものだ。
結果的に警官を殺害した真珠であるが、秘密部隊において皆殺しではなく唯一特殊任務を任された隊員である。
彼女が住民へ行うアクションはハヤブサⅢの目撃証言と標的が向うであろう研究所に関する情報収集だ。
そうでなければ最初の銃撃で銃ではなく頭を打ち抜いている。
足元の死体は警察官と言う事もあって何かしらの情報を持っていそうだと思ったのが空振りだった。
ハヤブサⅢが数日前から村に滞在していた裏が取れた程度のモノだ。
真珠は薩摩の死体をその場に放置して女学生たちの足取りを追うことにした。
薩摩が稼げた時間は尋問を踏めても精々数分程度のものだ。
真珠が全力で追えば今からでも十分追いつけるだろう。
逃げだしたのは学生と思しき小娘3人。
期待は薄いが3人もいれば何か知っている者がいてもおかしくはないだろう。
仮面の下で凶悪な牙をぎらつかせ、狩人が駆けだした。
■
「熱ッ!?」
「あっ。ごめんなさい」
走っていた少女たちが足を止める。
二人の手を引いては知っていた茜だが、彼女はまだ上手く異能のコントロールが効かない。
焦っていたこともあり、掴んでいた手から漏れだしてしまったようである。
火傷になる程ではないがみかげの手首が少し赤くなってしまっているようだ。
「いえ、大丈夫ですから、それよりもどこに向かうつもりなんですか?」
「どこって……ごめん、逃げなきゃで一杯だったから考えてなかった」
このアクシデントで少しだけ冷静になって周囲を確認する。
そこは特殊部隊との遭遇地点から僅かに離れた高級住宅街と商店街の間にある未開発の草原だった。
夢中になって走っていただけで、考えなしに走り出したからスヴィアたちのいる方向と真逆に来てしまったようだ。
かと言って、今さら特殊部隊がいる方向に戻る訳にも行かない。
「薩摩さんが追い払ってくれてればいいけど……」
足止めの残った(残した)警察官を思う。
ただの女学生からすれば、何となく特殊部隊の方が強そうと言うくらいで警察官も特殊部隊も強さに大差ない印象である。
普段からいつ銃を撃つとも分からぬ危険人物として山折村の治安を脅かしているのだから、こう言う時に役立ってもらわねば困るのだが。
「ダメ! 光がものすごい速度でこっちに近づいてきている!?」
それを否定するように、珠が叫んだ。
何かを光として捉える珠の索敵能力がまだ危機が去っていない事を伝えている。
まだ距離はあるようだが、立ち留まっている場合ではない。
「…………ここからなら商店街が近いです。だから二人は先に行っていてください」
彼女たちの強みは土地勘である。
何もない草原よりは入り組んだ住宅街や商店街に逃げ込んだ方がまだ逃げ延びる目があるだろう。
しかし、みかげのこの言葉に納得がいかないのか茜が珍しく怒ったように眉を吊り上げる。
「……二人は、って、上月さんはどうするつもりなの? まさか変なことを考えてるんじゃないよね?」
すぐ背後に死神が迫る中、足を止めたまま、しっかりと相手の眼を見て真剣な声で問う。
それだけ大切なことだ。
「変な事なんて考えてませんよ。ただ追って来る相手を、少しでも足止めしようってだけです」
「えっ!? ダメだよみか姉! 一緒に逃げよう!!」
「そうだね。私達に悪かったと思ってやってるんなら的外れだよ」
贖罪のつもりで命を張ろうとしているのなら的外れだ。
許しを得た以上、彼女に償うべき罪などない。
「そんなことは思ってません。このまま3人で逃げるよりそっちの方が助かる可能性が高いと考えただけです」
3人でまとまって逃げるより、1人が残って2人が逃げる。
そちらの方が確実に多くの人間が助かる。簡単な損得勘定だ。
「なら私が残るよ、一番戦闘向きの異能だし」
「大丈夫ですよ。戦う訳じゃありません。足止めだけなら私の方が向いてます」
「どういう意味?」
