山折総合診療所。
用もないのに集って茶飲み話に花を咲かせる。
田舎の診療所はそんな老人たちの憩いの場であった。
だが、その様子はここ数年の村の急激な発展により一変する事となる。
開発の余波は診療所にまで及び、否、余波どころではなく、その震源地であるかのように診療所の開発は最優先で行われていった。
そしてもはや診療所の域を超え、最先端医療を提供する県内有数の医療施設となっていた。
そんな田舎に存在すること自体が不自然と思える程な巨大な診療所を、一人の女が訪れる。
現れたのは赤。
巫女服をまとった少女である。
頭には黄色いヘルメットをかぶり、手にはおよそ現実とは思えぬ光り輝く聖剣を携えていた。
どれを取っても病院を訪れる格好としては相応しくない、珍妙極まる来訪者である。
その巫女は血濡れであり、纏う紅白の巫女服は赤に染まっていた。
張り付いた血液は返り血という訳ではなく、紛れもなく巫女本人の血液である。
そういう意味では通院するに相応しい姿ではあるのだが、彼女の目的は治療を求めての事ではない。
そもそも彼女の目的地は診療所ではなく、その奥にあるこの事態の元凶たる研究所だ。
場に相応しいか相応しくないかは己自身が決める事。
そう言わんばかりの圧倒的な自信をもってその場に君臨する。
正しくそれは女王と呼ぶに相応しい存在だろう。
神楽春姫。
村の始祖たる一族にして、すべてのウイルスを従える女王である。
自称だが。
そんな女王を歓迎するように診療所の自動扉が開いた。
地震よってドアの一部はひび割れているが、自動扉の機能はまだ生きている。
病院のように人命にかかわる施設には災害時の非常用電源があるものだが、どうやらこの山折総合診療所でも非常用電源が働いているようだ。
院内に足を踏み入れると、ひんやりとした静寂が春姫を出迎えた。
静寂の中を進んでゆくと、雪駄を擦るような足音が廊下に響く。
朝日が照り始めたとはいえいまだ薄暗い診療所の廊下。
夜に比べればいくらか明るくなったとはいえ、どこか不気味さすら漂う内を欠片も怯える様子を見せずに巫女が悠然と突き進む。
堂々と進めるのは女王たる春姫はゾンビに襲われることはないからと言うのもあるだろう。
だが、それ以前の問題として、そもそもゾンビの影すらも見当たらなかった。
ここは診療所本館の1階フロアだ。
入院患者が眠っている入院棟と違って、地震の起きた深夜には人はほとんどいなかっただろう。
だとしても、夜勤の医師や看護師くらいはいるはずだが、あまりにも静かだ。
いくら災害が深夜に発生していたといえどもここまで人がいないのは妙である。
異様なのはそれだけではない。
廊下の壁に刻まれた何かを引きずったような一本の線。
そして何かに気づいたように春姫が形のいい鼻をすんすんと鳴らす。
鼻腔に香るのは鉄の匂い。
自身の服にこびりついたものとは違う、血の匂いだ。
廊下を進んでゆくに比例して、その香りは強くなってゆく。
その先に恐ろしい物が待ち受ける予感を感じながら、恐れを知らぬ女王は足を緩めることなく進んでゆく。
そして、廊下の角を曲がったところで、その答えが目前に広がった。
「…………行儀の悪い」
不快そうにつぶやくと、春姫が眉をひそめ巫女服の袖を口元にやる。
広がっていたのは春姫をして眉をひそめる凄惨な光景であった。
噎せ返るような血と臓物の匂い。
まるで血の池のような大量の血液が廊下にぶちまけられていた。
広がる血だまりの中には頭髪や耳や指と言った体の一部が紛れていている。
その傍らには唾液のような液体に塗れた衣服や眼鏡といった装飾物が汚物のように吐き出されていた。
それは『食事』の跡だった。
まるで行儀がなってない、食い散らかしっぷりである。
血抜きもワタも取ってない生肉を喰らって美味いものなのか?
どう見てもそれは人の所業ではないだろう。
熊かなにか大型の肉食獣に食い散らかされたように見える。
大地震にバイオハザード、そこに熊害まで加わるとなるとこの村を襲う混沌も極まり過ぎだ。
だが、獣の体毛らしきものはどこにも落ちておらず、その代わりに壁には入口から続く巨体を引きずったような跡が刻まれていた。
見ようによっては固い体表で削られたようにも見える。
どうやら捕食者が立ち去った跡のようだ。
奇妙なのは、壁に刻まれた線が一本であるという事だ。
これほどの巨体であればここに侵入するまでに一本、出ていく際にもう一本。
二本の線が重なるように痕跡が残るはずだが、出て行ったような痕跡はあるが、入ってきたような痕跡はない。
つまりはこの『獣』はここで成長したのだ。
常であればあり得ぬ埒外の成長。
それが、この乱痴気騒ぎで生まれた『異』な存在であると春姫は確信する。
血だまりを睨むように凝視していた春姫は何を思ったのかその場に屈みこむ。
そして、手を伸ばして細く白い指を血だまりの中に突っ込んだ。
彼女は手間や労力は厭うが意外かもしれないが自身が汚れる事を厭わない。
どのような状態であろうとも己が完璧であると知っているからだ。
指先を血と唾液で汚しながら、血だまりの中にある白衣の胸ポケットをまさぐり何かを抜き取る。
それは顔写真の付いた職員カードだった。
IDパスにもなっているようだ。診療所のどこかで使えるのだろう。
IDパスを手に入れた春姫は血の池を超えて診療所を先へと進む。
健康優良児である彼女は病院には縁遠い存在なのだが、山折村の住民として診療所を訪れる機会くらいは何度かあった。
院内の構造はある程度は把握している。
向かうのは昔から気になっていた、ある所だ。
ロビーから繋がるわずかに狭い通路を潜り、一枚の扉の前で立ち止まった。
ドアには関係者以外立ち入り禁止というお決まりの警告が書かれている。
昔から子供心に思ったものだ。この先に何があるのかと。
その答えが、今得られてようとしていた。
春姫は警告文に構わずドアノブに手にかけた。
だが開かない。
捻る途中でノブが固い物にぶつかった。
当然であるが鍵がかかっているようだ。
扉に鍵穴はなく、その代わりに扉の横にはカードリーダー式の電子錠がついていた。
春姫はそこに先ほど拾ったパスを通してIDを読み込ませる。
すると横のランプが許可を示すように緑色に光り、カードリーダーのパネルが開いた。
そこには電卓のように0~9の数値ボタンが並んでいた。
上部のディスプレイを見る限り、4桁の数字を入力できるようだ。
扉を開くにはどうやらカード認証と数値認証の2重の認証が必要なようである。
春姫は迷うことなく『0401』と自分の誕生日を打ち込んだ。
だが、返ったのはビーというエラー音。
そんな馬鹿なと眉を顰めた。誕生日が無理なら手詰まりである。
どうしたものかと春姫は何の気無しにIDパスを見た。
適当に裏返してみてみると、そこにはおあつらえ向きに4桁の数値が奔り書かれていた。
このパスの持ち主が忘れぬようにメモ書きをしていたのだろう。
セキュリティ意識の低い老人のやりがちな危険行為だ。
どれほどセキュリティを厳重にしようとも扱う人間のセキュリティ意識まではどうしようもない。
人類がどれだけ発展しようとも、この手のヒューマンエラーはなくならなることはないのかもしれない。
この降って沸いた幸運を当然のように享受して、春姫は数値を入力していく。
すると、ピッという機械音と共にガチャリと鍵の開く音が鳴った。
深淵へと続く扉の鍵は開かれた。
神聖さを帯びた巫女がその扉を開く。
その先に広がっていたのは、これまでの院内と変わらぬ様子の廊下であった。
凄まじい胆力、あるいは何も考えていないのか。
春姫はどのような危険が待ち受けるともしれぬ全ての元凶たる敵の本拠地へと躊躇いなく踏み込んでゆく。
真っすぐな廊下を進んで突き当たったところで角を曲がると、すぐ目の前にエレベーターがあった。
「▽」しかない呼び出しボタンを押すと、光を放ち反応を示した。