「罠を仕掛けて足止めするだけですから、『私がマタギの六紋さんから訓練を受けていたのは知っているでしょう?』」
みかげが伝説の猟師の弟子であることは周知の事実だ。
確かに足止め役としては適任だろう。
「ここにあなたたちが居ては罠も仕掛けられません。さあ、もう時間がありません。早く行って!」
「ダメッ! 嫌だよ、みか姉…………!」
珠は否定するが光はすぐそこまで迫っている。
もう時間がないのは他ならぬ珠が一番よく分かっている。
議論の余地はない。みかげは珠ではなく茜へと話しかけた。
「朝顔さん。珠ちゃんの事よろしくおねがいします」
「……わかった。けど絶対、追いついてね。絶対だから!!」
「みか姉……みか姉ぇ!!」
嫌がる珠を引っ張って茜が走り出す。
一人残るみかげはぐずる珠に向かって優しく微笑むと、最後の言葉を投げかけた。
「珠ちゃん。あなたの記憶、あなたの想いはあなただけのモノだから。大切に…………大切にしてね」
■
「…………ごめんね」
二人の姿が遠くなってゆく様を見つめながら、誰に言うでもなく呟くようにそう言った。
初めて異能を自覚的に使用した。
異能を使った事を謝罪した舌の根も乾かぬうちにまた異能を使ってしまったが、それは許してほしい。
これは贖罪などではない。
ただ、みかげの行いを許してくれた2人だからこそ、どうしても守護りたかった。
それは純粋なみかげの想いだ。
もちろん死ぬつもりなど無い。
特殊部隊を凌ぎきるそのための力が、今の彼女にはあるはずだ。
彼女は静かに拳を握り、戦う決意を固めた。
■
迷彩服の影が草原を駆けていた。
しなやかに草原を懸ける様は正しく黒豹。
僅かな痕跡を見逃さず、標的に向かって逸れることなく一直線に進んでゆく。
そして、喰らい付くべき標的の影は思いのほか早く見つかった。
それは逃げるでもなく、待ち受けるように立っていた。
そして、向かって来る真珠に向かって言葉を吐く。
「それ以上進むのなら気を付けた方がいいですよ。『そこにはさっき私が地雷を埋めておきましたから』」
その声に、真珠がピタリと足を止めた。
急停止して、マスクの下の目を凝らす。
「地雷だぁ? ハッタリだね素人がそんな真似できるわけがねぇだろうが」
村の小娘にそんなことが出来ようはずもないと、本来なら一笑に付すような話である。
同じ特殊部隊の隊員である元少年兵オオサキ程ではないが、真珠もそれなりに危険に対する鼻は効く。
少なくともその真珠が見た限りでは周囲に罠を仕掛けたような痕跡は見受けられない。
短時間でここまで完璧な罠設置が行えるなど、それこそ特殊部隊員レベルの熟練した工作員でもなければ不可能な仕事だ。
だが、言葉とは裏腹にどういう訳か真珠はこうして足を止めている。
状況を判断する理性はここに地雷など無いと告げていた。
だが、ここに地雷が仕掛けられていると本能が信じている。
まるで彼女がここに地雷を埋める、その光景が脳裏に浮かぶようかのに。
「ずいぶんな言いようだね。『私に罠のイロハを教えてくれたのは、お姉ちゃんじゃないですか』」
「………………なんだと?」
その言葉に真珠は銃口を突きつけながら確認するように敵の姿をまじまじと見る。
登り始めた朝日に照らされるその姿。
その顔に見覚えなど。
「『わからないのも仕方ないよ。だって10年ぶりだもん』」
「10年ぶり……」
「『久しぶりだね、お姉ちゃん。昔、近所に住んでいた上月みかげだよ。私の事、覚えていますか?』」
相手の証言と己の記憶を確かめる様な数秒の間。
みかげの異能によってその二つはイコールとなったはずである。
だが、異能はこの場で降って沸いたような力だ、確実であると断言できるほどの信頼は置けない。
まるで地獄の沙汰を待つような時が流れる。
「ああ……まさか、お前がこんな所にいるとはな。因果なもんだなぁ? みかげ」
そう言って、答えのように銃口を上に向けた。