自動扉と同じく、地震の影響で動かなくなったなんてこともなく稼働しているようだ。
とは言え、このまま稼働し続ける保証などどこにもない。途中で停止し閉じ込められる可能性もある、
その上、どこに繋がっているかもわからないエレベーターだ。
まともな人間であれば乗り込むのに躊躇するだろうが、生憎と乗り込むのはまともな人間ではない。
春姫はエレベーターに当然のように乗り込むと内部のパネルを見つめた。
パネルには現在いる1階の他にB1、B2、B3のボタンがある。
診療所は3階まであったはずだが、上階に昇るボタンは見当たらない。
それだけでこのエレベーターが診療所とは隔絶した世界に繋がっている物なのだと分かる。
春姫は試しにB3のボタンを押してみるが、暗点したままで反応がない。
続けてB2、B1と押して行くが同じく反応はなかった。
壊れているのかと思ったが、エレベータパネルの下部に、先ほどの扉に備え付けられていたようなタッチパネルがあることに気づく。
そこにIDをタッチするとポーンという音と主に何かが稼働した。ここでは数値の入力は必要ないようだ。
試しにB1を押すと、今度はボタンが光った。
それに気をよくして続けざまにB2、B3と全てのボタンを押してゆく。
全てのボタンを押すのは迷惑行為ではあるのだが彼女以外に乗る人間がいないのだから誰にも迷惑はかけないし、そもそも押したところで反応がなかった。
このIDパスではB1までしか降りられないという事だろう。
そうこうしているうちにエレベーターの扉が閉じる。
彼女を乗せた箱が静かな揺れと共に地下に向かって動き始めた。
蜘蛛の糸を探して、地獄を生み出した地下へと向かう。
■
到達を告げるポーンと言う音と共にゆっくりと両開きの扉が開く。
徐々に垣間見えるそこには別世界のような白く輝く清浄な空間が広がっていた。
地上の地獄とは異なる白い地下の天国。
診療所も白く清浄なイメージはあったが、同じ白でもこの研究所は未来にでも迷い込んだかのような洗練された印象を与える。
地下は地震の被害が少ないとも言うが、最先端の耐震強度故か壁にはヒビ一つ見て取れない。
エレベータを出てまず目についたのは、正面にある一室だった。
そこは壁ではなくガラスで仕切られており、お洒落なカフェテラスを思わせるような作りである。
おそらく休憩や談話を行う休憩室(リフレッシュルーム)だろう。
流石にこんなところに業者を入れるわけにもいかないのか、自動販売機やディスペンサーのような物は設置されていない。
だが、個人で持ち込み可能なコーヒーメーカーやケトルと言った備品が見て取れた。
もっとも、それらは地震によって割れ落ち、備品は床に落下して破損してしまっているのだが。
いくら建物自体の耐震強度が高かろうとも内部に置かれた備品まではそうはいかないようである。
研究者とは言え人間だ、日の光も浴びず地下でずっと研究を行っていては気が滅入る。
あるいは科学者であるからこそ、根を詰めすぎずリフレッシュを行った方が効率的であると理解しているのだろう。
こういった福利厚生に力を入れるのなら意外とホワイトなのかもしれない。
春姫はうむうむと頷きながらそんなことを思った。
ひとまず納得を得たのか、春姫は興味を失ったように休憩室から視線を切る。
エレベーターから出た左手側は壁に突き当たっていため、右手側の通路を進んでゆく。
そして休憩室を越え、隣室の扉までたどり着き、そこで静止する。
ガラス張りのリフレッシュルームと違いしっかりとした壁に区切られていたその部屋には手前と奥の計二つの扉があった。
春姫は自身の目の前にある手前側の扉に手をかけるとドアノブを回す。
ノブが抵抗なく回った、どうやら鍵はかかっていないようだ。
開いた先は明かりがついていないのか薄暗く、開いた扉の隙間から部屋に光が差し込んで行く。
薄暗闇に目を凝らして見れば、そこには簡素なベッドが並んでいた。どうやらここは仮眠室のようだ。
もしかして研究者たちは家にも帰らずここで寝泊まりしていたのだろうか?