まさか昔可愛がっていた妹分に特殊部隊の任務で再会するなど運命とは数奇なものである。
無論、それは幻想。
異能は狙い通り、特殊部隊にも作用したようである。
架空の想い出で足止めした相手と、架空の地雷原を挟んで対峙する。
「そうですね。まさか私もこんなところでお姉ちゃんと再開するなんて思いませんでした。
『共働きでいつも両親がなかなか家にいない私のお世話してくれて、色んな事を教えてくれたよね』」
「ああ、そんな事もあったな」
懐かしむように頷く。
当然みかげの語る想は全て出鱈目の嘘っぱちだ。
彼女の両親はともに健在だし共働きでもない。
何より彼女の住処は山折村から出たこともないのだから外の人間と幼いころに出会う筈もない。
シルエットと声から辛うじて分かる若い女性であると言う情報。
それだけを元に、近所に住んでいた妹分であるという思い出を植え付けた。
空想こそが彼女の武器。
自覚的に使用すればこのように、使いようによっては尊厳をも否定できる最低の力だ。
だが、その最低な力が今、最悪の特殊部隊を足止めをしていた。
「だが、生憎お喋りしているほど暇じゃねえんだ。2つ尋ねる。答えろ」
思い出話を早々に切り上げ、改めて銃口を突き付ける。
それはみかげにとっても都合がよかった。
下手に長話をすると齟齬が出て異能が破たんする可能性がある。
それは皮肉にも珠の件で学習していた。
「この女について知っている事はあるか?」
地雷原越しに突き付けるように写真を見せる。
遠目だが写真に写っている女性の顔はなんとか見て取れた。
その顔には、どこか見覚えがあった。
「……最近村に来た観光客で、確か田中花子さん、だったかな」
ある意味で印象的な名前だったから憶えている。
村の風俗について興味があるからと世間話と銘打って積極的に住民に聞き取りを行っていたから、みかげも少しだけ話したことがあった。
「チッ。あのアマ。適当な偽名を名乗りやがって」
かつて自身が適当に名乗った偽名である事も忘れ真珠は標的を誹った。
だが、この村内で通っている偽名を知れたのは収穫である。
「この地震が起きた後でこいつを見かけたことは?」
「いえ。見かけてません」
「そうかい」
そこまで都合よくはいかない。
真珠もそこまで期待はしていない。
「じゃあ次の質問だ」
「待ってください。一つ答えたんだからこっちからも一つ聞かせて下さい」
果敢にも相手の言葉を遮りみかげがそう切り出した。
だが、みかげは銃を突き付けられ尋問をされる側だ。
本来であれば質問など出来る立場ではないのだが。
「…………いいぜ。答えるかは別として聞くだけ聞いてやるよ」
本来であれば応じられぬ交渉ではあるのだが。
昔馴染みに対する情か、真珠は質問を許した。
「この村で何が起きているの? あなた達はこの村をどうするつもりなんですか?」
「質問が2つになってるが、まあいいさ。どうせ片方には答えられねぇ。
生憎だが、この村で何が起きているのかは私らも知らないんでね。
だが、どうするかってのは単純さ。このバイオハザードを収束させる。それが任務だ」
真珠が語るのは真実ではあるのだが、放送によって既に公開されている範囲の真実だ。
だからこそ真珠は素直に答えたとも言えるが、折角の質問の機会を無駄にしたとも言える。
「収束って……こんな方法でですか?」
「ああ、住民を皆殺しにしてでもだ」
「どうしてッ!?」
「おっと、次はこっちの順番だ」
「ッ」
思わず感情的になって喰ってかかろうとした所を冷静に制される。
「研究所について何か知っていることはあるか?」
「研究所……?」
このバイオハザードの元凶。
もちろん、ただの学生であるみかげが知っていることなど無い。
「――――――ええ、それなら知ってます」
だが、みかげはそう答えた。
その答え(えさ)に興味深そうな目で獲物が喰いついた。