だとしたらとんだブラックである。春姫は考えを改めた。
薄暗いのも仮眠室であるためだろう、視界の悪い室内を入口からきょろきょろと見まわす。
異能のおかげで春姫に襲いかかることはないが、ベッドの上には何体かゾンビが寝ているようだ。
恐らく仮眠中にウイルスに侵されてしまったのだろう。
威風堂々とした女の侵入にむしろゾンビの方が驚いているようである。
それを気にした風でもなく、春姫はそっと扉を閉じて仮眠室を後にした。
さらに通路を進んでゆくと曲がり角に突き当った。
通路は右にL字型になっているようで、正面の突き当りには新たな部屋の扉があった。
春姫は角を曲がる前に、まずは正面の部屋へと入ることにした。
その扉を開いた瞬間、これまでの薬品めいた匂いではなくどこか嗅ぎなれた匂いが鼻を突いた。
それは紙の匂いだった。どうやらここは資料室のようである。
法律家である父の部屋を思い出させるその匂いに興味を惹かれたのか、春姫が資料室へと足を踏み入れた。
資料室には様々な書物や資料が並んでいた。
書籍が電子化される時代においても、まだまだ紙の資料は有用なようだ。
並んでいると言ってもそのほとんどが地震によって地面に落ちているのだが。
倒れた本棚の下敷きになっているゾンビもいるが、春姫はそれらを無視して本棚を躱すように歩きながら、雑多に散らばった本のタイトルを確認していった。
『Interactions between Neurons and Bacteria: Effects on Microbial Brain Function』
『El impacto de los rayos cosmicos en la Tierra』
『Sicherheitsbedenken und Bedenken hinsichtlich der Impfung von Impfstoffen』
『Die Beziehung zwischen Stress und Gehirnfunktion: Mechanismen von Stressresistenz, PTBS, Depression und anderen』
『关于人类认知对世界产生的影响』
『Угроза резистентных к препаратам бактерий и ситуация с разработкой новых антибактериальных препаратов』
『Zusammenhang zwischen bakterieller Infektion und Enzephalitis: Erreger, Symptome und Therapieerläuterungen』
『The Role of Neurotransmitters and Their Relationship to Diseases: Dopamine, Serotonin, Norepinephrine, and Others』
資料室に落ちていた本のタイトルは多様な言語で書かれた。
常識はなくとも教養はあるのが春姫という女だ。
流石に全てとはいかないもののある程度の内容は理解しているようだ。
様々なジャンルの専門書が並んでいたが、傾向として脳や細菌に関するものが多いようである。
医学関係と言う事もあり英語やドイツ語が多いが、中には日本語の書物もいくつか目についた。
『ウイルスの進化と感染症の流行について 』
『細菌が齎す人体への影響について』
『ワクチンの安全性と接種に対する懸念点』
日本語書籍の殆どが細菌やウイルスに関する著書であり同じ著者によって書かれているようだ。
著者の欄にはこう書かれていた『著 -
梁木 百乃介 - 』と。
聞いたこともない名前である。もっとも一般人が細菌学者の名前なんて知っている方が珍しいだろうし、妙な知識の豊富な春姫と言えどもそこまで行くと守備範囲外である。
広い資料室を一通りぐるりと回ったが、どうやらこの資料室には研究成果などのこの研究所で作られた独自資料は保管されていないようだ。
世界各国の専門書が集められており、中には希少性な物もあるのだろうが、ここに置かれているのは本屋で売っている物の寄せ集めでしかなかった。
春姫が欲しているのは今起きている事態を引き起こした研究成果である。
然しもの春姫もここで1から勉強した所で事態が理解できるはずもなし。
ここに彼女の求めるものはない、春姫は資料室を後にした。
資料室から出た春姫はL字路の先へと進んでゆく。
通路を進み、まず目に入ったのはトイレであった。
中を確認するまでもない所である。催している訳でもなし春姫は無視して先に進む。
トイレから少し進むと今度は通路の左右に扉があった。
特に逡巡するでもなく春姫は僅かに位置の近かった左手側の扉へと向かって行く。
扉を開くと、鼻を突いたのは先ほどの資料室とは真逆のこれまで以上の薬品の匂いだった。
ブースで区切られた白い机に薬品棚。ビーカーやフラスコと言った実験設備も揃っているようだ。
ようやく研究所らしい設備がお目見えしたようだ。