「へぇ…………そいつぁ、詳しく聞きたいね」
みかげが一番足止めに適している。
二人を行かせるための方便だったが、あながち嘘と言う訳ではではない。
相手の思考を操れるのならば、行動すらも誘導できるだろう。
だが、あまりに現実から乖離した内容は破綻する。
下手な嘘は自らの首を絞めるだけだ。
「『両親が研究所の関係者だったんです。私の両親が研究者だったってご近所だったお姉ちゃんも知っているでしょう?』」
「…………そう言えば、そうだな」
研究で両親が多忙であったみかげの世話を焼いていた。
そんな思い出がみかげの脳裏に思い出される。
「信じて貰えないかもしれませんが、私なら研究所を案内できます」
案内役を自ら買って出る。
これならば、しばらくは時間を稼げるだろうし、何より珠たちからも遠ざけられる。
「私の言葉を、信じてもらえますか?」
「ああ。お前の言葉を信じるぜ」
真珠はみかげを肯定する。
その言葉は嘘ではない。
異能は確実に働いていおり、真珠はみかげの言葉を信じている。
それは確かだ。
「だが――――――」
狙いを定めるように銃口が向けられ。
引き金指がかかる。
「…………え?」
「――――さよならだ。みかげ」
複数の発砲音が響いた。
確実な死を与えるべく、2発の弾丸が少女の頭と胸に吸い込まれるように向かっていった。
少女から2輪の赤い花が咲く。
確かに真珠は異能の影響を受けていた。
だが、何の違和感も覚えていなかったわけではない。
珠が記憶の齟齬に発狂したように、破綻した大量の情報は脳に強い負担をかける。
だが、珠の発狂はその根底にみかげへの信頼があった。だからこそ、その信頼を裏切る情報に混乱をきたしたのである。
感情を挟まないのならば、スヴィアのように齟齬を処理する理性と知性があればこの矛盾は処理できるのだ。
最初の質問からして、みかげは研究所と特殊部隊が一枚岩でない事すら理解していないのは明らかだった。
にも拘らず彼女は研究所の関係者であると答えた。
如何に異能で説得力を後付けしようと、異能以外の証言の部分で矛盾していた。
それを理解しながら真珠が研究所について尋ねたのは念のためと言うのもあるが、違和感に対する確認でもあった。
そもそも、顔を隠し個人を特定できる要素のない真珠の知り合いを名乗った時点でおかしな話である。
なにより、相手を疑ってかかるのが仕事な潜入員が、相手の言葉を頭から信じている。
そんな自分自身こそが真珠にとっての最大の違和感だった。
故に結論は黒。
みかげの言動からは何らかの虚偽、誘導する意図が見受けられた。
質問に応じたのだって殺す前提の冥途の土産だ。
殺す前に話してもいいかと言う程度の情を与える事には成功したが、そこまでだ。
真珠は異能によって植え付けられた昔馴染みとしての情は確かにあるにも関わらず、みかげを撃った。
親兄弟であろうとも任務のためなら殺す。
そういう手合いの人間がいるという事をみかげは理解していなかった。
勉学に勤しみ友人と遊び恋に思い悩む、そんな当たり前の日常に生きる女子高生では無理からぬ事だろう。
あるいは利用価値があれば生かす道もあっただろうが。
そうでないのなら身内であろうと例外は許されない。
それが彼女なりの矜持である。
昔馴染みの妹分だった少女への、せめてもの手向けとして相手をしてやったが、随分と時間を取られてしまった。
逃げた2人を今から追うのは不可能、とまでは言わないが、追いつけるかどうかは厳しいラインだろう。
トントンと指で拳銃の腹を叩きながら、ブリーフィングで山折村の地形情報を思い返す。
現在位置は作戦行動区分で言うところのD-4辺り。
高級住宅街と商店街の間であり、どちらかと言えば商店街が近い。
まともな判断力があるのなら商店街に逃げ込むだろう。
その判断は正しい。
痕跡の残りやすい草原であれば足取りは終えるが、市街地に入られた時点で追跡は困難になる。