だが、素人目だが一見した感じでは特殊な器具は見あたらない。
フラスコやビーカー、顕微鏡と言った見覚えのある物ばかりで、印象としては学校の理科室のようにも感じられる。
ここは専門の研究室と言うよりは簡易的な個人研究ブースなのだろうか。
大したものはなさそうだが、それでも何らかの研究成果やこの事態解決に繋がる物があるかもしれない。
そう考え研究ブースに踏み込もうとしたが、直前で踏み出した足を止める。
室内には割れたビーカーやフラスコの破片が散らばっていた。安全靴ならまだしも雪駄で踏みこむのは危険だろう。
それに、地面に転がっている破片の中には割れた薬瓶も含まれており、気化した危険な薬品を吸い込む可能性もある。
春姫は踵を返すと扉を閉じて部屋を後にした。
続いて研究ブースを出て正面、通路右手側の扉へと向かう。
他の部屋より僅かに重い扉を開くと、そこにあったのは埃臭い倉庫であった。
倉庫に置かれているのはフラスコやビーカー、シャーレなんかの予備の実験用具である。中には白衣や手袋なんかの着替えもあるようだ。
さらには電球やトイレットペーパーなどの日常雑貨や缶詰やインスタント食などの食料品なども備蓄されていた。
元より雑多な倉庫だったからこそ地震によって荷が崩れてしまえば足の踏み場もない。
見る限りただの備品倉庫。大したものも置かれてないのは明らかだ。
そう考え扉を閉じようとしたところで、ふと気づいた。
薄暗く雑多な倉庫だったから気づかなかったが、部屋の奥に扉があるようだ。
果たして何の部屋なのか。
それを確認すべく、仕方なしに春姫は崩れた倉庫へと踏み込こんでいった。
面倒なので雑多に散らばる荷物を踏みつけながら進んでゆく。
破片が転がっている危険そうな箇所は避け、適当に転がっていた乾パンを拝借しつつ、出来うるかぎり安全なルートを辿って部屋の奥までたどりついた。
倉庫の奥にあった扉には「配電室」と書かれていた。
この先にあるのは、地震が起きても健気にこの地下設備に電気を供給し続ける電気系統を管理している場所のようだ。
その手の知識に興味がない春姫が入ったところで何が分かるでもないだろうが、とりあえず扉に手をかける。
だが、扉には鍵がかかっていた。
しかもこれまでの電子鍵ではなくシリンダーのついた物理鍵である。
何とかならんかと未練がましくガチャガチャとドアノブにチャレンジを続けるが何ともならない。
鍵がないとどうしようもなさそうだ。
他の施設と違う鍵がかけられているのは、研究とは別の専門性求められる場所だからだろうか?
散らかった倉庫を突っ切ってきたがどうやら無駄足だったようである。女王はすごすごと散らかった倉庫を引き返した。
埃臭い倉庫を出る。
先ほど倉庫から拝借した乾パンの包装袋を解いて、ガリガリと朝食を齧りながら通路を進む。
だが、少し進んだところで通路の突き当りにたどり着いた。どうやらこのフロアはここで終わりのようだ。
突き当りには前方と左右、三つの扉がある。
秘密の研究所と言っても、まだまだこのフロアは浅瀬にすぎないのか。
通路の端から端まで来たが、今のところ大した成果は得られていない。
このフロアにはあまり重要な施設が置かれておらず、真なる深淵はもっと下のフロア、地下深くに広がっているのか。
それとも、この三つの扉の先に何かこの事態解決の一助になる物があるだろうか?
春姫はまずは右の扉を選んだ。
全て調べるのだから正直どこからでもよかったが、強いて言うなら三つの中で一番大きそうな部屋だったからだ。
そこは白いタイルが敷き詰められた大部屋だった。壁は黒くどこか重々しい。
部屋の奥には椅子と机が2つ配置されており、机の上には複数のモニターが並べられていた。
明らかにこれまでとは毛色の違う内装だ。
それもそのはず、この部屋は研究を目的としたこれまでの施設とは根本からして異なる部屋なのだから。
どうやら、ここは侵入者を監視する監視室(モニタールーム)のようだ。
監視室には白衣とは違う制服姿のゾンビが2体屯していた。
恐らくモニターを監視する監視員だったのだろう。
春姫は彼らを無視してモニター前の椅子に勢いよく座ると、意味もなくくるりと一回転した。
そして改めて映し出されていたモニターの映像を注視する。
流石に全てが生きている訳ではないが、いくつかのモニターは煌々と光を放っていた。
ここも他の施設と同じく電源は動いているようだ。
画面に投影されていたのは診療所の本館と入院棟の正面入口。職員用の裏口だった。
そして先ほど春姫も通って来たエレベータ通路を含む、診療所内の何か所かが映し出されている。
恐らく研究所に繋がる場所を監視していたのだろう。
だが、どの画面を見ても研究所内部の映像はない。
この施設があくまで外部からの侵入者を監視する施設であるためだろうか。
モニタールームで屯する警備員たちがあっけなくゾンビになったのは、内部で起きたバイオハザードには対応できなかったのはそれが理由なのかもしれない。
だが、このような場所を監視しないなどありうるのか?