その上、入り組んだ地形で土地勘を生かして逃げられては、後追いで探し出すのはかなり厳しい。
だが、真珠からすればようやく出会えた正常感染者たちである。
ただの女学生が研究所について知っているとは思えないが、意外な手合いが重要な情報を知っているなんて事も往々にある。
このまま見逃すのは惜しい。
追いつけるかは別として、ひとまず追ってみるとしよう。
そう決断を下し、地雷原を回避しながら市街地へと向かった。
【上月 みかげ 死亡】
【D-4/草原/1日目・朝】
【
黒木 真珠】
[状態]:健康
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ
[方針]
基本.ハヤブサⅢ(
田中 花子)の捜索・抹殺を最優先として動く。
1.女学生二人(
日野 珠、
朝顔 茜)を追う
2.ハヤブサⅢのことを知っている正常感染者を探す。役に立たないようなら殺す。
3.余裕があれば研究所についての調査
[備考]
※ハヤブサⅢの現在の偽名:田中 花子を知りました
※上月みかげを小さいころに世話した少女だと思っています
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「はぁ…………はぁ。大丈夫、珠ちゃん?」
茜に引き連れられ珠は商店街にまでたどり着いた。
その表情はどこか心ここにあらずと言った風に呆けている。
それは、置いてきたみかげを気にかけていると言うのも確かにあるが、それ以上に。
『あなたの記憶、あなたの想いはあなただけのモノだから。大切に…………大切にしてね』
別れ際のみかげの言葉が脳裏を離れない。
頭の中で繰り返しのように響いていた。
それは、徐々に広がるように脳内を駆け巡り、絡まった糸のような彼女の記憶を解きほぐしていった。
それは異能による記憶改竄の否定。
自らの行いを清算するために少女が残した最後のひとかけら。
だが、その影響は思いもよらぬところにまで及んでいた。
それはみかげの与えた異能のみならず、それ以外の要因による記憶操作にも影響を与えた。
「思い…………だした」
珠の脳裏に思い浮かぶのはあの日の草原。
探索をしていた珠が見たのは白衣を着た研究所の人間たち。
それだけではなかった。
白衣の男と、それに手引きされ秘密の入り口のような場所に案内される何者かだった。
どこかの国の工作員か、それとも国家転覆を目論むテロリストか。それが何者であるかなど珠は知るよしもない。
ともかく彼らは研究所にいる内通者の手引きによって、侵入口を確保していた。
それが何か、揉め事があって殺された。
これが珠の目撃した顛末だ。
研究所に潜り込んだ内通者。
研究所を狙うどこかの組織。
そして研究所の入り口。
研究所に繋がる重要な情報。
それが誰にとってどんな意味を持つかも理解できないまま。
その全てを少女は見た。
そして思い出した。
朝になれば須らく夢は醒める。
目覚めた現実がどれほど辛く苦しいものであろうとも。
【E-4/商店街入り口/1日目・朝】
【日野 珠】
[状態]:錯乱(中)
[道具]:なし
[方針]
基本.思い……だした。
1.みか姉…………。
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※研究所の秘密の入り口の場所を思い出しました
【朝顔 茜】
[状態]:健康
[道具]:???
[方針]
基本.自分にできることをしたい。
1.特殊部隊から逃げきって上月さんと合流する
2.優夜、氷月さんは何処?
3.あの人(小田巻)のことは今は諦めるけど、また会ったら止めたい
[備考]
※上月みかげの異能の影響は解除されました
※能力に自覚を持ちましたが、任意で発動できるかは曖昧です
最終更新:2023年06月01日 21:48