内部監視をしているのはここではない別の部屋なのか。
あるいは機密であるからこそ映像が残せないという事なのか。
ともかく、この部屋があれば外敵への警戒は万全だ。
ともすれば特殊部隊が空爆を行おうとも地下施設であるここであれば影響はないかしれない。
事実、ここは安全に引きこもるには最適な場所ではあるのだろう。
だが、春姫の目的は引きこもることではない。
村の始祖たる女王として、この村を導き、救いを齎さねばならないのだ。
そんな強い意志をもって女王は警備室を後にする。
そのまま警備室から出て正面の扉に入っていった。
そこは警備室に比べればかなり手狭な部屋だった。
沢山のロッカーが並んでいる事から、研究員が着替えなどを行うロッカールームのようだ。
地震によってロッカーは倒れており、その衝撃で扉が開いたのか、ロッカーの中身はこぼれて地面に散乱していた。
その中には研究員の私物も含まれており、あるいはそこから重要な何かが見つかるかもしれない。
調査する価値は大いにあるだろう。
だが、春姫は踵を返した。
雑多に散らかる惨状を見て調査する気が失せたからだ。
倒れたロッカーを立て直して直して、地面に落ちた残留物を事細かに調査する。
そのような地道な力仕事は春姫の趣味ではない。
春姫はロッカールームを後にした。
ここまで来れば賢明な諸兄はとっくにお気づきかもしれないが。
当の本人としては自信満々ではあるのだが、彼女は致命的なまでに探偵に向いていない。
あらゆる場所で踵を返しすぎである。
確かに、神楽春姫という女は運命に愛されたような豪運を持っている。
あらゆる過程や手続きを飛び越して、研究所の内部にまでたどり着けたのがその証左だろう。
だが、それで何とかなるのも限界がある。
ここまでも一瞥しただけで各部屋を見切ってきたが、もっと痕跡を見落とさぬよう詳細に調査すべきだった。
興味が向いたものにしか目を向けない、その気質が完全に足を引っ張っている。
だが、その事実を指摘するような仲間もおらず、春姫はロッカールームを後にした。
春姫は突き当りにあるこのフロアの最奥にして最後の扉へと手をかけた。
他の部屋と違って鍵がかかっていた。
配電室のような物理鍵ではなく、エレベーターと同じく電子鍵である。
わざわざ鍵がかかっているあたり、何かあるのではという期待が持てるが。配電室の時のようにそもそも鍵を開けるのかと言う懸念もある。
試しにパスをタッチキーにかざすと、最初の扉と同じく数値入力のパネルが出現した。
同じ4桁の数字を入力すると鍵の開く音が鳴り、意外なことにあっさりと扉は開いた。
春姫は無言のまま手にかけたドアノブを捻る。
ゆっくりと開いた扉の先からは、妙にひんやりとした空気が流れ込んできた。
その先にあったのは部屋ではなかった。
上下に繋がる折り返し階段とその踊り場だ。
ここから階段を降りて行けば、下のエリアにも行けそうである。
もしそうならばパスはいらないんじゃないか? などと甘い考えが浮かんだが、そこまでうまい話はない。
実際に階段を下りてB2フロアの踊り場にたどり着いたが、扉には当然のように電子鍵がかかっていた。
これまでのようにIDパスをかざすがエラーの赤が光るばかりである。
どうやらこのIDパスの権限で侵入できるのはB1までのようだ。
恐らくB3も同じ結果になるだろう。ここより先に進むにはより上位のIDが必要となる。
どうやら彼女の運命力でごり押せるのもここまでのようだ。
とは言え、今は強引な手段に出た所で咎める物などいない非常事態である。
最悪、扉を破壊してしまえばいいし、そもそも平時でも手段を躊躇うような女ではない。
いっそ爆破でもしてしまうか。
などと割と本気で検討する春姫だったか、生憎と爆薬の用意はない。
手元には剣があるが鋼鉄製の扉を斬鉄するのは春姫の細腕では流石に厳しいだろう。
研究所にある薬品を組み合せば爆薬の一つくらいなら生み出せるだろうか?
その手の知識はないが、ここには資料室がある。参考になりそうな書物には事欠かない。
何にせよこんな何もない踊り場で考えていても仕方がない事だ。
ひとまず、春姫は上のフロアに戻ることにした。
研究所にとどまり策を講じるか、いったん研究所を出て別の方法を探るか決めることとしよう。
【E-1/地下研究所・B2 階段扉前/一日目・朝】
【
神楽 春姫】
[状態]:健康
[道具]:血塗れの巫女服、ヘルメット、御守、宝聖剣ランファルト、研究所IDパス(L1)
[方針]
基本.妾は女王
1.研究所を調査し事態を収束させる
2.襲ってくる者があらば返り討つ
※自身が女王感染者であると確信しています
最終更新:2023年06月15日 21:20